垂水百済はマイナスである ――172回目の【僕】――  EXTRA―4 安心院不和は戦わない
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 ふざけている訳ではない。

 

 本気で遊んでいるだけだ。

 

 ――2回目の[俺]――

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「……さっき、不和先輩が都城先輩と戦っているのを見てて思ったんだけど」

 

 フラスコ計画に関するデータの消去作業を手伝いながら、喜界島もがながぽつりと呟いた。その言葉に、皆が作業の手を止めて視線を彼女に向ける。

 喜界島はぼんやりと天井を見つめながら、

 

「あの人の戦い方って、黒神さんとは別の意味で無茶苦茶だよね。黒神さんが戦っているのを見てるとカッコイイって素直に思えるんだけど、不和先輩は((とっても怖かった|・・・・・・・・))。あんなにボロボロになるまで戦ってさ、名瀬先輩の為とか、黒神さんに学習させて勝たせる為っていうより……うまく言えないんだけど、戦いを楽しんでいる? ……ううん違う、戦って死にたがってるって言うか、私には((殺せるなら|・・・・・))((殺してくれ|・・・・・))って願っている顔に見えたの」

 

 誰も、何も言わない。

 否定も、肯定もない。

 気まずい沈黙に、喜界島は自分で否定するように首を振った。

 

「あ、あはは。ごめん、ヘンなコト言っちゃって。私の考えが間違ってる。不和先輩が死にたがってるとか、そんな訳ないよね」

 

 でも、と喜界島は心の中で付け加える。

 安心院不和はあの戦いの最中、一時も笑みを絶やすことはなかった。喜んでいるような、憂いているような、蔑んでいるような――人間が抱く感情の全てをしっちゃかめっちゃかに掻き混ぜて煮詰めたような笑み。

 だからこそ、喜界島は恐怖と同時に、怒りと悲しみを抱いた。

 計り知れないほどの深い闇をその身に秘めた先輩を、助けるどころか見守ることすらままならない自分に対して。そして、救いを求めようともせずに自分一人で背負いこんでいる不和に対して。

 皆も腕組みをしたり眉を顰めたりして、喜界島と同じように不和の事を考えているらしい。

 

「……俺と喜界島はその場にいなかったからよくわからねーけど、めだかちゃん達は((地下四階|うえ))で不和さんと((戦|や))り合ったんだろ? その時はどうだったんだ?」

 

「確かに、あの人は嗤っていたよ。それはもう楽しそうにな」

 

 だが、とめだかは言う。

 

「私には、何を考えているのか分からなかった。あの時の私に、知る((暇|いとま))などなかったよ。だからと言って、今なら全て理解できるという訳でもないのだがな。……私が、お兄ちゃんの戦う姿を見たのはたったの三回きり。一つは風紀委員長・雲仙二年生との一戦。本人達曰く、ただのくだらない((小競り合い|・・・・・))だったそうだ。一つは先ほどの都城三年生との一戦。これは貴様達も目の当たりにしたのだから語るまでもないだろう。そして最後の一つは善吉も言った私との一戦。これは――((思い出したくもない|・・・・・・・・・))というのが本音だ。生まれて初めて、人間が怖いと思ったよ」

 

「何が、あったんだ?」

 

「……『不戦主義者』」

 

 善吉の問いには答えずに、めだかはとある通称を口にした。

 

「誰が最初に言い始めたのか、自称か他称かそれすらも分からない。いつの間にか、あの人は周りからそう呼ばれていた。どのような状況でも((不戦|たたかわず))を貫く姿勢からつけられた異名なのだと、私は勘違いしていた。だが、本質はむしろ真逆。『戦いたくない』のではなく、並大抵の相手では『戦う価値すらない』と、あの人はそう考えているのだ。だから、戦わない。だからこそ、数少ない『敵』に対してああも恐ろしい笑顔を向けるのだろう」

 

 あの時、私に見せたように。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 下から上へと。

 床を舐め、掬い上げるような点滴台の一撃を、めだかは敢えて両の足裏で受け止め、その勢いを利用して後方へ跳躍――不和から距離を取った。距離を取らざるを得なかった。

 片や素手。

 片や二メートル近い長物。

 ((攻撃範囲|リーチ))があまりにも違いすぎる。

 ありとあらゆる武道の指南を受けているめだかは、当然長柄武器の弱所も熟知している。だが、知っているからと言って、弱点を突けるかどうかは全くの別問題だ。しかも、その知識はあくまでスポーツに分類される現代武道にとっての定石であり、ルール無用の実戦には当て嵌まらないものも多い。

 不和の懐に入ろうと間合いに踏み込めば、大上段の振り下ろしから横薙ぎに派生する攻撃を繰り出され、身を退けば広大な((攻撃範囲|リーチ))を保持したまま追撃を加えてくる。

 さっきからずっと、このパターンの繰り返しだった。

 互いに全力を封じられている。

 めだかは直前に自分で投薬したノーマライズ・リキッドによって『((普通|ノーマル))』となり。

 不和は拘束されていた時に新たに注入された――おそらく麻酔薬の類によって足元がふらついている。

 

(とにかく、やり辛い!!)

