魔術師志願1
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闇の中にロウソクの炎が揺らめく。その光に照らされ、そばに一人の男のシルエットが浮かび上がる。あたりには植物の腐ったイヤな臭いが立ちこめている。

「これですべての準備は完了か」

男がつぶやく。男は闇の中ある一点を見つめており、その視線の先にはなんらかの液体で満たされた入れ物があった。臭いはこの入れ物から漂ってきているようである。

しばらくの静寂。そして男は何かを決意した感じで歌うように言葉を発した。

「デルブト・グルム・ロガルボ」

その呪文のような単語は闇の中に消え、しばらくの静寂があった。

(うまくいくのか…)

男は祈るような気持ちで何か変化が起こるのを待っていた。

 

いきなりあたりに光が溢れる。

「きた、ついに成功かっ!」

思わず男は叫ぶ。しかしその思いを突き放すように、少女の声があたりに響いた。

 

「ゆーきーさーわー!」

 

そこは八畳ほどの部屋だった。部屋の奥には窓があるようだが、外からの光が入ってこないように黒の遮光カーテンがかかっていた。反対側には引き戸の入り口と窓があるようだが、窓にはやはりカーテンがかかっていて外からの光は入っていない。扉の上部には黒い紙がはってあった。おそらく覗き窓があるのだろう。扉が閉まっている状態ならば、この部屋は真っ暗だろう。だが今はその扉は開け放されており、そこからの光が部屋の中を照らしている。部屋の左右にはロッカーや椅子が置いてあり、真ん中には机があった。机の上にはロウソクとバケツがのっていて横には詰襟の学生服姿の少年がびっくりして表情で固まっていた。襟には「2」というピンバッチがついている。その視線は入口の扉に向かっていた。

扉には先ほどの声の主と思われる、セーラー服姿の少女が立っていた。逆光に浮かぶ少女のシルエットは細く、髪は耳が隠れるぐらいのショートカットだった。胸のポケットには「2」というバッチがついている。少女は部屋の中にいる少年に視線を合わせたまま叫んだ。

「またあんたはなんかバカなことを!ってなにこの臭い、くっさいよ」

鼻を手で覆いながら少女は少年をじっと見つめた。

「なんだよ、やっと成功したかと思ったのに。いやおまえが扉を開けたりしなければ、ほんとに成功してたはずなんだよ」

部屋の中にいた少年、雪沢正一はやや動揺しつつも言い返した。

「はいはいはいはい、うわなにこれ?なんかわからないけど、これが臭さの原因ね。はやく捨ててよ」

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少女は喋りながら机へと近寄って、バケツの中を覗いてそう言った。

「うーん、やっぱりこのメルキバの灰ってのを腐葉土で代用したのがいけなかったのか?せっかく3時間も煮込んだのになぁ」

「…なんで腐葉土を煮詰めるのよ!」

「だから代用なんだって、この間手に入れたこの本によるとだな…」

「あーもういい、あたしが捨ててくる」

「あ、おい、ちょっと待てよ、成嶋」

少年の呼びかけを無視して、少女はテーブルの上におかれたバケツをつかむと、すぐさまものすごいスピードで外に走っていった。雪沢は一瞬あっけにとられたが、すぐに少女を追いかけて部屋を出る。

「成嶋さん、ちょっとほんとに待って、それ作るのかなり苦労したんだぜ?」

しかし先を走る少女、成嶋瑠璃香は雪沢の呼びかけを無視してひたすら疾走していた。それでもバケツを持って走っていることもあって、次第に雪沢との距離は縮まってくる。ようやっと追いつこうというとき、成嶋が突然振り返る。

「だめ、捨てる」

そう言うと、後ろを向いた。

「待っててば」

雪沢が追いかけようとすると、顏だけを彼に向けてこうつぶやいた。

「女子トイレの中までくるつもり?」

「えっ?」

雪沢が急いで辺りを見回す。成嶋の後ろには扉があり、上にある標識には「女子トイレ」と書いてあった。

「じゃね」

雪沢がここがどこかを確認しているすきに、成嶋はトイレの扉を開けて素早く中に入った。中でさらに扉が開く音がして、その後水の流れる音が響く。

「ああ…」

恨めしそうにトイレの扉をみながら、雪沢が情けなくため息をもらす。その姿を空のバケツを手に出てきた成嶋が見て言う

「…女子トイレの前でそんな顔してると変な誤解されるよ?」

「誰のせいだよ」

「しょうがないでしょ、あんな臭いものを部室においとけないし、一番近くで捨てられそうなのはここだったんだから。」

「いやだから、そもそも捨てるって判断がだな…」

そのとき向こうから女性の声が響いてきた。どこかの部活の生徒だろうか。

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「誰か来そう。雪沢、立ち話もなんだし戻ろうか?こんなとこで話してるの見られたくないし。」

そういうと空になったバケツを雪沢に渡し、成嶋は今来た廊下を歩きだした。しょうがなく雪沢もバケツを手にしその後に続く。

 

ここは関東の国松市にある山水学園、男女共学の高校だ。都心から30分ほどの土地ではあるが、あたりにはまだ緑が多い。学校案内でも「緑が多い落ち着いた学園は、勉学をはじめ学生の成長に最適な環境」と宣伝されている。生徒の自主性を尊重するという学園の主義と相まって、学生はおおらかな学園生活をおくっている。

そのため周りの学校からは「のんびり」ひどいところには「まぬけ」と思われている。

 

二人は先ほど飛び出してきた部屋へと戻ってきた。扉の上には「第二新聞部」と手書きされた表札がかかっている。詰襟の少年、雪沢正一は山水学園の二年生で、この第二新聞部の部長である。セーラー服の少女、成嶋瑠璃華は同じく山水学園の二年生で第二新聞部の副部長だった。

 

