二つの夢へ |
姉さんの手伝い、そこから始まった後輩との死別、同級生の変貌…変哲も無いはずだった夏休みはあまりにも色々ありすぎて、躍動的というよりは刹那的と言えそうなくらい、あらゆる出来事が押し寄せてきてしまっていた。
そのおかげか、僕の今年の夏は、どうしても何か忘れているような気がした。ぽっかりと、何か一つだけが抜け落ちているような感覚。思い出せないくらいだから、多分そこまで大事な事じゃないと思いたいけど。
…それに、手がかりと思わしきノートは妹によって処分され、文字通り闇へと消えた。
それらに関しては言いたい事はたくさんあったけど、その妹という存在に関する出来事が僕の夏休みにとって、そしてこれからの人生について最も大切な出来事なのだから、些細な事として片付けてしまおう。
そして、かつて妹だった少女―正確には今も僕たちは兄妹ではあるんだけど―藤見原和と僕、藤見原守矢の本当の意味での交際が始まった。
…とは言ったものの、僕たちは長いこと兄妹をし過ぎていたのかもしれない。
「和」
リビングで洗い物をしていると思わしき和に声をかける。ダイニングキッチンではあるものの、和は身長が低く、吹き抜け部分からギリギリ目が合うくらいだ。
「なに? 兄さん」
そうして僕に笑顔で返事を返す。ちょっと背伸びをしたのか、口許まで見えるようにする仕草が…可愛い。
…いけない、考えている事からまた脱線しそうになった。
そう、僕たちは一応恋人同士であるんだけど…この呼び方を初めとして、兄妹であった今までとあんまり変わり映えが無いような…。
「あ、そうだ。お父さんとお母さんから美味しい茶葉を送ってもらったんだけど、兄さんも飲む?」
「ああ、もらおうかな」
僕が頷いてソファーに座ると「ちょっと待ってね」と和がポットを出しながらお茶の用意をしてくれる。見て分かる通り、よく出来た妹…じゃなかった、恋人。意識しないとどうしても妹として接してしまう。いや、それでも間違いでは無いのだけど。
「はい、お待たせ。それで兄さん、私に何か用でもあったの?」
僕の分のカップを置いて、そしてその隣りに自分のカップを置き…数人が余裕で座れるソファーなのに、僕の隣りにぴったりと寄り添うように座る和。紅茶の香りよりも心地いいのは、やはり和の匂いだ。お風呂前だというのにちゃんと女の子してるのか、いい匂いしかしない。
…やっぱり、僕が気にしすぎなのか?
「いや…何というか、このままでいいのかなあ、って」
「? 何が?」
まじまじと僕を見てくる和の顔。くりっとした瞳は大きく、少女という年齢に相応しい可愛らしさがある。弓道部員の男子の総評が「和ちゃんは弓道部の癒し」というのも、まあ分からんでもない。他人を優先する性格もあって、確かに男子ウケはいい。
…うん、やっぱり僕が和の気持ちに応えたのは間違って無かったよな。
僕以外の男が…それも悪い男に騙されて弄ばれる和を想像すると胸が痛むのを通り越して、その見えない相手に強烈な殺意を抱いてしまう。
そんな事を考える辺り、僕は想いに応えただけじゃないんだろうと思う。
「いや、ずっと僕の事を兄さんって呼んでるし…何だか変わってないんじゃないか、と思って」
「兄さんは、兄さんって呼ばれるのが嫌?」
そう言う和の顔は不安半分期待半分、微妙という言葉が果てしなく似合いそうな表情を浮かべている。
そんな顔をされては少なくとも「嫌」という返答は出来ない。実際嫌では無いけど。
「嫌とかじゃなくて…ほら、付き合うようになったんだから、いつまでもその呼び方もどうかなあ、と思っただけだよ。和が疑問に思わないならいいけど」
僕の気持ちはこの通り。
確かに兄さんと呼ばれるのは嫌じゃない。別にそういう趣味があるわけじゃないのを言っておくけど。
ただ、和は夏休みの時…僕の事となると異常な執着というか、病的にすら感じるくらいの過剰な反応を見せ、その度に僕は戦慄とした。
