垂水百済はマイナスである ――172回目の【僕】―― BOX―10 めだかちゃんの駄犬調教講座 |
野生の獣と飼われた獣。
どちらが孤独でどちらが地獄か。
――73回目の{私}――
◆ ◆ ◆
「子犬探し? また妙な相談だな」
話を聞いた不和は、箸を止めて向かいの席に座る不知火を見た。
二人のテーブルには空になった食器が積み上げられて山となっている。明らかに食事と呼べる量を超えているが、不和も不知火も苦しそうな素振りは少しも見せずに次々と料理を腹の中に片付けていく。
「しかも、今回はなんでだか人吉に一任されてるみたいですよ? あの会長さんらしくないですよねー」
大盛りの親子丼をかきこみながら不知火は言う。
「メシ食いながらしゃべんじゃねぇよ。食べカスだらけになってんぞ?」
布巾で口を拭ってやり、自分も炒飯の山をレンゲで削り崩して減らしてゆく。
思い出されるのは動物園での珍事。
あの時はどうにか収めることは出来たものの、めだかの異常性が健在である以上、あれと同じような状況になってしまうのは目に見えている。
人間が相手ならば、取る手段はともかくとして最終的には解決に導けるのだろうが、動物となると話は大きく変わってくる。
それが自分でよくわかり、理解されているからこそ、めだかは善吉に全てを任せたのだろう。
「……まあ、あいつにも色々あんだろ。んで半袖、お前は善吉を手伝ってやんのか?」
「心当たりがあるか聞かれたんで、その犬がいるかも知れない場所に案内するだけですけどね。多分、とっても面白そうなことになりそうな予感がしますし♪」
「お前のそういう勘は嫌というほど当たんだよな」
相談の内容を詳しく聞けば、犬が行方不明になったのは去年の冬休み。半年ほど前だ。
その時の年齢にもよるが、犬の成長速度から考えてまず間違いなく成犬になっているとみていい。
それが小型犬ならば何の問題もないが、大型犬種――しかも躾が完璧ではない状態で半年も野放しだったとすると、この案件は一筋縄ではいかないだろう。
善吉はそれに気が付いているのか。
おそらくは、
「珍しくめだかちゃんに頼られて有頂天。でもって気付く余裕もない――ってとこか」
さて、どうしたものやら。
忠告して済むのならとっくにメールしている。そう言えば、善吉は携帯電話を持っていただろうか。
「それで素直に引き下がるような奴じゃねぇしなぁ」
だったらこんな気苦労はしていない。
無理だと止めたところで、むしろ意地になって捕獲しようとするはずだ。
というか、そもそも。
盲導犬じゃあるまいし、学校に飼い犬を連れてくる方がどうかしている。
この学園には常識が肉体面・精神面とともに欠落している人間が多すぎる。
生徒会長は非の打ちどころがない常識知らずの完璧超人、理事長は白目と黒目が反転している上に教育ならぬ狂育理念が度を越しているし、創設者に至っては何年生きているかもわからない人外なのだから。
挙げた三人のうち二人が近しい存在であることに頭痛がしてきた。
渋面を浮かべて米神を揉む不和に、不知火が提案する。
「人吉のことが心配だったら、不和兄も一緒に来ます?」
結局、そうするしか方法はなさそうだった。
「剣道少年のヤンキーどもに独善メガネ、墓穴掘りの((短距離走者|スプリンター))に続いて今度は犬畜生か。退屈しねぇ学校だよまったく」
願わくば、静かに図書室で本でも読みたいものだ。
永久に不可能だろうが。
◆ ◆ ◆
というわけで放課後。
「……善吉、お前本気――つか正気か?」
善吉が携えた装備を一目見て、思わず呆れ口調でそう言った。
何処から持ってきたのか、虫取り網である。虫取り網である。誰が何と言おうと虫取り網である。
断じて犬を捕獲する道具ではない。
