日野ルノーの風景スケッチ
説明
まあ、50年代って感じになかなかならんわな。
ルノー4CVを日野自動車がノックダウンして国内で販売してた事を知ってた人が何人いるかな。

日野自動車は東京瓦斯電工業の自動車部を改組、戦時統制によりダット、石川自動車とともに三社合併した自動車工業(後、ヂーゼル自動車)から再度分離する形で発足した。特殊用途の大型車、たとえばチハなどの専任製造工場とするという陸軍の目算があったため。そのため、もともとディーゼルを用いた大型車両専門メーカーという色彩が強く、戦後もそのままトラック専用メーカーとして再出発した。

ところが、1953年(昭和28年)にフランスのルノー公団(当時は半国営)との提携に成功、同社の主力小型乗用車、ルノー4CV(PA型)のライセンス生産を開始した。

当初、部品組み立てのみのノックダウンが行われたが国産化率を徐々に上げ、最終的には全国産となった。また、国内の道路事情に合わせてサスやエンジンなどの改修も独自に実施し、小型で取り回しがよいことから人気となり、「亀の子ルノー」の名前で親しまれた。

ルノー4CV自体がフランス本国でも成功車種で、はじめてミリオンセラーを記録した車だったが、日野での生産はオリジナルのそれが1961年に終了した後、1963年まで続けられた。
タクシーでも結構使われましたの。
ちなみにオリジナルの4CVがデビューしたのは終戦翌年の1946年のパリサロン。まだフランス国内に戦塵の名残が色濃い頃で、試作車に塗る塗料にも事欠いた時代の事、ドイツ軍が退却の際遺して行ったサンドゲルブ(ダークイエロー)を塗布しての登場となった。そのため、鼻白んだフランス人たちには「バターの塊」というあだ名を投げつけられたという。ただ、このサンドカラ―の4CVはその後スタンダード色のひとつになって普通に売られたという。
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