顰像(しかみぞう)
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 元亀三年十二月二十二日、遠江国敷知郡の三方ヶ原(現在の静岡県浜松市北区三方原町近辺)で起こった戦いに敗れた徳川家康が、自らの敗戦を教訓とするために描かせた肖像画のこと。

 肖像画では両目が突出し、片膝を不自然に組んで落ち着きを失っている姿が描かれている。

 

 

 その日は、五月という季節からしてみれば冬に逆戻りしたかのような寒い日だった。

 刻からすると太陽が真上にある頃合だというのに、空を見上げると真水を満たした器に泥水を混ぜあわせたときのような雲が一面に垂れ込んでいる。その雲に遮られるように地の上に光が差さないのも相まって、新緑の季節を謳歌していた木々も時期はずれの木枯らしに吹かれるとすっかりその鳴りを潜めてしまい、辺りは薄暗い、陰鬱な様相を呈していた。

 そこに、ひと筋の閃きが走る。

 辺りに纏う雲を一文字に割くそれは、ぐんぐんと速度を増し、途中、保護色のように闇に潜んで獲物を待ち構えていたと思われる妖怪と接触したが、意に介することなく文字通りひき飛ばしていく。

「あー、今何かにぶつかった気がしたんだが…気がしただけか」

 わずかに速度が緩んだ線の先、人の…それも、まだ少女と呼べるほどの…声が聞こえた。

 声の主は、黒色のとんがり帽子を手で抑えながら左、右へと首を動かすが、それ以上真剣に探す気もないらしく、まあいいか、と小さく呟くと再び速度を上げようと帽子に宛がっていた手をまたがっている箒の柄へとかける。

 …ニャア。

「…にゃあ?…って…うおっと!」

 そのとき、地上から遥か上空のこの場所では聞こえるはずのない鳴き声が耳に入った。

 少女はいつもの、人一倍の好奇心の成せる業なのか、ほぼ反射的に急ブレーキをかけると体を前のめりにさせつつも、箒から投げ出される寸でのところでとどまった。

「あぶないあぶない。…って今のはなんだったんだ?」

 先ほどとは打って変わり、少女は目を閉じると箒の柄を掴んでいた手を両耳に宛がい、注意深く辺りの様子を伺う。

 別段、不思議な現象などというものはここ、幻想郷では日常的に発生してもおかしくはないことであったが、それでも人間の本能を刺激する代物なのであろう。それが魔法という、不思議と同じ性質のものに魅入られ、探求し続ける者であれば尚更だった。

 その証拠に少女の口元は、まるで新しい玩具を与えられた子供のように緩んでいる。

 …ニャア、ニャア。

 鳴き声が、聞こえた。

 目を閉じていた少女の眉がピクリと反応する。ゆっくりと目を開くと、先ほどから緩んだままの口元と同様に瞳も緩ませると、耳に宛がっていた両手をすばやく箒の柄へと掛ける。

 そして、次の瞬間。

 両手で握った箒の柄を中心にして、クルリと柄の先を地上へ向けるように旋回すると、その場から颯爽と飛び去っていった。

 

 魔理沙が上空から地上へと降り立ったところは、周りの木々が鬱蒼と茂る森の小さくひらけた原の上だった。

 地面が近づくと、魔理沙は箒の柄を握っている両手に体重をかけ、腰を浮かせながら箒から飛び降り、視線をせわしなく動かした。

「確か、ここらへんだったと思ったんだが…お?」

 二、三度視線を散らした先に、地面から生えている草花ではない、ずんぐりとした影が浮かんだ。意外にもその影は自分から近いところに居るらしく、少女が凝視すると、猫が一匹、行儀良くちょこんと座って少女を見上げている姿が飛び込んできた。

「んー?もしかして、さっきのはお前の鳴き声か?」

 少女はからからと笑いながら腰を落とすと、猫の頭の上に手を乗せ、ぐりぐりと頭を撫で回した。少々乱暴ではあったが猫は別段嫌がるそぶりは見せず、むしろ気持ちよさそうに目を細めながら少女のされるがままになっていた。

 しかし、その手はすぐさま猫の頭から離れた。

 少女の体はすばやく後方へと飛び退くと、手に八卦炉を握り締める。

「…まったく、しくじったぜ」

 小さく舌打ちをした顔にはすでに先ほどの笑みは表情から消えていた。

 

 寄生。

 異種の生物が一緒に生活して、一方が利益を受け、他方が害を受けている生活形態のことを指す。

 この猫の場合、自身に触れたものを宿主として精力を奪っていく、というものだった。

 このとき奪われる精力は微々たるものであるため普通の人間は気づかないが、魔の法を生業とし、力の流れに敏感であるこの少女には一瞬触れただけでも力の流れがわかったのだろう。

 

「退治されても化けて出て…って化けて出てきてもそのときはまた同じことだが…

 ともかく、迷わずぐーたらな死神のところへ辿りついてくれ」

 少女は八卦炉を前へと構えると目の前の猫へ照準を合わせる。

 あとは魔力の燃料を注ぎ、対象に向かって力を放出するだけであったが、そのとき、少女の目に猫の瞳が映った。

 

