真・恋姫無双 季流√ 第44話 袁勢編 言葉ない絆と口約束と先生への冥福 |
言葉ない絆
「麗羽、凄い働いてくらしいぜ。
文句も言わずにどんな雑用だってやるし、汚かろうが危なかろうがとまどいもなくやるんだと、まるで向こう見ずなんだとさ。 不思議と怪我とかしないらしいんだけど」
「姫が……そんなこと……」
斗詩の瞳に涙が溜まった。
だけど一刀が自分の指先で、斗詩の涙を無理矢理にこそぎ落とした。
「まだそれは早いぜ斗詩。
なんで麗羽がそんな事しているかわかるか?」
涙は抑えられたとはいえ、声がでない。
フルフルと頭を振るうのが斗詩には精一杯だった。
「麗羽、店の空いた時間に料理を教わっているんだと。
しかも味覚が飛びぬけてるから、やり方を教えれば完璧に味は再現できるんだとさ。
盛り付けとかはひどくて見てらんないらしいが、味は完璧らしい。
こりゃあいよいよもって反則だ、あんな味覚があるなら、どんな有名店の料理の隠し味だってわかるってことだ」
「で、でも麗羽様……なんで料理を習っているんですか?
その理由がわからないんですけど」
「それは後数刻もすればわかる、正直俺は麗羽さんを誤解していた。
胸の内が恥ずかしい気持ちで一杯だ」
__なんだろうか、姫が自分から料理を作れるようになったとして、だがなんのためだ?
斗詩の内心をかき乱す疑問は、まだ解消されていない。
ゴミ捨てを終えた麗羽は、空になった皮袋をもって帰ってきた。
今度は正面からその顔を捉えることができる。
生き生きとしていた。
それは彼女らしく生きている時に見せる、一点の曇りのない笑顔。
いつもと違うのは、額から汗を流し次の仕事を受けに厨房の裏手から入っていく後姿だけだ。
「……見たいか?」
「え? でも私は……」
「甘いといわれるかもしれないけど斗詩は信頼できるし、俺は見せておきたいと思っている。 俺は不覚にも、さっきみたときは胸が裂かれる思いがした。
麗羽を本当に理解するためには必要なことだと、そう思う……来るか?」
「はい! お願いします!」
「よし、裏手からそっと入ろう。
ゴミ捨ても終ったから、もう裏手からでることもないだろうしな」
一刀は斗詩の腕を引いて、裏口から店の厨房へと入った。
「す、凄い」
”厨房は人間にとって、子育ての次に身近な戦場である”
こんな誰かが言っていた言葉を斗詩も知っていたが、やはり何度みてもなかなか慣れるものではない。
穏やかな店内の空気とは裏腹に、料理人達が己の誇りを懸け、至高の料理を目指して愛する包丁を手に、鍛え上げた腕を存分に奮う。
長く使われた名品の中華鍋は、いまさら油を敷く必要もなく、鍋自体にほどよい油が染み込んでいて、あらゆる料理を仕上げていった。
料理人の真剣な眼差しは盛り付けの最後まで緩まず、視覚をも最上に愉しませようと意匠を凝らす。
その中で、本当に麗羽はいいように使われていた。
彼女は味覚においてはこの店……いや、大陸1ともいうべき舌を持っている。
だが料理については素人なのだ。
当然、店に客が満席となれば、麗羽を構う余裕は無い。
「おい! 袁譚の嬢ちゃん! こっちに丸皿だしてくれ!」
「雑用! この皿洗いやっとけっつっただろうが!」
「すまねえ! 皿割っちまった! 片付け頼めねえか!?」
「こっちにも手ぇ貸してくれ!」
「こっちの味見頼めるか!?」
はっきりいって無茶苦茶だ。
あれだけ多くの雑用など、体一つでこなせる訳がない。
しかし麗羽は弱音を吐かないで出来る限りの事をしていた。
それは影から覗いている一刀達にも良くわかった。
決して器用ではない麗羽が、罵声を浴びようが怒声を叩きつけられようが、決してめげないのだ。
そしてようやく客の入りが収まってきた頃。
店内の様子も大分穏やかになり、料理人達に心地よい疲労からもたらされる笑顔が戻ってくる。
もはや怒声も罵声もないが、麗羽は片付けを黙々とやっていた。
もう斗詩は見ていられなかった。
瞳に涙が溜められるというならば、まさにこぼれる限界であった。
あの大陸1の名家で、全てをその力で解決してきたあの麗羽様が、ここでは完全に雑用なのだ。
斗詩が飛び出さないようにと一刀が抑えていなければ、どうなっていたかがわからない。
ただここで光景が変わった。
料理人の1人が麗羽に近づいて、罵声を詫びたのだ。
「いやぁすまねえな袁譚さん。
どうにも忙しいときってのぁ、口が汚くなっちまっていけねえや。
本心からいってるわけじゃねえからよ、許してくれ」
「あら、別に私は何とも思っていませんわ。
それだけ真剣ということなのでしょう。
それよりも、これからが私にとって本番ですのよ」
「ああ、あんたの熱意には正直感服すんぜ。
こいよ、今日は煮付けの基本を教えてやる」
「煮付けですか、わかりました」
そう言った麗羽はそのままその料理人についていくと、調理場でなにやら料理を教えてもらっているようだ。
いくら料理の食材が当てられようが、調味料がわかろうが、作り方まではわからない。
それを1つずつ習っているのだ。
細かい注意を聞き漏らさないよう、懸命な表情で料理を作る。
やがて出来上がったのか、麗羽が煮付けあがった魚の身を箸で解して口へと入れた。
「どうだ?」
「……良くはなった、その程度でしょうね、身に味の染みこみ方が足りない。
もう少し寝かせておく必要があるのでは?
タレの味はこの店とほぼ同じですわね、あともう小さじ半杯分、みりんが必要でしょう」
「だっはっはっは! 流石によくわかってるじゃねえか!
まさにその通りだよ、まだ俺達の店に出せる味じゃねえな。
だがよ、あんたいい筋してるぜ?
根性もある、ここにいる誰もが羨ましいくらいの舌だってある!
このまま続けりゃあこの店の”こっく”にだってなれる!」
料理人の太鼓判に、麗羽も笑った。
「ありがとう」
「そんじゃあ今日はもう終いだな。
明日も食材の仕入れ検査頼んだぜ?
