宝の石
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「今から見るオペラと似たような夢を見たんです。それも七日七晩続けて」

「まあ…! ((夢魔|むま))にでも憑かれました?」

「おそらく。でも、もう見ません。きっと本物の『サロメ』を見るからでしょうね」

「こちらが手配した舞台が厄除けになって、良かったですわ」

 向かい合わせの席で、季節の野菜をあしらったホタテのカルパッチョを食べる男女は、品の良い小さな笑い声をもらす。前菜の酸味があるソースが舌に心地良く、それに対する満足も兼ねた笑みだった。

「不思議なことに、私の夢に現れたサロメは、赤毛だったんです」

「あら、あなたと同じ?」

 ソフィアリ家の嫡子は「ええ。本当に不思議でしたよ」と話を続ける。今回の食事の話はそれが中心だと分かった相手の女性は、話に付き合うことにした。優秀な遺伝子と((魔術刻印|まじゅつこくいん))を持つ若者の目に止まるには、それ相応の作法が必要だった。

 第四次聖杯戦争で物言わぬ遺体となってイギリスに帰国したソラウ・ヌァザレ・ソフィアリの兄にせかされているのは、優秀な母体となれる女性との結婚。

 今日会う女性とは二度目。ロイヤル・オペラ・ハウスでリヒャルト・シュトラウスの楽劇『サロメ』を見る前に、食事をしていた。

 兄の両親は、才能、血筋、教養を兼ね備えた女性を見つけるや否や、すぐにお見合いをさせた。今のところ、強力に後押しされている女性はいないので、兄はぬらりくらりとかわしている。

 自分の意思も考慮はされるが、あくまで参考程度。両親がしびれを切らしたら、彼らのお眼鏡にかなった良家の女性と結婚させられる。それが兄には分かっていた。

 妹よりも感情がいくらか豊かな兄は、恋の駆け引きというものを楽しんでいた。それくらいなら許される、ささやかな遊びであろうと。

 根源を目指すため、他者にはけして明かさないひっそりした魔術の研究。優秀な血を残すため、お見合いを兼ねたパーティや観劇といった華やかな社交。自然と文明を行ったり来たりするような落差に、兄にとっては義務感よりも面白さが勝った。

「ですが、最初は気味が悪かったんですよ」

 兄は水で唇を湿らせる。

「悪夢そのものでした」

 

 一日目。

 兄がいたのは噴水がある円形の広場。ここは広大な園の中央にある休憩所。王侯貴族だけに許された芸術。迷路という形で作られた庭。

 これは迷路庭である。

 自ら歩くことも誰かに聞くこともなく、兄はすぐにそう分かった。そうであることが当たり前の世界だった。

 空は青。雲は白。生垣はすべて薔薇。燃えるように鮮やかな紅と、太陽のように輝く黄色。二色の薔薇が入り乱れて咲いていた。

 現実であれば驚く光景も、兄はこういう庭なのだと理解して、疑問など浮かばなかった。

 ただ静かに庭園を見ていた兄は、迷路から突然現れた人間を見る。

 その人間は赤毛の女。胸には大事そうに生首をかかえている。

 その女の表情は笑顔。紅薔薇のように紅潮した頬と、黄薔薇のように輝いている瞳は生命力にあふれ、まさに快活の美。

 夢の中で、兄はとっさに逃げた。

 起きてから気味が悪いと思い、この時は変な夢だとすぐに忘れた。

 

 二日目。

 同じ夢、同じ場所、同じ風景。兄はまたしても薔薇の迷路庭にいた。

 夢を見始めた瞬間、赤毛の女は目の前にいた。相も変わらず輝く笑顔とともに、「見て」と生首を突き出す。

 それは男の首。髪は夜空に静かに輝く月の金。首は綺麗に斬られていて血は出ていない。白い肌には生気がある。

 下ろされた前髪が目元をさえぎっていたが、兄はこれが誰か、すぐに分かった。

 白人で金髪の男は、世界に大勢いる。それでもすぐに分かった。直感ですべてを理解した。

 兄は逃げることを諦めたが、これは夢だと自覚し、すぐに起きた。

 ソフィアリ家は名家であると同時に、敵が多い。誰かが夢魔を放ったのかもしれないと思い、兄は結界を厚くした。

 

