たったひとつの冴えたやりかた
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 頭が痛い……。

 男は額に手を当てた。しばらくすると痛みは徐々に治まっていき、次第に周囲の喧騒が耳に入る。といってもここは美術館。歩き回る観覧者の靴音や、たまに場の空気を読めない子供の騒がしい声が響くくらいのものだ。

 ほら、聞こえた。家族で来たのか、少女が「おなか空いたー。レストラン行きたい!」と両親らしき男女にねだっている。母親が「騒いじゃ駄目よ」とたしなめるもあまり効いていないらしく、少女は父親の方に抱きつき「行きたい! 早く外に出ようよ!」と大声で叫んだ。

 どうでもいいが、早くいなくなってほしい。

 少女の甲高い声にようやく治まったはずの頭痛がまたぶり返しそうだ。男は家族連れから離れると2階へと進んだ。

 こちらには先程のような子供の姿は見かけられず、男はほっと息をついた。

 多くも少なくもない観客。彼らは各々気に入った作品の前で立ち止まり、興味深そうに目を凝らしている──自分と同様に。

 あれ。そういえば。

 ふと男は考える。なぜ自分はここにいるのだろう?

 現在この美術館で開催されているのは奇才ゲルテナの作品展だ。会場のそこかしこに奇妙な作品が並べられている。

 だが悪夢に出てきそうな作風は言ってしまえばあまり好きではない。さっきも色違いの女性の肖像画や不気味なマネキンの首を見て、なぜかゾクッとするような視線を感じた。もちろん気のせいに決まっているが。

 ならばさっさと外へと出てしまえばいい。そう思うのだがなぜか足が動かない。

 とくに用事もなく正直居心地もよくないと感じているのに、どうして自分はこんなにもここを離れがたく思っているのだろうか。

 奇妙な感覚に誘われるまま、男は無造作に辺りの作品を流し見た。暗い海に浮かぶ魚。赤い薔薇のオブジェ。首のない女の像……。

「……やっぱり、気持ち悪いわね」

 まるで今にも襲い掛かってきそうな気配を感じる。そんなはずもないのに、馬鹿な妄想が頭から消えない。

 もしや自覚がないだけで自分は相当疲れているのではないだろうか。少し前の頭痛もそのせいかもしれない。

 疲れるようなことをした覚えはないが、なんとなくこの予想は当たっている気がした。

 こんな気味の悪いものを見続けるくらいなら出てしまおうか。

 ──そう考えた瞬間だった。

 

 目が合った。

 

 けれどそれは間違いだった。目が合うはずがないのだ。だって、彼女は──

 

 ──“絵”なのだから。

 

 年の頃はまだ二桁いってるかどうかというぐらいの幼い少女。

 白いブラウスに赤いスカート。肩から少し出るくらいのロングヘアは手入れが行き届いており、育ちのよさが見受けられる。

 可愛らしい顔立ちは笑みを浮かべることなく、無表情に瞼を閉じている。眠ってるかのように。

 その手には赤い薔薇が握られていた。

 

(……見つけた)

 

 戸惑いも迷いもなかった。

 まさに自分はこの絵を、この少女を探していたのだと理解した。

 閉じられた瞳。けれど男は目の前の少女の絵から間違いなく何かを感じ取った。

 ゲルテナはめったに生きた人間を描くことはなかったという。どこかで手に入れた知識が脳内をよぎる。

 だというのに、少女は本当に生きているかのような存在感を持っていた。

「……どうして?」

 疑問符が口をついて出た。

 なぜ彼女はこんなところにいるのだろう。

 どうしてこの少女を見ると締めつけられるような痛みが胸を貫くのだろう。

 この痛みはなんなのか。大切なものを失ってしまったかのような、たとえようもないほどの喪失感。この絵は自分の物ではないはずなのに。

 なにより、どんなに素晴らしくともこれは絵だ。しかし男は自分がこの絵をただの絵画ではなく、少女……一人の人間そのものであるかのように思っていることに気づいた。

 なぜ。どうして。わからないことばかりだ。

 はたから見ると実に怪しげな姿であっただろう。若い男が幼い少女の絵の脇に両手をつき、公共の場であるにも関わらず周囲も気にせずひたすらに凝視しているのだ。通報されなかったのがおかしいぐらいだ。

 それもすべて後になって考えたこと。この時の男──ギャリーには、そんな余裕は微塵もなかった。

 歯を食いしばり、手をぎゅっと握り締める。

 理屈も常識も飛び越えて思うことはただひとつ。

「──待ってて、必ず」

 助け出すから。

 それだけだった。

 

 

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 時間が矢のように過ぎていった。

 

 あの日からギャリーは毎日彼女を救うための方法を探すことに費やした。

 何をもってして『救う』というのか、そもそもわからなかったけれど。それでも彼女をあのままにしておくわけにはいかないと、謎の衝動が突き動かすままにギャリーは奔走した。ワイズ・ゲルテナに関する書物を読み漁り、少女の絵についての情報を調べようとした。しかし何故かどこにも書かれていなかった。まるでそんな作品など存在しないかのように。

 直接美術展の学芸員に尋ねても、業者から委託されただけで詳しいことはわからないとのことだった。業者のほうに電話をかけてみれば、専門的な知識は無いと絶望的な返事。

 そこでネットで調べてみると、ゲルテナの作品の中には世に出ていないものも多数存在するらしい。そのひとつなのかとは思ったが、それがわかったところで何の解決策にもならない。

 ギャリーは頭をかきむしり、苦しげに呟いた。

「どうすればいいの……?」

 少女への執着が異常すぎる自覚もなくもなかったが、それ以上に膨れ上がる胸の痛みがすべてを飲み込んでしまう。

 何も出来ない無力な自分。募る焦燥に押し潰されてしまいそうだ。

 ふと気がつくと、ゲルテナ展の最終日が明日に迫っていた。

 作品展が終われば、少女の絵はこの街から去ってしまうだろう。ギャリーの手を遠く離れた場所へと。そうなってしまえば、二度と彼女とは会えないのだ。

 もう、時間がない。

 ギャリーは超法規的手段に出ることにした。

 

 

 

 閉館時間が過ぎ、館内から完全に人の気配がなくなった。ギャリーはそっと外部の様子を窺う。

 誰もいない薄暗い美術館。もう大丈夫だろう。ギャリーは倉庫から出て、少女の絵を目指した。この美術館から盗み出すために。

 それでどうにかなる問題なのか、捕まりはしないかなど数々の不安もあるが、もはや四の五の言ってられる場合ではない。

 歩きながら奇妙な感覚に気づく。ゲルテナの作品に彩られた夜の美術館はまるで異空間のような雰囲気を醸し出しているが、怖いという気持ち以上に別の感情がわいてくるのだ。

 懐旧にも似た不思議な想い。

 ……初めてではない。

 自分は以前にもこんな体験をしたことがある。こんな風にどことも知れぬ場所で彷徨ったことがある気がしてならない。

 ドクンドクンと心音が鳴る。予感がする。自分の中で止まっていた何かが再び動き始めた。

 出口のない世界、不安で苛まれそうになった。けれど、──それ以外の何かが脳裏を掠めた。

 そうだ。自分は、その時一人ではなかった。

 出会ってからずっと小さな手を繋ぎ、お互いに励ましあった。恐怖に心が壊れそうになった時、救い上げてくれた暖かなぬくもり。

 最後に見たのは世界の狭間で離れてしまった手に戸惑いを浮かべた少女の顔。

 彼女の名は──

 

