SPSS第5話〜ETERNAL SMILE~微笑みは永久の輝きの中〜 |
黒い空、黒い街。散り散りとなった彼女らはそれぞれの敵と正対し、その力の万全をもって敵と戈を交える。守るものは、手にするものは。心の底にあるものは。
今、激闘の幕が上がる。
「はああああっ!」
「……フン」
ハッピーの渾身の一撃は、躱そうともしないスロウスの左腕一本の前にすらダメージを通しているとは言い難かった。顔の正面でハッピーの拳を受け止めたスロウスは、小さく嘲笑を漏らすと大樹のような右腕を軽く振るってハッピーの体を吹き飛ばす。
「くっ!」
強烈な一撃はハッピーを遠く後方に弾き飛ばし、けれどハッピーは表情を歪めつつも体制を整えると、電信柱を垂直に蹴ってスロウスに再接近する。
「まだまだあああああ!」
「……やれやれ」
大木のような豪腕に拳を止められても、ハッピーはそれを蹴り上げて宙返り、今度は地表を蹴って肉薄すると両の腕でインファイト。
だが、そのうちの一撃さえもスロウスを揺るがすには至らず、退屈そうに欠伸を噛み殺しながら彼が振り払うとハッピーの体は再び飛んで今度は地表に落下した。
「う……っ、まだ、まだ……」
圧倒的な力量の差がそこにはあった。にも関わらず、ハッピーは果敢にも立ち上がる。ぐっと腰を落としたその瞳に映ったスロウスはといえば、気だるげな目を細めて脇に逸らし、額に手を当てて首を振っていた。
「諦めねぇな、お前」
「当たり前!」
「……そうか」
地面を蹴ったハッピーの初撃をさきほどよりもわずかに速い動きでいなし、腕で薙ぎ返すとハッピーはちょうど丁字路を左折するように真横に転がった。
「……これでもか?」
十メートルはあろうかという距離を経ても、その訥々とした言葉は不思議とよく聞こえてくる。肝が冷えるような低い声に、ハッピーは一瞬だけたじろぐもすぐさま頭を横に振り、
「諦めない! だって、諦めたら大事なものを守れないから!」
「大事なもの……これがそんなに大事か」
スロウスの拳に今にも握りつぶされそうに置かれた赤と青の珠。彼によれば、それこそがハッピーの――星空みゆきの両親そのものだという。
「決まってる……! お父さんとお母さんは、私のたった二人の家族なんだよ?」
よどみなくハッピーは答えるが、スロウスはふっと嘲笑すると平坦な声で吐き捨てる。
「それは星空みゆきの話だろう……?」
「ど、どういうこと?」
「お前はキュアハッピー……、お前が星空みゆきであることを知る者は、誰もいない」
ふと、ハッピーの動きが止まる。痛みに抗っていた四肢も、光を失うことのなかったその瞳も。
そんな彼女の様子を一瞥し、スロウスはふーっと長い息を吐いて、
「なるほど、たしかに諦めなければオレから取り返せる可能性も…………、が、そうなったとしても間違いなくお前は死んでいるだろうな」
ゆっくりと間延びした声色には己の力を過信する響きもハッピーを侮る気色もなく、明確な考えを言葉に乗せることさえ厭うようなそこから、強いて探し挙げるとすれば戦いを避けようとするかすかな意思。
「……お前が命を捨てたところで二人を取り戻せるかは五分と五分、そこから元の人間に戻るかどうかはお前らの生き残りの誰かがデストロン様を倒すかどうか……まあ、これこそ絶望的だ」
外套のフードをかぶり直し、話は終わりと言わんばかりにスロウスはくるりと背を向ける。
「…………けど、みすみす見過ごすなんてできない」
「分かってねぇな、……っどくせぇ」
苛立ちを孕んだ嘆息、そしてスロウスは大股でハッピーに近づくと、その襟元を片手で掴んで宙に差し上げた。
「お前が死んで、二人だけ戻ったとして、その一人娘はどこにいる? キュアハッピー、なんて戦士は最期を見届けても、愛娘星空みゆきの死を看取ることもできねぇ」
「……っ!」
耳元で囁くスロウスの氷のような言葉は、静かに静かにハッピーの心をつんざいた。
「諦めろ。無駄に死ぬなんて、……最高に暇な野郎だけがするんだ」
自分と戦えばお前は死ぬ、その持論を強調するようにハッピーごと右腕を振りかぶると牙を打ち鳴らしながらまっすぐに投げ飛ばした。
「……諦めろ」
「でえええええええいっ!」
「あはははっ、その程度かい!」
サニーの裂帛の気合に高らかな哄笑で答えたラストは、胸元の大きく開いた扇情的な服装の深くスリットの入った長い裾をはなびかせてサニーの脇腹にパンチを一撃加えると、それを払うように繰り出された横薙ぎをひらりと躱して高く家屋の屋根に飛び移った。
「逃げんな!」
「追ってきたら?」
「くぅーっ! 待ちぃ!」
歯噛みしてサニーも跳び、勢いそのままに回し蹴り。対するラストは、左腕でそれを受け流しつつ右の掌底でサニーを押し返す。決してダメージが大きいというわけではないが、開戦以降常にこの調子では蓄積されたダメージも精神的なダメージも二次関数的に増大していく一方であった。
「焦っているのかしら? 少し無謀な攻撃ね」
「うるさい! さっさと、それ渡しぃ!」
そしてなにより、今度は隣の民家に着実に降り立ってから総身を躍動させての近接格闘に持ち込むサニーを焦らせている最大の要因こそが、ラストの胸元から覗いている小さな漆黒の箱。
