道連
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 遺跡の方に怪物が出るという噂を聞いたおかげで、いてもたってもいられなくなってしまった。

 人気のない場所につきものの怪談話の類ではないらしく、実際にかなりの人間が遺跡に赴いたまま、帰ってきていないそうだった。そう教えてもらうと、好奇心はますます募ってきたが、同時に無気味な、万一にも私も帰れぬことになるといやだという気持ちも昂ぶってきた。そこでだれかに同行を頼もうと思いついたのだが、生憎誘いに乗ってくれるものはだれひとりとしていなかった。もしかすると、いざとなったら道連れを犠牲にして、私だけで逃げてやろうという魂胆を読まれてしまったのかもしれなかった。

昼のうちに方々を頼みこんで歩いたのだが、色よい返事はもらえなかった。すると、一層に見に行きたいという気持ちと、恐ろしい気持ちが増してきてぶつかり合うのだった。万策尽き果ててしかたなくいないさんに同道をお願いした頃には日が傾きはじめていた。

 急がないと帰りは真夜中になってしまうかもしれない。そう思うと自然足取りは早くなったが、いないさんは遅れることもなく、寄り添うようにしてついてきてくれた。

 遺跡へと続く山道を二人で歩いた。舗装はされているが、砂埃がうず高く積もり、なかば白くなったアスファルトはそこかしこに凸凹ができている。左手の方は谷へと続き、反対側は山の急な斜面となった隘路で、右を見れば落石防止用のネットが山肌を覆ってはいるものの、ところどころで落盤の痕跡があり、土砂が溜まってだらりと垂れ下がるネットは、なにかの蛹に見えてしかたなかった。その蛹の羽化したあとには大きな岩が転がっており、苦労して迂回しながら先を急いだ。

 町中ほど間隔がすぼめられていないが、道路わきには電線がたるまない程度に距離をおいて電柱が立てられており、灯りが備えつけられていた。背後の山間に太陽が姿を隠し、あたりが墨溜りのような闇に覆われたかと思うと、やや遅れて一斉に白色灯がともって点々と山道を照らしはじめた時には、冷水を浴びせかけられたかのように背筋がこわばり、あやうく回れ右をして来た道を引き返しそうになった。だが、傍らにいないさんがいてくれたおかげで、その衝動はすんでのところで抑えられた。

 左手の川の底は川になっている。川幅はさほどでもないが、流れは急らしく、日が暮れるとやけにはっきりとその音が聞こえてくる。時折、それに合わせるかのように、「ぐえー、ぐえー」というなにかの鳴き声が被さってきた。蛙だと思うが、それにしてはめりはりのない、まるで鳥が絞められた時にたてる断末魔のようだった。

「ぐえー」

 突如、鳴き声が隣から響いてきた時には、びっくりして立ち竦んでしまった。あわてて周囲を確認してみると、いないさんが口真似しているらしいことに思い至った。種が割れた後でも、なにが楽しいのかいないさんはしきりにくり返すのだった。気味がわるいからやめてもらいたかったが、意気地がないと思われるのも業腹で、なにかよい理由はないものかと考えあぐねていると、鳴き声はどんどん寸詰まりになり、しまいには「ゲッゲッゲッゲッゲッ」と引きつけを起こしているようになった。

 ずっとこんな口真似を聞かされていてはたまらない。とにかくいないさんの口を閉ざさせようと、話題を振ることにした。けれども、いざ話しかけるとなると、適した話題も浮かんでこなかった。いないさんが遺跡について詳しいということは聞き知っていたが、私の頭は勢い怪物のことに向かいそうになった。ありそうにもない話だが、万一いないさんがそのことをご存知なく、恐怖に駆られて帰るなどということになれば、私に止める手立てはない。そんな羽目に陥れば、この暗い山道にぐるりを蛙の鳴き声に取り囲まれて一人残されることになってしまう。話題は慎重に選ばないといけなかった。

 けれども考えている最中にも、蛙といないさんの合唱はとどまるところを知らなかった。まるで鋭い刺をもった風船が、耳の奥で膨張と収縮をくり返し、鼓膜を触れるか触れないかで刺激するようだった。

 その時、蛙の声にまじって別の声が聞こえてきた。

「うわっ」

「うわっ!」

「うわっ!」

「うわっ!」

 鯖だった。いつからまぎれたものか、いないさんとは反対の私の片側で、鯖がこちらを見上げていた。独特の鳴き声に驚いた私が声をあげ、それにつられて鯖も一回り音量を大きくする。最後の声はもうどちらがあげたものだかわからなかった。