 よそよそしくて、おどおどとした、媚びるような目。

 その奥には、光の見えない、暗い、暗い陰。

 

 ピクリ、と燃料を注ごうとしていた手が止まった。

 やがて少女はゆっくりと八卦炉を降ろし、目すら猫から離すと同時に顔を伏せる。

 だが、再び顔を上げたときには笑みを浮かべながら猫に歩み寄ると、その手の指を伸ばした。

 猫は、はじめこそ体を強ばらせ警戒をしていた様子であったが、しばらくすると伸ばされた手の指にちょいちょいと絡みつく。

 そのまま目の前の小さな体をすぐさま抱き上げてやればよいものの、ちょっとしたいたずら心に駆られたのか、ひょいと手を宙に上げた。

 すると、支えを失った細い体がぺちゃりと地に沈む。

 猫はしずしずと頭を上げて瞳をこちらに向けるとニャアという鳴き声をあげた。

 からからと笑う少女は両の手のひらを合わせて小さく頭を下げると上目で見る黒い体を抱き上げ、そのまま自分の胸元に寄せる。

 頬を頭にのせた横顔にはどこか影のある笑みが浮かんでいた。

 

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 雲ひとつない青空の中を、春の暖かい風が吹き抜けた。

 その風の流れに沿うようにして、木々は己が身に茂げらせた新緑を小さく擦らせる音を立て、地面の影を揺らす。

 その影に重なるようにして一件の、家と称するには少々大きな建物が鎮座していた。

 楽園の巫女である博麗霊夢の住まう博麗神社である。

 随分と古くからあるであろうと思われる佇まいであったが、その歴史の重みを感じさせつつ、されど古めかし過ぎず、新古の混じり具合がちょうど良い雰囲気を醸し出していた。

 その神社の正面を横に逸れたところに、日の当たりの良い縁側があり、そこに二つの影が映る。

 一つは頭に大きな耳のようなリボンを結び、腕に振りを下げた博麗霊夢のもので、もう一つは大きなとんがり帽子にリボンを結び、ワンピースの洋装にフリルの付いたエプロンを下げた霧雨魔理沙である。

 そして、もう一つ。

 しなやかな体躯をした四足の影が、魔理沙の影に歪に繋がるように浮かび上がっていた。

 

「…とまあ、これが私と猫との出会いってわけだ」

 縁側で寝そべる猫との顛末をひとしきり口にした魔理沙は、話の間じゅうずっと撫で回していた猫の背から手を離し、湯呑に手を伸ばして一口、口元に運ぶと霊夢に顔を向けた。

「…ふうん。でも、驚いた。まさか自分本位の魔理沙が他人の世話をしてるなんてね」

 同じように湯呑を持って話に耳を傾けていた霊夢は、気持ちよさそうな表情を浮かべて日向ぼっこをする猫を一瞥する。

「自分本位って言葉は聞き流しておくとして。

 霊夢、猫は人じゃあないぜ?人じゃあないから世話をする」

「…言葉のあやよ。だけど、魔理沙は人じゃなければ自分を省みずに甲斐甲斐しく世話

 をするってことね」

「それこそ言葉のあやだぜ。なにも世話をしないのは人だけじゃない」

「なら、これはただの気まぐれかしら?」

 そういうと霊夢は手に持った湯呑を縁側に置き、再び猫へと視線を投げる。そして、魔理沙の意識が今回の気まぐれについて語るのに夢中になり、猫から逸れるのを見計らって猫の頭へと手を伸ばした。

 …ニャア。

 しかし、気配に気づいた猫はくるりと耳を動かしながら顔をあげると、縁側でのん気の寝そべっていた姿からは考えられない身のこなしで魔理沙の膝の上に飛び乗った。

「おぉ、どうしたんだ?」

 魔理沙は突然自分の膝の上に飛び込んできた猫に驚き、持っていた湯呑を落としそうになったが、服にも猫にも中身をぶちまけることなく堪えると、先ほどまで猫のいたところに視線を見やる。

 するとそこには、猫に避けられて行き場のなくなった手と猫を交互に見る霊夢の姿があった。

「霊夢、お前…嫌われたな」

 さきほどまでのあわてぶりはどこへやら、魔理沙はそんな霊夢を指差しながら嫌な声色を上げて笑い出す。

「…はぁ、そうみたいね。まあ、気まぐれでもなんでもいいけれど。

 世話をするって決めたんなら、ちゃんと最後までしなさいよ?」

 くれぐれも実験なんかに使わないように、と霊夢が指を差し返しながら付け加えると魔理沙はそんなことはしないぞ、とふくれ面をしながら膝の上の猫を抱き上げ、その体に顔をうずめると、そこから瞳だけを覗かせた。

「霊夢、お前もしかして…私たちの仲に嫉妬してるのか」

「…はぁ?なんでそうな…」

「いやいや、みなまで言うな。

 確かに私たちの蜜月ぶりを見たらそれを羨んじまうのも無理ないだろうからな」

 呆れる霊夢を尻目に魔理沙は再び声を上げて笑うと、抱えていた猫を地に下ろす。

「まあ、そういうわけで、私たちはこれから優雅なロマン飛行の旅に行ってくるぜ」

 近くに立てかけていた箒の柄を手に取って立ち上がると、魔理沙はちょいちょいと猫を手招きする。そして近づいてきた猫を抱き上げると、箒をふわりと浮かび上がらせ、勝ち誇った笑みを浮かべながら腰を掛ける。