「さてとっ」

部屋に戻った成嶋はあたりにあった椅子に座ると、所在なげに入口付近に立っている雪沢をじっと見つめ、

「ゆきさわくんは、今日はどんなことをしようとしていたのかな?」

と笑顔で聞いてくる。が、彼女の目は全く笑っていない。雪沢はいままでの経験からして、こういう場合は正直に白状した方がいいことを知っていた。

「ホムンクルス」

ぽつりと雪沢はつぶやく。

「え、なに?」

「だから、ホムンクルスを作ろうかと。」

「なにそれ?」

「魔術で作成する人工生命体で、作成者の命令に従っていろんなことをしてくれるんだぜ。」

目を輝かせながら雪沢は説明をする。それをみて成嶋は大きくため息をつく。

「想像はついていたけれど、やっぱり魔術がらみだったのね。いったい何回失敗すれば気が済むのかしら。」

「いやいやいや、今度のは大丈夫なんだって!」

「その妙な自信はどこからくるのやら?」

あきれ顔で成嶋が聞く。

「これさ」

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雪沢は鞄から一冊の本を取りだした。表紙には『魔術入門 禁断の術式をすべて公開』と書いてある。本の端からは、雪沢が貼ったであろう付箋がいくつかはみ出している。

それを見た成嶋は再度ため息をつきながら言う。

「またそういうの買ったんだ。いままでも何冊となく買ってるけど、一つとしてまともなことを書いてある本なかったじゃない。」

そう言われても雪沢は気にした風もなく言う。

「当たり前じゃないか。オレの目標である魔術師になるためには、関係しそうなものはどんどん調べるよ。これはこないだ古本屋で見つけたんだ。これまで読んできた魔術本だと薬の作り方や材料は書かれてなかったから、推測してやるしかなかったじゃんか。この本だと材料はもちろん作り方まで詳しくのってるんだよ。」

成嶋は興味なさそうに本を取ると、ぱらぱらとページをめくって付箋が貼ってあるページの一つを開く。『ホムンクルスの作り方』という章のようだ。雪沢はこれを参考にして先ほどの物体をこしらえたのだろう。

「塩とかミョウバンとか鉄とかはわかるけど、メルキバの灰ってのはなんなの?」

成嶋は中身を斜め読みしつつ尋ねる。

「北欧の高山地帯に自生してるメルキバって草を発酵させたものって解説があったよ。見た目や臭いは腐葉土に近いってことだから、腐葉土代用してみたんだ。」

「してみたんだ、じゃなくてね。そもそもメルキバなんて植物、実際あるの?」

「いや調べてないけどあるんじゃないの?本に書いてあるくらいだし。」

「雪沢っていろいろと物事に細かいけれど、最後の最後で詰めが甘いところがあるよね。」

成嶋はまたまた軽くため息をつくと、本を閉じて雪沢に返す。

「これでたらめね。メルキバなんて植物、聞いたことないもの。」

「いやでも、ほかの材料はちゃんと用意できるものばかりだよ?だから誰も知らないだけで、どこかにあるかもしれないじゃないか。」

成嶋は軽くほほえみながら言う。

「じゃあ誰も知らないものをこの本の著者はどうやって知ったのかしらね。」

「この本の作者だけは知ってたんだよ。」

「そうだとしたら学会とかに発表したほうがよっぽどいいと思うけれど。」

「それはほら、これが魔術関係のものなんで一般に公開できなかったんだよ!」

「だったらなんでこんな本書いてるのよ?」

「えっ、それは…」

「これ、ほんとにあるものとそうでないものを並べて書くことでもっともらしさを出そうとしているのよ。」

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一呼吸おいて成嶋は手に持った本に視線を落として小声でつぶやく。

「何というか純真なのね。」

そして再び雪沢を見つめると

「まあホムンクルスを作ろうとしていたのは分かったわ。で、それが第二新聞部の活動となにか関係があるのかしら?」

「もちろんだよ、今度の号にはこの製作記事を載せるのさ。」

雪沢は力強く答えた。

「まあそんな事だとは思ったけれど…。またオカルト記事を載せるわけね。」

「オカルトじゃないよ、科学的な超常現象の考察だよ。」

「雪沢がどう思うかは勝手だけど、みんなが山水の恐怖新聞って言ってるのは知ってるでしょ?」

「何とでも言えばいいさ。分かってくれてる人たちはいるし。オレたちがなにかちゃんと出来ればみんなも信じるようになるさ。それに成嶋だってその手の記事を何度か書いているだろ?」

「あたしが書いているのは、うちの生徒から聞いた超常現象を取材して、そうではないと判明させた記事よ。もっとも発行された時は誰かがつけた見出しのせいで、そうだと分からなくなってますけど」

「ひどい事するやつがいるな。」

「雪沢でしょ!」

 

その時、部室の入り口のドアが開き、男子生徒が入ってきた。後ろから女子生徒も入ってくる。

「こんちわーっす。」

すこし大きめな詰め襟の制服に身を包んだ男子生徒は入るとともに元気よく挨拶した。襟には「1」というピンバッチを付けている。五分刈りの頭と日焼けした顔と相まって、運動会系に所属している学生のように思える。

うしろの女子生徒も制服は大きめで、セーラー服の上着はサイズがあっておらず、スカートもひざ下まである。胸のポケットには「1」というバッチがついている。後ろを通り抜けるように部屋に入ってくると雪沢と成嶋にちょこんと頭を下げた。

「サトシとしおりちゃんか」

「斉藤くん、瀬野さん、こんにちは。あれ、でも今日は活動日じゃないわよね?」

雪沢と成嶋はドアから入ってきた二人を見て言った。

「雪沢先輩、成嶋先輩、こんちわっす。活動日ではないですが、もしかすると雪沢先輩がいらっしゃるかなと思いまして。」

五分刈りの男子生徒、斉藤聡は改めて部屋の中の二人に挨拶する。だがいつもとは違う部屋の雰囲気を察してか、周囲を見回している。そして部屋の中の臭いに気がついた。

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「あれ,なんか部室の中が臭いような…。」

そして一瞬の沈黙のあと、原因に思い当たったのか

「あ、雪沢先輩!またなにか魔術の偉業を成し遂げたのでは!」

と叫んだ。

「さすがはサトシ、よく気がついたな。だけど今回は成嶋の邪魔で途中で中断してしまったよ。」

「ちょっと雪沢、適当なこと言わないでよ。」

「来たかいがありました、それで今回はどんなことを?」

斉藤は成嶋の言葉が耳に入らなかったのか,雪沢に質問しはじめた。斉藤聡は今年入学の一年生で、4月に行った第二新聞部の説明会の時からどういうわけだかは分からないが、雪沢のファンというか信奉者だった。なにやら魔術の話で盛り上がっている雪沢と斉藤はほっておいて、成嶋は部屋の隅にいる瀬野しおりに声をかけた。

