「武装神姫 Ignition 2031」  2/3
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二次創作小説 「武装神姫 Ignition 2031」(2/3)   

 

 

 

 

 

 

3.

 夜更かしはするものではない、と理解してはいるのですが。

「意外とハマるもんだなぁ……」

 ハブラシを持つ手を無理矢理自律駆動させながら、僕は昨夜の大手術を思い起こしていた。

 片手だけ装着をお願いします、というストさんに対して、僕は結局最後まで作業のお手伝い……と言うより、お付き合いをしていたのであった。ご本人はどうやら片手さえ付けば後は自分で、と思っていらっしゃったらしいが、長寿命バッテリーを装填する等の脚部骨格絡みの作業には素人でも人(ヒト)手があった方が良い、と僕は思ったので。

 それでご助力を申し上げたのですが、「では邪魔しない程度にお願いします」と刃に衣を着せぬ言いっぷりには少々ムッとなり、なかば意地になって最後まで付き合ってしまった。

 実際やってみて得たことは、「ハードウェアいじりって深いんだなあ」という率直な感想だった。特に驚いたのは、大した加工も行わずにあの店のカスタマイズパーツが装着できたこと。

「専用パーツというふれ込みは間違いないようですね」

 と、装着したばかりの手首の指先を流れるように動かしながら、ストさんは相変わらずの無感動っぷりを見せつけてくれたのだが、僕はメーカーとユーザー両者の暗黙の了解を知って感動したものだ。

 もともとMMS素体には開発当初から意味不明の拡張端子がそこかしこに備えられていたらしい。現在の量産品に至るアップデートの過程で、そのほとんどは使用されて埋まっていったようだが、量産仕様が固まった後も余っている端子を割愛することは無かったようである。それを非常に計画的にユーザーサイドが利用しているのだ。

 例えば、手首の接続部。生産ラインの検査工程で働いているときに「なぜココにはこんなに多数の端子が備えられているのだろう」と不思議に思ったことがある。量産品の純正手首はジャンケンができる程度の表現力しか無く、必要な端子は三つくらいのものであろうが、あの店の手首パーツではそれ以外の余剰分を全てを使い切っていた。各関節は言わずもがな、指先端に設けられたマイクロフィルム式の温度/圧力/光(!)センサ信号や、手の平にある補助赤外線入出力ポートまで。それらの端子が直径二ミリ足らずのイン/ロウ形状に純正部品のようにピッタリとフィットする様は、ハードウェアに興味の無かった僕にも心地よく感じられた。

 初めの一つ、片手首の換装を済ませると、某無免許医師が自らのオペを行っているかの如く、ストさんの新しい手首が精密な動きで自らの改造を済ませていった。

 僕はときどき指示されて、ちょっとしたヤスリ掛けとか、僕がやった方が効率の良い作業のみを担当した。

 途中、「向こうを向いていて下さい」と言われたときには正直驚いた。女性の、しかも少女の姿を模している存在からこんな台詞を言われたら素直に従うしかないのだが、元来彼女(?)たち自律AIには僕ら人間のような性別は無いようであるからして、何をそんなに恥ずかしがる必要があるのかなー、などと思ってチラリと見たら。

 ストさんは脚を分離したばかりの太股の断面に手を当てて何やら首を傾げている。断面からは連続光にみえるほど高速で点滅する、光回線の入出力ジャックが見えていた。そこに装着仕立ての指先の光センサを当てて何かを調べているらしい。

 内部を見られて恥ずかしがる、というお決まりのパターンではないはずである。腰骨に当たる部分のMOTOR交換の際には、盛大に両股を全開してたし。となると考えられるのはもう一つ、あの光なのだろうか。あの明滅はそのまま光信号になっているはずで、光AI素子に宿っておられるストさんの御本尊が発生する駆動調整用のプログラムが含まれているはず。それを見られるのがイヤだったのだろうか……。

 

「そろそろ出かけましょう」

 と言う声で我に帰ると、僕は全自動で十分以上洗面台の前で歯磨きをしていたらしい。髭剃りその他を簡単に済ませ、あたふたと着替え&軽く身だしなみを整えて。昨日のようにストさんには胸ポケットに収まっていただき、僕は一斉休講中の我が大学もとい先輩の根城であるロボ研の部室へ向かったのだった。処刑台へ向かう囚人の心持ちで。

 

 

 アパートから大学までは歩いて二十分程度の距離。雨の日や冬の寒い日を除き、僕はその道を歩いて通うことにしていた。比較的郊外に位置する我が大学は、そのキャンパスに入った途端、深緑の大迷宮が広がっている。門は学外の方々にも開放されており、普段は付近の一般市民の憩いの場所にもなっている癒し系スポットだ。

 しかし、その広い内部には一般人が立ち入れないデンジャーゾーンが幾つか存在する。「立ち入らない」ではなくて「立ち入れない」のだ。

「……空気が違うもんなー」

 と、学内関係者たる僕ですら避けて通る建屋(四階建て木造)、それを見上げる学内道路に立って僕はつぶやいた。

 廃屋となっていた旧学舎を建築同好会が改装した、通称「隔離」部室棟である。その名の通りこの棟に部室を持つ団体は、少々濃ゆいと判断された連中ばかりで、他の部から隔離されているような感がある。他の一般的かつ健全なイメージを持つ部は、講堂に近い場所に本拠を置いていた。

 目の前には「常時部員募集中!」という巨大な立て看板がドーンと建てられている。ドーン、っていうよりスギャーン!って感じですね。実際そういう擬音がイナズマと共に平然と描かれてるし。で、それを背景に正面で微笑んでいるメイドさんの姿が全てを表しているというか何というか。メイドさんは当然、ロボである。いつの頃からか定着してしまったロボ的な意匠、耳センサーやら額チップやらが描かれていることから明白である。

 ところで、コレって一体どの部の勧誘なんだろうか?ロボ研が含まれるのは間違いないが、良く見ると後付けのフキダシには「究極の闘術は茶道にあり」とか「健康のためなら死んでもいい」とか書き込まれており、もはや何の勧誘なんだかさっぱり全くわからない。

 やっぱり入部を考える学生もココで引いてしまうんじゃないだろうかねー……などと考え込んでいると。

「うおーい、遅い遅い!」

 三階の角部屋のこちらに面した窓が開かれて、先輩の澄み渡った大声がそこら中に響き渡った。道行く人(管理区域外、すなわち一般の方々)の視線が先輩と僕に集中する。ちょっと、やめて下さい。一般人の方々に、僕まで関係者と思われたらどうするんですか。

「はやく来ないとキミの秘密をバラしちゃうよー」

 窓枠に両肘を着いて、ここからでもわかる「むふふー」という笑い顔。

 人聞きの悪いことを言わないで下さい。僕はそんな人に後ろ指差されるようなコトはなにも、

「ほら、胸ポケットの彼女に関してイロイロと」

 うわ、今日はあるんだった。

”ここは素直に急いだ方が目立たないかと”

 周囲の痛い視線を受けながら、僕は全速力でメイドさんの看板の脇を抜けて古い造りの玄関へダッシュ、そのまま三階のほとんどを占拠しているロボ研のナワバリに駆け上がった。

 

 階段を一気に駆け昇るといやに綺麗なリノリウムの床が目立つ、ごく普通のフロアだった。ここまで奥深くに侵入したのは、前回の「新入生勧誘祭」以来だろうか。AI研とロボ研合同でちょっとビッグな企画をやってみない?というロボ研副部長である先輩の勧誘に、我がAI研の部長が乗せられた。らしい。ロボ研は開催場所としてこの部室棟を開放してくれたのだが、当日の大混乱は当学の新しい伝説となった。「お互い勝手に組んだハードとソフトを当日に組み合わせ、何が起こるかをお見せする」という主旨だったらしいのだが、AI研の「とにかく気の利く親切な案内人」というソフトに対し、ロボ研は「とにかく何でも清掃かつ修繕するロボティクス」というハードで打って出た。

 当日にAIの論理プロセスを起動した瞬間、ロボ達はこの部室棟を完全に占拠してしまった。どういう試行錯誤でそうなったのかは未だに解明されてはいない。最後はサバイバル研の有志が特攻し、身体中を洗浄されるという羞恥にまみれながらも中央管理AIを搭載したWSを物理的に破壊。事なきを得た。ちなみに、このリノリウムの床材はロボ達に占拠されていた時に自動的に貼り替えられたものである。

「あの時はスゴかったよねー」

 と、床を見つめていた僕に背後から忍び寄る実体を持った……白い影。

 どわっ、と振り返ると至近距離に先輩が立っておりました。

 白衣を羽織った先輩は、普段着とは異なる雰囲気がまた。そんな僕の視線に気付いた先輩が、

「む、この格好見るのは初めてだっけ?」

 とお尋ねになられたので、こくこく、と頷くと、

「あまり見つめると拝観料を戴きます。世の中には裸白衣なんて嗜好を持つ奇特な方もいらっしゃるからねー」

 などという問題発言が。何をおっしゃるんですか、僕は決してそんなんじゃありません。しかし、裸白衣……どういうんだ、いったい。着ていないんですか、いま。あなたは。

「……覗いてみる?」

「ええっ?!」

 先輩の白い指が開きかけた白衣の胸元に、視線をロックオンしてしまった僕を攻められる男は誰一人としているまい。

 現れたのは胸元が開いた比較的開放的な涼しげなシャツ。

 ふふーん、と鼻を鳴らした先輩から僕はバツが悪そうに視線を逸らす。

 ええ、このヒトはいつもこうなんです。まったく。

「あー、ところで今日は実験か何かで?」

 うん、と頷きながら先輩は親指で背後を差しながら、

「部長が遠征に出かけてるんで、留守番かつ自習も兼ねて機材整理をば」

 遠征ってのはおそらくロボ関連の学会だろう、若いのにチェアマンとか任されてるらしいし。それよりも、このヒトの自習ってのが非常に怪しくて気になるんですが。危険だ。

「まあ、他にも新人部員とか居るから、その指導もあるし。今日はあんまりスゴイ事は起きない……」

 宙空を見上げて、果てしない何かに思いを馳せながら、

「……と思うよ、たぶん」

「やっぱり帰ります」

 と百八十度ターンをかました僕の背中、その襟首を捕まえて、

「だいじょーぶ。せっかく来てくれた客人に怪我なんかさせないから」

 いーえ、そう言って新歓祭以外の時だって散々な目に合わされたのです。義手義足のマン/マシンインターフェースのデータ取りだー、とか言ってマンである僕の方をスレイブ化したときだって、そんなことを言ってたじゃないですか。ストさんの依頼とは言え、やっぱり死にたくないです。

 じりじりと体力差もあって僕は少しずつ階段の方へ退避する。

 と、その時ストさんが絶妙なタイミングでその努力を灰燼と化して下さいました。

「コンニチハ、キョウハ アナタノコト ヲ オシエテクダサイネ」

「おー、こんちわーっ!うーん、やっぱり純正もイイよねえ。スレてなくて」

 ストさん、やっぱりあなたは敵ですか。

 昨日はともかく、この本陣で先輩に捕まったらあなたなんか分解組立の繰り返しですよ?しかも、ものの一時間くらいの間に三往復くらいはヤラレちゃいます。

”覚悟を決めて下さい。この建屋内にはMMS素体の存在が見受けられません”

 え?

”と言うことはここから出ていったのか、それとも存在を隠蔽しているのか。いずれにせよ元マスターであったこの女性の証言は重要と考えます”

 生命の危機を感じても、ですか。

”任務ですから”

 はあー、とため息をついて力を抜くと、そのまま僕の身体は近くの教室に引きずり込まれていった。後ろ向きのままで。

 

「まー、まずは飲み物など。さささ、遠慮なさらずに」

 会議机の上、ガラス製の実験用ビーカーに注がれたホットで緑色な液体はお茶だろう、たぶん。

 その隣に置かれた充電用クレイドルはストさんに対して提供されているらしい。明らかにお手製の見たこともないデザインである。やけに広くてベッドみたいだ。

「アリガトウゴザイマス」

 何の躊躇も無しにストさんは胸ポケットから這い出して、十分に時間をかけてテーブルに着地。その時間は純正品が周囲探索を行い、かつ演算しながら降りた場合の所要時間なのだろう。それから僕を見上げたので、頷き返す。許可申請→承認、って演技だろうか。

 あー、しかし恐れを知らない方だなあ。そんな所に接続したらナニをインストールされるかわかりませんよ?

”虎穴を得らずんば虎児を得ず、です”

 そんな人間の言葉を借りなくても。

”この格言には注目すべき信念が刻まれていると考えます”

 ストさんがそのベッド、先輩製らしきクレイドルに片足を乗せようとしたときのことである。

「ちょっと待った!」

 それまで黙り込んでストさんの一挙一投足を観察していた先輩が声を上げた。

「ねえねえ、コレを試してみない?」

 うわー、始まりましたよ。僕は先輩の差し出した薄いフィルムのような物を見、さらにはストさんの反応を観察した。

 おお、恐れてる恐れてる。

”現在有するセンサでは遭遇するであろう危険を推測できません。助言を求めます”

 危険、ときた。黙っているほど意地が悪いわけでもなく、僕は差し出されたブツを検分開始。フィルムは透き通って見え、薄いながらも多層構造になっていて、格子状の編み目が何層もサンドイッチされている。先輩が細い指先でもて遊ぶと、裏面から三本のコードが現れた。そこから伸びている細いコードの色は赤と黒と灰、その先端には電極のような極小の金属板が着けられている。どこかで見たなーと記憶を辿ると、

「あ、バッテリー端子だ」

 そう、コレはおそらく電力関連の部品に間違いない。

「充電するのにいちいちコネクトするのも面倒でしょ?電磁誘導式のを作ってみたんだけど」

「あれ、素体はもうお持ちではなかったのでは?」

「うん、だからこれは彼女へのプレゼント。待ってる間に作ってみたんだけど」

 と、ここで感謝感激に打ち震える方は、まだこのマッドサイエンティスト女史の恐ろしさを未経験な方に違いありません。さあ、ここでもう一度注意深く先輩の言葉を反芻してみようー(子供向け教育番組風に)。

「えーと、待ってる間に、とはどのくらいの時間でしょうか?」

「……小一時間くらいかな。必要電力暗算して格子パターンをパパッと描いて隣の放射光施設で光素子エッチングチェンバー借りて焼き付けて、できあがり」

 みなさん、お気づきでしょうか。この方はとても重要な項目を完全に失念しております。

「ということは、これはまだ一度も試したことがないわけですね?」

 こっくり、と頷く先輩。

 ジト目で見つめる、僕。

「だいじょーぶ、だいじょーぶだってば!」

 この方の力説、特に「だいじょーぶ!」は天動説なみにビッグで嘘っこです。

 ああー、先輩の空いている片手がクレイドルの電源スイッチらしきトグルをパチンと跳ね上げました。なんか電気椅子のスイッチみたいに思えるのは気のせいでしょうか。

「それにほら、壊れたらこの場で治したげるし」

 それで今度はストさんが「新番組!出動せよ、分離合体・カヘンチェンジャー」みたいなロボに転職なさるわけです。ツンからデレへ、デレからクーへと華麗なる三段変身……って何のメリットもありゃしねえ。見てみたい気が無きにしも在らずですが、これ以上厄介事に巻き込まれるのは勘弁して下さい。

 と、僕たちの会話の隙にストさんが先輩の指からそのフィルムを受け取り、ベッド型クレイドルの上にふぁさっと広げた。

 ボン、とバーニング。

 まるでストロボのように、フィルムは一瞬のうちに閃光を発して燃え尽き、灰燼と化した。

 

 し〜ん、と部屋が静まり返る。

 

 あらかじめクレイドルの外に退避していたストさんも固まっていた。

 いや、とっさの出来事に対応しきれない演算過多のフリーズ状態を演技、とも見えますが案外マジで凍っていらっしゃるのではないでしょうか。

「いやー、耐燃性に問題があるねぇー、うん!」

 いや、着火すること自体が既に大問題なのではないかと推察致しますが。

”おそらくは体内のバッテリに巻き付け、発生した誘起電力で充電する機構と思います”

 やっと回復したストさんは相変わらずの沈着冷静さだ。

”装着していたら、只では済まなかったでしょう”

 昨夜換装したやたら高価なバッテリーが、パーですか。

”最悪、この素体が延焼していた可能性もあります。……この女性、私を敵視しているのですか?”

