青い山脈
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          掲   示   板

 

 

 各 位    合 ハ イ へ の お 誘 い

 

   新緑がまぶしい時候となりました。

   新入社員の皆さんは新しい生活に慣れましたか。

   今年も恒例となりました、大阪電子工業(株)とのハイキングを

   次のように企画しています。多くのご参加をお待ちしています。

 

   行き先:六甲山*東お多福山、奥池(ボートあり)

   曜 日:5月16日 日曜日

   集 合:阪急芦屋川駅 9時30分

   コース:ロックガーデン〜東お多福山(昼食)〜奥池(ゲーム・歌

      自由行動)〜バスにて阪急芦屋川駅(17時ごろ解散)

   持ち物:弁当、水筒、雨合羽、汗ふき、はな紙、防寒用上着、軍手

      敷物、保険証、お金、歌集(庶務課にあります)

   服 装:綿の長そでブラウス、スラックス(動きやすいもの)

      帽子、履きなれた運動靴、リュックザック

 

  参加を希望される方は、5月13日までに申し込んでください。

 

 

                        総務部庶務課 川北

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 山口美也子は中学校を卒業すると、大阪市淀川区にある尼北紡績(株)に就職した。 

会社の寮は、阪急神戸線の園田駅にあり、会社の工場がある神崎川駅の隣の駅である。

 両親と小学生の弟ふたりの見送りを受けて、山陰本線鳥取駅で集団就職特別列車に乗

り込んだ日から、もう4年になる。

 

 ゆっくりと走る列車は各駅に停車し、同じようなセーラー服を着た少女たちや黒詰襟

の学生服をまとった少年たちを乗せて行った。

 美也子が坐るボックス席には同じ中学に通っていた友達が占めていたが、会話はない。

駅での別れの風景をぼんやりと眺め、列車が走りだすと目を閉じて背もたれに頭をもた

せ、それぞれの思いにふけっていたのである。

 窓側に座っていた美也子は窓枠に腕を乗せ、その上に顎を乗せて窓の外を眺めていた。

山の間から時々海が望まれた。風はまだ冷たかったがこの風景を、そしてこの地の匂い

を、しっかりと刻みこんでおきたかった。

 

 ポーッ、ポーポー

 蒸気機関車はトンネルに入る前に汽笛を鳴らす。

「窓ぉー閉めろぉ―」

と、誰かがその度に叫んでいた。

 

 ガタン ゴトン ガタン ゴトン

 母に抱かれているような心地よい揺れが眠りを誘い、夢を見ることもなくうつむき加

減で頭を揺らしていた。

 

 空が白ずんできた頃、大阪駅に到着した。おおぜいの人が、それぞれの会社の旗を持

ってホームに立っていた。

 美也子は友達と別れ、わずかばかりの着替えを包んだ風呂敷を胸にかかえ、ごった返

す人込みをかきわけて尼北紡績の旗を探した。

 8人の少女が一緒だった。みんな同じようにわずかの荷物を持っているだけで、静か

に迎えの男の人を取り囲んでいた。

 

 入社日まで数日ある。先に寮に案内された。

 モルタル3階建ての瀟洒なそれは36部屋あり、ひとりに1部屋あてがわれた。

 山あいの貧しい農家で育った美也子にとって、自分だけの部屋が持てるなんてそれだ

けで夢を見ているかのような気持ちになり、郷愁はあれど貧しかった生活のことより、

これからのことに希望を見い出していた。

 

 寮と会社を往復するだけの生活が続いた。給料のほとんどは実家に送っている。弟た

ちが高校を卒業するまでは続けるつもりだった。

 阪急電車で2つ3つの駅を過ぎると繁華街である。大阪の梅田には大きな百貨店が2

つあると聞いていたが、まだ一度も行ったことがない。寮生活に、新たに必要とする物

がなかったからである。ほとんどが女性ばかりの工場にあって、先輩が時々お下がりを

くれる。それだけで十分だった。

 それに、繁華街にはオオカミがいる、とも聞かされていたから。

 

           ☆  ☆  ☆

 

「ねぇ美也、あなた鳥取の山あいに住んでたんでしょう? なら、山を歩くのって慣れ

てるよね」

と声をかけてきたのは、2年先輩の小池幸子だった。

 

「えっ? はい。山菜をとったり枯れ枝を拾いに、山にはよく入ってました」

「なら合ハイに参加しようよ。一緒に行ってくれる人を探してたんだ」

「ハイキングですか・・私なんにも持ってないですし・・・」

「あなた、こっちに来てから自分の物、なんにも買ってないんじゃないの。ここはひと

つ奮発しなさいよ。相手の会社の人たち、素敵な方ばかりよ。もしかしたらもしかして、

なんてこともあるんだから。リュックザックは私のお古でよかったら差し上げるわよ」

 

 ほとんどは先輩たちのお下がりで間に合わせ、運動靴だけを買った。すべりにくい少

し値の張る靴だった。足に慣らすため、毎日それを履いて工場へ通った。

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「小池先輩! 今年も合ハイに参加されますか?」

「そうねぇ、あれっ美也、あなたから声をかけてくるなんて・・・ははぁ、さてはお目

当てさんがいるな!」

「そ、そんなこと・・・山歩きって気持ちがいいですよね。ただそれだけのことです!