あの時には咲…南武さんの存在がそこに一枚噛んでいたらしく、彼女が姿を消して以来、和のそんな一面はあまり見なくなった。
…あまり、というのは、そのままの意味だ。
「…も、守矢…さん?」
「え?」
僕の答えを聞いてわずかに目を逸らし、何かを考えてた和が放ったのは、僕の名前。だけど、それが何を意味するか、僕にはすぐ分からなかった。
「えっと…兄さんは名前で呼ばれる方がいい? その方がいいなら、そう呼ぶようにするけど…」
「ああ…守矢さんかぁ…っ」
そう言われてみて自分で復唱して考えた時、顔がかあっと熱くなった。
「に、兄さん?」
上目遣いで和にそう言う風に呼ばれたら…と想像したら、この有様だ。
まずい。これは、予想以上に…クるものがある。和は妹だから自分が何かあれば守るべき存在だとは思っていたけど、仕草も合わせてそう呼ばれた時、僕は照れと嬉しさが激しく混ざり合い、結局照れに負けた。
あれは反則だろう…和が大人になるまでは、と自分に言い聞かせてるけど、間違いを犯してしまいそうになる程度には危険だ。本も処分されたし。
「…和が呼びやすい方でいいよ。兄さんって呼ばれるのも嫌じゃないし」
「そう? よかったぁ…私ね、兄さんを兄さんって呼ぶの、好きなんだ」
和もちょっと残念そうにしたけど、安心の方が勝ったのか、僕の腕を抱きかかえるようにしてぎゅっと身を寄せてきた。相変わらず身長と同じような成長速度の胸板が押し付けられるけど、好きになるように言われているし、全く柔らかくないというわけでもないので、その感触をばれない程度に楽しむ事にした。
「兄さんの妹は私だけ、兄さんの恋人は私だけ…えへへ、兄さんの私だけが二つもあるって、凄く特別な気がするんだ。これから先もずっと、この二つは守っていきたいなって…」
「和…」
すでに酔いつぶれている姉さんに感謝しつつ、僕は和の頬を軽く撫でてから、唇を重ねた。実はあまりキスもしていない為、この感触も数日ぶりだ。柔らかく、そして和自身のほのかに甘い香りが僕を異性としての和に酔わせる。
…キスってこんなにいいものなのに、なんであんまりしないんだろうな…。
和はきっとどんな時でも拒絶はしないと思う。実際、雰囲気だけならチャンスは何度もあったが、それを物にできたのは少ない。
僕は、こんな時に思う。藤見原守矢はこの期に及んでも、兄であろうとしている。
それは多分、弱さなんだろう。
世間体? 両親? 言葉にすれはいくつもの要因が出てくるが、どれも和との距離を置く理由としては…なんというか、情けない。今更そんなものを気にしても、しょうがないんだけどな…。
僕はもう、和を手放すなんて出来ないんだろうから。
「…兄さんの唇、温かい…ねえ、もう一回、してもいい?」
唇を離すと和は物欲しげに、甘えるように僕にそう言ってくる。
和はずっと我慢していたというけど、それは本当だった。
僕の前ではよく出来た妹として振舞っていたけど、それ自体が我慢の証拠だったのだろう。本当の和は甘えん坊で、ずっと僕の後ろを付いてきていたあの頃と変わらない。
思えば、夏休みが終った後からの和は…僕に引っ付いてくる事が多くなった。
「んっ」
返事の代わりに僕は唇を重ねる。いつもなら照れ臭くて出来ないけど、今日は和の匂いにあてられたのか、こんな事も平気で出来た。
もうちょっとだけ、いいよな?
僕はそう思って和の身体に手を伸ばし
「んにゃ〜…和ぃ、お水ちょ〜らぁ〜い…」
「おわっ!」
「きゃあっ!?」
良いのか悪いのか、絶妙なタイミングでリビングに入ってきた酔っ払い…姉さんに僕も和も思わず悲鳴を上げて離れる。まあ、さっきの僕なら間違いの一つや二つを犯してしまいそうだから良かったけど…でも、やっぱり僕たちがイマイチ進展しないのって、二人っきりの時間が作れないからじゃないか…?
