垂水百済はマイナスである ――172回目の【僕】―― BOX―11 天才などいない |
理不尽な実力を才能と呼び。
力の足りぬ者を凡人と呼ぶ。
天才と凡才。
所詮は同じ。みな同じ。
人間を区別することに意味などない。
――45回目の【俺】――
◆ ◆ ◆
思えば、この学園でめだかと再会してから、善吉ほどではないにしても、気苦労の絶えない毎日を送っているような気がする。
懐いてくれるのが嬉しいと言えば、まあ嬉しいと言えないことも無い。しかし、だからといって、過度なスキンシップなど全てを容認できるほど不和の器量は大きくはないし、そもそも本来なら他人事には我関せずを貫く性分なのだ。
観察役という立場上、傍観はできても不干渉を決め込むことはできないため、否が応でも巻き込まれなければならない。まったく面倒なことだ。
などと――
不和が今更ながらに己の境遇を顧みているのには当然、訳がある。
はっきり言ってしまえば現実逃避だ。
目の前で起こっている現実を直視したくないがための行動だ。
今日は良い天気だ。屋上に布団を敷いて眠りたい。
「人から目を逸らすとは感心せんな、お兄ちゃん」
ぼんやりと中空を漂わせていた視線が、顏を無理矢理前に向けられることで一点に集中する。
頭を抱えたくなるような存在が立っていた。
ああもう、どうしてこの子はこうも常識がぶっ飛んでいるのでしょう。
痛めた首を擦りつつ後ろを見やれば、生徒会室の入口で善吉がズッコケていた。デジャヴである。だがしかし、そこはさすが十年以上の幼馴染。すぐに起き上がり、扉を叩きつけるように閉めたかと思えば鍵も掛け、カーテンを引く。
「何回言えばわかるんだ!? こんな所で着替えるな!! 更衣室に行け!!」
顔を真っ赤に染め、息も荒々しく叫ぶ。
まあ無理もない。扉を開けたら誰もが認める絶世の美少女が下着姿でいた――などという状況に陥れば、逃げるか怒るか呆れるかの三つぐらいしか選択肢がない。
劣情や興奮より、もはや諦観の念しか湧かない不和は心中で善吉に拍手を送る。
「……それが嫌ならせめてカーテンぐらい閉めとけ。誰かに見られたらマズイだろ」
「何を言う。私は別に見られても困らんぞ? むしろこの肉体を見せることで皆が喜ぶというのなら、躊躇うことなく衆目に晒す」
妹分が露出狂になりかけているという事実にどう対応したらよいものか。
立ち向かうよりも逃げることを選ぶ不和には、もう話題を変えるくらいしか道はなかった。
「で、今度はどんな案件なんだ? 運動部の助っ人でもすんのか?」
めだかの格好を見ればおおよその見当はつく。
下着姿と述べはしたが、正確にはその上に柔道や空手で用いる道着の上衣を羽織っている。さらに、手には((下穿き|ズボン))も持っていた。
運動部の連中にもそれなりのプライドがある。完璧超人の生徒会長とはいえ、一年生であるめだかに教えを乞うたり、選手として出場させるとは考えにくいが。
「二人とも、鍋島三年生は知っているな? 今回は彼女からの投書だ」
「鍋島先輩って――あの柔道部部長の?」
善吉が驚いたように言う。
不和からしても、意外といえば意外な人物だった。
相談するような悩みがなさそうな先輩なのだ。
鍋島猫美。
三年十一組所属。不和と同じ((特待生|チームトクタイ))の一人。
別名、柔道界の反則王。
卑怯の代名詞として定着するほど勝利に執着しているがゆえに付けられた異名なのだろうが、スポーツマンとしては些か物騒な通り名だ。しかし、噂を聞く限り、性格は陰険というわけではなくむしろ快活で、後輩たちからも好意的な意見が多く――二言めには『卑怯だけど』と続くが――人望もあるようだ。
時期が時期だけに、三年生である鍋島は部長の座を退かなければならないはず。ならば、彼女の相談と言うのはおそらく――