「……? 何か変ですか」
「いや、お前がそれで良いなら僕は何も言わねぇけどさ」
絶対失敗するな、こりゃ。
その小さな呟きは善吉に聞こえたかどうか。
「だけどさ、動物が苦手だなんて言ってちゃ業務に支障をきたすんじゃないの?」
頭の上から不知火が尋ねてくる。肩車していることについては善吉も指摘するのをやめたようだ。
不知火には善吉から、めだかと動物の折り合いの悪さをかい摘んで説明してある。
どうやら言葉の意味をはき違えているようにも思えるが、触れ合うことができないという点では大した違いはないので、不和も特に訂正しようとはしなかった。
「だぁからこいつは『そのために俺がいるんだー!』とか考えてんだろー」
「その通りだぜ不和さん! さあ不知火! 俺をその心当たりの場所とやらに早く案内するんだ!」
「……不和兄ぃ、人吉がキモいよー」
「ああ、ウゼェな」
辛辣な評価も関係なく、意気揚々と突き進む善吉。
現実を目の当たりにした後も、このテンションを維持することができるかどうか見物である。
人通りのない校舎の裏手の、さらにその奥。
肩から降りた道案内役の不知火が、先行して植え込みをかき分けてゆく。
「この辺にさー、ちょっと前から住み着いてる犬がいるらしいって話なんだけど……あー、いたいた!」
どれどれと不和と善吉も不知火の指差す先に目をやって――
「ね、あの模様とかイラストと同じじゃない?」
「……おおぅ」
人間、非常事態に陥ると驚くよりも先に笑ってしまうものらしい。
予想が当たったことを喜ぶべきか、当たってしまったと嘆くべきか。
少し開けた場所で、その犬は体を丸めて寝そべっていた。
いや、はたしてアレを犬と形容していいものなのだろうか。
まず明らかに子犬ではない。確かに不知火の言う通り特徴は酷似しているが、引き締まった体躯も、身体中に走る傷跡も、投書に描かれている飼い主目線の絵とは違う。
現に、善吉は震えながら、間違いであって欲しいという願いのこもった表情でイラストと犬を何度も何度も見比べている。
「あれは……あれだな。ワニガメとか蛇とかと同じで、無責任な金持ちが飼い切れなくなって捨てたワシントン条約で保護されてる何かだな」
「そうだよ不知火さん、あれは散歩中に飼い主とはぐれちゃった可哀想な犬なんかじゃ絶対ねーよ!」
善吉の声はこれ以上ないほどに震えていた。
ちなみに犬種はボルゾイという。走行速度は時速五十キロ。嗅覚ではなく視覚を使って主人の猟を補佐する((視覚|サイト))ハウンドに分類される狩猟犬である。
「やだなぁ人吉、あれは犬だって。れっきとした食肉目イヌ科イヌ属の哺乳類だよ?」
「今は変わってるけど、前の名前はロシアンウルフハウンドな」
「ウルフってはいってんじゃん! あいつ捕まえるの? 俺が? 二人とも手伝ってくれるんだよな?」
「え、なんで!? やだよ!! あたしは不和兄と一緒に安全な場所から、親友のあんたがあの化物に蹂躙されるのを写メで撮りたいだけなんだから!!」
「あれが化物だってことはわかってんのね」
善吉の頼みをものすごい剣幕で拒絶する不知火。親友という言葉の使い道を間違ってやしないだろうか。
「……つーわけで、僕も不参加。めだかちゃんのために頑張って逝ってこい。一人で」
「あんたら人間じゃねえよ」
人でなしであることは認める。
人間と人でなし達の会話が耳障りだったのか、ボルゾイは起き上がるとこちらに向かって吠え始めた。
大袈裟ではなく空気が震える。
「……ほら☆ 『お兄ちゃんこっちで一緒に遊ぼうよ』って言ってんじゃん☆」
「俺には『小僧共! 次に俺様の眠りを妨げれば容赦なく臓物を食い散らかすぞ!』って聞こえたけど。つかこの面子ならお兄ちゃんはあんただろ不和さん」