 三日目。

 夢の中で薔薇の迷路庭の噴水広場にいるのは、もはや当たり前になっていた。赤毛の女が現れることも。

 兄は、これが外ではなく内から。自分自身の問題だと気づいた。

 なぜなら、この女に見覚えがあったから。

 首筋で髪の毛の先が跳ねているショートボブの髪型。ルビーともガーネットとも((謳|うた))われた赤い髪の色。目尻の上がった意思の強そうな瞳。

 服はサテンシルクの白いブラウス。胸元には大きくて濃い目の赤いリボン。瞳の色と同じ焦げ茶色の細身のカプリパンツ。艶のある赤いプレーン・パンプス。

 最後に見た妹の姿そのまま。

 いつからか胸元に大きな飾りをつけるようになった妹に対して、兄はなぜそんな物をつけるのか聞いてみた。

 ??胸ばかり見る人が多いから、視線をずらしたいのよ。

 確かに妹の胸は豊かだった。ほかの女よりも優位に立ち、男を誘惑するには素晴らしい武器だったが、それを本人がわずらわしいと思っていたのは、兄にとって意外だった。

「ソラウ」

 名を呼ばれた美しい妹は、光り輝く笑みで兄に生首を見せる。

「お兄様! 私、この世で一番素晴らしい宝石をやっと手に入れたの」

 妹はそう言って、今度は生首を抱き締めた。手入れのされた桜貝のような爪が、金色の髪を優しくなでる。

 兄はこれといった感情もなく、「宝石?」と問い返した。

「綺麗でしょう? 私だけの宝石よ。この世に二つとない、私のためだけに在る宝石」

 うっとりとした表情で、妹は一方的に話す。会話が通じているようで、微妙に通じていなかった。早々に兄は、夢の中の妹とまともな会話をすることを諦める。

「私は、この宝石を手に入れるために生まれてきたのよ」

「お前はもう死んでるよ」

「そう、死んだの。死んでやっと手に入ったの。これが真実の愛の形よ、お兄様」

 そこで目が覚めた。

 

 四日目。

 噴水の((縁|ふち))に座っている妹は嘆いていた。透明で大粒の涙をポロポロとこぼしていた。宝石職人ならばそれを採取し、水晶に加工して宝飾品にしたに違いない。それほど見事な涙だった。

 大声で「酷い! まただわ!」と妹は叫び、涙の宝石を量産していく。

 兄がこんなに感情豊かな妹の表情を見たのは、小さな子供の時以来だった。気づけば彼女は、表情の変化がほとんど見られない氷の女王のようになっていた。

 とりあえず妹の隣に座ると、兄は「またって、なにが」と聞く。

「悪魔に宝石を取られたの」

「ここには悪魔がいるのか?」

「あの男も宝石を欲しがるのよ。悪魔で強いから、時々奪われてしまって……取り返さないと」

 いつのまにか涙は止まり、けわしい顔をしている。本当に妹の表情が豊かなので、兄にとっては別人としか思えなかった。

「大変だね」

「でも、障害が大きければ大きいほど、愛は輝くの」

(あれが愛ねえ)

 兄は口に出して言わなかった。

「私の手に戻ってくる時、あれは輝きを増しているんだから。ほんとよ? お兄様に見せたいわ」

「悪魔相手にどうやって戦うの」

「これでも私、魔術師なんだから」

 そう言って妹が右手を大きく見せた場面で、目が覚めた。

 生前に切り取られて行方不明なはずの、右手。

 

 五日目。

 今度は噴水の縁に座っていたのは兄。目の前にいたのは美しい男。あまりの美しさに、思わず兄は身も心も引いた。

 引き締まった体躯は野生動物のようで、顔は恐ろしいほどに整っていた。体のラインを強調する服装、程良く日に焼けた健康そうな肌、癖のあるブルネットの髪、一筋だけ垂れた前髪、甘い垂れ目にとどめの泣き黒子。

