イレギュラー・ロキ |
「────── サクラ」
ここに訪れたのは何度目だろうか。昔、バイトで東西を奔走していた頃、いつも通り道にコイツを見かけて、何かを祈るように太い幹に手を添えていた。
枯れない桜。何時までも輝き続けていた桜。満天の桃色。世界中遍く総てを抱き締めて包んでいた 優しい愛の象徴。
包まれていると感じたのは何時からか。もう記憶に定かではないが、彼女が俺を抱き締めて、ずっと側にいてくれた事は、きっと地獄に堕ちても永劫、忘れる事はない。
「────── サクラ」
もう一度、縋るように呟いた。そこにあると信じて。この手を握っていてくれていると信じて疑わず。俺はその名を何度も繰り返して呟いた。
彼女は化身だった。とても信じられる話ではないだろうが、事実、彼女は俺を包み込んでくれていたこの大木の化身となって、俺の命を何度も救ってくれた。
──── 今でも思い出せる。へっぽこ兵器のくせに、人間味が溢れすぎていた温かな彼女の笑顔を。 いつも笑いかけてくれる、あの無邪気な笑顔を。
──── ずっと忘れない。誓ったんだ。俺は世界全てを捨てたとしても、きっと君を守り抜くと。笑顔を必ず咲かせて見せると。
絶対に勝つと決断した。『最終戦争(ラグナロク)』を始めたクソ野郎を殴るまで負けないと約束した。
だけどもう、枯れない桜は、死んだように枯れ果ててしまっていたんだ。
「サクラァァ────────────────────────────ッッ!」
────── 彼女は、もう、この世にいない。
俺が負けたから。俺があの野郎に負けたから、彼女は死んだ。あの野郎との戦闘で、俺は正真正銘敗北した。
────── 灼熱の豪炎が網膜を焼いて刺し殺す。
枯渇した咽喉の粘膜。乾燥した唇が割れて血が流れ出す。
それに気が付かない。意識は血が流れている事を知っているのに、その新出した血を無視して、俺は虚ろな脚を機械染みた動きで叫ぶ事を繰り返す。
それで、俺は自分自身が既に死んでいるのだと、透明の如く聡明に悟った。
辿り着く最果てを失い、終に俺は真実透明になった。
炎河の世界に唯一人、無謬の灼熱で脳裏を焼き滅ぼす。紅蓮の海が少年を抱き締めた(呑み込んだ)。
業炎によって舗装され、絶叫に泣く世界は修羅を越えて死世界と言う他はない。
何も見えなかった。覚束ない足取りで、呆然とした足取りで俺は歩いた。
力も亡くなった腕を動かし、誰にも認識できない世界へ歩む。
何か咄嗟に口が動いた。それが何なのかを腐り果てた思考回路で解しようとした瞬間、
前兆もなく、俺の身体に炎河の奔流が襲いかかった。
音は無かった。ただ必然に思えたから。
不必要な幻想を抱こうとした俺が愚劣だったという事に改めて絶望した。
そして結末。この円環の疾走を繰り返す業炎はやがて世界中を滅ぼすのだろうと、轍を描くような 真紅の無限を見ながら脳裏に書き込んだ。
でもあの野郎は、それでも俺を生かして。
サクラを殺し、手に入れたその魔力を使い、『究極魔法』へと昇華させたクソ親父は、俺の母さんでもある桜を蘇生させて、その後に『戦略破壊兵器(マホウ)』の消えた新世界を創造した。
つまり、言うまでもなく、同じ『戦略破壊兵器(マホウ)』であるサクラは──────
────── 静かに移りゆく時の中、光を浴びる君を見た。
今では斬り裂かれて薄れて遠くなった、記憶という名の理想郷に宿る君の魂。
想い出を抱き締めながら死ねるのなら、それで僕は幸福で終われたのに、
最期に映る、記憶の窓辺に寄り添った姿が君の涙では、どうしても報われない。
君と過ごした黄金はこの記憶の中にある。
君と過ごした証拠はこの恋慕の裡に宿る。
先程まで受け入れていた死が、途端に恐怖へと変貌した。
君の涙声さえ、僕は呑み込んでも認めない。
失われる事が逆らえぬ罪だとしても、それを下すのはこんな影なんかじゃない。
いくら願っても堕ちて逝く時間と命の鼓動。