「それって、これ?」
「おわっと?」
拳を振りかぶったサニーの顔の真横を通過して、ラストの手からその箱――さきほどラスト自身が大量の赤や青の珠を収納した四次元空間を内包する――が放たれた。不意を突かれたサニーの動きが鈍れば、ラストは裏拳で脇腹を叩き押しのけると、長い髪を伸ばして箱を巻き取った。
「……く、気持ち悪い髪の毛やな」
再び道路からラストを見上げる格好になったサニーは、右肩を押さえながら悪態をつく。
「あら、あなたの変な髪型よりも実用的よ?」
「うっさいねん! 髪は可愛ければええんや!」
サニーは吠えるも、ラストは口元に不敵な笑みをたたえたまま指先で例の箱をくるくると弄ぶのみで反応はない。その様子を見て、サニーもようやく口元を引き締めた。
「……ほんなら、ええで、その髪の毛燃やしたる」
「ふぅん?」
「その箱、渡してもらうで!」
炎をまとった拳を腰だめにしてそう叫ぶと、サニーはしっかりと大地を踏んだままそれを振り抜いた。炎は空を走って迫り、目を丸くしたラストの目の前で火球は爆発してその視界を覆う。
「てりゃああああああああっ!」
その炎を裂いて、炎が――炎をまとった拳がラストを襲う。格段に鋭さと重みを増したその猛ラッシュは、ほんの少しの刹那の後にはラストを遠くへ吹き飛ばしていた。
「……ったいわね。嫌だわ、短気な女の子って」
「短気やと?」
片手と両足だけで着地し、しばらく後方に滑ってから土を払いつつ妖艶な手つきで髪をすいてラストがぽつんと呟けば、追って通りに立ったサニーはぴくんと眉を跳ね上げて答える。
「自分の大事なもん取られて、怒らん人なんかおらへん! 返すか、倒されるか決め!」
サニーがびしっと指した人差し指の先で、しかしラストはにこやかな表情で首をほぼ真横に曲げながら立っていた。
「……あのね、大事なもん大事なもんって、ここにどれだけの人がいると思ってるの?」
「それがどうしたんや」
質問には答えず、しっとりした所作で箱を開き、軽く傾けて手の平にいくつか転がす。一つ、二つと口に出しながら数えるその仕草に、サニーはかっとしたように拳を握り、
「答えんかい!」
「これが答えよ」
「え――」
いきり立ったサニーの足下に生じた一点の死角を突き、地中からラストの髪の先がその腹部を直撃した。どさりと崩れ落ちたサニーにかつかつと足音を立てながら迫ったラストは、うずくまる彼女を無表情に見下ろしてから脇腹に蹴りを加え、吹き飛ばす。
「あんたね、そんなに大事なものがあるって、それって結局あんまり大事じゃないってこと」
「なん……やと?」
そう言いつつ――ラストは手の平の珠の一つに向けて尖った髪の先端を突き立てた。人一人分とは思えぬほどそれは容易く、もろく砕け散った。
「おい、なにしてん……ぐ」
脇腹に鈍痛を感じ、サニーの言葉は途中で途切れる。
「今、人が一人死んだわ。けど、あなたはその程度の怒りしかないの? 本当に大切なものなの?」
「そ、それは……」
流れるようなラストの言葉に思わずサニーは一瞬口ごもった。瞬間、ラストの唇が嗜虐に歪む。
「結局、あなたはかっこつけてみんな大事とか言ってるだけ、なのよ。薄っぺらいこと」
「えい! えい!」
「……ふ」
七色ヶ丘住宅地のほぼ中央に位置するマンション街内の公園では、ピースがスーツ姿のセブンクライシス・エンヴィーと戦っていた。ただ、
「きゃあああっ!」
「やれやれ、ですねぇ」
ぴっちりと服装を整えたままチロリと長い舌で唇を舐めたエンヴィーはいかにも余裕綽々といった様子であり、荒い息を抑えながら立ち上がったピースの表情は苦々しさが滲んでいる。
「まったく可愛らしいお嬢さんだこと。僕嫉妬しちゃいますよぉ」
「う、うるさい! 足引っかけて転ばせておいて!」
両拳を縦に振りながら涙目でピースは抗議するも、逆にそれはエンヴィーのサディズムに満ちた微笑を満足げにしていくのみであり、ピースは涙を払うときっと彼を見据えた。
「おや、どうしました?」
「どうもしてない、私は真剣なの……!」
ファイティングポーズのままじりっと一歩エンヴィーに近づけば、彼は不満そうに唇を尖らせると懐から赤い珠を取り出す。
「それはっ!」
「黄瀬ちはる。テレビ局の実力派ジャーナリストにして美貌を生かしたテレビ出演経験も多々。さらには若くして結婚し一人娘を設ける…………いやはや、幸せなお方だ」
「やめて!」
ピースの絶叫は空に響き、その拳は空を切る。いつの間にかピースの後方に回っていたエンヴィーは、くるりくるりと指の間でジャグリングしてみせた。
「羨ましいですねぇ、人生の成功者ってやつだ」
その言葉をかき消すような裏拳をやすやすと受け止め、逆に膝蹴りを見舞うと、
「あなたはいいですねぇ、こんな母親を持って」
「だったら……、返してよ……」
「あぁ?」
しゅるり、と舌を鳴らしたエンヴィーは、その金色の瞳の片方だけを大きく開いて足下のピースを見下ろすといつになく平坦に返答する。
「返してって、そりゃおかしくないか?」
「どう、して……っ?」
「どうしてってさぁ……」
目に涙をためながらエンヴィーを見上げたピースに呆れた調子で呟くと、彼はネクタイを緩めると同時に目を伏せ、
