セブンスドラゴン2020「どうしてこうなった?」 /11.チャプター7 「洞穴探査A・インテリヤクザ・横山」
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 柔らかな朝焼けに包まれ、徐々に明るみを増してゆく道路で、私は一人佇(たたず)んでいた。

 暁(あかつき)の、日が昇りゆく只中で深呼吸をする。透き通るような冷ややかな空気が肺に満たされていく…。

 

 ここは国道20号線。通称、甲州街道だ。ほんの一ヶ月半前までは昼夜を問わず車両が行き交っていたこの道路は、物資運搬においても最も重要なルートの一つであり、利便性の高い一般道としても広く利用されている。…いや、いた…だ。

 いま私がいる場所は上下二車線づつの広い道路であり、その沿道には、オフィスビルや家屋が林立している。私自身もこの道路には馴染みがあり、仕事に出る場合は大抵ここを利用していた気がする。

 

 しかし、今は無人だ。人の気配というものがまったくない。

 無人の道路に残されているのは、打ち捨てられた無数の車だけだった。

 

 主を失った鉄のオブジェ達…。それらは道路を埋め尽くさんばかりに数多く取り残されている。きっと東京から地方へと脱出するための渋滞中にドラゴンに襲われた事で、人々はやむなく車を捨てて逃げたのだろう。

 

 そんな事がどうして分るのかといえば、答えは簡単だ。道路一面に広がっているのが、半ば白骨化した腐乱死体だらけだからだ。どこを見ても泥色をした肉片が付着した白い骨が散乱している。

 死体、と呼べるような四肢が整った状態のものはなく、千切れた服と部位だけが転々と落ちているいった感じだ。普通に喰われたのか、生きたまま遊ばれて千切れて朽ちたか、…いづれにしても無残なものである。

 

 私はまた溜息まじりで周囲を見渡す…。

 秋風だろうか。冷ややかを通り越して背筋が凍るような冷気を感じた。

 

 そして再度の落胆…。

 

 遺体、死体、人骨…、亡骸などはさておき、私は使えそうな車を探しにここへやってきていた。

 もちろん、逃げるために、である。

 

 車は確かにあるし、ドアが開いて乗れるモノもあるのだが、残念ながら原型を留めている車体がそもそも少なく、基本的にどれもこれも破壊されているのだ。車体がひしゃげていたり、そもそも後部座席自体がなかったり。

 

 原型を留めているものでも、裏返しになっていたり、壁にめり込んでいたりといった惨状で、私一人ではいかんともしがたい。…ドラゴンどもにとっては人間も車も同じ遊び道具なのだ。そうでなければ、こんな地獄絵図のような光景にはなるまい。

 もちろん、無傷で放置されている車もある。だが、”ミンチになった人間がまだ乗っていらっしゃる”状態だと私が乗るというのは気が引けるというものだ。下半身だけブレーキを踏んだ状態で、上半身がない車両というものには、さすがに同乗する気も失せる。その彼をどかして座るほど、私は鉄の心臓ではない。

 

 

 …ふう。

 

 唯一の慰めといえば、死者の身体よりしたたり落ち、あるいは噴出して道路を存分に汚したであろう血糊が、時間の経過で変色し、生々しくない事か。もちろん何の慰めにもなってはいないが。

 

 そして極めつけが周囲に広がるの廃墟の群れだ。沿道に残っている建物は林立していた、のであって今はもう破壊され、倒壊したものがほとんどだ。

 家屋の屋根は踏み潰されたのか陥没し、半ばから折られて崩れたビルは他の建築物を押しつぶし、地面に突き刺さった信号機や、引き裂かれたガードレールなどを見れば、ここで起こったと思われる想像を絶する阿鼻叫喚は想像に容易い。

 

 この凄惨としか述べようがない状況を称するなら、これ以外の言葉はないと思った。

 

 

 ”地獄”だ。

 

 …こうした光景はここに限らず、日本規模で行われてるのだろうが、遠く見知らぬ場所の被害を想うよりも、知っている場所がこうも変わり果てている事の方が、それだけの感傷も沸くというものらしい。それでも普通に思考ができる、というのは、これまで生存してきた事で、凄惨を見慣れたてしまった、というのもあるのかもしれない。

 

 慣れ、とは恐ろしいものだ。

 

 

「…ん? この…音は…?」

 そんな時、遥か遠くから耳に届いたのは、小さなエンジン音だった。

 まさか動いている車が?

 

 音のする方へと振り向き、私は歓喜する! …車だ。本当に車! 車がこちらに走ってくる!!

 

 

「おーーーい! 助けてくれっ!! 頼むっ!!! 止まってくれぇぇぇ!!!」

 地獄に仏とはこの事だ! シャルターを出てから初めて、…初めて動く車と遭遇した!

 助かる!! やった! 助かるぞ! 本当に私は助かるのか!?

 

 走ってくるトラックへと大きく手を振り、全身全霊で助けを乞う。

 必死に、がむしゃらに、自分がここにいる事をアピールした!

 

 感傷など後回しだ。私はここで死体の仲間入りをする気は毛頭ない。ここまで生き延びたのだから死にたくはない! 是が非でも正面より走り来るトラックに見つけて貰わなければならない。助かりたい! 助かりたいのだ!

 

 私はそのトラックの正面に踊り出て身体全体で自分がいると主張し続ける! 残りの力を全て手を振る事に費やす!

 見つけられないという事はないだろう。…相手に無視する気がなければ、の話だが。

 

 

 そんな不安を払拭するかのように、トラックは私の手前で緩やかに停車する。それはどこでも見かける青い車体の運搬用2t車で、荷台にはグレーの幌(ほろ)をかぶせてある。…ここからは良く見えないが何らかの荷物積載しているようだ。

 

 間もなく運転席から降りてきたのは、グレーのヘルメットをかぶり、同じくグレーのツナギを着た男が二名。ひと目みてすぐに分る自衛隊の隊員のようだ。彼らは銃を握り、周囲を警戒しながらも私の元へとやってくる。

 

「大丈夫ですか!? まさか生き残りの方がおられるなんて…、怪我はありませんか?」

 降りてきた一人が力強い言葉で私を出迎えてくれる。彼らは二人とも瞳に生命力があり、こちらを心配する余裕があるようだ。

 どっと押し寄せる安堵感を感じたせいか、完全に膝が笑っていた。

 

「はぁ…はぁ……ふぅ、ああ、怪我は…してないんです。夜に移動すれば襲われない事を知ってましたからね。はは…、必死でしたけど…はぁ…はぁ…」

 