「瀬野さん、ごめんね。また雪沢が変な事して。」

「しおりは、この臭い平気です。」

ゆったりとした口調で瀬野は成嶋の顔を見て答えた。平均より身長が低い瀬野は、成嶋を見上げる形になり両サイドのお下げがそれに合わせて揺れた。

「へぇ…」

意外な答えに戸惑いながらも、成嶋は話を続けた。

「瀬野さんも活動日じゃないのにどうしたの?」

「しおり、斉藤君と同じ一組なんです。授業が終わったら、斉藤君が部室の方に向かってたので今日もあるかと思ってついて来たんです。」

ゆったりとした口調で瀬野が答えた。

「そ、そうなんだ。」

瀬野は淡々と事実をしゃべっている感じで、あまり感情を読み取れない。

瀬野しおりも一年生で、写真が撮りたいという理由で第二新聞部に入ってきた。成嶋はまともな活動をしている新聞部や写真部ではなく、なんで第二新聞部を選んだのか聞いたことがあった。瀬野の答えは「何となく」だった。成嶋は「独特の感性を持っている子なんだな」とその時から思っていたが、今日もまたそれを確認した思いだった。

雪沢のほうを振り返ってみると、依然として斉藤と魔術談義を交わしていた。

「…その本によると、魔術の勉強を続けてある一定の段階まで来ると、自然と魔術結社からの誘いが来るらしいんだよ。きっと結社は魔術を志す者がどこにいて、どのくらいの知識を持っているか分かるんだよな。」

「雪沢先輩にも誘いがあってもしかるべきですね。はっ、まさかもうすでに?」

「いやいや、きてないよ。本の記述を読むと,オレなんかのレベルじゃとても入れるところとは思えないな。でも魔術を調べたり実践したりすることで、近づければと思ってる。」

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「うーむ、結社ってのはすごいところなんですねぇ。」

パンパンと手を鳴らす音が響く。雪沢と斉藤が音の方に首を向けると、両手を頭の上で鳴らしている成嶋が目に入った。

「はーい、雑談はそこまで。雪沢、せっかく全員そろったからなにかやらない?」

第二新聞部のメンバーは2年の雪沢と成嶋、1年の斉藤と瀬野の4人で全員だ。山水学園では部として認められるのは所属人数が8人以上いることが条件となっている。それ以下の場合は同好会となる。第二新聞部も公式には新聞編集同好会であるが、雪沢はあえて第二新聞部と言いはっていた。

「そうだなぁ。じゃあ次の新聞のトップ記事をどうするかについて考えようか。」

雪沢は1年生2人の方を向いた。

「サトシとしおりちゃんは今回が初めてだけど、バックナンバーを読んでもらっているから第二新聞部が出している新聞の大体の感じはわかるかな?」

「わかります。」

と斉藤が答える。瀬野はその横でこくりとうなずいていた。

「代々超常現象をメインで扱っているから、今回もその路線で行こうと思っている。成嶋もそれでいいよな?」

雪沢は成嶋の方を向いてそう言った。

「あたしは自分の反超常現象記事を載せて貰えれば文句はないわよ。それをトップにしてもらえたら一番だけどね。」

「それはないな。」

そう雪沢は即答した。

「今回のトップ記事のため、オレはホムンクルスの作成を試して見ていたんだが、残念ながら失敗に終わった。そこで変わりとなるトップ記事を探さないとならない。何か記事にしたい事があれば遠慮なく提案してくれ。」

そのときチャイムがなった。部活の終了時間だ。

「あ、もうこんな時間。あたし帰らないと。」

「しおりも帰ります。」

「雪沢先輩、すいませんが今日は帰らないとなりません。」

三人が立て続けにそう言った。

「そっか、じゃあ今の事は明後日までに考えておいてくれな。」

「雪沢はまだいるの?」

「えっ、うん、もうちょっとは。」

「念のため言っておくけど、さっきのはもうやんないでね。」

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「やりたくても、もう材料がないよ。」

小声で雪沢は答える。

「あと後かたづけと戸締まりよろしくね。床とかにさっきの液体が落ちてるんで、ちゃんと拭いといて。それじゃ、あたし急ぐんで。また明日ね」

そう言うと成嶋は外にかけていった。

「雪沢先輩、すいませんが今日はお先に失礼します。」

斉藤がそう言って出ていった。瀬野は雪沢におじぎをして部室を後にした。

部室に残った雪沢は辺りを見回すと、しかたなくこぼれた液体を拭き始めた。

あらかた拭き終わると椅子に腰掛け、今回の「レシピ」が書いてあった本を手に取る。表紙をしばらく見つめた後、手をひねって裏表紙を見る。そして本を開いてページをパラパラとめくりながら、内容を流し読みする。

魔法陣、結界、護符、精霊、妖精、ホムンクルス…、目に飛び込んでくる単語はどれも雪沢の興味を引くものだ。

「今回は本物だと思ったのにな。」

そうつぶやくと雪沢は本を閉じてまた机の上に戻し、鞄をとって部室を後にした。

 

校門をでて国松駅へと向かう。雪沢の家は山水学園とはすこし離れており、電車通学をしていた。山水学園から駅まではおよそ5分、国松駅は駅の前から学園通りと呼ばれる、車道、自転車道、歩道が分離されてる大通りがまっすぐ伸びているのが特徴だった。雪沢は歩道をあるきながら、なんとなしに脇に置かれている立て看板広告をながめつつ駅までの道を歩いていく。ふと一つの看板に目が止まった。

『古書、専門書買い取ります。三須賀書房』

雪沢はいつもこの道を歩いていたのに、これまでこの看板には気がつかなかった。もしかすると新しくできた店かもしれない。看板にある地図によれば、ここから学園通りを横に入って2、3分のところにあるらしい。ひとまずどんな店かを確かめようと行ってみることにした。

 

住宅街の中にその古本屋はあった。ふつうの住宅を改造したのだろうか、外見はまわりの住宅とそれほど変わらない。しかし玄関の脇や庭、ガレージに本棚がところせましと並んでいるおかげで、全体として受ける印象はかなり特異なものになっている。だが雪沢はその組み合わせに心惹かれた。彼が探している『魔術書』があるならば、きっとこんな本屋に違いない。根拠はまったくないが雪沢はそう思った。