学校、部活、そして姉さんが帰ってきている自宅。
あれから単位に余裕が出来た姉さんはちょくちょく家に戻ってきては、僕と和にちょっかいを出してくる。何でも「可愛い妹が心配」だそうだ。
…応援してくれるって言ったのに、それは無いんじゃないかなぁ…。
「お、お姉ちゃん、入る時はノックくらい…」
「え〜…らってリビングだしぃ…みんなの物だしぃ〜…」
「この酔っ払い…」
僕は邪魔された事についお望みどおりに水をバケツいっぱい被せたくなるが、そんな事をしたら待っているのは地獄だ。水のお返しにとコンクリートをぶちまけてきそうな姉に逆らうのは上策ではないだろう、と和に変わってコップに水を汲みにいき、目の前に差し出した。
「おぉ〜…ありがとぉ〜…」
「…それ飲んだら寝てよ。僕もお風呂に入ったら寝るから」
「あ、私は後でいいから、兄さん先に入ってて。お姉ちゃん、部屋に戻ろう?」
僕の言葉にちょっとだけ残念そうにしつつも、和は瞬時にこの家の良心とも言える妹に戻り、姉を気遣う。本当に、この二人が似なくて良かったと思う。もしも和が姉さん似だったら、僕の返事はまた変わっていたと思うよ…。
「あ、もりやぁ〜?」
そんな事を考えながらお風呂に向かおうとした僕を引き止める酔っ払い。正直堤さんに電話して引き取ってもらいたい…と半ば本気で考えてたら、一瞬合った目がシラフの姉さんに戻っていて
「和にはまだ早いんだから、泣かせたらどうなるか…分かってるよねぇ?」
「…!! そ、そんな事しないから!」
その言葉で姉さんが覗き見していた事を悟った僕は、和が「お姉ちゃんのバカー!」と姉さんにお灸を据えるのを任せて、お風呂へと向かった。
「…はぁ」
お風呂から上がり、ベッドに仰向けに寝転んで大きくため息をつく。
(このままじゃ、良くないよなぁ)
僕は和と向き合うと決めたのに、前よりちょっとだけ距離が縮んだ程度の関係のままというのは、やっぱりいけないと思う。誰よりも、和の為に。
(…って、何だか和を言い訳に使ってるみたいか)
そもそも、僕がそこを意識していなければ、和の性格で言えば付き合っているという事実だけで納得してくれそうなもの…。
「…いや、それは無いな」
つい思った事が声に出てしまう。
あの夏休み、和の変貌…恐怖すら感じた僕への執着は南武さんの差し向けたものだとは思っていたけど、あれからたまに、それに近いような和の表情を見る事がある。
一番最近あった事と言えば…結城さんが僕に「買い物に付き合って欲しい」と言ってきた時、曖昧な態度をとっていた僕を見ていた時の和の目か…。
あの時の和の目は思わず結城さんに「お願いだから勘弁して下さい」と本来和に言うべき言葉を言ってしまったくらいだ。その直後、和はニコニコしながら「それじゃあ、代わりに私と行こう?」と腕を組んできたけど、僕からすればそれは脅しにしか見えず、ガクガクと首を縦に振らざるを得なかった。
この事から察するに、和の僕への執着は少なからず本心であったと思わざるを得ない。だって、単なる友達である結城さんへ嫉妬するくらいだ。これからは、女の子の友達は作れないかもしれないな…。
まあ、そうなったとしても、僕に和を拒絶するという選択肢は無い。僕が見つめる女の子は和だけでいいだろう。兄が言うのもなんだけど、良く出来た女の子だと思う。
「…って、やっぱり僕、和にメロメロだったりするのか?」
口に出してみて少し愕然としてしまった。だって、今まで妹としてしか見てなかった存在に向き合った途端メロメロになるとか、僕は大概な人間じゃないか…。
(いや、違う…和の気持ちを聞く以前に、僕は…)
コンコン、と控えめなノックの音は、すぐさま僕の堂々巡りになりそうな思考を中断させる。クイックセーブすらさせない、リセットに近いものだ。
「兄さん、起きてる?」
「ああ、どうぞ」
部屋から明かりが漏れているから分かりそうなものだけど、それでも一応ノックをしてくれるのは、和の律儀な性格からだ。
―本当に、あいつにも少しは見習って欲しかったな…。
(…あいつ?)