「そのお兄さんの背中に隠れて言う台詞じゃねぇよなお前ら」
狩猟犬の血筋ならば人間に従順であるはずだが、そんな不確定要素に期待するのは無理のようだ。
とにかく。
「善吉、本気でやべぇと思ったんなら素直に一旦退くべきだぜ? めだかちゃんにいいトコ見せるチャンスかも知れねぇけど」
「どうする人吉? 帰る? 尻尾を巻いて帰っちゃう?」
ウキウキワクワク、と不知火とともに善吉を煽る。
「ぐっ――があああっ! わかったよ! 逝ってくりゃいいんだろ!!」
「あ、その前に人吉、ほれ♪」
突っ込んでいこうとした善吉を呼び止め、不知火が取り出して渡したのはソーセージの束。
不知火の昼飯らしいが、餌付けにでも使えというのだろうか。
「これを制服の袖に仕込んでね、『腕食い千切られたぁあああ! けどホントはソーセージだザマミロ馬鹿犬!!』ってやってほしいの☆」
この腹黒少女がまともな解決策を提案するわけがなかった。
四面楚歌。もはや善吉に味方はいない。
「や、やっぱこういう手品は不和さんの方が――」
「いいから逝け!」
踏ん切りがつかない善吉の尻を蹴って強制的に送り出す。
自棄になった善吉は、ソーセージを袖に押し込んでボルゾイに吶喊を試みる。
「う――うおおおおおっ!」
善吉、突っ込む。
ボルゾイ、飛び掛かる。
善吉、腕に食いつかれる! しかしそれはソーセージ!
善吉の反撃!
「あ、よく考えたらあのギャグさ、必然的に片腕使えなくなるよな」
「ギィヤアアアアアアアアアアッ!!」
不知火はズタズタにされてゆく善吉を恍惚の表情で写真に収め、携帯に保存していた。
まったく、良い趣味をしている。
◆ ◆ ◆
惨敗を喫した翌日。
「……というわけで、犬は発見できたものの捕獲は失敗、逃走を許してしまいました――ってめだかちゃん聞いてる?」
「ああ勿論だ」
「引っ付くな擦り寄るな抱きしめるな」
ボロ雑巾と化した善吉は、それでも休むことなく昨日の経緯をめだかに報告していた。
しかしめだかは聞いているのかいないのか、不和に張り付いたままの体勢だ。
「要するに昨日、貴様たちは不知火と一緒にいたのだな? 仲良くしていたのだな!? 肩車をしていたのだな!?」
「確かにそうだけど俺が伝えたかったことは一切スルーかよ!!」
ボルゾイはロシア語で『俊敏』を意味し、ウルフハウンドはその名の通り『狼を狩る犬』である。遺伝子に組み込まれた狩猟本能は、そこらの半端な猛獣よりもよほど厄介なものだ。
あんな猛犬が住み着いているとなれば、学園側も安全対策を考慮せざるを得ないだろう。
下手をすれば保健所が動く。
「ま、俺だってやられっぱなしじゃ気がすまねーし、こっちは俺たちで何とかするからめだかちゃんは心配しなくていーよ」
「しゃーねぇか、僕も乗りかかった船だし。半袖にもメシでも奢って協力してもらおうぜ。あいつはあいつで頼りになる」
今度は檻と麻酔銃でも用意すべきか。理事長に要求すれば容易に手に入るはずだ。
そう考え、理事長室に向かおうと席を立つが、
「待て、二人とも」
めだかが憮然とした顔で不和と善吉の袖を掴む。
「貴様たちにとって、不知火は私よりも頼りになる存在なのか?」
この会長さんは何を言っているのだろう。
適材適所。
出来ないのならば出来る奴に協力を求めるのは当然のことだ。
そういう意味合いで言ったつもりなのだが。
説明を聞いためだかはふくれっ面で、
「やはり今回は私が動くぞ! 一般生徒に協力を乞うまでもない!!」
「……どうします不和さん」
「本人がやる気になってんだからいいんじゃね?」
どちらにしろ、最初からロクな方法で解決すると思ってはいなかった。
◆ ◆ ◆
準備があるから先に行っているがよい。
