わがままな わたし から あなた へ
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《わがままな青年からわがままな美術品へ》

 

 

 

 そうねえ、アタシがあの美術館に行ったのは、そんな大層な理由があったわけじゃないの。

 ほんと、何となくっていうのかしら。アタシは一応美術大学に通っていて、そろそろ卒論を始めなきゃいけないってときだった。進路にも煮詰まってて、そもそも自分が卒業してからも美術の道に進むべきかどうかとか、いろんなことで悩んでたのよ。

 そんなとき、掲示板にこの美術館で行われている《ゲルテナ展》の案内を見たの。ゲルテナっていう芸術家は勿論聞いたことはあったし、周りにも好きっていう人間はいたけど、アタシはそんなに好きになれなかったわ。どうしても。もともとマイナーだったけど、別に有名じゃなかったから好きになれなかったわけじゃない。

 ああいう画家の独特の世界観は、波長が合うひとには引きずり込まれるような魅力を感じるものなのよ。それがアタシには分かっていた。だからわざと、行かないようにしていた。一度はまってしまったら、抜けだせないような気がしてね。

 だけど結局アタシはその日、朝から美術館に足を運んでいた。そのくらい、ちょっと煮詰まってたのよね。

 少しだけ見て、帰ろうと思っていたのに、気が付いたらじっくりと、美術品を見回っていた。そしたら急に、周りに人間がいなくなっていた。それからは不気味なことが起こりすぎて、もういまさら、詳しくも言いたくないわね。

 とにかく、アタシは変な世界に引きずり込まれて、そこから案の定、抜けだせなくなっていたのよ

 その変な世界で出会ったのが、イヴという少女だった。出会った、というか、命を救ってもらったというか。

 その子は九歳で、見た目もとてもかよわいお嬢様だった。だけど、あんな世界の中で一度も弱音を吐かなかったわ。アタシもよっぽど混乱していたのね。それで、イヴが平気なんだって思い込んでいた。

 イヴはすごく我慢をする子だったのよ。そんなに長く一緒にいたわけじゃないけど、それがひしひしと伝わった。典型的な『いい子』だった。それに安心して、つい甘えていたわ。本当に馬鹿よね。あんな子供が、怖くないわけがないのに。

 それが間違っていたって気づいたのは、途中であの子が倒れたときだったわ。すごく顔色が悪くて、アタシはそのときようやく、自分がどうしようもない間抜けだって自覚した。とにかく慌ててイヴを抱きあげて部屋に入ろうとしたけど、そのあんまりに軽い身体に、思わず絶句しちゃったわ。

 ねえ、あの子は九歳だったの。まだ、ほんの幼い子供だったのよ。

 メアリーに薔薇を取られたときにね、アタシはどうしてだか、少しも自分の命ともいえる薔薇を渡すことを、惜しいとは思わなかった。本当、変よね。

 アタシがメアリーに薔薇を渡した時、イヴは何も言わなかったけど、その大きな瞳は、やめて、と言っていた。

 だけどアタシはそれを聞かなかった。アタシって、それまでは本当、すごく人当たりがいい人間で通ってたんだけどね。そのときは、自分のわがままを通したわ。

 胸の痛みが身体全体に広がり、アタシは動けなくなった。イヴはその大きな瞳に戸惑いと、哀しさと、いろんなものを堪えて、じっとアタシを見ていたわ。

『嘘なんてつきたくないけど、本当のこともいいたくない……』

 そういって、無理やり笑った。

『追いかけるから、先に行ってて』

 追いかけるのは無理だって分かってたわ。もう、メアリーから薔薇を奪うのは不可能だって。

 でも、ねえ、そのぐらいのわがままぐらい、通してもいいでしょう?

 あの幼いあの子を、優しいイヴを、両親のもとへ、帰してあげたかったのよ。

 イヴ。ねえ、だから、泣かないで。アタシは自分のしたことを少しも後悔していない。

 気持ちは安らかで、ただ、イヴが無事かどうかを心配して……。

 それからアタシはあの子が走り去っていく背中を見て、目を瞑ったわ。

 

 

 

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《わがままな美術品からわがままな少女へ》

 

 

 

 ねえ、イヴ! わたし、ずっとずっとお友だちが欲しかったの。

 わたしがいつ、どうやって生まれたのかはもうわからないわ。気が付いたらあの美術館にいたの。初めは誰も近くにいなかったから、わたしは自分が美術品だってことも知らなかった。

 だけど時間が経つにつれ、あの中で美術品の仲間ができるにつれて、それをだんだん理解するようになったの。

 人形や、絵のなかの人物や、『仲間』はたくさんいたけど、でもそれはお友だちじゃなかったわ。だって、お友だちってわたしの話を聞いてくれるものでしょう? 