「兄さん、ちょっといいかな?」
「どうしたの?」
僕の軽く混乱した思考に、和の声が染み渡り、すぐに余計な事は考えないようになる。
―一体、誰の事を考えてたんだろう?
まあ無作法な知り合いならたくさん居るしな、と僕はちょっと失礼な事を考えながら、和に続きを促した。
「え、えっとね…」
和は手を胸の前で組み、もじもじと視線を落ち着かなさげに右往左往させる。
…何故だろう。何となく、夏休みのある日、和に告白された直後の事を思い出したのは。
「あ、あのね…今日、一緒に寝てもいい?」
そして見事予感が的中。弓道部の部員たちから言われる「守矢は鈍い」という汚名を返上してしまえるくらいに、僕は革新をした人類のような感の鋭さを見せた。
…だからと言って、妹のお願いをあっさり受け入れるかどうかは別だけど。
「…なんで?」
「い、一緒に寝たいから…」
いや、それは分かる。というか寝たくないのに言うはずもないだろう。
あの時もそうなんだけど、和は男と一緒に寝るという事をよく分かっていないんじゃなかろうか。
もちろん和が言っている寝るというニュアンスの意味合いは分かるけど、男からすればその申し出は何というか…召し上がれと言っていると思われてもおかしくない。
「和…姉さんも言ってたけど、和は僕の恋人だけど、まだ早い事だってあるんだよ?」
ぽん、と和の肩に手を置いて、目線を合わせるようにして、僕は一瞬とはいえやましい事を考えてしまった自分を隠すように優しく語りかけた。
…だっていくら妹とはいえ、恋人が「一緒に寝て欲しい」と言ってくれば、多少はそっち方面で考えてしまっても仕方ないんじゃなかろうか。
ましてや和みたいな可愛い子なら、余計に。だからそっち方面では距離を置こうとしてたのに…。
「は、早いこと?…!?」
僕の言った事をなぞり、和はハッと顔を赤くして、ポカポカという擬音が聞こえてきそうな調子で僕の頭を叩きだした。見た目の通り、痛くは無い。
「に、兄さんのバカバカ! 私、そんなつもりで言ったんじゃないもん!」
「い、痛いって和。分かったから落ち着いて」
痛くはなくても痛いというのはお約束だろう、と思って言ったら和はあっさりとやめてくれた。うん、やはり王道というのは効果があるな。
和はちょっとだけ申し訳無さそうにしたけど「そんなんじゃ…ないもん」と膨れた。
しかしこんなリアクションを取るあたり、和も一応そっち方面の知識を手に入れつつあるというところか。情報源は…あいつが生きていたら真っ先に確定だけど、現状だと桃子ちゃんだろうな。何気に桃子ちゃん、和にあざとい事をいくつか仕込んでおり、その度に僕はリアクションに困らされている。今度釘を刺しておくか…。
「…ごめんね、兄さん。私、たまに不安になる事があって、それで…」
「不安?…ぁ」
次いで出てきそうな言葉は何とか飲み込み、僕は追及しすぎたと後悔した。いや、そこで踏み止まっただけでも昔の自分よりはよっぽどマシなんだろうけど。
すでに和の目は潤んでおり、不安という言葉通りの顔になっていた。
僕が失った後輩は、和にとっては親友だった。
言い方は悪いかもしれないけど、その差があったからこそ僕はすぐに立ち直る事が出来たんだろう。でも、和はそうはいかなかった。気を失い、悪夢にうなされ、そんな時に僕はろくに力にもなれなかった。
悔しい、というよりは腹立たしかった。
後輩の死に冷静に対処できていた冷たい自分に。
大切な存在のはずの和の力になれなかった事に。
