てんぺすと!「白夜の帰宅難民事件」その1
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航星日誌 2010.0102

失われた楽園、ヨハネ黙示録の後の千年王国、サンクチュアリ、ガンダーラ・・・人は常に楽園にあこがれる。苦痛や不安から解放される桃源郷のイメージはさながら母胎回帰願望のごとく、危険と恐怖と不快さの中で生きることを余儀なくされてきた人間の、人類長年の夢であった。そして、そうした夢想の一つの結実こそが「ひきこもり」ではないだろうか。ともあれ、「持続可能なひきこもり」を、苦節10年かけて実現して2日目の朝がきた。

 

俺の名前は宮元茜。20代後半の編集者兼フリーライターだ。都内というにもギリギリなホームタウンの一角にあるマンションの一室。この1LDKが俺の自宅である。諸々辛い世間は俺にとって宇宙空間と同じくらい生き辛い非可住空間であり、このちんまりした自宅のみが俺にとっての可住空間である。つまり、この息も詰まるような世の中で、自宅こそが俺の唯一の居場所であり、この1LDKこそが俺の生息範囲というわけだ。

 

何故、ひきこもるのか。この10年で何度かされた質問だし、自問自答した問題でもある。対人恐怖症だとか、赤面症だとか、パニック障害だとか、その手の診断をされたことは無い。接客業の経験もあったくらいなので、恐らく精神疾患の類ではないんだろうが、俺は世間が好きじゃない。それが理由だ。おもてを歩いている奴等の目つきが気に入らない。話し声が気に入らない。態度が気に入らない。去年の年末、精神のコンディションを知るためにカウンセリングに行ったところ、自尊心と自己愛が強すぎるらしい。つまりは、他人を言動や思想信条を容れるであろう部分にまで自我が幅を利かせている、ということだ。

 

余計なお世話である。

不愉快なのはみんな死ねばいい。

 

と、まぁ、こんな具合に、俺は引き篭もることにした。もし、俺に殺人許可証と大量破壊兵器があれば引き篭もりはしなかっただろうが、残念ながら不愉快を消すには実際に消滅させるよりも目を閉じて耳を塞いでしまったほうが余程簡単である。在宅で出来る仕事を探し、技術を磨き信用を得て、人間関係を構築して閑静な住居を探して近所付き合いを身につけ、持続可能な生活環境を完成させるのに10年・・・長く辛い日々であったが、ついに獲得した引き篭もり生活。今日はその二日目であった。

 

午前4時50分

 

外は真っ暗。窓はサッシのあたりがぐっしょり結露していて、近づいただけで冗談みたいに冷たい。しかし、この時間の静かな澄んだ空気はとても貴重だ。こうして新鮮な外気を取り入れることで、一日引き篭もってよどんだ空気を喚起し、やがて出る朝日から日光を取り入れる。人間の体内時計は日の光に影響されるところ大であり、こうすることで俺は狂いがちな体内時計やら自律神経なりをリセットし、人としてのあり方を見失わないようにしている。とても重要な、俺にとっての朝を始める儀式である。

 

 

「おーこのコンクリートジャングルにあっても早朝の空気はさわやかじゃのぅ、生き返るようじゃ!・・・って、殺す気か!」

 

 

ぴしゃっと音を立てて窓を閉め、カーテンをきつく閉めた金髪ツインテールの少女は恨めしそうに俺を見上げる。そう。残念なことに、俺の宇宙船は初日からエイリアンの侵入を許していた。吸血鬼をなのるこの少女はミルフィーユ・ミルオートと言う名前の、イギリスから来た血統書付のヴァンパイアだそうだ。この街にいる化け物とか悪いたくらみとかを監視するために昨日から俺の家に居候をしている。不法入国と不法侵入と不法占拠の現行犯。自称100歳以上なのでそれが事実なら話は別だが、傍目から見れば20代でも厳しいくらいあどけない。つまり、あらぬ疑いがかけられそうな危惧を、数時間前から俺は抱いていた。

 

「日の光が入ってきたらどうするのじゃ!燃えてまうやろ!気ぃつけなはれや!・・・あぅぅ。」

 

その美少女をハリセンでシバく。

児童虐待になるんだろうか。

 

「お前吸血鬼なんだから朝は棺桶で寝てろよ。」

 

「つまんねーのじゃ。」

 