入り口をあけて中にはいるとすぐ右手にレジがあり、中で初老の男性がなにか本を読んでいた。雪沢が入っていっても特に気にしていないようだ。あまり商売熱心ではないのかもしれないが、とりあえず見ることが目的の雪沢にとってはそのほうが気が楽だった。

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店内は外から見た印象より広いようだった。店内は四つの本棚によって5つの通路にわけられていた。本棚は天井にまで届くほどの高さでかなり圧迫感がある。雪沢は端の本棚からどんな本があるのかを調べていくことにした。

3つ目の本棚に目的の分野の本があった。占い関係の本にならんで「魔術」「魔法」といった単語がタイトルに使われた本が並んでいた。そのうちの何冊かはすでに持っているものだった。残りの本でなにかおもしろそうなものがないかを探していく。だが大半の本は以前に見たり聞いたりしたことがあるものばかりだった。

(まあそう簡単に本当の魔術書なんて見つかるもんでもないしね)

わずかに期待していたことがなんだか恥ずかしく、誰にと言うわけではないが心の中で言い訳をつぶやき、雪沢はなんとはなしに本棚にある本を手に取ってみた。

「あれ?」

抜き取ってできた隙間から奥に本が落ちているのが見えた。前にあるほかの本をどけてその本を取り出してみる。

タイトルは『魔術:その理論と実践』で作者はL.O.D.とある。これまでいろいろな魔術関係の本を読んで、それなりに詳しくなったと自負していた雪沢だが、どちらも初めて聞く名前だった。

「これはもしかするともしかする?」

雪沢は期待に胸を膨らませて本を開いた。目次を見て興味を惹かれたところを読んでみる。

「うーん、書かれている内容は今までの本と大差ないかんじだなぁ。やっぱりそう簡単にはみつからないか…。」

タイトルこそ聞いたことはなかったが、内容は今まで読んだほかの魔術書と大差はないようだった。雪沢はほかにも本棚の後ろに落ちている本がないかを見ようと顔をあげた。するとこっちの様子をうかがっている店員と目があった。そこで初めて雪沢は自分が独り言をつぶやいていたことに気が付く。

(本棚から1列分の本を出して、ぶつぶつつぶやいていたから、変な奴だと思われちゃったのかな)

雪沢は急に恥ずかしさを覚え、いたたまれない気持ちになった。はやいところこの店を出ようと思ったが、なにも買わずにでるのも気が引けた。出した本を戻すと『魔術:その理論と実践』をもってレジへと向かった。

 

「ただいま」

自宅のドアを開けつつ、雪沢はそういった。

「あら、おかえり。」

台所から母親の声がする。すぐさま自分の部屋に以降とする雪沢だったが、それを制止するように母親が声をかける。

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「外から帰って来たら、ちゃんと手を洗いなさいね。」

「へいへい。」

返事は不真面目だったが、雪沢は洗面所に行って手を洗いその後自室へと向かった。部屋に入るとカバンをベッドの上に軽く放り投げるように置き、先ほどの『魔術:その理論と実践』を取り出す。そして改めて目次からページをめくっていく。

「やっぱり大したことは書いてなさそうだなぁ。」

目次を再度眺めた雪沢はそうつぶやく。この本に書いてあることはこれまで読んできた魔術関連の本と大差ないようだ。有名な魔術師や秘密結社といった魔術の歴史からはじまって、魔術師になるためのトレーニング方法、簡単な護符の作り方などの「実践的な内容」が書いてあるが、そのどれもがこれまでに読んだ本にかかれていたこととだぶっていた。そして今までに何度となくその「実践的な内容」を試してみて、効果がないという結論に雪沢は達していた。

それでも雪沢は最初はなにか新しい発見がないかと1ページごとじっくりと読んでいたが、特に目新しいことがなさそうなことがはっきりしてくると次第に流し読みするようになってきた。

とうとう読むのに飽きて本を閉じようとしたときだった、雪沢は指先にちょっとした違和感を覚えた。不思議に思って本をよく見てみると、真ん中あたりのページの色が不自然に異なっている。そこを開いてみると一面に英語の文章がかいてあるページが目に飛び込んできた。またそこだけは活字ではなく、手書きのように見える。

「なんだこれ?」

あわてて目次を見返してみるが、そんなページのことは乗っていない。そもそもそのページに降ってあるページ番号はそれ以外のページと連続していない。よくよく見てみると、その部分の前後のページ番号は連続していた。後からこの部分を本に挟み込んだようだ。

「前の持ち主のメモかな?」

ページの合わせ目を観察してみると、接着剤がはみ出したようなシミも確認できた。

「これ後から接着したのか…」

雪沢は次第に自分が興奮してくるのを感じていた。このページは本当に魔術に関連した物かもしれない。しかしその一方で期待が大きいとそれが裏切られた時の落胆もまた大きいことを経験から知っていた。今まで本物かと期待して買ってきた本にはずっと失望させられていた。

「古本屋の人、買い取るときに気づかなかったのかな。」

冷静になろうとするあまり、どうでもいいことを考えてしまう。

「とりあえずこれ、読んでみるか。魔術に関係のあること書いてあるかどうかわからないし。書いてなくても何か面白いこと書いてあるかもしれないし。」

口ではそうつぶやきながら、すでに雪沢の心は期待で一杯だった。

「なになに、how to make talisman。…?タリスマン、護符のことだよな。」

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辞書を参照しつつ、書かれている文章を読んでいく。知らない単語はたくさんあったが、文章そのものは平易だったので大体の内容は理解できた。ここに書かれているのは題名の通り護符、もしくはお守りの作り方であるらしい。使用する材料もすべて実在しているもののようだ。

雪沢は興奮で手に汗をかいていた。今度こそ本物の魔術書を手に入れたのではないかと思いが強くなる。

雪沢の頭には以前読んだ魔術本に書かれていたある説明が浮かんでいた。さっき斉藤にも話したことだ。

『魔術を正しく志せば、かならずいつか導きが訪れる。それは師となる魔術師との出会いかもしれないし、有用な魔術書との遭遇かもしれない。すべては魔術を志すもの同士の縁によって決定される』

