垂水百済はマイナスである ――172回目の【僕】―― BOX―20 本当の約束を果たそう |
人間は、そう簡単には変わらない。
変わることが出来ない。
良くも悪くも、変われない。
――59回目の【俺】――
◆ ◆ ◆
時計塔地下研究施設。その地下十二階で。
生徒会庶務・人吉善吉と拘束衣を着た黒神めだかが――否、黒神めだか(改)が激戦を繰り広げていた。
見惚れてしまうほどに凄まじい蹴りの応酬に、誰もが息を呑む。
生徒会の仲間だから、だとか。
十三年間一緒にいた幼馴染だから、だとか。
この場において、戦っている二人にとって、そんな関係は無用の長物となっていた。放つ蹴りの一発一発が情けも遠慮もない渾身の一撃だった。
高千穂千種の『((反射神経|オートパイロット))』。
宗像形の暗器術。
都城王土の『電磁波』。
見聞きし体験した異常と技術を呑み込み、我が物としためだか(改)を相手にする。常識のある――諦めることが出来る人間ならば、この化け物に敵うわけがないと即座に踵を返して退散を決め込むことだろう。
けれど、何処にでもいる((常識人|ノーマル))であるはずの善吉は一歩も引くことなく、逆に力強く一歩を踏み出す。
他ならぬ、めだかを倒すために。
たとえ相手が誰であっても、人吉善吉は己を曲げることはない。言い換えれば、諦めることが出来ない性分なのだ。
((幼馴染|めだか))を取り戻すために((幼馴染|アブノーマル))を倒す。矛盾しかないその動機を、心ない人間なら愚直だと笑うだろう。見苦しいと蔑むだろう。
だが、誰も笑わない。
可能性がゼロではない限り――決して諦めない。揺るぎ無い一本芯の通った善吉の在り方を嘲笑おうとする者はこの場にいなかった。
阿久根高貴、喜界島もがな、黒神真黒。
めだかを救うために共に尽力した仲間達は言うに及ばず。
名瀬夭歌、古賀いたみ、行橋未造、都城王土。
敵であるはずの者達でさえも。
しかし。
八人の中で、ただ一人。
安心院不和だけは。
その光景を、まるでじゃれあっている犬猫でも見ているような表情で、壁に寄りかかって欠伸混じりに眺めているのだった。
この『じゃれ合い』の果てにどういう結末が待ち受けているのか、分かり切っているかのように。
「……随分と達観しているんだな」
そんな不和に、夭歌は言う。
「血の繋がりがないとはいえ、人吉も、黒神も、お前からしてみりゃ弟妹みたいなもんだろ? その二人があれだけド派手に蹴り合ってるってのに止めようとする素振りすら見せない。生徒会(れんちゅう)の敵である俺がこう言うのもなんだけど、ちょっとばかし冷た過ぎじゃねーか?」
「弟妹ねえ……」
じゃあコレは兄弟喧嘩か何かかねぇ、と不和は笑う。
「勘違いしてるみてぇだけど、僕は別にめだかちゃんの味方ってわけでもないし、善吉の敵ってわけでもない。僕が興味もないフラスコ計画の実験場にいるのは――夭歌ちゃん、お前がここに居て、((異常性|アブノーマル))の研究と計画の速やかな成就を選んだからだ。だから僕はここに居る。それ以上の理由も、それ以外の動機もねぇんだよ」
「………………」
曲解すると告白のように聞こえるのに、目を見つめて臆面もなく言ってのける。
「そういえば((地下四階|うえ))で、約束がどうとか言ってたよな。……今考えると腑に落ちないんだよ。記憶を捨てて六年前に『始まった』俺に――孤独と迫害だらけの地獄みたいな環境で生きてきた俺に、古賀ちゃん以外に助けを寄越してくれるようなオトモダチなんかいねーハズなんだ」
「なら記憶を捨てる前のオトモダチからなんじゃねぇの?」
明らかにはぐらかしている。
そんなわけがない、と断言できる。