「行っちゃだめ」

 

 突然だった。

 背後からした声。幼い、子供の声だ。振り返り、棒立ちでこちらを見つめる金髪の少女がいた。

「行っちゃだめ、ギャリー」 

 少女は再び制止の声をあげた。自分の名とともに。

 心臓がかつてないほどに痛んだ。自分は確かにこの少女を知っている。会ったことがあるのだ、ここだけれどここじゃないあの場所で。

 既視感はさらに強くなり、知らない、なのに知っている数々の映像が泡沫のように頭に浮かんでは消える。

 人以外のものに支配された美術館。追いかけてくる額縁から身を乗り出した女たち。青い顔の人形。知ってしまった、残酷な真実──。

 自然に口が動いた。

「……メアリー」

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「どうしてここに?」

「行ったら、戻れなくなる」

 問いかけに答えず、逆にメアリーは無表情に問いを返す。お前の都合など知ったことではないとばかりに。

 そうだ。彼女はこういう子だった。こんな場合だというのにギャリーはつい口元が綻んでしまった。

「かまわないわ」

「どうして……?」

 はじめてメアリーの表情が動いた。戸惑い、認めたくないけれど動揺を隠し切れないといった様子だ。

「あの子を、──“イヴ”を助けに行かないと」

 よかった。やっと思い出せた。

 おかしな美術館で出会った少女、イヴ。一緒に脱出しようとしたけれど、いまは彼女だけが絵画の世界に取り残されている。

 おそらくは、メアリーの……そしてギャリーの身代わりとして。メアリーが現実にいることがなによりの証拠だ。

 いままでは理由なんてない、ただ助けなければという強い想いだけがあった。

 けれど違った。理由はあったのだ、忘れていただけで。

「いいの? だって、」

「わかってるわ、外に出るためには誰かが身代わりに残らなければならない。それでも……行くわ。イヴを放ってなんかおけないもの」

「どうして助けにいけるの? なんで……」

 メアリーはそこで言葉を切り、顔を歪めて叫ぶ。

 

「なんでイヴじゃなくてギャリーが外にいるの!」

 

「メア、リ」

「本当は、わたしとイヴの二人が外に出るはずだった。なのにギャリーが外に出たから、ギャリーのせいでイヴが閉じ込められたのよ!」

 少女は早口に言い立てる。眼差しにはっきりとした敵意を漲らせて。

「あんなにイヴに大切に思われているくせに……! ギャリーなんか大嫌い!!」

 ちくり、とギャリーは胸が痛んだ。嫌いと言われたからではない。そんな抉るような言葉を叫ばざるをえなかったメアリーの心情を思うと、たまらなかった。

 メアリーが人間ではなく、ゲルテナの"作品"であることを自分はすでに知っている。彼女がイヴに執着していたことも、それゆえにギャリーが邪魔で仕方がなかったことも理解できる。今の状況は彼女にとっても望んだものではなかったのだろう。

 感情の昂ぶりは次第に別のものへと変化していった。メアリーは項垂れると、小さな声で言った。

「……違う……。イヴを置き去りにしたのは、イヴを置いてきたのはわたしなの……。わたしが、連れ戻しに行かなくちゃいけない」

「メアリー、アンタ」

「わかってる……。わかってる分かってるワカッテル!! でもダメなんだもん! 戻りたくない……怖い! もう一人ぼっちは嫌! 絶対にイヤ!!!!」

 メアリーは頭を抱えながら、いやいやと大きく首を振った。

「どうして……? ドウシテ、イヴは私の傍にいてくれないの? 私が悪い子だから……? イヴに会いたい。イヴを助けたい。でも、アソコには戻りたくない。わたし、わたしどうしたらいいの、ギャリー? もうぐちゃぐちゃなの。全然わかんない……」

 メアリーはだらんと両手を下げて俯いた。彼女の想像を絶する告白に、ギャリーはかける言葉がみつからなかった。

「わたしね、お母さんができたの。新しいお父さんも。ケーキも食べたよ。でも、でもね……ちっとも美味しくないの。だって、わたしはイヴの家族を……イヴの居場所を奪ったの。イヴを不幸にしたから、わたしは幸せになっちゃいけないんだ、よ。…………う、うわあぁぁああぁああああん!!!」

 突然メアリーは泣き出した。子ども特有の抵抗のなさで、体すべてを使ってわんわんと泣きじゃくる。気がつくと、ギャリーはその小さな身体を抱きとめていた。

 無意識にあやしながら、しかしギャリーは呆然としていた。本当にこの少女はあの、ナイフを振り回していたメアリーなのだろうか。現実世界に出てきたことが、彼女のパーソナリティを随分と成長させたらしい。

「……メアリー。ひとつだけ聞かせてちょうだい」

「な、に?」

 ぐすっと涙目をこすり、メアリーは顔を上げた。

「アタシを止めに来たのは何故?」

 再びギャリーがあの場所へ行きイヴと入れ替われば、メアリーの望み通りとなるはずだ。なのに彼女は己の願いとは真逆の行動をしている。それが不思議でならなかった。

「イヴが望んでないから」

「なっ」

 予想外の答えに一瞬息が止まった。

「どういうことなの、メアリー! アンタ、イヴと話せるの!? というか、望んでいないって、」

「イヴが、夢に出てきて言ったの。『ギャリーをこっちに来させないで』って」

 だから止めに来たとメアリーは語った。自分の欲望よりもイヴのお願いを優先させたのか。さっきの「イヴに大切に思われているくせに」という発言も納得できる。やはり彼女はかなり変わったようだ。驚いたが、それ以上に由々しき問題が立ち塞がった。

 ギャリーは額に手を押し当ててぎゅっと目を瞑った。

「アタシが助けに行こうとしてるの、お見通しみたいね。……ああああ本当にあの子ってば馬鹿!」

「イヴは馬鹿じゃないもん!」

「馬鹿よ! そんなこと言われたら、ますます助けに行かないわけないじゃない!」

「イヴはギャリーのために言ってるんだよ!」

「わかってるわよそんなこと!!」

 ギャリーは声を荒げて怒鳴った。思わずメアリーがひるむほどの大声だ。その様子にはっとなり、こんな子供に──出自がどうあろうと彼女は紛れもなく子供だ──大人げない真似をしてしまった自分をしばし反省する。

 短く深呼吸を一回、ギャリーはできるだけ優しい口調で話しかけた。

「あの子が自分のことを負担にならないようにって、アタシのために言ってくれてるってわかってるわ。……でもね、そういう優しい子だとわかってるから、尚更放っておけない。いまこうしてる間にもイヴはあの場所にたったひとりでいるのよ。それがどれだけ辛いことか、アンタならわかるでしょメアリー」