この店の皆、袁譚嬢ちゃんの舌にすんげー期待してっからさ」
「任せなさい。
この私の味覚は、いつか塩の数さえ当ててみせるわ」
「頼もしいねぇ……そんじゃあ俺は上がるわ。
明日は調理長が直々に食材の捌き方教えてくれるってよ、まずは魚からだろうな。
良かったな! ついにこの店の包丁を握れるぜ。 李典隊特製だから、これがまたそこらの市販と比べて良く斬れるんだよ、包帯くらい用意しておけよな」
「それは楽しみですわね」
「ははっ、あの頑固料理長に指導されるんだ、期待されてんのさ。
……ここだけの話、典韋将軍も、曹操様もびっくりさせてやろうぜ」
「ええ。
いつかあの方達にぎゃふんと言わせるのが、私の目標よ」
「はははは! いいねえ、若いってのは。
最後に火だけは確認しておいてくれよ」
「ええ、お疲れ様でした」
そうして麗羽は軽く厨房の掃除をする。
既に他の料理人の人達がやっているので、そこまで汚れてはいなかったが、飲食店の衛生面は気にしすぎてもし過ぎという事はない。
これでいいかと判断した麗羽は、窓から外を見上げた。
そろそろ行かなくてはならない。
「店の端材だけじゃやはり足しにしかなりませんわね。
それじゃあやっぱり行くしかありませんか」
麗羽は汚れたエプロンを外すと、かぶっていた物も頭から外す。
そして髪を元のクルクルとした巻髪に直し、鍵をしっかりと閉めて店を後にした。
「姫……これからどこへ? もう結構いい時間なんですけど」
斗詩の指摘はもっともだ。
すでにとうの昔に陽は暮れ、店という店も閉まってきている。
しかし麗羽は迷いなく、ある店へと向かった。
そこの主人は木箱に座って外で煙草をふかしており、まるで麗羽の到着を待っているかのようだった。
「よう嬢ちゃん。
今日は菜っ葉に人参、たまねぎ少々と肉と……これなんだ?」
「あら、ホタテの貝柱じゃありませんの、干した」
「そ! 当ったり〜、いやあ折角手に入ったはいいんだが、ちとみてくれが悪くてな。
もう売り物にならねえんだわ。
味に問題はねえはずだから、貰ってやってくれ」
「いいんですの?」
__わかりやすい嘘ですわね。
貝柱の干し物に、形のいい悪いなんてそこまで関係がないだろうに。
「はははは! 気にすんな!
お前さんがこれから行くところは俺も昼間通るしよ、元気な声が聞こえてくらぁ。
こんなんで良ければ持ってってくれや」
「ありがとう、いつも格安にしてもらって悪いですわね」
「いやいや、格安なのは当たり前さ。
どれもこれも腐る一歩手前ってところの食材ばかりだしな。
それを大量に買い取ってくれるってんだ、こちらとしてはあんたは紛れもなく店一番の上客だよ」
「お世辞が上手いのね」
「世辞だったらもっと褒め称えてらぁ!
あんたはこの時代に珍しい人だからよ、つい応援したくなっちまうのさ……うまいもん食わしてやってくれや」
「ええ、私を誰だと思っているの? 華麗に任せなさい」
「おお、じゃあまた明日な! 近くの店のも掻き集めといたらぁ」
「ええ、ありがとう」
腕に一杯の荷物を抱え、麗羽が進んでいく。
「一刀さん……私、夢でも見ているんでしょうか?」
「俺だってそう思ったさ、だけどこれは現実だと思う」
「麗羽様……どこに向かっているんでしょう?」
「俺はこの先に、心辺りがあるがね」
「どこです?」
「戦災孤児の保護を兼ねてる、保育所だ」
「あ! 袁譚のお姉ちゃんだ!」
「今日もクッルクル頭だぞ!」
「おおー、今日は何作ってくれる?! もうお腹ペコペコだよ」
「遅くなってごめんなさい、すぐに調理を始めるからもうちょっと静かにしていなさいな。
っていうかクルクルって言わないで下さるかしら?」
「だってクルクルじゃん! ピョンピョンしてるし!」
「ひっぱらない! いいですこと?
これは高貴な者のみが許される髪型であり、ここの王である華琳さんとかつては同じ私塾に通っていた時に、橋玄様の勧めもあって……」
そういいながら、麗羽は大量の食材を抱えて台所へと向かっていった。
二十人近い子供達が期待に満ちた瞳で、ご飯が出来るのを待っている。
「が、がずどさん……これって、どういう事でずがね?」
斗詩の聞き取りずらい言葉を、一刀も同じ心境で聞いていた。
「午後は、孤児達を受け入れている託児所だ。
昼間は他にも多くの子供達がいるんだけれど、昼にはいなくなる。
その理由はわかるだろ?」
一刀の言葉を聞いて、斗詩はウンと頷いた。
「夜に……残っているこの子達は、両親ともがもう、死んじまった子達なんだ。
保育の先生がいたって、寂しいにきまってるだろう。
麗羽のやつ、そんな子供達のために遅いけど、料理を作ってあげてるんだ。
老山龍で修行して、少しでも美味い料理を食べさせたい……ためにな」
「姫! う、うぅ」
「そうかよ、華琳……俺になんとかしろってのは、こっちの事か」
いつもあれだけの材料を買っていては、自分の給金をもってしても到底足りるものではないだろう。
一刀達が入り口で戸惑っていると、女性が1人近づいてきていた。
一般の女性であるにも関わらずここまで近づかれたのには、それだけ2人の動揺具合が伺えるというものだ。
「あのぅ……もしかして、あの方のお知り合いの方でしょうか?」
「え? あ、はい」
「ああ、良かったです。
あまりあのお方、自分のことをお話にならなくて」
ほっとしたように笑う女性に、2人はあまり顔を見られないようにと、眼鏡や帽子を弄った。
その女性は園内へと視線を移すと、言葉を続けた。
「いつもああやって子供達にご飯を作って下さるんですよ。
子供達もすっかりと懐きまして……特に田豊ちゃんや沮授ちゃんが、ああやって抱きついては髪を触るんです。 ほら、あの2人ですよ」
「ブフッ」
言われた方を見ると、麗羽にしがみついて、2人の女の子が遅い夕飯を作る彼女に遊んで遊んでと甘えている。
クルクルの麗羽の髪を引っ張ったりして、ぴょんぴょんと悪戯していた。
料理をしながら構う麗羽も、注意しながらまんざらでもなさそうであった。
「どうかなさいましたか?」
「一刀さん?」
「い、いえなんでもありません。
ちょっと咳き込んだだけで」
顔を背けてケホッコホッと咽る一刀だったが、大丈夫と手で制した。
__まさかここで、その名が……
一刀達はこの後、この女性から話を聞くことにした。
どうやら話の内容から察するに、彼女の資産の減少は、食費よりも子供達の養育費という名目で使われているのが多分のようであった。
麗羽が診断する、貴方はこれをやるといい、貴方はこれでしょうという言葉に、子供達はなんとなく取り組んでは、結構気に入って続けているらしい。
体を鍛えるように鍛錬とか、帳簿のつけかたとか、馬の世話の知識とか、組み木の模型とか、麗羽が助言するのは様々なのだそうだ。
さきほどの沮授と田豊については、学をつけさせるために私塾へと通わせているらしい。
どうしてこのような事を無償でしてくれるのかと、この女性や管理員の方が彼女に聞いたのだが、麗羽はべつに気にした風でもなく、たった一言こういったのだそうだ。
「なんとなく、そうした方が良いように思った」
からなのだそうだ。
こりゃ勝てないな、と一刀は思う。
華琳と恋、その2人以来となる感覚だ。
一体どういう感性をしているのだろうか。
原理も何もわかりはしないが、麗羽の持つ幸運の正体……その一片をここに見た。
ようするに生き残るための、生存本能に対する直感が飛びぬけているのか?