六年前。名瀬夭歌が黒神くじらであり、十一歳になる日まで。
外にも出ずに、ずっと書庫に籠って苦行のような生活を送っていたのだと、他ならぬ実兄の真黒が言っていたのだから。拷問じみた生き方をしてきた元自分に、友人など作れるわけがない。
一体どんな人物なのだろう。
自分を助けるために、この飄々とした変人を寄越した『友達』とは。
興味が尽きなかったが、これ以上不和に尋ねても答えは得られないと判断した夭歌は、それ以上何も言うことはなかった。
◆ ◆ ◆
地下四階。
名瀬夭歌の((工房|ラボ))において。
注入されたノーマライズ・リキッドによって異常性を打ち消され、さらには追加投与された記憶制御薬によって志すら失っためだかは、それでも善戦したと言えた。しかし、くじらのためならばどのような犠牲も厭わない覚悟を決めた不和と、事情を呑み込めないながらも参戦した古賀の攻撃には耐えられず、敗北を喫することとなった。
「……どういうつもり?」
場所は変わって地下十三階。
「どういうつもりも何も、上で話した通りでしかねぇよ。とある約束で僕はめだかちゃんの敵になって、くじらちゃんの味方になった。ただそれだけの話だ」
栄養ドリンクらしき容器を片手に、唐突に話しかけてきた古賀いたみに対し、焼却処分される寸前だった制服とパーカーを着替えた安心院不和は、台本通りの台詞を述べるように淡々と簡潔に説明した。
安心院不和と、名瀬夭歌と、古賀いたみは。
黒神めだかが眠るベッドを中心にして向かい合っている。
拘束衣で両腕を封じられためだかは、さらに拘束帯でベッドに雁字搦めに固定されていて、その徹底した様子は羽化を待つ歪な((蛹|さなぎ))を連想させた。
「いきなり現れて味方だなんて言われても信用できるわけないでしょ!」
未だに疑いの目を向けてくる古賀。
返答次第ではすぐにでも殴り合いに発展してしまいそうな、一触即発の危なっかしい空気が漂う。
「別にお前に信じてもらおうなんて思っちゃいねぇよ。そもそもが六年前にした口約束だしな。けどまあ、それでも、一度交わした約束は守らなきゃならねぇもんだろ。だから僕は夭歌ちゃんを助ける。たとえ夭歌ちゃん本人が嫌だと言ってもな。誰にも邪魔はさせねぇし、文句も言わせねぇよ」
ベッドに腰掛けた不和は、髪を梳くようにめだかの頭を撫でながらそう言った。
「あ、あんたねぇ――」
「……古賀ちゃん、もういい」
激昂しかけた古賀を、それまで黙って見ていた名瀬夭歌が止める。
「名瀬ちゃん、でもっ!」
「事情はどうあれ、こうして黒神を確保できたのは事実だ。俺だってこいつを完全に信用してるわけじゃねーし、生徒会の連中と口裏合わせて敵対している振りをしている可能性だってゼロじゃねーだろうけど」
それでも、と夭歌は続けて。
「何となく、本当になんとなーく、な。こいつは俺達の味方だと考えて良いと思えるんだ。あくまで俺の直感でしかねーし、勘なんて研究者にあるまじき理由だけどな」
夭歌らしくもない理由と発言に、古賀も――不和すらも目を見開く。
しおらしい、というわけではないが、自分でも在り得ないことだと夭歌は戸惑っているようで、誤魔化すようにポリポリと後頭部を掻いている。
親友の言葉に古賀も渋々ながら頷いて同意する。
「……名瀬ちゃんがそこまで言うなら、少しくらいは信用してあげてもいいけど」
それでもキッ、と不和を睨み付けて。
「名瀬ちゃんを泣かせたりなんかしたら本気でブン殴るからね!?」
ビュオッ! と。
不和の眼前に、殺人的な勢いで風圧を伴った拳を突き付ける。
壁や床を簡単に打ち破り粉砕する兵器を向けられながらも、不和は平然と、やれやれとでも言うように肩を竦めてベッドから腰を上げた。