「……うん」

 メアリーは素直に頷いた。そんな彼女の頭をふんわりと撫でる。

「アンタはここで待ってなさい。大丈夫、イヴは必ず助けるわ」

 途端、弾けるようにメアリーは目を見開いた。

「……怒ってないの?」

「どうして?」

「だって、イヴをこんな目に遭わせたの、わたしだもん。ギャリーも本当はわたしが身代わりになればいいと思ってるでしょ?」

 メアリーが疑わしげに口を尖らせる。ギャリーは目を細めて微笑んだ。

「思ってないわ」

「うそだ!」

「うそじゃないわよ。アタシ、うそはつかない主義なの」

「……うそだぁ」

 信じられないといった表情全開のメアリーはまた顔を俯かせた。ぽとぽと床に落ちる滴。ギャリーは、静かに床に跪いた。

 目線を等しくすると、濡れた蒼い双眸と目が合う。

「あのね、メアリー。アタシ、本当にアンタのこと嫌いじゃないわよ。そりゃあ酷い目に遭ったけど、アンタにはアンタの事情もあったしね。それに──」

「それに?」

 疑問符に、わざとしたり顔で答える。

「アタシ、子供には優しいの。素敵なお兄さんって思われたいでしょ?」

 短い沈黙。やがて、ぷっと少女は吹き出した。

「……ギャリーって、変」

「それはないんじゃない?」

「お兄さんじゃなくてお姉さんじゃないの?」

「あら、立派なお兄さんよ。これからお姫様を迎えに行くんですもの。王子様でもいいくらいだわ」

「こんなナヨナヨした王子様いないよ」

「失礼な子ねアンタは!」

 叩き合う軽口に、メアリーはいつの間にか笑顔となっていた。もう平気だろう。ギャリーはぽんと彼女の肩を軽く叩いた。

「それじゃ、行ってくるわね」

「あ…………いってらっしゃい。……気をつけてね」

 最後の別れになることを理解しているであろうメアリーは、気遣うように言った。本当に変わったとギャリーは思う。正直メアリーが以前の彼女のままなら、身代わりにしたかもしれない。

 だが、彼女の境遇を知ってしまった後では……自身の過ちを悔いつつも孤独の恐怖に怯えて立ち竦む子供相手に、そんな真似はする気には到底なれなかった。

(メアリーはもう“作品”じゃない。ひとりの……人間だわ)

「さようなら、メアリー」

 ギャリーはその場に立ち上がった。手を振ってから踵を返し、とある絵の前に立つ。その絵のタイトルは『絵空事の世界』。こちらとあちらを繋ぐ扉。

 すうっと手を伸ばすと、その先が中へと吸い込まれた。行ける。身体が完全に飲み込まれる直前、後ろから声が耳に届く。

「バイバイ、ギャリー。……また後でね」

 えっと問い返す間もなくギャリーの意識は闇に飲まれた。

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 はじめてほんもののそらをみたよ。

 どこまでもつづくあおいそら。おひさまって、あんなにまぶしいんだね。

 よるにはおつきさま。ながれぼしははやすぎて、おねがいできなかった。

 ケーキにクッキー、チョコレートもたべたよ。

 ペットもかいたいな。かわいいネコさん!

 おかあさんがね、こんど、アップルパイのつくりかたおしえてくれるって!

 まいにちはじめてのことばかりでめがまわりそう。──でも、ぜんぜんたのしくないの。

 

 だって。ここにはイヴがいない。

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 ギャリーが目を覚ますと、そこは向こう側の世界だった。

 見える範囲に人はいないはずなのに、たしかな視線を感じる。それも複数。

 壁には女性達の絵がかけられており、時折どこからともなく笑い声が聞こえてくる。飾られたオブジェの数々は、見る度にポーズを変えていた。ありえない事象だらけの不思議な美術館。ああそうだ。霧が払われるように記憶が明確になってくる。

「そうそう、こういう場所だったわよね……」

 ギャリーは半笑いを浮かべた。頭をかこうと無造作に手を伸ばし、何かを握っていることに気づく。それは真っ青な色の薔薇、ギャリーの命そのものだ。

 あれだけ死にそうな目に遭ったというのに、またここに来る羽目になるとは。メアリーではないが、つくづく自分でもお人好しだと思う。けれど後悔はしていない。

「……そういえば、あの子変なこと言ってたわね」

 メアリーに考えが及び、彼女が最後に言った言葉が耳に蘇る。

『また後でね』

(どういうことかしら。あれじゃまるで、)

 思考は中断された。突然ガタンと大きな音が響いたせいだ。ギャリーはすぐに音がした方向へと振り向いたが、そこには誰もいない。ただ、まっ白な壁にさっきまでは絶対になかったはずのものが書かれていた。

 子供の悪戯書きのような曲がりくねった文字。内容は……そう来たかとギャリーはため息をついた。

 

“お か え り な さ い ギ ャ リ ー”

 

「ただいま、とは言いたくないけれどね……」

 呟くと、瞬く間に新たな文字が表れる。

 

“こ れ か ら ず っ と い っ し ょ だ よ”

 

 刹那、たくさんの音が轟いた。通路の先、部屋にかけてあった絵画、展示品のオブジェが一斉に動き出す──ギャリーに向かって。

 わかりやすい挙動にギャリーは肩をすくめた。

「悪いけど、あんた達と遊んでる暇はないのよ。アタシはイヴのところに行かなくちゃいけないの。だから……」

 眼差しを鋭くする。彼らの動きを観察し、もっともガードの薄い場所を探した。ほどなくそれらしい箇所をみつけ、すっと身構える。

「どきなさい、邪魔よ!」

 ギャリーは怒鳴ると同時に一気に走り出した。

 

 

 

 さすがに二度目ということもあってか、美術館攻略は前回より格段に楽だった。変更されているギミックもあったが、足止めされるほどでもない。襲いかかってくる作品達から逃げ回ること数時間、ギャリーはようやく最後に行った覚えのあるクレヨンで描いたような場所へと辿り着いた。

 だが、ここにきて最大の難関が待っていた。

「……あと開けてない部屋はここだけなのよね。どうしたら入れるのかしら」

 蔦に覆われた扉を前にギャリーは唸った。

 回れる場所は全部行った。けれどこの部屋を開くためのヒントなどをみつけることはできなかった。

 蔦は薔薇のものらしく、棘だらけだ。これを排除するのはそうとうな骨だろう。

「でもなんとなくここが怪しい気がするのよね……」

 何故だろうか。見ているだけで、息が詰まるような気持ちになる。メアリーが言っていたように、イヴがこの向こうから「来るな」とシグナルを送ってきてるのかもしれない。だからこんなにも苦しくなるのだろうか。だが、彼女のシグナルは逆効果だとギャリーは思う。

「『来ないで』って言ってくること自体、『助けて』という意味になるのよ……。大体、なんでメアリー宛にメッセージを送ってくるのかしら。アタシに直接言いなさいよ。メアリーもメアリーよね、あんなギリギリになって現れなくても」

「ギリギリでごめんね」

「うきゃあっ!?」

 ギャリーは大きく仰け反った。恐る恐る振り返る。いるはずのない、いてはならない人物がそこにいた。

「……メアリー」

「ギャリー、遅くなってごめんなさい」

「なんでここにいるの、いますぐ戻りなさい!」

 強く諭す。しかしメアリーはぶんぶんと首を振った。

「イヤ。わたしもイヴを助けるの」

「メアリー?」

 メアリーの様子がおかしいことに気づいて、ギャリーは訝しんだ。彼女は両手を組み、真剣な表情で懇願する。

「お願い、ギャリー。行かせて。絶対、役に立つから!」

 震える声音。声だけでなく、体中がガタガタとうち震えているのが見て取れる。

 当たり前だ。ここは彼女がもっとも帰りたくなかった場所。念願の外に出られたというのに、ここまで来るのにどれだけの勇気を振り絞ったのか──。

 この覚悟は自分と同じものだ。止められるはずが、ない。

 ギャリーは彼女の手にそっと自身の手を重ねた。

「……わかったわ、メアリー。一緒にイヴを助けましょう」

 メアリーの顔に、喜びが溢れる。

「うん! ありがとう、ギャリー!」

 