死期を察する恋の感性と勝負させてみたら、面白いことになりそうだが……
死期と生存、どちらが勝るのだろう。
そうして園から離れた2人は、街中をとぼとぼと歩き、どちらからとも会話もなく口を開かなかった。
そして気づけば、2人は一刀の自室にいた。
何故か、2人ともその行動に不自然さを感じていなかった。
黙って座り続ける2人だが、どうしたものかと迷う。
「……っきしょうめ、どうすりゃいいかな?
たしかに俺が金を援助するのはわけもないんだが。
それを正面きってやるのも、いいとは思えないんだよなぁ」
「……一刀さん、お願いがあります」
斗詩が顔を上げた。
一刀には知る由もないが、それは”あの時”と同じ強い意志を持った、斗詩の凛々しい顔だった。
__もう、いっつも2人がやることには敵わないなぁ……良いことも悪いことも、話の規模が大き過ぎて……麗羽様にも文ちゃんにも、私はついていくのが精一杯だよ。
もうちょっと、私のことも待っててよ。
「このお金の件、私に任せてくださいませんか?」
「斗詩……」
「でも、私の今の俸禄では、どうやっても足りないんです……」
「…………」
「料理もできます、掃除もできます、字も読めます、帳簿もつけられますし、最近は秘書みたいな事もやれるようになりました。 昔より……強くもなりました! 一刀さんの周りの皆さんには劣りますけど、学もあると思います! 使用人でも家政婦でも、なんでも構いません! どんなことでもやってみせます! ……ですから!」
”あの時”以来の、魂からの叫び。
「私を雇って下さい!!」
追いつきたい、その背に。
__ずっと一緒にいたい! それが私の願い!
「麗羽様は、私の大切な友達なんです!!!」
口約束
「ふう、疲れた……マジで。
あぁ〜あぁ、いい湯だなぁ」
かぽーん、という何がもとになっているのかもよくわからない擬音がよく似合う。
一刀は大きな湯船に浸かりながら、頭に”たおる”を乗せていた。
空を見上げれば満天の星空であり、この一日の疲れも吹っ飛んでいくようだ。
華琳と麗羽のおかげで驚きの連続であり、変わる変わるの状況に対してよく動けたと思う。
あの後、斗詩の要請を聞き入れようと華琳の元へといけば、まるで知っていたかのように、二つ返事で了承がでた。
斗詩が抜ける穴はどうするのかと問うと、元々2人だけに軍の運営を任せきると、2人が倒れた時に対処が難しいので、もっとも難しい大軍の吸収、再編隊を終えた今、七乃を頭にして新たな指揮系統を考えていたという事。
なかでも1人、強く希望する者がいて、様子を見ているのだそうだ。
これで斗詩は正式に一刀雇いの専属秘書となり、武官と文官と秘書をこなすという非凡な万能さを見せることになる。
一刀としても復活した張三姉妹が忙しい今、優秀な秘書は是非とも必要であったので、一生懸命に働いてくれる斗詩の給料に色がついていたとしても、誰も文句はないだろう。
とにかく、斗詩の転向が認められた一刀は安心してお風呂へと入った。
日本では当たり前であったこの行為も、この時代ではお湯も沸かせないわ、時間制だわ、女湯しかないわで、はっきりいって一刀は散々な目にあってきていた。
そこにきて、遂に男湯の登場である。
洛陽への移住以来、さすがにこのまま一刀が、女湯しかないお風呂に入れるのは酷だろうという意見がでて、元ある女湯に区切りをつけて男湯を作ったのだ。
風呂に入るたんびに軍の女性、主に将軍達が闖入してこないようにビクつく一刀。
過失は彼女達にあったとしても、彼にそれを責める事はできず、何度もぶっ飛ばされては湯船にぷかりと浮かんでいた。
こうやって互いに気を使うのもいい加減アレなので、新しく男湯が用意されたのだ。
とはいっても、男湯を利用しているのは一刀と華佗達くらいしかいないのだがら、実質貸切のようなものだ。
広々としたお風呂はいい湯加減だし、贅沢な行動だ。
一刀としては一般兵と同じ蒸し風呂でいいと言っていたのだが、そこは何故か彼女達が認めなかった。
とりあえず彼女達の好意によって、一刀はこの安息の地を手にいれたのだ。
一刀の温水の常設による施設の構築も、洛陽移転のさいにほぼ理想の形となっており、毎日とはいえないが、お風呂に入れる日は増大した。
きっと他国の者がみれば羨むだろう。
露天の中で一人という贅沢を味わうと、自然と気も緩んでいくというものだ。
「ばばんばばんばんば、ハビバノンノ……」
何を思ったのか、温かい湯に気を緩めた一刀は、定番の音頭をとりだす。
「ババンババンバンバ、ハビバノンノ……」
「「ばばんばばんばんば、ハビバノンノ……」……?」
「「「ばばんばばんばんば、ハビバノンノ……」」……?!」
__……あれ?
一刀がなーんかおっかしいなぁと思いながら、そ〜っと横へと視線を移すと、ミツバチのような明るい黄色の髪と、海のような深い青髪が、湯船の中でユラユラと揺れていた。
一刀の視線に気づいたのか、深い青髪の女性が振り向く。
「……なにかお間違えではございませんでしょうか?」
一刀の馬鹿丁寧な疑問に対し、深い青髪の女性は笑顔のままだ。
「ぬ、主様にご奉仕にきたのですじゃ……七乃〜、これで合っていたかのう?」
「はい、素晴らしいですよ〜!
さすがですねお嬢様!」
「うむうむ、もっと褒めてくれてもよいぞよ!」
「いやいやいや! わけがわからないし。
ここは男湯……ドゥーユーアンダスタン?」
落ち着いているように見える一刀も、実は動揺しているのだろう。
英語で聴き返したので七乃と美羽は頭を捻った。
「「どーゆー??」」
「うん、ごめんごめん。
…………じゃなくて! なんで2人が男湯にいるんだよ!
実は生えてるとかそういう理由なんですか!?」
「いやですねー一刀さん。
私達に一刀さんと同じものが生えてるわけないじゃないですかー……ほら」
語尾に音符が付きそうなくらい楽しそうに笑う七乃は、美羽を湯船から持ち上げる。
「ぴゃああああああああああ!!!」
「うおおおおおおおおおおお!??」
間一髪であった。
ギリギリ美羽の下半身が湯船から現れる直前に、一刀が視線を逸らしきったのだ。
「ね?」
「ね? じゃねー! 何をやってんだ七乃さん!」
「そうじゃぞ七乃! どうしてわらわだけなのじゃ!」
「あら、お嬢様。
では私も立ちましょうか?」
「うむ!」
「うむじゃねーんだよ! 男湯で何かましてくれとんだ!」
「どうせ一刀さんと華佗さん達しか入らないから、いいではないですか」
「よくねー!」
このままだと本気で抱きつきとかまでしてきそうなので、一刀は風呂の中央にある岩の反対側に回った。
互いの体は見えなくなり、ようやく落ち着ける。
岩を背に負った一刀は、なんで七乃さんがこのようなことをするのかが気になった。
「七乃さん?」
「はーい、なんですか一刀さん?」
美羽と湯船で遊んでいるのだろう、きゃっきゃとはしゃいでいるような音が聞こえる。
「なんでこんなことを?」
「そんなの決まっているじゃないですか?