「確約はできねぇけど、まあ、泣かせないように努力はするさ」
そう言って、二人に人工皮膚で覆われた右手を差し出す。
二人は怪訝な目でその手を見る。
「何だ?」
「友好の証っつーことで、とりあえず握手?」
「どうして疑問形なんだよ」
言いつつも、夭歌は不和の手を握り返した。そして、首を捻り、視線を中空に泳がせる。
「どしたの名瀬ちゃん?」
「いや。……なあ、前にも同じことがなかったか?」
夭歌は不和の顔を見上げて尋ねる。
「さあ? 夭歌ちゃんの気のせい――デジャヴュって奴じゃねぇの? なんせ、((僕とは|・・・))((初対面なんだから|・・・・・・・・))」
不和は誤魔化すような笑みを浮かべて飄々ととぼけるのだった。
◆ ◆ ◆
「――う、ああ、あああああああああああああああああああっ!!」
めだかの悲痛な叫び声で、不和はうつらうつらと顧みていた回想から現実に引き戻された。
見れば、善吉に馬乗りになっためだかが両手を己の頭部に押し付けている。バリバリバリバリ――と、両手からはスパークが放出され、その度に苦悶の声を漏らす。
スパークではなく、あれは――電磁波。
黒神めだか(改)を生み出すために、都城王土は自身の異常性の根源である電磁波を、意識と記憶を失っためだかの頭部に直接放射した。
それをもう一度、今度は黒神めだかに戻るために。
自分自身を――洗脳し直しているのだ。
だが。
「ぐ、ああああああああああああああっ!!」
「……おい、流石にヤバイんじゃねぇか?」
「ああ、洗脳には過度な精密さが要求されるんだ。それをあんな力づくで洗脳し直そうとしたら、感電死とは言わねーが、あのまま続けたら頭空っぽになっちまう。……不和くん、止めるなら今のうちだぜ?」
その言葉は、夭歌なりの気遣いの表れだった。
ここで止めても、誰も不和を咎めたりはしないと、言外に、そう言っているのだ。
けれど、不和は緩やかに首を振り、
「お前に止めるつもりがねぇのなら、僕も止めるつもりはねぇよ」
――それに、僕たちが手を出すまでもない。
言って、不和はめだかを指し示す。
いつの間にか、悲鳴は止まっていた。
涙を流すめだかを、善吉が優しく抱きしめている。
善吉は諭すように小さく唇を動かしているが、距離を置いている不和には聞き取ることが出来なかった。敵である不和に、聞く資格などなかった。
ざわり、と。
全身が粟立つ。
その感覚に、不和は牙を剥き出しにして嗤う。
「((戻ってくるぜ|・・・・・・))」
その言葉が合図であったかのように、めだかはガバッと立ち上がった。
あくまで凛々しく、どこまでも毅然とした態度で。
「えーっと……めだかちゃん(改)?」
呆けたように善吉が言う。
対して、黒神めだかは――
「めだかちゃん(改)ではない。めだかちゃんと、呼ぶがよい!!」
完全復活を果たした。
諸手を上げて喜ぶ生徒会執行部。
「研究者として、あの結果をどう見る?」
「考えられるとすれば、行橋先輩の((感受性|アブノーマル))だな。蹴り合ったり、抱き合ったりすることで人吉が持つ黒神めだかという人物像を読み取って洗脳を解いたってところだろ」
「なーるほど。言い換えりゃあ、王土先輩の洗脳より、めだかちゃんと善吉の絆が勝ったってわけか。ロマンがあっていいねぇ。いや、この場合はラブコメか?」
ケタケタと茶化すように言う不和であったが、しかし、心の内から喜んでいるようにも見えた。
異常者(アブノーマル)四名とプラス一名の前に、生徒会執行の面々が並び立つ。
めだかも、善吉も、阿久根も喜界島も。
