天使の種
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 庭の片隅に一つの種を植えた。

 周りに植えられた花々。

 花弁に付着する露の大群。

 太陽の光を反射してキラキラと輝いている。

 それはまさしく一つの世界。

 小さな小さな一つの世界だった。

 

 作業の工程を終えると、ふうと一つ息を吐いた。こうやって大きく息を吐くのは昔からの癖だ。大きな作業の区切りを迎えた時は自然と口から出てしまう。よく他人から、ため息を吐かないほうがいいと言われるが、そういったことは全く関係がないのだ。ため息というと、幸せがどうとかいう言葉に繋がるが、それも聞き飽きたものだ。第一、幸せなんてものは俺には関係がないし、なくてもあってもどちらでもいい。

 やりたいことだけをやれれば満足。良くいえば自由人、悪くいえば社会不適合者。まあ、まだなんとかなるのだから問題ない。就職すれば安定するなんて時代はとうに終わったし、フリーターでも若い内なら生きていける。それに俺には親が残した資産もあるといえばあるし、結婚なんてものもする気は起きないから、この生活で死ぬまできっと安泰だろう。

 さて、それでは次の作業だ。日々成長していく花達をスケッチブックに鉛筆で描くこと。人に見せられるほど大層なものではないが、自分が確認していくものだから良いのだ。毎日少しでも絵を描いていれば多少は上達していくはずだろうし、これは作業というより趣味だから楽しいものだ。庭を見通せる居間のソファに座りながら、描いていく。さっきまで新しい種を植えていた場所にはまだ土しかない。さすがにこのままでは寂しいから、あとでちょっとした装飾でもしておこう。

 描き終わると、スケッチブックを一枚めくり、前から描いてきた絵と比較をする。十日前に比べてあの花が咲いたとか、そういった発見があって面白い。今日は紫陽花が上手く描けたなあ、昨日描いた絵と比べるとそういうこともわかるのだ。スケッチブックを折りたたみ、今の机の上に置いておく。ここがこのスケッチブックの定位置だ。それと同じようにして、様々な鉛筆の入ったケースもセットである。

 次は一旦外に出て、じょうろを掴む。まあ、どこから見ても分かるように水やりである。前は絵を描く前に水をやっていたりしたのだが、雫が反射しすぎる時があって、描くときには向かないと分かったのだ。庭にあるホースから水を出してじょうろに入れると、花たちに水をやる。先程埋めたところに水をかけ過ぎないように注意をしながらだ。あまり水をやりすぎてビシャビシャになってしまうと、種がどこか変なところに行ってしまうかもしれないし、バランスが崩れて枯れてしまうこともありうる。ここまで作り上げてきたものが壊れてしまうのは避けたかった。

 さてと、次は朝食作りだ。今日は天気もいいし、洋風にしておこう。スーパーで買ってきていた六枚切りのパンを二つ取り出す。一つはトースターに入れて、一つは堀が浅い、パンが一枚ちょうどはいるぐらいの皿に置く。冷蔵庫から卵、牛乳を取り出して小さいボウルに入れてかき混ぜた。この時は空気を入れ過ぎないように、ホイッパーを切るようにして混ぜるのが良いらしい。混ぜ終わったものをパンの入った皿に流し入れて、パンが液を吸うまで待つ。その間に、冷蔵庫からレタスの葉を一枚千切り、ミニトマトを四個取り出す。レタスは半分に千切り、ミニトマトはスライスをして準備は万端。

 あのトースター独特の音で焼き終えたことを知らせてくれた。パンをパン切り包丁で半分に切って、マヨネーズを塗りたくる。マヨネーズを塗るのはレタスの水気がパンに染みていかないようにするためだ。片方にレタスを乗せて、スライスしたミニトマトを敷き詰める。ケチャップを少々塗って、レタスを乗せて、最後にもう片方のトーストで挟んでしまえば、サンドイッチの完成だ。

 フレンチトースト用のパンが液を吸うのにはまだ時間がかかりそうだから、先にサンドイッチを食べてしまおう。テーブルに座りながら、テレビを点けた。画面の中ではバラエティ番組が流れていた。

 テレビの内容を聞きながしていると、いつの間にか手に持っていたものは無くなっていた。キッチンに戻り、パンの状態をフォークで刺して確認してみると、良さそうだった。フライパンをガスコンロの上において熱する。冷蔵庫からバターを取り出し、バターナイフで正方形に切り取った。それをフライパンの上に入れると、じゅわりと溶け出す。急がないと焦げて茶色になってしまうので、そこにパンを入れた。

 卵の焼ける匂いと、バターの焦げる匂いが鼻をくすぐって食欲が湧いてくる。バターをしまいながら、メープルシロップを取り出しておく。菜箸で裏を確認すると、だいぶ焼けていたのでひっくり返して表面をじっくりと焼いていく。その後に側面を軽く焼く。これをするとしないとでは、食べた時の食感が大違いなのだ。最後に両面を少し焼いてから皿に盛りつけ、メープルシロップを掛ければ完成だ。

