騎士協奏曲:言葉 V動かされる者たち-1
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「戦争、したくないんだよね」

 午前七時三十七分、無断で借りている救護室のベットの上で目覚めたクリスナの第一声が、これだった。

 そんな突拍子の無い事を言われても困る、とイリルは素直に思ったことを告げた。だがそれを聞かず、ふらついた足取りでクリスナは扉に向かって歩き出す。ノブに手を掛けた後一度イリルを振り返った。

「―――、締め上げてくる」

 誰をと一瞬思ったが、その言葉を聞いて、イリルはクリスナの肩を掴んだ。後ろに引っ張ってノブから手を離させる。――引っ張った彼の体がぐらりと揺れた。そしてそのまま崩れ落ちる。

 突然の事に驚いたが、慌てて頭を打たないように支える。彼の頬はほんのり紅潮しており、額を触ると熱かった。

「熱があるじゃないか。病人は病人らしく寝ていろ」

 無理矢理ベットに寝かせると、先程までクリスナが使っていた布団をかぶせる。そして救護班の人間でも呼んでくるかと思い、立ち上がった。

 扉を開けて廊下を進む。救護班は二階で戦争に向けての訓練中だったはずだと記憶の糸を手繰っていく。考え事をしながら歩いていたのが悪かったのか、曲がり角で人とぶつかってしまった。

 すみません、と声を掛けて、ぶつかった相手の顔を見る。埃を被った赤毛の様な髪で、瞳は黒い。

 見たことの無い顔だと思った。イリルは城の者達全員の名前を全て憶えている訳ではなかったが、顔は一通り知っていると自負していた。その自分が見覚えがないというのだから、不審だった。

 イリルはしばらく考えた後、ぶつかった相手に訊ねた。

「見ない顔ですが、貴方は新任された参謀総長付きの副官でしょうか」

「あ、……あ、はい。そうです。えっと、昨日付けで副官に任命されました者です」

 そう答えた男の腹を、イリルは蹴りつけた。体勢を崩した男の胸倉を勢いよく掴んで、自らの顔の前に持ってくる。

「嘘を吐くな、偽者! 参謀総長の副官は、士官学校出身で無いのに何故か俺が務めているっ!」

 イリルは、早いところ取調べを済まして救護班を呼ぼうと思いながら、男を引っ張って取調室へ向かう。引っ張られている男は逃げ出そうと暴れている。さすがに暴れられると男を放してしまいそうだったので、イリルは男の腹に再び蹴りを、首元に手刀を入れた。

 ぐったりと意識を手放した男は重く、少し引張るだけでもイリルは息を荒くする。ようやく辿り着いた取調室の扉の前には、先客が居た。

『は?』

 何が言いたいのかよく分からない言葉が重なった。一人はイリル、一人はケシス参謀総長だった。それぞれが一人ずつ、ひっ捕らえてきたらしき人物を引き摺っている。

 イリルとしては複雑な心境だった。ケシスが取調室に変な人物を引っ張ってきているという事は、そういう事なのだろう。いつからこの者たちは城に侵入し、何の目的があって行動しているのだろう。

「……奇遇だな。最も、こんな所で出会いたくは無かったが」

「いっその事、二人同時に吐かせるか? 時間が大幅に短縮できると思うし。俺、急いでるし」

 その提案にケシスは頷いて取調室の中へ入っていった。続いてイリルも入っていく。

 ケシスは蹴飛ばして男を起こす。そんな簡単に暴力を振るっていいものなのかと思ったが、それは彼が言えることではなかった。目を覚ました男達は、現在の状況をすぐに理解して恐れおののいた様子であった。

「出て行け」

 そう言われて部屋からつまみ出されたイリルは、すぐに参謀総長を振り返る。そして、何故だと問うた。

「殿下が呼んでいた、今お前が優先すべきは殿下の方だろう。安心しろ、取調べの結果は陛下を通した後、報告する」

 控えめな音を立てて、扉は閉められる。呆然としていたイリルだったが、そろそろ城も本格的に動き出す頃だと思い、立ち上がってティスの下へ向かう事にする。参謀総長の自白は見ただけでもトラウマになると言われている。見なくていいのならば、それに越したことはないだろう。

 駆け足で、イリルは廊下を往く。それを見届けて、第二王子は姿を現した。

「馬鹿な奴。本番はこれからなのに、こんな早くに捕まっちゃうなんて」

 使えないな、と言葉を零してシェウリは小さく欠伸を漏らした。

 そして、なんてくだらない事が理由で戦争が起こるのだろうと、国を心中で嘲笑った。ああなんてくだらない、馬鹿馬鹿しい。こんな国は廃れてしまえばいい、古臭い事に何時までも拘るこの国は塵同然だ。そう、新しい見方を探そうとしないこの国なんて。

 目の奥で何かを堪えている気がしたが、気のせいなのだろう――。

 