「次期部長を誰にするか決めあぐねているらしい。私たちに選定の手伝いをしてほしいそうだ」
「柔道部――ねぇ」
脳裏に浮かぶのは、とある男の懐かしい顔。名簿に名前があるのを見たときは思わず笑ってしまった。
善吉は眉間にしわを寄せて瞑目している。同じことを考えているのだろう。
「かはははは。複雑な心境ってとこか善吉?」
「……そんなんじゃねーです」
否定こそするものの、表情は正直に語っていた。
行きたくない。会いたくない、と。
「とにかく、行ってみないことには始まらん。これより投書に基づき、生徒会を執行する!」
まあ善吉の願いはともかくとして、今回は面白そうなので進んで巻き込まれるとしよう。
◆ ◆ ◆
「やーやーどーも! 本日はようこそ我が部へ! ウチが差出人で部長の鍋島猫美でっす!」
握手を求めてきた鍋島猫美はその名の通り、猫科の動物じみた雰囲気を纏う先輩だった。
溌剌とした笑みを浮かべてはいるが、その表情の裏で悪知恵を働かせているようにも見える。
「生徒会長の黒神めだかだ。どれほど力になれるかわからんが、できる限りのことをさせてもらおう」
対するめだかはいつもと同じく、上級生相手に凛とした態度を崩すことなく握手に応じた。
不和は会話に参加することもなく壁際に移動し、畳に腰を下ろした。善吉も隣に立ち、壁に背を預けて傍観することにしたようだ。
「……意外だな」
「鍋島先輩がですか? まあ確かに、反則王ってキャラには見えないですね」
「それもあるけど……、僕が言いてぇのはそういう意味じゃねぇんだ」
悩みを相談するような――言い換えれば、他人に弱みを晒すタイプには見えないのだ。そもそも今回の投書に関して言えば、彼女の性格から考えても相談するほどのものではないように思える。
「それこそ、次期部長なんか総当たり戦でも組んで優勝した奴に任せちまいそうな感じだろ?」
「……言われてみれば、そうですね」
ならば鍋島の本当の目的は?
めだかと善吉を招き寄せたその真意は?
「あ、そーや黒神ちゃん。ジブンに挨拶したがっとる奴おんねん。何でも、同じ中学に通ってたとか。阿久根クン、おーい阿久根クン?」
不意に出てきた名に、善吉の肩がピクリと反応したのを見逃さなかった。
鍋島の呼びかけに応じて、柔道場の奥から誰かがこちらに向かってくる。
肩まで伸ばした長髪をたなびかせるその男は――
阿久根高貴その人だった。
「人呼んで、柔道界のプリンスだそうですよ」
「あいつはあいつで変わり過ぎだろ」
あの『破壊臣』と忌み嫌われた荒々しい気配は鳴りを潜め、柔道に打ち込む好青年といった感じだ。
もちろん阿久根も、垂水百済のことは忘れてしまっている。散々壊された挙句に「誰ですか」と真面目な顔で言われたときはかなり本気で殺意が湧いた。
それはともかく。
阿久根は不和と善吉には見向きもせずに通り過ぎ、めだかの足元に仰々しく跪いた。
周囲の部員たちがざわめく。
「お久しぶりですめだかさん。生徒会立ち上げで忙しい時期にお手間をとらせてはいけないと挨拶に伺うことを控えておりましたが、こうして再びお顔を拝見できたことを光栄に思います」
アホだ。アホがいる。
心酔、盲信、あるいは依存か。
王に((傅|かしず))く滑稽な愚臣。
「前言撤回。あいつは何も変わっちゃいねぇ。変わったのは仕える主人だけだ」
最初は球磨川で、今はめだか。
飼い主に言われたことを守るだけの、空っぽの忠犬。
まったくもって、くだらない。
「顔を上げろ阿久根二年生。貴様ほどの男がそう簡単に膝を折るなど、他の者に示しがつかんぞ」
「いえ、あなたに傅くことを誇りこそすれ恥とは思いません。こうして今の俺があるのもめだかさんに救っていただいたからであり、感謝しきれないほど――」
めだかは阿久根の言葉を遮り、頭部を鷲掴みにすると、