雪沢はこれまで、この言葉を信じて魔術書を見ては魔術を行おうとしてきた。もっともこれまではすべてが失敗に終わっている。

「きっとそうだ、これが魔術の縁による遭遇なんだ。誰がやったのかは分からないけど、これが縁ならばこのタリスマンを作るのがオレの使命なんだろうな。」

だが心の隅ではちょっと手の込んだイタズラかもしれないとも思っていた。

「もちろんイタズラの可能性もあるけど…」

雪沢はしばらくの間沈黙し、どうするか考えていた。

「とりあえずやってみるか。そうすれば本物かどうかはっきりするよな。だったらさっそく取りかからないとならないけれど……」

雪沢は材料が書いてある部分を探した。書かれている材料を一つずつ確認していく。材料はすべて存在しており、すぐにでもタリスマンの制作に取りかかれると思われたが、一つ問題があった。

『blood of virgin』

材料のリストの最後にはそう書かれている。

「ブラッドオブヴァージン,処女の血、かぁ。」

雪沢は顔を上げ,そのまま背をそらして天井を見つめた。雪沢が思いつく「処女」は学校の女子ぐらいしかいなかった。誰と誰がつきあってるかとか誰が経験済みかなんていう話は噂ではちょくちょく耳にする。が、確かめようもない。またそもそも雪沢はそれほど親しくはなせる女子は多くない。第二新聞部の成嶋と瀬野は同じ活動をしている事もあって話しやすい。中でも成嶋瑠璃香は突っ込んだ話も出来る数少ない女子だ。瀬野しおりはまだ知り合ってから短いので、そこまでの話は出来ないと思っていた。

雪沢の脳裏に成嶋の姿が浮かぶ。ショートカットで細身なのでボーイッシュな感じを受ける。雪沢とは小学校からずっと一緒の学校だった。そのためかこれまであまり異性として意識した事はなかった。

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「血をくれ、と成嶋にはさすがに言えないよなぁ。またいろいろ聞かれて面倒な事になりそうだし。それにあいつは処女なのか?」

無意識に頭の中の成嶋を裸にしていた。変な妄想に驚いた雪沢はあわててその像を頭から振り払う。

「うわー、なんか変なもん想像しちまった。とりあえず今日はこのぐらいにして、また明日なにかいい手がないか考えよう。」

そういって雪沢はとりあえず問題を先送りする事にした。

 

翌日、雪沢は学校に登校して教室に入った。始業時間までは少し時間があるが,すでに教室には何人かの生徒がいた。その中には成嶋もいた。昨晩に変な想像をしたせいか、雪沢は成嶋と顔を合わせるのがなんとなしに恥ずかしかった。ただ彼女の方は友達と話していて彼には気がついていないようだった。

自分の席に座ると,雪沢は成嶋のほうを見てみた。成嶋は自分の席に座り机の左右に友達が立っていた。

「前から思ってたけど成嶋さんって肌すべすべだよね、どうやってるの、手入れのやり方教えて」

右側に立っている加藤唯が成嶋の手を取りながら訪ねる。

「…えっ?あ、別に特別なことはしてないんだけど…」

「るりかはねぇ、昔からすべすべだったよ。」

成嶋の言葉が終わるのを待たずに左にいた青園遙がしゃべり始めた。

「青園さんは中学も成嶋さんと一緒なんだっけ?」

「そそ。手だけじゃなくて脚もすべすべだし。体質なんじゃない?うらやましいよね。そういえば修学旅行でお風呂一緒だったけど…」

「ちょ、ちょっと遙!」

なんだか怪しげな方向に話がそれていきそうな雰囲気を察知して、成嶋が青園を制止するように口を挟む。

「あ、ごめんごめん」

口ではそう言いながら、青園はニタっとした笑顔で成嶋を見つめている

「えっ、なーに?」

加藤は興味津々で二人の顔を見つめている。

 

なんてことはない女の子同士の会話だったが、今の雪沢にとっては妄想の燃料にしかならなかった。それ以上聞くのをやめると、窓の方を向き空を見つめた。今日は清々しい快晴で爽やかな青空が広がっている。見ている雪沢の心もなんだか爽やかになるような気がした。

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「この空を見てればなにかいい方法を思いつくかもな。」

雪沢は空を見つめながらボンヤリとそんなことを思った。

 

「じゃあここは、そうだな。村越にやってもらおうか。」

「あ、はい。」

いまは四限で英語の授業中、朝から何か方法はないかと考えつづけていた雪沢だったが、とくにいいアイデアを思いつくことはなかった。そもそも男の友達にでも血をもらうのはかなり難しいだろう。それを女子からーそれも処女かどうかを確認した上でーもらうのはまず不可能に思えた。

授業は上の空で考えていたが、ふと気がつくと教室内がややざわついてる。

「えーっと」

当てられた村越という男子生徒がうまく訳せなくて固まっているようだった。

「うん、どうした?とりあえずわかるところだけでもいいぞ」

英語の竹下先生がいう。

「え、あ、はい。」

それでも村越は答えられないようだった。

「むらこしぃ、バージンはわかるだろ、バージンは」

後ろの方から清水という別の男子生徒がはやし立てる。「バージン」という単語に呼応した何人化の男子がざわついて教室内が少し騒がしくなる。

「おまえの好きな処女じゃんか。」

清水は続けて言う。それを聞いた村越は焦ったように

「ば、何言ってんだよ。それは清水のほうだろ」

と反論する。

雪沢はふと成嶋の様子を見てみた。彼女の席は雪沢の席の2つ離れた斜め向かいなので、すぐ見て取れる。彼女は特に気にしたようでもなく、片手で頬を支えて机の上に広げた教科書を見つめていた。

「こらこら、おまえ等小学生じゃないんだからvirginぐらいで騒ぐんじゃない。」

竹下先生がクラスに向かって言った。

「virgin voyageは処女航海という意味だ。清水、おまえの言ったように処女であってるぞ。」

竹下先生は清水の方に顔を向けて言った。清水の方は少しばつが悪そうだ。

「virginは『初めての』ということを示す形容詞としても使用される。試験にはでないかもしれないが、単語に変に興奮する男子は覚えていた方がいいぞ。」

そして竹下先生は一呼吸おいて

「あと処女だけじゃなく童貞という意味もあるからな。」

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「えー、英語じゃ処女と童貞はいっしょなの?」

清水が驚いたように言う。

「そういうことだ。じゃあ村越、そこの意味はわかっただろうから続けてくれるかな。」

村越はなんとか当てられた箇所を訳し、ざわついていた教室も普通の状態に戻った。そんな中雪沢の頭の中では、今竹下先生が言った事が回っていた。

(virginに童貞って意味もあるならば、blood of virginは『処女の血』以外に『童貞の血』と考えることもできるのか。でもあまりそんな話は聞いたことないよなぁ。)

