素敵な食事のお供には、
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 禁煙三ヶ月目のお祝いに、後輩がご飯を御馳走してくれる事になった。

「先輩。食事にはお供も大切ですが、食べる順番も大事です。とんかつやご飯から食べては駄目ですよ。まず、キャベツから。これだけで血糖値の上昇を抑えられます」

 後輩は、「とんかつ伊勢」のメニューに視線を向けたまま忠告してきた。相変わらず小言じみたウンチクが絶えない。料理評論家気取りのこの後輩は、隙あらばこうした料理関連のウンチクを語り出すのだ。この口を黙らすのは案外難しい。食べ物を食わせたり、違う話題を振っても駄目。こいつのウンチクは止まらない。

 一度、酒の力を借りた事がある。後輩は黙ったものの、べろべろに酔い潰れてしまった。なんだか申し訳なく、その日は詫びがてら二日酔いに良く効く納豆みそ汁を作ってやった。

 後輩にみそ汁を差し出すと、俺は換気扇の下で煙草をつけた。「先輩」と、後輩が俺に険ある表情を向けた。後輩は食事中に煙草を吸うのを嫌う。「食事のお供に煙草なんて最悪だ」と言うのが後輩の口癖で、前日もそれで何度も注意された。

 換気扇を回せばいいだろうと思っていたが、駄目らしい。仕方ないのでベランダに出た。二口目を吸おうとした時、締めたはずのドアが勢いよく開いた。

「何なんですかこれ。しょっぱ過ぎでしょう、このみそ汁」悲痛な叫びをあげて、後輩が俺にみそ汁を突き出した。

 そういえば味見をしていなかった。分量を間違えたのかも知れない。そう思いながら、俺も飲んでみたが、別に普通だった。何時もの味だ。そう伝えると、後輩が今度は絶句した。

 そして急にスイッチが入り、くどくどと煙草の害悪について語りだした。曰く、一流シェフは煙草を吸わない。舌が鈍感になるからだ。喫煙者は日ごろから、味の濃いみそ汁、味の濃い料理を好む傾向がある。そして高血圧になる、との事だった。

 その程度の言葉ではめげない俺だったが、後輩が「舌の鈍感度チャックです」と差し出した「普通の水」と「塩入りの水」の味の区別が付かなかった事もあり、無理矢理禁煙させられる事になった。

 そして今日。「禁煙三ヶ月目のお祝いに美味い飯でも食いましょう」と、新宿NSビルの「とんかつ伊勢」に連れて来られた。景観にも優れる二十九階という高い階数なので値段もかなりいくかと思ったら、案外お手頃だった。これなら安心して御馳走になれる。

 後輩のオススメで「特ロース定食」に、「特製おろし小鉢」と「特製みそ小鉢」を頼んだ。もったいぶる様に運ばれてきた料理に、俺は口から溢れ出そうになった涎を慌てて引っ込めた。からっと揚げられた大ぶりな肉の見た目もさることながら、俺を圧倒したのはその匂いだった。その匂いたるや、無駄に鼻呼吸を繰り返してしまう程だ。そのまま一目散に肉に箸をむけたところで、視線を感じた。後輩だ。そうだ、まずはキャベツからだ。俺は目についた「薄口ソース」をかけ、キャベツを食べた。

「……んっ。甘い」

「でしょ! この店はキャベツもこだわっていますからね。それとこのソース。ソースがいい感じにキャベツの良さを引きたてているでしょ。あ、ほら先輩。このソース、とんかつにもかけて食べてみて下さい」

 後輩に促されながら、俺は肉にソースをかける。

 そして、一口。さくっと音がした。もう一口。またさくっと音がした。ヤバい、美味い。口の中でゆっくり租借すると、肉汁が口の中に流れていった。鼻孔からふわぁっと、ソースのシナモンの香りが抜け出ていく。俺は夢中で目の前の肉に齧りついた。

 後輩が俺の方に小鉢を寄こしてきた。「特製おろし小鉢」と、「特製みそ小鉢」だ。味見がてらにひょいっとおろしを口に入れると、口の中がさっぱりとした。このタイミングでこれはいい。

 視界の端で、後輩がニヤニヤとこっちを見ていた。

「美味しいでしょここのとんかつ」

 どんなウンチクを言うのかと思ったら、当たり前の事を言ってきた。

「でも、先輩。きっと三ヶ月前なら、きっとこんなに美味しいって気づきませんでしたよ。言ったでしょう「食事のお供に煙草なんて最悪だ」って」

「確かに……。最近、なんだか食事が美味くて仕方ない。特にこれは……やばいな」

「ねっ、やばいでしょう。あのですね、なんと言ってもこの「とんかつ伊勢」の魅力はですね――」

「なんていうか、お前と喋る時間がもったいないくらいだ」と言うと、俺は食事を再開した。もう時間が一分、一秒でも惜しい。

 後輩は「酷っ」と言いながら、自分もまた皿へと箸をのばしていた。得意の小言じみたウンチクもこの店の料理を目の前にしては意味がないようだ。ただウンチクは興味があるので、後で聞いてやろう。その時は、食事の感想でもお供に添えて、ゆっくり語りあうとしよう。

 

説明
時空モノガタリに投稿したものです。
「とんかつ伊勢」「2000文字以内」を条件にかきました。
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