「決まってんだろ。……なんでも持ってるやつが持ってないやつに恵んでくれないとさぁ、不平等じゃねーかよぉ! ああ?」
雌伏していたヘビが得物を捕えるかのごとき俊敏さでその右足がピースの腹を蹴り上げた。ほぼぴったり四十五度の放物線を描いて前方に跳んだその身体に、さらに素早さを増したエンヴィーの拳が追い打ちをかける。広い児童公園の端から端まで、十数メートルはあろうかという距離を一瞬で通過して、ピースの体はイチョウの樹の太い幹に激突して静止した。
「く……」
あまりの激痛にピースが呻き声を上げれば、エンヴィーもふと無表情になるとネクタイをきゅっと締め直し、
「やれやれ、めんどくさいですねぇ。ガキンチョの相手は」
「ぬぐぅ!」
一方――ハッピーやサニー、ピースが苦戦しているのと時を同じくして、川原に戦闘の場を移したマーチは目の前の敵、ラースを圧倒していた。
特徴的なトリプルテールを自身が発する疾風に乗せて翻し、縦横無尽に一撃離脱を繰り返していくマーチの戦法は、総身にバネのような拘束具をまとっているラースを相手取っての相性は最高と思われたからだ。
「っはああああっ!」
懐に飛び込み、迎撃を回避しつつその脇腹に回し蹴りを打ち込めば、ラースの額には脂汗と青筋が浮かぶ。それでもなんとか蹴りを返すが、その時にはすでにマーチは一足長の先へ退避していた。
「くそがっ!」
「どっちが! さあ、さっさと人質を解放しなさい!」
怒りに任せてラースが吠えれば、マーチがさらなる怒りを爆発させてそう叫ぶ。が、その態度が防戦一方だったラースをますます挑発し、ついに、
「く、っそが! ホントに! くそがっ! くそが!」
そう連呼しながら、綿雲のように真白い髪をかきむしりつつ、ラースは拳を地面に打ちつけ始めた。一撃が振り下ろされるたびに大地は揺れ、水面に波紋が広がり、マーチはなにか並々ならぬものを感じて動きを止めた。
次第に、その行動が意味を持っていることが明らかになっていく。
彼がシャウトを重ねるたびに、肩や腰で拘束具を留めていた金具が緩んでいったのだ。発せられる怒りと比例するかのように枷は体から外れていき、やがてゴトリとその胸から収納用の黒い箱が転がり落ちる頃にはラースは体の動きを止め、肩で息をしながら静かに呼吸を整えていた。
「……なっ」
「く…………そが」
ゆっくりと立ち上がったラースは、そうとだけ呟くと、すさまじい眼力でマーチを睨めつける。
「ったく、エンヴィーのバカ野郎が俺に拘束具(こんなもん)つけなきゃよかったものの、なぁ?」
その額には鋭くねじれた角が生じており、太ましく見えた腕はすらりと締まった筋肉に包まれて、背中には髪と同じ白銀の翼が空を目指して広がっていた。
その姿は、おとぎ話に出てくる伝説の獣・ユニコーンを彷彿とさせる。
「伝説の戦士プリキュア。ふん、俺が本気を出すのは赤や紫と張り合ってた頃以来だな」
「……スターとミストの二人だって、今はあたしたちと戦ってるよ」
「勘違いすんじゃねぇ。俺が本気を出すのは別に負けそうなときじゃねぇさ」
すっかり臨戦態勢を解いてしまっていたマーチが首を傾げれば、ラースはぎりっと奥歯を噛み、
「俺が本気を出せるのは、本気でムカついた時だけってことだよ! キュア緑!」
一閃。そう表現するのが正しいのか。それとも、爆発、そう表現すればいいのだろうか。
すさまじい速度で、すさまじい重量の拳がマーチを土手にめり込ませた。
「う…………そ」
「なにしてんだよてめぇ! さっきまでなら躱せてただろうが!」
荒れ狂う感情に任せたままの第二撃がマーチを襲う。土手を完全にえぐり取って川べりの道路まで跳ね上げられたマーチに、今度は怒号を伴った第三の攻撃が真上から降り注いだ。
「――――」
「声も出ねぇ? アホくせぇ、もっと粘るかと思ったからこうしてやったってのに」
焦点の定まらない瞳を必死に向けるマーチを睥睨してそうこぼすと、ラースはちらと川岸に打ち捨てられた自身の拘束具に、そして人質であり目的である漆黒の箱に視線を向け、
「ムシャクシャが止まらねぇじゃねぇか! くそが! あんな箱ぶっ壊してやる!」
「…………」
「…………?」
七人全員が揃って変身してから数分が経っても、ビューティは屋根の上に見える敵グラトニーと睨みあったまま動きを見せていなかった。相手が戦闘の手練であることは肩書からも明白であるし、自分が下で相手は上という位置関係も不利であることを重々承知していたからだ。
そこで、幼子のようなグラトニーがしびれを切らすのを待ちに出たというのが現状だが、やはりビューティの推察通り先頭に手慣れているらしいグラトニーは気が散っているような素振りは見せても接近を許すほどの隙を見せることはなく、それがこうした膠着状態となって表れている。
「…………」
ただ、ビューティにはいつまでもこうしていられない理由があった。
「…………?」
首を傾げつつ左右に視線を転々とさせているグラトニーは必要のない口を利かないため、ビューティの脳裏にはじりじりと焦りが生まれてくる。家族が姿を変えた珠が、はたして家族に悪影響を及ぼすのかどうか。あるとすれば、その制限時間は?