そんなことを思いつつ、雪沢は広げた自分の手をじっと見る。

(とりあえず試してみるか。処女の血が手に入るめどもないし。)

手を握りしめると、雪沢は帰ってタリスマン作成を試してみることを決意した。

 

本に書いてあった作成方法は特に難しいものでもなかった。指定された材料をすべて水の中に入れて煮、日が変わるときに血を注ぐ。そのまま朝まで煮込めば完成ということだった。

学校が終わった後、雪沢は駅となりの輸入品も扱っている大きめの食料品スーパーによって、本に書かれている素材を買い集めた。材料はハーブや香辛料が主で、すべてその店で入手することができた。雪沢は今までの様々な「魔術書」に書かれた手法を試す際の様々な素材を集める為に、色々な店を巡っていた。食料品、薬品をはじめ植物、動物、鉱石など必要とされた物は多岐に渡り、その為今では多少珍しいものでもどういった店で扱っているかの見当がつくようになっていた。

 

「さて、と」

雪沢は机の上に並べ、自分の部屋の壁に掛かっている時計を見る。いまは23時58分。本で指定されている調合を行う時間は午前0時なのでもう少しでその時刻になる。

雪沢は用意した材料をビーカーの中にいれ、そこに水を注ぐ。アルコールランプに火をつけて、ビーカーをくべる。左手の親指を伸ばし、右手にカミソリを持つ。時計の秒針をじっと見つめる。あと10秒、カミソリを持つ右手に力が入る。

秒針が12の文字に重なると同時に、カミソリで左手の親指に傷を付けた。指から流れた血が一滴、ビーカーの中に垂れる。

「ふう」

雪沢は一人安堵のため息をもらす。

「血を入れるタイミングも本の指示通り、完璧に出来た。あとはこれを朝まで温め続ければいいんだな。」

心なしか目の前のビーカーはなんだか輝いているような気がする。

 

-15ページ-

「正一、まだ起きているの?そろそろ寝なさい。」

その時母親の声が外から聞こえた。

「うん、寝ます。」

雪沢はそう言ったものの、相変わらず目の前のビーカーを凝視したまま動かなかった。

 

「正一!はやく寝なさい。」

しばらくしても部屋の明かりが消えないことに気がついたのか、母親がきつい口調で言ってきた。

「はいはい、わかった。もう寝るよ」

これ以上寝るそぶりを見せないと部屋までやってくるのは確実だ。雪沢はアルコールランプの光がもれない様にダンボールで覆ってから、部屋の明かりを消した。暗い部屋の中でランプの炎が揺らめくのを、雪沢は期待を胸に秘めながらじっと見つめていた。

 

何度かうとうとしながらも、雪沢は朝までランプで溶液を温め続けた。一晩温めたので、かなり水分が飛びビーカーのなかには茶色のどろりとした物体があった。

雪沢はランプの火を消すと、ビーカーからその物体をすくい出してプラスチックのケースに入れた。

「これで作業は完了か。あとはうまく行ったかどうかを確認しないと。あっ…」

ここにきて雪沢はこのタリスマンがどんな効力を持ったものなのかを確認しなかった事に気がついた。作ることに熱中していてそちらまで気が回っていなかった。

雪沢は魔術書に挟まれた紙を再度見つめ直してタリスマンの効力について何か書かれてないかを探した。ほどなく彼はそれらしい説明を見つけた。

「アビリティ…シー…オーラ、オーラを見る事ができるようになるらしいな。使い方とかは書いてないけど持ってればいいのかな、護符だし。」

雪沢は一人で納得すると、部屋にある鏡の前に立ち、自分の姿を見てみた。鏡には眠そうな顏をした自分が映っている。オーラは見えない。雪沢はプラスチックの容器を握りしめ、再度鏡を覗いてみたが相変わらず自分しか映っていない。

「鏡に映ったのだと駄目なのかな。もしくは自分のは見えないとかか?」

そうつぶやくと雪沢はキッチンへと向かった。

「あら今日ははやく起きたわね。」

やってきた雪沢を見て、キッチンで朝食の支度をしながら母親が言った。

「ああ、うん」

適当に答えながら雪沢は母親を見つめた。

やはりオーラは見えない。ケースの持ち方を変えてみたり、強く握ってみたりしたが結果は変わらなかった。

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「駄目か。持ってるだけじゃなくてなにかしないといけないとかなのかな。」

雪沢はあえて作成失敗や作成方法自体が嘘の可能性を排除して、その他の失敗理由を考えていた。本にわざわざ別の紙をいれてあるのが、イタズラだとは思いたくなかった。

「はい、朝ごはんよ。」

そうこうしているうちに朝食が出来上がってきた。

「いただきます」

雪沢はケースをポケットに入れると、朝食を食べはじめた。

「とりあえず学校に行ってためしてみるか」

朝食を食べ終わってなにもすることもないので、いつもより早いが学校に行くことにした。

「ハンカチはちゃんと持ったの?」

そんな母親の声を後に家を出た。家から最寄りの駅まで歩いて10分ほど。時間が早いせいか見慣れた道も何となく新鮮に思えた。

-17ページ-

家の最寄り駅の豊山駅で電車を待っていると、後ろから雪沢を呼ぶ声がした。

「あれ、雪沢?今日はやけに早いのね」

声の主は成嶋だった。小学校から一緒なので、成嶋も同じ駅を使っていた。

「なルしまこそいつもこんなに早いの?」

雪沢は例の妄想を思い出して少し動揺して、名前を呼ぶ声がやや裏返ってしまった。

「なに動揺してるのよ。あー、もしかしてはまた変なことするつもりで早くきたのね?」

いつもと同じように喋ってくれる成嶋を目にして、雪沢は「彼女が自分の妄想を知る術がない」という当たり前のことにようやっと気がついた。ちょっと落ち着いた雪沢は答える。