「つまんねーって、昼間っていうのは太陽が出てる時間のことだぞ?」

 

「屋内に居れば問題無いのじゃ。」

 

「不健康な奴だな。」

 

「吸血鬼なんて誰もそんなもんじゃ。そんなことより食事の準備をするのじゃ。一緒に食べたほうが人間的であろう?」

 

「なんなんだこの不条理さと不愉快さは?」

 

「それはアカネの人格に問題があるのぅ。なに、わらわと暮らしてまともな振る舞いを見つければいい。心配は無用じゃ。」

 

もう突っ込むのも面倒くさいのでハリセンでシバいて洗面台へ向かう。顔を洗って歯を磨いて髪をとかして・・・それからお湯を沸かして朝飯をつくって、7時過ぎまで読書をしてから掃除機をかけて・・・。

 

「アカネよ、我輩、味噌汁に興味があるんじゃがのぅ。」

 

その前にこの自称吸血鬼と話し合わないといけないようである。何をしに来たんだろうこいつ・・・。厄介なことになった。他人がすべからく気に入らないから引き篭もっているのに、外に出られないから引き篭もっている少女を居候させるなんて正気の沙汰じゃない。そしてこの日の昼頃には、更にやっかいなことになるのである。

 

「あ、もしもし、宮元君?昨日言い忘れたんだけどさ、彼女、一応、入国手続きはしてるんだけど、住民票とれてないんだよね。後々面倒くさいことにならないように、早いうちに取っておいてね。それじゃー。」

 

東雲業汰からの電話が全ての始まりだった。

 

味噌汁を作る。

作るといっても、まったく不意打ちだったので、去年試供品を貰っていたインスタントである。マグカップにお湯をいれて作るという、日本人としては色々問題意識を刺激される逸品だ。

 

ミルフィーユは割り箸を振り回して何やら感動しているが、とりあえず本日の朝食はパンと野菜ジュースである。箸の出番は無かったのだが、朝っぱらからライスを連呼する騒音を解決するために飯を炊く羽目になった。米を研ぎ始めるとミルフィーユがやりたがったが、米を粉砕されてしまうような気がしたのでとりあえず今回は実演という形で見学させることにした。午前5時30分。ラジオから本日2周目になるニューストピックスが流れている。正月から勤勉なことよのー、とかミルフィーユは言いながら、どこから持ち込んだのか解らないが、この部屋に恐ろしく不似合いな豪勢なソファーで味噌汁を啜っている。ワカメと豆腐のスタンダードな味が気に入ったらしく、勝手に箱から出してもう3杯も作って飲んでいるようだが、当然、ソファーに腰掛けてカル○スがごとき飲み方をするのは味噌汁の扱いとして不適当である。我が家には、僕の好みでカーペットや絨毯の類は置いていない。つまり、堅く冷たい床に正座をすることをミルフは断念したのだった。

 

当たり前の話だが、米というのは直ぐに炊き上がらないので、その間にやることをやってしまうことにした。

 

「・・・さて、ご飯が炊けるまで時間があるわけだ。」

 

「ではラーメンを食べてみたい。」

 

「マリーアントワネットかお前は。これからどうするのか、もっと具体的に話をしていこうじゃないか。例えば・・・」

 

「そうじゃの、ヤタイフーラーメンなるが日本ではツーとかいうプロフェッショナルが食べておる特別美味なラーメンだと聞いたが・・・先ずはそのヤタイフーラーメンを食してみたいのぅ♪」

 

ラーメン用の丼を出して、軽く洗ってホコリを落とし、やや乱暴にミルフィーユの前のテーブルに置く。絵柄が『魔王詔女ダイナマイトみかん』のものであったために一瞬反応したものの、すかさず大量のアーモンドを注ぎ込む。怪訝な顔でこちらを見つめるミルフィーユに俺は間髪いれずに口上を述べた。

 

「いいか、ラーメンというのはスープが冷めたり、麺が汁吸って伸びたりする前に食べきらないとそのうまみを100%味わうことが出来ないんだ。屋台のラーメンなんて残したらハラキリさせるところまであるんだぞ?お前、ちゃんとラーメン食べられるのか、箸で?」

 

「むむ・・・ラーメンとは斯様に奥深きものであったか・・・だが、フォークがあれば我輩でも食せると思うが?ヌードルなりスパゲッティなりは国でも食べておったからな。」

 