 女にもてるためにあるような容姿だった。悪魔のように美しいといっても過言ではない男の手は、大事そうに生首をかかえている。

(……この男が、例の悪魔か)

 確かに妹では、体格差のある男にはかなわないと思った。

「すまんが、このへんで赤毛の女を見たか」

 声まで艶があっていい。美しい男として完成されている悪魔に対して、思わず兄は苦笑した。

「見ていない」

 兄の答えは半分正しかった。なぜなら、今日はまだ妹を見ていないから。

「魔術を使う危険な女だ。貴殿も気をつけるといい」

 笑顔で「ご忠告ありがとう」と返す。

 男の無骨な指が、宝物のようにかかえる生首の頬を甘くなでる。それは妹が持っていた生首と瓜二つ。あるいはそのもの。

「その女、なぜ危険なんだ」

「主を狙っている」

 兄は生首を見ながら、「それを狙う悪党か?」と問う。

 すると男は突然顔をゆがませ、「そうだっ!」と大声で怒鳴った。

「これを私だけの愛と言い張る盲目の魔女!」

 赤い涙がすうっと目元から流れる。次から次へと、止まることなく。

「…?」

「俺が忠節を尽くす騎士であるために、主が必要なのだ!」

 口からは、血がごぼごぼと沸き立つようにあふれた。

「これは愛ではない! 主だ!」

 さらに、胸にあいた傷口から血がどろどろと流れ出て、足元を腐らせていく。

 目から流れた血は生首に落ちるが、なぜか腐らなかった。一切の汚れを受けつけない純粋無垢の塊は、汚泥の男の腕の中でひときわ輝く。

「主を奪われたら、助け出すのが騎士の務め!」

 美しかった男は唾の代わりに呪いの飛沫を飛ばし、悪鬼の形相でわめき散らす。

(まずい)

 これ以上夢の世界にいるのは危険と判断した兄は、強制的に目を覚ました。

 

 六日目。

 視覚よりも先に働いたのは聴覚。時折笑い声が混じるハミングに満ちているのは喜び。

 目を開ければ、妹は噴水の縁に座っていた。兄も同様。

「やっと取り返したの」

 いとおしそうに片手で生首を抱き締める。妹の右手はない。かといって痛そうでもなく、ただ、無い。

「相手もこれを欲しがって手放さないから、すごく大変だったの。また右手がなくなってしまったわ」

 どう反応していいか分からず、「大丈夫?」と兄は無難な返し方をする。

「魔力が溜まれば、右手はまたできる」

「あれ、義手だったの?」

「死ぬ前になくなったこの手は、私にとっての礼装よ。水銀でできているの」

 右腕を上にかざす。今はない空っぽの右手が見えるようだった。

「水銀? そのわりには、生身の右手に見えたけど」

「彼のお陰よ。彼の愛が、右手を精巧な芸術品にしているの」

 また愛か、とは言わずに、「それはすごい」と違う言葉を口にする。

 もはや兄の心の中で巡る考えは、愛ってなんだろうね、である。

 妹が抱く生首は、相変わらず目と口を閉じている。生前のように情熱的な眼差しを向けることはなく、初々しさを感じさせる愛の言葉もささやかない。それでも妹にとっては構わないらしかった。

 白い肌、金の髪、発達した前頭葉が詰まっていそうな額、高い鼻梁、薄い口元。それらの要点を兼ね備えた婚約者、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトの生首であれば。

 妹が婚約者をこれほど愛していたのは、兄にとって意外だった。家族に対するような好意をいだいていたのは知っていたが、そこに熱狂的な恋心はなかった。

「この人は、私の望むものをなんでもくれるの。なくなった右手も、魔術師としての力も、ソラウという私個人を一番に思ってくれる心も、真実の愛も、全部よ」

「……へえ」

「この人はね、私を愛してくれた。プロポーズしてくる男たちの中で、一番情熱的だったわ。……でも、人間の中でだけ」

 妹は初めて悲しい顔をして、小さなため息をつく。

「この人の一番は、いつだって魔術。魔導書を読んでいる時の輝く目で、私を見てくれないの。世界で一番ではないの」

 彼女がケイネスにどんなふうに期待をして、落胆して、悲しんだのか。兄は手に取るように分かった。

「でもね。この人はお父様やお母様、お兄様以上に、私のことを人間の中では一番に愛してくれるの。だから結婚しても、この人なら私をそれなりに扱ってくれると思ったわ。ソフィアリ家の誰よりも才能があって、家柄も十分な、とてもいい結婚相手」

