垂水百済はマイナスである ――172回目の【僕】――  BOX―2 完成と見た目幼女と負完全
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 無意味だと、考えることに意味がある。

 

 無関係だと、唱えることに関係がある。

 

 無価値だと、信じることに価値がある。

 

 例え全てが無駄だったとしても、そう思わずにはいられない。

 

 ――14回目の≪俺≫――

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 しばらく善吉とともに遊んでいた百済は、看護師に呼ばれて検査室へと向かっていた。

 託児室を出る際、善吉が悲しげな顔をしていたが、帰りにまた寄ると約束すると喜色満面の表情に変わった。よくもまああれだけコロコロと変えられるものだと感心する一方で、疑うということを知らない――愚かしさすら感じる純真な精神に呆れてしまう。

 

「まあ、どうでもいいけどね」

 

 所詮は今日会ったばかりの他人だ。

 当然、約束も守るつもりはなかった。

 

 心の底から幸せそうな笑顔。

 

 怒りは沸かない。

 悲しみは募らない。

 憎しみは生まれない。

 

 ただ、理解に苦しむ。

 

「……どうでもいいけどね」

 

 噛み締めて、吐き捨てるように再び呟く。

 そもそも、どうして自分はあんな遊びに付き合おうなどと思ったのだろうか。

 上っては降りて、上っては降りての繰り返し。何が面白い。そういうものだと理解していても、その行為に意味も価値も見出せない。

 

 結局のところ、この世界は――

 

「『キミにとって無意味で』『無関係で』『無価値なモノなんだね』」

 

 唐突に。

 切り取られたページを、無理矢理挿し入れたかのような不自然さで。

 

 その少年は、百済の前に現れた。

 

 伸ばし放題の、色素の薄い頭髪。

 小脇に抱えたウサギのぬいぐるみはツギハギだらけで、首が千切れかけている。

 

 何より異質で際立っていたのは、こちらを見据える目だった。

 血のように濁り、泥のように深く、夜のように黒く輝いている。

 

 名札には『くまがわみそぎ』とあった。

 

 言葉を交わす必要はなかった。

 一目でわかる。

 

 コイツは、人間として既に破綻している。

 完全に壊れており、それが完成形として完了している。

 

 けれど、その気持ち悪さが酷く心地よい。

 

「……その通りといえばその通りだけど、少なくともお前のように悲観も諦観もしていないつもりだよ」

 

「『へぇ』『キミには僕が悲観や諦観しているように見えるんだ?』」

 

「違うのか? 最初にお前を見たときは、同類を見つけたような暗い期待に満ちた目をしていたけど、今は敵意――というより嫌悪しか感じない。それは僕がお前のように不幸を望んでいなくて、この世界に対して正負を問わず何の感情も抱いていないと気付いたからじゃないのか?」

 

 この『くまがわ』の心の根底には、((世界|にんげん))は無意味で無関係で無価値であり、ならば何をしても問題はないという退廃的思想・破壊願望が深く根付いている。

 しかし、百済は主義思想など持ち合わせてはいない。興味すらない。

 例え本当に、世界が無意味で無関係で無価値なのだとしても、そこからどうこうしようという思考には至らないのだ。

 

 だから何だ。

 それがどうした。

 

 そこでスッパリと切り捨てる。

 

 間違いを正さず。

 歪みを直さず。

 

 あるがままを受け流し、放棄する。

 

「『……やれやれ』『二人目は失敗かぁ』『異常ばかりを集める病院と聞いたから少しは期待したんだけど』」

 

 言葉とは裏腹に、『くまがわ』の顔には気味の悪い笑みしか浮かんでいない。

 

「『残念だなぁ』『キミとはいい友達になれると思ったのに』」

 

「お前と傷の舐め合いをしろと? 御免だね」

 

 百済も鮫のような乱杭歯をむき出しにして嗤う。球磨川とは別種の、けれど((根源|マイナス))を同じとする壮絶な笑み。

 

 この場に第三者がいれば、少年たちの背後に、身を絡ませ合いながら互いに呑みこもうとする二匹の蛇を幻視しただろう。

 

「『僕たちは』『生まれながらの負け組だよ』」

 

「知ったこっちゃないね。僕は勝とうが負けようがどうでもいい。それ以前に、勝負する気も興味もない」

 

「『僕は』『((敗北者|マイナス))だ』」

 

「ああ、僕も((失格者|マイナス))だ」

 

「『僕はキミが嫌いだ』」

 

「僕もお前が嫌いだ」

 

 だから――

 

「「『だからとても気分がいい』」」

 

 両者はしばらく無言のまま睨み合っていたが、どちらからともなく歩き始め、すれ違い、けれど一言も発することはなく、振り返ることもなかった。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「いらっしゃい垂水百済くん。そこに座って楽にしてね」

 

 百済が指示された検査室の中に入ると、白衣を纏った人物が話しかけてきた。

 椅子に腰かけ、信じられないものでも見るような目で((少女|・・))を観察する。

 