さっきお嬢様もいったでしょう?
お疲れの一刀さんを、い・や・し・に」
「それは悠の真似かい?
つうかさ、ほんとどうやって入ってきたんだよ?
一応鍵はついてたはずなんだけど」
「それは漢女の……いえ、乙女の秘密ですねー」
__あいつらか、ちっくしょう。
「それで、用件はなにかな?」
一刀が声色を変えて問うと、しばらくの沈黙が漂った。
「……それじゃあ一刀さん、こちらへ来てくれませんかね?
大丈夫ですよ、さきほどのようにふざけたりしませんから」
七乃の雰囲気が変わった。
一刀はなるべく視線を上げないようにと気をつけながら、ジャブジャブと水音を起てて、さきほど座っていた場所へと戻ってきた。
そこに寄り添うように、七乃が座りなおす。
「美羽様ー? 今日は私と一刀さんしかいませんので、お風呂で泳いでもいいですよ?」
「ほんとかえ?」
「ええ、好きなように泳いできてください。
私と一刀さんはここで見ていますからね」
「うむ! わかったのじゃ!」
七乃の言葉が嬉しかったのか、美羽は犬掻きのようにばしゃばしゃと泳ぎだした。
半分に仕切ったとしても、相当な広さがあるお風呂だ。
泳ぐのだって楽勝であり、美羽は広々のお風呂を楽しんでいる。
犬掻きなのでそこまで見えるわけではないが、時折水面に白いお尻が髪の間から覗いている気がするのが悩ましい。
あれは背中、背中なんだと自分に言い聞かせて、一刀は七乃と並んでいた。
「それで?」
「報告書、読ませて頂きました」
あの詠達が作成していた件の報告書。
一刀の脳裏にそれがさっと浮かぶが、思わず苦笑してしまった。
「それを俺に言ったら駄目じゃないか?」
「ええ、私もそう思ったんですけれど、本人に内容をしゃべらなければ構わないんですって、尋ねたいことがあるなら自己責任で本人に聞いてもいい、とも」
「そうか……じゃあ答えるも答えないも俺次第だなぁ」
「そうですよ。
その上で一刀さんにお聞きしたいのです」
「へぇ……何を?」
「一刀さんは天の御使いなのですか?」
「俺は俺だけど?」
肯定でも否定でもないと七乃は判断した。
だが、はぐらかされるものか。
「少し……聞いてもらえませんか?」
「いいよ」
「閃華さんのことです」
七乃はずっと水面を凝視していた。
体を揺する、呼吸を乱す、身じろぎする。
お風呂に浸かっていれば、何かしらの動きは鮮明に現れる。
当然異なる意味のものもあるだろう。
その一つ一つを手掛かりとして、七乃は利用するつもりだった。
だが特に水面に変化は起きない。
音も何も、変化がない。
「紀霊さんか……どうしたんだろうね、彼女は」
「一刀さんはかつて閃華さんとお会いしたことは?」
「うーん、一度洛陽の城で見かけた事はあったかな?
星……趙雲さんと白服達と戦っていたときにね。
後はそうだなぁ……会合の時とかにチラリとならあったかも?」
「黄巾党の時は? 山頂へ閃華さんも向かっていたと思うのですが」
「いや、天和達を助けた時なら会っていないな。
すでに俺達が逃げた後にでも来たんじゃない?
ごめんね、俺にはちょっとわからないや」
「そうですか……それでは、銀狐のときはいかがですが?」
「ん? どういうことかな?」
「かつて大陸を騒がしていた大盗賊、銀狐の正体が閃華さんなんですよ。
ご存知ありませんか?」
「へぇ、初めて知ったね」
水面に変化は……無い。
「そうですか、それはそれは……」
「それで? その銀狐ってのがどうかしたの?」
「いえ、実は銀狐を討伐したのは美羽様率いる袁術軍ということに世間ではなっているのですが」
水面がわずかに揺れる。
しかし動揺と呼べるかといえば、まだ違う。
「そうなんですか、無知ですみません。
どうも俺は世情に疎くて……」
「そう、ですか……なるほど。
では銀狐については何も知らないと?」
「そうですね、初耳ですよ。
ちなみにどう討伐……あれ? それはおかしいですよね、紀霊さんが銀狐であるならば、討伐したっていうのは?」
七乃はざぶっと腕を上げると、濡れて額にくっついた髪を押し上げた。
少し首を振る。
「実はあれですね……私が流した嘘なんです」
「へぇ、なんでまた?」
「銀狐を捕まえたのは、私達じゃないんですよ」
水面が揺れない。
「それでは誰が?」
「さぁ? 誰なんでしょ?」
可愛らしく七乃が首を傾げるので、一刀は笑ってしまった。
「わからないんですか?」
「そうなんです、わからないんですよ。
世間で噂の銀狐が、領内にあった廃村に住み着いているという報告を受けましてですね。
美羽様は乗り気じゃないし、私も私で、相手が朝廷でも捕まえられない銀狐となれば、しっかりと軍を整備していかないと返り討ちになるかなぁとか色々考えなくてはいけなくて、面倒の極みだったんですよ」
「ははっ、それはらしいですね」
「それであまりに面倒ですし、噂を素直に聞けばですけど、勝算もあるのかないのか怪しかったので、被害が拡大する前に他領へ追い出しちゃえという方向性が定まったんです」
「はぁ」
「それで威嚇の示威行為のために、盛大に兵を連れてゆっくりと廃村に近づいたのですが、すでに煙が上がっているという状態でして」
「すでに?」
「ええ、私のところの兵は誰一人として手を出していないんです。
はて、おかしいですねーと話し合った私達は、念のために精強な兵をつれ村へと近づきました。 いつでも逃げれるようにして」
ここで一度、七乃は言葉を区切った。
今でも昨日のように思い出せる。
あの現実感の欠落した光景を。
「廃村はすでに燃えかすが残っているだけでした。
ほとんどの建物は打ち壊され、薙ぎ倒され、地面には隕石が落ちたような大穴と、巨獣の爪かと思わせる引っかき傷……なんでしょうね。 上手く言えないんですけど、想像を超えた世界が広がっていました」
「想像を……超えた?」
「一刀さんならそうでもなかったのでしょうかねぇ……建物や木々は全て右方向へと薙ぎ倒されていました。 地面に空いた大穴は大人が何人も入れる深さでした。
爪跡は幾重にも何重にも刻まれ、辺りのものを原型が留めないくらい粉々にしていました。
もうほとんど火は消えていましたが、煙を上げながらプスプスと燻っている不快な音が満ちる中で、銀色の髪を逆立てて威嚇してくる閃華さんが血塗れで倒れていました」
ゴクリと、一刀が息を飲み込んだ。
それに合わせて水面も揺れる。
七乃はたんたんと説明し、声に抑揚がない。
この内容に脚色はなく、恐らく起きたそのままの事を話している。
それが良くわかった。
「閃華さんはその威勢こそ良かったのですが、もう動けるような状態ではありませんでした。
打撲……なんでしょうね、あれは。
骨という骨が折れており、肌も破れて血が流れ、よく生きているものだと感心しました」
「ずいぶん暢気な感想だ」
「それだけ目の前の光景が信じられなくて……他人事のようでしたよ」
「…………」
七乃はう〜んと指を絡ませ腕を前に伸ばすと、星空を眺めた。
「美羽様も同じだったんじゃないでしょうか?