「……こうしては、いられませんか」
なにより、敵の目的はその珠で、すでに敵はそれを手にしている。ならばいつ逃走を図られてもおかしくはないわけで。
ビューティは意を決したように軽く息を吐くと、拳大の氷の結晶をいくつか生成すると一斉に屋根の上のグラトニーへ直進させた。攻めねばならぬとはいえやはり手の内の知れない敵に突っ込むことは下策と判断したゆえの遠隔攻撃だったが、グラトニーはそうくることを洞察していたかのようにすぐさま踵を返し走り去る。
「あっ、しまっ――」
そもそもその遠隔攻撃で隙ができれば距離を詰める用意があったからこそビューティはそう口にしながらもわずかな後れを取るだけで後を追えたのだが、青木邸の広い瓦葺の屋根のどこにもグラトニーの丸々とした姿は見えなくなっていた。
「! どこへっ?」
「ここ、だよっ」
突如として背後から聞こえた声に振り向けば、直後に下腹部に強い打撃があって、ビューティは顔をしかめる。
「くっ……」
重量の乗った突進の一撃にふらつき、ビューティはバランスを崩すと転落しそうになって片手で屋根の縁を掴んだ。
「へへ、キミ、美味しそう」
「っ!」
だが、ビューティの真上に顔をのぞかせたグラトニーがそう言って舌なめずりをすれば呼吸を整えていられる隙もなく、ビューティは片手を軸に壁を蹴り、宙返りをしつつ横に体をひねりながら今度はグラトニーに鋭い蹴りを放つ。肉塊のような脇腹にダメージがあったとは思えない手応えではあったが、それでも距離を離すには十分な反動だけは得られた。
しかし、じゅるじゅるとよだれをしたたらせながら追撃に動いたグラトニーは予測を超えた素早さでビューティに迫り、
「くふ、もう少し……」
縦回転をしながら振り下ろされた拳が彼女を襲えば、段を成している瓦に時折弾みながらその身体は屋根の上を滑っていった。
「……強い、ですね」
切妻の破風に背を預け、全身をくまなく苛む痛みに耐えながらビューティは素直にそう漏らす。直後、グラトニーは愉悦の色を表情にありありと現わしてからがばりとその深紅の口腔を広げた。
「えへへ、ホント? じゃあ、食べていい?」
「いいえ、許しません」
「……えぇ?」
小さな瞳の奥の光が、かすかに委縮してビューティをじろりと見据える。
「どうして? オイラ、キミより強いよ? この人たち、よりも」
一言ひとことを確かめるようにグラトニーはそう訊いた。片手をいっぱいにつかって二つの青と一つの赤い珠を握りしめながら、まるで、己の言葉が間違っているとはまったく考えていないような素振りで。かすかな怒気すらもうかがえた。
「決まっています。強いからといって、それは誰かを虐げていいということにはならないから……」
静かに、諭すようにビューティが口にする。
「あなたがそうするならば、わたくしが身を挺してそれを阻止します」
「…………?」
が、グラトニーは理解しようとしないのかできないのか、口をだらしなく開きながら手元の珠に目を落とし、ビューティが口をつぐむとニッコリと微笑んで、
「……つまり、勝てないから、これを返せ、って、こと?」
「それは――」
遊び道具を得た赤子のような満面の笑みで、玩具を取り合う幼児のような必死な形相で、所有物を破壊された児童のような悲痛な様相で、それらをないまぜにしたような奇妙な表情でグラトニーが猛然とビューティに突貫する。
反論しようとして反応が遅れれば、それを回避する術はすでに絶たれ、頑強たる破風はその梁ごと爆ぜるかのように粉砕された。
「オイラ強い、から。なにしても、食べても、いいんだよね?」
他方、五人が苦戦を強いられる市街地からかなりの距離を置いて、深い山林の先の自然公園ではスターが舌戦と接戦を繰り広げていた。
「変わらないね、あんたらも! 人質なんか取っちゃってさ!」
「人質とは少し失礼な言われ方だな」
全体的に赤みを帯びた丈の短い銀の衣装をはためかせつつ、スターは右の正拳を突きだす。大きく後方へ跳んで回避したプライドは、すぐさま地を蹴ってスターとの距離を詰める。
「どこが違うって? 言っとくけど、あたしがそんなもんのために躊躇すると思ってんの?」
「思ってないさ。貴様は俺様たちを憎んでいるだろう?」
すかさず回し蹴りで迎撃を試みればプライドもそれに回し蹴りで応え、ふふんと口元に得意げな笑みを浮かべると彼の筋骨隆々とした腕がうち振るわれた。
「そうね、それに、あんたらはそれを簡単には破壊できないからね」
「ほほう?」
蹴撃での力比べには及ばずとも、直後の拳は逆に両手を使って弾き返すとスターは腰を落として足払い。こちらも高く跳躍することで避けたプライドだったが、スターはその動作を見越していたのかあっという間に肉薄し、
「ちいっ!」
空中で三、四度拳を交え、悔しそうにプライドが吐き捨てると腹部への拳打を受けつつも強引にスターを蹴り飛ばし距離を取る。
「なんたってデストロンへの土産だもんな! 少しでも誤差がありゃ大変だろ?」
「……よく分かっているじゃないか。が、まだまだだな小娘」
戦況劣勢と見たか、プライドは体を低くすると狩りに臨む獅子を思わせる突進をした。後方に引き溜めた手の先には、鋭い爪が煌いている。
「っぐ!」
「体鈍ってないか? ジョーカーごときに手間取って!」
間一髪で爪の先を躱したスターだったが、一瞬の隙をつかれて腹部に強烈な裏拳を入れられると体がふわっと浮かぶ感覚があると同時に林の奥へと吹き飛ばされていた。
「ふん! 誰が!」
「その意気だぜ、俺様の相手にゃあな!」
そう叫んでプライドが吠えれば、スターが投擲した折れた枝の軌道は彼の咆哮から逸れる。
しばし、互いの動きが止まった。
「……そうね、たしかにあんたはあたしが倒すのにふさわしいよ」
「逆だ、小娘。倒すのは俺様の方だ」
「あんた飽きないわね。けど、もう五年前じゃない。もうあたしは守護者じゃない」
嵐の前のそれを思わせる静かな口ぶりで、スターは過去を懐かしむように語る。
「昔はみんなを守るために戦ってきた。だからあんたらの軍勢を追い返すのに手いっぱいだったんだけどさ」
「なにが言いたい」
「今だってそう。あたしはこの街と、大事な友だちを守りたい」