「何を言っているんだ?あれは、ジャパニーズ剣聖(イペル・シュヴァリエ)宮本武蔵の2刀流にリスペクトした日本の精神性の顕れなんだぞ?フォークなんかで食えるわけないだろう。ラーメンを道を極める者は皆、心身を清め、半月を剃って一食一食に命をかけて作ってるんだ。ラーメン屋の写真にはスキンヘッドでごついオッサンが多いのはその為だ。」

 

「ほぅほぅ・・・これは良いことを聞いた。危うく礼を失するところであったな。礼を言うぞアカネよ。して、このアーモンドを箸で掴んで食しきれば、我輩とてヤタイフーの敷居をまたぐことが出来る・・・そういうことだな?」

 

「そうだ。歴代剣聖の中には箸で蝿を潰さずに掴んだ奴もいたって話だからな。一粒一粒、この国の歴史と文化を魂に刻むような気持ちで食べてくれ。」

 

俺いいこと言った。

 

「おお!2日目にして貴重な体験が出来るものよな!やはりアカネのもとへ来たことは間違いではなかったな!」

 

ミルフィーユは目を輝かせながらまったく無意味な努力を始めた。

 

「でだ、この家にいて、具体的に何をする予定なんだ?」

 

「あー、そうじゃの、ガンダムと魔法少女モノは全シリーズ見たいのぅ。あとあれ、原宿行ってゴスロリやりたい。」

 

アーモンドに苦闘しながら、いつの間にか床に座り込んで箸で丼をつっついている駄目吸血鬼は威厳の欠片もないことを言い出した。

 

「そんなもんDVD買ったり本場でやってりゃいいじゃねぇか。大体、お前素でゴスロリだろ。」

 

「KAWAIIゴスロリをしたいのじゃ。ジャパニーズのカワイイとかモエとかヘンタイは我輩の国では、というか、日本人以外には意外に理解されておらんぞ?何故彼の国でこのような意匠が発展してきたのか、それは文化人類学的謎じゃ。そうじゃ、アカネよ、これで論文でも書けば一躍有名人じゃぞ?」

 

「英語でねぇ。どうしたもんか。」

 

「英語は世界語ぞ。どうでもいいが、この国の人間は100年前から英語に関しては退化しておるな。終戦後引き篭もったのが原因だとは思うが、もう少し外に目をむけねばならんのではないか?」

 

「引き篭もりの俺に言われてもなぁ。そうだ、英語教えてくれよ。って、あー、ブリティッシュはオカマっぽいからなぁ。」

 

「失敬な奴じゃな!ヤンキーのブロークン英語なんぞ覚えても下品だと思われるだけじゃぞ?」

 

「慣れの問題さ。で、これからどうするんだよ?アニメとかじゃなくて、その、監視とかどうとか。」

 

「・・・監視とは対象があって始めて成立する。警邏となればそれは東雲やこの国の国家機関、土地の者達の仕事であろう。事が起こるまで、或いは、その兆しが見えるまで我輩は何をするべきでもない。あくまでオブザーバーじゃ。それ以上でもそれ以下でもない。」

 

ミルフィーユは妙に落ち着いた声でそういうと、後は黙々とアーモンドを摘んでいた。それから暫く沈黙が続いた。俺は俺でスケジュールどおりに作業を進め、7時頃には飯が炊きあがっていた。

 

「アカネ!アカネ!よいではないか?もう、よいではないか?我輩もう辛抱たまらんぞ!」

 

なんだかわからんことをうなる様につぶやきながら、炊飯器の前で肉食動物のようにスタンバっているミルフィーユをどけて炊きたてのご飯を椀に盛る。二人分買って置かないとな。せっかくなので、味噌汁用の椀でもって自分にもご飯を盛って、冷蔵庫から生卵を一個取り出してご飯の上に乗せる。このまま完全にかき混ぜずに適度にグズグズにしてダシ醤油とごま油極少量かけて食べるのがいつものやり方だ。しかし、正月そうそう不景気なメシだなぁ。

 

「あ、アカネよ・・・それはなんじゃ?」

 

食卓に着くと、ミルフィーユはわなわなしながら俺の手元を見ている。既に半分以上ご飯を平らげていたミルフィーユだが、そもそも貴族の姫さまがたまごかけご飯などという庶民の中でもアレな部類に入るデフレ飯なんぞ知る筈も無い。知る筈も無いからこそ、独特の風味と外観に興味と食欲をそそられるのであろう。