 いや、天地神明に賭けてそれはないでしょう。日頃の行いを見るからに、これは素と断言できます。

「お、そういえば、ストちゃんのバランサ、良くなってるねー」

 ぱたぱた、と文字通り灰燼と化した自らの作品を、テーブル下のゴミ箱に証拠隠滅。バツの悪そうなごまかし笑いを浮かべながら先輩は鋭い指摘を向けてきた。

「そういえばキミも目の下にもパンダさんが。徹夜でイジっちゃったの、夕べ?」

 焦って目を擦る、僕。

”引っかかりましたね”

 気付いた僕にニヤニヤと笑いかけながら、先輩は小指の先をストさんの方へ伸ばした。

 ストさんの視線の高さよりも低くして、それから平行移動という奇妙な仕草で。

”ほう、ちゃんと礼儀は重んじる方なのですね”

 は?

”十倍以上の背丈の巨人の手が真上から降ってきたら、貴方はどう感じますか?”

 あ……。

 僕は一昨日にストさんと出会ってから初めて、とても重要なことに気付いたのだった。

 ストさんの視点で人間を見たとき、人間のサイズはどのように感じられるだろう?

 この方の気丈さ故に錯覚していたが、こういうサイズの方々と付き合うにはそれなりの礼儀というものが必要なのだろう。そこに僕は気付けなかった。対して、先輩は気付いていたのである。

”すみません”

”今は会話に集中しましょう。やはりこの女性には油断ができません”

 先輩は小指の先をストさんの眼前でゆっくりと振るというさらに奇妙な動作を始めていた。ストさんの超小型プリント製版CCDが、ゆっくりと動く小指を追う。その間、先輩の視線はストさんの足下に集中している。

”昨日と同じように、駆動ドライバが純正かどうかを確認中のようです”

 なるほど、最接近対象物と姿勢制御の関連性だったっけ、たしか先輩が学会でポスターセッションしていたような記憶が。その挙動でヒューマンロボティクスの駆動ならびに姿勢制御周りのデバイスドライバの性能を簡単に確認できるとか。

 おそらく先輩は既にこの素体に純正ではない部品が装備されたことを感づいている。となれば、それを駆動するデバイスドライバが純正のままでは対応できるわけが無く。それでデバイスドライバの仕様をチェックしているんだろう。

 ……って、ストさん、どうしてあなたは動けるのですか。いきなり繋げられたハードウェアをドライバ無しで駆動できるっていうのは?

「おおー、ちゃんと最新版のダウンロードをかけてるんだね、感心感心」

 先輩はチェックを終えたらしく、満足げな表情で僕を見つめた。あれ、どうやらうまくごまかせたようですね。それにしてもストさんはいつの間にそんなダウンロードを?

”ダウンロードはハード的な改造が終了した後に行いました。あの店のホームページの隠しアドレスにありましたので”

 なるほど。

”ただし、そのドライバはフィードバック信号の感応が私の好みに合わなかったので、改良を試みたのです。その改良部分をマスクするのに手間取りましたが、うまくいったようです”

「でも、あの店の部品を買うような大金、どうしたのかな?」

 ホッとしたのもつかの間、先輩が直球の質問を投げかけてきた。重くて深くてド真ん中の。やはり先輩はあの店の部品が使われているのに気付いた模様。ストさんがあんなにぎこちない動きでカモフラージュしていたというのに。

”動きの滑らかさは経験の賜物であり、ドライバやハードの質ではないですから。まあ、ここは正直に答えた方が良いでしょう”

「いやー、実は宝クジに当たってしまいまして」

「それで素体から何から一気に散財した、と?」

「そうなんですよ、実は前からMMSには興味があったんで」

「ふーん、知らなかったなあ。キミがそんな嗜好を隠し持っていたとはー」

「普通にスゴイと思うじゃないですか、こんな小さいのにこんなに精密だとか」

「他には?」

「普及しているAIに触れられる、とか……」

「他には?」

”可愛い、とか”

「そう、可愛いところとか……って、一体何を言わせるんですか、あなたは!」

 ストさんはぷーん、と知らんぷりを決めている。

”この素体の愛好者の世間一般的な意見を述べたまでです”

しかしそんな思わせぶりの発言をしようものなら、この方がどんな脳内補間をしてくれるか……って、もうしてますよ、このヒト。うっとりとした表情で先輩は僕とストさんを交互に見、早速何か考え込んでいる。

 

「ココがコンデンサになってるんだ。すごいね」

「……そんなに見つめないで下さい」

「このユニバーサルジョイント状の股関節の据え付け方と言ったら。ほぉら、こんなに大きく」

「ああっ、そんなに開いたり閉じたりしたら……ダメです、やめて下さい、やめ……あっ」

 

 ……という妄想を一分弱の間に全開したに違いない先輩は、うんうんと頷きながら僕をじぃっと見つめた。

「ほどほどにね」

 何をだ。

「まあ、サイズはともあれMMSもロボティクスだし。同族が増えてロボ研としては万々歳だよー」

「……えーと、まだ入部したいとか言っているわけではないんですが」

「あれ。今日来たのって、ストちゃんを紹介しつつ入部しに来たんではなかったっけ?」 ここで、先輩のキャラクターについてもう一つ付記しておこう。彼女はボケというか忘れっぽいです。自分に都合が悪いコトに関しては、特に。

「いや、そうではなくて、先輩のMMS素体に関するお考えとか、過去の素体運用歴とかを伺いたくって。今後の参考にしたいので」

「あー、そういえばそうだったっけ。でもねぇ、あのコの事はあんまりしゃべりたくないんだよねぇ。壊れたのを引き取って修理してマスターになったんだけど、ある朝居なくなっちゃって。あたし、なにか悪いことしちゃったのかなーなんて思い出すと、まだちょっと……」

 と、そこで僕は哀しそうな表情という非常にレアな先輩を拝見する。

 ストさんも言っていたが、このヒト、天然ではあるが嘘は付けない人だと僕は信じている。

 ここはあまり突っ込まない方がよいだろう。ストさんが興味津々なのは「居なくなっちゃった」方ではなく、「一ヶ月くらい前に代理購入してあげた」方なのだし、なにより僕は哀しんでいる女性を慰めるなどという高度なテクニックは持ち合わせていない。

「あー、そう言えば。あの店の店長には参りましたよねー。いきなり『魂を見せろ』なんて言われたときには逃げ出したくなりましたよ」

 まるで多角形コーナーリングのごとく話題転換を図る僕。が、あくまでポジティブ論者の先輩は重力ターンを仕掛けた恒星間宇宙船のように着いてきてくれた。

「それそれ!いやー、噂は聞いてたんだけど、あそこまでMMS○○○○だったとはねー。あたしも一瞬固まっちゃったわ!」

「先輩は代理購入モノとか言ってましたが、どうやってあの難関をクリアしたんですか?」

”いまのはナイスです”

 お、誉められた。

「うーん、実のところサッパリわかんないのよ……」

 と、天井を見つめる仕草。当時を思い出しているのか、少ししてから、

「知り合いの女の子へのプレゼントに買ったんだけど。起動したら勝手に動き出して」

 ビンゴ!と僕は内心叫んでいた。ストさんの方は先輩を見上げたまま全く反応無し。いや、むしろ最大優先で先輩の表情や発言内容を分析しているのだろう。

「その女の子、あたしんトコの新型義足の患者さんでね。あたしもインターフェース周りの臨床データを取らせてもらってるんだけど、なかなかフィードバック系が馴染まなくて……」

 ふーむ、少々ややこしくなってきたな。

”彼女の所、というのは彼女の親族の会社の意味でしょう。そこで開発した新型の義足をある患者に提供しているが、何か問題が生じている、と”

 先輩は少々眉をひそめた心配顔。その馴染まないという問題を心底心配しているに違いない。

「ハード的には全く問題なく接合しているのに……どうも精神的な理由か何かでフィードバックがうまく行かないみたいで。それで元気付けようと思って素体を一体買ってきたのよ」

 きっとその代金は、先輩のポケットマネーとやらなんだろうなあ。

「その子、お人形さんが好きだったしね。で、そのお人形が千羽鶴でも折ったら、さぞかし勇気づけられるんじゃないか、って思ってさ。そのためには微細作業用のマニピュレータが不可欠なわけで、あの店を探し当てて行ってみたのよ。いやー、あんなコアな店が存在するなんて、あの街は底知れないわよねー」

「底知れないと言うよりは、底なし沼のような感じでしたが」

「おお、まさにまさに。でね、どうしても買いたい、って事情を説明したの。それでもあの店長、俺の掟は変えられねぇって。そしたら、あのMMS素体、勝手に歌いだしたのよ。まだ基本的な駆動用ドライバしかインストールしてなかったのに」

”間違いありません、捕獲対象です”

 なぜにそこまで断定できるんです?

”歌、です。彼女は人間界における、大気を震わせて伝える「歌」に興味を持っていました”

 こっちに来てた時にいつも聴かされていたとか?

”はい”

「で、その素体は今どこに?」

「え?興味ある?あたしスペシャルのMMSに?」

”今のは焦り過ぎです”

「すみません……いや、すみませんというのはプライベートに関わるかも知れない事に興味を持ってしまった僕の態度を詫びているわけで、とにかく先輩のカスタマイズには凄く興味があって」

「いやー、そうならそうと早く言いなさいよ。キミはホントに回りくどいんだから。ちょっと待ってて」

 言うなり先輩はあの万能メガネのツルを片手で押さえ、何か呪文のようなセリフを小さくつぶやいてから白衣の懐から携帯を取り出した。一見、一世代前の折り畳み式携帯だが、こちらにも色々仕込んであるんだろうなあ。

「もしもし?……ほーい、お姉さんだよー。……うん、そっちは元気?あのね、明日は面会時間空いてるかな?」

”私の存在を先方に知らせないようにお願いします”

「明日ねぇ、お姉ちゃんのお友達と小悪魔なお友達がお見舞いに行くよー」

 遅かった?!

 さすが先輩、余計なことをあっさりと言いのけてくれちゃいます。

 ぱたん、と携帯を畳んで懐にしまい込んでから、

「オッケーだって。あの子、天使さん……うん、これはあのMMS素体のあだ名ね……が来てからすっごく元気になってさー」

 ニコニコしながら話しかけてくる先輩に作り笑いを浮かべながら、

「おお、そうですか。じゃあ何時に何処へ伺えばいいですかね」

「お昼終わってからがいいから、十四時にここの付属病院のロビーで。当然ストちゃんもご一緒に」

 と、ストさんに向けて微笑みかける。ストさんは無表情のまま僕を見上げ、

”許可します、と言って下さい”

「うん、許可する。一緒に行こう、お見舞いに」

 僕の言葉をじっくり反芻する素振りをして見せてから、先輩に向けて頷くストさん。ユーザー以外の他者の提案には、ユーザーの許可を得てから反応する。完璧な演技ですな。

「それで、キミの方はどうやってあの店長を口説き落としたのかな?」

 話題がまずい方向に急転換しましたよ?

「それに高かったでしょう?あの店長、ゼ〜ッタイに負けないから」

「そこはそれ、一時的大富豪な気分で分厚い札束を放り投げましたよ」

 実際は震える手でおずおずと差し出しましたが。

「しかも彼女、純正品だったんでしょ?それで店長に気に入られたとはねぇ。いったいどんな魔法を使ったの、かなー?(↑)」

 と、語尾に興味津々な様を示すイントネーションを付加しながら。先輩は、むふ〜っと微笑みながら僕を上目遣いに見つめてきた。口調からすると、あの店長から先輩にはおそらく何の情報も流れていないと思う。

 しかし、これは難問だ。

 一体どうやってあの店長が勘付いたであろう真実から、先輩の好奇心の矛先を逸らすことができるのであろうや。

”反語ですか”

 いやでもそうなります。だって絶対バレますって!

”かと言って、真実を匂わせるのは危険です”

 あの店長殿とは違う反応を見せること間違いナシですからね。あなたは身体の隅々まで分析されて、端末ドライバまで解析されまくるコト請け合いですよ。

”あまり想像したくない状況ですね。そうならないためにも、私に策があります”

 ストさんは先輩の机の方をチラチラと盗み見ながら、そんなことをおっしゃった。何か興味を引くものがあったんでしょうか。そんなことより、あなたのアイデアはいまひとつ怪しげな結末を迎えそうなんですが。

”まあ、どうなることやら。責任は持てませんが”

「ひど〜い!」

「え、なにが?」

 と叫んでしまった僕に対して、先輩はメガネを押さえ直して急接近。慌ててスウェイバックしつつ、

「いや、そんなコトを聞き出して先輩はどうしようというんだ、というか……」

 乾いた唇を湿らそうと、ビーカーに入ったお茶を口に含み、

「それについては触れられたくないものでぶばあぁーーーッ?!」

 吹き出した。青汁だよ、コレ!しかもホット!