 はは…、足の震えが止まらない。今まで何度も恐怖で震え、吐くほど怯え、泣き叫んだというのに、いまこうして救われたのだと思うと、それでも歓喜を隠せない。いい大人が情けない話だが、それでも嬉しくて仕方がない。

 

 ようやく…、ようやく安堵と共に大きく息を吐き出す。

 

 ああ、本当に良かった。いくら私でもここで拾って貰わなければ死んでいたに違いない。私は本当に運がいい。シェルターの食料が尽きてから各地を必死に逃げ回り、ようやく救われたのだから。

 

 そうした私を見た自衛官は人の良い微笑だけ浮かべ、実に親しげな表情で話しかけてくる。

 

「もう安心ですよ。ここからなら新宿都庁は30分程です。あそこには食料も医療設備も蓄えがありますから、もう少しの辛抱です」

「え、都庁…ですか? 他の方々もそちらに避難されてるんですか?」

 

「そうです。それにあそこには我々、自衛隊が控えてますんでね。この辺りでは一番安全ですよ」

 私の問いにもう一人の若い自衛官が答えた。

「そうでしたか。…はぁ、何にしても助かりました」

 私は心の底からそう思ったのだった。

 

 彼らに促されてトラックへと向かう。久しぶりに見たちゃんと走る車。座席はさほど広くはないが、詰めれば三人でも座れそうだ。このまま都庁で落ち着ければひとまず安心だろう。こんな人食い動物園みたいな場所でサバイバル生活を送る必要もなくなる。全てではないにしろ、人間の生活を取り戻せるのだ。

 

 

 

 

 ───しかし、悪夢は再来する。

 

 

 

 終わってはいなかったのだ!

 ”ヤツら”に見つかった。

 

 

『Gyaoooooonn!!』

 

 上空から響く甲高い鳴き声、それはどんな獣よりも鋭く、どんな猛獣よりも恐ろしく、圧倒的な威圧と、否応のない絶望を携えた咆哮だった。獲物を見つけ捕食するという動物の本能をむき出しにした野獣、その悪鬼が状況を一辺させる! 周囲の全てを飲み込んでいく!

 それが人間に、いや…、人類そのものに絶対的な恐怖を植えつけた生物。

 

 

 

 きた! ドラゴンだ。

 

 

 ドラゴンに見つかったのだ!! まさか、ここまで来てドラゴンに見つかるとは!

 

 それにしても、なんてデカさだっ! 両翼を広げればこのトラックをまるまる包み込めるのではないか、という程に巨大な翼を羽ばたかせ、道路へと降下してくる!! 腕の代わりに翼のある首の長い種だ。私もこのタイプは何度か目撃した事があるが、巨体のくせにやたら素早いのを知っている。

 

 必死に逃げ回る人間があっさり食いつかれ、無慈悲に踊り食いされるあの姿は、尋常ならざる恐怖として脳裏に焼きついている。それと同時に、ヤツらにとって人間など”ただの肉”だと思い知らされるのである。

 

 

「な、なんて事だ! こんな時にドラゴンか!!」

「あなたは逃げてください! 我々はヤツを撃退します!」

 

 怯えながらも果敢に銃を向ける自衛官達。その勇気は立派だが、勇気だけで撃退できるような生易しい相手ではない。銃だって大した効き目なんてないはずだ。…きっと私がいるから戦わざるを得ないのだろう。一匹とはいえあの巨躯はどうだ!? 鋼鉄のような肉体はどうだ!? たった二人で勝てるわけがない! 牛や熊を殺すのとはワケが違う!

 

「ほ、本気で戦う気か…? くそっ!」

 両翼ドラゴンが魔獣の咆哮を轟(とどろ)かせるのと同時に、自衛官らがマシンガンを乱射! そんな中、私は死に物狂いでトラックへと疾駆し、飛び乗る! キーは……、よし! ついたままだ!

 

 私はトラックが動くことを確認すると、座席に置いてあったマシンガンを手に取る。彼らが予備で持ってきたものだろう。便利なモノが置いてある事に、私は自身の幸運に三度の感謝する。

 

 そういう小道具があるのだから使わない手はない。手馴れていないマシンガンを手に取ると、なんの躊躇(ちゅうちょ)もなく発砲する!

 

 狙うのは”自衛官の足”だ!

 フルオートで遠慮なくバラまいた弾丸は、私の射撃センスなど無視して面白いように命中する!

 

「ぎゃぁっ!! うぐっ…な、なに…が…?!」

「あぐ…、うう…、どうなって…、なんで、どうして一般人が…!?」

 なす術もなく地面へと崩れ落ちる自衛官達。しかし痛みを感じている間もなく、ドラゴンは彼らを襲う。

 血の臭気を感じ取り、さらに食欲を増して彼らを狙う!

 

 

 よし、狙い通りだ。

 

「悪いな。本当にすまないと思う。…だが、反省はしない」

 目の前で凄惨な光景が広がりつつある。自分が招いた結果だ。

 

「せいぜい、私が逃げる間の撒餌(まきえ)になってくれ。人間二匹も食えば、ドラゴンも満足するだろう」

 

 エンジンをフルスロットルで吹かし、急速でバックすると同時にハンドルを切る。甲高いスリップ音が鳴り響くと共に、タイヤに負荷をかけてのスピンターンで来た道を戻る。…どうせ都庁までだ。こんなボロトラックなど無茶して壊れようと構いやしない。

 

「ヒヒ…、ヒヒヒヒ……」

 後ろからは銃撃音。彼らが死を回避するため必死に抗(あらが)っているのだろう。

 私のために時間を稼いでくれる勇敢な方々。そして自ら身を挺してエサにまでなってくれる献身的な精神!