「希望があれば、今度来たときに別のかわいい猫でも紹介してやるからな」

 捨て台詞を残して浮かぶ後ろ背に、いらないわよ!という霊夢の言葉が掛かると、魔理沙はますます顔を上機嫌にさせながら彼方へと飛び去っていった。

「…ほんとに、いらないんだから」

 あとに残った霊夢は小さく鼻を鳴らすと、魔理沙が去って行った方向から目を逸らす。

 ふと、さきほどまで猫が鎮座していた場所が目についた。

「そういえば…あの猫、なんか妙だったわね」

 猫に直接触れたりしたわけではなかったが、感じるがまま、霊夢は素直にそう思った。

 実際にはなんの確証もない、ただのカンではあったが、自分のカンは今の季節の天気予報よりもずっと信頼できる、と豪語していたのはいつのことだったか。

 仮に。

 あの猫が猫≠ナはなかったとして。

 魔理沙もそのことに気づいているとして。

 でも、そうなると魔理沙がなんでそんな奴の世話をしてるのかがわからないのよね。

 …って。

 そこまで考えをめぐらせると、霊夢は大げさに頭を振る。

「あー、もう!これじゃあ本当に私が魔理沙と黒猫の仲を妬んでるみたいじゃないの」

 多感な少女の思考は、ときに綺想曲、もとい奇想曲のようになってしまってはいけないときもあるようだ。

 楽園の素敵な巫女はそのままきびすを返して神社の中へと足を運ぶ。

 そして考え事を無理矢理、今日の夕餉のことにシフトさせ、奥の方、奥の方へと押しやってしまった。

 

「ねえ、魔理沙。

 …膝に乗せてる猫、重くない?」

 昼寝日和、午後の博麗神社。

 魔理沙が初めて猫を霊夢に引き合わせてから数日が経っていた。

 神社の鳥居の下では、珍しく仕事をしていた霊夢とその土台に腰を掛けている魔理沙の姿がある。

 これだけの光景を見れば、霊夢から先述の質問などは出なかっただろう。

 魔理沙の膝の上に収まりきれないほどの猫がのん気に寝そべってさえいなければ。

「…何を言ってるんだ霊夢。成長することはいいことじゃあないか」

 だが、当の魔理沙は霊夢の問いとはまったく見当違いな返答をしながら、片手で膝の上の猫の背を撫でる仕草を始める。

 その返答に対し、霊夢は僅かに不快感を覚えた。

 相手が腰を掛けているという立ち位置上、目を見ることはできなかったが、その下の口元が緩みきっていることがわかり、返答がわざとなのか素なのか容易に見当がついたからだ。

「…身なりとかはでかくはなっちまったけど、重さは小さかったころとそんなに変わら

 ないぜ。嘘だと思うなら持ってみるか?」

 場の空気が変わったのを感じたのだろう。魔理沙は続けて霊夢の問いに答えると、背を撫でていた手を止め、両手で猫を抱きかかえると霊夢の方へと向ける。

 猫と霊夢。

 必然的に視線が交錯する。

 いつまでも続くかと思われた両者の対峙であったが、猫がニャアと鳴き声を上げて魔理沙にしがみついたことで、場の空気が溶ける形となった。

「ああ、そういえば。霊夢はコイツに嫌われていたっけな」

「…そう、みたいね」

「まあ、そんなに気にするな。別に霊夢にだけこんな態度を取るわけじゃあないんだ

 ぜ」

 まだ機嫌が直らなかったのか、霊夢がそっけない返事をすると魔理沙は少々慌てた様子でひらひらと片手を振り、嘘か本当かそんなことを口に出した。

 当然、霊夢は訝しげな表情を見せたが、事実、アリスやパチュリーが猫に触れようとすると、猫はことごとくこれを避けた。アリスは普通を装いながらもひどく心穏やか出ない様子なのはすぐにわかったし、パチュリーにいたっては、金髪鼠が猫に媚びているわ、と意味不明なことをいいながら、相変わらず心の見えない無表情で紅茶を口へと運んでいた。