 綺麗な黄金色に焼けたフレンチトーストはまさしく金塊だ。美しいし、それだけで満足できてしまうのではないか。それが過剰表現とは分かっていても、そう例えてしまいたい感情があった。一口、フォークで口に運んでみればそれは絶品。卵料理はシンプルなものでこそ輝きを放つと俺は思っている。あっという間に食べ終わると、その余韻に浸りながらさっさと皿洗いを済ませてしまう。皿を洗いたくないと思う時期もあったが、溜めておくともっとやる気がなくなってしまうし、不衛生だ。

 腹ごしらえも済んだことだし、あの土しかない部分に装飾をすることにしよう。そのための材料を集めなくてはならない。庭の片隅にある倉庫からのこぎりを取り出してから、車を走らせた。

 

 少々材料集めに骨が折れたが、時間は十二分にある。車で行くのは正解だったろうが、トラックを借りて行ったほうがよかったかもしれない。さすがに竹を積むのは辛かった。取ってきた竹を適当な大きさに切る。片方は土に刺しやすいように尖らせておいた。

 あの茶色の空間の種を入れた場所に直接当たらないように、竹を刺す。なかなか下の方に入っていかなかったが、力を加えてやることで竹は垂直になった。今は緑色の竹だが、徐々に茶色くなっていくのだろう。それを観察するのもきっと面白いはずだ。

 昼時には少々早いが、昼食作りをしよう。玄関から家の中に入ろうとする。その矢先に家の目の前に乗用車が止まった。運転席側の窓を開けて、そこから顔が出てくる。

「佑樹くん、こんにちは」

 乗用車から一人の中年女性が降りてきた。

「ああ、静子叔母さんじゃないですか。こんにちは。今日はどうしましたか」

 それが見知った顔であることを確認し、挨拶をする。

「あら、昨日父さんが来なかったかしら……自分が先に説明をしてくると言ってたのだけれど」

「来なかったですね。要件はまあ、大体分かりますが。僕の両親のことじゃないですか」

「そう。そのことで話があったのよ。あの人はどうせまた遊びに行ってるんでしょう。車もないし。それで、悪いけれどあがらせて貰えるかしら?」

「いいですよ。両親が死んでしまって掃除が行き届いてないので汚いですが、どうぞどうぞ」

 玄関を開けて叔母を家にあげる。居間のソファに腰を掛けてもらった。お茶を用意すると告げて、適当な紅茶のティーパックをカップに入れてポットから出たお湯を入れる。どうせなら昼食も食べていって貰おうと、サラダの準備も進めておく。そんな時に声を掛けられた。

「あの庭、いつ見てもいいわね。私もあんなガーデニングをしてみたいわ」

「ガーデニングはいいですよ。そこまで費用も掛かりませんし、毎日やることがありますが、日課にしてしまえばいいんです。その点だけは両親が無くなっても変わりませんね。僕が毎日やってましたから」

「素晴らしいことだわ。……あら、あの竹のあるところだけ何も植わってないわね」

「あれは今朝、新しく種を植えたんです。竹はさっきちょうど刺したものですね。あのままだとなんか寂しそうだったので」

「あらあ……確かに竹は綺麗だものね。それで、なんの種を植えたの?」

「それは秘密です。次に来た時には分かると思いますよ」

「あらあら、楽しみにしておきますわ」

「まあ、ヒントを言うなら天使の種ですね」

「天使のように綺麗なものってことね。なんとか予測できないかしら……」

「考えるのは食事を取りながらにしましょう。最近は料理を作るのにもハマりましてね。僕が作りますよ」

「ほんとに? お茶を貰うのも申し訳ないんだけれど、頂こうかしら」

「それじゃ、サラダを先に出しますね」

 冷蔵庫からレタスと千切って盛り付ける。ミニトマトも残っていたものを全て使ってしまおう。最後に、もう一つ葉っぱを加えて完成だ。

「どうぞ」

「ありがとう。あら、見たことがない葉っぱがあるわね」

「実はそれがもう一つのヒントなんですよ。まあ味は保証しますから、どうぞ召し上がってください」

「味で判断できるかしら……頂きます」

 叔母はそれを口に運んで、飲み込んだ。きっと見たことはあるはずなのに気づかないのだろう。紫陽花は花だけではなく葉っぱも美しい。それを覚えていれば気づいただろうに。

 まあ昨日と同じ事を今日もするだけだ。そして、今日やった事は明日やればいい。仕事は明日も休みだし何の問題もないだろう。これで一つの作業が終わったのだと、大きく息を吐いた。

説明
 お題は、じょうろ、天使、スケッチブック。
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短編 掌編 SS じょうろ 天使 スケッチブック 

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