全員が全員とも傷だらけでボロボロ――満身創痍の出で立ちではあったが、そんなことをまるで気にする風もなく、むしろ黒神めだかという象徴を再び得たことで、溢れんばかりの戦意も取り戻しているようだった。
「ふむ。まあそこそこ面白い((余興|じっけん))だった」
都城王土が、懐中時計で時刻を確認しながら言う。
余興。
都城にとって、めだかの洗脳も、めだか(改)が善吉と衝突することも((ついで|・・・))でしかなかったようだ。
自分がフラスコ計画の全てであり中核であるという事実からくる、絶対的な自信であり自負。それ以外の事象は事のついででしかない。
歪んでいるがゆえに純粋な――自分が中心であり自分しかいない、狂気の世界観だった。
ガコン、と何処かで作動音がする。
床の一部が沈み込み、地下十三階へと続く階段が現れた。
「ついてくることを許そう、黒神めだか。フラスコ計画の真相を、お前に教えてやる」
そう言って都城は階段を下りて行った。
ぞろぞろと、誰ともなく彼の後に続く。
「お久しぶりです、と言うべきか、お兄ちゃん?」
地の底の底――地獄に続いているような錯覚に陥るほどに長い階段。
前を歩くめだかが、不和の方を振り返って口を開く。
実兄である真黒がいるところで言う台詞とも思えなかったが、
「まあとりあえず、お帰りとでも言ってやるよ妹分」
軽口を返すに留まった。
地下十三階は、不和がこれまで見てきたどの階層よりも異質だった。
人の背丈を優に超えるコンピューターが大量に立ち並び、排熱によって人間が蒸し焼きになるのを防ぐために、過剰なまでに冷房が効いている。
「まるで軍の情報局だな」
端的に、めだかが感想を述べる。
「入ったことあるのかよ、情報局」
まあ、めだかならあるのかもしれない、と苦笑と共にツッコミながら不和はそう思った。
13万1313台のスーパーコンピュータ。その全てが24時間365日休まず並列で動作している。真黒の説明では、((異常者|アブノーマル))を解析するには最低限でもこれだけの設備が必要だということらしい。
都城王土は、計画を阻止しようとするめだかに、まるで言い聞かせるように滔々と語る。
フラスコ計画に携わる人間が国内にどれだけ存在し、人生をかけているのかを。
フラスコ計画を潰した場合、どれほどの人間が不幸になるのかを。
「黒神。お前は全校生徒が犠牲にすることを嫌っているようだな。ならば、お前がフラスコ計画に協力し、犠牲者が出ないよう尽力すればいい話ではないか。お前御自慢の頭脳があれば不可能ではあるまい?」
妥協策というわけだ。
裏を返せば人質。
フラスコ計画を潰せば十万単位の人間が不幸になり、潰さなければ全校生徒が犠牲になる。
それが嫌ならば手を貸せと、都城王土は言いたいのだ。
「お兄ちゃん」
都城の問いには答えず、めだかは不和に尋ねる。
「貴方も、都城三年生と同じように考えているのですか?」
不和は目を細めて、めだかと――夭歌の顔を見た。
ただそれだけで、何も言おうとはしない。
目は口ほどのものを言う。
ただそれだけで、めだかは不和の考えを読み取ったようだった。
「都城三年生。やはり私は貴様達の理想主義に付き合うことなど出来んよ」
――だって、完全な人間なんて作れっこないんだから。
それはある意味、誰よりも完璧に近い((存在|めだか))からの、受け入れがたい拒絶だった。
完全な人間。
不完全さが欠けてしまった人間。
その対極にいる――不完全を極めてしまった一人の男を、めだかや善吉や阿久根や不和――箱舟中学の卒業生達は思い浮かべた。
「交渉決裂というわけか。ならば仕方ない。古賀、恨むなら黒神を恨めよ」
「…………え?」
何が起こったのか、誰にも分からなかった。
分からないが、理解するまでもなかった。