 

「イヒヒヒヒ…、ヒヒヒヒヒヒッ!」

 我が日本の自衛官は素晴らしい。実に素晴らしい! キミ達の勇猛な戦いは私が伝えよう。

 足を負傷しながらも、私のために戦ってくれました! 彼らこそ真の英雄だ!…って涙ながらにね。

 

「ああ、そうそう。肝心な事を言い忘れてたよ」

 高速で過ぎ行く現場を後にしながら、日が登り往く空の光を神々しく眺めながら呟(つぶや)く。

 

 

「トラックをありがとう。乗り心地は悪くないよ」

 

 

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 私の名は横山。職業はビジネスマンといったところか。

 

 世間には口の悪い方々もおられるせいか、暴力団やらヤクザ、果てはマフィアなどと呼ぶ者もいる。…しかしながら、それはこの業界人にとって非常に失礼な話だ。暴力団もヤクザもマフィアも集金を目的とした営利団体ではあるが、これらは全て違うカテゴリーのものであり、ひと括りで悪人のような分類に仕分けられては甚(はなは)だ迷惑だからだ。

 

 まずは暴力団だが、その名の通りその主軸が武闘派で構成されている場合が多く、人的威圧を主として他者を出し抜く手段を主に用いる。カリスマ的存在が中心となって部下を幅広く持つのが特徴だ。立場にこだわり金銭よりもプライドを重視する。

 マフィアも威圧的手法により利益を得る集団には変わりはないが、こちらはさらにプライド重視だ。彼らはファミリーという血族的な繋がりや立場を守ることを優先する。仲間を傷つけられればそれだけで抗争を起すような連中だ。愚民を象徴すべき最たる存在と言えよう。

 

 …だが、ヤクザは違う。

 我々ヤクザという職は”金だけが全て”なのだ。

 

 我々は利益追求のために互いに利用し合う同士であり、いわば協力関係。一家とはより効率的に金を稼ぐための枠組みである。利益獲得のためなら過激な事もやぶさかではないが、基本的には法律に則(のっと)ったビジネスという形での商売を遵守する。つまりはインテリジェンスを主体とした集団なのだ。

 

 ゆえに、利益にならない仲間であれば、それは同士でないと割り切り、即座に切り捨てる。名誉の尊重など馬鹿馬鹿しいとさえ思うし、血族や義兄弟などの友好関係は二の次。…それがヤクザという人種なのである。

 

 まったく…、そういう大きな区別も付かない衆愚には目を覆うばかりだ。

 最(もっと)も、そういう無能がいるからこそ、我々が金銭を頂戴できるわけだがね。

 

 

 しかし、そんな私にもドラゴンの登場は予想の範疇(はんちゅう)を越えていた。こればかりは逃げの一手を打つしかなく、私は自分が生き残るために、逃げ込んだシェルターにいた自分以外の者を全て殺さねばならなかった。そうしなければ食料が三日と持たずに尽きていたのだから、これは仕方がない事だった。

 

 さすがに私も鬼ではないから、子供は殺さずに外に投げ出すだけにしておいた。どうせ魔物かドラゴンに喰われているだろうし、喰われずに野たれ死んでいるかもしれないが、それは個人の運の問題であって私が悪いわけではない。

 

 つまるところ、カルネアデスの板である。

 緊急時において、自分が生き残るために他者を犠牲にしても罪には問われない。

 

 俗に言う緊急避難というやつだ。

 

 だからいくら殺しても、私が生き残るためだったのだから仕方がないのである。今回の自衛官らとの事象もそれに当てはまる。それに自衛隊は国民を守る義務がある。彼は義務を果たせたのだ。問題ないだろう。

 

 

 さて、そんなどうでもいい話はここで終わりだ。

 

 時間にして十五分そこそこ、甲州街道からはずれ、広い見渡しのよい脇道を選んでトラックをころがしている私は、同じく見渡しの良い場所を見つけ、そこでようやく停車させる。どうやら周囲には何も居ないようだ。

 これからどのルートで進むかは重要な選択だ。もう朝になる。先程のようにドラゴンが活動を開始し、魔物まで動き出すだろう。新宿都庁を目的地とした場合、どこを通れば安全だろうか? それを思案していた。

 

 

 しかし、彼らが運んでいたトラックの積荷も気になるな…。

 

 大事な荷物を運搬するなら日中よりも夜間の方が安全だ。しかし、暗闇での積み込み作業が困難という問題があるし、道路状況が正常ではないのだから、夜間は夜間で問題がある。だから比較的に危険度の少ない早朝を選んだのだろう。車であれば敵を見かけても加速で振り切れるというのもあったのだろうし。

 

 …私は積荷を確認しておこうと周囲を警戒しながら外へと出るが、それにしても…やけに寒い。秋だというのにどうしてこんなに寒いのだろう? まったくドラゴンに加えて異常気象の到来か。地球はどうなってるんだ?

 

 とにかく積荷の確認だ。

 

 私は汚れたスーツの腕をさすりながら、マシンガンを携えて荷台の方へと回る。武器や弾薬を期待したいところだが…。

 それは予想外の積荷だった。

 

「…なるほど。これは少しでも明るくないと積み込みもできないだろうな」

 

 荷台に積まれていたのは、いや、押し込まれていたのは家畜である。それも養豚だった。どこかの飼育所から確保してきたのだろう。都庁は避難所になっているのだろうから、こういう食料は当然必要になる。それにしたって、ドラゴン襲撃から二ヶ月近いというのに、よくもまあこんな家畜が生き残っていたものだ。

 

 理由はともかく食料には変わりない。私だって空腹ではある。…が、生肉加工品でもないそのままの豚などを目の前に置かれて、どうしろと言うのか。まさかこのまま喰うわけにもいくまい。豚の丸焼きというのは耳にする調理だろうが、実際にそんな事をする時間はない。肉を長時間火で炙(あぶ)るなど、ドラゴンに居場所を教えているようなものだ。

 

 それにしても冷える。この時期は夜間よりも早朝の方が寒いのかもしれんな。まったく勘弁して欲しい。

 私は急ぎ足で座席に戻り、ヒーターを全開にしながら思考を巡らせる。

 

 荷物はともかく、助かるためには新宿都庁へ行かねばならない。足となる車はうまく手に入れたが、甲州街道はドラゴンが居座っている可能性があるため、もう使えないだろう。…となれば、やはり警戒がし易い国道沿いが確実か。

 いつもは部下に運転させていたせいか、私は周辺の脇道をさほど理解していない。それに加えて入り組んだ路地は襲撃される危険度が増すのと、破壊された家屋などで道自体が塞がっている可能性もある。瓦礫などで道が塞がれ、袋小路に嵌(はま)った時にドラゴンに襲われたらと思うと、気楽に選ぶ気にはなれない。

 

 

 では、どうする?