「たまには早くきてみても良いだろ。」

「そうやってムキに反論するところがますます怪しいわね。なんかやつれてるし、徹夜で何かやってたとか?」

成嶋はときどきやけに観察力がある。

「これが普通の顔だって」

いま彼女に知られるとまた捨てられてしまいそうな気がして、雪沢はごまかす。だがこの機会に成嶋でタリスマンの能力を試してみることにした。と言ってもどうするのが正しいかは分からないので、とりあえず眉間に力を入れて成嶋を凝視してみる。

「ちょっと、その変な顔が普通の顔なの?まあ私は第二新聞部が巻き添えにならなければ、それでいいけどね。あっ、電車きた、あたしは専用車にのるから。また学校でね」

成嶋はそういうと先頭の女性専用車乗り場の方へと走っていった。

雪沢も到着した電車に乗り込む。さきほどの試行でもやはり成嶋のまわりにもオーラらしくものは見えなかった。

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「鏡の中には映らないとか大人は見えないって可能性はあるかなと思ってたけど、若い人間でも見えないなぁ。ただ身につけるだけじゃ意味がなくて,なにか使用方法があるのかなぁ?」

電車に揺られながら、雪沢はうまく行かない可能性をいろいろと考えていた。ほどなく電車は学校の最寄り駅に着いた。電車から降りて改札に向かう。ふと後ろを見てみると成嶋が友達たちと話しながら歩いているのが見えた。雪沢はポケットからタリスマンのケースを取り出して握りしめ、その集団を凝視してみる。が、やはり何もおこらない。立ち止まっているのもなんなので、再度ケースをポケットに突っ込むと歩き出す。

「はー、なにがダメなのかなぁ。」

そうつぶやきながら雪沢は学校へと向かった。

 

「それじゃあ男子は1500のタイム計るからなー」

体育教師の園田先生がそう言うと、エーッという声が上がる。今は5限の体育の授業、男子が陸上の記録を計る一方で、女子はソフトボールをやっている。山水学園には大小二つのグラウンドがあり、片方は400メートルトラックが設置出来るぐらいの広さ、もう片方はそれよりは狭く100メートル四方程度の広さである。男子は広めのグラウンドを、女子はもう一つのグラウンドを使っている。

「さあさあ、文句言わずに出席番号の前後でペア作れ。それでお互いのタイムを計り会うからな。ベア出来たらストップウォッチわたすからどちらが取りに来いな。」

園田先生がそういうと、皆しぶしぶながらベアをつくり始める。

「僕は雪沢くんとかな。」

クラスメートの山田が声をかけてくる。山田は生徒会の書記をしており、勉強、運動とも成績上位の典型的な優等生だった。

「ああ、よろしく頼むよ。」

「それじゃあストップウォッチを取って来るね。」

そういうと山田は園田先生のほうへと走って行った。

雪沢は朝からずっとタリスマンの効果がでないか、いろいろな方法を試していた。ケースを左右の手それぞれで握ってみたり、握る強さを変えてみたり、チャクラがあるという眉間や下腹部に意識を集中してみたり。しかしまったくオーラが見える気配はなかった。今も下腹部に意識を集中しながら山田を見ていたのだが、やはり全くオーラが見える感じはしなかった。ジャージのズボンのポケットに入れてあるケースにも、変化が起こっている感じはしない。

そうしているうちに山田がストップウォッチを持って帰ってきた。

「雪沢くん、どっちから図ろうか?」

「じゃあ俺先でいいかな?」

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「うん。」

山田がうなずいたのを見て、雪沢はスタート位置へと行く。

「最初に走る人は全員そろったか?スタートラインに全員横に並べ。記録する人はスタートの合図と同時に計測始めるんだぞ。」

園田先生はそう言うと一呼吸おいて

「はい、スタート」

と開始の合図をした。同時にみんな一斉に走り出す。

「手を抜かずにちゃんと走るんだぞ」

園田先生がそう声をかけた。ただ、その言葉を聞かなくともみんな懸命に走っていた。山水学園の生徒は基本的に真面目なのであった。

雪沢は走りながら相変わらずタリスマンのことを考えていた。午前中色々と試してみたがなにも起こっていない。見る対象も老若男女試してみたが変わりはない。

「なにか特別な使い方があって、その通りにしないと駄目なのかな。」

雪沢はタリスマンの作り方が書いてあった紙の内容を思い返してみる。作り方と効果は書いてあったが、それ以外のことは載っていなかった。

ここにきて雪沢は別の可能性も考えはじめていた。

「使い方は書くまでもなかったから、書かれてないのかも。」

タリスマンというぐらいだから身に付ければ効果を発揮するのが普通なのかもしれない。

「すると…」

雪沢はうまくいかない理由を考える。そもそもの魔術書が間違い、イタズラだった可能性もあるがそれは今はあえて考えたくはなかった。あとは作り方が間違っていたか、素材が違っていたかだろうか。

「やっぱり『処女の血』じゃないと駄目なのかなぁ。」

うすうす分かっていた事だったが、作る際の一番の問題だった材料がうまくいっていない原因でないかと考えていた。

 

「あぶない!」

不意に叫び声が響いた。直後、雪沢の目の前に女の子の影が飛び込んできた。考え事をしていた雪沢は、とっさのことに反応出来ずそのまま女の子に突っ込んで行ってしまった。ぶつかって二人とも地面に倒れこむ。近くを走っていた男子生徒達も突然の事に驚いて立ち止まってしまっていた。

「痛ってぇ。あっ大丈夫?」

雪沢は身体を起こしながらぶつかった女の子に声をかける。

「うん、大丈夫」

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そう言って女の子は顏をあげた。

「えっ、成嶋?」

ぶつかった女の子は成嶋だった。

「成嶋さん大丈夫?」

隣のグラウンドから女子数人が駆け寄ってきた。

「大変!怪我してるじゃない。」

「雪沢、なにやってるよのよ。」

「普通避けられるでしょう?」

「どうするのよ、責任取りなさいよ。」

女子がみんなすごい勢いでまくし立て、雪沢は一言も言い返せなかった。

「ちょっとみんな、今のはあたしが突っ込んで行ったのもあるから。」

座ったままで成嶋がそう言って女子を落ち着けようとしたがあまり効果はなく、女子は口々に文句を言っている。

「どうした、大丈夫か?」

園田先生が駆け寄ってきて声をかける。

「先生、雪沢が成嶋さんにぶつかって怪我させたんです。」

すかさず女子の一人が報告する。

「ちょっとミナ、たいしたことないって。」

そう言って立ち上がった成嶋だったがが、すぐに右足をかばうように左足に重心をかけた姿勢に変わった。

「怪我しているようだな,見せてみろ。」

園田先生がそう声をかけ、成嶋を座らせると脚の様子を見る。周囲の女子と雪沢は心配そうな表情でそれを見守る。騒ぎに気がついた男子も、走るのをやめて遠巻きに様子をうかがっている。園田先生は足首の角度を変えつつ成嶋に具合を聞いていた。