普段なら血だって嫌がるのに、誰も止めないものだから、とことこと歩いて……凄い形相で睨んでくる閃華さんに向けて、こう言うんです」
七乃がそのときを再現するように、前方へ人差し指を向けた。
「どうしてお前はこのように倒れておるのじゃ? って」
クスクスと笑う七乃に、一刀の片眉が上がった。
何が面白いのか。
「だって面白くありません?
殺気を向けている相手に向けて、なんで倒れているのか、だなんて。
あの場にいた全員が、閃華さんも含めてキョトンとしていましたよ」
あまりに面白いのか、七乃は笑顔のままだった。
「美羽様、それからも閃華さんに向けて”何故”を連呼するんですよね。
血塗れの相手にとまどいもなく触れて、どうしてこうなったとか、なんでそうなったとか、相手のことを根掘り葉掘り聞くように。
初めは黙っていた閃華さんも、触れられているうちに段々と話し始めまして……」
美羽はまだ泳いでいる。
「運命というものがあるならば、ああいうのを指すのでしょうか?
今考えれば、何故、どうしての疑問が消えないんですけど。
あの時あの場にいた者たちは、どこか必然性を感じていました。
私が、彼女を治療して助けようという提案に兵の誰もが頷いたのだって、おかしいでしょう?」
「そう、だね」
「私、一刀さんが天の御使いなら、てっきり閃華さんを倒したのは一刀さんなのかと」
「いや、はじめて知ったよ。
失礼かもしれないけど、面白かった」
「……どうやらそれは本当のようですね」
小声。
「ん? 何が?」
「いえいえこちらのお話です。
一刀さん、お話を聞いてくださってありがとうございます」
「どういたしまして、何かわかったかな?」
「ええ、おおむねは。
美羽様〜?」
そういえば美羽がいない。
美羽が閃華さんに触れたという話の辺りから、音も聞こえなくなった気がする。
ちょっと話が盛り上がりすぎたかと思った2人は、キョロキョロと辺りを見渡すが、洗い場にもいない。
「美羽〜?」
「お嬢様〜?」
2人が呼びかけても、うんともすんとも言わない。
ちょっと心配になってきた2人は立ち上がって湯船を歩くと、岩の裏陰に蜂蜜のような金色の髪が浮いていた。
「美羽!」
慌てて一刀が近寄ると、美羽が仰向けで水面に倒れていた。
「大丈夫か!?」
「あ、か、かじょと〜、じゃなく、ぬしさま〜? が、2人に……」
「七乃さん! 美羽が上せてる!」
「は〜い、大丈夫ですか? お嬢さ……」
ザバザバとお湯を掻き分けながらきた七乃が、ピタリと止まった。
「何やってるんだ七乃さん! 早く湯から上げない……と」
一刀と七乃の視線が微妙に絡まる。
タオルを体に巻きつけていた七乃とは違い、一刀は大切な所を片手のタオルで押さえていただけだ。
それが美羽を抱き上げようとしているためか、手から離れている。
そんな唯一の防具さえ失った一刀が、お湯に浮いている金髪美少女を抱えている。
お風呂に一刀のタオルがぷかぷかと波によって揺れている上で、他の何かもぷらぷらと揺れている。
七乃は頬を赤らめ、そっと視線を外した。
「……ご立派です」
語尾にハートが付きそうな褒め言葉。
「ああああ!? いや、今はそんなこと言ってる場合じゃないんだって!」
「きゅ〜〜〜〜ぅ、主様ぁ〜〜の声じゃ〜〜〜?」
目が回ってよくわからないのだろう。
美羽がクルッと回って抱きついてきた。
肉づきが薄いとはいえ、美羽も立派な女性である。
正面から抱きつかれると、色々と柔らかいものや、見ちゃいけないものが視界を掠めるわけで……
「ぎゃあああああああ!!!」
「………………」
「くにゅうぅぅぅ〜〜〜〜〜??」
よくわからない状況とあいなった。
「はーい、お嬢様〜? あまりお湯の中で泳いではいけませんでしたね?」
「うう、まさかかような落とし穴があろうとは、お風呂を侮っておったのじゃ」
タオルを敷き、タオルに挟まれ、サンドイッチみたいだなとか思った一刀は、あさっての方角を見ながら、そよそよと美羽に風を送っている。
「主様ぁすまなかったのじゃ、面倒をかけて……」
「いや、大丈夫だよ。
それよりほら、水を飲みな?」
風呂場の近くを巡回していた兵に頼んで、汲んできて貰った水を飲ませる。
「ぷはぁ、ありがとうなのじゃ主様」
「ん、ほらもうちょっと休んでな?」
「うむ、そうさせてもらうかの」
またコテンと寝転がったのか、七乃の膝枕に頭を乗せたようだ。
「……懐かしいの、こうやってしてもらうのも」
「何が?」
パタパタと風を送る一刀は、胡坐をかきながら自分も涼んでいた。
もちろんタオルは大切なところに乗せてある。
「昔……閃華にも似たようなことをしてもらったのじゃ」
「へぇ〜」
「閃華のやつ、皆でお風呂に入るのをずっと嫌がるもんじゃから、わらわと七乃だけという約束で、侍女達を控えさせて一緒に入ったのじゃ」
今は行方不明の紀霊こと閃華。
その姿を思い返すように、美羽は言葉を続けた。
「せっかく一緒に入ったのに、なんでかずっと布を巻いておるからの。 取れと言ったのじゃが、嫌ですの繰り返しとなっての……大変だったのじゃ」
「ふーん」
「暴れる閃華をわらわと七乃で押さえたのだが、それでも難しくての。
わらわは足を滑らせて倒れてしもうた、あれはとっても痛かったのじゃ」
「頭からか?」
「うむ!