 外見年齢は、三歳児である百済よりもいくらか上――小学校高学年くらいだろうか。

 黄味がかった茶髪という、つい最近というか数分前まで見ていた特徴的な髪をリボンで一つに束ねている。

 首から提げた身分証には『人吉瞳』の名とともに顔写真が記載されている。

 そこまではいい。

 問題は名前の隣に印字された年齢の欄。

 

 心療外科 人吉瞳(29)

 

 ギリギリ二十代だからまだ若いとか、そういうレベルの問題ではない。というか名字から分かったが善吉の母親なのか? 一児の母には到底見えないとかそれ以前に結婚可能な年齢には見えない。彼女の夫はどんな思いで結婚したのだろうか。

 

「? どうかした?」

 

「いえ、別に」

 

 不思議そうに首を傾げる仕草が、これまた年不相応に似合ってしまう。

 百済は思わずため息を吐いた。

 

「将来苦労するだろうな、善吉も」

 

「……善吉くんを知ってるの?」

 

 独り言のつもりだったのだが、息子の名が出たのを不審に思ったのだろうか。

 人吉女史は訝しげな顔で百済を見据え、身構えている。

 

「託児室にいた、先生と同じ髪色の男の子でしょう? さっきまで一緒に遊んでたんです。心配しなくても、泣かせるような真似はしてませんよ」

 

「……そう」

 

 今度はどこかホッとした表情になる。親子揃って百面相が得意なのだろうか。

 

「それじゃあ改めまして、キミの担当医になる人吉瞳です。それで――百済くんはどうしてこの病院に連れて来られたか分かる?」

 

「僕が普通の子とは違うからですよね。何処がどうとは言いませんが」

 

 この病院を訪れたときから感じていた違和感。

 患者のほとんどが、百済と同年代の子どもであったこと。

 そして何より、シンパシーとでも言えばいいのだろうか、自分と同種の匂いを感じるのだ。

 

「この病院は、僕のような異常者を集めているんですね」

 

 どうでもいいですけど、と確信を突く百済の言葉に、人吉女史は目を見開いた。

 これまでにも大勢の異常と接してきたのだろうが、自分のような存在に遭遇するのはせいぜい((二度目|・・・))といったところだろう。

 

「それで? 先生から見て、異常な僕には入院が必要なんでしょうか」

 

 入院したところで改善するとはと思えないが、一応尋ねる。

 

「……キミの中ではもう答えが出ているんでしょ? 私にキミは治せない。((患者|キミ))に治そうとする意志がない限り、((医者|わたし))は何もできない」

 

 苦笑する人吉女史。その笑みは、無力な自分に向けた嘲笑なのだろうか。

 

「最後に一つだけ質問していい?」

 

「僕に答えられるものなら」

 

「垂水百済くん。キミは――幸せになりたい?」

 

 百済は考えるような素振りをして、

 

「興味ありませんね、そんなもの」

 

 言い切った。

 

 そして席を立ち、検査室を後にする。

 その際、入り口で足を止め、人吉女史に振り向くと、

 

「僕からも最後に一つだけ。先生の((最後|・・))の患者として――僕は合格ですか?」

 

 答えは必要なかった。

 

 ただ、背後で微かに聞こえた「失格よ」という呟きに、百済は満足げな笑みを浮かべるのだった。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 約束を守るつもりはなかったが、時間が余っていたこともあり、百済はずるずるとやる気のない足取りで託児室に戻った。

 途中、少女を見かけなかったかと何人かの職員に尋ねられたが、知るわけもないので少女の特徴だけ聞き流した。

 さてさて、あの純朴少年は何をしているのかと中を覗けば、善吉の他にオカッパ頭の少女がいた。

 少女は黙々と知恵の輪を解いていき、傍らに積んでいく。善吉はそれをキラキラした目で見つめている。

 

 後姿からでも感じる少女の異常性に興味を抱いた百済は、扉に身体を預けて二人のやり取りをしばらくの間観察することにした。

 

「……これで全部だ」

 

「わぁ〜、すごいすごい!」

 

 淡々とした様子で解いた知恵の輪を放り捨てる少女とは裏腹に、善吉は目に見えてはしゃいでいる。

 

「次はコレできる!?」

 

 それだけでは飽き足らず、六十四面のルービックキューブを持ち出してきた。

 託児室の隅にある知育玩具の山に目をやれば、明らかに幼児向けではないパズルも多く混ざっている。この託児室も、異常を選別する振るいの役目をしているらしい。

 

 次はアレ、次はソレと絶え間なくパズルを差し出す善吉に対し、少女はつまらなそうな表情を崩すことなく解いていく。

 

「あっ、百済ちゃん!」

 

 やがてパズルもなくなり、百済も見飽きたところで善吉がこちらに気付いた。

 善吉は百済の元に駆け寄ると、

 

「百済ちゃん百済ちゃん、めだかちゃんってスゴいんだよ! 頭良いんだよ! 僕が出来なかったパズルとか全部解いちゃうんだから!」

 

「ああうん、ソリャヨカッタネー、メダカチャンッテダレー?」

 

 興奮冷めやらぬ様子でまくし立てる善吉に、明後日の方を向いて棒読みの台詞で返す百済。そのまま手を引かれて少女の隣に座らされる。

 