「貴様の矜持は見事、しかしそんなものはどうでもいい。それよりも、早いところこの俺様を倒さねばそのお友だちは殺されてしまうぞ」
スターの真正面に仁王立ちし、プライドは髪を掻き上げると、
「まあ、それは不可能だがな」
そううそぶいて呵呵と大笑した。そのよく響く笑声は渦を巻いて空気を震わし、木々をしならせ葉を波立たせる。
けれど、スターはきわめて冷淡に嘆息するだけにリアクションをとどめた。
「言ったでしょ? もうあたしは五年前と違うの。あたしが戦うのは守るためじゃなくって、守りたいという心に忠実になりたいから」
そう言って、伸ばした指先を顔の前にかざす。
「あんたはこの五年で変わった? その高慢ちきな性格はちっとも矯正されてないみたいだけど」
「……ふん、この俺様をなめんじゃねぇ。自分がぶれるのは自分の柱ができてないからだ。そんな自分を認めるくらいなら死んでやるさ」
「そう、……あんただけはたしかにまっすぐな戦士だったもんね」
どこか感慨深げにスターが呟けば、さすがにプライドも眉をひそめて拳を下ろした。爛々と光る双眸に怪訝そうな色を浮かべてじっとスターの様子をうかがっていると、スター自身はきゅっと指をたたんで目を伏せる。
「なんだかんだ言って、あんたとあたしってけっこう上手くやっていけたんじゃないかなぁ。敵と味方とか、そういうのなしで」
「なにが言いてぇ! ここは勝負の場だぞ、キュアスター!」
ついに話が脱線すれば、プライドがたまらず声を荒げた。身を乗り出し、手を横一文字に切って、鋭い犬歯を露わにしながら――
「俺様を懐柔しようってか? しゃらくせぇ、真正面からぶつかってこいよ!」
――挑発に乗ったプライドがそう叫べば、それに混じる、かすかな羽ばたきの音。
にやりとスターが口元を歪めれば、プライドははっとして動きを硬直させる。だが、左右に目を配る余裕こそあれ、後方から急速に突っ込んでくるそれに対しては防御も回避もままならなかった。
「ぐああああああああっ!」
「兵は詭道なり、でござるな」
ラースのそれよりもはるかにイメージに近い一角獣の姿へと変化したポップが、その渾身の力を己が勇壮なる角に込めてプライドの背に突き立てる。硬い筋肉質の体を貫き、その先端がスター側からも確認できた時、すでにスターはその目前、手に得物を取って走り込んでいた。
「たしかにあんたはまっすぐな戦士さ! けど、やることが卑劣なのよ!」
「この……っ、俺様がっ?」
ポップの角が引き抜かれ、慣性でふわりと浮かんだプライドをスターは左腕を首に回すことで抱きとめる。
「あたしがみんなを守るんだ。あんたらセブンクライシスと渡り合えるのはあたしとミストだけだし、こっちにはポップもいる」
そのまま後方に回り込みつつ着地し、唯一の武器たるプリンセスロッドを握った右手を引いて腰を落とせば、首御ホールドされた体勢のプライドは無抵抗なエビ反りの格好となった。
「ぐ…………」
「あたしが真っ先に倒さないとね。それがあたしの役割」
それでも手をばたつかせ逃れようとするプライドだったが、熱を帯びた光が自分よりも外側で線となって渦を形成し始めたのを見ると、ついには諦めたように天を仰ぐ。
「……この俺様が、俺様が! ちくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
「あたしはなんだってする。あたしの心がしたいことに、信念に、忠実にね!」
光の筋が白く発光し、銀河の螺旋にプライドを閉じ込めた。そしてスターの右手に光が凝集すると、彼女はその拳を思い切り振り抜く。
「プリキュア! シューティングスター!」
爆発的な奔流が天を衝き、細かな彗星がプライドの体を覆う。永遠かとも思われた波濤の噴出が数秒間で停止すると、スターはその場にぺたんとしりもちをつき、疲れたような苦笑を浮かべ、
「ちょっと休むね。一分したら、ミスト助けに行こう」
天から落ちてきた黒い箱を握りしめ、はるかな空の遠きを見た。
西の空に光柱が立つ少し前、七色ヶ丘でも有数な商店街の一角を舞台としてミストはグリードと対峙していた。必要なことを聞きだして変身してからも、ミストは慎重な姿勢を崩していなかった。
「……どうした? さっきまでの威勢がないんじゃないの?」
「まあ、あなたの狡猾さは知っているつもりだから」
きゅっと吊り上がった三角形の瞳を細め、グリードは心外そうに口を尖らせる。
「でもさ、こうして睨みあってても、状況変わんないよ? 分かってるでしょ? キミと対するセブンクライシスがどうして俺っちだけなんだと思う?」
「憎いくらいにちょうどよく私たちの人数と符合しているものね。けれど、かといって焦ってもね」
「じゃあ他のやつらが負けるってこと? そんなことないない、薄々感じてるでしょ?」
妙に含みのある笑みを口元にたたえ、誘うようにミストの方を見上げたグリードに対して、ミストはやれやれと言わんばかりに首を振って応え、
「そうね。今の彼女たちにはあなたたちには勝てないと思うわ。私とスターは彼女たちとは根本的に力の質が違うけれど、その私たちと互角なんだからね」
「分かってるじゃん? そしたらほら、急がないとまずいんじゃない?」
半ば罠を張っていることを認めたような微笑のまま、グリードはミストを誘い出そうと諸手を広げて手招きした。無防備な胴体には、ネックレスに繋がれた例の箱のような回収装置が躍っている。
「……そんなに、戦いたければ」
組んでいた腕をはらりと下ろすと、脱力したように上体を倒し、ミストは低く呟いた。瞬間グリードの細い瞳の奥がきらりと輝き、同じく体勢を低く構えると舌なめずりをする。
「さあ、来な」
「喜んで」
ふわりとした初動から一瞬で最高速に到達し、ミストの鋭い踏み込みからの掌底が空気をびりっと震わせた。ただしその矛先はグリードの前方数メートルにある虚空、電信柱のほぼ真横で不可視のなにかを砕き、そのまま上段蹴りを道路の対面に向けて放てば、そこから衝撃波のように打ち出された気泡が同じようになにかを破砕する。
「やっぱ気づかれてた?」
「あなたには見えなかったかしら?」
