明日に向かって撃て! 【苦難の道〜明日に向かって撃て!〜】
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【苦難の道〜明日に向かって撃て!〜】

 

 

 踏切を渡り、線路沿いに少し歩いた所にある喫茶店『茶論』に来ている。シャーロッ

クは家で留守番だ。この店は犬連れでは入れない。最近はここをよく利用している。就

職情報誌が置かれているので、それが目当てである。というか、喫茶“憩い”には行き

づらいからである。

 俺は心に決めたことがある。

 今度緑ちゃんと会う時には、自信を持ってプロポーズをするのだ。それにはやはり安

定した収入を得ることだろう。

 その気になればどんな仕事でも出来るのであろうが、やはり得手不得手はある。接客

業の求人が多い。そのほかには資格を要する薬剤師とか肉体労働の運搬業とか。

 

 喫茶店『茶論』でいつものように遅い朝食を取りながら雑誌をぺらぺらとめくってい

ると、奥にある座席から女の甘ったるい声が聞こえてきた。

 顔をあげて見ると、そのボックス席にいる男女、男が女の肩を抱き寄せて、女のセー

ターの裾からもう一方の手を滑り込ませているではないか。セーターの中の手の動きが、

その本来のふくらみの変化と共に見て取れた。

 俺は見てはいけないものを見た恥ずかしさで頭に血がのぼり、股間部が熱を帯びてく

るのを感じながら再び雑誌に視線を落とした。目は活字を追っているが、読んでいるわ

けではない。

 ウェートレスが水を注ぎに来たので、股間部をそっと雑誌で隠した。

 

 帰り支度をしてレジに向かう男の顔を見た。見覚えのある顔だ。地元では有名な会社

の御曹司である。

 ウェートレスは男に視線を走らせ、小声で耳打ちしてきた。

「あの人ね、女の人をとっかえひっかえして連れて来ては、やらしいことして帰るんよ」

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 最近は、便利屋のような仕事も引き受けている。

 年配者の独居家庭が増えており、力仕事を期待されていることが多いのだ。家具の移

動や不用品のゴミ出しなどである。また、電灯のかさの掃除や換気扇の掃除など。つい

でに話し相手ともなる。もしかしたら話し相手をすることが、最重要な仕事になってい

るのかもしれない。

 

 ご婦人は一度話し出すともう止まらない。お茶を入れ、お茶受けまで用意している。

ま、いろんな情報が自然と入って来るので重宝することもあるのだが。近所の出来事、

夫婦喧嘩の原因までよく知っていることに舌を巻くほどである。それを初対面の俺にま

で喋るのだ。

 

 製紙会社の社長の道楽息子、井川元孝の話題が出た。喫茶店『茶論』で見た奴だ。

「あの子な、子供の頃からの悪でな。何やっても親がかばうさかいに世間をあもう見て

るんや。最近は女の子をあさってるんやて」

と言って、他には誰もいない部屋であるにもかかわらず声を落として続ける。

「ここだけの話やけどな、誰にもゆうたらあかんで。若い子妊娠さして親がお金で片付

けたって」

 そして地声に戻って同意を求めてきた。

「どうしようもないやっちゃな」

 

 

 仕事で遅くなり、暗くなってから散歩に出ることが多くなった。

 駅近くにある公園の近くまで来たところで、シャーロックが急に走りだそうとした。

何かの臭いをかぎ取ったようである。空中に鼻をヒクつかせている。

 公園に入っていくと、裸の桜の木の下に人の影があるのを認めた。

 シャーロックはそちらへ向かおうとしている。

 もしかして、緑ちゃん?

 そしてもうひとつの影は男、であるらしい。

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「いや! やめて!」

 

 そぅーっと近づこうとしていたのだが、緑ちゃんの緊迫した声が聞こえ、走った。

 男は緑ちゃんを抱きしめて顔を近づけていた。手を突っ張って男を引き離そうとして

いるが、緑ちゃんの力ではどうにもならないらしい。

 男は緑ちゃんの腕を封じ、「な、ええやろ」と言いながら尻に手を持っていこうとし

ている。

 俺はふたりの肩に手をかけ、引き離すためにすかさず間に入った。男を押しやって顔

を見ると、かの道楽息子である。

 

「なにすんねん! 俺の楽しみに水差すんはどこのどいつじゃ」

「この子の、緑ちゃんの・・婚約者じゃ。俺の・・女に手ェ出すな!」

「へっ、お前か。へっぽこ探偵ちゅうんは。ビンボたれがいっちょ前に婚約者やと? 