 

「卵かけご飯だ。貴族様とは無縁の下種の食い物だよ。うまいけど。」

 

「・・・卵・・・生卵か!そうかそうか・・・!」

 

約3日分の米を炊いた。

それは、今食べた残りをタッパーに入れて冷蔵庫で保管して向こう3日で食べるということだ。しかして、ミルフィーユは炊飯器の釜に入ったままの白米に、卵黄を数個入れてかき回してしまった。当然、アッツアツの白米と釜の中で卵は片っ端から固まっていく。想像とは違った事態にあたふたしながらミルフィーユは更に卵を投入しようとした。

 

「アホ!戦力の逐次投入は死亡フラグだって田中芳樹に習わなかったのか?あーあ、固まっちまって・・・オジヤかこれ?仕方ねーなチャーハンにするか・・・炊き立ての飯をチャーハンとは、まさに豪奢の極みだよ。」

 

ハリセンで盛大にシバイてミルフを台所からつまみだして、いそいで玉子ちらしご飯をタッパーにつめて熱を冷ます。その間に俺の卵かけご飯を平らげたミルフをもう一発シバいていた時に、先刻の電話がかかってきたのである。

 

 

「え?住民票ですか?ミルフの?なんでまた・・・」

 

「いやほら、僕としてもって言うか、東雲としてもさ、どのイレギュラーがどこにいるかくらい把握しておきたいわけ。一応お上への体裁もあるしね。ちゃちゃっと市役所に行って住民登録してきてもらえるかな?」

 

「はぁ・・・パスポートもありますし、不法入国もしてないみたいですしビザも問題無いようですから。わかりました。伝えます。でも、あいつ役所の空いている時間に出歩けるんですか?」

 

「あ、それは雨の日にタクシー乗れば大丈夫じゃないかな?絆もたまに行くんだけど、そうしてるよ?」

 

「なるほど。それじゃあ、そう伝えます。」

 

「ありがとう。それじゃまた、紅茶とお菓子もって行くから頑張ってねー。」

 

「はぁ・・・。」

 

業汰さんは相変わらず飄々としている。

まぁ、豪汰さんの前では吸血鬼の女王も微生物も対して変わらない。ミルフもこの町に住んでいるアストラルの独りに過ぎないということか。

 

玉子ちらしご飯のタッパーに手を出そうとしていたミルフを呼び止める。

 

「時に、ミルフィーユさん。」

 

「な、なんじゃアカネ?」

 

本当に威厳の無い吸血鬼だなぁ・・・。

 

「業汰さんが住民票とって来いってよ。」

 

「住民票か・・・なるほどのぅ。役所で取得するのか?」

 

「そうだな。ここから歩いて20分くらいか?」

 

「危険じゃなー。少なくとも今日のような天気では御免蒙る。」

 

「雨の日に車使えばいいじゃないか。」

 

「じゃな。雨を待つとしよう。」

 

「ところでアカネ、車は持っておるのか?」

 

「引き篭もりに最も必要の無いアイテムの一つだな。」

 

「そうか、残念じゃのぅ・・・痛車に乗って秋葉原まで行ってみたかったのじゃがな・・・。」

 

「痛車って、免許持ってるのか?」

 

「国際免許じゃ。」

 

「おー、意外だな。」

 

「日本に来て直ぐに乗れるように前もって取得しておいたのじゃ。イギリスでは馬車を改造しようと思ったが周りのものに止められてのぅ・・・この国じゃったら痛車も市民権がるそうであるし、なにより日本車は小型で可愛いから一台欲しかったところじゃ。」

 

「お前本当に駄目でムカツク奴だな。」

 

「貴族なぞ大体このようなものじゃ。住民票があれば何かと便利であろうし、先ずは天気待ちじゃな。大物映画監督になった気分じゃ。」

 

こうして、スケールのでかいことを言った俺達は二人で引き篭もりながら一週間を過した。

 

そして、1月9日、ついに雨が降った。

 

つづく

説明
根性の腐った引き篭もりと、吸血姫のgdgd劇。なんだかんだでミルフィーユの居候を許してしまった茜のもとに、大家であり魔王であり勇者であり店長である東雲業汰から電話が入った。果たして、茜の日常に心の平穏は訪れるのか・・・。
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オリジナル ヴァンパイア 吸血鬼 ひきこもり 

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