 ケイネスの額に優美な曲線を描く頬をすり寄せると、妹はゆるやかに息を吐く。

「この人の私を大好きって気持ち、聖杯戦争で少しは分かったのよ? 私にも一番好きなものができたの。好きな人に夢中になって、それだけに頭がいっぱいになって、どう言ったらいいか分からなくなって、いい態度を取りたくなるあの行動!」

 日本でなにがあったのか、なんとなく察することができた兄は頭をかかえた。

「相手、誰だったの」

「相手?」

 対する妹は不思議そうな顔で言う。困った顔をして、首を傾げる。

「……誰だったかしら?」

「覚えてないのか?」

「飛び抜けて美しくて、たくましくて、優しくて、甘かったのは覚えているんだけど……」

 ぼんやりした表情で、妹は「そういう男をいっぱい見てきたのに、なぜ彼は特別だったの?」と続けた。

「それが恋だろ?」

「恋した相手の顔を覚えていないのに?」

「恋だよ。独りよがりで、ワンサイド・ゲームで、自分最優先」

「極端だわ」

「極論さ。一つの形だよ。愛はその逆」

「それも極論?」

「それも一つの形」

「言葉遊びは嫌いよ」

 兄はゆるい笑みを浮かべると、「ケイネスの愛はどんな形?」と聞く。

「これがそうなの?」

「最初からそう言ってるじゃない」

 一度も家事をしたことがない妹の手が、生首の頭を何度もなでる。

「魔術回路を破壊されて、魔術師としての地位と名誉を捨てても、私を選んでくれた。最後まで私を守ろうとしてくれた。私は世界で一番になったの。彼はソフィアリ家の娘ではない、ソラウという私を本当に愛していた!」

 兄は目を見張った。ソラウの右手がうっすらと甦る。日に透けて輝くその色は銀白。水銀の色。

「私はいつだって半端で二番だった。生まれたのも二番。男たちは肩書ばかり見て、一族の人たちは当主の娘と見るのが先。私自身のことは二の次。物心つく前から教えられた魔術も途中で取り上げられて、魔術師としても中途半端。でも、全部埋めてくれたのはケイネスだけ」

 妹の言葉に、家族である兄は悲しげな表情をする。

 が、妹は気づかない。なにも映さず、なにも言わない生首に向かって、ただひたすらに熱烈な愛の言葉を語り続ける。

「私が誰かに恋して、彼にどんな酷いことをしても、すべてを許して、受け入れてくれる。いつも私を見て、すべてを捨ててまで私を守って、世界で一番私を愛してくれる、たった一人の人間よ。彼は私の父親で、兄弟で、息子で、恋人で、夫なの。だからこれが、私に捧げられた彼の愛の形!」

 生身の左手と銀白色に輝く右手が、空に向かってうやうやしく生首を差し出す。

 輝く瞳、朱が差した頬、淡い笑み。恋する乙女の顔で、妹はケイネスの唇に口づける。

(ああ)

 ようやく兄は気づいた。

(サロメか)

 

 七日目。

 気づけば兄はケイネスの生首を持って、噴水のそばにたたずんでいた。

「えっ」

 なぜ自分が持っているのか。兄は混乱し、周囲を見回す。誰もいない。改めて手の中にある生首を見ると、兄は息をのんだ。

(これ……)