 

 日が昇った事で外敵がどんどん増えてくるだろう。見渡しがよい場所を選んで移動したとしても、先程のように空から襲われれば、ひとたまりもない…。車ごと一旦隠れ、夜に移動するという手もあるが、積荷の家畜が騒いだら見つかるかもしれない。家畜を全て殺すにしても、それで弾薬が尽きてはイザという時に困る。

 

 ふむ、どうしたものか…。

 

 そんな時、ちょうど目に入ったそれを見て、私は口の端を釣上げ笑みを浮かべた。やはり私はツイている。こうもあっさり打開策が見つかるとは思いもしなかった。

 

 私が見つけたのは、地下鉄の地上出口であった。

 

 地下というのは衝撃に強く設計されており、都心一帯の地下鉄道は網目のように広がっている。それに加えて駅を確認すれば迷う事もなく、少し迂回しても新宿へ着くのは容易い。

 もちろん地下も完全に安全とはいえないし、ドラゴンがいる可能性も否定できない。しかし空から襲われる心配はないだろう。目視してから逃げることも出来る。

 

 

 それに…だ。

 いざとなれば、この積荷を使えばいいのだ。家畜どもをバラ撒いて逃げれば、いい時間稼ぎになる。

 

「よし、いいぞ。…都庁到着前にこのトラックを捨てる。そして何食わぬ顔で入り込み、善人として振る舞い足場を固めて時期を待つ。そして権力者を取り込みさえすれば自衛隊は私兵と化す。ヒヒ…、あとはドラゴンさえ一掃してしまえば…」

 

 今の私には運がある。それも、とびきりの幸運がついている。

 

 それに加えて、私は他者を出し抜く能力に優れている。騙す事にも、脅す事にも、弱みを握り最大限に生かす事にも優れている。これまで培った話術は誰にも負けはしない。

 

「都庁か。まさかあれが私の職場になるとは…、人生とは分らないものだ」

 私はアクセルを踏んでトラックを地下へと進ませた。

 

 

 

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 怖いくらいに順調だった。

 

 地下鉄内部は、まだいくらかの非常灯が生きているせいで随分と明るい。車のライトを点灯していれば、見渡せない部分がない程である。それに人の気配どころか、ドラゴンや魔物の気配は欠片もなく、構内にはトラックの駆動音だけが響いている。

 

 予想通り、地下の被害は最小限の破損のみのようで、崩れている箇所もほぼない。時折、柱が折れて倒れている場所もあるにはあるが、それを避けて通れるような広いスペースがあって、車だから通れないという不遇はなかった。しいて問題点を挙げるとするなら、ヒーターの効き目が悪く、やけに寒い事くらいか。まあ、外も随分冷えるようだし、都庁までの辛抱だ。少しの間は我慢するしかないだろう。

 しかし、地下鉄はいいが…、いま走っているのは何線だ? 都営日比谷線? いや、大江戸線かもしれないな。

 

 ここ数年、外出は車で移動するのが当たり前だったから、駅や地下鉄などの知識はほとんどない。しかも、今は電車ですらなく、自動車での走行なのだから、困惑するのも当然だろう。まずは駅を確認し、路線を断定するべきか。

 

 しばらく走ると駅に到着。行き先案内板を見て…ようやく合点がいった。

 

 そうか、数年前の改修で移転した青山一丁目…とかいう駅があったな。ここがそうらしい。…ならばこのまま走ればいいはずだ。もう少しで千駄ヶ谷に到着する。そしたらすぐに新宿駅だ。

 

 駅にさえ着けば、あとは徒歩でも都庁までなら大した距離ではない。

 

 

 やはり私はツイている。この幸運はタダゴトじゃない。

 こんなにもスムーズに万事がうまくいくなど、誰が予想できたというのか?

 

 昔からそれなりに運はいいと思ってい───

 

 

 

 

 ん? なんだ?!

 

 満足の笑みを浮かべようとした私の前に、突如として現れたのは”巨大なゲル状の何か”だ。

 

 その水のように青く透き通る体は、不思議にゆらゆらと蠢(うごめ)く透明の粘土のようである。その身には金属の棒や岩を取り込み、海中を漂うワカメのような奇妙な動きをしていた。…こいつはドラゴンではなく魔物の一種だろう。

 だが、私は構わずアクセルを全開で踏み込み、そのままゲル状を轢いた!

 

 グシュリ!…という嫌な音を立てて身体を四散させた魔物。容易(たやす)く吹き飛んだゲル状のそれは、何の脅威でもなかった。せいぜいが、フロントガラスに残骸が飛び散って汚い程度のもの。それもワイパーで処理し、何事もなく車を進める。

 

 ふん…、魔物など所詮はこんなものだろう。なんせこっちは荷物入りの2t車に乗っているのだ。その重量と加速でブチ当たれば何の脅威でもない。あんなものドラゴンに比べれば障害ですらないのだ。

 

 そうしているうちに千駄ヶ谷駅に到着した。そろそろ新宿も近づいていることだし、トラックは乗り捨てねばならない。このまま乗っていれば楽だろうが、それでは自衛官らを見捨てて奪った事が露見してしまう可能性がある。こんな便利な道路を自衛隊が使わない手はないだろうからな。乗り捨てても見つかるのも時間の問題だ。警戒するのなら、私がやったと特定されないよう到着日時もずらすべきかもしれないな。

 

 

 さて、そろそろか。

 次が都営地下鉄大江戸線、代々木駅。…もう目と鼻の先である。捨てるならこの辺りが適当か。

 

 もし徒歩中に先程のような魔物に遭遇していたとしても、あのゲルはあまり動きは早くない。間合いを開けて迂回すればいいだろう。それにこちらにはマシンガンがある。スーツの内ポケットには拳銃もある。これも都庁到着寸前まで使えるはずだ。

 

 そんな事を考えていた時、それは起こった。

 

 目の前に巨大な、あまりにも巨大な黒い人影が立ち塞がる! また魔物か?と思ったが、それにしては大きすぎる! こんな魔物がいただろうか? まるで小山のような人型はまさしく巨人である。…だが、それには首らしきものが見当たらない!

 電車がスッポリと入るこの線路内は、天井まで七メートル近くあるが、見上げる巨体はそれだけの広さでも通路を狭く感じさせる。…なんだこれは?! 魔物じゃないはずだ、こんな巨大な魔物はいるはずがない!