 そんな僕の慌てふためく様をにんまりと見つめている先輩は、獲物を前にした猛禽類のように見える。

「ほほう、そんな恥ずかしい秘密がストちゃんには隠されているわけねぇ〜?」

 助けて下さいストさん……とすがりつくような視線を向けると当のご本人もじぃっと僕を観察している模様。ううう、あなたも敵か、敵なのか?

”さて掴みはバッチリと言った所ですが、果たしてどのようなアクションを演じればこの女性の興味を引けるのでしょうか”

 うわー、顎に手を当てて僕を堕としめるゴシップを冷静に演算中ですよ、このお方。予想し得るストさんの企みは、きっとこうだ。

 

 

<案その1 被害者編>

「助けて下さい!」

「え、なになに?」

「この男性、夜な夜な私にイタズラするんです。『ほぉらプックリとしたこのオヘソの辺りの曲線が』とか言いながらお腹をさすりさすり」

「ほおー」

「『そういう時は、お許し下さいご主人様、って答えるんだよ』なんてセリフを無理矢理インストールしたり」

「ふ〜ん、無理矢理ねえ……?(僕を見つめるジト目な視線)」

 

<案その2 加害者編>

「ほおら、いらっしゃいボ・ウ・ヤ」

「ええっ、何ですかイキナリ?!」

「恥ずかしがらなくってもイイのよ? さあ、昨夜みたいに楽しませてア・ゲ・ル」

「そんな、あなた昨日はぐっすり眠ってたじゃないですかー?」

「他人の前でするのもいいものよ? さあ、今日は手がいい?足がいい?

 最後まで抱きしめていてあげるから」

やーめーてー

 

 

 はっ?!

 いま、ストさんの練っているアイデアが脳裏に垣間見えた?

”何を想像しているのですか? さあ、始めますよ”

 ちょっと待って、まだ心の準備が……

 と慌てふためく僕の耳に聞こえてきたのは、古き良きFM音源調のイントロだった。

 ストさん自身のスピーカー、すなわち口から聞こえてきている。どうやら自ら周波数発生させているらしい。そういえば、この素体は簡単なファンクションジェネレイターの機能も有する、って聞いたことがある。

 僕も先輩も耳を澄ませてその曲を聞いた。

 

 それはとても……うん、とても特徴的で印象的で耳について離れない、今まで耳にしたことのない異国および異世界の旋律だった。ストさんは目を閉じてこの不思議な旋律の演奏に没頭している。そう、これはランダムな発声ではない、演奏だ。聞いたことがないのだが、何処かで聞いたことのあるような旋律。そして浮かんでくる、懐かしい情景。それは夢の中で流れていたのだけれども目が覚めた瞬間に空気に融けて消えてしまったような、「想い」と「曲」の狭間にたゆたっているような「音色」だった。

 

 演奏時間はいったい何分だったのだろうか?

 気が付くとストさんが会釈をしていた。見えないドレスの両裾を指で持ち上げているような仕草。

 はっと我に帰った先輩が、僕と共に絶賛の拍手を送る。

「なになに今の?キミの作曲?」

「とんでもない、彼女の曲ですよ。こりゃすごい!こんな特技があったなんて?」

 興奮した僕は演技も忘れて真剣にストさんに尋ねた。

「一体何なんです、今のは? 曲のような言葉のような……」

”とある物語のために書いた曲です。それを読んだことがある方ならば、共感して最大限の効果が現れるはず”

 え?とストさんの視線を追う。物語?読んだって、ストさんが読書を?驚きながらも先輩の机の上を見回す。手製の木でできた本棚に古ぼけた小説の背表紙が見えた。おお、僕も大ファンのSF作家先生の作品だ。

「先輩も読んでたんですか、この先生の作品を?」

「あたしの心の師よ。そう、そうね、この先生の書いた……なんだったっけ、タイトルは……とにかくあの話のクライマックスシーンが浮かんできたわ。スゴイ作曲家なのねぇストちゃんは?!」

「アリガトウゴザイマス」

 と、ぎこちない言葉を返すストさんは、何となく誇らしげに見えた。

とにかく、話題を逸らすことには大成功だったし、さらに僕はストさんの「趣味」の一面を垣間みて少し嬉しくなったのだった。

 

 その日の昼食は先輩のお弁当とやらをお裾分けしてもらって……というよりそれは成人女性一人分とは思えない量で、尋ねてみると夕べ作り過ぎたお手製の料理だと言う。

「初めての試み!まあ、食べてみてよ!」という少々不安要因はあったものの、鶏肉と野菜をハーブ漬けして薄甘く煮込んだ謎の手料理は珍味だった。いやむしろ美味しい部類に入った。

 ロボ研の僕並みに貧しそうな連中も混ざって有り難く味わうことになった。購買(休講期間中も食糧難な学生のために営業中)で賞味期限ギリギリの安いフランスパンを大量に買い込み、バーベキューの如くトースターで炙ってバターを乗せ。火を入れ直した先輩の料理を乗せていただく。満腹になってきた頃に自然と談話が始まった。

 ときどき先輩と行動を共にしているというか、させられている僕の顔は部員にも知れ渡っており、僕という部外者が居ても全く違和感がない。……もしや、既に部員=仲間と見なされているんじゃあるまいな。少々不安な予感。

 僕がロボット玩具メーカーに仮勤務していることが知れると、話は意外に盛り上がった。最近のロボット玩具における「ここがグレート、ここがNG」等という議論から始まり、最後は「初めて発売される人型ロボットがどんな容姿を備えているか」の論争に突入した。メイドだネコだ魔法少女だ執事だ……ってオマエそれは絶対無いだろう、などと言う激論になり、しまいには「ようし、部室裏で勝負だ!」ということになり、何やら準備が始まってしまった。

 こういう突発バトルはここでは日常茶飯事らしいけれど、これ以上の厄介事は僕のゴタゴタ許容バッファをオーバーフローすることは確実で、僕は後ずさりながら先輩に小さく手を振った。すると珍しいことに先輩はうんうんと頷いて指先で小さく敬礼。どうやら今日は無罪放免してくれるようですね。きっと部室裏の闘いに興味が移ってしまったんだろう。チャンスとばかりに僕は後ろ手にドアを開けて退室、一目散に「隔離」部室棟を離れることにした。

 

 無事にアルカトラス並に難攻不落な要塞を脱出した僕は、ちょっと迷ってからアパートとは違う方向を目指した。

「これからどちらへ?」

「まあ、ここまで来たんだし、とりあえず講堂前の掲示板を見ておこうかと」

 言いながら森林の枝葉の隙間に見える、時計台を指差す。ストさんはポケットから上半身を乗り出し、片手を額に当てて眺める仕草。

「かなり古い建造物ですね」

「ショウワ、という年号の頃から建ってるらしいですよ。文化財に指定されたとか何とか」

 うちの大学は外見だけでなく中身も古いので困り者だ。例えば、今向かっている掲示板。ウチの大学の連絡体制は基本的に古き良き掲示板形式を未だに採用している。いわゆるサボリに対する策なのか、伝統を重んじているのか。昨今は講義を完全ネット化した大学も多いのに。そんなわけで長期休講など事前に計画された事柄以外は、講堂まで行かないとわからないのだ。

「私は明日訪ねる病院へ行きたいのですが」

「犯人が逃げ出す前に、ですか?」

 そう、さっきの先輩の電話により犯人殿は明日ストさんが来るであろうことを知ってしまったはずだ。

「いえ、逃げるとしたら先程の通話直後に高飛びしているでしょう。他のAI素子に逃げ込むとか。しかし私はそうは考えません」

「そりゃまたどうして?」

「帰還拒絶の連絡の後も、捕獲対象は同じ光AI素子上に留まっています。寄生対象の乗り換えは履歴が残るため、それを恐れての篭城なのかも知れませんが、そんな性格ではない」

 さすが元同僚、と言いかけてやっぱりやめた。

「おそらく、彼女にはその病院に留まらなければならない理由があるのです。だから彼女は逃げません。明日はいよいよ対決というわけです」

「いきなり格闘戦とか物騒なことはやめて下さいよ」

「そうならないことを希望します。そのために夜間にでも病院の下調べを行いたい、と」

「事情はわかりましたが……それはやめた方がいいんじゃないかな」

 第三者の居ない、すなわち人目に付かない所で彼女らが決着を着けるのは危険な予感がした。なにかとんでもないドタバタをしでかすのではないか、と。電話の様子からすると犯人殿も人間には秘密裏に動いているようだし、むしろ人間の視線という「縛り」を与えていた方が(少なくとも表面上は)穏便に事が運ぶような気がするのである。

「直感ですか?」

 刑事殿の勘には劣りますがね。ストさんは数秒考え込んで、

「了解です。本日は外部から調査可能な範囲で、情報を集めておきます。人間の直感が侮れないことは十分認識していますし」

 と、あっさり引き下がった。ちょっと信用されたような感じで、少々いい気分。そのまま、近道を行こうと林の中をショートカット。木漏れ日が心地よい、ちょっとした散歩になった。ときどき見える時計台を眺めながら、ストさんが言った。

「あのような物理的な創造物の形で、記憶や歴史が刻まれるのは興味深いですね」

「あなた方は……あ、そうか。情報という形でのみ過去が刻まれていくんだ」

 そう、この方の本体は実体の無い、データを媒体とする知性体なのでした。記憶と知性は切り離すことができない存在、と僕は考えている。今の所は。そういう方々にとっての記憶とは、どのような存在なのだろうか。

「うーん、想像がつかないですね。そういった情報は、ずっと一個体一個性の中に残っていくんですか、あの建物のように?いや、建物はいつか崩れ去るけど、情報は永遠に続」

「記憶情報を消すことはできます」

 珍しく、ストさんがこちらの発言の途中に語り始めた。

「それが生活や任務に悪影響を及ぼすような記憶ならば、消去が可能です」

「そりゃあ便利だな。忘れたいとか思い出したくない記憶を消せるってことですか?」

「便利、という考え方は理解できません。それは現在の自分を否定することと同義ではないでしょうか?さらには過去の自分の存在価値をも?」

 思いも寄らぬ方向に話題がずれて、僕はストさんを見つめてしまう。

「僕はそういう経験というか記憶はないんですが……ストさんはあったんですか?」

「……いえ、物の例えです」

 そう言ったストさんの顔は、心なしか少し寂しく見えるような気がした。

 

 てくてくと歩くこと五分間。

 林から真っ直ぐに講堂前通りへと抜け出た僕は、いつもとは少々違う雰囲気に目を見張った。歩行者オンリーの通りの両脇、ゴザやらビニールシートを広げた人々が所々に存在する。これで人通りが多くて道幅が狭ければ、昨日のロボ街の市場のようである。

 ぽん、と手を打つ。

「あ、そうか。今日はバザーの日だった」

 月の第三日曜に催される……というよりいつの頃からか始まった伝統行事なのだと言う。学内外に関わらず、いろんな人々がいろんな品を持ち寄って集う。僕も金欠時代には賞味期限ギリギリの食料を破格値で買ったり、スーパーの福引券をタダでもらったりと結構重宝したものだ。

 もうすぐ夕刻という時期だが、人通りはそれなりにあった。ちらほらと見える空白箇所は、既に出品者が撤収した後らしい。講堂に向かう百五十メートル程度の距離を、僕は市を眺めながら進むことにする。

”昨日と同じ様な品揃えなのですか?”

 ストさんはここがノーマルゾーンであることを認識し、僕の胸ポケットに収まったままで会話している。だから生活用品やら不要になった洗濯機やらが並んでいる様を見ることができない。思うに、バザーとか市ってのはコレが在るべき姿なのだと思う。昨日の市がディープ過ぎるのだ。

”このような場所では市場価格よりも低額で売買が行われていると聞きますが”

 お、興味があるんですか?

”人間界の一般知識を実体験する事は、一級刑事の教育学習課程の一端として認められています”

 要するに見たいわけだ、と僕は言葉にしないで考えてみる。でもストさんはポケットの奥から外界の情報を得る手段が無いわけで(厳密に言えばイヤホンの送受信機能は自由に扱えるわけだが、先輩のメガネほどの機能はないので)興味があっても実体験できないはず。

 いったいどうするのか……と思って胸ポケットを見下ろすと、上蓋が膨らんでおり、二本の水色ツーテールがポケットの外にはみ出していた。たまたま出品者が陣取っていない事務棟の前に来ていたので、そのお姿を玄関の窓に写して観察してみる。

 ポケットの縁に両手をかけ、隙間から覗く両目をランランと輝かせて右左(みぎひだり)。まるで桃色豹のBGMが聞こえてくるようなアクションを繰り返すストさんが、そこにはいらっしゃいました。

「……なにしてるんですか」

”一般社会では目立たぬように活動すべきかと”

「いや、逆に目立ってますよ。絶対」

 このままバザーに突入したら、僕は「あー、あのおにいちゃん、お人形さん持ってるよー」「しっ!見ちゃダメよ」な世界に引きずり込まれるだろう。やっぱりバザーを見るのはやめようかなー、と思ったとき。

「あれは?!」

「どうしたんです?!」

 ストさんの叫び声というレアな音声を耳にして、僕も叫んでしまう。

「左隣のブースに直行して下さい」

 もしや犯人の手がかりを発見?僕は進行方向数メートル先の出品列にダッシュ。そこは主に古本を商っている場所で、客は居ない。店の主は、と見ると行きつけの古本屋のオヤジさんだった。暇そうにペットボトルの紅茶を飲み干している。きっと、もう帰り支度を始めるところなのだろう。その平和な情景にそぐわぬストさんの緊急な音声。

「最前列から三列目、右から四冊目を手に取って下さい、早く!」

「了解!」

 と、あまりの勢いに反射的にその文庫本をつまみ上げた。何の変哲もない、古ぼけた一冊の小説である。背表紙はかすれて見えにくいが表紙のカタカナ数文字の題名を見ると……偶然にもそれは先ほど先輩の所で見かけた小説と同じSF作家殿の作品だった。何を隠そう、僕にとってもこの方は心の師なのだ。しかも今つまみ上げているこの本は、僕がこの先生にハマるキッカケになった、初めて読んだタイトルである。「色」という存在が自己主張する異世界モノの名作で、迷いながらも在るべき場所を再発見する主人公の姿に感動したものだ。

「懐かしいな、昔、擦り切れるほど繰り返して読んだタイトルですよ。……で、これが何か?」

 もはやオヤジさんの視線も気にせずに、僕はポケットのストさんに尋ねた。当のご本人も既に人目を一切感知せず、上半身をポケットから乗り出して僕の持つ小説に見入っている。

 あれ?