 

 苦戦を強いられる、というのはめだかにとって初めての経験だった。

 いっそのこと、ダメージ覚悟で攻撃を受け止めて近接戦闘に持ち込もうかとも考えたが、少しでも受ける素振りを見せると不和は独楽のように回転して体勢を変え、予期せぬ――真逆の方向から連撃が襲ってくる。

 得物が長大であるということは重いということだ。

 点滴台を振り回す速度、遠心力、てこの原理。身体能力的には決してめだかに勝っているとは言えない不和だったが、まるでパズルのように要素を組み合わせてとんでもない破壊力を生み出している。

 薙刀や長巻じゃないだけマシ――という考えは最初の一撃をもらったときに捨てていた。斬撃が打撃に変わっただけの事であり、この状況では大した違いではなかった。

 さらに厄介なことに、この手の武器は明確な攻撃部位が存在しないのだ。刀剣類ならば刃の部分だけ注意していれば攻撃を凌ぐことが出来るだろう。しかし、薙刀・槍・長巻などの場合はその限りではない。

 長柄の武器が他の武器と最も異なる特徴として、得物全体が攻撃部位であることが挙げられる。

 武の心得がない者でも、がむしゃらに振り回せばそれなりの威力が出る。極端に言ってしまえば――どこかに当たればいい。

 突けば点となり、払えば線となり、回せば面となって敵を襲う。応用が段違いなのだ。

 

(ああやり辛い、やり辛い――が!)

 

 めだかは、楽しんでいた。勝つために思考を巡らせることを楽しんでいた。容易に攻め込むことが出来ないこの状況を、心底楽しんでいた。

 フラスコ計画を潰すことも、不和が自分の姉の味方をしていることも、既にどうでもよくなっていた。

 不謹慎だと重々承知している。

 けれど今、この時だけは――

 

(頼むから、誰も邪魔をしないでくれ。私とお兄ちゃんの邪魔をしないでくれ!!)

 

 命懸けの遊び。

 踊るように、手を取り合うように、幼子が兄にせがむように。

 

「――さあお兄ちゃん、もっと、もっとだ! もっともっと私と遊んでください!!」

 

 堪え切れず、めだかは歓喜に満ちた声を上げる。明らかに、普段の彼女ではなかった。

 言うなればそれは――狂気。

 何が彼女をそこまで昂ぶらせるのか。考えるまでもない。

 めだかの眼前に立つ、白衣と包帯で身を包んだ男。

 三日月型に歪んだ口からは吸血鬼の如き牙が覗き、痩せ身の細腕からは想像もつかないほどの膂力をもって自分を圧倒する。

 強敵と戦う。ただそれだけの理由。ただそれだけだが――だからこそこんなにも楽しい。

 溜まりに溜まり、抑えに抑えていた戦闘本能が『異常』という枷から解放されて一気に溢れ出し、無邪気ゆえの残酷さを伴ってめだかを突き動かしている。

 無論。

 

「……やぁれやれ、お前の遊び相手はホンットに楽じゃねぇ――なあっ!!」

 

 それは不和にも言えることだ。

 瓦礫で切ってしまった両足は真っ赤に染まっていたが、その踏み込みに躊躇いは微塵もない。どころか、血を潤滑油代わりに使って床を滑り、蛇のようにめだかへと迫る。

 不和は点滴台を真上に振りかぶり、右腕一本で振り下ろした。

 両者の距離はおおよそ三メートル半。

 点滴台に腕の長さを足してもギリギリ届かない距離であるため行動の意図が読めず、めだかは不和の目論みを看破することが出来なかった。

 迎撃のタイミングを合わせるために不和の一挙手一投足を見逃すまいと注視していためだかの目が、頭上から襲い掛かる影を捉えた。それは言うまでもなく点滴台の先端――台座部分であり、予想外の出来事に反応が一瞬遅れる。