 

 

『GRORORORORORO!!』

 敵意を剥き出しにし、威嚇するように喉を唸らせる巨人。この唸り声はやはりドラゴンか?! 巨人のようで首のないこれもドラゴンの一種なのかもしれない。…よく見れば、腕に大きな板のようなモノを持っている。何かは分らないがヤバイ事には変わりなさそうだ。

 

 この時、私はそのドラゴンについて知る由もなかったが、これは戦闘LV41もの大型ドラゴン・シールドドラグであった。当然ながら、私一人が勝負を挑んで勝てるような相手ではない。

 

「くそっ! こいつもドラゴンかっ! …だが、ちょうどいい!! ここが捨て時だ!」

 私はブレーキを踏んで急停車させると、巨体のドラゴンがそれに反応する。胸部と頭部、そして顎(あご)が一緒になったような箇所を動かし、小さく鋭い淀(よど)んだルビーのような赤い目を私へと向け、ついにこちらへと歩き始めた! くそっ! やはり私を捕食する気か!! 激しい焦燥のせいか、心臓が激しく喚き立てる。

 

 しかし私は心の底で落ち着いていた。

 逃げられる事を確信していた。

 

 私は転げるようにトラックから降りると、急いで荷台へと回り、養豚が乗っている柵を開いてマシンガンを乱射する! すると数匹が弾けるように死んで荷台に血が流れ始めた。加えて、恐慌した豚どもが暴れ、荷台から転げ落ちていく。

 

 次々と荷台から落ちる豚ども。七匹程の丸々と太った豚が線路へと落ちて逃げ出していく。中には骨折でもしたのかイモムシのように悶えている豚までもがいた。巨体が肉食のドラゴンであるならば、こんな美味そうな餌を放置しておくはずがない。骨と皮しかない私のような人間などよりも、肥えた豚の方を選んで喰うはず!

 

 そして、予想通り巨体の注意がそちらへと流れた。

 巨体が豚どもに気を取られている隙に、私は銃を手にして走り出す! 全力でその場から逃げ出す!

 

 このまま駅構内へと這い上がって地上に出るという手もあるが、日中の外は危険だ。当初の予定通りこのまま地下を通って新宿まで出よう。さいわい、この一帯には地下鉄道が他にも走っている。来た道を戻らなくとも、そちらに移動すればあのドラゴンも追ってはこれまい。さらに加えてヤツは鈍足、万が一にも追いつかれる事もないだろう。

 

 目指すは新宿駅。走ればすぐに着く!!

 

 

 しかし、寒い…。それにしても寒い! 先程よりもさらに温度は下がっているようで、吐く息さえも白く、冷凍庫の中にでも入っているかのようだ。…だからとて足を止めたりはしない。そんな事で気を取られている場合ではないのだ。このまま逃げ切らねば、温かく食料も豊富な都庁へはたどり着けない。指先が凍りつくような寒さを耐え、ただひたすらに走る!

 

 しかし、災難はまとめて襲ってきた。

 

 ほんの少し、まだ百メートルも行ってない辺りで何かと遭遇した。暗がりに光る赤い二つの紅。行く手の正面に現れたのは”子犬のような大きさの何か”だった。

 

 だが、犬なんかではない。表皮が硬質な鎧であるかのような青色で、手足は短い。

 

 …私はその顔を見て恐怖する! これはまさしく…ドラゴンだ。

 

 くそっ! ドラゴンが挟み撃ちを仕掛けて来たとでもいうのか! さっきトラックで通った時には影も形もなかったというのに!

 幸いな事に、まだ巨体ドラゴンは豚に夢中なようだが、ここで騒ぎを起せば気づかれてしまう。さりとて、銃を使わずにこの場を切り抜けられるとも思えない。

 

 

『kisisisisi!!』

 小犬のようなそれは、気味の悪いキシキシという笑い声を響かせ、こちらを狙っている。間合いを開け、その場で嬉しそうに無邪気に飛び上がる姿は見るものに可愛いらしい印象を抱かせるかもしれない。

 

 だが違う! とんでもない!

 

 あの笑い声のようなキシキシという音は、鋭いサメの歯のようなモノが磨り合わさる音。飛び上がっているのは、いつでも飛びかかれるようにという準備にしか見えない。

 だから、私は迷うことなく銃を撃った! 乱射する! 一発でも多く叩き込む! いかにドラゴンとはいえ、小型であればマシンガンで倒せるかもしれない。どう見たってあの巨体ドラゴンよりも小型の方が弱いはずだ。手早く倒して、すぐに逃げる。それしか手はない!

 

 だが、小型のヤツはとんでもなく素早かった! 異常なまでの運動能力を持っていたのだ!!

 

 まるで壁面すら足場であるかのように縦横無尽に避けて逃げて、そして死角から襲ってくる! 飛び掛ってくるそれを私は転がって逃げ、起き上がり様にマシンガンを連射! けん制のための銃撃が功を成し、また間合いを開くことに成功した。

 …けして互角ではない。圧倒的にこちらが不利だ。いまは避けれれているが、マシンガンの残弾はもう半分以下だ。内ポケットに忍ばせている自前の拳銃も十発しかない。

 

 

『kisisisisisisisi!!』

 

 俊敏な小型ドラゴンが、恐ろしい程の素早さで飛び跳ねながら襲ってくる! 間違いなく絶体絶命のピンチだ。どう足掻いても逃げる手が思い浮かばない。冷静になろうとすればするほど、全身から汗が吹き出る。額より流れ落ちる汗は、凍えるような寒さの中で二重の意味での冷や汗となっていた。

 

 くそっ! このままでは殺される! 喰われて死ぬ!!

 

 私は運がいいのではなかったのか? 今の私は誰よりも幸運を手繰り寄せていたはずだ! あのドラゴン襲来より一ヶ月半をシェルターで生き延び、外に出てすぐに車を手に入れ、都庁に逃げ込める算段までついた。ここまで来て、…ここまで来て死ぬ? この私がこんなつまらない死に方をする?

 

 違う! 私はこんな程度で終わる人間ではないはずだ! 愚民どもとは違うはずだ! 天賦の才を持ち合わせた人物なのだ! そんな私が死ぬわけがない! こんなところで死ぬわけがない! 私は死んでたまるかっ!!