緑がかわいそうやないケ」

 

 ビンボたれ、という言葉がずっしりと重くのしかかってきて気力をそがれそうになっ

たが、今は緑ちゃんを守り通さなければならない。

「ああ、貧乏で悪かったな! そやけど心は豊かや思ってる」

「フン、心で生活できるんか、肝心なんはぜぜ(銭)やろが。そこのいてんか、緑を幸

せにできるんはワシや。腐るほどの銭があるんや」

「この女ったらしが! 何人の女に手ェ出してるんや」

 

 うるさいわ! という声とともにストレートが繰り出され、俺はそれを右腕で受け止

めると左アッパーをかました。

 緑ちゃんの、やめて! という声が聞こえたが、そこまでだった。

 腰をスッと落とした元孝にボディーブローを決められて、ウッと息が詰まり腰を折っ

て倒れてしまったのだ。

 井川元孝はペッと唾を飛ばして、去っていったようである。

 

 コナンさん! 

 緑ちゃんは腹を押さえる俺の上体を抱き起してくれた。顔をのぞき込み、腹をさすっ

てくれようとする。シャーロックは前足を俺の肩にかけて顔を舐めてきた。

 ああァパンチが良く効いている。

「だ、大丈夫や、腹筋鍛えてるさかい。フゥ―、あいつボクシングやってたんかいな。

無様なとこ見せてしもて、すまん」

 

 緑ちゃんは俺の左腕を持ち上げて肩を差し入れてくるのだが、そのままでは俺の体重

を支えて立ち上がれるはずもない。それとなく右手を地面について弾みをつけて立ち上

がると、服に付いた土を払ってくれた。

 そんな緑ちゃんを目で追いながら、なんであんな奴と一緒にいたのかを聞きたかった

のだが、聞けなかった。

 

 

「最近コナンさん店に((来|こ))えへんから・・そうしたらあいつが頻繁に来るようになって、

食事に誘われたんよ。断わってたんやけど、何回も何回も・・・そやから根負けして一

回だけやで、ゆうて・・コナンさんごめんね、ありがとう」

 俺は腹をさすりながら黙って聞いていた。緑ちゃんは家まで送ると言い張り、家に着

くまで同じ事を言い続けていた。

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 朝の身づくろいを終えると鏡の前に立ち、渋面を作っていろいろな角度で顔を映す。

「ウン、まるでジェームスボンド、だ」と低音でひとりごちる。

 事務所の棚の引出しからコルトガバメントM1911を模したスプリングエアBBガ

ンを取り出し、人差し指でぐるぐると回し、引き金に指をかけて銃口をフッと吹くポー

ズ。

 左腕を掲げて狙いを定めるポーズ。

 両手でグリップを支えて膝を床に付き手を伸ばす。

 バン! と声にする。

 

 相変わらず、俺の一日はこうして始まる。

 変わったのは早起きとなり、シャーロックの散歩がてら喫茶“憩い”で毎日朝食をと

るようになったことだ。

 早寝早起き朝御飯、は活力を引き出す秘訣である。何よりさわやかな空気と緑ちゃん

の笑顔が気持ちいい。

 

 え? あの晩のこと?

 緑ちゃんに家まで送ってもらって、その夜はずっと付き添ってくれていた。それだけ

である。女と男が夜を共にしたからといって、変な勘繰りはしないでもらおう。

 家に帰り着くと俺はベッドに横たわり、緑ちゃんがそばに椅子を寄せて坐っていたが、

いつのまにかぐっすり寝込んでいたので俺のベッドに抱き上げて運び、俺は事務所のソ

ファに横になって夜を過ごしたのである。

 緑ちゃんはショッキングな出来事を経験して、帰り道ではずっと喋り続けていたので

アドレナリンが出尽くし、またかなりの気疲れも加わったのだろうと思う。

 

 

 喫茶店の入口にポスターを張らせてもらっている。

 

       便 利 屋  (元小南探偵事務所)

 

      生活のお手伝い、力仕事はお任せ下さい

      人探し、ペット探しもいたします

 

                電話:072−○○○−○○○○

 

 

 仕事が軌道に乗りだしたら、たら、たら、だがその時こそ・・緑ちゃんにプロポーズ

するのだ。

 

「コナンさん、そんなにゆっくりしてて大丈夫なん? お客さん待たしたらアカンやろ」

 雑誌に顔を向けて視線は緑ちゃんを追っている俺に、こうして尻を叩きつけてくる緑

ちゃん。

 

 俺の将来は・・・あアあぁぁ。                 

 

 

                   終わり

説明
探偵小南の活躍、かなぁ。最終弾。
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