そして今、和を泣かせようとしている事が。
「全く…和はしょうがないな」
「え?」
恐らく和の予想外の言葉を発し、僕はわざとらしくにやけただらしのない顔を作った。口調も出来るだけ軽く、手を和の頭に置く。
「さては僕が側に居ないと、勝手に他の女の子のところにでも夜な夜な遊びに行くと思っているんだろう? やれやれ、少しは信用してほしいもんだけど」
「え、あ…わ、私、兄さんの事は信じてるもん! あの時だって言ったのに!」
そこで和は怒り出して、僕の事をまたポカポカと叩きだした。痛がる振りをしながらも僕の三文芝居がある程度の効果を発揮したと嬉しくなった。
和の感情を逸らすには、ちょっとだけ怒らせるのがちょうどいいよな。それに僕がそんなイメージを抱かれていないのなんてとっくに
「…いや、ちょっとだけ不安だけど…」
…よく考えれば前科(不可抗力というか摩訶不思議だけど)があるのにそんな話題を持ち出したのは悪手だったか…普通に肯定されて結局僕は凹んだ。僕だって忘れたいよ…。
「ま、まあそれは置いといて…ちょっと狭いけど我慢できるか?」
「え?…いい、の?」
頼んでおいてオッケーしたらそう聞くのはちょっと間抜けだけど、和からすれば望み薄なお願いだったのだろう。
和があんな顔をしたら、僕が断れるわけないのにな…さっきの話じゃないけど、さすがにちょっとは僕を頼れる恋人として扱ってほしい。
「僕の信頼の為にも今日は一緒に寝ようじゃないか。一緒に寝るのなんて子供の時以来だけど、たまには童心に帰って、兄妹仲良く微笑ましくするのもいいと思うしね」
「ぷっ、何それ…兄さん、面白い」
一緒に寝るという事によほど安堵できたのか、和は出来るだけ面白おかしく気を紛らわそうとする僕にクスクスと笑っていた。うん、怒らせるのも手段としてはいいけれど、やっぱり好きな女の子には笑っていて欲しいな…なんて、珍しく僕は良い兄と恋人を出来た気がする。
「それじゃ、お邪魔します…えへへ、兄さんの布団、いい匂いがするね」
「いつも和が洗ってくれてるからね」
「それは関係ないよぉ」
壁側に寄って出来るだけ和に広いスペースを明け渡…したのに、いそいそと僕の背中にぴっとりと寄り添う和さん。
今更ながら…和が女の子であるという実感が沸いてくる。やっぱり(発育云々は置いておいても)体はなんか柔らかいし、お風呂上りという事で甘く清潔な香りが和本来のいい匂いと合わさって、僕は早々にクラッときた。
「あー…和?」
「何、兄さん?」
ベッドに入ってからエアコンの風量を調節して、照明を消してから僕は和に語りかける。和の声はすっかりリラックスしており、何の不安も感じられない。僕はと言えば、それなりに不安だらけなんだけど。
「…一応、男の布団に入ってきているという事を忘れないように。僕だって男だから、好きな女の子が側に居たら、それなりに自制してたりもするんで。和が嫌がる事は絶対しないけどさ」
まあ情けないけど、それが男というモノだ。これがただの兄妹だったら早々に眠るなりしてたんだろうけど、相手が恋人ならさすがにちょっと(部位は伏せるが)タッチするくらいはしてしまう可能性はある。それ以上は姉さんに○されるから多分出来ないだろうけど。僕だって命は惜しい。
「…べ、別に兄さんならそこまで嫌じゃない…と思うけど」
そこでようやく不安そうに身じろぎする和。うん、僕としてもそういう心構えで居てもらえたら…って、そこまで嫌じゃないって普通に危なくないか?