おっきなたんこぶが出来おって、わらわはすごい痛かった」
「あらあら、でもお嬢様は泣きませんでしたよね?」
「うむ! わらわは泣かなかったのじゃ! 褒めてたもれ」
「さっすがですお嬢様ー!」
「そりゃ強い、流石は美羽だ」
一刀と七乃に褒められて上機嫌な美羽は、ぬはははと、あまり可愛らしくない笑いかたをする。
「それでどうしたんだ?」
「う〜む、それが目が覚めたら、いつの間にかわらわを閃華が今の七乃ように膝枕していたのじゃ」
__それ、泣くとか泣かないとかじゃなくて、たんに気を失ってたんじゃね?
とか一刀は心の中で突っ込んだが、まぁそっとしておいた。
どうせ七乃がニヤリと笑っているに違いないから。
「その時の閃華……泣いておったのじゃ」
__え?
「わらわにはよくわからなかったのじゃが、どうやら閃華は自分の肌を見せたくなさそうじゃった。 なのにわらわは無理に見ようとして閃華を傷つけてしもうた」
「…………」
「閃華の肌はとっても白くて、雪ウサギのようで綺麗なのじゃと思うんだがのぅ」
「……そうなんだ」
「閃華を傷つけてしまったわらわは、それ以来無理に布を剥がそうとはしなんだ。
わらわ達がお風呂から出てから、そっと体を洗うとるのも知っておる。
じゃがわらわは覗くような事はしなんだ。
いつか閃華からいいと言ってくれるのをわらわはずっと待っておった」
「…………」
「閃華のやつ、どこにいったのかのぅ」
「華琳達が必ず探してくれるさ」
「……閃華が無事ならば、もうとっくに見つけていると思うのじゃ」
美羽の言葉の端々には、悲しみが込められている気が一刀にはした。
「美羽は……諦めちゃったのか?」
一刀の問いに、美羽はううんと返した。
「違うのぅ……わらわはなんとなく、閃華は自ら姿を隠しておるような気がしてならぬ」
「っ……」
だからこそ、もっとも素直に響く。
一刀が美羽の言葉にチラリと振り返ったのを、七乃は見ていた。
思わず七乃と視線が合ってしまった一刀は、何もなかったかのように外した。
だが、どう思われたのだろうか。
「閃華はきっと生きておる!
わらわは閃華が死んだだなどと、到底信じられぬのじゃ」
「それは勘か?」
「わらわがそう思うならばきっと当たるに違いないのじゃ! のう七乃!」
「ええ、そうですねお嬢様!」
「うはははー! ではわらわは復活したので、もう一回泳ぎにいくのじゃ」
「え? また?」
呆れた一刀だったが、美羽は泳ぐ気満々だった。
「失敗しても、同じ間違いをしなければよいのじゃ!
そう教えてくれた閃華は、諦めを知らんかったからの。
主君のわらわが負けるわけにはいかぬのじゃ!
それに今度、協のやつと泳ぎの約束をしておるしの! わらわの方がお姉さんだから頑張らねばならぬのだ」
底意地なのだろうか、閃華の気持ちが美羽に残っていて、一刀はなんとなく嬉しかった。
「っくしょい!」
「あらら、一刀さんもすっかりと湯冷めしてしまったようですね」
「ああ、入りなおすか?」
「ええ、ではご一緒に」
「……まぁもういいけどさ。
ちゃんとタオルは巻いて入ってくれよ」
「はい」
またさきほどと同じように泳ぐ美羽を、2人は肩までお湯につかって眺める。
露天の風呂は夜空がよくみえて、煌めく星々と月の姿が水面に反射していた。
三日月の姿は、美羽が起こす犬掻きの揺らめきで形を崩され、此方を嘲笑っている様にみえたのは、何故だろう。
「今日はありがとうございました」
不意にお礼を述べた七乃に、一刀はなんのことだろうかと思った。
「閃華さんは無事なようで、安心しました」
「何を言ってるの?」
一刀から水面は揺れない。
美羽が大きく水面を乱しているし、もうどうだっていいのだ。
「一刀さんが天の御使いだろうが、地獄から大陸を滅ぼしにきたお使いだろうが、別になんだって構いません。 正直いって私達はそこにたいして興味がありませんから。
ただお嬢様は一刀さんをお慕いなさってますし、私だって似たようなものです。
……あと足りないのは閃華さんなんですよねぇ」
一刀のいうことを無視して、七乃は言いたいことを並び立てる。
「だから一刀さんにカマをかけさせて貰いました。
実は現在の閃華さんのことを、ご存知なのではないかと思って」
「いや、俺は知ら”嘘でしょう?”……なんでさ?」
「だって閃華さんの話はいざ知らず、銀狐の話で動揺しない者はこの大陸に存在しないからです」
「は?」
「銀狐って、実は民謡とかで語られる妖怪からきているのですよ」
「はぁ」
「でも、それは実在したという噂話が各地で起きました。
大体……十年ほど前ですかねー?
天の御使いがどうたらと、占い師管輅が話だす以前の話でして……」
「…………?」
「噂なんて所詮噂なんですよ。
ですがその噂の渦中の人物は、誰もが驚く事件を起こしたおかげで、実在するのだと確信をもたれたのですよ」
「事件?」
「皇帝暗殺です」
「っ! マジで?!」
驚いた一刀が、思わず半分腰を浮かしてしまった。
「ね?
誰でも驚くでしょう?」
クスクスと笑う七乃に、一刀はしまったと思った。
そう考えれば、今までの話が繋がってくる。
「誰もが驚きましたよ。
どうやら都の優秀な護衛さん達が、どうにか防いで未遂で終わったそうなのですが、皇帝に手を出したという事実は変わりません。
当時の十常侍達も銀狐の存在を公に認め、大陸全土に討伐指令をだし、報奨金をかけるという前代未聞の大事件となりました。
こうなれば当然、噂話にも信憑性がつくというものでして、噂に噂が飛び交って、いつの間にか大陸で泣く子も黙る恐ろしい人物と化したんですよねぇ。
誰かが曰く、村を十も二十も潰した、討伐軍5万を一夜にして返り討ちにした、挑んできた名のある武人の生首を手放さないとか……個人の噂話だけなら、張角の人相書きなんて比ではないくらい、とんでもない化物でしたよ」
「そう、なのか」
「っていうわけでして、つまり十年前からこの大陸にいたものは、誰もが銀狐を恐れています。 もはやそれは教育というか洗脳に近いものです。
幼き者は身を恐怖で震わせ、大人は裸足で逃げだす有様……なのに一刀さん、閃華さんが銀狐だと言っても、大して動揺しませんでしたから」
「…………」
「恐らく、何かしらで一刀さんは閃華さんが銀狐だという素性を知ってはいるのでしょう。
そして閃華さんは過去のことを極度に話したがりませんし、一刀さんもそういう詮索をする人ではありません。
つまり一刀さんは、十年前にはこの大陸に存在していなかった上で、なおかつ閃華さんと何かしら繋がりがある、と見たほうが自然だと私は思いました」
「…………」
「だんまりですか。
いいですよ、それでも。
私が確信しているだけで、証拠も何もあったわけではないですしね。
……ただ、これだけは言わせて下さい」
「……なにかな?」