「私に感謝しているのなら!! 誇りを持っているのなら!! 膝などつかずに堂々と胸を張れ!!」
顔を近づけて、一喝した。
礼を言われるために助けたのではない。阿久根のために助けたのだ。
めだかはそう言いたいらしい。
「は、はい! 仰せのままに!!」
怒鳴られたというのに、阿久根は恍惚の表情を浮かべ頬を赤らめた。
アレは駄目だ。末期症状だ。めだかに何を言われても喜びそうな気がする。
「ふむ、では挨拶も済んだところで私は私の職務を全うすることにしよう。とりあえず阿久根二年生、貴様は特別枠だ。一年ぶりなのだ、向こうで二人と談笑でもしているとよい」
夢見心地な足取りでやってきた阿久根は、善吉の顔を見るなり態度が豹変した。
「……やあ、久し振り。ところでキミ、誰だっけ?」
「カッ! 受け身の取り過ぎで記憶でも飛びましたか? 人吉ですよ、人吉善吉。つーかアンタこそ誰です?」
互いに敵意が剥き出しで、一触即発の険悪な空気が漂う。
間に挟まれた不和は、頬杖をついて辟易する。中学の頃から顔を合わせるたびに同じようなことをやっているというのに、よくもまあ飽きないものだ。
「つか僕には挨拶なしかい」
虫だ下級生イジメだと喚いている馬鹿どもから離れて、めだかの方に注目する。
丁度、副部長の何とかという男子を畳に叩きつけていた。どうでもいいが、下がスカートなので中が丸見えだ。まさか敢えて見せているのだろうか。
「聞こえていなかったようだな。私は全員でかかってこいと言ったのだ」
一応、箱庭学園の柔道部は全国区に名を馳せる強豪だが、それでも赤帯を取得しているめだかからしてみれば十把一絡げの連中ばかりだ。まとめて相手をして、見込みのある者を選ぶつもりらしい。
「さあどんどん来るがよい! 鑑定して厳選して剪定してやろう!!」
いや選定な。剪定はマズイ。若い枝を切り落とす気かお前は。
ちぎっては投げ、ちぎっては投げを繰り返す。人間はああも簡単に空を飛ぶものなのか。知らなかった。
「ククッ! おもろいなぁ黒神ちゃんは。不和クンもそう思わん?」
何時の間にか、鍋島が隣に座っていた。
「のんきですね。後輩がゴミ屑みてぇに投げ飛ばされてるのに」
「黒神ちゃん曰く、柔道は教わるものやのーて学ぶものらしいで?」
負けたとしても、そこから得るものがあればそれで良し、というわけか。
「都合のいい言葉ですね」
「ホンマやねぇ。((それ|・・))は伸ばせる才能がある人間だけが言えるセリフやのに――ってまたケンカかいな。懲りん二人やなぁ」
ぼそりと意味深な呟きを残して、鍋島は善吉と阿久根を止めに入っていった。
気が付けば、叩きつけられる音が聞こえなくなっていた。めだかの周りには柔道部員の死屍累々。
見事に全滅だ。
あの中で、起き上がってこられる者は何人いるのやら。自分の無力さに打ちひしがれて、諦める者は何人いるのやら。
「……不和さん」
「んー?」
今度は善吉だった。ぽりぽりと頬を掻き、何やら困っている様子。
「なんか、鍋島先輩の提案で阿久根先輩と試合することになっちゃいました」
………………ふーん。
◆ ◆ ◆
善吉を柔道の後継者に。
鍋島の狙いはそれだった。
凡人でありながら天才の隣に居続けられる善吉に、鍋島は興味を抱いたらしい。
「ほんだら始めんで。ルールはいつものように阿久根方式な!」
仕切る鍋島を挟んで対峙する善吉と阿久根。
無制限十本勝負対無制限一本勝負。柔道部恒例の変則試合――といえば聞こえはいいが、とどのつまりがハンデを与えられたということだ。
阿久根に十本取られる前に一本でも取れたら善吉の勝ち。
負けたら善吉は柔道部に、阿久根は生徒会に。
少し目を離した隙に、事態は妙な方向に転がってしまったようだ。
「尻尾を巻いて逃げ出さなかったことだけは褒めておこう。もし無様に逃げ出して、めだかさんに余計な恥をかかせていたら、俺はキミを投げ飛ばすだけじゃ済まさなかっただろうからな」