 

 

 メアリーは扉を前にしてとんでもないことを言い出した。

「イヴはこの先にいる。『来ないで』って、ずっと叫んでるよ」

 ある意味予想通りに言葉に、ギャリーは頷いた。

「やっぱり……。でもアタシにはなにも聞こえないわ」

「無理だよ。イヴはギャリーを絶対に呼ばない。……ギャリーが大切だから」

 ──いきなり何を。

 ギャリーはあっけにとられ、つい無遠慮にメアリーをみつめた。金髪の美少女は口元に笑みを浮かべつつ、どこかに寂しさを感じさせた。

「イヴにとってギャリーは“特別”なの。“特別”だから、傷つけたくない。大切にしたい。だから、呼ばない。ひとりで我慢するつもりなんだと思う。……ギャリーを守るために」

 もう聞いていられない。ギャリーは思わず拳を壁に打ちつけた。

「……あの馬鹿!」

 強い調子で吐き捨てる。今度はメアリーも「イヴは馬鹿じゃない」とは言わなかった。

「ギャ、ギャリー?」

 メアリーはぎょっとした。ギャリーが突然蔦をちぎり始めたからだ──素手で。

「ギャリー、駄目だよ! 手が傷だらけになっちゃうよ!」

 しかしギャリーは制止の声を聞くことなく、激情のままに手を動かし、叫ぶ。

「どうしてひとりで頑張ろうとするのよ! その分、こっちがどれだけ心配してるかってなんで分かんないの! 少しは頼るってこと覚えなさいよ! アタシは大人で、アンタはまだ子供なのよ? 大人が子供を守るのは当たり前でしょうが、ああ本当に腹が立つ!!」

 一気に捲し立ててから、もう一度手で壁を打つ。今度は両手だ。何に一番苛立つかって、少女に守られているだけの自分自身にだ。助けにきたというのに、これではあべこべではないか。

 両手は棘で無数の傷ができ、血塗れだ。痛みはあるが、それ以上に心が痛い。

 ギャリーは苦しげに息を吐きだしてから、メアリーへと力無く話しかけた。

「メアリー。この蔦をどうにかする方法知らない?」

「……知ってる」

「え、本当!?」

 ギャリーは驚いて聞き返した。あまり期待はしていなかったのだが、さすがは『元』ゲルテナの作品といったところか。

「ギャリー、ライター持ってるよね」

「え? ええ……」

 言われて、コートのポケットに忍ばせていたライターを取り出す。

 メアリーは蔦を指さし、無機質な声音で言った。

「──邪魔なものは、燃やせばいいんだよ」

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 部屋は意外と狭かった。

 薄暗い室内。窓はなく、そこかしこになんだか細々としたものが転がっている。本に、スケッチブックに……

「ギャリー、あれ見て!」

 メアリーが人差し指で何かを指し示す。

 部屋の中心部。大きなシルエットが鎮座していた。

 近づいてみると、それは巨大な薔薇のオブジェだった。真っ赤な花弁を天に向け、真っ直ぐに直立している。

「……これ、見た覚えあるわ。ゲルテナ展で……そう、タイトルは『精神の具現化』だったかしら」

 何故こんなところにとギャリーが首を傾げていると、メアリーが唐突に言った。

「これ、イヴだ!」

「はあっ!?」

 仰天し、ギャリーは口をあんぐりと開け放った。

「いきなり何言い出すのメアリー! こんなのがイヴのわけないでしょう!?」

「イヴだよ、声が聞こえるもん!」

「なんですって!」

「ほら!」

 メアリーが再び薔薇を指さした。薔薇はほのかに光を灯らせ、モールス信号のごとく法則性のある点滅を繰り返す。

「……『ごめんね』、だって。謝らないで、イヴ。イヴはなんにも悪くないよ。……のは、……なの」

 メアリーは躊躇せずに薔薇に抱きついた。その様子に、メアリーの話はやはり真実なのかと、ギャリーは慄然とした。

(この薔薇のオブジェが、イヴ? ──そんな馬鹿な!)

「なん、で、こんなことに……」

 あまりの出来事にそれ以上の言葉を失う。すると、メアリーが「なんとなくわかるよ」と、薔薇から身を起こした。

「たぶん、ここで人の心を保つのは辛かったんだと思う。寂しくて寂しくて……だから、イヴは人でいることをやめちゃったんだ」

「やめた、って」

「難しいことじゃないよ。望めば、簡単にできる」

「人に戻すことはできるの!?」

「……わかんない。でも、イヴ自身が望まない限り無理だと思う。イヴはいまもずっと『帰って』って、言い続けてる……」

 メアリーは小さく肩を震わせた。さすがにこれは彼女もショックだったのだろう。大人であるギャリーでさえも正気を保つのがやっとなのだ。

 本人がどれだけ嫌がろうと、腕ずくでも外に出すつもりだった。それがどうだ。こんな状態でどうやって連れ出せばいいのだ。状況はどうしようもないほどに絶望的だった。

 ギャリーはぐっと拳に力を込める。

(ここまで来て諦めてたまるもんですか……!)

 絶対にイヴを外に帰す。そのために自分は再びこの場所へと戻ってきたのだから。

 ギャリーはイヴに呼びかけた。

「…………イヴ……。イヴ? メアリー、アタシの声は聞こえてるのかしら」

「たぶん」

 頼りなげな返事だった。それでもギャリーは薔薇に近づくと、幹のように太い茎に手を触れた。

「イヴ。久しぶりね。……まさかこんな姿になってるとは思わなくてびっくりしたわ」

 彼女と対峙していた時は常に下だった視界。いまは高く見上げるばかりだ。薔薇の点滅は恥ずかしそうに、ゆっくりとした速度になっていた。

「アンタってば本当に困った子ね。目を離すととんでもないことしでかすんだから。心配でおかしくなっちゃうわ、アタシ。……ううん、分かってるわ。アンタがアンタなりに考えてここにいるって。……でも、でもねイヴ」

 ごまかさず、強く言い放つ。

「アンタの選択は間違ってる」

 光が、消える。

 メアリーが「イヴをいじめるな!」と背後から拳をポカポカと叩きつけてくるが、ギャリーはかまわず続けた。

「メアリーから聞いたわ、警告。アタシやメアリーを助けられて、アンタは満足だったかもしれないわね。だけど、アタシもメアリーも大いに不満足よ。なんでなのか分かる、イヴ。──アンタが、自分を大事にしないからよ」

 薔薇は光を失ったまま微動だにしない。悄然としたような印象に、きつすぎる言葉を取り消したくなる。けれど、これは必要なことなのだ。イヴは、自分のした行動の意味を知らなければならない。

 ギャリーは痛む心を押し隠して、わざと低い声で話す。

「アンタがアタシを特別だと思ってくれるように、アタシもアンタを特別だと思ってるって、どうしてわからないの? イヴが辛い目に遭えばアタシも辛いのよ。それが特別ってことでしょう?」