 

 

 …だが、そんな覚悟とは裏腹に、私は唐突に過去を思い出していた。

 

 まだ死ぬ直前でもないのに見る記憶の映像。走馬灯とは言わないのかもしれないが、それでも私の脳裏には、あれが…、思い出したくもないあの場面が浮かんできた。

 

 あれは…五年程も前だろうか? 私がいまの地位を築く前、我が一家の頭目がまだ存命で、最後の入院した時の事。当時はまだ一家での影響力が少なかった私は、頭目の見舞いに乗じて自身のアピールをしておこうと画策していた。年老いたとはいえ、いまだ絶大な力を持つ頭目に自分が有能である事を知って貰わねば、今後の活動に支障が出る。そう思ったからだ。

 

 なのに頭目は…、あの男は私に向かってこう言ったのだ。

 

 

 

「なあ、横山よ。お前さん最近は随分と暴れてるそうじゃねぇか。色々聞いてるぜ」

「…はは、ご冗談を。滅相もありません。私はただ先輩方が取りこぼした利益を拾い集めているだけです」

 

 私はその通りの事しか行動していなかった。力ある幹部の荒い仕事で取りこぼした収益を根こそぎ奪う事を目的とし、その上で少しづつ…、少しづつ影響力を広めていったのだ。

 そういう無能な幹部連中は自身の利益がプラスされた事に喜び、私の行動を黙認してくれていた。人間関係は良好に保ちつつ、少しづつ搾り取っていく。それに気づいているヤツはいなかった。もちろん、気づかせるようなヘマもしていない。

 

 

「お前、自分では誰よりも出世頭で、弱者を駆る捕食者気取りで”蛇”なんて呼ばれて喜んでるんじゃねぇか?」

「私はけしてそのような…」

 頭目は治療で髪の抜けた坊主頭をゆっくりと擦りながら続ける。

 

「いいや、喜んでいるな。目はそう言ってる。しかもお前は味方すら喰らう蛇だと自身の力を過信している」

 

 

「…でもなぁ、俺から見りゃあ、お前なんかミミズだよ。四方の見えない穴倉で細かい栄養を取って世界の王者だと満足している生物だ。最もミミズはミミズで、土地を豊かにする生物だがな」

 

 

「悪い事は言わねぇ。お前にゃあ天下は無理だ。お前はお前が思っている以上に底が浅い。土の中で王様気取りのミミズなんてのは、外に出れば一発で干からびるモンだ。身の程を弁え地中で生きる事を忘れるな。地中は外を知らない限り幸せなままだ。”井の中の蛙”は井の中では幸せなんだよ」

 

 

「…背伸びもそれくらいにしておかねぇと、いづれ手痛いしっぺ返しを喰らうぞ」

 私はこの死にそこないの老躯が吐き出す暴言に我慢がならず、立場を理解しつつも反論する。

 

 

「頭目は私がナマイキだとおっしゃりたいのでしょうか? そうであれば謝罪致します。自分は一家全体の利益の…」

「その物言いが過信だと言ってるんだよ」

 

 

 

「お前はそれで身を滅ぼす。…いいか蛇、お前は自分がミミズである事を忘れるな。そして地面の中の大切さを忘れるな」

 

 

 

 ほんの一瞬だけの、しかしあまりにも長い過去との邂逅。だが、それが私を大いに滾(たぎ)らせていた。理性という名の内にある怒りを思い出させていた。その吹き上がる憤怒の前には、眼前の敵でさえ小さな障害のように思えた。

 

「ふざけやがって…、あのジジイ…、クソジジイがっ! 私を…、俺をミミズだと?」

 後にも先にも、あれだけの屈辱を受けたのはあれが初めてだった。俺がミミズならば世間のゴミ人間どもはミジンコ以下だ! 塵にも満たない、空気ほどの価値もない、哀れという感情すら持たない害物だ!!

 

「死んで…たまるかっ! 俺がっ! こんな程度で死ぬなど認めない!! 俺以外の全てをブチ壊してやる!」

 

 その刹那、正面から猛烈な加速で襲い来る小型ドラゴン! しかし俺は真っ向から立ち向かい、マシンガンを盾にして食いつかせた。小柄なくせに異常な力で押さえつけられ倒れる! ヤツは恐ろしい程に鋭い刃の歯が金属をバリバリと噛み砕かんとする。

 

 しかし、俺はこれを狙っていた!

 懐から取り出した拳銃をヤツの口内に押し込みそのまま連射する! 一発、二発、三発、四発!!

 

「死ね! 死ね死ね死ね死ね死ね! さっさと死んじまえっ!!」

 トドメとばかりに五発目、ダメ押しの六発目を打ち込むと、…とうとう小型はその動きを止めた。

 いくら外皮の強靭なドラゴンであろうとも、体内に直接撃ち込まれてはどうしようもあるまい。

 

「はぁ…はぁ…はぁ…」

 …倒した。俺は首の皮一枚で、小型ドラゴンをブチ殺してやった。

 

 

「く…そがっ! ざ…、ざまあみやがれ…っ!」

 俺は小柄のくせにやけに重いドラゴンの死骸を横に捨て、なんとか立ち上がる。

 

「ははっ…! 俺に勝てる気でいたのか! ザコが! 犬野郎がっ!!」

 倒した! この俺がドラゴンを仕留めたぞ! 馬鹿にしやがって、…人間様をナメてるからそうなるんだ!!

 ヒヒ…ッ! ハヒヒヒヒヒヒ!!

 

 

 しかし喜びもつかの間、状況はさらに悪化していた。

 

 なんと、あの巨体ドラゴンが近づいてきていた。俺の後ろから地響きにも似た遅い足音が届く。

 なぜだ? なんでだ!? どうしてだっ!!!

 

 

 あんなに丸々と太った豚がいて、なぜ俺を狙ってくる? どうして俺が狙われなければならない?

 

 

 もちろん逃げる以外の選択肢はなかった。あんな巨体に銃など効くわけがない。豆鉄砲程度の衝撃も与えられない事くらい理解できる。しかし逃げる事は出来なかった。逃げたくても、逃げられなかった。

 

 逃げるべき方向から、倒した小型と同じドラゴンが三匹も現れていた…。

 あれだけ苦労して倒したヤツが、三匹も出てきたのである!!

 

 

「はは…は・は・は・は。ひひ、ひひ…」

 

 人は身の危険を感じたとき、脳内麻薬が分泌され笑い出す事があるという。だが、俺の場合はそうじゃない。笑いたくもなる。これは笑わずにいられるか。こんな理不尽があるわけがない! 映画じゃねーんだぞ? こんな冗談があってたまるか! まかり通ってたまるか! ふざけてんじゃねぇぞ!! 

 

 だから俺は、吼えた。

 獣のようにドス黒い生の感情を吹き上げたまま、ドラゴンどもに叩きつけた!!

 

「クソが! クソが! クソがぁぁぁ!! 俺は生きるんだ! 生きてやる! 生き抜いてやる! 何が起ころうと俺だけは生き残ってやるんだ! 俺がブッ殺してやる! 全部ブッ殺してやるぞぁあああああああ!!」

 

 

 

 

 

 パチパチパチパチ…。

 

 

 

 拍手…だと?? なんで…拍手が…。

 

 幻聴かと思った。誰かが拍手をする音。こんなところで人がいるはずがない。なんで拍手が? どうして拍手が聞こえる? …俺はいつの間にか錯乱していたのか? 脳が勝手にそういうモノを響かせているのか?