「どうも右足首を軽くねんざしているみたいだな。保健室に行って見てもらえ。じゃあ雪沢、すまんが成嶋を保健室までつれてってもらえるか?女子だと支えるのは大変だしな。ただすぐ帰ってこいよ。じゃあ女子はまた戻れ。」

そして立ち上がって男子の方を向くと

「こら、なんで勝手に走るのをやめているんだ。とりあえず後の組の測定やるけど、その後でいま走っていたのはもう一回測り直すぞ。」

と叫んだ。男子からはブーイングが出るが園田先生は気にせず測定の準備にはいっていた。

何人かの女子はまだなにか言いたそうだったが、とりあえずグラウンドへと戻っていった。

 

山水学園のグラウンドと校舎の間には、幅30メートル程の雑木林がある。保健室は校舎の一階にあるので、捻挫した成嶋が一人で行くのは厳しい。手伝いが必要だが園田先生は女子よりも男子の雪沢の方がいいだろうと思ったのだろう。

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「立てるか?保健室まで送るから。」

雪沢はそう言って成嶋を見る。

「ええ、大丈夫。なんか迷惑かけちゃったね。迷惑ついでですまないけど、保健室まで肩貸してもらうね。」

成嶋は左脚で立ちあがると軽くジャンプしながらバランスを取り、そのまま細かいジャンプで雪沢の左隣に移動すると肩に手をかけた。同時に右足を下し、軽くつま先立ちの形にした。

「一体どうしたんだ?」

ゆっくりと保健室に向かいつつ、雪沢が尋ねる。

「えっとね、ミナが打ったボールがとても大きなファールになったのよ。男子のグラウンドまで飛んでく勢いでね。で、あたしが全速力で取りに行ったって訳。見事キャッチしたのは良かったんだけと、雪沢とぶつかるのは予想外だったわね。」

「ああまで必死にならなくてもいいだろ?」

「誰かに当たる、当たったらいけないと思ってね。」

「誰に当たるほうが確率低そうだし、たとえ当たったとしてもソフトボールだからたいしたこともないだろうに。」

「…そうね、それに結局雪沢にぶつかっちゃったしね。」

話しているうちに保健室の入り口についた。保健室には二つ入り口がある。廊下側に一つとグラウンド側に一つだ。雪沢と成嶋はグラウンド側の入り口から入るところだった。

ふと雪沢が成嶋の脚をみると左の膝小僧を怪我して血が流れているのが見えた。ぶつかったときに切ったのだろう。左脚に体重をかけて血液の流れが良くなっているからなのか,気がついたときはすねの中程まで流れ落ちていた。

「成嶋,ちょっと待っててな。」

そういうと雪沢は雪沢の前にしゃがみ,ハンカチを取り出して血を拭いた。

「えっ?ちょっと雪沢,いいよそんなことまでしてくれなくても。」

「結構たれてて、靴下につきそうだったし。」

「…ありがとう。」

雪沢はハンカチをしまうと保健室のドアを開けた。

「すいませーん。」

雪沢はそう言って養護教論に声をかける。

「あら、体育で怪我したのかな?捻挫?」

机に向かっていた養護教諭は立ち上がると二人のほうへと早足で近づくと、椅子を出して成嶋を座らせた。

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「男子は連れてきてくれてありがとうね。もう大丈夫だから、授業にもどっていいわよ。」

成嶋の前に屈みこんで右足首の様子をみながら、養護教論は雪沢にそう言った。出て行こうとして行く雪沢に向かって成嶋が声をかける。

「雪沢、ありがとね」

「ああ」

軽く返事をして雪沢は保健室を出た。小走りでグラウンドに向かうが、保健室が見えなくなると速度を落とした。林の間を歩きながらハンカチを取り出してみる。そこには先ほど拭き取った血が染みとなってついていた。

「女の子の血か」

雪沢は再びハンカチをしまうと、グラウンドに向かって走り出した。

 

雪沢がグラウンドに戻るとちょうど測定のやり直しを行うところだった。急いで列に入って準備をすると、再度みんなと一緒に走り出した。二回目とあって、みなあまり気合いが入っていないようだ。二度走ることになった原因の雪沢を非難するような目で見ているものもいる。

しかし当の雪沢はそんな視線にも気がつかず、ずっと先ほど偶然手に入れた成嶋の血のことに思いを巡らせていた。

 

六限が始まる前に、成嶋は保健室から帰ってきた。右足首は包帯で固定されて一回り大きくなっている。成嶋が教室の入口に現れると女子が彼女を取り囲むように集まり、口々に気遣う言葉をかけている。

「成嶋さん、大丈夫?」

「足の包帯すごいよ、痛くない?」

成嶋はゆっくりと自分の席に向かいながら答える。

「軽い捻挫みたい。数日で良くなるみたいだから心配しないで。包帯は大げさに思えるけど、動かさないように固定するためなんだって。」

そして自分の席に腰掛けると、雪沢の方に身体をむけて

「雪沢、さっきはありがとね。怪我はたいしたことなかったから」

と言った。

血の事についてずっと考えていた雪沢は

「おう」

と軽く答える事しかできなかった。

成嶋の周りにいた女子には非難するような目で雪沢を見るものもいたが、すぐに成嶋の方に向き直って会話を続けた。しばらくすると先生がやってきて授業がはじまった。

 

説明
雪沢正一は魔術に興味をもつ高校生。主にオカルト記事を載せる新聞部に所属し、魔術を極めようと魔術道具の作成について考えている日々をおくっていた。
ある日、古本屋で発見した魔術書によって彼はついに魔法道具を作ることに成功する。彼はそこから魔術への道が開けるものと思ったのだが……

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