「お兄様! 大丈夫だった?」

 迷路庭から姿を現した妹は駆け寄ると、兄が持っている生首を奪うようにして手に取る。

「守ってくれてありがとう」

「見つけたぞ! 魔女め!」

 妹に続き、悪魔も突然現れた。美しさが消えた悪鬼の形相で、目から、口から、胸の傷から、赤黒い血を撒き散らし、血が触れた場所を腐らせながら、妹を追っていた。右手には長い紅の槍、左手には短い黄色の槍を持っている。

「隠れて、お兄様!」

 妹は走る。足に翼が生えたかのように軽やかに、鳥のごとく。

「駄目よっ。これは渡さない。これは私の愛なの!」

「違う。それは俺の主だ!」

 あの悪魔が妹を殺すことはない。だから自分も隠れなくていいし、助けなくてもいい。兄はそう判断し、その場から一歩も動くことなく、妹と悪魔の追いかけっこを見ていた。

 弱い獲物をもてあそぶように、悪魔は黄色の槍を投げる。それを避けようとして、「あっ」と妹の足がもつれた。バランスを崩して、紅と黄色の薔薇の生垣に倒れ込む。はずみで生首が転がり落ちた。

 それは兄の足元にたどり着き、つま先に当たる。

 ボールのように転がったそれは、マネキンの頭。

 金髪碧眼の白人男性の顔をしているが、ケイネスとは似ても似つかない、ボロボロの人形。

 兄は妹を見る。薔薇の刺で傷ついた柔肌とほつれたブラウス。生前の妹なら、少しの傷でもこの世の終わりのような悲鳴を上げただろうが、今の妹はそんなことを気にしない。

 必死の形相で「……ないっ。ない! どこ!」と周囲を探す。時には地面に((這|は))いつくばり、生垣の中を見た。

「私の愛っ!」

 悪魔は血涙とは不釣り合いの笑みを浮かべながら、悠然と歩く。投げた槍を再び手に持つ動作も、緩慢としていた。

 妹はようやく兄の足元にある物体を見つけると、前のめりになりながら駆け出す。兄には目もくれず、マネキンの頭をかかえると、笑顔とともに迷路へと消えた。そのあとを悪魔がゆっくりと追う。

(悪魔なんて、最強の障害らしい、いい敵じゃないか)

 生首が偽物だと気づかないまま、彼らは生首を愛と呼び、主と呼んで争っている。それがこの世界のルール。偽物の首を奪い合いながら、永遠に遊び続ける。

(形さえあれば、本物じゃなくてもいいのか)

 それは本物の宝の石か、偽物の宝のような石か。

 他者からの判断はどうでも良かった。彼らはあれを宝だと思い、大事に扱い、奪い合う。すべては妹の望むまま。

 地位も名誉も財産も才能もなげうって、身も心もすべてを捧げた男。その男が残した確かな愛の形。それを奪う悪魔。障害を乗り越えて愛はさらに深まり、光り輝く。

 悪魔とやらは彼女が望む、愛の障害として用意されている駒に過ぎない。

 ここは妹の望みを実現するためだけにある、鳥籠の世界。

 数分か数十分か。ずいぶん静かだと兄が思うくらいの時間がたったあと、肩で息をしながら妹が広場に現れる。大事にマネキンの頭をかかえて。両親が見たらみっともないと嘆くような、土で汚れた姿で。

「大丈夫?」

「ええ!」

 兄は妹の目の前まで近寄る。柔らかい声音で「幸せか?」と聞く。

「今までで一番幸せよ」

 子供のような、人間味にあふれた笑顔。あったかもしれないもう一つの未来の妹の姿は、ソフィアリ家にとっては必要ないもの。小さいうちにその芽は摘まれた。

「よく分かった」

 夢の中で初めて、兄は妹に向かって笑顔らしい笑顔を見せた。

「消えろ」

 物にヒビが入る時の鋭く高い音が、世界に響き渡る。目の前の妹は生きた人間の表情を乗せたまま、ガラス製の人形になった。

 兄の言葉を合図に、色のついた透明なガラス細工は、細部に至るまでヒビが入っていく。花びらといわず、石といわず、人間といわず、すべてが。

 完全にひび割れた部分から静かに落ちていくさまは、色のついた雪。

 世界はガラスでできていた。

 生気に満ちた妹も、美しく醜い悪魔も、マネキンの頭も、精巧なガラス人形として頭から散っていく。

 さわやかなフロスティブルー、柔らかいデイドリーム、鮮やかなシアン、深いブルーアシード。空からもさまざまな種類の青のガラスが崩れ落ちる。

「魔術で失敗した時、よく言われただろ? お前は近くのものを見過ぎて、遠くのものは見ない。最後をちゃんとイメージできていないって。直球で視野がせまいんだよ、お前は」