見えない。聞こえない。もう何も感じる事が出来ない事が何より悲しい。
失いたくないという願いは、今幻想へと成り果てる。
桜光の渇望を何一つ叶えてやれない。
共に勝利へと願った美麗なる涅槃寂静は、ただの有象無象へと腐り果てた。
崩れ去る天。冴え冴えと照らし出す硝子の月に、淡い幻想を投影する。
ああ、ああ──── サクラ。その美麗よ、どうか永劫であってくれ。
そんな誓いの様な願い事も、この身体が日の光を浴びる事が出来ないように堕天される。
────── だから、時が廻ればいいと思った。
自分が望む瞬間を、望むだけの永遠に味わいたかったから。
たとえそれが罪だとしても、愛した刹那を描きたかったから。
辿り着く最果てが死んでいるのなら、凍結したあの瞬間へと戻るために──────……
──── 残っていたのは、彼女が身に着けていた赤いマフラーだけ。
☆☆☆
──── あの悲劇から、五年。
あの野郎はとっくに姿を消していた。言葉を残すことなく、何も告げることなく去った。
情けだろう。また理不尽に何かでもしていたのだろう。
言葉は残さなかったが、その代わりに形があるモノを残していきやがった。
それは────── 当時の俺の戦闘能力。
最後。あの野郎に挑んだ時の魔力がそのまま、全て俺の身体の中に残っていた。
笑えない置き土産(プレゼント)だった。無様だった自分に、永遠に戒めとして刻んでおけとでも言いたかったのか。……そんなことは判らないって知っていた。
ただ、悔しくて仕方がなかった。
五年前、あの野郎に負けたあの日。サクラという最愛の人物を喪ったあの日。
決断した。全てを失くしてやると。
全てを蔑にしてまで、俺はあの悲劇を無かった事にしてやると。
それがどれほど罪深いものか、言われずとも判っている。
俺の『復元する世界(ダ・カーポ)』は、ある条件があった。
二十四時間という時間制限。だけど俺が気になっていたのは、時間制限とは別の制限。
死者の復元だ。
つまりそう言うこと。俺の能力は『戻す』だが、一度失ってしまった大切な宝石を、またご都合主義に取り戻すことは不可能だ。
それを捻じ曲げたのが──── あの野郎が至った『究極魔法』だけだろう。
──── だったら、あの野郎が残した魔力を使って、その領域に昇ればいい。
……自分がどれほど愚かなのかも判っている。
一度失って、それでまた取り戻せるなんて、そしたら何の為に悲しみは存在する? 何の為に涙は流れるのか? 何の為に、人は『大切』というものを創るのか?
失えば、二度と取り戻せないと判っているからだ。
なのに、また取り戻せるようなそんなふざけた愚劣。
祈れば叶うようなご都合主義──────そんなもの、あるだけで気が狂いそう。
俺の『復元する世界(ダ・カーポ)』は、いや、俺自身が、きっとその事を判っていたんだ。
だけど俺は、今からそのご都合主義を叶えようとしている。
時を戻す。俺が失ったあの時空へ、この結末を捻じ曲げる為に、俺はこの世界を否定する。例えそれでこの身が弾けようと、後悔だけはしたくないから。
前を向いて歩いていな姿を見たら、彼女は何と言うだろうか……
零した宝石を拾い直す俺の姿を見たら、彼女はどう思うのか……
そんな煩悶をかなぐり捨てる。もう決断した事だ。いくらどう言われたって、いくらどう思われたって、もう俺には関係ない。
「──────── 」
一つ、呼吸を置く。緊張している。汗が滲む。心臓が喧しい。
今、この世界の中心に存在しているのは俺、唯一人。
上手くいくのか? 時間を超越して、理を歪めるなんて、そんな神に背くような行為をして、俺は 無事でいられるのだろうか。
きっと、この光明の向こう側には禁忌の闇があるのかもしれない。
きっと、この決断の夢の終末は総て滅ぶ死があるのかもしれない。
「──────── 」
くどい。何を迷っている。俺は決断した。迷わないと決めた。後悔したくないんだ。
だから俺はここにいる。彼女(マフラー)を握り締めここにいる。全てを捨てる為にここにいる。