 だけど仲間はわたしの話は聞いてくれなくて、いつも何かを欲しがっているだけだった。

 わたしは何も奪われないように、ずっと奥の部屋に閉じこもっていたの。そこで、たくさんの本を読んだわ。外の世界のことだとか、お父さんのことだとか、お友だちのつくりかただとか。

 ねえ、イヴ。ずっとわたしは外の世界に出たかった。だからいつも誰かこっちの世界にこないかなあって思ってた。

 外の世界に行くには、あっちの世界にいるひとの命と引き換えってきいていたから、わたしの命を生み出すために、誰かこないかなあって、ずっと待っていたの。

 それで、それでね。イヴが来てくれたとき、本当に嬉しかった。ギャリーもこっちに呼んだのは、わたしの身代わりになってもらうだけのためだった。それで、わたしはイヴと一緒に外の世界に出ようと思っていたの。

 わたしの思い通りになったわ。イヴの薔薇の代わりに、ギャリーの薔薇を渡してもらった。

 それで、本に書いてあるとおり、花占いをしたの。ああそういえば、わたしが大嫌いなあの女たちも、花占いが好きだったんだっけ? まあ、どうでもいいけど。

 そのときわたしの胸は今までにないくらい高鳴っていたけれど、それが嬉しさなのか、不安なのかはわからなかった。だって、わたしは見てしまった。ギャリーから薔薇を受け取ったときの、イヴの表情を。

 花占いをしているわたしに、やめて、ってイヴは言ったけれど、つらそうな顔をしているのはわかっていた。だけど、わたしは知らないふりをした。

 でも、イヴにはわたしのわがままを許してほしかった。わたしは、イヴのわがままを聞かなかったけれど。

 だってイヴとわたしはお友だちだから。お友だちならわがままだって、許してもらえるものだって、思っていたから。

 だけど、それって、本当のお友だちっていえるのかな? 

 わたしはお友だちが欲しかったんじゃなくて、わがままを許してくれる相手が欲しかったのかな……?

 わかんないな。もう、わからないよ、イヴ……。

 

 

 

 

 

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《わがままな少女からわがままな青年へ》

 

 

 

 ……私はずっと『いい子』でした。

 両親にずっとそういわれ続けて、わがままなんて言ったことはなくて、いつも両親のいうことをきいていました。

 私が貴方と出会ったのは、九歳のときです。

 あの異様な美術館の中で、私は初めて両親と長い時間を離ればなれとなり、一人で歩いていくうちに、とても精神が不安定なものになっていました。だから、いつも以上に、私は無口で、ほとんど口を聞かなかったと思います。

 だけどそんな私に、貴方は何度もや優しく話しかけてくれました。その温かい手で、私の手を包んでくれました。

 私に『もっとわがままをいっていいのよ』と初めて言ってくれたのも、貴方です。

 そのことが、どれほど嬉しかったか。私は結局最後まで貴方に伝えることができませんでした。

 私は『いい子』でした。私の思っていた『いい子』とは、いつも黙って、自分の意見をいわないことでした。

 貴方が私の薔薇を引き換えに自分の薔薇を差し出したときでさえ、私は何も言えずに、ただ黙っていました。

 心臓はうるさいくらいに高鳴り、心の中では、これではいけない、とめなくてはいけないと叫んでいたのに、いつものように、私は自分の意見を言えなかったのです。

 私はただ茫然と、メアリーの手に、貴方の薔薇が渡されるのを見ているだけでした。

 貴方は笑っていました。痛みに耐え、足をとめても、それでも私を気遣ってくれました。そして貴方が苦しそうに地面に伏せ、貴方が「本当のことはいいたくない」と言ったとき、私はすべてを理解していたように思います。

 ですが私はそんな貴方に何も言うことができず、メアリーを追いかけました。

 胸の苦しみを抑え、息を吐くことすら忘れ、私は走りました。

 自分の持っている真っ赤な薔薇が、そのときはどうしてか、まるで枷のように重く感じたものです。あんなに大事に持っていたものを、今すぐに捨ててしまいそうにさえなったのです。