 兄の頭や肩に細やかなガラスが当たったが、痛みはなかった。

「婚約者を見過ぎて家族が見えていなかったと思えば、次は恋人を見過ぎて婚約者が見えていない」

 情事と陰謀の赤、不貞と嫉妬の黄色。それらの上に、不可能と奇跡の青の雪が降り積もっていく。

「死んでやっと愛が見えたかい?」

 兄は青の破片で即席の青い薔薇を形作った。手順を踏まず、思うだけで作られたそれは、魔術ではなく魔法のようで、本当に夢は便利なものだと兄は笑った。

「ケイネス。君は妹の夫にふさわしいよ。家族でもできなかったことを可能にするなんて、さすが天才」

 青薔薇は自然にはない花。そのため、花言葉は不可能、ありえない。

「眼の色は青だし、よく着る服の色も青だし、君はソラウにとっての青薔薇だったのかも、ね」

 俗世では、科学の力で遺伝子操作をして、青い花びらを作ろうとするプロジェクトが進行していた。近い未来か遠い未来、いずれ作られるはずの青薔薇は、奇跡の花言葉を得るのは確実。

「なあソラウ。青薔薇はありえない花だから、そういうのは気づかなかったかい?」

 兄は微笑むと、かつて妹の形をしていた硬く透明な破片の山に、ガラス製の青い花を落とす。

「馬鹿だね」

 そこで夢は終わり、目が覚めた。

 

「…という夢を見たのですよ」

「まあ、おとぎ話のようですね」

「でしょう?」

 亡くなった妹についての夢とは言えないので、兄は夢の内容をある程度ぼかして伝えた。

「美女と生首というと、本当に『サロメ』みたい」

「美女だけが幸せ、というあたりも」

「偽物でも幸せを得ることができますのね」

「その人にとってかけがえのない、唯一無二の本物だと思えば」

 ソラウはソフィアリ家にとって屑石だった。素質のある原石を魔術師の妻という宝石にして時間をかけて磨き、育て上げたのに、最期は家名に傷をつけた。

 だが兄としては、今でもこの世に二つとない宝石。妹という、宝のような石。

 兄が見たのは、奇跡のようにありえない夢だった。

 ソフィアリ家の娘として役目を果たせなかった愚かな妹は、個人として、彼女だけにしか分からない幸せを手に入れたはず。

 そしてソフィアリ家が選び、自分も認めた婚約者は、魔術師としても妹の生涯の相手としても、優れた相手であったはず。

 そんな、魔術師としてはありえない奇跡の思いを凝縮した、青薔薇の夢。宝石ではないガラスも、振り積もれば宝石のような山に見える錯覚の世界。

「美女はあなたの夢を通じて、私は幸せだと、誰かに伝えたかったのかもしれませんね」

「そうだと良いのですが」

 すでに食後の紅茶も会計も済ませ、車も用意され、あとは女性をエスコートして店を出るのみとなったので、兄は席を立つ。

「では参りましょうか。本物の『サロメ』を見に」

「ええ」

 

END

 

-2ページ-

   後書き

 

死後まで含めると、ランサー陣営は幸せだと思います。

説明
ソラウの兄が見た夢の話。生首と美女とくればサロメという思いつきから。時期は第四次聖杯戦争から1年後あたり。ネタバレと捏造だらけなのでお気をつけて。事件簿発売前に書いた話なので、キャラ造形が違うのはご了承ください。外側から見たソラウの印象→http://www.tinami.com/view/380989
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Fate/Zero ケイソラ ケイネス ソラウ 

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