雨の惑星 |
ぽつぽつと、雨粒が傘を打っている。
雫が道路に当たってはじけ、靴に染みこんで消えていく。
長い雨。
長い長い雨。
降り続いてどれくらいになるだろうか。
もうずっと、静かに雨は降り続いている。
そう、まるで町中全てを洗い流すように……。
わたしはただ見送るだけ。
立ち尽くして、雨が天から降って落ちるのを見送るだけ。
本当はこのまま、わたしの心の奥にたまった、悲しみさえも流してくれればと思って……。
ただ、それを待っている。
ぽつぽつと、雨粒が傘を打っている。
えんえんと、雨粒が傘を打っている。
さようならも言えないままに、消え去ってしまった全てよ。私はただ置き去りにされて、なにをするにもなにもできない。
終わってしまったことなのに。
終わってしまったことなのに……。
私は一歩も動けないのだ。
見つめることしかできないのだから、動きの一つも取れないのだ。
からっぽになった町並みで、一人佇んで。
「シズ、行こう」
気がついたら足元にいたクロが、小さく声を発する。
見下ろしたクロは、その名の通りの真っ黒な毛並みを雨に汚していた。
「……ずいぶん濡れてる」
「この雨だからしかたないよ」
「だから一緒に行こうって言ったのに。クロは傘をさせないんだから」
「そんなことを言ったって、君は来たら泣いちゃうじゃないか」
「……そんなことはないけど」
「嘘だね。というか、もう手遅れ?」
わたしの濡れた頬を、クロは見上げる。
「これは雨だよ」
「傘を差してるのに?」
「そういうこともあるんだよ」
「ふうん、じゃあ傘なんて意味がないね」
言ってクロは歩き出してしまう。
わたしは後を追うしかなかった。
「待ってよ」
ちょこちょこと、忙しく四肢を動かして歩く小さな黒猫を追いかけて歩く。クロは体が小さいくせにせっかちで、歩くのだって意外に早い。
「ねえクロ、どうだったの?」
「うん、ここもやっぱりダメだね」
「そっか……」
「だいじょうぶさ、シズ。きっと他にも生き残ってるよ」
「うん、そうだといいね」
そこここにある水溜りを蹴飛ばして、静けさしかない町を歩く。
クロは小さく振り返って、わたしの表情を見ようとした。見られたくないので、傘を傾けてわたしは顔を隠した。
「シズ、我慢はよくないよ。なにかあるなら僕に話してごらんよ」
「……べつになにもないもん」
「ほんとうに?」
「……ほんとうだよ」
「ふうん……」
クロは前に向き直る。
わたしは傘の傾きを直す。
「ほんとうはもう、だめかなって思ってる」
「だろうね」
わたしの小さな告白に、クロは静かに返事をした。言わなくたって、クロには伝わっていた。
「もうわたしたちしかいないんだよ。きっと、この惑星は終わっちゃったんだ」
「シズは諦めるのが早いんだ。僕なんかは、宇宙の果てまで探すつもりだよ」
「宇宙なんてでられないもん。この惑星がだめならおしまいなんだよ」
「この惑星だってまだおしまいと限らないだろ?少なくとも電源は生きてたんだから、案外だいじょうぶかもしれない」
「そうかな……」
小さく呟き、歩きながら辺りを見回す。
もう滅びてしまった廃墟を……。
行っても行ってもこんなだから、信じられるものなんてどこにあるのだろう。
黒く焦げたビルは傾き、窓ガラスは割れているのに。
「目が覚めたときには幸せだと思ってたのに」
「そのはずだったんだろうね。でもさ、こうなったからには一人でも生き残らないと」
「一人は嫌だよ」
「だから僕がいるんじゃないか」
歩きながら、静かに会話を続ける。
この惑星の生き残りの、一人と一匹。
ぽつぽつと、雨粒が傘を打っている。
雨はただ降り続ける。
目覚めてからずっとで、わたしは雨の降らない日は知らない。
惑星が生き返ってるはずだった日。わたしは目が覚めて、外に出て、そして絶望した。
壊れていたのだ。
惑星は壊れていたのだ。
幸せなんて、どこにもなかったのだ。
だからわたしは切望した。楽しい世界を、幸せな日常を。
一緒に眠っていたクロと外に飛び出して、それからずっと幸せを探して歩いている。べつの誰かとの出会いを探して旅をしている。
だけどしばらく経ったけど、みつかるものは廃墟と瓦礫と残骸だけ。
そしてわたしは静かに泣くのだ。
寂しさにこらえきれず、静かに泣くのだ。
どうしてこうなったのだろう。
どうして不幸が訪れたのだろう。
自らの悲しみを憂い、また滅びた町を憐れみ、わたしは静かに泣くのだ。
「――シズ」
しばらくの無言ののち、クロは声を上げる。
「僕はずぅっと一緒だ。だいじょうぶ、僕はずぅっと一緒だ」
シッポを揺らした黒い仔猫は、ありきたりで優しい慰めを口にする。
「うん。ありがとう」
いつもクロはわたしをリードしてくれる。
全部包んでくれる。
だからわたしは、だからまだだいじょうぶだ。
クロの言うとおり、だいじょうぶだ。
まだ、もう少しだけなら……。
「ねえクロ」
「――なに?」
「大好き」
「……僕もだよ」
ぽつぽつと、雨粒が傘を打っている。
ぽつぽつと、雨粒が傘を打っている。
雨の惑星はただそれだけで、ずっとそれだけで、今日も明日も続いていく。
ちっぽけな二人の旅も続いていく。
それは悲しいけれど、だけど優しさにも満ちていて……。
もしかしたらとても幸せで、贅沢な時間なのかもしれなくて……。
クロと二人でずっといられたらと、そう思ってしまうわたしが一番悲しい。
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雨は嫌いだけど雨音は好き | ||
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