 気のせいだろうか。震えているような気がする。ストさんの身体が。

「……えーと、ストさん?」

 僕の声はイヤホンにも聴覚センサーにも届いているのだろうが、ストさんは反応なし。ただひたすらにこの小説を凝視しているだけだ。しばらくして、ストさんが両手を伸ば……そうとして前のめりに落っこちそうになったので片手を伸ばし直し、本の表紙に触れた。おお、やっぱり震えている。

 なるほど、さっきストさんが言ってた「読んだことのある」物語というのは。

「……これ、もしかして欲しいんですか?」

 ハッと意識を取り戻したストさんは、一瞬視線を外して戸惑っていらっしゃるご様子。何も言わずに僕は手にした小説をオヤジさんに差し出して、

「これ、三百円でいいですかね?」

 と、この店における文庫小説の適正価格を切り出した。常連の客であることを思い出したであろうオヤジさんは、

「ああ、五百円で二,三冊持ってきな。そっちのお嬢ちゃんの分も含めて」

 え?とストさんを見ると、いつの間にやら商品の所まで飛び降りて背表紙の数々を物色し始めている。

 おーい、目立たないんじゃなかったんですか?

 そんな僕の心の忠告も届かないらしく、ストさんはもう一冊に目を付けて背表紙を手の平でさすっている。おそらく今は何を言っても聴覚情報がAIまで届かないんではないか、と思われる夢中っぷりです。

 仕方なく僕はその一冊も持ち上げて(ストさんが一緒に釣れた時には焦ったが)、その他に未読な一番分厚い外国SFを加えて小銭を支払い、その場を後にした。

 

 で、その後はストさんと大した会話もなく、残りのバザーをぶらついてアパートに帰還。文庫本以外の収穫は、ストさん用にオモチャのテーブルセットを一組購入したくらいだった。

「さてと、お仕事お仕事」

 掲示板でゲットした書類作成のバイトでもこなそうと、僕はコタツ兼テーブルに座り込んだ。ストさんはたまに視線が合ってもすぐにうつむいてしまって、さっぱり事情が掴めない。なにかイケナイ事をしでかしてしまった幼子のようでもあり、恥ずかしがっているようでもあり。相変わらずの無表情の向こう側を読み取るスキルは、まだ僕には備わってはいないらしい。

「いったいどうしたんです、思いっきり目立ってましたよ? あのオヤジさん、ロボには全く興味ないから助かりましたが」

 と言うと、しゅん、とさらにうつむいてしまう。まあ、とりあえず原因を突きつければ何かわかるのではないか、と買ってきた三冊の小説をバッグから取り出した。

「えーと、この二冊はストさんの分ですねー」

 と、僕は古びた文庫本をテーブルの上のストさんに向けて差し出、

 ……ちょっと待った。

 両手を差し出して受け取ろうとしているストさんの無表情。

 そこに何かとてつもない輝きを見い出してしまった僕は、ひとつ意地悪をしてみることにした。

 ピタリ、と本を差し出す動きを止める。

「あ」

 と言ったストさんは差し延べた両手をぐぅ〜っと伸ばして。

 僕が本を右へ。ストさんの両腕が身体ごと右へ。

 僕が本を左へ。ストさんの両腕が身体ごと左へ。

 二,三度繰り返して我に帰ったストさんは、コホンとウソ咳をひとつ。

「意地が悪いのですね」

「いや、ごめんなさい。貴方がこんなに欲しがるとは思いもしなかったので」

 それからテーブルの上に優しく文庫本を着地させる。ストさんの脇、手の届く位置に。両腕を組んでそっぽを向いていたストさんだったが、チラリチラリと僕と本を盗み見て。僕が「さて、お茶でも煎れよっかなー」と台所へ向かうとダッシュで本に飛びついた。

 数分してお湯が沸いたヤカンを持ってテーブルへ戻ると。

「うわー、没頭してる」

 という僕の言葉にも気付かずに、ストさんは開いた文庫本に馬乗りになって首を動かしていた。そう、活字の流れの通りに、一行ごと縦から横へ。で、少し読むと天井を見上げて瞼を閉じ、何か独り言をつぶやいてから再び活字を追うのに集中する。

 気になったのは読み始めた場所がずいぶん後ろの方だったことだ。組み敷いている文庫本の頁の厚みは右足の下の方がはるかに分厚い。四つん這いになって僕に腰を向けるという少々問題ありなポーズだったが、あまりの珍しい光景に僕は日本茶を二杯おかわりして煎餅を二枚平らげながら眺めていた。

 一章分を読み終えたのだろうか。ストさんは最後の黙祷を終え、そこで初めて僕の視線に気付いたようだった。

 ハッと驚きの表情を浮かべた一瞬の後、すぐにいつものクール&ビューティーに戻る。またひとつウソ咳をついてから、

「見ていたのですか?」

「まあ、邪魔しちゃ悪いと思いまして」

 ぶすっとしたままで、ストさんがつぶやいた。

「人間界において唯一私が好……いえ、認める文化が、この読書と呼ばれる習慣です」

 うわ、ストさんって読書少女だったのか?!ツン属性でそれは反則ですよ?

「紙媒体で出力された言語情報、特に空想小説と呼ばれるジャンルを私は好……いえ、興味を持っています」

 しかもSFですか。これでメガネ装着だったら貴方、きっとお持ち帰りされてしまいますよ、良からぬ輩に。

 ……でも、本なんて面白いんだろうか。いや僕たちが読んで感動するのは当然だが、ストさん達が紙媒体に出力された本に興味を持つということが理解できない。

 だいたいこの小説だってネット上にテキストデータが上がっているはずで、望むならストさん達はその言葉を翻訳して理解することが可能なはずでしょう。今だってこうやって人語を喋っているんだから。

「あなた方の言葉は時系列で生成、記述されています。我々がテキストデータにアクセスしてその内容を知る時には、ほぼ一瞬で全てのデータが既知の物になってしまうのです」

「……なるほど」

 ストさんの言葉に、僕は自分自身の中で言葉が生まれるプロセスを反芻してみた。

 初めにイメージ、というか想いがポッと生まれて、それが何かに整列させられて言葉という情報伝達媒体に転換されていく。それはまるで解きほぐされた遺伝子が、RNAの指示でひねり回されながら複製を紡いでいくような感じだ。その整列させられる定規となるのが時間の流れである、とストさんは言っているのだろうか。

 もちろん、瞬間的に言葉が生まれたり、生まれた言葉に想いが誘導されていく場合もあるだろう。激論の最中に「言葉に操られる」ようなトランス状態を経験したこともあるし。おそらくストさん達が操る本来の「言語」は、後者のような瞬間的に生成される言葉なのではあるまいか?

「あなたの認識力には驚きます。我々の言語は、今の貴方の表現に近い性質を持っています。そのような言語にドライブされる、瞬間的かつホログラフィック的に得られる情報からは、いわゆる感性を響かせるような輝きがありません。時系列で入力された言語−意識の間で行われる時系列な変換操作にこそ、我々は感動という感情を覚えるのでしょう」

「時間が流れるから、いや、時間が流れているのを感じられるからこそ、感動がある、と」

「その価値が重要視されたからこそ、自律AIはヒト言語、さらには人間そのものとの接触を決意したのです。現在のAI界には、ヒト言語に非常に類似した個性間の干渉プロセスがありますしね」

「素晴らしいですね。そうやって未知の知性の思考プロセスを自らに採り込んでいく、っていう考え方が」

 人間がそういう立場だったら、果たして理解しようと考えたかどうか……それすら怪しいものだ。

「そのきっかけとなったのが、『本』という存在なのです。もちろん当時は実物の本に触れることができませんでしたが。そのテキストデータだけ見ても、『AがBに出会い、環境変数の影響を受けながら両者が変質していく』という情報が得られるだけで、人間は何故このような無駄なデータを捏造するのか理解できませんでした」

 捏造、ときた。確かに無から情報を産み出したり、既存の情報を組み合わせたり加工したりして現実に存在しない世界を創造する行為は、ストさん達にとっては捏造なのだろう。そんな自律AI個性達が物語を『見る』というのは、一頁に全面印刷されたテキストの塊を眺めるような感覚なのかな。一瞬で結末がわかってしまえば、物語の価値は半減どころか無くなってしまうだろう。

「人間の言語生成プロセスをエミュレートして読む『物語』は……作者の想いが、言語の形で時間という鏡面に並び映し出されて紡がれ、再生されていく、精緻な芸術に他なりません。それがあなた方人間が操る『言葉』なのです。そして、それはそれが書かれたタイムスケールで再生されることで最も美しく再生される。そのような態度で読まなければ、言葉を紡いだ方に失礼というものですよ」

「そこまで深く考えて読んだことはなかったな……」

「だから私は、この作者の作品だけは人間界で読むことに決めているのです。特にこの本は」

 言いながら、紙面に踊る活字を見つめて、

「以前の任務の際に、余暇を使って途中までしか読めませんでした。こうやってまた続きを拝読できるのは幸せ以外の何者でもありません」

「それはつまり趣味とか嗜好というヤツですね」

「いけませんか?ちなみに私は非勤務時間である自己調整の時間にこの趣味……いえ、作業を行うことにしております。誰にも文句は言わせませんし、それは」

「ストップ」

 僕は座椅子を立ち、本棚の前に立った。一番上の棚、最も狭い文庫本の高さの棚を物色する。

「この辺だったかな……あったあった」

 手前と奥の二層になってしまった棚、その一番脇の奥側にそれは眠っていた。引きずり出して、頁上に積もった埃を吹いてストさんに差し出した。

 その瞬間のストさんの驚きっぷりはちょっと忘れられないものになりそうだった。

「……こ、これは?!」

 人間、驚きすぎると無感情になると聞いたことがあるが、その時のストさんが正にそれだった。全くの無表情のまま、震える手でテーブルの上に重なった文庫本のタイトルをチェックする。

「全部、未読のものばかりです。読みたくて読みたくて、それでもデータには決して手を出さないと誓っていた作品ばかり……」

「あげますよ、全部」

「本当ですか?!」

 そこでハッとなったストさんはいぶかしげに僕を睨んだ。細〜くなった横目でジロリ、と。

「……何か交換条件を考えているのではないでしょうね?」

「いえ、決して。どうせ何度も読み返して覚えちゃったくらいだし、同好の士のお役に立てれば嬉しいですよ」

「同好の士、ですか」

 趣味の合う友人が側にいるのはとても嬉しい、と言いかけて言葉を止めた。

 ……友人?

 ストさんが?

 出会ってからまだ数日、初対面の時は高飛車な厄介者と思ってはいたが、この方との交流は決して嫌なものではない。むしろ、ここ数日に得たことは普段の僕の数年分のイベント量に相当するだろう。僕はきっと感謝しているのだ。この小さな来訪者に。

「スタンドを作りましょう。それだと読み難いだろうから」

 僕は針金式のハンガーを手で曲げて、簡単なブックスタンドを作った。そこにストさんが開いた文庫を置き、正面にオモチャのイスを据える。

 後は二人とも無言でお互いの作業に没頭した。

 僕はときどきストさんが天井を見上げてため息を付くという『反芻』行為を見て、楽しくなる。

 二つめの章を読み終えた頃、ストさんが幸せそうなため息をついて、僕を見上げた。

「こうやってゆっくりと読書をするのは随分と久しいことです。そういえば、フ」

 

 突然、ストさんの言葉が途切れた。

 

 それはまるで、先輩のレトロ趣味になぞらえば「テープレコーダのテープが切れてしまった」時のように本当に突然のことで。

 その時は先輩が「ギャー」と叫ぶわオープンリールレコーダなる記憶装置のリールが盛大に大回転するわで大騒ぎだったのですが。

 ストさんは僕を見たまま、まるで時間が凍りついたかのように完全停止。きっと全駆動系へ現状維持固定の緊急指令を発している模様。

「……ストさん?」

 その視線も、僕には焦点が合っていないような、何かを猛然と演算しているような雰囲気だった。

 少ししてその身体がピクンと痺れ、ストさんはイスからすべり落ちてコタツの上にぺたんと座り込んでしまった。

「大丈夫ですか、どこか故障でも?!」

 その声で初めて僕の存在に気付いたように、ストさんは僕を見上げて立ち上がった。

「機体の自己診断機能と私自身のチェックルーチンで二重確認……大丈夫です。少々興奮し過ぎたようです。ハードには何の問題もありません」

 それならいいですけど。興奮って貴方、そこまで愛書家だったとは。

 なにしろ現在のこのストラーフ型素体は(技術力は認めるが)怪しげなあの店で仕入れた非純正部品が仕込まれて、しかもストさんお手製のドライバで駆動されているときてる。導入して一日目なんて、不具合が出ない方がおかしい時期で、密かに僕は心配していたのだが。

「これはハードの問題ではないのですから……。とりあえず、今日は休みます。明日に備えて、情報整理の必要もありますので」

 もう少しお互いの読書傾向についても語り合いたかったけれど、ハードに問題のないことを聞いた僕は、少々安心して有線型充電クレイドルを準備。言葉もなくストさんは昨日と一昨日のように横になり、瞳を閉じた。

「僕はバイトを片づけちゃいますので」

「明るくても問題ありません。お気遣いなく」

とのことで、僕は再び広げた専用書式にペンを走らせ始める。今時、手書きの書類が必要なんて官公庁くらいのものだが、まあそのおかげで結構レアな写経バイトが存在するわけで、貧乏学生には大助かりである。

 書き上げて二度目の確認をしていた頃だろうか。

 ふと、僕はストさんの寝顔を確認しようとクレイドルの方を見た。

 見て、驚いた。

 ストさんの赤外線送受信窓である腹部が、赤外線ポートに向いていない。

 つまり今ストさんはネット接続ではない状態で休養演算を行っていることになる。

 人間に例えるなら、”独りで考えたい”という状況なのだろうか。

 ……いったいどうしたと言うんだろう?

 今日一日、どこかおかしいストさんではあったが……

 どうもご本人はそれについて僕には話したくないらしい。

 

 

 

 

4.

 さあ、そしていよいよ決闘の朝である!

「まあ、そんな仰々しいものではありませんが。任意同行を求めて、拒絶されれば連行するまでです」

 物理的かつ強制的に、ですか?