「あれ? もしかしてアンタの暴力を我慢できるなら逃げても良かったんですか? そういう大事なことは先に言ってくださいよ」
「逃げるだと? そんなことは許さんぞ善吉」
閉じた扇子を手に、めだかは言う。
「如何に過酷な状況でも! 達成不可能に思える無理難題でも! 相談でも挑戦でも要望でも! 全てを受け入れ、肯定し、解決する! それが我が生徒会執行部だ!!」
負けるなとは決して言わない。
しかし、目を逸らし、背を向けることだけは決して許さない。
そんなめだかの性格を、善吉がわかっていないはずがない。
「逃げ道はねぇみてぇだぞ、善吉」
「カッ! そんなこと((最初|はな))っから分かってましたよ。俺だって逃げるつもりも、負けるつもりもありませんよ!」
開始の合図と同時に、善吉は阿久根に向かって突進した。
一気呵成の短期決戦。間違ってはいない選択だ。
実力が上の相手に長期戦を挑むのは賢明ではない。阿久根は十本、対する善吉は一本取りさえすれば勝ちなのだから、無理に長引かせる必要もない。
だが――
「グ、ウゥッ!?」
勢いをそのままに、阿久根に一本を決められてしまった。
「努力は認めよう。だが、それ以外は認めない!」
後手必殺。
実力が下ならば、時間をかけずに不意をついた方が勝率はわずかに上がるかもしれない。
では実力が上ならば?
相手の攻撃を分析する余裕ができ、そこから最善の手を打つことができる。
後の先。いわゆるカウンターだ。
続けざまに二本目が決まる。
「いやー、いつ見ても綺麗な一本やな。綺麗すぎてつまらんくらいや」
感心ではなく、侮蔑を含んだ声。
不和に言っているのではなく、これは――独白。
「………………」
「ウチは天才が嫌いや。阿久根クンも黒神ちゃんも、天才と呼ばれとる人間はみんな大嫌いや。どんだけ頑張って練習しても、才能の一言で片づけられて潰される」
天才を踏みにじり、凌駕するために。鍋島は貪欲に勝利を望む。
汚く、醜く、卑怯と呼ばれたとしても。有能には無能を。正道には外道を。
だからこそ、善吉を欲する。
((普通|ノーマル))でありながら、((天才|アブノーマル))と同じ場所に立とうとする善吉を。
三本目。
できることをやっているだけの人間が天才で、不可能を踏破するために努力する人間が凡人。
凡人こそが天才を超える権利を持つ。
それが鍋島の持論のようだ。
しかし、才能だなんだと、そう小難しく考えるほどの問題ではない。
単純明快。
「勝った奴が天才と呼ばれて、負けた奴が凡人と呼ばれる。ただそれだけの話でしょうが」
不和の言葉に、鍋島は一瞬呆けた表情になり、
「ク――クククッ♪ ええなあ、やっぱ惜しいなあ。実はな、人吉クンも欲しいねんけど、本当はジブンも欲しいねん」
こちらの顔を覗き込む目は、獲物を虎視眈々と狙う獣の目だった。
「どうや? 不和クンも柔道やってみいひんか?」
美術科の特待生に何を勧めているのやら。
「せっかくですが、僕は柔道にも、天才に勝つことにも興味ねぇんで」
にべもなく断ると、鍋島はさして残念そうな素振りも見せずに、
「そら残念やなぁ。不和クンやったらウチ以上の反則王になれそうやのに」
そうなった日には、この柔道部は永久に出場停止を喰らう羽目になるだろう。
四本目。
善吉の足が震えはじめている。
四度も叩きつけられれば、三半規管が狂って当然だ。
あと、六本。
「………………猫美先輩、このままぼけっと見てるだけっつーのもつまらないですから、賭けでもしてみませんか?」
「賭けぇ?」
不和はポケットの中から二本の((紙縒|こよ))りを取り出し、鍋島に見せた。紙縒りは先端が赤と青に色分けされており、不和は先端を隠すように握り締めると、鍋島の前に突き出した。