 

 俺は周囲へと視線を巡らせる。

 

 すると、周囲のドラゴンらが怯えているように思えた。小型はもちろん巨体までが、その”何らか”を感じて怯えの色を見せているように感じる。ドラゴンがそのような表情が理解できるわけではないが、ヤツらのそうした行動は、動物のそれと非常によく似ていたのだ。

 

 

「ああ、探さなくともいい。…僕はここだ」

 

 声がした。自分のすぐ近くの壁際に、男がいた。…いや、背は高いが少年のような体つきだ。そしてそれを表すかのように服装は学生服である。印象的なのは頭部の白髪。髪の毛が白いのはアルピノかなにかだろうか?

 

「い、いつから…そこに…?」

 素朴な疑問。別になんらかの深読みがあったわけじゃない。その男は何の気配もなく、俺の近くにいたのだ。誰だって問いてみたくなるというものだろう。

 

「ふむ。いつからと聞かれると君がここに来た時か。なんせ一緒に移動していたからな。君が果敢に戦っている姿も見ていた。勝てない敵に立ち向かい、それでも勝利を掴もうとする。…その尊い精神に僕は感銘を受けた。よって拍手を送らせてもらった」

 

 まだガキのくせに、やけに余裕のある態度。しかも俺が戦っているのを見ていた…だと?

 

 

「ふ、ふざけるなっ! 俺が死ぬ気で戦って…───あぐっ…、寒い! なんて寒さだ…っ!」

 怒りのまま叫ぶ事すら中断してしまう程の冷気。さっきの比じゃない。何もしていないのに身体が凍りつくような強烈な冷気が周囲を凍らせていた。吹雪のような猛烈な冷気が全身を打ちつけていた。な、何が起こっているんだ?

 

 見渡せば周囲の線路は壁に霜が降り、地面は凍結している。そして俺の足元さえもが冷気に包まれてしまうような猛烈な低温になっていた。声を出そうにも震えて声もでない。

 

「ああ、すまない。まだこの身体に慣れていないんだ。外気温調節が難しくてね」

 

 暗がりから顔を出した少年は何事もなく片手をポケットに入れたまま立っている。しかし俺自身は、あまりに寒さに声が出せないどころか、思考力もが衰えてきていた。それに加え、この異常であり奇妙でもある状況に、どう判断していいのか分らない。

 

 うくっ…、こいつは味方なのか? それとも敵…なのか?

 

 

「まあいい。まずは無粋な低級どもを始末しよう。…どうせ自分の縄張り他の竜が入ってきたから排除しようと考えたのだろう。低級のやりそうな事だ」

 白髪少年は巨体の方へと向くと、左手をかざして意地の悪そうな笑みを浮かべた。

 

 

「嫌いなんだよ、低脳は」

 

 ───それはまさしく一瞬だった。それ以外に形容しようがない。

 少年が上へと伸ばした腕を横へと凪ぐように振るった瞬間…、巨体が凍結した。

 

 性質の悪い手品でも見せられているのかと錯覚するかのように、天井まで届くかというあの巨体が一瞬にして白く透き通る氷塊に覆われ、そのままの姿で彫像となった。

 

 

 なんだ…これは? 俺は夢でも見ているのか?

 

 そして次は、と言わんばかりに小型どもへと振り向く。

 

 怯えた三匹はキシキシと威嚇の音を響かせながらも腰が引けていた。その気持ちは分らんでもない。傍観している俺でさえ、その圧倒的な恐ろしさに震えが止まらないくらいだ。寒さ以上に身体が恐怖を覚えて震えていた。

 

 

『kisisisiーー! ksisi!!』

「お前達も僕らのように早く人になっていれば良かったんだ。そうであればニアラの支配下より抜け出せたというのに」

 

 そしてまた一瞬のうちに全てが終わった。三匹はあの巨体と同じように氷の彫像と化し、それ以降、身動きする事もなかった。身も凍る程の極寒の中、俺は信じられない表情でそれを見ていた。何が起こったのかさえ理解できていない。

 

 

「ふむ。こんなところか。…さすがに疲れた」

 白髪少年は、何事もなかったかのようにこちらへ振り向くと、さして疲れてなさそうな無表情でそんな事を言う。

 …だが、俺をドラゴンどもと同じように殺す気はないようには見えた。先程までの強烈な力は、ひとまずコチラを敵とは考えていないように見えた。

 

 

「それはともかく、君は新宿に行くのだろう? …さっき自衛官との会話でそう言っていた」

「…なっ!」

 その瞬間、思考さえもが停止した。

 

 なんで…、なぜ…知っている?! どうしてそれをコイツが知っている!? 自衛隊を見殺しにした場面をどうして知っているというんだ? まさか、見られていた? いいや、確実に見られていたという事だ。あの場にいたというのか? でも、どこで見ていた?

 

 少年は先程と同じように片手をズボンのポケットに入れると、疲れたような溜息をついて話す。

 

 

「台場から新宿方面への道を徒歩で進むというのは想像以上に遠かった。レインボーブリッジは破壊されて遠回りする羽目になるし、道自体も崩れている箇所が多くて何度も迂回した」

 

 

「そういう苛立ちと辟易(へきえき)を感じていた頃、ちょうど…君達を目撃してね。それでトラックに乗せてもらったというわけだ」

 

 

 

 ……………。

 

 

 乗せて…もらった? 俺も誰も同乗などさせてはいない───。

 いや、それ以前に他に人間はいなかったはずだ。

 

 どこに居た? この男はどこにいたというんだ? 豚どもが居た荷台か? いや、荷台にはいなかった。居たら銃を使う時に気がつく。じゃあ…、ハッタリか? そうだ、そうに決まっている! 同乗していて気づかないわけが…。

 

 大きな違和感…。それは拭いきれない事実となって俺へと降りかかる。

 今、唐突に思い出すのは、”どういうわけか寒かった”という事。今まさしく、この場がそうであるように。

 

 

 やはり、居た…のか? 最初から…あの自衛隊と接触した時から…。

 なら、どこに?