 薔薇がぼんやりと光った。おずおずと、様子を窺うように。

「……『ギャリー、ごめんなさい』って言ってる」

「ありがとう、メアリー」

 さあここからよ。ギャリーは一気に畳みかける。

「諦めちゃ駄目よ、イヴ。アンタが犠牲にならなくったって、みんなで幸せになれる方法が必ずあるはずだわ。思いつく方法を全部試してからでも遅くないわよ。それに、もし全部駄目だったとしても……イヴ、アタシはもうアンタをひとりぼっちになんかさせない。アタシもイヴと一緒にここに残るわ」

「ギャリー!?」

 メアリーが悲鳴のような声を上げた。同時に薔薇が再び点滅しはじめた。心臓の鼓動のように激しく。

 声は聞こえないけれど、ギャリーにはイヴがなんと言っているのか分かるような気がした。

「止めても無駄よ。アタシはアタシのしたいようにするわ。だから──イヴ」

 光は眩しさを増し、目も開けられぬほどの威力となって爆発的に広がる。

「元の姿に戻りなさい。大丈夫、これからはずっと一緒よ」

 

 魔法が解けるようだった。

「……あ」

 光は一瞬のうちに消え失せて、薔薇の花が、開く。

 花の中心に一人の少女が身体を胎児のように縮こませて眠っていた。

「……イヴ」

「イヴ!」

 ギャリーとメアリーは、共に彼女の名を呼んだ。

 閉ざされていた瞳がゆっくりと開かれる。

「……ギャリー? メアリー?」

 身を起こしたイヴを、ギャリーは両腕で抱え上げた。そのまま下に降ろすと、有無を言わさず抱きしめる。

「ギャ、ギャリー?」

 イヴはわたわたと暴れるが、かまわなかった。

 やっと会えた。やっと取り戻したぬくもりを何度も力を込めて確かめる。

「よく頑張ったわね、イヴ。お願いだから、もうこんなに心配させないで……」

「…………ギャリー……。ごめ、ん、なさい……!」

 腕の中の少女は緊張の糸が切れたのか、肩を震わせて泣きはじめた。とはいえ、どことなく控えめな泣き方に、どうしても相手を気遣わずにはいられないらしいとギャリーは苦笑する。

「手も……こんなに、傷だらけ。痛いよね? ……ひっく……ごめんなさい」

「こんなのかすり傷よ。イヴが無事ならそれでいいわ。まったく、さっきから謝ってばっかりね。どうせならお礼言ってくれた方が嬉しいわ」

 茶化すように言うと、イヴはがばっと顔を上げた。ゴシゴシと顔を擦り、涙を拭う。輝くような笑顔がまっすぐにギャリーに向けられた。

「ありがとう、ギャリー」 

「…………そういう技はまだ使わなくていいわ」

「え?」

 直視できずに思わず視線を逸らすギャリーに、イヴが不思議そうに首を傾げる。そんな穏やかな時間。

 突然、つまらなそうな声が割って入った。

「……あーあ」

「え?」

 ギャリーとイヴは、一瞬きょとんとなった。いまの声は自分達ではない。

 二人してきょろきょろと辺りを見回し、そして──

 ──部屋の最奥。背中を向けて佇むメアリーがいた。メアリーの頭上には、ひとつの絵が飾られている。

 額縁の中、ちょうど中央だけが破り取られた不思議な絵。そこにあったはずのものがなんなのかはわからない。

 ……本当に?

(これって……まさかっ!)

 ギャリーの脳裏に天啓のごとくある予想が閃く。

「ギャリー。あの絵、もしかして」

「アンタも気づいたのね、イヴ」

 うんとイヴは不安げに頷いた。

 メアリーがくるりと振り向き、口角を上げて笑う。

「やっぱり無理だったな…………ちぇ」

「メアリー?」

 イヴが呼びかけるも、メアリーはくすくす笑って何も答えない。どこか危うさを漂わせた笑い声。ギャリーはメアリーから目を離さず、イヴの身体を改めてぐっと引き寄せる。

 少し前までのメアリーならば自分達に危害を与えてくるとは思わないが、いまの彼女はまるで現実世界に来る前に戻ってしまったかのようだ。

「大丈夫だよ、そんなに怖がらなくても。なにもしないよ。だって、無意味だもん」

「無意味って、どういうことなの……?」

 メアリーは屈託なくあははと笑う。

「イヴの“特別”はギャリー。ギャリーの“特別”はイヴ。ね? 無意味でしょ?」

「メアリー? 何言ってるの?」

 イヴが心配そうに問いかける。

 しかしメアリーはこちらを見ることなく、視線を宙に彷徨わせる。

「わたしも誰かの“特別”になりたかったな。そんなこと、あるわけないのにね」

 くすくすあはは!

 笑い声は止まらない。笑っているのに、むしろ泣いているみたいだとギャリーは思った。

 メアリーはくるりとその場で回ると、やっとギャリー達と視線を合わせた。

 その顔に浮かぶのは極上の微笑み。なのに、紡ぎ出された言葉は……

 

「だってわたし、『絵』だもん。人間じゃないのに、誰かの“特別”になんてなれるわけない」

 

「メアリー!」

 イヴが涙声で叫ぶ。

 自傷行為とすら思える言葉を口にするメアリー。一体どうしてしまったのかと、ギャリーもただ見つめることしかできなかった。

 こちらの動揺ぶりとは対照的に、メアリーは──表面的には──落ち着いた様子ですらすらと一方的に話しかけてくる。一度止まってしまったら、もう続けられないとでもいうのだろうか。

「二人とも、気づいてるでしょ? ギャリーとイヴだけなら簡単に外に出られるんだよ。身代わりが必要なのはわたしだけ。……ねえ、ギャリー。前は大嫌いだったけど、わたしもギャリーのこと嫌いじゃないよ。イヴ。──ずっと大好きだよ」

 メアリーはすいっと片手を上げた。その手に握られていたのは使い古しの……ライターだ。ギャリーは慌ててコートのポケットを弄った。──ない。

 彼女が何をしようとしているのか悟り、ギャリー達は揃って叫んだ。

「アンタいつの間に! メアリー、やめなさい!」

「駄目! メアリー!!」

 だが彼女の決意を翻すことは叶わない。

「みつけたよ。みんなが幸せになれる、一番いい方法。わたしがいなくなっちゃえばいいんだ」

「メアリー!」

 ギャリーは説得を捨てて駆け出した。なんとしても止めなければ。

 イヴも同様に走り出す。二人はメアリーへと懸命に手を伸ばす。

 あとちょっとなのに、あともう少しなのに。

 どうしてもその距離が縮まらない。

 必死の形相で迫り来る二人を前にして、メアリーは精いっぱいの笑顔で最後の別れを告げる。

 彼女はもう、震えていなかった。

「ありがと、バイバイ。……ごめんね」

 

 放たれた火は瞬く間にメアリーを焼き尽くした。

-7ページ-

 イヴへ

 

 イヴがこのにっきをみるころ、わたしはもういないとおもう。

 もしみたくなかったら、すててね。いい?

 

 

 あのね。わたし、ずっとそとにでたかったの。

 やっとそとにでられたとき、すごくうれしかった。

 でも、すぐにつまらなくなった。

 だって、わたしがいちばんほしかったものがなかったの。

 

 

 イヴはいつもギャリーのことばっかりはなしてたよね。

 ギャリーも、わすれてるくせにわすれてなかったみたい。

 それって、“とくべつ”だからなんだね。

 いいなあ。うらやましいなあ。

 わたしもだれかの“とくべつ”になりたかった。

 “とくべつ”なひとに、わたしのこと、いちばんだいすきになってほしかったなあ。 

 

 

 たぶんこんや、ギャリーがイヴをたすけにいく。

 ……わたし、ちゃんとできるかな。

 ほんとはこわい。こわいよ、こわいよイヴ!