「ご覧の通り、赤と青の二色に分かれてます。赤を善吉、青を高貴として、お互い引いた色の方に賭ける。勝った方は相手に何でも一つだけお願いを聞いてもらえると言うのはどうでしょう。健全に、相手が実行できる範囲でのお願いに限りますが」
五本目。これで半分。
善吉が勝つ確率も、阿久根が負ける確率も、ゼロではない。
不確定要素たっぷりの、二段構えの即席博打だ。
鍋島は口元に手をやり、提案に乗るかどうか考えているようだった。やがてにやりと笑い、
「イカサマはなしやで、詐欺師クン」
「反則王に仕掛けるほどの腕も度胸もありませんよ」
トランプならまだしも、どちらが勝つかという賭けではイカサマのしようがない。競馬に必勝法がないのと同じことだ。
鍋島は紙縒りをゆっくりと引き抜いた。先端の色は――青。
それを見た不和はやれやれと首を振り、手の中に残った紙縒りを確認することもなくポケットに戻した。
「ククク、残念やったなぁ不和クン。ウチの勝ちは決まったようなもんや。もちろんウチのお願いはジブンが入部してくれることな♪ さっきは断られたけど、まだ諦めたわけやないで?」
「約束は守りますよ。高貴が勝てば、ね」
誰の目から見ても、阿久根の勝ちはほぼ確定していた。
((性能|スペック))が違いすぎる。少しかじっただけの素人と有段者が試合をするなど、笑い話にもならない。このまま番狂わせも無く順調にいってしまえば、勝負が終わる頃には善吉と揃って柔道部入りとなる。
六本目。
必死に歯を食いしばって起き上がる。
急ぎ足で入部届け用紙を取りに行った鍋島を見送っていると、それまで正座して黙っていためだかが、背後から首に手を回してきた。そのまま不和の喉元に両腕を引っ掛けるようにしてぶら下がる。
傍から見れば、胸を押し付けて抱きしめている体勢だが、当人たちはそれどころではない。
めだかの全体重が動脈と気管を圧迫して、呼吸もまともに出来ないのだ。
「……ナニカナ?」
「神聖なスポーツの場で賭け事とは感心せんな」
こちらを半目で見上げるむくれた表情からは、勝手に何をしておるのだ、という不満がありありと読み取れた。
七本目。
「退屈しのぎだよ、ほんのな。それに確かに勝手だったかもしれねぇけどよ、本来なら僕は帰宅部所属の一般生徒だぜ? 生徒の自主性を重んじるのが生徒会だろ」
「善吉もお兄ちゃんもいなくなるなど私は嫌だぞ。寂しくて泣いちゃうぞ」
「あいつにも直接言ってやれよ。多分、膝が笑って腰砕けになるだろうけどな。それとめだかちゃん、お前は勘違いしてる」
八本目。
あと、二本。
「僕は善吉が負けるなんて毛ほども思っちゃいねぇよ」
そう言ってめだかに見せたのは、鍋島との賭けに使った紙縒り。
青の紙縒りは鍋島が引いたため、当然不和の手元に残っているのは赤の紙縒りのはず。だが、不和の指先で揺れるその色は――青。
「どういうことだ?」
「言ったろ? 退屈しのぎだって。最初から勝負なんかしてねぇってことさ」
そして九本目。
あとがなくなった。
それでも善吉は立ち上がる。
畳で擦れて血が滲み、疲労の色も濃い。
立ち上がりはしたものの、あれは勝つことを諦めかけている。
「おーおー、らしくねぇツラしてやがりますこと」
まだ、もう少し足りない、か。
「応援してやれ、めだかちゃん。頑張れなんて言わなくていい。ただお前が今、一番言いたいことを叫んでやれ。それが決め手になる」
めだかは頷き、軽く息を吸うと――
「――――善吉ぃ!!」
柔道場に突然響いた声に善吉は顔を上げ、止めを刺そうとしていた阿久根も、戻って来ていた鍋島も呆然となる。
「勝って!!」
拳を握り、素直に己の心を吐き出す。
生徒会としての職務も、会長としての矜持も関係ない。
あるのは一人の少女としての、小さな小さな願望。
「いなくなるなんて嫌だ! 私を一人にするな、傍にいろ! 私は貴様と不和と、いつも三人で一緒にいたい!!」