それにたくさんの人たちと一緒に山を歩くのが楽しいですし」

 

 

 若い男女はエネルギーの塊である。

 ロックガーデンを過ぎるとしばらくは、登り気味のゆるいアップダウンが続く。

 だれともなく歌を口ずさむと、16人の声が唱和していって山に響き渡った。

 

   ♪  わ か〜くあかるいうた〜ごえに〜

     なだれは〜きえるは〜なもさく〜

     あ〜〜お〜いさんみゃあく〜ゆきわりざ〜く〜ら〜

     そら〜のはて〜

     きょうもわれ〜らの〜ゆうめ〜〜を〜よぶ〜

 

 少しきつい登りを終えると、なだらかに広がる東お多福山に到着した。

 この頃になると、それとなくペアができていたりもする。

 美也子は昨年と同様、石田雄介の後ろについていた。

 男性たちのほとんども寮生活をしている。雄介は岐阜県出身だった。

 それで女性たちは協力して朝早くからおにぎりやおかずを作り、男性たちの分も用意

して来たのである。

 

「う〜ん、やっぱりおにぎりって、うまいなぁ〜」

「山の空気が澄んでるから、よけいにおいしく感じるんだと思います」

「いや、あなたが握っているからです」

「どのおにぎりを私が握ったのかなんて、分かりませんよ」

「じゃ、あなたが隣にいるからかなぁ」

「まあ、ご冗談を!」

「アハハハハ」

「ウフフフフ」

 

 

 奥池園地では、輪になってゲームをしたり歌を歌ったり。

 そしてふたりはどちらからともなく、ボートに乗ろう、と誘いあった。

 雄介は美也子の手を引いて揺れるボートの上に導いて坐らせ、オールをとると池の中

央に向かって漕ぎだした。

 ふたりきりになると、それまでの和やかな雰囲気はどこへやら、ぎこちなさが訪れる。

 美也子は、オールの動きにつれてできるさざ波を、じっと見つめていた。

 雄介は、そんな美也子から目をはずさない。やがてオールの動きを止めた。

 視線を感じている美也子は、池の中を覗き込むようにしている。

 

「きれいだ」

 

 美也子は山の斜面に目を転じた。

 

「新緑と山つつじの紅色が綺麗ですね」

「花じゃなくって」

「だんごっ鼻なんです」 

とうつむく。

「団子がお好きなんですね」

「タンゴを踊られるんですか」

「売店で団子を買いましょう」

「蚊、いましたか」

と言って、顔をあげた。

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 40数年の歳月が流れた。

 

「おい美也子、仏壇の引出しからこんなもん出てきたぞ」 

 

 焦げ茶色に変色して、ところどころ虫に食べられ破れかけた1枚の紙。

『合ハイへのお誘い』というタイトル。

 

「まぁ、後生大事に仕舞い込んでたんやわ。これ、いつのことやろ」

「合ハイか。昔よう行ってたやないか。なつかしいな・・・そや、一緒に行ってたやつ

らに声かけてみようや。合ハイや合ハイ!」

 

 

 最新流行の粋な装いをした女性4人男性3人のグループが、東お多福山に向かって歩

いていた。女性たちはずーっとおしゃべりのし通しで、姦しいことこの上ない。

 

「福山君、末期癌やそうや。電話したらな、本人がそうゆうてたわ。奥さん、旧姓が小

池幸子さんやけど、『誘い出して気分転換さしたってくれ』って、弱々しい声でな・・・

小池さん、苦労してはるみたいやけど相変わらずきれいやなぁ」

「つらいことやぁ。もう亡くなった奴もいてるんやろ、福山に会いに行った方がええや

ろか」

「いや、会いとうないて。元気な頃の姿だけを覚えててくれって」

「だんだん寂しなるな」

「それにしても、皆すっかり大阪のおばはんになっとるな」

 

 美也子が立ち止まり、振り返ってだんごっ鼻をふくらませ、夫の雄介を睨みつけた。

「なにゆうてんのん。アンさんらはおっさん通りこしてすっかりおじんやないの」

「そやそや、ガハハハハ」

と、女性陣は再び歩きながらおしゃべりを始めた。

 

「いやいや、わしらの青春はまだまだこれからやで」

「ハイキングの会でも作ろうや、なっ」

 

   ♪  父も夢見た 母も見た

     旅路のはての その涯(はて)の

     青い山脈 緑の谷へ

     旅を行く

     若いわれらに 鐘が鳴る

 

 息もとぎれとぎれに、だれともなく歌い始めたメロディー。

 ある者は小さく口ずさみ、ある者はハモりながら・・・。

説明
石坂洋次郎原作の映画『青い山脈』の主題歌(昭和24年)。
 作詞:西條八十
 作曲:服部良一
服部氏が阪急京都線の電車から北摂の山並みを眺めていた時に、曲が浮かんだそうです。
学生の頃、多くの人に歌われていた・・ああ我、青春時代。
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