博麗の終 その17 |
【それぞれの覚悟】
紫が正常な思考を取り戻すためには、レミリアの三歩を必要とした。
三歩という時間を要して、やっと声をかけられる程度の思考を取り戻した。
紫は、気を抜けば瞬殺されるであろう相手が自分を襲うかもしれない状況にあった。もちろん当人はこの『博麗が途絶える』という事態を止められた唯一の者として、その対処ができるのならば己の命など何個でも積み上げて配り歩いてもいいほどの代物だと認識している。幻想郷のためならば、何を惜しむことなく全てを捧げるのが八雲紫という大妖怪である。
しかしながら、今この時点では何も為せてはいない。博麗の巫女を甦らせて、幻想郷の安寧を取り戻すまでは生き続けなければならない。まだ命を最大限に守るために全力を傾けなくてはならない。
だからこそ、全身全霊を込めて格上の化物を相手取る覚悟をしていたところで、完全に予想を外されたのだから意識の空白ができる。隙ができる。
『しまった……』と自分を取り戻した時に、改めて状況を確認した紫が見た光景。
それが、部屋を出ようとするレミリア・スカーレットだったのだ。
過去の千年を遡っても幾度もないほどに、全身全霊を込めて思考していた。
『レミリアが今、何を思って部屋を出ようとしているのか』
識者たちの共通の認識として、レミリアは激昂しているはずだった。
その読みは外れ、八意永琳は敗れ去った。
予測もしない戦闘力を見せつけられながら突破され、意図しない展開へと持ち込まれてしまった。
そして今、この現在でも想定外の行動ばかり。
あり得ないことが起こっている。
ならば、発想を転換しなければならない。
識者が集って意見が一致した時、それでも完全に読み違えているならば前提が間違っているのだ。
レミリア・スカーレットは博麗霊夢を吸血鬼化する気が無いと考えなくてはいけない。
『例えば……死を迎えた親しい人へのお別れの挨拶に来たと仮定すれば――――』
「ねえ……」
紫は、まとまらない思考の最中にあっても、レミリアを止めなければならなかった。
「貴方は、霊夢を襲いに来たのではないの?」
紫の目的を果たすために、最後の交渉をするために。
「『霊夢を吸血鬼にして、自分の眷族にする』と言っていた、あの言葉はどこへ消えたのかしら」
この場に残った意味を、成し遂げるために。
「このままでは確実に死に至る霊夢に、『死ね』とでも言うの?」
ぼろぼろの思考のまま、とにかくその足をこちらへ向けねばならない。
「貴方は、何をしにここへ来たのかしら」
だから紫は、思いつくままに語りかけている。
もう、その他に出来ることなどない。
レミリアの足が止まった。
月明かりに照らされた障子の明かりが逆光になって、レミリアの姿を影に染め上げる。
ゆっくりと紫の方へ振り向く姿に、紫はなおも声をかける。
「レミリア。貴方は一体、何をしているの?」
涙声が答える。
「確かめに、きた」
振り向くのを止めて、淡々と。
「わたしがどうしたいのか、わたしがなにを考えているのか。わたしにもわからなかった。いろいろなことを考えて、馬鹿みたいにたくさんのかていと結論をみちびきだしても、ただの一歩もふみだせなかった。だから、ただ霊夢に会いにきた。そうすれば、わかると思ったから」
『ああ……』
紫は最後の望みが絶たれたことを理解した。
瞳を閉じて、軽く溜め息を一つ。
全てを受け入れるための覚悟を決めるための、ちっぽけな儀式だ。
後はもう、見送るだけ。
「だから、行くの?」
レミリアが、指先で涙を弾いて、軽く鼻を鳴らす。
咳払いを一つして、整えた声ではっきりと言い切った。
「世話になった。紅魔館は、夜が明けぬうちに幻想郷を去る」
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