あの時果たせなかった誓いを今ここに。血涙に濡れた俺の悲劇を拭う為。
────魔力が走る。聡明に走る。俺の肉体の裡を喰い破るように暴走する。
百億、膨張し。百億、凝縮する。宛ら呼吸のように。いつまでも繰り返して終わらない。
「────── 魔力(ゲート)、開放(オープン)────── 」
加速した。俺の底を渦巻くように削り取る。
視界が痺れる。電流が走って視界が奪われる。
血液が逆流するような錯覚。毒壺に投じられたこの身は、対価を求めて歯を食い縛る。
右腕を天に翳す。俺の流出した魔力で蒼碧に彩られた天を貫通する。
涙を鋼に変える。己の罪に汚れたその穢れは透明から掛け離れていたが関係ない。
拳を握る。足で大地を踏み締める。濡らした草原を掴んで土ごと引き千切る。
膝が奈落から抜け出した。顔が棺桶を突破した。魂が天上まで燃え上がり────
──── 俺の脳裏をよぎるは、美しく輝いていた楽しい時間。
それは人生の長さに、世界が滅ぶまでの時間に比べたらあまりにも刹那。
だけど、永遠を旅して歩むこの世界の中で、あの日々より輝いていた黄金色を俺は知らない。胸を張って言える。俺はあの日常が大好きだった。
彼女と共に過ごしたあの黄金色を、心から愛していた。
だから──── 俺には見える。
サクラと共に歩む、いや、大切な日々をくれた仲間と歩む未来が。
俺は、知らず知らずの内に呟いた。
────── それはほんの些細な事なのかもしれない。
だけど、きっとものすごく楽しいと思うよ──────
───────────────── 愛と共に駆け抜けた世界の時間は、永劫記憶へと刻む。
それは、色褪せて古ぼけた一瞬でも願う世界の御伽話。
愛の成就を祈るその様は、神座へと跪き祈る使徒の様。
その瞬間だけは、決して、幻想などではないと信じて。
紡いできた黄金色こそ、世界にも負けない刹那だから。
きっと取り戻せる。俺が全てを捻じ曲げて叶えるから。
それだけを願い、始まりを告げるために手を伸ばそう。
その先にはきっと、眩しいくらいの光が降り注ぐから────────────────
「──────────『万象を復元する超越の世界(ダ・カーポ・アンリミテッド・フルアクセス)』──────────ッッッ!」
☆☆☆
「おまえは────── 誰だ?」
……困惑するのは当然か。同じ顔、瓜二つの存在が今目の前に佇んでいるのだから。
戸惑いの表情を見せる、失う前の俺──── 零二を無視して、俺は頭の中で考えていた。
俺には判っていた。あの術の代償として、『復元する世界(ダ・カーポ)』を喪失したのだと。
ハッ、上等だ。俺にはこの右拳だけあれば十分すぎる。
しかし、迂闊だったな。名を名乗ろうとしても、本名を出すわけにはいかない。
「誰だって聞いてんだよ。答えろッッ!」
やれやれ、昔の俺はこんなにも血の気が多かったのか? 否定できねぇけど。
ま、これ以上自己紹介で時間を費やすわけにもいかないな。同時系列に同一人物が存在している事は不可能だから──── イレギュラーである俺が、時間を追って弾かれるから。
……ん? イレギュラー?
ああ、なら最高の偽名が浮かんだ。そうだそうだ。俺は昔、何処の誰かは忘れたけど、確かああやって呼ばれた事があったなそう言えば。
「俺の名は────────」
そうだ、零二。俺こそが、おまえの歩む運命を捻じ曲げられる存在だ。
そして、観てやがれあの野郎────── テメェが描いたこの悲劇の舞台は、俺が全部、滅茶苦茶にしてやるからよ──────
「俺の名は、ロキ────── 総ての世界を導く者の名だ」
説明 | ||
ネタバレは……多分大丈夫かな? 怖かったら見ない方がいいかと。 あ、ロキに関しては完全に私の妄想なので勘弁して下さい。 |
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