 目の前で澄んだ青が、まるで無造作に散っていくのを、私は一瞬だけ、視界にとらえました。メアリーの綺麗な手から、落ちていく薔薇の花びらは、残酷なほど美しく見えました。

 メアリーはそのとき笑っていたでしょうか。私はそれすら分からず、ただ彼女が意気揚々とその場を去っていく背中を、見送りました。

 そのとき彼女に何かを言ってしまえば、何かが違っていたでしょうか。せめて、ここに来る間、ずっと大声でメアリーの名を叫んでいれば、彼女はほんの数秒でも、一瞬でも、その手をとめ、私は彼女の凶行を、止めることができたでしょうか。

 ちぎれた花びらの上で立ち尽くしながら、いろんな思考が私の頭をぐちゃぐちゃに駆け廻りましたが、少しもそれが進展することがありませんでした。

 私は思考を止めたまま、ふらふらとした足取りで、もと来た道へと歩いていったのです。

 貴方はさっきと少しも変わらない場所に、一人でいました。よほど辛かったのでしょうか、背中を壁につけ、もたれかかっていました。

 ですがさっきまでのように苦しそうな顔をしておらず、目を瞑り、その顔はどこか安らかですらありました。

 ですがその表情を見た瞬間、私の両目から初めて、とめどなく涙が、止まりようのない涙が溢れだしてきだのです。

 愚かしいことに、私はそのときになってようやく、自分が大きな間違いを、取り返しのつかない過ちを犯したことを、痛いほどに自覚したのです。

 私はあのとき、彼を止めるべきだったのです。自分の薔薇とは交換しなくていいと、たとえ断られたとしても、身体を張ってそれを突きとおすべきだったのです。

 私は馬鹿です。『いい子』ですらない。私は泣きながら、貴方にすがりつきました。

 いったいどのくらいそうしていたでしょう。貴方のむくもりを求めて伸ばした右手に、何か固いものが当たりました。それはコートのポケットの中にあった、貴方のライターでした。私は父のライターを、何度か触ったことはありました。

 ゴツゴツとしたその感触だけが、貴方の持っていたものだというその事実だけが、絶望で動けなくなっていた私の足を立たせました。

 私は歩き出しました。もうここに戻ってこれないという理解はなかったと思います。いえ、むしろ絶対にここへ戻ってくる、という意思が、私を貴方から遠ざけたのかもしれません。

 私はライターを手に、メアリーの所へ向かいました。

 閉ざされた緑の棘を焼き払い、部屋に入りました。そこはとても静かで、ずっと閉ざされていたような、空気の篭りを感じました。

 すぐさまメアリーがやってきて、私のこの部屋から出ていくように言いました。

 でも、私は彼女を振り切って、奥へと進みました。

 そこに、彼女の肖像画がありました。私は手にしていたライターに力を込めました。

 そのとき、私は怒っていたのでしょうか……。

「やめて、イヴ。やめて……っ!!」

 私も、メアリーと友達になりたかった。ですが私は、その彼女の願いを聞き入れませんでした。

 私はやっぱり、わがままでした。

 ……………………………………

 あの世界から帰ってきても、私はずっとあのときのことを覚えていました。

 いえ、記憶はなかったのですが、ぼんやりと、貴方の顔が、思い浮かんでは、そのたびに私は泣いていました。そしていつしか、完全に記憶が戻っていたのです。

 あれから十年が経ちました。そしてあの美術館で再び、《ゲルテナ展》が開催されるという噂を聞きました。

 あれから私は、ずっと考えていました。貴方の命はメアリーによって奪われました。だけどそれを奪いきる前に、私がメアリーの絵画を燃やしてしまった。

 では、貴方の命はどこへ行ったのでしょう。もしかして、あの美術館の中に、今もあるのではないでしょうか。

 それが正しいかどうかはわかりません。でも、私は再び、あの美術館に向かおうと思います。

 何もないかもしれない。今度こそ閉じ込められて、もう二度と出られなくなるかもしれない。

 それでもいい。ただ、貴方に会いたいんです、ギャリー。

 ねえ、私、わがままになったでしょう? 自分の気持ちを言えるようになったでしょう。 

 ギャリー、貴方に会ったら、言いたいことがあるんです。

 だから、今から会いに行くわ。絶対に、くじけないの。だってもう私は『いい子』じゃない。もう、泣いているだけの子供じゃないんです。

 待っていて、ギャリー。

 

 愛する貴方に、会いに行くわ。

 

 

 

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