「まあまあ、そんなかわいそうな霊夢には特別にこれをやろう」

 そういうと魔理沙は、膝の上の猫を抱き上げて傍らへ置くと、自身が身に着けている白いエプロンのポケットから一枚の写真取り出して霊夢に差し出す。

 そこには魔理沙と猫がなんとも無邪気そうな表情で収まっている姿があった。

「えーっと、なにこれ?またブン屋から奪ったスキャンダラスな写真か何か?」

「写真はなにもブン屋だけの占有物じゃあないぜ。これは外の世界の写真機で私が撮っ

 たものだ。香霖のところ にあったから、ちょっとばかし借りてきた」

 魔理沙の言葉に霊夢は、ふぅん、とあいまいに頷くと、再び写真に視線を落とした。

 それは見るものが見れば、その微笑ましい光景に思わず頬が緩んでしまうところであったが、当の霊夢は眉一つ動かさす、終始無表情のままだった。

「ねえ」

 霊夢は写真から目を離すとそのまま、ゆっくりと魔理沙へと視線を向ける。

「あんたは、一体何がしたいの?」

「あー、そんなこと言わせるのか?皮肉の解説って結構、興が冷めるものなんだぜ」

「違う。わたしが聞きたいのは」

 魔理沙の惚けた態度に対し、霊夢の言葉の語気が強まる。

 そして変わらない無表情のまま、口を開いた。

「妖怪と一緒にいて、何がしたいのかってことよ」

 妖怪、という単語が霊夢の口から放たれると、魔理沙の口の緩みが消え、真一文字に結ばれる。

 二人の間に無言の時が流れた。

 しかし、それも一瞬のことで再びへらりと態度を崩すと、口元を小さく歪める。

「…逆に聞くが、妖怪と一緒にいちゃいけないってきまりごとでもあるのか?」

「ない。…さあ、答えたから今度はあんたが私の質問に答える番」

 霊夢の返答には容赦など少しもなかった。有無を言わせぬその言葉に、魔理沙は小さく舌打ちをすると、傍らにかけた箒を手に取り、跳ね上がるようにして立ち上がると、もう片方の手で八卦炉を掴んだ。

「答えさせたければ勝負しろ、ってこと?

 …わかったわ。なんでそこまでして答えたくないか、わたしにはわからないけれど」

 その言葉の通り本当にわからない、といった様子で小さく息を吐くと、霊夢はどこをどうしたのか、手に持っていた箒をお払い棒へと持ち替えると魔理沙と正面に向き合った。

 

 まずは魔理沙が動いた。

 彼女は自分の立ち位置、そして相手との間合いを数瞬で確認する。

 そして次に取った行動は、何を思ったのか手の中に持つ八卦炉に燃料を込めるという、おおよそお互いがお互いを認識しあっている状態での対峙からは常軌を逸するものであった。

 しかし、霊夢は踏み込もうとしていた足の先に力を込めて動きを制し、様子を伺っていた。

 霊夢には、二つの疑問があった。

 一つは先ほど魔理沙が取った奇行であるが、これはさほど脅威には感じていない。今まで彼女の奇行など何度に目にしていたし、例えどんなことをしようとそれをねじ伏せる自信があった。

 だが二つ目のものは霊夢に僅かな迷いを生んだ。魔理沙が戦闘において八卦炉を使うという行為はいわば大魔法を繰り出すという宣言であり、その魔法に比例して隙も大きかったため、単体の、しかも初撃で使用するということはこれまで幾度となく競い合ってきた記憶では一度もなかったからだ。

 その間にも、炉の中が激しく胎動を繰り返し、やがてピカリ、と大きく光を放つ。

 (…今!)

 霊夢の足が動いた。タン、と地面を蹴り上げて跳躍すると懐から捕縛の符を取り出し、投げつける。

 彼女は八卦炉の光でマスタースパークが放たれることを察した。マスタースパークはその出力が故に、術者自体はその場から動けなくなる。そこを狙って魔理沙を捕らえてしまおうという計算だった。

 集約される光の中、魔理沙も自分目がけて符が飛んでくるのを目にする。

 しかし、彼女は口を小さく緩ませた。

「…じゃあな。霊夢」

 直後、八卦炉から怒号が放たれると、魔理沙はそれを支える手を霊夢に対してではなく、地面へと向けた。

 魔理沙の体がロケットのように地面から空へと舞い上がる。

「あ」

 それはまさにあっという間の出来事だった。砂埃が収まったころには魔理沙どころかいつの間にか猫の姿もなく、あとにはマスタースパークによって抉られた地面と捕縛の符が残るばかりであった。

「…逃げられたか」

 霊夢はそう呟いたあと、先ほどまで魔理沙のいた場所へ正確に張り付いた捕縛用の符を剥すと大きく息を吐き出す。

 つまるところ、魔理沙ははじめから霊夢と戦う気などはなかったのだ。だからこそ彼女は単純に離脱の策を講じただけのことであり、もし霊夢の行動が一足早ければ、抉られた地面の変わりに捕縛されて動けない魔理沙がいたことであろう。

 もっとも、それは魔理沙が霊夢の行動を計算してそこまでやってのけたということを認めたくない、という霊夢の言い訳であったかもしれないが。

「あー、もう!魔理沙の奴、宴会でもそうだけど、やることやってあとかたづけは絶対

 にしないんだから!」

 しばらく呆然としていた霊夢であったが、はたと気を取り戻すと、悔しそうに地面を蹴り上げ、魔理沙の飛んでいった方向を睨みつける。それだけでは気はおさまらなかっただろうが、ほおっておいたところでどこぞの獣人が親切心に抉られた地面をなかったことにしてくれるのはまずありえない話だった。