「どうせあの閃華さんの事ですから、私たちが心配をせずとも、そのうちひょっこりと顔をだしてくるでしょう。
だから一刀さんの方から帰るように伝えてくれとはいいません。
ですが……」
七乃は言葉を区切ると、一刀へと顔を向けた。
まっすぐに。
「お嬢様を悲しませないでください」
一瞬の間。
しかしその一瞬でさえ、七乃の腕が伸びて一刀の顔を掴み、許しはしなかった。
「逸らさないで」
まっすぐに、ただまっすぐにと視線を向ける七乃は、一刀の開いた眼を離さない。
瞬きすら許されない。
「私は閃華さんのことを信じています。
彼女はこの大陸においても、恋さんにさえ引けを取らないほど強いと。
ですが私は一刀さんのことを、そこまで信じられません」
「…………」
「貴方のことを、とてもお慕いはしています。
だからこそ一層…………私は心配です」
「…………」
「あの閃華さんが帰らないという事は、よほど大きな理由があるのでしょう。
お嬢様を後にするくらいに」
「…………」
「だからこそ、それに関わっているであろう一刀さんが心配です」
「…………」
「一刀さんは普通の人です。
極めて凡人です。
春蘭さんや恋さん達、そして閃華さんのような強い力は”ありません”」
ありませんを、だいぶ強く言われた。
「ご無理を、なさらないでください」
「…………ああ」
なんとか紡いだその返答にとりあえず満足したのか、厳しい七乃の表情が崩れる。
心なしか、顔を掴んでいる腕の力も緩んだ。
「その言葉を覚えておいて下さいね。
約束しろとはいいませんから」
__七乃さんは強敵だ……きつい言葉だな。
そう一刀は痛感せざるを得なかった。
重いし、破れない言葉だった。
「ふふ、怖かったですかー? 私の胸で泣きます?」
悪戯な笑顔で七乃が問いかけてくる。
さきほどの緊縛した空気はどこへ吹っ飛んだのか。
そのあまりにもの落差に、思わず一刀も笑ってしまった。
「泣かないよ。
それじゃあ美羽に示しがつかない、だろ?」
「それじゃあ、お強い一刀さんには、ご褒美を差し上げましょう」
「ご褒っん」
七乃の顔がグッと近寄って、そのまま進みきった。
一刀は頭を両手で掴まれているので動けない。
「……ふふ、ご褒美はいかがでした?」
微笑む七乃に、のぼせた一刀の反応はない。
そして……
「ああ〜〜〜!! 七乃! 七乃は主様と何をしておるのじゃ!」
ばしゃばしゃと犬掻きで近寄ってくる美羽を、見ることもできない。
「わらわも主様としてみたいぞ!」
「はーい、お嬢様。
今ならし放題ですよー?」
「主様ー、わらわもしてたもれ」
七乃と入れ替わるように、美羽が一刀に口付ける。
固まっている一刀の視界は、それを理解はしていたが……
まったく動けはしなかった。
「えーっと、これでいいですかね?」
七乃は笑って報告書へ文章をつけたした。
一刀の調査報告書。
彼女達だけが、好きなように書き足せるという、奇妙な報告書。
七乃はそこの一刀について、1つ書き加えておいた。
”あそこはご立派でした”
この後、彼女達に追い回される七乃の姿があったとか、なかったとか?
こうして一連は決着を見た。
一刀は斗詩を雇い入れることにし、張三姉妹が興行に復活したので、その穴を埋めるため専属の秘書の役割についたのだ。
そして最近、変わった光景が城内でみられるようになった。
見晴らしのいい場所で、季衣と並んで猪々子が、桂花や七乃に勉強を教えてもらっている。
「くぁー、いちいち小難しい! きょっちーはわかるか?」
「ううん、よくわからないよ。
っていうか、イッチーの内容とボクのは違うじゃない。
ボクは戦術書だけど、キョッチーは経営学? とか管理運営学? じゃない」
「ったく、貴方達はどうしてこう物分りが悪いのよ! まったくもって教えがいがないわ!」
「あらあら桂花さん、そういいつつも昨夜は、2人の課題づくりに一生懸命だったではありませんか」
「へ? そうなの?」
「な、七乃! いい加減なことを言わないでよ!」
「安心してもいいですよ、お2人とも。
お2人は私の目から見ても順調ですから。
だから桂花さんだって、これだけ時間を割いてくれるんですよ」
猪々子は軍の運営に関して特に熱心であり、何度も何度も頭を沸騰させてぶっ倒れるが、しぶとく起き上がってきては続きを教えてくれと歯をくいしばって頭を下げる。
呆れ顔の桂花と、ニコニコと笑う七乃。
そのうち稟や風、詠までもが空いている時間を見つけては猪々子に教えていた。
そして夜となれば寝静まった城内で、明りがついている部屋からは、まるで野生の猪が罠にかかって唸るような苦悶の声が、宿題が乗っている机を前にして響く。
そして朝には……
いつものように3人で、残り物で作った美味しい朝食を、笑いながら食べるのであった。
華琳と麗羽と橋玄と。
君にとっての幸運の御守になる……と、そう橋玄先生はしみじみとおっしゃっていたわ。
麗羽は私にとって鏡なのよ。
私たちに百の問題が降りかかれば、私は99の答えを出すことが出来るだろう。
しかしどうしても後1つは、君では導き出せない。
その1つの答えこそ、麗羽が握っていると」
「華琳様とあの麗羽を、そのような比べ方をしたのですか?」
桂花としては納得がいかないのだろう。
しかし華琳の敬愛する先生を悪くいうわけにもいかない。
渋々といった体で、桂花は華琳の話を聞いていた。
華琳はそんな桂花を微笑ましく思いながら、椅子へと寄りかかって外を眺めた。
__きっと一刀が、私達の仲を取り持ってくれる奇特な存在なのでしょう、ねぇ……先生?
確かめる術はもうこの世にないが、華琳は穏やかに笑う橋玄の姿を思い浮かべていた。
そして最近になって、華琳は橋玄の言っていたことの意味がわかり始めていた。
「……私は目の前にある事物を積み重ね、より堅い答えを導くのを得意とす」
「へ?」
「一刀が曰く、それは唯物主義とも呼ぶらしい。
なるほど。
私は理論を積み重ね、実証、検分し、応用するという天才なのだろう。
しかしそれは目に見えるものでしか信じられないということでもある。
昔の私は、目に見えぬものは己の脳内で見る夢でさえ、頑なに拒絶していた」
華琳の独白に、桂花は面食らっていた。
「ふふ…………17勝0敗、この数字の意味が桂花にはわかる?」
「さ、さぁ」
「さっきの橋玄先生の言葉ね、私と麗羽がこっそりつけていた戦績表を見ながらおっしゃっていたのよ。 しみじみと語られてしまったわ」
「それは? もちろん華琳様が17勝ですよね?」
桂花の確信を込めた言葉に、額に手を当てた華琳は自嘲した。
ただ認めたくないと、悔し涙を溢れさせていた、あの幼き日を思い出す。
お互いにただ幼稚だったのだ。
「勝ちの全ては麗羽がとったものよ」
「そんな!」
「一度も勝ったことがないのよねぇ……くじ引き」
「は?」
「席替えの時、窓側って暖かくて一番良い席じゃない?