 でも、いかなくちゃ。

 イヴがいなくなったら、ギャリーがかなしむ。

 ギャリーがいなくなったら、イヴがかなしむ。

 わたしには“とくべつ”なひとがいないから、わたしがいなくなってもだれもかなしまない。

 イヴ。ひどいことしてごめんね。

 おともだちになってくれてありがとう。

 ずっとだいすきだよ。 

 ……できれば、わたしのこと、わすれないでね。

-8ページ-

(……よう! 久しぶりだな、ギャリー。元気にしてるか? ……なんだよ、不景気そうな声だなあ。今度さ、身内で集まる計画があるんだがお前も来ないか? ……あ? ダメ? なんで。……とんだワーカホリックだな。いい年して独り者のくせに、仕事だけが生き甲斐ってむなしくね。……ああ待った待った! こっから本題だから切るな人生の一大転機だぞ! ……あのさ、お前昔美術館にはまってた頃あったろ? そういやあん時お前すっげー怪我してたよな。両手ぐるぐる巻きの包帯でマミー呼ばわりまでされてたなあ、ははは! ……すんません、話ずれました。だからさ、このあいだ俺ヤボ用で行ってきたんだけど、驚くなよ? そこにお前の絵が飾ってあったんだよ! ……そんな覚えはないって、どう見てもアレお前だったぞ。……いやマジだって! お前だけじゃなかったけど。あ? 誰? 知らね。……知るわけねえだろ、見たことない子だったし。ほんとにモデルした覚えないの? ……おっかしいなあ。なんかすげえ賞取ったみたいだし、あわよくばおこぼれに預かろうかと、うっそ! 怒るなよ、冗談だって。…………そんなに気になるならさあ、)

 

 自分で確かめてくれば?

 

 

 ギャリーは仕事が押したために徹夜続きで疲れた身体に鞭打って、市内の美術館へとやってきた。

 友人の口車に乗せられた感はおおいにあるのだが、それ以外の理由もなくもない。ギャリーにはたしかにこの美術館に連日通っていた過去があった。周囲が引くほどの執着ぶりで何かの絵画に没頭していたのだが、不思議なことにその辺の記憶がいまは綺麗さっぱりと消え失せていた。

 また同時期に自分は謎の怪我を負っていた。これまた原因に心当たりがなく、いつの間にか両手に数え切れないほどの切り傷があったというのだから実に不可解な話だ。他人の話ならば自分も信じなかっただろう。

 手がかりは、傷だらけの手を包んでいた上等なレースのハンカチと、赤いリボンタイ。だが持ち主はギャリーの身近にはいなかった。

 空白の記憶。当初こそ気にしてどうにか思い出せないかと焦ったものだが、日々の忙しさに紛れ、いつしか気にしていたこと自体を忘れてしまった。

 月日は過ぎ、ありふれた日常を送っていた。そんな時だったのだ、友人の電話をもらったのは。

(……まさか、ね。なんか関係があるとは思えないけど)

 だけどひっかかるものがある。この機会を失ったら後悔するかもしれないという、漠然とした予感。

 ゆえにギャリーはこの美術館を訪れたのだった。自分でもよく分からない片隅の記憶を確かめるために。

 

 

 

 館内は盛況だった。

 そこかしこに人が溢れ、たまに歓声まで聞こえる。どうやら学生の集団が見学に来ているらしい。場所柄もわきまえず騒ぐ様は、正直あまりいただけない。もちろん全員がそうだとは言わないが。

(……まったく、最近の若い子は困ったものね)

 ギャリーは年寄り臭いことを考えながら、適当に館内を見て回った。パンフレットをもらい、現在の展示が市内の学生を対象にしたコンクールだと知る。特賞受賞者はさらに上位のコンクールに出展できるようだが、副賞になんらかの金品が授与されるという類のものではなさそうだ。つまり友人はとんだ狸の皮算用だったらしい。

 帰ったら電話報告してやろう。ギャリーはほくそ笑んだ。

「……と、それじゃあアタシがモデルとかいう絵も見ないといけないわね」

 辺りを見回し、もっとも人だかりの多い場所へと進む。

 すると、状況に変化が起きた。

 

「……ねえ、あの人」

「ウソ、本物?」

「うわあ、そっくり! 画像とっとこ!」

 

「……なんなのよ、一体」

 突如好奇の眼差しがいくつも突き刺さる。どういうことなのかしら。まさか本当に自分の絵があるというのか。

 凄まじく居心地が悪いが、無視して前へと突き進む。絵を拝んだら早々に退散しよう。そう思っていた、絵を見るまでは。

 人混みをかきわけて、ギャリーはようやく目当ての絵の前まで辿り着いた。

「ふう、やっと着いたわ。どれどれ………………な」

 見た瞬間、頭が真っ白になった。

 

 描かれていたのは自分とよく似た……似すぎている青年と、二人の少女だった。

 青い空の下。色とりどりの花々に囲まれて少女達は無邪気にはしゃいでいる。描き手の愛情が伝わってくるような温かみのある絵だった。

 少し遠くから見守っているのは青年の優しい眼差し。信じられないが、どう見てもギャリー自身にしか見えなかった。あえて違う点があるとするならば、いまの自分より少し若いことだけだ。

 少女達はともに二桁になるかならないかぐらいの年齢に見えた。金の髪の少女と茶色の髪の少女は、お揃いの薔薇──赤青黄の三色──の花冠を被って楽しげに笑っている。三日月に細められた瞳、しかしギャリーにはその色がわかった。金の髪の少女は吸い込まれそうな深いブルー。茶色の髪の少女は翳りのあるカーネリアンのはずだ。

(なんでわかるの……? アタシは、この子達を……知ってる?)

 驚愕から立ち直れず、ギャリーはその場に立ちつくした。見開かれた目はじっと絵を凝視することしかできない。だから、気づくのが遅れた。

 初めて聞く声だった。

「……ギャリー!」

「……え?」

 名を呼ばれ、無意識に顔を回した。誰もいなかった。

 それもそのはず、どすんとした衝撃と共に抱きつかれた。

「ギャリー! 会いたかった!」

「へ!?」

 首筋に両腕を回され、思いっきり身体が密着している。ふんわりと花の香りが漂い、さらさらの髪がギャリーの頬をくすぐった。

 ……どういうこと? これ。

 ギャリーは背中にだらだらとありえない量の汗をかきながら考えた。否、考えたくない。理解してしまったら終わりな気がする。ほら、さっきとは比較にならないくらいものすごい視線浴びてるし!

 ギャリーの心境とは裏腹に相手はさらに勢い込んで話しかけてきた。

「よかったぁ……。やっと会えた。わたし、ずっと探してたの」

 さすがにそろそろ止めないとまずい気がする。ギャリーは逸らしまくっていた視線を勇気を出して下に落とした。

「……あ、あの失礼ですがどちら様でしょうか? アタシその、人違いじゃないかなあー……なんて」

 名前を呼ばれておきながら往生際が悪いとは百も承知だが、他の理由が思いつかなかった。

 すると彼女は即座に身を起こして顔を上げた。眉を立てて、叫ぶ。

「わたし、イヴだよ! 思い出してギャリー!」

「…………イヴ?」

 

 ────────イヴ?