そう言われた時から妙な予感はしていたのだ。
「ひとまず、お前のその格好から説明してもらおうか?」
着ぐるみだ。犬の着ぐるみ。
演劇部から拝借してきたらしい。
しかし、遊園地のマスコットのようなモコモコしたものではない。
全身をぴっちりと覆う褐色のタイツに、胸部や腰部など最低限の箇所のみを毛で隠した――はっきり言って馬鹿が着る衣装である。頭部だけはしっかりと犬の被り物であるため余計にシュールだ。
「大事なのはターゲットに仲間だと思ってもらうことだ! 故に、私も犬の目線で歩み寄ろうと考えた!」
珍しく不知火が硬直している。脳が理解するのを拒否したのか。
「……ねぇ、人吉、不和兄」
「言うな不知火」
「言いたいことは分かるけどやめとけ。本人のためにも」
馬鹿と天才は紙一重というが、めだかの場合は馬鹿と天才が手を取り合い輪になって踊っているような気がする。
「さて、あれが((件|くだん))のターゲットか。なかなかどうして可愛いものではないか」
ボルゾイは昨日と同じく、我が物顔で惰眠を貪っていた。
これからどうなるか分かり切っている身としては、ボルゾイに多少の同情を禁じ得ない。
めだかがゆっくりと近づいていく。
「さあ、心の底から可愛がってやろう。力の限り抱きしめてやろう。撫で回して遊んでやろう。怖くはないぞ? だから私に愛でられるがよい!!」
変化は劇的だった。
異様な威圧感に目を見開いたボルゾイは弾かれるように立ち上がると、顔から出るものを全部出しながら形振り構わずこちらに逃げてきた。
「……半袖、昨日説明したとき、何か勘違いしてたみてぇだから教えといてやる。別にめだかちゃんは動物が苦手なわけじゃない。見ての通り、無類の動物好きだ」
だからといって、一方的な好意がいつも受け入れられるわけではない。動物と人間。言葉が通じず、人格という要素を排除されてしまっては、めだかのカリスマ性も足枷にしかならない。
善吉が、足元に丸まって震えるボルゾイの頭を撫でている。
「最初に自分で動こうとしなかったのは、こうなるとわかっていたからなのかもな」
抱きしめようと両手を広げたまま動かないめだかの背中には、哀愁が漂っていた。
◆ ◆ ◆
ボルゾイは投書主の下に無事帰ることができた。
善吉曰く、子犬の頃よりもだいぶ大人しくなっているそうだが。
「まあ一件落着には違いないけど――いつにもまして重症だな」
そう締めくくり、善吉はめだかを――正確には不和の背中に圧し掛かっているめだかを見た。
犬の着ぐるみのまま顔に影を落とし、どんよりとした空気を纏い、どういう仕組みなのか尻尾もパタパタと力なく揺れている。何も話そうとしないのが余計に怖い。
不和も今は離れろとは言わず、黙ってされるがままにしていた。
「……何とかしてくれよ不和さん」
「……さすがのお兄さんでも、出来ることと出来ねぇことがあらぁな。むしろ出来ねぇことだらけだ」
不和は思う。
異常であるからこそ信愛を求め、異質であるからこそ親愛を望み、異端であるからこそ深愛を願う。
相手が動物であれ人間であれ、それは変わらない。
((異常性|アブノーマル))とは、突出ではなく欠落なのだ。
何かを得てしまったがために、何かを失ってしまった。
ならば異常者を集めるこの学園の、フラスコ計画の、あの人外の求める完璧な天才とは何なのか?
人間を殺すのは痛みでも病でもない。孤独だ。
だからこそ、かつて忘れ去られた自分は今もこうして死にかけている。
死んで死んで死んで死んで、だがそれでも死ねなくて。
気が付けば、無意識の内にめだかの頭を撫でていた。
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