……だから私は廊下側の寒い席の下で、よく地団太を踏んだものだわ」
麗羽も麗羽で、私の授業での発言とかで、悔しい思いをしていたのだろう。
お互いにないものを見せつけあうように、日々を過ごしていた。
だから相手の顔を見るたんびに、無性に悔しかったんだろう。
__どうですか橋玄様?
私はこのように成長する事が出来ましたよ。
気に入らない麗羽を少しは認められるくらいに。
一刀が天の御使いだというならば、天へと上った貴方のお導きでありますように、と。
少しは受け入れるようになった唯心的な言葉をもって、橋玄公祖の冥福をそっと祈る華琳であった。
どうもamagasaです。
字数限界なんで、あとがきも省略で。
いつも応援ありがとうございます!
此度はいかがでしたでしょうか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「ほんと、ギリギリ」
制限字数ギリギリです、拠点で前半後半なんて、肝心の季衣と流琉でさえやらなかったのに、袁家でやっちゃあ……ねえ? あとがきも余裕がないんで、ちょっとだけ。
袁家3人組の馴れ初めの話しでした。
桂花がいるんだから7年くらい前? に当たるんかな。
こういうのは珍しいんじゃないかな、と。
少なくとも私は袁家3人の出会い方ってのを見たことがないです。
ほんとは猪々子が寒い雪山でガチガチ震えながら獲物を駆ってくるシーンや、孤児院で麗羽が子供達に懐かれている光景、一刀が斗詩の給金にそっと色をつけるとか、斗詩の秘書姿に癒されるシーンとか、最後の猪々子が頑張るネタも詳しくやりたかったんですがね、どう考えても字数が倍はいきそうですね。
ですので書いてる途中で断念という有様。
だから馴れ初めの部分を中心に盛り上げ、纏める形にしました。
恐らく疑問としてはこの3つかと。
彼女達は騎馬民族じゃなかったっけ、馬が出てきてなくね?
A.拙僧の力不足。
麗羽はこれでいいの?
A.本当はもっと自然にこうなるよう、上記のネタで色々考えてはいました。 ちょっとキャラ変し過ぎたかもとは思ってす。 どうですか?
里とか刻とかの単位ちがくない?
A.時代によって単位は結構変動しているので、季流√の単位はわかりやすいよう、里とか刻とかは現代のキロ、時間を単純に言い換えただけです、これは調べました。
なるべく原作に沿えれるように頑張りはしました。 結果が伴っていないかもですが。
描写不足で色々とご不満はありますでしょうが、(実際、自分で見直してかなり不満が多いです、後で書き足します、いつか自分のサイトでも持てたらそこで乗せようかなと)とりあえず3人の拠点はこの形でお願いって事で、お後がよろしく……ないですよね。 棄権負け。
「袁家」
麗羽を中心に書いたが、ほんとは猪々子が大好き。
結局、純粋な小さい子と、姉御肌な女性が好きな小生であった。
異論は様々でしょうが、麗羽達のこのような姿があってもいいかと……
いかがでしたか?
ちょっと話の並びに違和感を感じるでしょうが、それは袁勢編を一話として見て頂けると嬉しいです。
橋玄先生も含めて、あらゆる要素を詰め込んだと自負しています。(自己満足)
コメントやご支援を心待ちにしております。 欲を言えば王冠欲しいですしね。
ですが勿論、批判でも構いません!
どの様な形でも、リアクションして下さる貴方様の言葉が私の最高の力です。
「参った、本当に」
体壊して一年ちょい、回復期間に約半年。
現在も回復期間中ではあるが、ようやくリハビリを兼ねての季流√再開です。
壊すのは一瞬ですが、直すのは一朝一夕ではすみませんねぇ。
休止中の私にもずっと応援の言葉をかけて下さった方々、本当にありがとうございました。
心からお礼を申し上げます。
メールやコメント、応援メッセージに対してもこれから返事をさせて頂きます。
本当にありがとうございました。
そして季流√の拠点も佳境に入ってきました。
拠点が終わればシリアスの連続なので、今のうちに楽しんで下さるとうれしいです。
後、数話で拠点は終わりです。
では、またの日に。
説明 | ||
袁家の後編となります。 麗羽達の絆と、七乃と美羽の信頼、そして華琳の成長。 前話と一緒に見ていただけないとわかりにくい構成となっております。 多少読みにくいかもしれません(汗)すいません。 お楽しみ頂ければ幸いです。 |
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皆さん お待たせしました! どうか楽しんで頂ければ、嬉しいです! ほんとずっとお待たせしている……申し訳ない。(雨傘) 追いついてしまった!?ハッΣ(゚д゚lll) 更新待ってますm(_ _)m(黄昏て昏睡) 続きはまだなの?(デューク) 続き、ナイ?(匿名希望) 続き〜〜〜〜(涙)(心は永遠の中学二年生) 更新お願いします^^(hirowi) 更新待ってます!!!!!!(迷い猫@翔) 続きまだかな〜三c⌒っ.ω.)っ シューッ(音狐) 続きを待って早1年・・・まだだ!まだ終わらんよ!!(心は永遠の中学二年生) 続きを求む!(The man) 一気に読ませてもらいました。ご自愛しながら頑張ってください!(やはから) 続き待ってます…>_<…(ゆうや) 初めましてm(_ _)m、かなり申し訳ないのですが、早く続きが見たいです((o(´∀`)o))ワクワク。(黒鉄 刃) 続き楽しみしてます!!(ボルックス) 何度読み返しても良作!続き期待してます!お体には気を付けてください^^(匿名希望) 季衣と流琉出て来ないな(匿名希望) 続き、待ってマース!かなりな良作SSだ!(心は永遠の中学二年生) 久々に読み返して、『麗羽、カッコイイじゃねぇかよ、コンチクショーッ』と泣かせてもらいました。お身体、お大事にしてください(だる) どうか、お体をご自愛ください。いつまでもお待ちしています。(firmalhaut) 続編まってまーす(qisheng) いつまでも待ってます(兎) 一気に読んでしまいました。続き待ってます!(morikyou) とうとう追いついてしまった…続き楽しみに待ってます!お体お大事に…(ムカミ) 続きないと……ハゥ(音々音) 続きは…マダカ!?(デューク) 追い付いた。続き楽しみに待ってます。(通行人) 次回楽しみですん(Alice.Magic) 次回も楽しみにしてます(≧∇≦)(SUZUKI) いつまでも待ってます(^-^)ノ(だめぱんだ♪) 次はまだですかー!!??(流派東方不敗) 次回を今でも待ち続けます(音々音) やっと追い付いた…大変でしょうが続き楽しみにしてます(* ̄∇ ̄*)(ミズトモ) 頼む・・・続きを、続きを・・・・・・。(jitome-p) 五周しちゃった…(atlas039) 次回も楽しみにしています!(soul) お帰りなさいですよ〜(ライド) ずっと応援してますよー。次回も楽しみ!(jitome-p) なんというきれいな麗羽様、美羽サイドも良いね (yosi) 次回もたのすぃみに待ってます(黄昏☆ハリマエ) |
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