 そんな私達の姿を見て一段落ついたものか、ようやくいないさんも蛙の口真似をよしてくれた。

「うわっ、うわっ、うわっ、うわっ……」

 かわりに今度は鯖のまねをはじめたのには閉口したが。

「うわっ」の合間にいないさんが説明してくれたことによれば、鯖はこの近くを住処にしており、遺跡にもよく出向いている。その鯖を目にしたからには、いよいよ目的地も近づいてきたとのことだった。

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 いわれてみればアスファルトの荒れは一層目につき、落石も増して、まっすぐ歩くことさえ難しくなってきた。

 するうち勾配もきつくなってきた。あきらかに天然の傾斜ではなく、コンクリートでこしらえられた人の手の加えられたスロープだった。やや視線を前にやると、スロープはすぐに途切れ、巨大な白い壁が立ちはだかっていた。壁は見えない対岸に向けて、谷を渡しているようだった。迂回はできそうになかったが、幸い壁面に階段がつけられていた。

 意を決して歩を進めはじめると、間もなく背筋を凍らせる冷たい風が立ちのぼってきた。来た道から吹いてきたのではなく、垂直に足もとからわき上がってくる。里から伝わるはずの人のにおいがまるで欠けていたからそれと知れた。階段をのぼる私といないさんのひたひたという足音が、寒さをいや増していた。後から続く鯖のぺたぺたというものも、やはり等しく冷気をともなっていた。

 吹き上げてくるにもかかわらず、後押しをされるどころか、足首を濡れそぼった手でつかまれているような感覚にも襲われながら、私達は重い足取りをどうにか引き上げつつ階段をのぼった。壁の反対側はすぐ夜気で充たされていた。目を凝らせば、町の明かりが点々と、深海の夜光虫のようにゆらゆらゆらめいて見えた。私の家も探せるだろうかと、好奇心がかまをもたげてきたが、なにしろ手すりもなく、少しでも身を乗り出せば、まっさかさまに落っこちてしまうように思えて、あわてて体をひっこめた。

 それからは壁に寄りかかって足を運んだ。芯がどこにあるか知れない、しんしんとした冷たさを運ぶ壁は、ある時は私の右側で、またある時は左側になった。どうやら階段が列車のスイッチバックのようにジグザグに造られているらしかったが、その折り目になるはずの場所の構造がどうにもわからなかった。意識しようと思っても、階段が交差するはずの場所に到達すると、ふと記憶が途切れて気がついた時には、既にそれまでとは逆に体をあずけていた。振り返って確認しようとしても、すぐ後ろに鯖がひかえていたし、すれ違えるほどの幅はなかった。ならば前方と思った、こちらはいないさんがふさいでしまっていた。

 気味が悪くてしかたがない。だいいち、きちんと壁の方向に体をあずける仕方を変えているうちはいいが、少しでもきっかけがずれれば、自分でも知らぬうちに空中へ身を投げ出すことになってしまう。

「ねえ、いないさん、この階段はおかしいと思いませんか」

「うわっ」

 声は鯖ではなく前からした。

「ちょっとこの先がどうなっているか、調べてきてもらえませんか」

「うわっ」

「いえ、ぼくが行ってきてもいいんですが、列を入れ替えられないでしょう」

「うわっ」

「わかりました。ぼくが見てきますから、少し身を壁に密着してもらえますか」

「うわっ」

 返事は一律で、道を譲るつもりもないらしかった。私は右の頬に壁を感じながら、すっかり困じ果ててしまった。

「げっげっげっ」

 なにを思ったものか、私が会話の接ぎ穂を失った途端、いないさんがまた蛙の鳴き真似をした。意図は飲み込めないが、からかわれているとわかるやいなや、左の頬が冷たくなった。今度は壁が左側にきていた。

 それ以上は口を出しても無駄と知り、考えないようにして足だけを前に動かした。長い階段をのぼり終え、私達はやけに広々とした場所に出た。そこはダムの上だった。川上にダムを建設した際、水の底に沈んだ町があり、乾期のうちでも特に雨量の少ない年には、ひょっこりとかつての建物が顔をのぞかせることがあって、それを遺跡と呼んでいた。

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 ダム上は山道よりもはるかに多くの電灯がともされていた。雨風にさらされ、ところどころで塗装の剥がれ落ちている鉄柱が、五メートルと間を空けずに林立していた。にもかかわらず、コンクリートの足もとは薄暗く、影もささない有様だった。柱の先端につけられたライトは、みんなダムの内側に向いていたためだ。

 日の傾きかけた誰彼時から、鶏声の聞こえはじめる日の出の頃まで、普段は一心に水面を照らしているということだった。

「いったい、どこまで続くんでしょう」

 遺跡はずいぶんと広く、宵闇が視界を妨げているせいでもあったが、迫り出してきている山の端に隠れて全貌がつかみにくかった。

 いないさんの説明によれば、町まるまる一つがダムの底に沈んだとのことだった。

 ずいぶんとしっかりした環境整備が行われていたらしく、沈んでいた建物の多くは、長い期間水につかっていたにもかかわらず、原形を留めていた。過去の町並みも保たれ、一面を覆う泥さえなければ、現在でも立派に機能していそうだった。