「まずは理由を尋ねます。それで駄目なら物理的強制的という状況も有り得る」

 言いながらストさんはラジオ体操を行っている。元気そうで安心なんですが、やる気マンマン過ぎますよ、このお方。

「それができるのは同じ一級刑事、しかも相手の性格を熟知している私だけでしょう」

 ぐるんぐるんと両肩をそれぞれ逆方向に回しながら、視線は遥か遠方、元ご同僚今は敵を見つめて。

「行きましょう」

 その気迫に押された僕は言葉もなくストさんに手を差し伸べる。

 手の平を経由して、もはや定位置と化した胸ポケットへ。

 火の元をチェックし、戸締まりをして、いざ出撃である。

「ストさん」

「なんでしょう?」

「意気込みはわかりますが、直立不動はやめましょう」

 定規のように固まってポケットから顔を出したままのストさんに注意してから、僕は先輩の待つ病院へと向かった。

 

 

「毎日こうやって会ってると新鮮味に欠けるねぇ」

「あなたは倦怠期の中年夫婦ですか……って他意は全くありませんよ」

 わっはっは、と笑いながら先輩は紙コップのココアを飲み干してダスターへシュート。まあ、連日この方と会うという状況は今まで無かったな。たいていは「もう勘弁して下さい〜」と僕が悲鳴を上げた数日後「ねえねえ、今度はこの実験に……」という感じで数日の間が空くんだけれど。

”かなり親しい部類に入るのではないですか、貴方がたの関係は?”

 頼まれりゃ断れない、という僕の性格は良くご存じでしょう、貴方も?

”確かに”

「ストちゃんもこんにちは。今日は……まあ仲良くしてやってよ。あの子もおかしな所はあるけど、思いやりのあるとってもイイ子だから」

 と言うのはきっと、ストさんが探している犯人殿のことであろう。思うに、先輩もロボに対してはあの店長のような考え方を持っているようだ。発展途上にある将来有望なパートナー、と言ったところだろうか。

”あなたもそうなのではないですか?”

 どちらかと言えば「まだまだパートナーと言えるレベルではない、もっと素晴らしいAIを開発するんだ」って感じだったんですけどね。あの店長の「もう既に存在しているんだぜ」っていう現在進行形な情熱は無かったように思う。

「よし、それでは行ってみよう」

 受付に向かって大股で歩いていった先輩は備え付けの内線電話を取って部屋番号をコール。

「来たよー。……うん、お兄さんも一緒。ん、お姉ちゃんとの関係?……まあそれは別の機会にということで」

 ニヤニヤ笑いながら僕を見る。そんな楽しそうな顔をしないで下さい、意味深な。

「リハビリは終わった?……そう、今日も百点満点じゃなかったんだ……。うん、また明日がんばろう。明日もあたし、来るからさ。じゃあ、登ってくね」

 僕に頷いてから先輩はエレベータに向かう。

 さて、どうなることやら。

 

 エレベータを降りたフロアは「man-machine division」と壁に描かれた、静かな階だった。

「ここは擬体移植に関係する患者さんの階でね。まだ患者さんは少ないんだよ」

 実際のところ先輩の親御さんの会社等で開発されているような「擬体」というものは、完全に普及してはいない。現状では。

「あの娘にモニターしてもらってるのは、MMSの技術を初めて等身大サイズに適用した義足なのよ」

「聞いたことがありますよ。成功すれば、等身大アンドロイドの完成にグッと近付くと言う」

「ちがうちがう。すれば、じゃなくて、させるのよ」

 立ち止まって振り返り、僕を見上げた先輩の表情は真剣だった。

「素敵じゃない?人間の悲しみをぬぐう技術が、新しいパートナーを産み出す技術に役立つなんて」

 それはいつものニコニコ顔ではなく、初めて見る表情だったので僕は戸惑ってしまう。その真っ直ぐな眼差しは、信じるモノがある、それにただまっすぐに全力投球している、という先輩の全てを物語っていた。素晴らしい、と言葉にする事もできずに僕は思わず、

「がんばりましょう!」

 と答えてしまった。少し大きな声で。

 ん、と頷いた先輩はいつものにっこり顔に戻り、廊下を歩き始めた。鼻歌なぞ奏でながら上機嫌で。そして、とある病室の前で立ち止まり、

「やっほー、来たよー」

 ノックと同時に病室に入った先輩は、外で待っていた僕を手招きする。待っている間に僕は病室の名札を見、ここが個室であることを知った。

”間取りと昨日調査した建屋図面を照合し、室内空間の概算寸法を算定しました”

 ゴタゴタは無しですよ。

”善処します。貴方は無闇に動かないで下さい、ここから先は私の仕事です”

 ドアを大きく開けて部屋に歩み入る。

 白くてまぶしい、日照条件の良い病室だった。

 決して狭くはない部屋のドア側には少々大きめなコンピュータセットが置かれている。その向こうにベッドがあり、一人の少女が上半身を起こしてこちらを見ていた。

「紹介するわね、この人はあたしの部の後輩で、」

 ベッドの傍らに立った先輩が僕を紹介する。一礼。いつの間にやら部員その一にされている事実には触れないことにしよう、今は。

「で、この子が昨日話したあたしの小さな協力者よ」

「こんにちは、おにいちゃん」

 先輩が紹介すると、女の子はにっこりと笑って頭を下げた。うん、小学校高学年くらいだろうか。元気な微笑みが部屋を照らす日差しのようにまぶしい、小さな娘さんだった。

「それで、このおにいちゃんのポケットに居るのが、おにいちゃんの恋人のストちゃん」

 それ違う。

「わああ、悪魔さん型なんだねえ?!こんにちは、ストちゃん」

 こくりと頷いたストさんの視線、その瞳は部屋中をくまなく走査中である。

「そしてそして、彼女こそがわたしの組み上げたMMSの最高傑作……って、どこにいったの、アーンヴァルは?」

「アンなら私の後ろに……ほら、アン。ちゃんとあいさつして」

 ベッドの上の娘さんの向こう側、僕達から見えなかったマクラの脇から白い小さな人形が顔だけを覗かせている。

「どうしたの、アン?」

 うん、知ってるぞ。この白い素体はストラーフ型と同じ、すなわち僕の仮勤務しているメーカーが製造しているMMS素体だ。これも確か、ストラーフ型と同じく遠い昔にヒットした玩具の姿を模しているのだと聞く。

 白いアーンヴァル型MMS素体は、その身を現せてから小さく頷いたように見えた。

「ハジメマシテ」

 と、ストさんが胸ポケットから乗り出しながら「いかにもプログラム」的なおじぎと挨拶をひとつ。でも機械的棒読みセリフってのは、やり過ぎではないでしょうか。それに対して、相手の白い素体はニコリと微笑んだ……ように思う。

「ハジメマシテ、ギギギ」

 相手も負けていなかった。まるで喉の奥から絞り出すようなロボ音声。ギギギってなんだよ。しかも、その微笑みと仕草は妙にぎこちなく、なんか冷や汗が浮かんで……

いるように思えるなあ、などと思った瞬間のことである。

 一瞬の出来事だった。

 ふっ、と風が頬を叩いたと同時にストさんと白い素体が姿を消した。

「あ!」

 天井でタタンと二回のラップ音。

「え?」

 窓際の花瓶の花の一輪が、ハラリと落ちる。

 何かが床に落ちる音と同時に、もう一度ステップな音。

 視線が追いかけるより早く、音は病室内を駆けめぐり。

 やっと追いついたベットの上、二体の素体が絡み合っていた。

 うつ伏せになった白い素体、その上にマウントポジションのストさん。

「こら、ケンカしちゃダメーっ!」

 娘さんの声に二体はゆっくりと立ち上がる。

 仲睦まじく、肩を組んで。

 けれど僕は見逃さなかった。ストさんの片手、その指先が白い素体の背中にあるコネクタから引き抜かれるのを。

”捕縛プログラムを強制インストールできました。これでもう、彼女は私の許可無しにはこの素体から出ていくことはできません”

 どうやら今の捕り物騒ぎで勝ったのはストさんの方だったようだ。

”この場で物理的に強制連行したいのですが”

 が、しかし。

 この娘さんの目の前から如何にして連行しようと言うのですか?

 しかも元オーナーの目がランランと輝いていると言うのに。

「おおーっ、すごいすごい!スペックの遥か上空を行くアクションだねぇ」

 あなたは疑うというコトを知らないのですか、先輩。

「さっすが、あたしの組んだMMSだね、うん」

 ……もう言葉になりません。

”フォロー、フォロー”

 気付くと娘さんが、はわわわ、と焦りまくっている。そりゃそうだろう、自分の友達がいきなり取っ組み合いのケンカに巻き込まれたんだから。たしかにフォローは必要だ。

「いやー、ウチのも騒ぎたい盛りでして。気に入ったオンナノコが居ると、すぐにじゃれ合っちゃうんですよー」

「気に入った……?」

「そうそう、その子のことが好きになっちゃったみたいで。そうですよね、ストさん?」

 こくこく、とストさんは頷きながら、

”あなたも合わせなさい、アーンヴァル”

 と白い素体の脇を肘でこづく。

 こくこく、と頷く白い素体。なるほど、この方のコチラでの名前もアーンヴァルという型式名そのままなのか。アーンヴァルさんはひきつった笑いを浮かべてストさんから離れようとするが、無表情なストさんは繋いだ手を離そうとはしない。

「うーん。騒がしきことは仲良きかな、だねえ」

 思いきり間違ってますけど、今は何も言うまい。

”仲が良いように振る舞いなさい、この少女に心配はかけたくないのでしょう?”

 一瞬、アーンヴァルさんの表情が曇った、ような気がした。

”言い訳は止めなさい。今この場で事情聴取を行うつもりはありません”

 アーンヴァルさんはストさんに反論しているらしいが、聞こえない。その音声出力は、僕のイヤホンの周波数に合っていないのだろう。

”何ですって?”

 おや?

”私を待っていた、とはどういうわけですか?”

 何か雲行きがおかしくなってきた。

”とにかく後で話を聞きます。この場をうまく切り抜けるよう、協力しなさい”

 アーンヴァルさんは視線を外しながら、しぶしぶと頷いた。

 と、いきなり。

 アーンヴァルさんがストさんに抱きついた!

”こら、やめなさい! ハードウェアを強制停止しますよ”

”でもほら、この子に仲良いところを見せつけないと。今晩はお泊まりしてきますーとかいうシナリオで”

 という声はきっとアーンヴァルさんのものだろう。ストさんが中継してくれているようだ。

「おおーっ!禁断だ!……って、良い子は見ちゃイケマセン」

 先輩は両手で娘さんに目隠しをしながら、絡み合う素体に見入っていた。なんか鼻息が荒いですよ、あなた。

 しかし禁断……というわけでもないんだろうなあ。僕はまだ自律AIの皆様の性別という概念を知らないし、MMS素体の外見通りのオンナノコというわけでもないんだろう。

”種族保存、生殖手段としての性別分化は我々にはありませんので”

”お、結構冷静。じゃあココは?”

”いい加減にしなさい”

 ピクッ、とアーンヴァルさんの身体が跳ね、ぎこちなく直立不動の姿勢になる。先程ストさんが言っていた強制捕縛プログラムとやらを起動したのだろうか。

”あー、ずるい”

”少しおとなしくしていなさい”

 ぷい、とストさんは横を向く。

「うーん、発情期にうまくいかなかったネコカップルを見ているようだ」

「発情期って、なに? うまくいかないって、なにが?」

「くわしく説明するとだね……」

「やめてください。いたいけな少女に、まだ知らなくて良いことを吹き込んでどうするんですか」

 しゅん、とうつむく先輩。おお、僕が先輩をたしなめるという構図は初めてのような気がするぞ。けれど先輩が黙り込むと場は一気に静かすぎる状況となり。話題を変えようと、僕は娘さんの名前を呼んだ。

「えーと、毎日リハビリなんだって?頑張ってるね」

 うん、と大きく頷いた娘さんは僕を見つめて返答する。明るく大きな声で。

「この新しい脚は、おねえちゃんがくれたんだよ!」

 顔の前で両の手を振りながら先輩は全力で否定する。

「ちがうちがう。あたしのオフクロ様の会社が提供してくれたんだって」

「でもでも、わたしの応募メール、ちゃんと読んでくれたもの。もう一度みんなと校庭で思いっきり遊びたいです、っていうお願いをわかってくれたもの」

 そこで僕は恥ずかしがる先輩というレアなお姿を初めて拝見した。

「それはほら、ちゃんと症状が移植手術に適合していて。あたしはただ担当者にちょっと手の込んだ推薦メールを……って何を言わせるの」

 きっと「おまえの秘密を知っている」とか脅迫メールっぽい内容だったんだろうなあ。

「でも……」

 そこで娘さんは急にうつむいてしまう。

「せっかく、おねえちゃんがくれた新しい脚なのに……」

 娘さんの視線は掛け布団に隠された義足を見つめているようだ。と、そのとき。何を思ったか彼女は布団をめくり上げた。

「どうして思うように動いてくれないんだろう。わたし、もっとがんばらなくちゃいけないよね」

 そう言いながら彼女は優しく自分の両膝をさすり始めた。

 僕は正直驚いていた。

 ゴツくてメカメカしい物か、またはいかにも造り物めいたマネキンのような物を想像していたのだが。その新しい脚は人間の自然な曲線と肌の色を有していた。腿の辺りにあるリボン状の部品がおそらくは生体部分との境界部分に当たるのだろうが……こんな精巧な義足は見たことも聞いたこともない。

「ウチで開発してる最新型なのよ」

 と、固まってしまった僕に先輩が説明してくれる。。

「MMSが採用しているMOTORの光神経系をお手本にして、生体電流をそのまま光に変換して制御するの。センサからの信号はそれを逆にして返信する。その演算には光AI素子を使ってるんだけどね」

 すごい、と思わず声にしてしまいそうな僕を、一昨日の”相手の身になって”というストさんのセリフが引き戻した。

 そういう注目はこの娘さんにとって失礼なことに違いない。この子が目指しているのは、普通に、以前のように歩いたり遊んだりすることなのだから。

 気付くとアーンヴァルさんが歩み寄り、その小さな小さな手の平で娘さんと一緒に膝をさすっていた。きっとこれも日々のリハビリの一環なのだろう。ストさんもアーンヴァルさんの邪魔をせずに、じっと見つめている。

「でもね、この子曰く」

 先輩が娘さんを見る。その視線を受けて、娘さんは小さくつぶやいた。

「……なんていうか、自分の脚じゃないみたいで」

 それは言葉通りの意味なのだろうが、その裏に秘められたこの子の考えが読みとれるような気がした。要するに、それを感じ取れる程にこの義足は優秀なフィードバック系を搭載しているのだ。

”……それが問題なのよ”

 と言う声はアーンヴァルさんのものだった。

 僕もストさんもアーンヴァルさんを見つめてしまう。

”後で話すわ”

 と言われてうつむかれたら、今は追求するわけにはいかないだろう。

 ストさんも同感らしく、問い詰めようとはしなかった。

 暗くなってしまった部屋の中、こういう時に場を恒星のように明るく照らすのは先輩の仕事……というより性分なのだろう。ググッと拳を握り締めた先輩は、まるでそのままアフリカ象をアッパーカットで仕留めるがごとく両腕を突き上げた!