 霊夢はもう一度大きく息を吐くと、どう修復しようか思案しながら地面へと視線を動かす。

 ふと、その視線が止まった。視線の先には抉れた地面から土が撒き散らされ、神社の境内へと続く石板も無残に破壊された光景があった。

 霊夢の視線はその、破壊された石板の数にある。

「魔理沙のマスタースパークって、こんなに威力が小さかったっけ?」

 無論、あの魔理沙が手加減をしたとは到底思えなかった。事実、「弾幕は火力」と公言する彼女はいつでも、誰が相手でも全力で事に当たっている。

 魔理沙との戦歴に記憶を巡らせる霊夢は、ふと思い出したように体を弄り出す。そして取り出したのは、先ほど魔理沙から見せ付けられた一枚の写真であった。札を持つかのように手のひらにある写真を親指と人差し指の腹で摘むと、すぐさまその写真に対して何かを確認するかのように凝視する。

 そして、写真から目を離すと首を上げて再び魔理沙が飛んでいった方向へと向けられる。

「魔理沙…あんたは本当に、何を考えてるの?」

 睨んでいた先ほどの視線とは違い、それはどこか寂しげな双眸が浮かんでいた。

 

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 ごつごつとした岩肌を晒した原に二つの影が映った。

 そのうちの一つはときより地に足をつけ、足場が劣悪なこの場所においても、特に何も弊害などないかのように動いていた。だが、もう一つの影は少々おぼつかない浮揚で漂いながら道を先導するかのように進んでいる。

 この立ち位置だけを見れば、後者が前者を従えている格好ではあったが、互いの様子は明らかに対照的で、いつ前者が後者を従えるという格好に逆転してもおかしくはなく

、むしろそちらの方が自然に見えたかもしれない。

 改めて云う必要もないとは思うが、二つの影の前者というのは猫で、後者は魔理沙のことである。

「ほらほら、こっちだ」

 やがて小さく開けた所に出ると、魔理沙は腰を掛けていた箒から飛び降りて猫を手招きする。すると大型犬ほどの大きさになった猫が、それでも身のこなし軽やかに魔理沙の元へと駆けていく。だが仕草はというと、これまでとさほど変わらなかったため、猫が魔理沙の元へと飛び込むとさながら押し倒された格好になった。

「はは。お前、このまま大きくなり続けたら私がお前の背中に乗れそうだな。

 そうなったら、私はどこぞの民族衣装を着込んで、箒を槍に持ち替えるぜ」

 魔理沙はからからと笑いながら槍をブンブンと振り回す様の真似事をした。だが、すぐに力なく手を下ろすと、今度はその手を伸ばして猫の背中あたりをさする。猫はニャアと鳴き声をあげ、気持ち良さそうに目を細めた。

「…でも、な。私の性分もあってな。たぶん、私はそのころまでお前の面倒は見切れな

 いと思う」

 魔理沙は一時、思案するような表情を見せたが、やがて意を決したように唇を結ぶと撫でる手を止め、大きな空色の瞳を猫へと向ける。

「なあ」

 正面を見据える魔理沙の視線にのどを鳴らしていた猫の視線が交差する。

「お前はこの先どうしたいんだ?どう生きていきたいんだ?」

 そう、猫へと問いかけた。その言葉が発せられると、目を細めていた猫のそれが大きく見開き、中にある金目銀目が対する空色を、さらに云うならばその奥を覗き込むように見据える。

 やがて、猫の顔が小さくゆがんだ。その双眸と口元が珍妙に釣り上がりそれはちょうど笑みを浮かべる様子に見えた。

 相手が妖怪であることは知っていたが、魔理沙が知るなかでは、これまでに妖怪らしい態度や表情をすることは一度もなかったため、初めて目にする猫の表情は魔理沙の目を思わず逸らさせた。

 だが魔理沙が、猫の口から返答を聞けることはなかった。

 魔理沙は視線を逸らした先に猫へと目がけて飛来する高速物体を目にし、猫の背に手を伸ばすと、そのまま横へ一転する。数瞬後、その物体が地面に突き刺さる。針だった。

「霊夢!」

 怒気の篭もった叫びとともに、魔理沙は傍らの箒を手に取ると曲芸のような身のこなしで起き上がり、針の飛んできた方向を睨んだ。そこには、魔理沙の態度など意に介することなくふわりと宙に浮かんだ巫女の姿があった。

「魔理沙、二度は言わないわ。今すぐそこの妖怪から離れなさい」

 圧倒的な威圧感。魔理沙の上体が思わず後方へとにじり下がる。霊夢は宙を漂いながら下目で魔理沙と猫を眺めていたままであったが、その光景は傲慢、不遜などというもの一切などとうに超越し、巫女の本来の役割である神懸かり、神の代弁者そのものの姿のように見えた。

「…へっ!万年ぐーたら巫女が妖怪退治の出張サービスってか?このご時勢に手当てな

 んか期待するだけムダだぜ?」

 しかし、魔理沙は猫から離れなかった。

 気を抜けば上体どころか足までもが後ろに下がってしまいそうなところを、なんとか堪える。

 それは、当然猫を守るためでもあっただろうが、有無を言わせずねじ伏せようとする神の代弁者への反抗のようにも見えた。

「そう。それならしかたがないわね。…以前はまんまと逃げられたけど、今日はそんな

 ことさせないわ」

 魔理沙の意思を確認した霊夢は一度目を伏せる格好をしたが、それでも冷たい表情をはり付けたまま、お払い棒をゆっくりと上へと掲げる。

 その瞬間、大小様々な符が辺り一面に展開された。魔理沙の表情が一変する。霊夢が何をしようとしているのかわかったのだろう。気づいたときには駕篭の目状に魔理沙と猫をすっぽりと取り囲んでいた。