間髪を入れずグリードと拳を交え、両者一際力を込めた一撃が交錯するとミストはタイル張りの道路へ、グリードは八百屋の軒上へそれぞれ跳びすさった。だが、息つく暇もなくグリードの足下が腐食でもするかのように細かな穴が開き、彼の足首の肉は丸く切り取られたようにえぐれる。
「お、っと」
「五年のブランク、あるのはそちらかしら?」
一歩下がったグリードだったが、そこにはすでにミストの姿があった。
「俺の動きを……っ?」
「罠を張るのは自分の専売特許だとでも思っていた?」
スカートを翻しながらコンパクトな動きで踵を落とし、グリードと位置関係を逆転させたミストは右手でオッケーサインを作ると、優雅な手つきで親指と人差し指の円に息を吹き込む。シャボン玉の生成を思わせる動作だったが、そこから生じたのは泡よりもさらに細かい霧の粒子。
「この霧は自由に透明度を変えられる……完全なクリアにも。私だけが見えるの、忘れたかしら」
「いくら透明に罠を隠しても、キミの霧を透過させることはできなかった……」
「そういうこと。じゃあ、今だってあなたの足下にも霧が潜んでいる可能性だってあるんじゃない?」
長い髪に表情を隠しながらミストが不敵に問うた。だが、対するグリードもそれに負けないくらいに不気味に笑うと、パチンと指を弾く。
「?」
途端、ミストの周囲八方に黒ずんだ雷光が立ちのぼった。即座に逃れようとする彼女だったが、一条の雷光に左足を貫かれて動きが止まる。
「残念でした。俺っちがそんなミスを犯すとでも? そりゃ、たしかに逃走経路まで読まれてたのには舌を巻いたけどさ」
「…………くっ」
口惜しそうに膝をついたミストがふと気づけば、雷のトラップが仕掛けられていた場所はグリードが最初に着地した地点からかすかに手前の地点だった。ということは、どこに着地するのかも霧による奇襲に対してどのように反応するのかまで読み抜いて仕掛けたはずの即時接近戦であったにも関わらず、グリードはさらにそれを読んで着地間際に罠を設置したということだ。
「さて、どうかな」
「……なにが」
「とぼけないで、まったく。俺って欲しいものはなんでも欲しいタチじゃん? それ、この俺ちゃん謹製ドレインブービー。ね、霧の手品、また見せてくれない?」
得意げに何度も指を鳴らすグリード。はっとしたミストが試しに手の平に属性の力を集めるも、まったくと言っていいほど反応はなく、しかし彼女の座り込む周囲の軒端はたしかに霧の力によって無数の穴を刻まれ始めている。
「どういうっ……」
その時、こめかみを横からガツンと殴られたような衝撃があってミストはバランスを崩し、八百屋の上から落下した。同時に感じる体のだるさは、体から力が抜けていくことに等しい。嫌な予感が冷や汗となり、つうとその頬を伝わる。
「……まさか?」
「そ。もうキミの霧はキミには扱えない。この俺グリードが操らせてもらうよ」
「操る……」
ズキズキとする疼痛を抑えながらそう反芻すれば、グリードは満面の笑みを浮かべた。
「だから、俺がいくら力を使ったって消費するのはキミの方、ってこと。分かる? プリキュアが持つ属性の力全部ってのはちょっと骨が折れそうだったからね」
「……そう」
軽妙に語ったグリードだが、ミストはそれに対して少し安堵したような語気で応じる。
「なんか余裕だね。でもどうするの? 霧の力なしでこの俺っちが張りに張った罠群を突破して来れる? 難しいと思うけどね、それとも、スターの助けを待つ?」
訝しんだグリードが目を細めてそう訊いた。けれどミストは黙して答えず、ゆっくりと右手を地面と平行に差し上げると、虚空の中から光の粒子を、そしてプリンセスロッドを掴みとる。
「……? なにをしている? 力は俺が支配しているんだぜ?」
「違うでしょ? あなたが支配するのはあくまでコントロール。この霧の力は間違いなく私の力」
ゆっくりと呼吸を整えながら、左手で右の手首を支え、右足を一歩引いた。少女の力を象徴するクラウンを象った先端部をまっすぐに向けられたグリードは、一歩も動かずその様子を注意深く凝視している。時折自分の右拳に視線を落としては、支配権がたしかにその手に握られていることを確認しているようだった。
「……ねぇ、グリード」
「なんだ? 結局命乞いでもする?」
「慎重さっていうのはね、大胆さと表裏一体なの」
言い放たれたその一言にグリードの注意が一瞬だけ完全にミストに集まり、そして、撤退のタイミングを見事に逃す。
「プリキュア! イリュージョンミスト!」
その言葉とともにプリンセスロッドから溢れだしたのは、溢れ出しているはずなのは、濃い紫色の狭霧の粒子。ただしやはり制御をグリードがしている都合上、ミストからはただ単に気合が搾り取られていくだけの結果だった。
「無駄だよ、キュアミスト。ほら! 街が散々だ!」
欣喜雀躍といった様子で棒立ちになっているグリードは、一瞬だけ考えた想定外のなにかが存在しないことを知るとそう声を張り上げた。今度ははっきりと色がついた霧は、堤防に真正面からぶつかる激流のように彼の直前で真っ二つに別れると商店街を洗い流している。
「……それでもっ!」
それでも、ミストはイリュージョンミストを終了させようとしない。ふらつく足下を何度も何度も踏み直し、ぐらつく右手を何度も何度も支え直しながらも。
「ヤケんなった? やだねぇ、若いうちから」
「あなたこそ、調子に乗っていると、思うんだけど?」
息を荒げながら、ミストはグリードにそう問い返した。
「俺っちが? まさかまさか、油断は身を滅ぼ……す、よ?」
言葉の最初こそ息巻いていたものの、後半に至って急激に彼の息は乱れる。せいぜい取り繕ったつもりだったが、ミストにはその変調が手に取るように分かった。
「残念ね。あなたはたしかに、油断もしたけれど」
「ぐ……、これは、俺の力が尽きようと……!」
二股に断たれていた霧の波は、次第に間隔を狭めていって一本に交わろうとしている。もちろん一本に戻った時、そのベクトルはグリードに向くはずだった。
「力を奪おうという発想、骨が折れるから制御だけを奪おうという発想。自分への被害は小さく、相手への被害は大きく。たしかに良策だけど」
ミストは凛とした眼差しで、紫の魔法の奥のグリードの戸惑ったような視線を捕える。