「兄さんの事、信じてるから。兄さんがどんな決断をしたって、私を悲しませないって知ってるから。だから、安心して」
「…そっか。ありがとな、和」
やっぱり、和だって成長してるんだな、と思う。むしろ、僕が思っている以上に強く。
和にそこまで思われる自分だと思わず誇らしげにしてしまうくらいに、僕は和に信じてもらっている。これで、僕は間違いを犯さない。
気分良く眠ろうと目を閉じようとしたその刹那、
「…私こそ、ありがとう、兄さん。兄さんのおかげで、今日は怖い夢、見ない気がするよ」
和はぎゅっと僕の体に腕を回して、ぽつりとそう言った。僕の背中に顔を埋めて、吐息を伝えてくる。
やっぱり、僕は演技が苦手らしい。和にはお見通しだったようで、余計な気をつかわせたのかもな…とまだまだ自分が未熟な事を理解した。
決められた役割を演じるというのも、なかなか難しいものだな…。
「兄さん、まだ起きてる?」
あれからどれくらい経ったのか。夜の暗闇においては十分も一時間も大差ないと思えるくらい、全てが静止しているように思えた。
いや、やっぱり今の状況がそう思わせているんだろう。
すぐ隣りに、僕の妹であり恋人でもある和が、無防備に寝ているという事実。
僕はもう子供じゃないし、和だって一緒に寝るという事の意味合いくらい分かっている。
それなのに、僕たちはただ一緒に寝ている。僕は壁を意味も無く見つめ、和はそんな僕の背中にぴったりと引っ付いている。
この状況、少なくとも普通じゃないのかもな、と漠然と考えていた。普通の定義が曖昧ではあるんだけど。
「ん、起きてるよ」
一瞬返事をしようかどうしようか悩んだが、明日は部活も無い文字通りの休日だ。多少の夜更かしをしても大きな影響はない。むしろ和が部屋に来なければ、景一に教えてもらったオススメサイトの巡回をしていたところで…いや、それ以上は言うまい。
「眠い?」
「ちょっとはね。でもすぐに寝たいというほどじゃないよ」
一応僕だって和の事を理解しようと日々努力している。いや、特別な事はしてないんだけどさ。
遠まわしではあるけれど、これは和からの「話がしたい」合図だと思った。率直にその気持ちを押し出すのでは無く、僕の眠気から先に尋ねてくるあたり、和の性格は健在だ。
だからこそ、僕はそんな和の良い所を押しつぶさないようにしつつ、和が望んでいる答えを出してあげて、彼女の願いを聞き届けてあげなきゃいけないんだ。
思わずドヤ顔をしてしまうくらい、この理論は筋が通っているだろう。
「じゃあ、ちょっとだけお話してもいい?」
「いいよ。和の話、聞かせて」
そして予想通りの和の返答に、僕は少しだけ浮かれて話の内容も想像せずに、頼れるお兄ちゃん丸出しで優しげに返事をした。
「うん。あのね…」
僕の声音に和もやや弾みがちでありながらも、少しだけ間を空けて言葉を紡ぎだした。
和の話なら例えどんな内容でも僕は優しく聞き届けられる…と思っていた。事実ちゃんと聞いたけど、動揺せざるを得なかったけど。
「兄さんは、どうして私と付き合ってくれたの?」
「え…?」
それは唐突でいて、でもずっと胸に秘めていたかのように、和は躊躇せずにしっかりと、ゆっくりと一つ一つの言葉を僕の耳朶に届けてきた。
確かに、僕はそれをしっかりと聞いていた…けど、それは僕の弱い部分を多分に刺激する言葉には違いなかった。
簡単に言うなら、自分でも考えないようにしていた事柄だった。
「えっ、と…」
「私は兄さんの事、信じてる。いい加減な気持ちで返事したんじゃないって分かってる。でも…」
多分、和の不安は僕が考えているそれと同じだろう。
だとしたら分かっていて答えられないのは、僕が動揺している証拠に他ならない。
「でも兄さんは優しいから…私の事を一番に考えてくれて付き合ってくれているんじゃないかって思うと…不安で…」
ごめん、ごめんね、と微かに声を震わせながら、僕の背中に顔を埋めて謝る和。
和が謝る必要なんて無い。僕は同情だとか、そんな気持ちで和に向き合った事なんてないんだ。
そう思っていても、言葉は形にならなかった。