 

 パンと何かが破裂する音がした。

 

 倒れていた自分に蒼い薔薇を差し出してくれた女の子。

 二人で奇妙な美術館を歩き回った。

 世界の境界で離してしまった手。

 もう一度訪れた美術館で、ずっと一緒にいようと約束した。  

 現実への帰り道。忘れても、絶対思い出そうねと誓い合った!

 

 フラッシュバックする記憶。永遠にも似た一瞬が過ぎ去った時、ギャリーはすべてを思い出していた。

「……アタシってば、あんなに絶対に思い出すって言ったのに。何年忘れてんのよ、我ながら嫌になるわね……」

「…………思い出してくれた?」

 不安に揺れる眼差し。ギャリーはようやく正面から彼女──イヴを見た。

 記憶のあるよりもずっと伸びた髪と背丈。性格だろうか、学校の制服をきっちりと着こなしている。年相応に育った姿はもはや背中に庇われて守られるべき『子供』ではないが、まっすぐにこちらに向けられる無垢な瞳は昔と変わらなかった。思い出したばかりの記憶の中の女の子と、目の前の少女の面差しが重なる。

 ギャリーは膨れ上がる万感の思いを胸に、心からの笑顔で告げた。

「……待たせてごめんなさいね、イヴ。アタシも会いたかったわ」

「ギャリー……、ギャリー!!」

 感極まったのか、再び押しつけられる身体。その柔らかな感触にギャリーはたじろぎ、そしてやっと──気がつく。

 

「おや、これはなにかの撮影でしょうか?」

「女の子の方さ、あの絵の茶髪の子に似てない?」

「いいですなあ……若いとは」

「ここは空気読んでみんなで『おめでとう!』って一斉に拍手しよっか」

 

 もう誰も絵を見ていない。完全に見せ物状態だ。

 ギャリーはひしっとしがみついてくる少女をぐいっと引き剥がした。感動の再会に喜ぶ彼女には申し訳ないが、とても耐えられない。いろんな意味で。イヴはきょとんと目を瞬かせた。

「え?」

「逃げるわよ、イヴ!」

 いつかの場所と同じように手を引いて走り出す。だが背後から聞こえるのは、あの時のような奇声やただならぬ足音ではない。

 鳴りやまぬ拍手と、冷やかしの口笛。行きずりの大勢の人々からの祝福の声だった。

-9ページ-

「…………はあ、はあ……。イヴ、大丈夫?」

「……う、うん」

 美術館敷地内の中庭。衆人環視の注目から逃げてきたギャリー達は、揃って大きく息を吐いた。

 走ったせいだけではなく真っ赤に染まった顔を両手で覆い隠し、ギャリーは呻いた。

「うっわ……。アタシもうこの美術館に二度と来れないわね。きっと伝説にされるわ…………うぅ」

「わたしのせい? ごめんなさい、ギャリー」

 イヴはしゅんと落ち込んだ。ギャリーは慌ててフォローを口にする。

「イヴのせいじゃないわよ! ほら、元々ずっと忘れてたアタシが悪いんだもの! ……ま、まあ、ああいうことは人前でするもんじゃないわね……。というか、あんな無防備に男に抱きつくなんて、年頃の娘がしちゃ駄目よ。危ないでしょう!?」

 なんだか途中から方向性を見失った。なのにイヴは、嬉しそうに笑うと、

「大丈夫だよ。ギャリーにしかしないから」

「……………………そう」

 脱力した。育ち方間違ったんじゃないかしら、この子。素直なところは変わってないけれど、いまの彼女をどう扱えばいいものかとギャリーは戸惑った。

 こちらの惑いも知らず、イヴは隣にすり寄ってくる。だからそれがまずいと思うのだが。

「ギャリー、どうして美術館にいたの?」

「友達から、アタシの絵があるって聞いたのよ。それを確かめに来たんだけど……」

「届いたんだ……よかった!」

「『届いた?』」

 どういうことだろう。ギャリーが疑問の視線を投げかけると、イヴは小さく肩をすくめた。

「あの絵、私が描いたの」

「はっ!? ……ああ、そうよね。あんなの、アンタにしか描けないか」

 ギャリーと、イヴと、……メアリー。この3人を知るのは当人達だけだ。

「なんか賞取ったって聞いたわよ。人もいっぱいいたし、すごいじゃない! おめでとう、イヴ」

「ありがとう、ギャリー。……でもね、本当は賞なんてどうでもよかったの。私があの絵を描いた理由の『ひとつ』は、ギャリーにもう一度会うためだから」

 淡々と、きっぱりとイヴは言う。彼女の中の揺るがぬ意志をその目に宿して。

「……届いたって、そういう意味だったの」

「うん」

 こっくとイヴは頷き、

「私、ギャリーのこと、顔と名前しか知らなかった。もう一度会いたくても、どこに住んでるかも全然何もわからない。毎日美術館に通ったけど会えなくて、そのうちお父さん達にも心配されて、行くの止められちゃった。本当のことは誰にも言えなかった。信じてもらえなかっただろうし、……わたしも、言いたくなかった」

 その頃のギャリーと言えば、両手の怪我の治療で毎日通院していた。それでは再会できるはずもない。

「どんどん時間が経って、もう二度と会えないかもしれない、わたしもそのうちまた忘れちゃうんじゃないかって、すごく怖かった。もしかしたら、忘れてしまった方が楽だったかもしれない。──でも、わたしは諦めたくなかった!」

 イヴは強い口調で言い切った。駄々をこねるように両の拳を握りしめる。おとなしく聞き分けの良い子どもだった彼女の、はじめての譲れない我が儘。

「絶対諦めたくなかった! 絶対再会するんだって、決めたの! 必死に考えたよ、どうやったらギャリーに辿り着けるのかって。毎日考えて考えて考えて、思いついたの。ギャリーに会いに行けないのなら、ギャリーの方からみつけてもらおうって」

「それが……あの絵なのね」

 なんとういうことだろうか。それは無謀な賭けだったに違いない。コンクールに入賞しなければ、そもそもギャリーの耳に届かなければ、たとえ届いてもギャリー自身が見に行かなければ今日の再会はなかった。

 だがイヴは賭けに勝った。全力で挑み、ギャリーの記憶をも取り戻すという奇跡を勝ち取ったのだ。

「ギャリーが忘れてしまっていても、きっかけがあればきっと思い出してくれる。そう思った。わたしが、メアリーの日記を見て思い出したように」

「メアリーの、日記? ……そう、あの子ったら、そんなもの残してたの……」

「わたしも最初は全部忘れちゃってたの。でも、あの場所から戻ってきた日に、わたしの部屋に置いてあった日記をみつけた。それを読んで、……思い出した」

「そう……」

 ギャリーはただ相槌をうった。内容まで聞く必要はない、そんなものはイヴの顔を見れば痛いぐらいに察せられる。日記を残したメアリーの想いまでも。

「あの絵を描いたもうひとつの理由がそれね、イヴ」

 イヴはこらえるような表情になった。ギャリーは咎めたわけではない。それは彼女もわかっているだろう。だから彼女がそんな表情になってしまう理由は、イヴ自身が自分を責め続けているという証。