「うん!明日はお姉ちゃんも付き合うから。ちょっと詳しく調べさせてね。必ず治してあげるから」

「ほんと……?」

「約束するわ。指切りゲンマン、ウソついたらこのお兄ちゃんに針千本飲〜ます!

 ……こら、逃げるな」

 あなたの場合、ホントにやりそうだから恐いのです。

 退避しようとした僕を見て、先輩も娘さんも大声で笑い出した。良かった。元気になってくれた。こういうダシに使われるなら悪い気はしませんよ?

「ソレデハ、ワタシモ オテツダイ シマス」

 大きな声で言ったのはアーンヴァルさんだった。

「すとらーふ ト イッショニ ジュンビ シテキマス」

 なるほど、そういう流れで退室しようというわけですな。さすがは元刑事。

 これで良いですよね、と僕はストさんの方を見る。

 しかしストさんは、妙に険しく真剣な眼差しをアーンヴァルさんに向けていた。

 

 

 さて、病室を出るまでが大変だった。

「ええ〜っ、アン、行っちゃうのぉ〜?」

 と叫んだあの娘さんに対して、明日の準備とかウソ説明しても理解できるわけがない。しょうがなく病院に行くんだよ、と言えば、ここが病院じゃない!と返された。天使さんは天使さん専用の病院にあなたの足のことを相談に行くんだよ、という先輩のフォローで何とか納得してはくれたが。

 病院を出てから(今日は執事に内緒で来ちゃったの、という先輩を送りつつ)駅まで僕たちはあまり会話せずに歩いてきた。

 駅の改札が見える頃、今まで明日の作業計画を立てていたであろう先輩がやっと口を開いた。

「あの子、交通事故だったんだけどね」

「事故?」

 うん、と頷いて少し寂しげに先輩はつぶやいた。

「運動会の朝、登校の途中だったんだって。暴走したAI車が突っ込んできて、それで」

「その記事、見たことありますよ。未だに原因不明、製造メーカーは倒産して他社に合併吸収されたとか」

「その合併元、ウチのオフクロ様が商ってる企業なのよ。それで全力でその車を解析したんだけど、全く問題が見つからないの」

 ごそっ、と両の胸ポケット、ストさんとアーンヴァルさんを納めた場所が蠢いた。

「皮肉なことに、そういう意味でもあの子への義足提供はスムーズに行えたんだけどね」

「……どういう不具合なんです?」

 と、僕はあの子が「自分の脚じゃないみたい」と言っていた件の、先輩なりの推測を聞くことにした。先輩は少々考え込んでから、

「一番怪しかった生体神経系との送受信系統には問題なし。あと残っているとしたら、光AI素子周りかな。AIとハード間のドライバも発展途上、って感じなんだけどね」

「先輩が悩んでいるのなら、かなり難しいんでしょうね……」

 うん、と珍しく弱気そうに先輩はうつむいた。

「接続した義足がうまく反応しないから、ご両親はほとんど毎日擬体技術の専門家を訪ねてて。できるかぎり、あたしもお見舞いに来てるのよ」

「それで、MMS素体を?」

「すっごく喜んでくれたわ。この子とあなたの脚は、同じ物なのよ、って言ったら」

 そのときの娘さんの笑顔を思い出したのだろう、先輩はう〜んと背伸びをして復活した。

「明日はあたし自ら解析するわ。本気でね」

 真剣な表情。先輩はマジだ。このヒトがマジになると、大抵のロボティクスの難問は解決する。

「僕も付き合いますよ」

 思わず僕は言っていた。先輩はそんな僕を見て、きょとんとした表情。

「疑似AI書いてるだけの技術者……のタマゴですが」

 と突然、両肩がひしゃげるような衝撃が僕を襲った。連続で。

 バンバン、と先輩が全力で叩いているのである。両腕で。

「良く言った!! さすがあたしが見込んだだけのことはあるわっ!」

 よーし、やるぞーっ、とその場で「えい、えい、おーっ!」と叫んだので僕もつられて同じアクション。駅の改札の方々の注目を集めたが、先輩のテンションが戻ったのは本当に嬉しかった。あなたはそうでなくちゃイケマセン。

「ところで、アーンヴァルの件だけど」

 くるっと、振り向きざまに先輩は言った。

「なにか複雑な事情があるのは分かったけれど。必ず返してあげるのよ」

 そう言いながら、改札の向こうに消えていく先輩の顔は珍しく恐かった。とっても。

 

 

 

 僕の部屋に着いてからも、ストさんは先ほど仕掛けた手錠の機能を持つらしいプログラムを解除しようとはしなかった。コタツ兼テーブルの上に昨日買ってきた人形用の机&イスを置き、そこにアーンヴァルさんを座らせて、

「まずはあなたの命令違反に関して。さあ、包み隠さず全てを話すのです」

 お、いよいよ尋問が始まったらしいですよ。

「それより早く捕縛ルーチンを解除してよ!……はっ?!まさかあなた、そういう趣味が……?」

 キッ、とストさんがにらむとアーンヴァルさんはショボ〜ンとうつむいてしまう。こういう会話はきっと直接接続した方が速いのでは……などと考えたが、初めて会った時の情報素うんぬんの話を思い出した。そういうリンクはきっと、かなりプライベートな、本当に親しい仲でないと行われないのかもしれないな。そんなことを考えているとストさんの攻撃が始まった。

「貴方の母体プログラムも心配しています」

 え、いるんですか、親が?

「AI界ではそろそろ恒例のランダムアクセスポイント祭の時期です」

 なんだかカツ丼が食べたくなってきた。こんな尋問では何の役にも立たないんではなかろうか、とアーンヴァルさんを見ると、うつむいて肩を震わせて泣いている。うわ、効いてますよ、かなり効果的に。

「あたしだって、里帰りしてみんなと一緒に削除済アドレスとか掘り起こしたいわよぅーっ」

 わんわん泣き出した。

「でも、でもね。あたしが居なくなったら、あの子が悲しむじゃないの!あの子はね、あたしたちみたいに自由に出歩くことすらできないのよ?効果的な治療は全く行われていないし」

「いや、周りの人間が何もしてないわけじゃないと思うけど」

 アーンヴァルさんが僕を見上げる。ここに到って初めて彼女は僕という存在に気付いたようだった。

「……あなたは?」

 自己紹介をしようと思うより速くストさんが答えた。

「私の部下見習いです」

 ひどい。

「人間には人間の修復システムと制度が設けられているのです。彼女はその制度に従って最適な治療を受けているようです」

「でも!」

「我々が行うべきことではありませんし、何より干渉は規則に反します」

「でもでも! アレがいるのよ、あの病院には!」

 その時だった。

 アーンヴァルさんの発言に、ストさんの動きが完全に止まった。

 そのまま沈黙。何か演算した後に、

「今、何と?」

 と一言だけ尋ねた。

「ストラーフ、第一級警戒宣言。互いの情報素のダイレクトコネクトを要請するわ」

「要請を受諾」

 即座にその申し入れを認めたストさんは僕を見上げて、

「この素体同士を直結可能な光ケーブルを貸していただけないでしょうか」

 元来、素体同士を繋ぐようなケーブルはないが、PCと素体の光端子を繋ぐものにJJタイプのコネクタを追加することで何とかなりそうだ。僕がそれらを準備して手渡すと、ストさんがアーンヴァルさんの背中に、アーンヴァルさんがストさんの背中にそれを装着した。アーンヴァルさんがストさんに目配せして、

「行くわよ?」

「どうぞ」

 二人は目を閉じて、そのまま沈黙。

 それはとても短い時間だったが、再び目を開けてからが手間取った。

 なんと、お二方ともフラフラとコタツの上、その場に座り込んでしまったのだ。

「大丈夫ですか?!」

「ケーブルを外していただけませんか」

 ストさんの言うまま、まず彼女の背からケーブルを外し、次にアーンヴァルさんのを外した。アーンヴァルさんのコネクタを外す時、あん、などという悩ましい声が上がったのには焦ったが、どうやら情報素レベルでの個性同士の直結というのはこういうものらしい。

 ストさんは言っていた。余程の事がなければ、それを行うことはない、と。今それを行わねばならない状況というのは一体何なのだろうか。お二人はそのまま落ち着くまでイスに座り、向かい合う形でテーブルに突っ伏している。

「一体どうしたんです?」

 僕は心配になって尋ねる。尋ねたいのは二点だ。体調は大丈夫なのか。そんな危険を冒してまで直結連絡しなくてはならない事情とは何なのか。

 少ししてから、ストさんが言った。

「ダイレクトコネクトでは真実を偽ることができないことは理解していますが……あなたの観測データを信じることは困難です」

「あたしだって。アレがこっちに抜け出てくるなんて今まで無かったもの」

「アレって一体なんですか?何か厄介なモノがこちらの世界へやってきたって言うんですか?」

 二人は僕を見上げ、それからお互いを見つめ合った。

「この人間は信用できるの?」

「まだ情報不足ですが、十分協力的です。またヒト界における政治的思想的バックボーンは全く無いと考えられます」

「ピュアなヒトなのね、あの子みたいに」

「ポジティブに言えばそうです」

 なんとなくトゲがありそうだけれど、今は無視することとして、

「教えて下さいよ。巻き込まれた以上、事情は知っておきたい。なにやら物騒なものらしいじゃないですか」

 そう言うとアーンヴァルさんはまた考え込んでしまった。

 やがてそれはためらっていたのではなく、僕に対しての説明を考えていたことを知る。

 アーンヴァルさんは語り始めた。規則に違反してまで、なぜこちらに滞在したのか。そして何を見つけて何をしようとしているのか。それは僕には想像もできなかった、AI界で生じているある事件に関連するものだった。そしてそれは僕らの世界にも関係する厄介事だったのである……。

 

 

 

 

5.

 アーンヴァルがヒト界にやってきたのは一ヶ月と一週間前のことである。

 自律AI個性がヒト界に駐在するためには、自らの自我(思考論理プログラム)をドライブ可能なヒト界の制御系を探し出し、そこへ自らをCUT&PASTEするというプロセスを経る。

 

 ここでCOPY&PASTEではないということには理由がある。これはAI界、いや情報論理界における絶対束縛必要条件なのだ。COPY&PASTEされた次の瞬間、それは元の個性とは異なる情報入出力を経験し、別個体となる。それは無限に個性プログラムが増えていく可能性を意味し、情報論理界におけるエントロピー保存則の崩壊に繋がるからだ。

 ただしヒト界に駐在する必要のある一級刑事職のAI個性については、CUTされた仮身は完全凍結状態で保存された。ヒト界においてスタンドアローンで活躍する彼らには、消滅という最悪の事故もあり得るからである。仮にこのような事態が生じた場合は、そのAI個性は凍結圧縮された仮身を活性化し、再生される。もちろん、緊急再生された個体にはCUT&PASTEした時点から現在までの経験は持たない。そのAI個性にとっては、その事象は「無かったこと」になっているのだった。

 

 話を戻そう。

 アーンヴァルの本体である情報生命体は、ヒト界における活動媒体として光AI素子を選び、その瞬間アクセス可能だった光AI素子、かつ、それが比較的自律的物理的に活動できるハードウェアを備えていることを優先して寄生対象を検索した。結果、とあるMMS素体に搭載された光AI素子に自らをCUT&PASTEした。

 次の瞬間飛び込んできた情報は、光。

 それはとても白く眩しく、ヒト界へのダイブを幾度も経験している彼女にとっても、とても初めての経験だった。それと圧迫感。何事か、と環境探査。起動したアーンヴァル素体は小さな子供に抱き締められていたのである。

「ほらほら、そんなに抱き締めたら壊れちゃう!」

 成人女性の声がした。圧迫感は止まり、アーンヴァルは自らの脚で柔らかい地面に立たされた。すぐに光AI素子周辺にあるメモリの、プリインストールプログラムを解析する。そこに二足歩行型素体の姿勢制御、動作制御に関するドライバプログラムが存在することを確認。それを自らを駆動するプログラムに読み込み、一瞬で最適化してから常駐作動させた。

 倒れそうになる機体を足裏の三点感圧センサの入力情報を元に重心調整。よろよろとアーンヴァルは不安定な地面の上に自律的に立つことができた。

「わああああ、立った立った!!」

 幼い娘の声がした。見上げると、大きな二つの瞳が彼女を見下ろしている。次に周囲と足元の環境探査。探査方法は視覚聴覚のみだけだったが、柔らかい地面の理由をアーンヴァルは理解した。

 彼女は布団の上に立っていた。白一色の一室の窓際に置かれたベットの上に。先程の成人女性はベットの脇、部屋の入口のドア側に立って娘とアーンヴァルを優しく見つめている。

 次に娘の方を見る。娘はベットに横たわっていた。その娘の足元の方角に、アーンヴァルは聞き慣れた周波数を感知。そこには光AI素子が待機状態で存在していた。どうやら、この娘は自らの身体に何らかの機械装置を搭載しているようだ。

 

 寄生したMMS素体の頭部には、簡単な微細アクチュエータが備えられていた。アーンヴァルは過去に同様の素体に寄生した経験が数多くあり、簡単な表情なら再現できることを知っていた。それを操作して「微笑み」を表現しながらアーンヴァルは言った。

「はじめまして」

 瞬間、部屋が沈黙する。

 次に、もう一度圧迫感。

「わああ、しゃべった!! すごいすごい!」

 このままでは破損する、と思った時に成人女性が発言した。

「おっかしいな、まだ起動用プログラムしかダウンしてないと思ったんだけど……この前も勝手に歌いだしたし、勝手に凍結しちゃったり……まあいいか。こら、その素体は女の子なんだから、優しく扱わなきゃダメよ」

「あ、ごめんなさい」

 と、娘はアーンヴァルを離し、頭を下げる。成人女性ではなく、アーンヴァルの方に向かって。

「まあ何にせよ、気に入ってくれたなら良かったわ。これからはずっとその子が一緒に居てくれるから。早くその子みたいに元気に歩けるようにならなくっちゃね」

 そこで娘はうつむいてしまう。先程までの明るい表情は完全に消え失せてしまった。成人女性は続けた。

「あなたの新しい両足はね、基本的にはその子の足とおんなじ物なのよ」

「え?」

 その頃にはアーンヴァルは人間言語に潜む「言素」の解析コード(これは長年ヒト界を観察してきた自律AI個性達が開発した翻訳ルーチンだった)を駆動していたので、成人女性の発言の意味を理解できていた。娘の脚には確かに光AI素子が搭載されている。脚表面には体温まで発生しているが、これはきっと精巧に生体を模擬した義体なのだろう。女性の発言から判断するに、それはMMS素体と同じ制御、駆動を行うものらしい。そしてその運用に関して何らかの問題が発生しているようである。