 ――あおいそらがみたいな、とてもあおいおそらを。

 こんな事を考えるのは、先程まで本を読み続けていたからだろうか。ティスは何時もの白い服を身に付けていて、彼の騎士から掛けられた上着はソファーの背もたれに垂れ掛かっていた。

 両手の中には父から借りた本。朝食をほったらかしにして、熱心に読んでいた本。仕事は流石に放っておく事ができないので諦めるが、本当は仕事などしたくなかった。卓上に置かれたペンを執って何をしよう。自分に何が出来ると言う。

「……病んでるな。今日の夢はそんなに悪かったのだろうか?」

 こんな答えしか導けない自分はなんて愚か、愚か者。本当は何故かを知っているのに。

 扉を叩く音がした。「入れ」と一言告げてから入ってきたのは、他人であり友であり騎士でありイリルだった。

「ティス、御用件は?」

 抑揚のあるその声、それはきっと笑顔だ。上着を返す、と言うと彼はソファーの上着を掴んで無造作に着る。彼の金髪はさらさらと鳴りそうに動いた。

「用件はこれだけか?」

 その言葉に苛立ちは無かった。ただ、この為だけに呼び出すなんて珍しい、と思っているのだろう。そうだ、と言葉を返すと彼は背を向けて扉のノブを掴んだ。

 何を思ったのだろう、それを止めたのは自らの声だった。

「今日の空は、どうだと思う?」

 意図の掴めない質問だったと思う。予想通り彼はほんの少し困惑した顔で言った。

「何が言いたいかは知らないが、今日の空はきっと青いと思うぞ。予報通りなら、な」

 そのまま彼は出て行った。ぱたんと音がして、扉は閉ざされた。――ああ、間違っているよ。今日の空は絶対に灰色だ。だって、彼女はまだ納得してくれていないから。

「ああ、青い空が見たいな」

 多分、それは切なる願いに似て。それでいて一つの果てた希望に過ぎなかった。

 

 同時刻、救護室の片隅で。クライスは本日一度目の王の脱走に胃が痛んで、胃薬を取りに救護室に来ていた。彼の経験から推測すると、今日中に陛下は少なくとも九回は脱走すると思われた。

 何でこんな仕事を続けているのだろうかと、心の片隅で思うほどにこの仕事は辛かった。嘘偽りの慰めでも構わないから誰かに称えてもらいたいくらいに、疲弊している。

「胃が……。たまには休みも取ったほうが良いでしょうか……」

 棚のいつもの場所にある胃薬の瓶を取る。ふと見ると、病人用のベットがもごもごしていた。誰だろうか、と彼はベットに近づいてそっと掛け布団をはがした。

「うー……。だれぇだぁ……布団を奪う輩はぁ」

 栗色の彼、クリスナは掛け布団を探してぺしぺしと辺りを叩く。クライスは一瞬驚いたが、はがした掛け布団をまたゆっくり戻し、それから水を取りに流し台の方に向かった。瓶の蓋を開けて、二粒手の平に落とす。それを口の中に入れて水で押し込んだ。

 用件を済ませたクライスは、救護室を出て行く。ベットの上でうごうご言っている彼を起こさぬよう、静かに扉を閉める。

 一息吐いて、それから歩き出そうとしたクライスは、聞こえてきた声にふと顔を上げた。

「ああ、シェウリ様。この様なところまで、何の御用で参られましたか?」

 女官の声は、心なしか、後ろめたい嬉しさの溢れた声に聞こえる。醜い甘美と悦楽の混じった気味の悪さだった。

 そう言えば、シェウリ様はそこら辺の女官やらメイドを問わずに声を掛けていると聞いた。要するに、女ったらし。場の雰囲気からして、多分ナンパをしにきたのだろうと察しがつき、クライスは苦い顔をした。

「こういう事をするのも見るのも、好きではないのですが……。出て行くにも出て行きづらいですし……」

 どうこう言っているうちに、談笑の声が聞こえてくる。女官の声は少しだけ高くなっているように思えた。このようにナンパを繰り返しているから、女官などからの支持が高いのかと思うと、微妙な心情だった。

 聞こえてくるシェウリの声も楽しそうで、けれど何処か遠いような、そんな気がした。

「……」

 少しだけ、クライスは黙した。例えどれだけ女官から支持を得ようと、それは一部のものでしかない。どれだけ頑張ろうと、貴族達の敬愛が彼に向けられる事は無い。ただそれを求めてこの様な事を続けているのならば、それはどれだけ哀しい事か。

 求めても注がれる事の無い愛。それを是としたくない一身に、ただ誤魔化し続けている。

「後七日か……」

 この感情を何と言うのか。負の何かが胸の奥底でわだかまり続けている。

 

説明
騎士と王子、城に勤める者たちが織り成す、願いと思惑の物語。第一章のV-1です。
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