「私が、あなたのコントロールのキャパシティを、超える分だけの力を使えば、それで解決」
「なんだと……」
要するに、ミストが言ったことは力比べだった。これまでの二人の戦いぶりからすればあまりに単純明快な印象は否めない。それでも、
「無策の策、というやつか、面白い」
「そうね」
「それに、己の策を逆手に取られた挙句全身全霊の総力戦で敗れ去る…………俺っちにしかできねぇな、これは」
「もう、御託はいいわ」
再び襲ってきた目の奥をえぐられるような頭痛に思わず崩れ落ち、技の勢いもそろそろなくなろうかというミストだったが、それよりも早く訪れたのが、グリードの諦観と敗北だった。
「まあいいや。地獄の閻魔は結局決着つかずのままデストロン様が殺しちまったからな、死後につける決着ってのも、興味そそられるぜ、ハーッハッハッハッ!」
不気味な高笑いと、ネックレスとなっていた黒い箱だけを残してグリードは霧の中へ消える。耳に残るそれに、その気配が消えてからも数秒間は気を張っていたミストだったが、ついにその置き土産がないことを知ると大の字になって倒れ込んだ。
「……はあ、……はあ。まだ、戦わなくちゃ……」
言葉と裏腹に身動き一つ取れないでいるミストを、西方に突如現れた真赤な光の柱が照らして深く陰影を刻む。温かな熱をそこからほのかに感じ、ミストはその方向を穏やかな表情でじっと見据えた。
「オイラ強い、から。なにしても、食べても、いいんだよね?」
グラトニーは誰に訊くともなしに呟き、よだれでいっぱいの口内に左の指先をつっこんで首を傾げた。その視線の先のビューティが、砕かれた破風の残骸を杖に立ち上がり、絶えない投資を見せつけていたからだった。
「あれ、まだ、立てるんだ」
「当然……、です!」
激痛を振り払うように語尾を強め、ビューティは杖を投げ捨てる。その言葉からは、厳冬の吹雪を思わせる厳しさが感じられた。変わらずぽかんとした様子のグラトニーに構うことなく、ビューティは言葉を続ける。
「あなたのような無法者には、教えて差し上げねばなりません。守りたいという意思を! その強さを! だから! どんなことにもくじけずに、わたくしは立ち上がります!」
ビューティがそんな強さを口にした時、その体は、黄金の光に包まれた。
「ムシャクシャが止まらねぇじゃねぇか! くそが! あんな箱ぶっ壊してやる!」
激昂を隠そうともせずラースはそう吠え、足音高くラースは自らの拘束具の近くへ、そこに放置された黒い箱へと歩いていく。その一歩一歩が鳴らす地響きが昏倒していたマーチの脳を揺らし、やがてマーチは意識を取り戻した。
「待……て」
「ああん?」
虫の鳴くような力ない声で、しかしたしかな光を瞳に宿してマーチが言う。ラースは自身が立てる騒音の中でも耳をぴくりと動かし、どこか歓喜するように振り返った。
「待て……、それは渡さない、壊させなんか、しない」
「フン、弱いのが吠えるのは癇に触るんだよ」
「弱くたって……」
ラースの言葉はマーチの心の奥をぎゅっと握り、震わし、尽きぬ闘志を蘇らせる。
「どれだけ相手が強くたって! 守りたいものがあるなら、あたしは迷わずまっすぐ踏み出してみせる! あんたにだって!」
マーチが湧き上がる勇気の限りに叫べば、その体は、黄金の光に包まれた。
「やれやれ、めんどくさいですねぇ。ガキンチョの相手は」
飄々とエンヴィーが呟いたのは、折れた大樹に腰かけるような状態で荒い呼吸をしているピースのすぐ目前。きわめて無慈悲な無表情で舌を出し、ダークスーツでタイトに締められた長身からピースを見下しながらだった。
「さて、この女、どうしてくれようか」
指と指の間を行き交う赤い珠。それが黄瀬やよいの母ちはるであることは彼によって明言されている。エンヴィーの瞳の奥には、燃え盛る妬みの炎があった。
「まったく、こんなに恵まれてねぇ……」
「やめ……て……」
「はい?」
半目を開きピースがそう口にすれば、エンヴィーは舌をちらつかせながら腹部に拳を落とす。ドスンという重たい音が響き渡り、ピースは嬌声を上げて口をつぐんだ。
「それで? それだけじゃぁなにをやめればいいのかも分からないなぁ」
「……もう、誰かから大切なものを奪うのはやめて!」
そう言いながらエンヴィーの細腕を両手で握り、人差し指と中指を立てる。瞬間発せられた稲妻に彼は半歩下がるも、たいしたダメージはないかのように手をひらと振って視線を戻した。
「意外ですねぇ。てっきり母親を返せと泣き叫ぶのかと思えば」
その視線を真正面から見つめ返し、ピースは体を震わせながらも立ち上がる。
「私は知ってほしいの、あなたに。大切なものを失うってこと、大切っていうこと。あなたは知らなくても、気づいてないだけで、ちゃんとたしかなものを持ってるっていうことを」
少し語気を控えながらピースがそう返すと、その体は、黄金の光に包まれた。
「結局、あなたはかっこつけてみんな大事とか言ってるだけ、なのよ。薄っぺらいこと」
毛先を指先でいじりながらラストはサニーにそう宣告する。他方の手からさらさらとこぼれ落ちる赤い珠の残骸を目で追いながら、サニーは悔しさに顔を歪ませ、
「違う! それはウチの、大切な宝や!」
自分の心にぽっかりと浮かんだ自分自身への疑問を振り払うように叫んだ。
「ふふ、心っていうのはね、そんな単純じゃないの。一人が本当に大事に思えるのは所詮一人だけ。あなたには、本当に大事なものが見えているのかしら?」
艶やかで妖しい髪を頭頂で結い直し、絡みつくような声でラストはそう問う。その表情はどこか寂しげな色を濃く浮かべていて、それゆえに、サニーは心を決めた。自分が埋まっていた瓦礫をはねのけ、ぎゅっと拳を握り立ち上がる。
「それは違うで、ラスト。人の心はたしかに単純やあらへん、けどな、そんなにちっぽけなもんでもないんや! ウチが見せたる、人の心を、みんなとの絆の力を!」
サニーの思いが空に響けば、その体は、黄金の光に包まれた。
「……諦めろ」
スロウスは捨て台詞のように吐き捨てると、改めてフードを深くかぶり、ハッピーに背を向けた。
「諦めないよ」