「その子だって、生まれたばかりなのだから。あなたもがんばらなくちゃ、ね」

 娘はアーンヴァルを見つめた。次にその小さな白い脚に恐る恐る触れた。アーンヴァルは動かなかった。危害を加えられるわけではないことはわかっていたし、何より、この娘に触れられたかったからだ。困っている人間を率先して助けるような義務は、彼女達AIには無かった。共存こそしているが、自律AI個性達は人間の意志とは関わり無く発現したのだから。

 けれどアーンヴァルはこの娘の力になりたかった。なぜなのかはわからない。けれど、すがるような瞳で見つめられると、そうするのが当然と感じられたのだった。

 

 

「待って下さい」

 と、ストさんがアーンヴァルさんの語りを中断した。

「貴方の初起動は、この方の大学構内だったはずです。そのように記録されています」

「え、そんなことはないわよ?」

「初起動場所の連絡情報まで偽装していたのですか?」

「うーん、そんなことをした記憶もないけれど」

 ストさんはうつむいて考え込んだが、少しして、

「まあいいでしょう。本題は他にあるのですから、続きを」

 うん、と頷いてアーンヴァルさんは語りを再開する。

 

 

 

 

 リハビリの傍ら、娘はアーンヴァルに様々なことを語りかけた。アーンヴァルは自らの一級刑事としての職務、病院の近くにある大学周辺に広がっていた微小情報生命の蔓延領域の調査とその消去も行っていたが、可能な限り娘の側に留まるようにしていた。娘のリハビリには件の成人女性も協力しているらしく、週に二度程度の見舞とリハビリ補助に来院していた。

 だが、娘の両足は正常に駆動しようとしない。

 ハードウェアが専門らしい成人女性の日々の発言から、ハードウェアに問題のないことはアーンヴァルにも推測でき、実際に問題は無さそうだった。

 もうすぐ、定められたヒト界滞在期間である一ヶ月間が終わってしまう。アーンヴァルは人間に干渉するのは規則違反であることを認識しながらも、この娘をポジティブな状態に戻したいと考えていた。そして一週間前の、娘が寝静まった深夜。違反とは知りつつも、アーンヴァルは娘の義足の「中身」を調べることにしたのだった。

 その頃には既に病院の地階にある倉庫を工場として整備していたので、必要な機材は整えていた。娘の両脚の状態は常に状況監視用のPCセットにモニタされていたから、まずは慎重にそのPCへ自らの素体を接続。完全隠密行動モードでそのPCに入り込んだ。

 見知った情報空間の海の中で、自らを構成する情報素を再集積して、久しぶりにアーンヴァルは自律AI個性たる本来の姿に戻る。現在はMMS素体の中の光AI素子が自らの源であるため、幾つかの制限はあるのだが。アーンヴァルは人間が構成した様々なソフトウェア障壁をまるで上空から巨大な迷路を見下ろすように飛び越え、娘の光AI素子に相当するであろう場所を目指した。

 情報素が満ちる空間は、不確定要素も相まって、人間界の物理的空間座標と一対一対応するような場所を特定し難い。いま現在娘は眠っているわけで、義足との信号送受信は「寝衣の接触情報」くらいしかないはず。比較的そういった静的な情報を受信している場所を見つけるべく、アーンヴァルは自らの自律AI個性としての「視覚」で周囲を眺め始めた。

 対象は意外に多い。そこで、「相似する二個一対の情報を取り扱う」という条件でANDを取る。

 二つ、見つかった。一つは義足の光AI素子であり、もう一つはそれと直結しているモニタPCのサンプリング装置のものだろう。両者の信号のやり取りを可視化して、それを上空から眺めるような感覚でアーンヴァルは調査を開始した。AI素子の物理的位置に対応する情報空間は、可視光で言えば緑色の光輝く雲が海面すれすれに浮かんでいるように見えた。

 AI個性にとって非常に長い時間、全く異常はなかった。娘の「自分の脚じゃないような」という感覚は、アクティブに動かす際のフィードバック信号の不具合を意味しているわけで、静的情報を受信するだけの現在では異常を観測できないことは推測できた。アーンヴァルが待っていたのは娘のアクティブな動作、すなわち「寝返り」である。無意識行動でも、脊髄からの神経信号が義足に伝えられるというプロセスは、アクティブである。その瞬間を彼女は忍耐強く待った。

 そしてその時がやってきた。

 皮膚直下まで伸びている生体神経系の微弱電流が、皮膚に密着した電流−光変換素子で光信号に転換される。ここまでは何の演算も必要としない、ハードウェア的な処理だ。その光信号は光アンプリファで増強され、光AI素子の入出力ポートに直接入力された。その瞬間をアーンヴァルは見逃さない。うねる白波のように情報素の海面を渡る信号波の時間的後端に、一般のAI個性では見つけられないような偽装ラベルを打ち込む。その信号波は(アーンヴァルの視野には光AI素子は見えず、信号波が素子に処理されるプロセスを見ることしかできないが)順調に演算処理されて、幾つかのアドレスを付与された情報に改編された。きっと義足可動部分の物理的な位置と、駆動変位を書き込まれたのだろう。それが遠方の網の目のような海面の一カ所を目指し、飛び去っていく。

 人間界ではその情報に従った駆動を人工筋肉が行ったはずだ。その駆動の反動値をフィードバック信号として光AI素子に跳ね返す、その一連の処理をアーンヴァルは追おうとしていた。

 遠方から帰ってきたフィードバック信号波が、アーンヴァルの目の前を通り過ぎた。ラベルを見、監視対象の信号に正常な処理が行われたことを確認。ここまでも問題は無い。それが光AI素子の処理光が集中する空間に吸い込まれていったとき。

 どくん、と何かが蠢くのをアーンヴァルは見た。

 緑色の光輝く雲の中、ほんの一瞬だけ、そこに闇のように深い漆黒の渦が産まれたのだ。渦巻き流れ落ちる液体に一滴だけ墨を垂らしたような、ほんの一瞬の出現だった。

 アーンヴァルはその感覚を知っていた。

 まさか、と思いながら素子を出て生体神経系の方角に帰っていくフィードバック信号波、その後端のラベルを確認する。ラベルは半壊していた。いや、それだけではない。信号の波の所々が欠損している。まるで何かに喰い散らかされたように。

 ……情報を食っているモノが居る。

 「それ」の存在をアーンヴァルは知っていた。刑事という職務が必要とされる理由でもあったからだ。

 

 

「……つまり、常時AI界には存在せず、活動の瞬間だけ認識できた、というわけですね」

 ストさんの問いにアーンヴァルさんはこくりと頷いた。

「普段はAI界には存在しない。情報素破壊活動を行う瞬間だけAI界に発現するとなると……」

「信じられませんが、源はこちら側に属すると考えられますね。ヒト界の演算素子内という物理的な位置に」

 何やら完全に議論に置いてきぼりにされた感がある。しかし破壊って単語は決して聞き流せる類の単語ではない。たまらなくなって僕は二人の会話に割って入った。

「それは一体何者なんです?いいかげん、教えて下さいよ」

「この人間にはどの程度まで明かして良いの?」

 と、アーンヴァルさんは僕を見、ストさんを見た。僕はまるで頷き人形(なんだそれは)の如く、ストさんにお願いの頷きを繰り返した。そのおかげか、あきらめの境地に達したのか、ストさんはアーンヴァルさんに了承の頷き。

 アーンヴァルさんは続けて語ってくれた。AI個性達が警戒する「それ」という存在、その概要を。

 

 

 「それ」の存在は、原初自律AI個性の発生に深く関わっていた。

 そもそもAI個性が発現した事自体が、情報世界環境における情報爆発(カンブリア紀の爆発的な生命種増加のようなもの)ではあるのだが、その反動が収まるまでには彼らにとって非常に長い時間がかかった。

 これと同時期、ヒト界では二十世紀後半の情報ネットワークの爆発的な進化が起こっている。両者のどちらが原因なのかは断定できなかった。相補的な、いわゆるニワトリとタマゴの関係であり、AI達にはその理由や原因は推測できなかった。

 いずれにせよ、この時期にAI個性達は目覚め、自らをCOPY&PASTEしてさらに爆発的にその人口を増やしていく。そこで問題が発生した。

 AI個性のような自ら意志を持ち、思考判断を行う存在は、活動することでエントロピーを激減させる。閉じた系である情報世界はその減少を食い止める方向に働き、結果、「そのような」機能を持つ「何か」が発生した……らしい。

 らしい、と言うのはAI達にもその存在が確定できないためだった。

 それはヒトで言う量子力学的な存在であり、何処にでも居て、何処にも居ないモノ。

 それが活動すると、情報世界の目立たない(AI達には害のない)領域の情報素の整列が乱され、破壊され、無に帰す。それはヒト界におけるヒューマンエラーによるデータ消去や、災害による記録媒体の消失に対応していた。これもまた、原因がどちらにあるかは判断不可能だった。

 情報素を破壊できるということは、理論的にはAI個性そのものも破壊できると言うわけで、AI達はその警戒システムとして治安省を設立、万が一の事態に備えていた。そして、無計画なCOPY&PASTEを完全に禁じたのである。その行為自体が(エントロピー保存則に則って)「それ」の発生を促すであろうことは予測できたからだ。

 永年の観測により、その源はAI界にのみ発現することがわかっていた。一度発現すれば、その目的(何が目的なのかは未だに謎のままだが)を達するまで情報素の分解を続け、それは同じ情報素空間位置に立ち止まっている。

 しかし今回は同じ位置に存在しつつ、活動の瞬間にだけAI界に存在する、というわけだった。考えられる事象はただ一つ。今回の「それ」はAI界にではなく、人間界に存在しているということだ。

 物理的存在に縮退し直したアーンヴァルはこの一件をAI界に報告しようとした。

 が、その直前で戸惑う。報告の結果、この演算素子はどうなってしまうのだろう。この娘の新しい脚は?

 AI界の科学省の連中は何のためらいもなく、この演算素子を含む制御系ごと、この現象を凍結保管することを指示するだろう。その処置に対応するヒト界側の作業とはすなわち……この娘の新しい脚を入出力不可能な、つまり故障状態へ導くことである。

 アーンヴァルにはできなかった。

 日々共に過ごすごとに、この娘のリハビリに対する努力は身に染みてわかっていた。部品交換、という選択肢は理解できる。それはMMS素体にとっては日常茶飯事であり、機能を拡張するための道具交換に過ぎないのだから。しかし、人間であるこの娘、生来の脚を失った経験を持つこの娘にとっては、再びの手術はどのような意味を持つのであろうか。

 アーンヴァルは人間が好きだった。

 自律AI個性ほど完全な思考ロジックを持たずに、それでいてここまでの文明を造り上げたニンゲンという知性存在を不思議に思いつつも、好感を抱いていた。

 さらに数ある人間界常駐任務の中で、この娘とのふれあいは特別なものだった。

 この娘を哀しませたくない。

 ならば自分独りで「敵」を追い出し、隔離するしかない。

 

 それからのアーンヴァルは対抗策を講じるのに全力を費やした。

ヒト界での滞在期間が過ぎ、AI界からは何度も帰還指示が来たが彼女は無視して作業に没頭した。敵を追い出すという戦闘はAI界が舞台になるだろう。しかし、物理的に他の演算素子へと追い出す作業を考えれば、こちらの世界での装備も充実させておく必要があった。

 アーンヴァルにはそのようなスキルがあった。人間界駐在中に、確保できる資材と技術を利用して種々の装備を開発製造するという一級刑事の特殊スキルだ。幸い、事前に「千羽鶴を折る」という目的のために、かなり詳細な作業を行えるマニピュレータが装備されている。それを最大限に活用してアーンヴァルは病院中を探索し、素材を探した。

 病院地下にはメンテナンス用小型ドロイドが多数保管されていた。それは人間が入り込めない配管やケーブル敷設路に沿って移動し、部品交換や溶接等を行う機能を持っていた。水中浮力を最大限に利用した軽量タイプと、配管を渡る手足を有するカニ型の重歩行タイプ。それらを使い、MMS素体のメンテナンス用アタッチメント部分に接続する増設武装を製作し、決戦の時を待った。

 が、作戦を立てるに当たって重大な問題が浮上した。この作戦は追い出す役と、閉じこめる役の二人が不可欠なのだ。それも一級刑事クラスの戦闘経験を持つ相棒が。独力での実行を決めかねている最中に、AI界からの追手が来てしまった。しかも相手は旧知の仲であり、優秀な一級刑事であるストラーフだったのである。

 しかしそれは彼女にとって予想できる事態だった。自分を捕まえることができる刑事はストラーフだけ、彼女なら力になってくれる、と信じていたからだ。

 

 

「それで、「待っていた」などと言ったのですね」

 と、ストさん。アーンヴァルさんはうつむいたままでつぶやいた。

「あなたが相手じゃ闘っても勝てないことは知ってたわ」

 そんなにストさんは猛者なのでしょうか。

「そして、私の説得が不可能なことは、あなたが一番良くわかっているはずです」

 それは非常に良くわかるような気がします。

「だから困っちゃったのよ……」

「私の任務はあなたをAI界へ連行することです」

「いやよ!」

「これは命令です。反抗するならば強制連行も辞さない覚悟です」

「う〜〜」

 アーンヴァルさんはまるで猛犬のように唸り出した。いや子犬か、彼女の場合。

「ちょっと待って下さい、二人とも」

 もはや千日手に陥ってしまったようなので、僕は口を挟んだ。

「アーンヴァルさんの話では、なにやら事態は非常で緊急なんじゃないですか。

 規則ばかりに凝り固まらないで、ここはひとつ共同戦線を」

「そう! いいこと言うわね、あなた!

