たんていもどき |
たんていもどき
いったいなんたって朝からこんなにも暑いのかしら、全くいらいらする。
夏の暑さも盛んになってきたある七月の朝、和田草子は苛々していた。
朝食を取りながら寝ぼけ眼で見ていた天気予報では、爽やかな薄いブルーのワイシャツを着た天気予報士の男性が今日の最高気温三十℃とかなんとか言っていた気がする。
今日はいいプール日和になりそうだと考えながら、自室の窓を開け昨夜干しておいたスクール水着を回収しようと身を乗り出した、が。
「え? ウソでしょ?」
なんということだろうか、ピンク色の小物干しには黄色いメッシュの水泳帽と安物のこれまたピンク色のゴーグルがアンバランスにぶら下がっているだけで、中学で指定されているあの地味ということこの上ない紺色のスクール水着はどこにもなかった。
慌てて草子は裸足でベランダに出て、洗いたては水を吸って重かった水着がその辺に落ちたんじゃないかと見てみたが、ベランダには水着の落ちた形跡もなく、せいぜい鳥の糞くらいしか見当たらない。
手すりから身を乗り出し、下に落ちたのかと見てみたがやはり見当たらない。
親に聞いても庭を探してみてもスクール水着はどこにもない。
散々探して再び自室に戻ると、時計はすでに八時を回っている。折角早起きしたというのに、このままでは遅刻してしまう。いや、そういう問題ではない、水着がなければプールに入れないし、水泳の授業はまだ始まったばかりなのだ。
「ま、まさかこれって……下着ドロならぬ水着ドロ?」
「どうしたんだ、草子くん」
「きゃあ!」
突然声をかけられて草子は飛び上がった。
ベランダを見ると、もう夏服は解禁されているはずなのにびっちりと学ランを着こんでいる少年がひとり、不法侵入していた。
「ちょっとモドキ! またアンタ勝手に窓から入って……普通に玄関から来なさいよ!」
「モドキと呼ぶのはやめたまえ、僕の名前は元基だ。それと勝手に入ったんじゃないよ、一応声をかけたのだけれどもね、返事がなかったから紳士的に静かに入ってきたんだよ」
「どこが紳士的よ、それを不法侵入って言うんだけど!」
「人聞きの悪い、相変わらず口の悪さはなおらないんだな、草子くんは」
そう言いながら元基と呼ばれた少年は、帰るどころかそのまま草子の学習机の備え付けの椅子にどっかりと座った。
怒る気にもなれなくて、草子はこの困った隣人で幼馴染・立井元基を心底迷惑そうに見てやると、元基はにこりと笑った。
「で、どうしたのかな草子くん。見たところとてもお困りのようだけど」
「はぁ……どうせ無理に追い出そうとしても出て行きそうにないし、折角だからアンタに頼もうかな……」
「そうこなくてはね、草子くんのそういうところ僕はとても好ましく思っているよ」
草子は深くため息をひとつついて、もう一度元基を見た。
黙っていれば顔は悪くないし身長も高いのでモテるはずなのだが、残念ながらどうしようもなく変人で、クラスで友人もまともにいない、けれども頭は抜群に切れる、元基はいわゆる推理力というものが人並み外れていい人間だ。
ただし推理力はあっても人の心を推し量る力は人並み以下なため、学校では皮肉と称賛の意を込めて『探偵もどきの立井』というあだ名である意味有名になっている。
そんな探偵もどきの幼馴染をやっているせいで、何かと厄介事に巻き込まれがちな草子だが、やはり推理力だけは確かな彼なので、いざという時は頼らざるを得ないのだ。
このまま水着を二度買うはめになるのは草子だってごめんだし、何より水着が盗まれっぱなしなど気持ちのいいものではない、そう思い草子はスクール水着盗難事件のいきさつを元基にちょっとだけ恥じらいながら話した。
「……というわけで私の水着は盗まれたのよ」
「なるほど……」
「どう? わかりそう?」
「はは、僕を誰だと思っているんだ草子くん。家も隣、生まれてこの方君と半径100mの距離を離れず共に育ってきた僕が、君の水着ひとつ探し出せないわけがないじゃないか。まあまあ期待してくれたまえよ、君の素敵な水着の行方はこの立井元基がもう見つけている。」
「うそ!? もう見つけたとか早すぎじゃない?」
びっくりして草子は開いた口がふさがらなかった。
しかし元基はそんなくだらない嘘をつくほど他人の心理を読み取れる男ではない、ということは本当に解ったのだ。
まったく、こういう時だけはブラウン管やスクリーンに映るどんな俳優よりもかっこいいのだから困った男で、草子は少しだけ元基のことを見直した。
「……で、結局水着ドロの犯人は誰なの?」
「おっと草子くん、まず初めにいくつか訂正させてくれないか」
「?」
「まずそもそもこれは盗難事件じゃない」
「じゃあ盗まれていないってこと?」
「そうだ。そして次にこの水着はほら、僕が持っている」
「え! どこに落ちてたの!?」
「いや、落ちてなんかいなかったさ」
「どういうこと? というかなんで私の水着こんなにきれいな包装用紙でつつまれてんの……?」
「なんてことはない、うっかりそのまま借りてしまったからね、せめて返却する時くらいは綺麗に包んで返そうと思ったんだよ、僕は」
“僕は”、その言葉に草子は戦慄した。
「ええと、何だろう。私の頭がおかしいのかなあ、今アンタ何て言った?」
「おや、聞こえにくかったかな。この水着、僕が借りていたんだ。昨日の夜、君が洗った水着をベランダに干しに来た。僕はそれを借りたくて声をかけた。しかしその時にはもうすでに草子くんはすやすや夢の中。そこで、止むを得ず僕はそのまま水着をお借りしたんだ。」
草子は激しいめまいに襲われ、目の前が真っ暗になった。
「いやあ、袋にでも入れてもらえばよかったんだが、僕としたことがそのままそっくり借りてしまったから、このまま返すには草子くんに失礼だと思って、それで文具屋で包装紙を買って、包んで、はい、ありがとうございました、そして今こうして持ち主の草子くんの元へ返却されたのだった、Q.E……」
残念ながら、『D』まで元基は言い切ることができなかった。
なぜなら草子の華麗な右フックが彼の左顎を見事にとらえていたからだ。
「マジで、ほんっとマジで信じられない! アンタ変人どころじゃないわ、変態よ! おめでとう、モドキは変態に進化した! そしてさようならモドキ、永遠に」
「ひょっとまっひゃ、そーこくん! 誤解だよ!」
「何をどう解釈したらこの騒動を誤解するのよ、三〇字以内で説明しなさいよ」
「いいか、僕は以前から女子のスクール水着の構造がずっと気になっていたんだ、そしてその己の好奇心を満たすため、僕は君の水着を借りた、そして好奇心は満たされた。よって、僕を変人ないし変態と称するのはやめてほしい」
「いや、その思考が変態だから。ていうか三〇字余裕で超えてるから」
「草子くんのわからず屋! 僕はスクール水着なら誰のでも良いわけじゃないんだ、君のスクール水着だからお借りしたんだ!」
「余計タチが悪いわ!」
再び草子の右フックが元基の左顎をとらえた瞬間、少し遠くで始業のチャイムが鳴ったのだった。
説明 | ||
学校の1000字創作という1000字で短編小説を書くお題で書いた作品。私が所属する創作サークルの本に載っている「NOT」というなんちゃって探偵小説に出て来る、伊達男・立井元基という探偵の中学生時代のお話。 別段人が死ぬわけでもないし、たいして事件も起こっていないけど探偵が出てきているそういうお話です。 |
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