 凶器が頭蓋を打ち砕かんとする刹那の感覚の中、めだかは届かないはずの攻撃が届いた原因を理解した。

 点滴台の多くは、使用する患者の身長に合わせて長さを調節できる機能が備わっている。普段は螺子で締め付けて固定しているのだが、不和は振り下ろす直前に螺子を緩めていた。結果、点滴台の支柱は遠心力によって限界まで勢いよく引き伸ばされ、リーチを稼ぐことに繋がったのだ。

 素手での防御は不可能と咄嗟に判断しためだかは、瓦礫の中から目に付いた――おそらくは簡易ベッドの部品に使われていたと思しき鉄パイプを引き抜き、頭上に渡すように掲げた。

 鳴り響く金属音。

 速く、そして重い一撃だった。瞬間的に身を屈めて衝撃を吸収したが、受けた両腕はピリピリと痺れているし、額を少し掠ったらしく血も流れている。

 鍔迫り合いのまま力任せに押してくるものとばかり思っていたが、意外にもあっさりと不和は後退して距離を取った。点滴台を使いやすい長さまで戻し、頭上に放ってくるくると弄ぶ。

 

「まあ、お前なら防ぐよなぁ当然」

 

 二度、三度と点滴台が天井めがけて打ち上げられる。緩やかだった回転は瞬く間に加速を得て、もはや巨大な円盤にしか見えない。一歩間違えば自分の頭を砕きかねない危険な曲芸だというのに、不和は頭上には目もくれずに右手だけで完璧に点滴台を操っていた。

 ふぅ――と。

 めだかは息を吐くと、鉄パイプの後端を両手で握りしめ、正眼に構えた。腰を軽く落とし、踏み込む力をより大きなものにするために左足を半歩引く。鉄パイプの先端は寸分の狂いなく不和の眉間に狙いを定めている。

 それを見た不和はわずかに目を細めて、

 

「……ああ、そーだったそーだった、善吉から聞いたことがあったっけな。剣道――確か、分身の術とか使えるんだっけか?」

 

「そこまで大仰なものではないし、そもそも((普通|いま))の私に出来るかどうかも怪しいところですが。空手・柔道・合気道・日本拳法・ジークンドー・骨法・ムエタイ――私はありとあらゆる格闘技の指南を受けております。それらに比べたら少々かじった程度のにわか仕込みではありますが、素手で貴方の相手をするよりは武器があった方がそれなりに心強い」

 

 次の瞬間――

 めだかは不和に向かって飛び込んだ。

 点滴台が宙を舞い、不和が無防備になる一瞬の隙。

 

「おおっと?」

 

 妙に気の抜けた驚愕の声が不和の口から洩れる。

 右脇腹から左肩に抜ける軌道で逆袈裟斬りを見舞う。攻撃自体は不和が寸前に身を退いたことで躱されてしまったが、めだかの目的は不和を武器から遠ざけることにあり、目的は達したと言えた。

 反撃する機会を与えないよう、不和に肉薄して上下左右から追撃を加える。

 先ほどとは立場が逆になっていた。

 迫る連続攻撃を不和は腕を盾代わりにして受けて、捌いて、次々にいなしていく。袖にも何か仕込んでいるらしく、鉄パイプが当たるたびに鈍い金属音が響く。

 普通だと言いつつも常人離れした身体能力を発揮するめだか。そのめだかの動きに、防戦一方ではあるが傷一つつけられることなく食い下がる不和。

 端で見ているくじらや古賀、阿久根や真黒からすれば十分に驚くべきことだ。だが、何よりも驚くべきは、この攻防が、まばたきよりも短い一瞬のうちに繰り広げられたことだ。

 眼で追うのがやっとの、速度を超えた速度の領域。

 

「足りませんか。届きませんか。ならば手数を倍に!!」

 

 めだかは鉄パイプから左手を離す。大きく開いた胸元に手を突っ込んで取り出したのは愛用の扇子だった。武器と呼ぶにはあまりにもかけ離れた代物だが、それを容赦なく不和の鼻先へ突き出す。

 右の鉄パイプで打ち払い、左の扇子で急所を突く。

 大小変則二刀流。

 不和もめだかも、身体を蝕む薬の効力が切れようとしていた。ゆえに、二人とも、本来の速度を取り戻しかけている。

 刹那、二人の腕がいくつにも分裂し、((ブレ|・・))た――ように見えた。

 もう、眼で追うことすらできない。

 

「かははははははははっ!!」

 

「あははははははははっ!!」

 

 ギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャ――!! と。

 金属音と言うよりは、悲鳴にも似た摩擦音が部屋中に木霊する。

 手刀と二刀流の応酬。

 