都城の右腕が古賀の背肉を((ズブリ|・・・))と抉り貫き、心臓を鷲掴みにしている。
「お、おーどさん……?」
「不知火理事長しか知らない裏技だよ。電磁波を送ることで相互干渉し、対象者の心臓から((電気信号|アブノーマル))を強制的に取り立てる! 名付けるならそうだな――『理不尽な重税』と言ったところか」
腕を引き抜かれ、無残に打ち捨てられる古賀。
「黒神、お前の見様見真似では相手の((異常性|アブノーマル))を二割も発揮できんだろうが――」
瞬間。
都城の姿が掻き消えた。
「偉大なる俺の税率は十割だ!」
めだかが蹴り飛ばされる。
コンピューターを巻き込み、数メートル以上もバウンドして止まった。
「ふむ、やはり古賀の((改造性|アブノーマル))は偉大な俺にこそ相応しいと思っていた。お前もそう思わないか? なあ――安心院不和!」
振り向き、背後から襲い掛かる巨大レンチを片手で軽々と受け止める。
めだかが都城に攻撃されるのとほぼ同時に。
不和も都城に対して攻撃を仕掛けていた。
両手を使った渾身の一撃。完全な不意打ちであり、避けられるはずが――ましてや平然と受け止められるはずがなかった。だが、元より壁に垂直に立つことが出来る都城本人の((性能|スペック))に加えて、今は古賀の異常駆動が上乗せされている。
武器が固定され、不和は宙吊りの状態になってしまった。
「……仲間じゃなかったのか?」
「ああそうだな。仲間((だった|・・・))」
「お前、それでも人間か?」
「そうだ、俺こそが人間だ」
回し蹴りが不和を襲う。
咄嗟に左腕を盾にするが勢いに耐えられず、めだか同様に吹き飛ぶ。骨が圧し折れる聞き慣れた音を、不和は確かに聞いた。
「めだかちゃん! 不和さん!」
善吉が叫ぶが、二人は答えない。答えられない。
あまりの暴虐ぶりに凍りつく中、名瀬夭歌だけはふらふらと覚束ない足取りで古賀に近づき、傍らにへたり込んだ。
いくら改造人間であるとは言え、背中を穿たれ、心臓を握りつぶされ、その((電気信号|アブノーマル))を奪われた古賀は、いつ事切れてもおかしくないほどの重傷を負っていた。
「古賀ちゃん……?」
夭歌は泣いていた。
零れた涙が((包帯|かめん))を濡らし、彼女の心を映し出す。
「やだ……嫌だよ……お願い……目を覚まして」
「それが、お前が望んだ結果じゃなかったのか?」
泣き崩れる夭歌の頭上から、声が降る。
不和だった。
左腕があらぬ方向に曲がり、尺骨と橈骨が皮膚と服を突き破って露出してしまっている。
「記憶を捨てて、家を捨てて、実の兄と妹を実験体にして、どこまでも、どこまでもどこまでも不幸を追い求めたお前にとって理想的な展開じゃないか。実に不遇、実に不幸。正に悲劇のヒロインじゃねぇか。よかったなあ、喜べよ、これでまた一歩偉人に近づいたんだぜ?」
夭歌は顔を上げた。
覗き込む不和の目は虚ろで、ぞっとするほど乾いていた。
「このまま手の施しようもなくいたみちゃんが息絶えて、親友を失ったお前はその不幸を糧に更に研究を続ける。今までと変わらない。これからも変わらない。この先何人親友を作ろうと、結局のところ、お前にとって友達って奴は不幸を生むための道具に過ぎ――」
そこで不和の言葉は途切れた。
夭歌が突き出した注射器を、歯で受け止めたためだ。
「それ以上古賀ちゃんを侮辱するな! 古賀ちゃんは俺の親友だ! こんな計画なんかより、俺のポリシーよりも大切な、掛け替えのない存在なんだ!」
涙を流して怒りを露にする夭歌に、不和は笑みを浮かべながらバギリと注射器を噛み潰す。ガラス片と血が口から零れるのも構わず、不和は右手を挙げた。
思わず目を瞑る夭歌だったが、予想とは裏腹に、やって来たのは頭を撫でられる感触。