すぐにでも泣き出しそうな、涙を溜めた瞳。まるで我が侭を言う子どもだ。
それが最後の一押し。
善吉の心中はいかなるものか。
「くっ、か、かっははははははははっ!!」
不和は鮫のような乱杭歯を剥き出しにして嗤う。
案の定、善吉の顔は真っ赤になり足からは力が抜け、ぐらりと倒れそうになる。
「ああもうっ! こっ恥ずかしいこと言ってんじゃねぇええええっ!!」
けれど倒れない。倒れるわけがない。
勝てない理由など、もうどこにもない。
「僕だって、その気になりゃあ何だって出来る――なぁんて根性論は信じちゃいねぇさ。けどな、愚直だと蔑まれても、無謀だと笑われても、それでも諦めることなく、変わることなく、自分のために、そしてめだかちゃんのために、十年以上も必死で貫いてきた((善吉|あいつ))の((努力|しんねん))が、たかが恵まれているだけの((才能|りふじん))如きに劣るわけが――負けるわけがねぇだろ」
前傾姿勢で、油断していた阿久根の懐に入り込む。
狙うは膝裏。
両腕で抱えて固定、重心を崩し、肩を使って押し倒す。
「し、しまっ――!」
めだか曰く、柔道は教わるものではなく学ぶもの。
それは何も、柔道に限ったことではない。
「お前の負けだ高貴。負けて善吉から学んでみろ」
双手刈りによる一本が見事に決まった。
◆ ◆ ◆
「しつっこいですねーあんたも。興味ないって何度も言ってんでしょうが」
『そんなつれないこと言わんといてぇな。ウチは人吉クンもジブンも諦めたわけやないんやで? 新部長も無事に決まったことやし♪』
電話の向こうで、鍋島はケラケラと笑う。
善吉と阿久根の勝負で忘れていたが、本題は新部長の選定の手伝いだ。
結局、めだかの推薦で副部長の城南という男が後を継ぐこととなった。すぐに投げ飛ばされてはいたが、最初に単身で挑んだ勇気が評価されたらしい。
『それにジブン、ウチになーんもお願いしとらんやん。少なからず惹かれてるっちゅーことやろ? ん?』
「特に思いつかなかっただけですよ。あんたに貸しを作っておくのも悪くありませんしね。つーことでお話し終了、さようならーっと」
キリがないので一方的に通話を終える。
「不和兄ぃ電話終わった?」
「相手、鍋島先輩ですよね」
肩車をしている不知火が上から覗き込み、隣を歩く善吉も問うてくる。
「諦めねぇとさ。まったく、どうして僕にばっかり掛けてくるんだか」
うへぇ、と善吉も嫌そうな顔をした。
「ねーそれでさー、阿久根先輩はどうなっちゃたの?」
「さあな。なんか柔道部をやめたって噂だけど」
「こういうのはお前の方が詳しいんじゃないのか?」
「まあ何にしても、俺には関係ねーけど」
善吉が生徒会室の扉を開けると――
「半袖、よだれを垂らすな体を揺らすな」
パンツ一丁の阿久根高貴がいた。
ここは何時から馬鹿が集まる更衣室になった?
「阿久根先輩、どーしてアンタがここに居るんだよ!?」
「……大方、鍋島先輩がめだかちゃんに掛け合ったんだろ」
「不和くんの言う通りさ。本日付で生徒会執行部書記職に任命された。そういうわけで――よろしくお願いしますよ、先輩」
唖然とする善吉の肩に手を置き、
「良かったな。先輩の後輩ができたぞ? 人吉先輩」
「あひゃひゃ♪ おめでとー人吉先輩」
「ひ、他人事だと思って…………」
「「他人事だもん」」
「この、人でなし共―――っ!」
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第十一話 | ||
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2001 | 1931 | 3 |
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