「…ちっ、逃げ場はない、か」

 自分と猫を中心にびっしりと覆われた符を見渡しながら、舌打ちをする。

 もはや前のようなことはできない。

 魔理沙は箒に跨って宙に浮かぶと、構えすらしていない霊夢に近づき、半ばやけくそ気味にマジックミサイルを放った。

 だが霊夢は避けようともせず、間近に迫ったそれに対してお払い棒を一振りし、弾き返す。それだけではなく、弾かれたマジックミサイルは辺りに展開されていた符に当たると、それをクッションにして今度は逆に魔理沙へと向かってきた。

「…なっ!」

 魔理沙の目が驚愕に見開く。さすがに、そんな攻撃をしてくるとは思わなかったのだろう。己への直撃はなんとか避けたものの、箒の一部がマジックミサイルに当たり、その爆風によって己も符へと吹き飛ばされ、ずるずると地面へと落ちていった。

 その影を追うように、霊夢はそのままゆっくりと地面に降りていく。

「今日はいつになく張り合いがないわね。まあ、それも当然のことか。

 だって魔理沙、そこの妖怪にこれまで力を与え続けていたんだもんね」

 そして地面に尻餅を付きながら、小さく呻いている魔理沙の前に立つといつになく挑発的な視線を投げた。

「…以前から人間離れしてるとは思っていたが、お前、本当に人間か?…どうしてそん

 なことまでわかった?」

「魔理沙だけには言われてたくなかったわね。人間離れしてるなんて」

 魔理沙の言葉に、むっと視線を一変、吊り上げるも、

「前にマスタースパークで神社の地面を派手に壊していったじゃない?でも、魔理沙に

 してはあまりに謙虚すぎるよなって思ったからよ」

「…訂正する。霊夢、やっぱりお前は人間だ。妖怪以上に性質の悪い、な」

「それでも結構よ。少なくとも、性質が悪いだけなら魔理沙がこれまでやってきたこと

 、それにこのさき起こるであろうことよりもずっと迷惑はかからないもの」

 言葉を続けながらも霊夢は、視線を魔理沙からさきほどの場所でじっとこちらを眺めている猫へと向ける。

「さて、遊びはもうおしまい。魔理沙がこの猫で何をしようとしてたのか知らないけれ

 ど、これ以上は妖怪の力関係を脅かす存在になるという理由で野放しにしておけない

 わ」

 霊夢から猫への討伐宣告が告げられると、魔理沙は視線を上げ、霊夢を見た。

「待て、霊夢。わかった。私がしようとしていたことを話す。だから」

 猫を倒すことだけは待ってくれ、と魔理沙は叫んだ。最後の方の言葉は悔しさゆえか掠れていた。

 しばらく無言で猫を見つめていた霊夢だったが、やがて魔理沙に視線を移す。

「わかった。それならその話次第で猫と魔理沙の処遇を考えることにする」

 そう云うと、霊夢は猫に背を向け、魔理沙へと向き直った。

 そのときだった。

 霊夢の後ろに黒い影が現れたかと思うと、服を引き裂く音が響き渡った。

 霊夢の目が大きく見開かれる。

「どうした霊夢!」

 そのまま力を失って前へと折り崩れてくるのを、魔理沙は慌てて立ち上がりながら支えると、その手にはべったりと血糊がついていた。魔理沙は自分の手の震えが全身に行渡ってしまうのを懸命に押さえつけながら、霊夢の後ろを見る。

 そこには、爪を真っ赤に染めた猫の姿があった。

「…なあ。…怖かった、だけだよな?それならもう大丈夫だぜ?ちょっとやりすぎだっ

 たけど、お前の嫌いな怖い怖い巫女さんは、この通り眠ってる。

 …だから、もう大丈夫」

 口先が震えるのも抑えながら、魔理沙は霊夢をゆっくりと地面に置くと、猫に向かって手を伸ばした。

 しかし猫はその魔理沙に向かって、歪に口を緩める。そして伸ばした手を避けると、その大きな体で体当たりをしてきた。

「…く、あっ」

 がくん、と体が崩れると大きく吹っ飛ばされ、地面に引きずられるように転がった。

 魔理沙は嘔吐しそうになるのを耐えながら体勢を立て直すべく、箒を杖の代わりにして起き上がろうとしたが、続けざま、猫は異様な跳躍をもって飛び掛ると、魔理沙を再び地面へと引きずり倒した。