くしゃくしゃと不器用に、力強く、けれど、とても優しく。
「……ああ、((それでいいんだ|・・・・・・・))。それがお前にとっての正解だ。お前は不幸になんかならねぇ。どうしようもなく厳しくて、どうしようもなく優しいらしいこの((理解者|ぼく))が、お前を絶対に――本当の不幸になんて絶対にさせねぇ」
借りるぞ、と夭歌の顔面の包帯を留めていた短剣を引き抜く。
泣き腫らしたくじらの素顔を見ることもなく、振り返り様にもう一度だけ頭を撫でる。『百済……くん?』と小さな、針の落ちた音のように小さな呟きが聞こえた気がしたが、気のせいだと思うことにした。
覚えているはずがない。思い出せるはずがない。
そう自分に言い聞かせて。
不和は握った短剣を都城の胸元へと向ける。
「真黒さーん、くじらちゃんと一緒にいたみちゃんの治療を頼みます」
「っ! ああ分かってるとも!」
古賀の下に駆け寄る真黒と入れ違いに、起き上がっためだかが隣に立つ。
不和とは違い、怪我らしい怪我は見受けられなかった。
「……お兄ちゃん、怒っているのか?」
「すっごく、な。お前だってそうだろ?」
「勿論、口に出すまでもない」
そんな二人の背後で古賀の治療を開始した真黒に阿久根が提案する。
「真黒さん! 古賀さんの容体も心配ですけど、いくら二人掛かりでも今の都城先輩に勝てるとは到底思えません! ((あなたの解析|アナリシス))で適切なアドバイスを!」
「やれやれ、阿久根くんも結構的外れだねえ」
真黒は窘めるように言う。その口調には微塵の心配も不安も含まれてはおらず、全てが無事解決してしまったかのような安堵さえ感じられた。
「今のあの((化物達|ふたり))に言えることなんて、僕には何もないよ。どころか、余計な口を挟むなんて考えただけでも恐ろしい」
化物と対峙した人間の末路はたったの一つ。
跡形もなく、血の一滴も――骨の一片も残さず、全てを呑み込まれるだけだ。
予備動作もなしに、不和は深い前傾姿勢で都城へと迫った。折れた左腕はだらりと垂れ下がって床を滑り、短剣を握る右腕は身体の陰に隠すような位置にある。
真正面からの、無謀な特攻。
この場にいる誰もがそう思った。
「ふん……、『平伏せ』」
一言で終わる。
都城王土はそう判断した。
本来の力を出した『言葉の重み』に耐えられる人間など、それこそ同じ電磁波(アブノーマル)を取り込んだめだかくらいのものだからだ。
潰れた蛙のように地に押し付けられて。
それで終わりだ――と、
油断した。
都城から放出された電磁波は、確かに不和へと届いた。いや、届く寸前だった。
バチバチバチと不和を囲むようにスパークが発生するが。
((それだけだった|・・・・・・・))。
不和は地に伏すことも、止まることもなく、素早く一直線に都城の眼前へと至り――
「何だとっ!?」
驚愕に染まる都城の鼻っ柱を、短剣で切りつけるのではなく――思いっきり、本気でブン殴った。
あまりに予想外だった出来事とダメージに、都城は数歩よろめいた後、思わず尻餅を突く。
「夭歌ちゃんを――くじらちゃんを泣かせたら本気でブン殴る……だったよなぁ、いたみちゃん」
かはぁっ、と息を吐き。
ぞろりと生えた牙を覗かせて、瞳を爛々と輝かせながら。
((安心院不和|バケモノ))は、((都城王土|ニンゲン))に告げる。
「さあ立てよ((人間|ヒューマン))! 立って怯えて恐れて狂え! そんなお前を頭からバリボリとよく噛んで、爆発したみてぇにバラッバラに食い散らかしてやるからよお!!」
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