「めだかちゃん、僕の友達の百済ちゃんだよ!」

 

「そうか」

 

「……ども」

 

 挨拶とすら呼べない初会話。

 全てにおいて達観――諦観していそうな少女と、周囲が熱くなればなるほど冷める性格である百済としては、これでもお互いにコミュニケーションを取ろうと頑張った方だろう。

 

「…………」

 

「…………」

 

 それ以上会話が続かない。

 善吉が何やら騒いで飛び跳ねているが、異常な二人は黙ったままだ。

 

 百済はすることがなかったので、再びパズルに挑戦し始めた善吉を適当にあしらいながら、めだかというの名であるらしい少女を観察することにした。

 

 服装は、シンプルながらも金のかかっていそうな意匠のワンピース。

 顔立ちは整っていて、今のところ異性に興味のない百済でも将来は絶世の美人になると分かる。

 けれどその表情は相変わらずの不機嫌――というより全てに対して興味を失っているようだ。

 

 こんな顔を見ていると、さっき会ったあの少年に言われた台詞が思い出される。

 

「……世界は無意味で無関係で無価値なモノ、か」

 

「――っ! 貴様、それを何処で!」

 

 それまで沈黙を貫いていためだかだったが、百済が何となく口にした言葉に過敏なほど反応した。

 その様子で百済は確信した。

 

 この少女も、アイツに出遭ってしまったのだと。

 

「とある負け犬が僕に言ったんだよ。そのあと友達になろうとか言いだしたから丁重にお断りしたけど。あいつとは二度と遭いたくないね」

 

「……そうか」

 

 めだかは初めて感情らしい感情を顔に表した。

 それは戸惑いであり、躊躇いであり、恥じらいだった。

 

 パズルを解いているときから、めだかの異常性にはおおよその見当がついていた。

 その異常性ゆえに、今まで自分に分からないことなどなかったのだろう。

 

 だが、この病院に連れて来られて、あの少年に出遭い、一つの真理を刻み付けられた。

 その真理が間違っているとは決して思えない。百済も少なからず同感だからだ。だからこそ、あの場で否定も肯定もしなかった。

 

「貴様は、生きていることに価値があると思うか? 生まれたことに意味があると思うか?」

 

 平坦な口調で、けれど肯定を望む、すがりつくような感情が見え隠れする声音で、めだかが問うてきた。

 

「……さぁてね」

 

 百済は虚飾も誇張もなく、簡潔に自分の考えを述べた。

 

「その価値とか意味とかは、自分で見つけなきゃならないものなのか? 絶対に他人の手を借りちゃいけないものなのか?」

 

「どういうことだ?」

 

「傍目八目、難しいと思える問題ほど案外他人の方が答えを知っているものさ。まあ結局――」

 

 そう言って、ようやく知恵の輪を解いた善吉を手招きする。

 

「――偶には他人を頼るのも悪くないってこと」

 

「なーに百済ちゃん?」

 

「めだかちゃんがさ、僕とめだかちゃんが生きていることや生まれたことに何の意味もないって言うんだけど、善吉くんはどう思う?」

 

 そう言えば本人を名前で呼ぶのは初めてだな、と思いつつ、善吉にも意見を求めた。

 めだかも、何を言い出すのかと呆れ顔ではあったが、無言のまま待っている。

 

 そして、善吉の回答は。

 

「うーん、この世に意味のないことなんてないと思うなー」

 

「…………だったら、だったら私に教えるがよい。私は一体何のために生まれてきた?」

 

「あはっ、そんなの簡単だよ。百済ちゃんは一緒に遊んでくれて、めだかちゃんもパズルを解いてくれて、会ったばかりの僕をこんなに嬉しい気持ちにしてくれたんだもの。だから二人とも――」

 

 そして、善吉は被っていたフードを下ろして断言する。

 

「二人ともきっと、みんなを幸せにするために生まれてきたんだよ!」

 

 屈託のない笑みは、めだかの心を融き解すことができたのだろうか。

 百済は隣を窺った。

 

 

「う――――わぁあああああああああん! あああああああああん!」

 

 

 めだかは泣いていた。悲しみの涙ではない。これは――喜びの涙。

 百済と善吉に抱き着いて、人目を憚らずに大声で。

 年相応の女の子らしい泣き顔だった。

 

「百済ちゃん、めだかちゃんはどーして泣いてるの?」

 

 抱き着かれたまま、自分が泣かせたのだと勘違いしているらしい善吉も何故か既に泣き顔だ。

 

「いや違うから。これは嬉しくて泣いてるの。だから善吉くんも泣くなって」

 

 同じく身動きの取れないまま、泣いている((友人|・・))二人を泣き止ませるのに百済が苦労したのはまた別の話。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 垂水百済は、これ以上――否、これ以下ない負完全と出遭い。

 完全無欠の完成と出会い。

 掛け替えのない友人を得た。

 

 けれど、百済はマイナスである。

 強きを偽り、弱きを騙る人でなし。

 歪んだ道化はどんな悲喜劇を演じるのか。

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第二話
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