「向こうにいた時、わたしはメアリーと夢で会話できたの。メアリーは、いつもわたしに謝ってた。『約束破ってごめんね』。『ひどいことしてごめんなさい』。『わたしのこと、嫌いにならないで』……怯えて、怖がって、壊れそうになってたのを知っていた」

 ギャリーは取り戻した記憶を懸命に引き出した。美術館への二度目の来訪時、たしかにメアリーは不安定だったように思う。

「日記に書いてあった。『わたしのこと、わすれないでね』って」

「……ちょっと待って。あの子、まさか最初から覚悟の上だったっていうの!?」

「わたしのせい、なの」

 イヴは言葉を詰まらせ、告解する。

「わたしが、ギャリーのこと頼まなかったら。わたしがもっとメアリーのことを考えてれば、メアリーはあんなことをせずに済んだ。あんなに怖がってたのに、メアリーはずっとわたしに助けを求めてたのに。わたしは、気づいてあげられなかった……」

「…………イヴ」

 現実世界に帰ってきた日から今日に至るまで、イヴはたったひとりでメアリーを喪った咎を自分に強いて苦しんできたのか。

 それがあながち間違いではないから始末に悪い。おそらくメアリーがあのような行動に出た大きな理由はイヴのためだ。大好きな友達を救うために、彼女は自分自身を切り捨てる選択をした。イヴに一生涯消えない傷跡を残して。当時子どもだったイヴが背負うには重すぎる記憶だ。それもあって、唯一同じ体験をしたギャリーを必死に捜したのだろう。

 その間、思い出しもせずのうのうと安穏な日々を暮らしていた自分を思うと、ギャリーは我が事ながら腹立たしくてならなかった。

「あの絵はメアリーの望んだことだと、わたしが勝手に想像して描いたの。ただの自己満足だよね。メアリーはもういないのに。どこにも、いないのに……」

 自嘲気味に少女は笑う。

(……駄目。こんな顔、イヴには似合わないわ)

 ギャリーは自分の役割を正しく理解した。一息つくと、 

「ちゃんといるわよ」

「……え?」

「そこ。アタシのここにもね」

 イヴの胸を指さし、続いて自身の胸を軽く叩く。

「メアリーの名前、メアリーの顔、メアリーの声。生意気で、口が達者な女の子。でも本当は寂しがりやで、イヴのことが大好き。……ね、覚えてるでしょう?」

「……うん」

「死にそうな目にも遭わされたけど、それでもアタシはメアリーを嫌いにはなれないわ。アンタもそうでしょう、イヴ」

「……うん、大好き。わたし、メアリーにもう一度会いたい。もう一度会って、そして……っ」

 ギャリーは早口に言い募る少女の額を指でぴんと弾いた。イヴは「痛っ!?」っと目を丸くする。

「そんなに意気込まなくていいの。いつでも会えるわよ、アタシ達が覚えている限りね。アンタの描いた絵のように、おおはしゃぎで笑ってるわ。それがきっと、あの子が一番望んでいたこと」

「一番?」

「──『わすれないでね』」

 イヴははっとしてギャリーを見返した。ギャリーは視線に微笑みを返す。

「だからメアリーを思い出す時、悲しい顔をしちゃいけないの。辛い記憶であの子の思い出を塗りつぶすことになるわ。そんなの、嫌でしょう?」

「……うん、ギャリー」

 イヴの両手がそっとギャリーの片腕に絡んでくる。すがりついてきた少女の頭をギャリーはよしよしと優しく撫でた。 

「大丈夫、メアリーはいまも絶対アンタのことが大好きに決まってる。だから、アンタもメアリーのことを大好きな気持ちのままでいていいの。アタシでよければ、いつでも思い出話の相手になるわ。あの子には『アンタはいらない』って憎まれ口叩かれそうだけど、かまわないわよね?」

「…………うんっ!」

 限界が来たのだろう。肩が震え、すすり泣く声が漏れる。心の傷が完全に癒えることはないかもしれない。けれど、痛みに寄り添って支えることはできるはずだ。

 ギャリーはイヴが泣きやむまでずっと彼女の頭を撫で続けた。

 

 

 

「──それと、ね。今更なんだけど、ハンカチとリボンンタイを貸してくれてありがとう、イヴ。今度、ちゃんとお返しするわ」

「え? とってあるの?」

「もちろん! ……覚えてはなかったんだけど、なんとなく、ね。もし持ち主に会えたらお礼しようと思って、大事に持ってたのよ」

「そうなんだ……。嬉しい、ありがとうギャリー」

 イヴは頬を染めて笑った。思い出せずとも消えたわけではなかったのだろうとギャリーは思う。きっと、心が覚えていてたのだ。

 そういえばとギャリーはふと考える。

 幼い頃のイヴにとって自分はあの状況下において唯一頼れる存在だから"特別"だったのだろうが、さすがにこれほどの成長を遂げたいまならば"特別"はお役御免になっているはずだ。ありえない経験を共有したがゆえに年の差を越えた絆を結ぶことができたが、いずれは離れることになるのかもしれない。寂しいけれど、それが自然な流れだ。いつか必要とされなくなる日が来るまでは、再び巡り会えた奇跡を大事にしていこう。そうしよう。

 それが大変な思い違いであったと判明するのは少し未来の話。いまのギャリーにとって重要なのは如何にしてイヴに喜んでもらうかだけだった。

 ギャリーは悪戯っぽく笑った。ウィンクをひとつ、人差し指を口に当てて少女を誘う。

「もうひとつ。とんでもなく遅くなっちゃったけど、マカロンの約束はまだ有効かしら?」

 イヴの顔がくしゃりと歪んだ。浮かぶ表情は泣きそうな笑顔。ああ、やっと泣きやんでくれたのに。ギャリーは苦笑した。

 返事の代わり、少女は幼い頃からずっと捜し続けてきた青年の胸に勢いよく飛び込んだ。

-10ページ-

 青い空の下。色とりどりの花々に囲まれて少女達は無邪気にはしゃいでいる。

 少し遠くから見守っているのは青年の優しい眼差し。

 

「はい、メアリー。プレゼント!」

「ありがとう……! じゃあわたしからもお返し! これでお揃いだね!」

 

 お互いの頭に花輪を被せ、満面の笑みで微笑みあう。

 

「アンタ達ねぇ、楽しそうなのはいいけど、もう少し身なりに気を遣いなさい。女の子なんだから。ほら、葉っぱと花びらだらけじゃない」

「はーい」

「うるさいなぁ……。小言ババア」

「こっ、小言ババア!?」

 

 目を白黒させる青年の姿に、少女達は揃って吹き出す。

 笑い声は伝染して、いつのまにかみんなで笑ってた。

 

 

 

 

 

 みつけたよ。わたしがしあわせになれる、いちばんのばしょ。

 ありがとう、イヴ。

 

 

 

 

 

─fin─

説明
「みつけたよ。みんなが幸せになれる、一番いい方法」絵画の中にひとり取り残されたイヴを救うべく美術館へとやってきたギャリー。だが彼を制止する声が響く。「行っちゃだめ」果たしてそこにいたのは……。イヴぼっちEDをベースに他EDも複合したafterstory。物語開始時点ではギャリー・メアリーが脱出、イヴのみ残留設定です。ラスト部分に未来ギャリイヴっぽい可能性的な入り口らしきもの有。お気に召して頂けましたら幸いです。ご挨拶代わりに初投下。次作はイベント参加の予定。
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