「……何なんだ、これは」

 

 阿久根の小さな呟きは、摩擦音に掻き消される。

 常人には――否、((異常者|アブノーマル))ですら理解できない((戦闘|あそび))だった。

 変化があったのはその直後だ。

 不和が、右手を大きく引いたのだ。よくよく見れば、袖口からキラキラと、どうにか視認出来るほどの極細の糸が伸びている。その先は、未だに天井近くでギュルギュルと回転している点滴台に結び付けられていて――

 

 右手を引く動作に従い、殺人的な回転を保ったまま、点滴台はめだか目掛けて((断頭台|ギロチン))の如く飛来した。背後には全くの無警戒だった、めだかの後頭部目掛けて。

 

「めだかさん!!」

 

 阿久根の声が届いたのか、それとも直感で察知したのか、兎にも角にもめだかは背後からの一撃をどうにかこうにか――((つい|・・))、((反射的に|・・・・))防いだ。防いでしまった。

 敵に背中を向けるという、とてつもない失策を犯して。

 

「え……ぁ?」

 

 プスリ、と音こそしなかったものの。

 背中から全身に、とてつもない激痛が走る。けれど、知らない痛みではない。つい先ほど、ほんの数分前に、自分で進んで受けた痛み。

 

 これは――この痛みは、ノーマライズ・リキッドの副作用!

 

 ゆっくりと己の背中を見やる。

 空になった注射器が、二本突き刺さっていた。

 

「……くじらちゃんが持ってたから使わせてもらったんだが、お前の顔を見る限り、少なくとも身体に良いものじゃあねぇみてぇだな」

 

 不和の声も、壁を挟んで聞いているかのようにぼやけてしまう。

 身体が鉛のように重くなり、四肢に力が入らない。

 

「見損なった、とでも言いたそうな顔だな。けどそりゃあお門違いって奴だ。お前の本来の目的がフラスコ計画を潰すことであるように、今の僕の目的はお前を無力化してくじらちゃんに協力することだ。そのためならどんな手でも使うし、誰とだって戦う((振り|・・))をするさ。まあ結局、戦いには騙しが必要不可欠で、騙される方が悪い。だから――」

 

 ――だから、僕は悪くない。

 

「…………おっと、これは((アイツ|・・・))の口癖だったな」

 

 めだかは声を上げることなく、床に崩れ落ちた。

 

 時計塔地下。

 フラスコ計画研究施設地下四階――現統括者・名瀬夭歌の工房における戦闘。

 

 

 勝者:安心院不和  反則勝ち

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「――とまあ、お兄ちゃんとの嬉しい楽しい初((体験|バトル))はこんな感じだ。その後のことは眠っていたからわからんが、阿久根書記や兄貴から聞いた話でほぼ間違いないだろう」

 

 最初の重苦しい語り口は何処へやら。

 あっけらかんと、まるで見てきた映画の感想でも述べるような口調でめだかは締め括った。

 

「いや、うん、とりあえず一番よく分かったのは不和さんに関わるとめだかちゃんのキャラ崩壊が加速度的に進むってことぐらいだな。つーかどこの((戦闘狂|バトルマニア))だよ」

 

 そう言う善吉の顔は引き攣っていた。

 

「……それよりも、僕は気になることがある」

 

 緊張の糸が切れて柔らかな空気が流れる中、一人渋面を浮かべていた真黒が口を開く。

 

「あの時、不和くんが最後に言った台詞――ですね?」

 

 阿久根の言葉に真黒は頷く。

 

 ――だから、僕は悪くない。

 ――おっと、これは((アイツ|・・・))の口癖だったな。

 

「まるで、((あの人|・・・))を知っているような口ぶりでしたね」

 

「うん。けどその可能性は限りなく低いはずだ。不和くんが箱舟中学に((転校|・・))してきたのは『彼』が学校を去ってからだし、『彼』の側にいる同類の人間なら僕達がああも普通に接することなんて、ましてやめだかちゃんが懐いたりしないさ」

 

「どちらにしても、今は考えても仕方がない。折を見て、本人に聞けばよいだけのことだからな」

 

 そう言って、めだかは作業に戻った。他の面々も再び手を動かし始める。

 有り得ない、と否定するのは簡単なはずだ。けれど、めだかも善吉も阿久根も真黒も、はっきり否定しようとはしなかった。

 もしかしたら。万が一。

 一抹の不安が、皆の心にへばりついていた。

 

 そして。

 

 その不安は、最悪な形で現実となる。

説明
番外編 その4
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