 

 

「ど、どこに乗って…、俺は一度も見ていないぞ!?」

「ああ、荷台の上だ。最初は外気温調整がうまくいかなかったため、調整してからと思っていただったんだが、すぐに発進してしまったからな」

 

「…しかし、そのおかげで車というのは存外面白いものだと知った。周囲の景色が凄い速さで流れていく。飛んでいた時には何も感じなかったというのに」

 

 

「景色を眺めるのが楽しかったので遅くなってしまった。挨拶が遅れた事には謝罪しよう」

 そう述べて、少しだけ表情を和らげた。以前として氷のような無機質な表情は残したままだが、友好的に振舞っているようだ。こっちは理解するのに手一杯で、感想を持つ以前の状態だ。

 

「ど、どうやって荷台なんかに? ハシゴなんてなかったはずだ」

「どうと問われれば、普通に飛び乗っただけだ。たかが数メートル上に飛び上がるくらい特別難しい事でもないだろう?」

 そんな事を、さも当然のように話す少年。その顔から察するに、嘘はついていないようだ。様々な人間と交渉し、そこから利益を生み出していた俺には分る。コイツは真実を述べている。裏で何かを企んでいる様子も気配ない。

 

 つまり、本当に飛び乗ったのだ。荷台の上へと、ただ単純にジャンプして…。

 

 …なんて事だ。まったく得体の知れない少年だ。出来ることなら関わるべきでないと俺の本能が告げている。いままでの人生でここまでヤバイと思った相手はそういない。

 

 だが、コイツは異常とも言える力を、デタラメな能力を持っている。目を疑うような力、銃など問題にならない程の圧倒的な力だ。…そして、少なくとも俺に危害を加えようとはしていないらしい。

 

 少なくとも、今は。

 

 

「俺…いや、私は気にはしていない。少し驚いただけだ」

 納得など到底出来るものではないが、ひとまず理解したように頷いておく。

 それを確認した白髪少年は手順を踏むように次の言葉を続けた…。

 

「理解して貰えたようで何よりだ。しかし、僕は君を見て随分と驚いた。これは人間になって分った事だが、竜という生物は基本的に自分の事しか考えていない。君は自身が移動するために他者を見捨てた。ああいう行動を取るのは竜だけだと理解できる」

 

「…だから僕はあの時の君を見て、僕は自分以外にも人になった竜がいた事を理解したんだ。さすがに驚いたよ。よもや人化した同類がこんなにも身近にいたとはね」

 

 人になった竜? 何を…何を言っているんだ?

 

「人間との融合状態になった事でニアラの束縛を脱する事が出来たというのは計算外だったが、君はそこまで考えていたのか? いや、それ以前に君はどんな竜だったんだ? 指揮官竜ではないようだが…」

 

 ワケが分らない! 意味が分らない! コイツは何を言っている!? コイツは俺に何を求めているんだ?

 どうする? 何と答えればいい? この対応で状況がガラリと変わるだろう。

 

 …落ち着け! 冷静に考えてみろ。ここでは話を合わせてコイツを仲間に引き入れておけば安泰だ。これほどに強い味方はいない。なんせあの巨体すら一瞬だから。自衛隊なんぞ比べモノにならない圧倒的な強さを持っているのだから。

 

 そうか、これはそういう事か。…これは俺の運が引き寄せたモノかもしれない。

 きっとそうだ。俺はまだツイている。まだ俺の幸運はここにある!

 

 だから俺は、ここで芝居を打つ事にした。

 

 

「すまない…。まだ記憶が曖昧で、そういった事が思い出せないんだ。とにかく移動しよう。ここにいる意味はない」

「そうか。記憶については後日で構わない」

 

 

 よし、いいぞ。…警戒はしていないようだ。

 

「僕は台場を占拠していた群れの指揮官竜である氷竜だ。いまは人間の名で”福矢馬(ふくやま)ジュン”という名も持っている。好きな方で呼んでくれ」

「そ、そうか…。いや、あ…、俺は……、横山。俺の事は横山でいい」

 

 こうして、俺達は新宿方面へ向かって歩き始めた。巨体ドラゴンらを倒した時に比べれば幾分かは寒さが和らいでいたため、近くにいても我慢はできる。寒いことは寒いが、それでコイツから離れれば俺はまた襲われるだろう。味方に引き込むチャンスも失ってしまう。

 

 再び静けさを取り戻した地下鉄には、俺達の足音だけが響いていた。ここで無言というのも空気が重くなる。ならば、それなりにでも懐柔を進めておくべきだと、俺は何気ない話題のように振ってみる。

 

 

「なあ、福矢馬…君。この後、新宿都庁に着いてからなんだが、良ければ俺…いや、私と行動を共にしないか?」

「すまないが。僕は都庁に行くつもりはない。駅前周辺に用があるのでね」

 

「は? …いや、先に都庁に行かないのか? あそこには安全だし、食料も寝床もある。人間…なら必要だろう」

 俺が慌てて聞きなおすと、白髪少年はまったく表情を変える事無く、視線だけをこちらに向けて答えた。

 

 

「せっかく誘ってもらって恐縮だが、僕は新宿でやる事があるんだ。それも最優先で。…食料については心配ない。僕のこの身体は食料の類を必要としないからね」

「必要…ないって…」

 そんな馬鹿な事があるか! 俺を馬鹿にしているのか? …だが、これも嘘を付いているようには見えない。まったくどうなっているんだ、この男は!?

 

「都庁の件はともかく、君はどうして新宿に行きたいんだ? 何がそんなに最優先だというんだ!?」

 俺がそう声を荒げると、福矢馬はこちらを振り向く事もなく、仄暗い怒りを溜め込んだ邪鬼のような顔をしながら、正面を見つめていた。まるで眼前に憎き敵でも存在しているかのような、そんな目つきだ。

 

 

「僕がわざわざ台場から新宿へやってきた理由は、それだけ大きな目的があるからだ。しかし他者には邪魔はされたくない」

「一体…何をするって…?」

 

「それは言えない。重要機密だ。…だが新宿には、まだあの脳筋赤竜がデカイ顔をしてのさばっているんだろう? …まずはアレを殺さなくてはならないな。ヤツが目的達成の大きな不安要素であるのはまず間違いない」

 

 

「そしてもし、ヤツに邪魔されたとしたら、また取り返しの付かない事になる…」

 福矢馬は、そう答えるとその目に明確な殺意の色を輝かせていた。

 

 

 その鋭利な輝きを帯びた眼光は、俺がこれまで生きていた中で感じた事にない、絶対的な恐怖を感じさせる程のものだった。

 

 

 

 

 

Next→チャプター8 『洞穴探査A・俺様もう戦わない』

 

説明
東京は荒れ果てていた。死者の躯と猛獣が徘徊するだけの世界。とてもではないが、人の住める状況ではなくなっている。…そんな中、シェルターより出てきた男がいた。
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