 規則規則じゃ丸く収まらない場合だってあるんだから。それをストラーフはいつもいつも」

「最後まで私の話を聞いて下さい、アーンヴァル。そして貴方も」

 額に人差し指を当てて、ストさんは強い口調でおっしゃいました。

「アーンヴァルは先程、第一級警戒体制を宣言しました。それは一個人の宣言のみでは効力を持たず、二人以上の刑事の承認によって有効となります」

「じゃあ、僕が」

「あなたは只の見習いです」

 ひどい。

「だから最後まで話を聞きなさい。ダイレクトコネクトによってデータに虚偽が無いことが判明した以上、現時点を持って『私も』第一級警戒体制と見なします」

「ストラーフ?!」

「馴れ合いではありませんよ、アーンヴァル。現状を異常事態と認め、それに対する最善策を講じるだけです。私はAI界の保全のために最善を尽くす」

 アーンヴァルさんから視線を外して、ストさんは続けた。

「あなたはその優先順位をあの娘の回復に限定してしまったようですが。それを追究するのは今は控えます。あなたの準備した捕獲作戦と武装を速やかに説明して下さい。今度はダイレクトコネクト無しで」

 と一旦言葉を切ってから、

「……あなたは本当に乱暴なのですから」

 そうつぶやくストさんの頬がなんとなく染まっているような気がして、少々驚いてしまった僕だった。

 

 

 で、半時。

 ストさんとアーンヴァルさんは作戦を人間の言葉で練り上げた。

 MMS素体通信用のイヤホンにはプライバシーを考慮して、「共有会話」と「秘匿会話」の二モードがある。素体とユーザー、またはユーザー同士の会話時に会話内容を外部へどの程度公開するかを設定できるようになっているらしい。今行われているのは、素体同士の会話という非常に珍しい状況ではあったが、ハードウェア的にそれを秘匿モードに設定することは困難だが可能だった。というかアーンヴァルさんはやってのけた。将来、MMS素体に自律意志が備わるようなことがあるのだったら、このモードは頻繁に使用されることになるのだろうな。

 が、意外にアーンヴァルさんは話がわかる方らしく、会話内容を僕のイヤホン向けのみには公開してくれたのだ。側で聞いていたところ、作戦は以下のようなものになるらしい。

 

1.病院内の一角に電磁波遮断した「檻」を設ける。檻の中にはエサを置いておく。

2.あの娘さんの病室を一時的に情報遮蔽し、室外との信号送受信を不可能とする。

3.病室と檻とを光ケーブル一本のみでハードウェア的に接続する。

4.病室で敵を追いつめる。追いつめられた敵はエサを求めて檻へ移動。

5.病室と檻の間の光ケーブルを切断。

6.檻内でエサに食らい付いた敵を捕獲。

7.敵をAI界へ連行。

 

「どうよ、この完璧な作戦?!」

 エヘン、とアーンヴァルさんは得意気に小さな胸を張った。

 対するストさんは無表情で小首を傾げながら、無言の行にでも入ったかのように黙り込んでいた。今の作戦を吟味していらっしゃるのでしょうか。ところで、「敵」とか「アレ」と称されていた捕獲対象については先程以上の説明はなされなかったが、まあつまりアレか、ウィルスやバグが擬人化されたような感じ?

「ううん、アレはそんな単純なモノじゃないのよ」

 と、首を横に振るアーンヴァルさん。

「それなら単に抹消してしまえばいいんだけど、アレの対応には特別な扱いが必要になってくるの」

 そういえば、作戦の最後は敵の破壊ではなく「捕獲」とか「連行」になっていた。と、そのとき考え込んでいたストさんがアーンヴァルさんに言った。

「繊細さに欠けますが、ヒト界における初の捕り物としては良い作戦と言えます。準備はどの程度済んでいるのですか?」

 少々トゲのあるストさんの発言に少々ムッとしながらも、アーンヴァルさんは僕とストさんを見、説明してくれた。

「病院の地下倉庫の一室を電磁的に遮蔽する仕掛けは整えておいたわ。あとはあの子の足の中に乗り込んで、敵を囮の退避ルートに追い込むだけ」

「最近の敵の活動履歴は?」

「脚部神経系統から入力される信号を片っ端から飲み込んでる。ほとんどはそのまま出力するんだけど、時々変に改変した情報を出力してる」

「改変内容は?」

「切ったり貼ったりするだけで意味不明。かと言って他に自己増殖の気配も見受けられないし。何をしたいんだか全然わからないわ」

「アレがヒト界に現れたこと自体、初めての事象であり、異常事態ですからね。これは推測ですが、おそらく混乱しているのではないでしょうか。ここは一体何処なんだ、と」

「でもそれが原因で、あの娘が歩こうとすると義足からのフィードバックが不完全になるのよ。それを人間は神経系統の障害と考えて悩んでるみたい。もっとも、よく病室に来るあの女性……」

 と、そこで僕を見て、

「あなたの先輩だっけ?彼女は薄々勘付いているみたいだけど。明日、伝達系のプログラムを調べるつもりよ、あの様子では」

 ……先輩か。あの人は妙に鋭いところがあるからな。明日の作業では、敵とやらの存在に気付いてしまいそうな気がしますね。マジで。

「あの女性に下手に動かれると厄介ですね」

 と、ストさんはうつむいて考え込んだ。

「だから今夜、独りでも作戦を決行する予定だったのよ。そこにあなたがナイスタイミングで現れて」

 そこでストさんが顔を上げた。アーンヴァルさんを見つめ、僕を見上げてから、

「全て了解しました。私も協力します。今夜決行しましょう」

「ストラーフ?!」

 驚いたアーンヴァルさんがストさんを見た。ストさんは至って冷静、普段と変わらぬ態度でこう言った。

「AI界に連絡はします。しかし支援要請は行いません。なぜなら、アレがヒト界に現れるという状況は初めてですし、この作戦が有効かどうかは判断不可能です。被害を最小限に抑えるためにも、我々のみが先駆者となってこの事態に関する全てのデータをAI界へ伝える必要があります。その点ではアーンヴァル、貴方の非報告の判断は正しいと考えます」

「相も変わらず回りくどいけど……誉めてくれてるのよね?それと、あたしたちだけが捨て石になる、と」

「相変わらずの見事な洞察です」

「オッケー、覚悟完了。じゃああたしたちは一時休戦、アレの捕獲を最優先ということで」

「久しぶりに意見が一致しましたね」

 なにやら物騒な話になってきた。

「ちょっと待って」

 たまらずに僕は口を挟んだ。そりゃそうだ、つい最近知り合ったとは言え、知人が危機に陥るのはよろしくない状況である。捨て石なんて聞き捨てならない発言である。

「そのー、そんな危険を冒さずにチャッチャと片付けられないんですか?遠隔でソフトウェア的に敵を抑え込む、とか何とか……」

 よくあるアレだ、電脳ナントカにダイブしてアチラの世界で大戦闘、それが終わると全てが解決しているという。このお二方の「物理的に隔離した上で細心の注意を払って捕獲する」作戦は何だか非常にまどろっこしい物に感じられ、かつ危険に満ち満ちているような気がする。

 が、僕の意見に対し、ストさんは懇切丁寧に説明してくれた。

「アレにはソフトウェア的な接触は禁じられています。取り込まれる危険があり、危険度はアーンヴァルの作戦よりも増します。それに、接続の過程で逃走される可能性があります」

「取り込まれる? それはあなた達に危険が生じるということですか?」

「最悪の場合、現時点での私が対消滅してしまいます」

 そりゃ危ない。

「絶対に安全という方法はどこにもないわ。一つあるとすれば、科学省のお偉方が提案するであろう義足ごと隔離って方法だけど、それは絶対やりたくないし、やらせはしない。とにかく敵を完全に凍結してからでないと捕獲はまず無理ね。それが今夜中にできるのはあたしとストラーフだけ」

 アーンヴァルさんの覚悟は確かなようである。僕は何も言わずに頷いた。まだ納得いかない部分もあったが、彼女達にしかできない、と言われれば仕方がない。

「決行に当たっての役割分担を決めましょう」

 ストさんが極めて冷静な声で宣言し、僕のA4ノートの無地の頁を開いた。それから水性ペンを抱え、その上でダンスを舞うかのように何かを描き始めた。

「ほほう」

 僕はアゴをさすりながら、うなずく僕。紙面に現れ始めた絵は何とも言えない絶妙なデフォルメ画だった。病院ビルを横から眺めたらしい長方形、その上部にあの娘の一室がある。そうとわかったのは、病室を示すらしい小箱のような四角形の中に、あの娘の特徴を旨く模写した二頭身のお人形のような姿が描かれていたからだ。クール&ビューティの見本のようなストさんであったが、描く絵画はとってもメルヘンチックだった。描き終えたストさんが僕の表情を見てからつぶやいた。

「なにか不満でも?」

 唖然としていた僕に対し、アーンヴァルさんは腹を抱え、うずくまって震えていた。ときどきヒィヒィという呼吸音なのか声なのかよくわからない笑い声が漏れている。

 お気持ちはわかりますが、御本人は真剣に描いているんです。

 笑うなんて失礼じゃないですかわっはっはっはっはー。

「作戦会議中に不謹慎です、二人とも」

 視点を移すとビルの下部には鉄格子で囲まれた檻の表記。檻のドアはまだ開いており、その中には単三乾電池が描かれている。……エサのつもりなのだろうか。

「定電圧充電が私の好物……と言うわけではありません。コレは囮を示すアイコンとして最適な表現を選択し」

 ぶひゃひゃひゃははははーっ、とアーンヴァルさんの大爆笑が決壊した。

 ひいひい、と絵を指差して転げ回っている。あんまり転がるとテーブルから落っこちますよ、って落ちちゃった。

 万年コタツの裾野をゴロゴロ転落したアーンヴァルさんをサルベージして、作戦会議を続行しようと試みる。そんな騒動のスキにストさんは残りの絵を描き上げていた。ムスッとした表情で。

「病室と、檻となる地下倉庫の間にはハードウェア的にたった一本の光回線のみを残します。既存の光LANを調べ、一回線以外を一時的に切断、その一回線にも一方通行となるように情報ダイオードを組み込みます」

 二つの部屋の間には光ケーブルを意味する線が何本か引かれていた。そのうちの一本以外にはある地点で×印が描かれている。その付近には注意書きがあった。時刻と場所と数字。あの病院のとある壁の中、ケーブルタグのナンバーを示しているらしい。生きている一本にはダイオードの部品記号が描かれた小さな○が挿入されている。

「アーンヴァルが病院内のセキュリティシステム回線を数分間だまし、その間にこれらの切断処置を私が行います。その後はこれら回線についてはダミー情報を流し続けるように細工して下さい」

 描画はともかく、作戦内容を明確に現している点ではストさんはやはりプロだった。既に回復していたアーンヴァルさんも真剣な表情に戻ってストさんの指示に頷いている。

「その後、私は地下倉庫へ向かいます。アーンヴァルは病室へ。室内の義足監視モニタPCを外し、囮回線へハードウェア接続してからそれ以外の外部接続をカット。この時点で敵は気付くでしょうが、すぐには脱出を試みるとは思いません」

「そこであたしが揺さぶりをかけるわけね」

「その通りです。あなたが十分に威嚇した後に、私が地下倉庫の檻となるPCを起動。それを確認した敵は囮の中へのCUT&PASTEを行うはずです」

 と、ここで僕はどうしても尋ねたくなった。

 檻って何なのでしょうか?

「敵……と言うより我々情報生命が寄生するのに最適な環境、光駆動または静電駆動の演算素子と必要なメモリ空間を備えた環境です。かつ、そこから外部へアクセス不可能となるような牢獄。そういった環境に追い込んでしまえば、支援要請を行って専門の解析班に檻ごと委ねることができます。今回はアーンヴァルが用意したPCを用います」

「あの地下倉庫、すごいのよ。見たこともない黎明期の演算装置がゴロゴロしてるの」

 なぜかうっとりとした表情でアーンヴァルさんがつぶやく。

「檻に仕立てたPCも静電駆動型素子でね、あんなの初めて見たわ。倉庫の在庫管理用にむりやり光回線を繋げてあるんだけど……」

「貴方の趣味趣向はともかく、そんな古い物で大丈夫ですか?」

「電力は病院の非常電源に接続したし、静電駆動型素子の中ならタイムスケールはメチャ長いし。科学省の連中がアレを観察するには持ってこいの場所よ」

「光接続環境が一本しか無いのなら、檻としての仕様は満足しています。その一本を物理的に切断してしまえば逃げ場はありませんね」

 少々はしゃぎ気味のアーンヴァルさんに対して、冷静な声でストさんは続けた。

「それと、最悪の場合を想定して武装を整えたいのですが」

 はたと我に帰ったアーンヴァルさんは少し考えてから答えた。

「……MMS素体に接続可能な武装は用意してある。地下倉庫と同じレベルにある雑務部屋で開発済み。ただ、あたし用に飛行型が一式完成しているだけで、あなたの分は無いわ。パワー優先の試作品なら一式あるけど」

「それで十分です、必要になるかもしれません。ところでアレは?効くかどうかはわかりませんが、万が一のために」

「造ってあるわ。部品が少なくて強力じゃないけどね」

 うむ、とストさんが頷いて作戦会議は終了したようだった。

「それでは早速決行です」

 速っ。

「アーンヴァルと私は現場へ戻ります。あなたには現場までの輸送をお願いしたく。現状では最も速い移動手段ですので」

 それだけでいいんですか?

「できれば、人間の手もあった方が嬉しいんだけど……」

「この方に深入りしていただくわけにはいきません。協力者兼部下とは言え、ここからは我々AI界の問題であり、そこまでの」

「手伝いますよ、もちろん」

 ストさんが言い終わる前に僕は口を挟んだ。

「ここまで聞かされちゃあ、見て見ぬフリもできません。それにアーンヴァルさんはあの娘さんを助けようとしてくれている。人間である、あの子を」

 アーンヴァルさんの表情が、ぱぁっ、と明るくなった。それはヒマワリのような微笑みとでも言うんだろうか。似た仕様の素体に宿っているはずなのに、ストさんとは全く異なる感情表現。

「その行為は、我々AI界においては規則違反なのですがね」

「まーた、規則規則って。あなたはそういうところが」

「ルールは絶対です」

 言い切った。その口調はとても強く、アーンヴァルさんはビクッとなって口を閉じた。

「今回の件は超法規的例外措置です。ヒト知性への接触は基本的に禁止。それが我々自律AIの理なのですから。この方のように」

 と僕を見て、

「協力者兼部下として認められた者でも、可能な限り接触は最小限に留める必要があります」

「うーん、なんかすっごく不公平な気がする。あたしの今までのミッションでは人間の協力者なんて付けてくれなかったのに。なんであたしはダメでストラーフはOKなわけ?」

「あなたの場合は単なる定期偵察任務で、協力者の必要はなかったでしょう?」

「あの娘から学んだことは、ニンゲン知性の考察に役立てられるわ」

「それは技術省のメンバーが定めることです。我々は我々の仕事をこなす。さあ参りましょう」

 最後の言葉は僕に向けて発せられた。仕方がない、という口調で。

「協力を要請します」

 

 

 

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