 そして、霊夢の血で染まった爪が魔理沙の頭上へと振り下ろされた。魔理沙の、涙目を浮かべていた瞳がぐっと閉じられる。

 しかし、猫の爪は一向に魔理沙を引き裂くことがなかった。魔理沙が目を開くと、そこには何かに束縛されているかのように奇妙な格好で静止している猫の姿があった。

 魔理沙の瞳に幾ばくかの光が戻る。

「霊夢!」

 魔理沙がその方向を向くと、霊夢が体をよろめかせながらも、お払い棒を上に掲げている姿があった。

「…何をぼやっとしてるの!早いとこそいつを倒して!」

 すでに頭のリボンも、お気に入りの服もぼろぼろにしながら、それでも気丈に魔理沙に向かって霊夢は叫んだ。

 その怒号に押されるまま、魔理沙は懐に手を入れ、八卦炉を取り出すし、猫へと構える。

 そして、燃料を注げばそれですべてが終わった。

 しかし、燃料を手に持ったまま魔理沙の手が動かない。

 確かにここに燃料を入れてしまえばすべてが終わる。

 そう、魔理沙がこれまで猫と一緒にいたことも、意味も、なにもかもすべてが。

「霊夢…すまない。やっぱり…私にはできない」

 そう云うと魔理沙は八卦炉を下ろし、力なくうなだれた。

 その間にも猫の手が徐々にであるが、動き出してきた。術そのものが簡易的だったためである。それは今の霊夢の状態では自分の意識を持ち続けるのに精一杯で、とてもではないが、大きな術を行使するだけの集中力に回すことができなかったからだ。

 それゆえに、悔しいことだが、自分ではどうすることもできない。まだ可能性の残っている魔理沙に全てを賭けるしかなかった。

 だから、魔理沙の今の姿は霊夢を烈火の如く憤激させた。

 その憤激が霊夢に『思慮』というものを奪い去る。

「あー、もう!馬鹿魔理沙!

 大方、あんたがやってたのは、この猫にわざと寄生させてある程度使えそうに成長し

 たら、自分に取り入らせてるためかなにかだったんでしょ?」

 …違う。

 霊夢の叫びに対して、魔理沙はうなだれたまま首を振った。頭上では猫の爪が小刻みに震え出してきた。押さえつけている霊夢の顔が苦痛で歪む。しかし、一つ、息を大きく飲み込むと続けて怒号を散らす。

「例え目的がそうじゃなくても、普通なら大人しいはずの妖怪をこんな化け物にしちゃ

 って…。なんの実験か知らないけど、こんなのあきらかに大失敗だわよ!」

 失敗、という単語が聞こえると、魔理沙の体がびくりと動いた。

 

 ああ、そうか。私のしていたことはすべて間違いだったのかな?

 それだったら、こいつにはとんでもないことをしちまったな。

 

 霊夢の叱咤を受け、魔理沙は燃料を注いだ。

 炉の中が激しく胎動を繰り返し大きく光を放つ。

 それから再び八卦炉を猫へと構えた。

 そのとき、猫の金目銀目が魔理沙の目の中に入ってきた。

 

 目を、逸らしてはいけない。

 これは自分がやってしまった過ちの結果なのだから。

 

 本当に、ごめんな。

 

 そして、八卦炉から怒号が放たれた。みるみるうちに猫の姿が光の中へと包み込まれていく。いつの間にか、霊夢も再び気を失って倒れていた。

 ああ、確か霊夢のやつ、大怪我してたよな。早く手当てしてやらないと。

 魔理沙は周りに張り詰めていた空気が緩まると、自分の気が遠くなりそうなるのを感じながら、ふとそんなことを思っていた。

 

-4ページ-

 

 さて、今までの一連の話が「黒猫事件」として「文々。新聞」にちゃっかりとスクープされていたことを二人が知るのは、この事件のときに受けた傷が癒えて魔理沙と霊夢の双方が普段どおりの生活に戻りだした直後のことだった。

 新聞には、猫に対してマスタースパークを放ったあと、魔理沙もその場で倒れてしまい、たまたまそれを目撃した(本人談)アリスが自分の手に余ると思ったので紅魔館の図書館に担ぎ込んだ、とあり、この事実を知ったときには魔理沙に「今度会ったら、蒐集アイテムを譲ってやろうかな。どうでもいいやつを一個だけ」と言わしめた。

 なお、この事件を受けて記者は「スペルカードという決闘の方法が確立されている昨今で、今回のような事件が起こってしまったことは非常に残念である。確かに妖怪の中には人語を操れない下等妖怪も存在するので、この方法が絶対的であるとは云えないが

、その場合は人間の側が考慮することもできたのではないだろうか。一歩間違えれば単なる動物虐待である(射命丸 文)」と結んでいる。

 

「しかし、この新聞に書かれる内容ってのは、真実を語ると謳ってるわりに毎度毎度随

 分と偏りがあるよな」

 魔理沙は今回の『事件』の記事に対する記者の評を眺めた途端、しかめ面を浮かべると片手に持った新聞を縁側に投げ出し、足をぶらつかせさせながら体を寝転がせた。

「それはしかたがないことじゃない?その新聞って文が書いてるものでしょ。

 だとしたら、無意識に妖怪をひいき目に見ちゃうものじゃない?」

 絶対的な中立者なんて存在はいるわけがないんだから、と傍らに座っている霊夢が新聞を一瞥すると、両手に持った湯呑を啜りながら呟く。

「…それをお前が言うと、なんだか皮肉にしか聞こえないぜ」

 霊夢の言葉に対して魔理沙は苦笑を浮かべながら起き上がると、湯呑を手に取った。

 