それは、少なからず当たっている部分もあるからだ。
「和っ」
言うより早いか、僕は寝返りを打って和に向き合い、何かを言わせる前に抱き締めた。胸に収まるような、小さな和の体。
それでも、そんな弱い僕でも…和を悲しませるわけにはいかなかった。
弱い僕。優柔不断で、南武さんと関係をもったからと言い訳をして、誰よりも強い想いを誰よりも早く伝えてくれた和に最後まで向き合えなかった。
僕は多分、変わっていない。また(事故であっても)同じ事があれば、一人で思い悩んでしまうのだろう。
それでも…僕にとって大切なのは、和なんだ。
だから、弱い僕として向き合おう。
「確かに、和はずっと側に居てくれたし、そんな和の気持ちを無駄にしたくないって思ってた」
「…兄さん、やっぱり…私…」
僕の胸の中で不安に押しつぶされるように、小さくなっていく和。
僕が嘘をついても無駄だ。それはすでにここまでに至る会話で誰にも分かるだろう。
…断言してて少し悲しくなってきたけど、そんな事はどうでもいい。
「でもね、和。僕が和と付き合おうと思ったのは…僕も和が好きだったんだ」
「…え…」
和はよほど信じられない言葉だったのか、僕にしがみつくように強く握られていたTシャツを放心したかのようにあっさりと離した。
僕はそんな様子の和にも構わず、とにかく自分の正直な気持ち…感情に任せて全部を吐き出す事にした。
「一緒に暮らすようになってから…というとうろ覚えなんだけどさ、和と兄妹になった時、今まで一人だった自分に妹が出来て、凄く嬉しかったんだ。それでいつもついてきてくれる和が自然で、それも嬉しくて…多分僕は、和以上に好きっていう感情が自然になりすぎて、表に出す必要が無いんだと思っていたんだ」
「兄さんが…私を?」
「うん。でもさ、和じゃないんだけど…和が好きな相手が居るって初めて聞いた時、本当に告白される寸前だったけど…本当は、あんまり面白くなかった。当然だよね、自分の好きな相手が自分を好きだなんて思って無くて、それで不愉快になるなんて、さ」
あの時の感情。僕は和にここまで想われていて気付いてない相手を本気で殴り飛ばしたいと思っていたし、本音で言うならそんな相手と付き合って欲しくなかった。
兄妹仲が良いならそれも自然な感情…というには、あまりにもその思考は本気すぎた。
今でも、気付かなかった自分を殴りたいくらいだ…滑稽すぎる。
「…だから、和に好きって言われた時、もの凄く驚いたけど…嬉しかったっていう気持ちは今でもしっかりと残ってる。あの時は「自分に素直になってくれた和の事が嬉しい」なんて格好つけたけど、もう一度、言わせて欲しい」
僕は放心したままの和の肩を掴み、わずかに体から離して、目を合わせた。
きょとんとしていた和は僕と視線を合わせる事で、徐々に止まっていた時間が動き出したかのように、涙目になっていた。
何というか、そういう表情は告白の後に見たかったけど…まあいいか。
「和、僕もずっと好きだった。だから和の気持ちが本当に嬉しい。僕は…あんまり思い出したくないけど、ちょっと前みたいに弱いところもある…それでも和への想いは絶対変わらない。だから、僕と付き合って欲しい。ずっとこれから先、僕たちでまた新しい家族を作り出すその先までも、一緒に居てほしい」
僕が言い終えると同時に、和の瞳の端からぽろりと雫が零れ落ちた。その時、都合がいいって分かってるけど…その姿に僕は、かつて泣き虫でいつも僕の後ろにくっ付いてきていた、初恋の相手を思い出していた―。
「…うん。私なんかで良ければ、ずっと兄さんの側に居させて…んっ」
和の消極的な言葉を塞ぐように、僕は唇を重ねていた。
…まあ実際はそんな格好良い理由は後付でしか無く、控えめで優しく、和らしい返答が嬉しくて愛おしくて、僕は精一杯の愛情をぶつけていた。
どれくらい重ねていたか分からないほどに、僕たちはそのままの姿でお互い動こうともせず、少しばかり呼吸が苦しくなったところでそっと離れた。
「和がいいんだ。和は僕との未来だけを考えてくれればいい。和が安心できるように、僕も強くなるよ」