 それにしても、この広さは一つの驚異だった。どこから手をつけていいやら、皆目見当もつかなかった。

「そもそもどこから遺跡に降りればいいものやら」

 ところが私がそうつぶやくが早いか、思いのほか鋭い声が飛んできた。

「うわっ」

 見れば、やけに鯖が背をそらして、ふんぞりかえっている。そうして、やにわに胸を一つたたくと、自分から歩きはじめた。呆気にとられて、ぼんやりとその行動を目で追っていると、しきりにこちらをふりかえってきた。どうやらついてこいといいたいようなので、私といないさんは先導に従うことにした。

 これまで見えなかった対岸の山際とダムが接するあたりにまで鯖はやってくると、案外身軽に手すりを乗り越えて、しばらく近くの藪をごそごそやっていた。

うわっ」

 そう声をあげると、身をそらして発見物を示してきた。そこには人が一人やっと通れるくらいの獣道が、ぽっかり暗い口を開いていた。

遺跡に通じる道はここしかないらしく、いないさんなどは既に鯖の脇に立っていた。ここまで来て私だけ帰るわけにもいかない。だいいち、あの階段や山道をたった一人で戻るのはごめんだった。しかたなく、私も二人にならった。

 もろい足場のうえにくねる獣道で慎重に歩を進めた。周囲を背丈よりも遥かに高い藪に囲まれ、星明かりさえろくに射し込まなかった。なにしろ細い道だ。自分の足さえ確認できないものだから、何度となく道を踏み外しかけ、土砂を崩れ落として胆を冷やした。こうなれば恥も外聞もなく、先ほどの階段と同じように、山肌に体をあずけて進もうかとも思ったのだが、藪が邪魔で手を差し出してみてもいっこうに土に触れる気配がなかった。本当にこの先に斜面があるのかと疑問が頭をよぎり、それ以上は腕を伸ばす勇気を持てなかった。

 一度疑いが生じるといけなかった。左も右も、どちらにせも奈落へ一直線としか思えず、綱渡りをしているかのような考えに駆られた。おまけになだらかな下りが続き、道はくねって直進できる個所は少ない。おまけに道案内は鯖だけが頼りだった。

 いよいよ厚くなってきた闇は、皮膚を隔ててすぐにまで迫り、もはや藪すら視界から消え失せていた。私は濃い墨汁の中をかきわけかきわけ進んでいるみたいだった。ただ、金属に似た光沢のある鯖の背中ばかりが、奇妙に輝いて、唯一の道しるべとなっていた。

 私は遮二無二鯖のピンクの髪を追いかけた。しかし、不思議なことに、いくら急いで大股で歩こうとも、歩幅のずっとせまいはずの鯖に追いすがることすらできなくなってきた。

 鯖と私の間隔は常に一定で、勾配が急に変化して、つい足取りがもつれた時などは、立ち止まってこちらの様子をうかがってさえいた。

 まるで鯖に操られているようだと、思いかけたのと時を同じくして、別の想像が頭をよぎった。

 私は当然のように従っていたが、はたして鯖の案内がどれほどあてになるのだろう。この道だって、本当に遺跡に通じているか知れたもんじゃない。その時、稲妻のようにひらめくものがあった。

 もしかすると、この鯖こそが、遺跡に住むという怪物なのではないか。いかにも無害そうな普通の鯖を装い、遺跡見物にやってきた人々を、どことも知れぬ場所に誘い出しているのではないか。

 振り返ってみれば、ダムの白色灯すら届かない場所に自分が立っていることがわかった。半歩後ろですら見通しはきかない。たどってきたはずの道がどこにあるのか、それどころか本当にそんなものがあったのかすら疑わしくなってきた。

 視線をはずして立ちつくしていたのは、時間にすればわずかなものだった。それでも、鯖もまた振り返って、じっと私の方を見据えていた。二つの瞳が、闇の中でやけに輝いていた。その光にあてられて、私は思わず後ずさりしそうになった。わずかでも踏み外せば、転落の危険性のある獣道を。

 それを支えてくれたのは、不意にかけられた囁きだった。

「大丈夫ですよ」

 思いがけず耳もとで囁かれたその励ましの言葉は、しかし、かえって私の混乱を深めることになった。

 なにしろ、私の道連れは鯖のほかはいないはずだった。

 

説明
『冥途』のうちの1編です。ふたば学園祭7にて刊行する増補版に収録している同題作品とは別内容です。
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