「なあ、霊夢」

 それからしばらくはお互いが湯呑を啜る音だけが聞こえていたが、ふと思い出したように魔理沙の湯呑を持つ手が止まると、ゆっくりと霊夢の方を振り向いた。

「前にやった写真、まだ持ってたりするか?」

「…持ってるわよ。でも積極的にもらったというより、どちらかといえば押し付けられ

 たものなんだけれどね」

 返答の中に少々の文句を交えながらも霊夢は、魔理沙が写真を所望する理由などは一切聞かず湯呑を縁側に置くと、未だ僅かに違和感を感じる背中をかばうようにして立ち上がる。

 そして居間の中のタンスから小箱を取り出し、一番上にあった写真を手にする。それから縁側へと戻り、魔理沙の視界を遮るように差し出した。

 魔理沙はその写真を受け取ると無言で眺めていたが、やがて霊夢が再び縁側に腰を掛けると、写真から視線を外し、霊夢を見た。

「そういえば。あのとき、私が猫にしようとしてたことを話すといってまだ話してなか

 ったな」

 霊夢は何も言わなかった。ただ、無言で自分の湯呑を置くと空になっていた魔理沙の湯呑に茶を注ぐ。

 

「あいつ…昔の私にそっくりだったんだ」

 

 昔の私。それは魔理沙がまだ実家の霧雨道具店に居た頃の話だ。

 魔理沙の実家は、そこそこ裕福で望めば大抵の物は与えられた。

 彼女自身、それが当たり前のことになっていて、自分で手に入れるなどということは考えもつかなかった。

「だが、私はあるときに一人の魔法使いに会った」

 その魔法使いから魔理沙は、幾多もの魔法と数多のマジックアイテムを見せてもらった。しまいには一緒に来ないかと誘われた。

「才能があるって言われてな。それが嘘か本当だったのかはわからないが、そのときは

 二つ返事で承諾したよ。嬉しくてな」

 しかし、両親には断固反対された。一人娘だった上、生粋の商人であった両親にとって魔法などという得体の知れないものを始めるなど考えられないことだったのだろう。一時は座敷牢に入れられたりもした。

「だが、それでも私の気持ちは変わらなかった」

 

 魔法使いにかけられた魔法は、少女を駕篭の中から解き放ったのだ。

 

「…結局のところ、私はあいつを寄生っていう生き方から解き放ちたかった。

 私は…あの猫の魔法使いになりたかったんだ」

 話をしている間に、いつのまにか湯呑の中の茶がすっかりと冷めてしまっていた。魔理沙は小さくその湯呑に力をこめると口元へと運び、先ほどの独白の渇きを潤すように一気に飲み干した。

「けれど、その魔法使いになるための道のりは、魔理沙にはまだまだ程遠かったみたい

 ね」

 それまで口を噤み、魔理沙の話しを聞き入っていた霊夢が口を開く。

「それでも、最後に魔理沙を襲ったでしょ?寄生する側ってのは、絶対に宿主を襲わないものなのよ。宿主が倒

 れてしまえば、自分も共倒れになるからね」

「…慰めなんて、いうなよ。それは単にぼろぼろになった私を捨てて、霊夢を新たな宿

 主にしょうとしていただけかもしれないじゃあないか」

 霊夢の言葉を、同情みたいに感じた魔理沙は、語気を強めて霊夢に反論する。

 しかし霊夢は小さく首を振った。

「あら、本当にそう思う?あれだけ私を嫌がっていた奴よ?仮にそうだったとしても、

 一時的に自分の身が危うい、これはどうにかしなければいけない、と考えたのよ?

 寄生を生活の手段としている奴としては、これってすごいことなんじゃないかし

 ら?」

 これが私にとっての真実よ、と霊夢が続けると、魔理沙は何も言えなくなってしまった。

「で、その写真、どうするつもり?」

 もし用がなければこちらで処分するけれど、と霊夢が写真を指差し、魔理沙に尋ねる。

「いや、こいつは私が預かることにしたい」

「うわ。もしかして、思い出の品にでもするつもり?」

「まさか。こいつは私が嵌められたことを終生忘れないようにするための品にするだけ

 だぜ」

「ふーん。だったらそれは魔理沙にとっての顰像になるっていうわけね」

 そういうと霊夢は左足を右の膝へと掛け、左の膝の内側に左の肘を立てて頬杖をつくと、魔理沙の方に向かってしかめ面を向ける。

「…それはちょっと違うな。私はあんな情けない面はしてないぜ。だって、ほら見ろ

 よ」

 言いながら魔理沙は、同じしかめ面を霊夢へと返すと、強調するかのように写真をひらひらと揺する。

 そして口を緩めて笑うと、その顔と写真を並べながらこう云った。

「笑ってるじゃあないか」

 そこには、いつもの小憎らしい顔をした少女がいた。

説明
ある寒空の中、魔理沙は一匹の猫を見つける。
そしてそれが妖怪だと知りつつも何故か共に居続ける。その理由とは…?
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