「…私、本当に兄さんが兄妹になってくれて、それでこうしていられるのが幸せだよ…私も頑張って、妹じゃなくて良いお嫁さんになれるように頑張るね」
「お、お嫁さん…ね」
さすがにそれはいきなり…とは思ったけど、よくよく自分の言葉を思い返してみて、否定するのもなんだかなーと続きの言葉は飲み込んだ。
僕のその態度を肯定と受け取ってくれた和はもう一度顔を近付けてキスを送ってきて、それから僕の胸に顔を埋めた。僕も抱き合うように和の小さな体に腕を回し、静かに目を閉じた。
なんだかんだで僕たちの日常は慌ただしい。だから眠気はすぐに訪れそうだった。
「兄さん…兄さんはとっても優しくて、だから女の子に弱いんだよね」
しかし和は僕の胸に顔を預けたまま、くぐもった声で話しかけてきた。
いや、確かに僕が言った弱いというのは南武さんとの事も多分に含まれてはいるけど…何というか、妙な的確さに僕は何も挟めなかった。
「だから、そういう時は私が、面倒事を片付けてあげるね…お休み、兄さん」
「…お、おやすみなさい…」
訪れた眠気を吹き飛ばすような和の一言に僕は不穏なものを感じずにはいられない。肝心の和は僕の返事の後に安心したかのように寝息を立てだしたから、どうしようも無いんだけど。
結局僕は再び眠気が訪れるまで、これからの事を少しだけ考えていた。
とりあえず、父さんと母さんと戻ってきたら、この事はどうしようか?
隠し通す? いや、それは卑怯だし、何より和に対しての不義というものだろう。ここで逃げずに立ち向かうのが、僕が強くなる為の試練なんだろう。上等じゃないか。
姉さんは…まあご覧の通り、あんな調子だけど心強い味方になってくれるだろう。あ、心強いというのは言い過ぎたかな…。
そう言えば今更だけど、僕と和の関係ってすぐに先輩たちには広まったよな…わざわざ説明するのも面倒だしいいけど、シスコンというからかうにはちょうどいい材料を与えてしまったと思わざるを得ない。和はブラコンと言われても全然気にしなさそうだけど。
一人で苦笑していたら、そこで眠気が徐々にやってくる。徐々に不鮮明になっていく思考の中、普段あまり思い出さないようにしている事も緩やかに浮かんでくる。
南武さんとはもう会う事は無いだろう。僕だって会いたいかどうかで言えば、和が荒れるのは明白だからご遠慮願いたい。
でも、浅からぬ因縁は出来てしまった。七葉の事だってある。僕だって全く悪くないなんて言うつもりは無いけど、せめて七葉にだけはいつか手を合わせて欲しかった。
…今度、和と一緒に墓参りにでも行くか。きっとあいつ「守矢…じゃなかった、シスコン先輩、こんちはー!」とでも挨拶してくるだろうな…。
僕の意識はそこで途切れた。正確には、夢に一歩踏み出したところで、だけど。
夢。寝ている時に見る不思議なもの。
でも、それは必ず経験した事だけしか出てこないという。
だから、きっと知っている人たちだったのだろう。
―あの二人もいつか帰ってきて、僕たちの事を祝福してくれるかな?
目覚めた時には忘れているであろう姉妹に対して、僕は再会を祈って眠りに落ちた。
説明 | ||
貴重な…というか下手したら日本唯一の恐れも現実味を帯びている、話題作(?)の『水月弐』の二次創作小説でございます。 …誰得と聞かれて「誰なんでしょうねー」と本気で聞き返しそうなベルですな(´・ω・)w そんなわけでPSP版でついにシナリオが追加された妹こと和のエンディングのちょっと先を書いてみました。色々ありましたが水月弐だとやっぱ和が一番可愛いかなーと思います。というか序盤からあの調子なのにPS3の時はシナリオが無かったとか…。 ぶっちゃけるなら和シナリオはイチャイチャ分が足りないと思うのでちょっとイチャついてる部分が多めです。守矢が和にデレすぎかもですがそこはフィルターとか補正がかかってますのでご了承下さい…。 水月弐は正直水月の続編としてはアレでしたが、和は可愛いと思うんだ…(何 |
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