だが、気だるげに空を見上げその闇の中へ帰還しようとした背中に、ハッピーの依然として気力に満ちた声がかかる。
「……ちっ」
「だって、諦めたら、もう未来は観れないから」
軽く舌打ちをしながらスロウスが振り返れば、ハッピーは痛めたらしい腕を押さえ足元はふらつきながらも、立ち上がろうとしていた。
「分かってないな……、お前がどう頑張っても、希望の未来はないんだ。観なくていい未来ばっかりさ。……無駄に戦うことはない」
「ううん、無駄なんかじゃない。私は諦めないし、あなたにも負けないから」
「……あーあーそうか、一番めんどくさいのに当たったわけか、オレは。かといって退くのも胸糞悪いし……」
ハッピーが体現する不撓不屈の様相に、スロウスは心底うんざりした口調でそう一人ごちると、
「冷静に考えなって。オレとお前、どれだけの力量差がある? どれだけの希望がある?」
ただひたすらに戦いを避けようとする言葉だったが、ハッピーは頑として聞かず、油を得た火のように烈しく拳を振る。
「希望は最初からあるものじゃない! 希望は思いの力、想えば、信じれば、自然と心の中から見つかるものなの! だから、私は諦めない、希望を捨てたりしない!」
ハッピーがその心を覚悟の言葉とともに振り絞れば、その体は、黄金の光に包まれた。
「えっ、なにこれ?」
「なんだか不思議な力クル!」
「……なんの光だ」
スロウスは初めハッピーとその光の中に飛び込んだキャンディにそう訊いたが、すぐさまその行動は間違っていたと悟る。なぜなら、地の底から湧いてくるような、天から降り注いでくるような、彼女自身から発せられているようなその光の束は、漆黒の空にハッピーのものと合わせて計五本、ほとんど時を同じくして出現していたからだ。
「この方角、たしか……、まさか――」
フードを慌ただしく脱ぎ捨てて、スロウスは空を仰ぎ虚空を握る。すると頭上に現れたのは、空と同化しそうなほどに真っ暗な穴。彼の焦りようからして、逃走を図るためのものであることは想像に難くない。
「待ちなさい!」
だが、ハッピーがそう一喝すれば、彼女を覆っていた光が拡大し、スロウスはその光の柱に閉じ込められて脱出の機会を失った。
「キュアハッピー、貴様……」
遠い距離を置いても衰えぬ眼光で思い切りハッピーを睨めつけるも、スロウスの挙動自体にさっきまでの達人のような落ち着き払った威風が感じられない。
「めんどくせぇこと、してくれるんじゃねぇよ!」
脚部の力に任せた跳躍で、地面と平行にスロウスは跳躍した。ハッピーの体はまだ回復したとは言えず、どうしても反応は遅れがちになる。
「さっさとこうすりゃよかったんだ」
多分に焦燥を含んだ剛腕がハッピーに迫った。ドスッ……という鈍い音があたりに伝播していったが、その音は、スロウスが地面に倒れ込んだ音だった。
なにが起こったのか、それはハッピーにもキャンディにも、当然スロウスにも分からない。ただ言えることは、ハッピーの眼前に迫った拳が、ハッピーの眼前に突如現れたなにかによって弾き返されたということだけ。
「これは……」
「ハッピー、手を伸ばすクル!」
「てめぇ、なにするつもりだ!」
呆気にとられたように目を見開くスロウスの視線の先、周囲の光の瀑布以上にまばゆく輝いている繭のようなそれにハッピーがゆっくりと手を伸ばせば、受け入れるように成虫が羽ばたく直前のように光は縦に裂け、中が露わになる。
中もやはり繭を思わせるほどに真っ白で、絹のような縦糸で編み込まれた格好のそれにはハッピーが突っ込んだ指の半分の火影がゆらめいており、その光源こそが、光の繭にくるまれていた純白のステッキだった。
「あれ、これって」
どこかで見覚えがある――そうハッピーとキャンディが思うのも無理はない。ハートの形の柄から天馬に似る装飾、そこから先端へと続くねじれた杖という構造は、スターとミストが手にしていたプリンセスロッドと酷似していたからだ。ただ一つ違うのが先端部のアクセントで、ロッドのそれが二人が載いているようなクラウンをモチーフとしているのに対し、目前のそれはゆらめく蝋燭の炎を象っているように思われること。内部で揺れ動く火影を生じさせているのもそこだった。
〈さあ、手に取って〉
「えっ?」
「誰クル?」
突如として光のタワー内にそんな声が響く。
〈それは力……プリキュアの心に応える新たな力です〉
凛とした強さと温かみを感じさせる優しさに満ちた女性の声。ハッピーにもキャンディにも聞き覚えはないものの、スロウスだけはがっと跳ね起き、
「あの女……、ちっ、いよいよ厄介事じゃねぇか」
光と真っ向から反目する色の外套を脱ぎ捨て、スロウスはゆっくりとハッピーらを一瞥した。外套の下は隆々とした筋肉の体にいくつもの傷跡が残っており、歴戦の戦士の貫録を漂わせる。失っていた威風も、ここに来て復活といった様子だった。
「油断はしねぇつもりだ。一撃で打ち止め」
地面に拡がった外套の胸ポケットから覗く黒い箱にちらと視線を送り、スロウスは長く深い深呼吸、腰を落として半開きとした右の拳を肩の上に奥に構える。
「……行くぜ」
〈今です、力を――プリンセスキャンドルを!〉
スロウスが地面を蹴り、ハッピーは手を伸ばす。冬眠から覚めたばかりの猛獣のようなめざましい瞬発力でゴウゴウと風を切り、巨岩のような拳が突きだされた。
勝負を分けたのは、ほんの一刹那の差。
スロウスの一撃がハッピーに届くよりも早くハッピーがプリンセスキャンドルを掴めば、まるでサナギが羽化するがごとく繭糸がハッピーの全身を包み、スロウスの拳を受け止めていた。
絹糸の鎧がふわりと開く。そこから現れたのは、新たなプリキュアの姿――プリンセスフォーム。
通常よりも長く膝辺りまで垂れているツインテールの髪に黄金のクラウンと黄金の羽を戴き、胸の前と腰の後ろに大きなリボンをあしらった薄桃色のドレスをまとった姿は、どこかスターやミストと意匠をともにしていながらも――相違点を挙げるとすれば二つのリボンの大きさ――さらなる輝きに溢れている。
「スロウス……さん。知っていてほしい。希望は、いつだって、心の中でキラキラ輝いてるんだよ」
「なにを――」
拳を弾かれ、のけぞったような姿勢のスロウスの胸板にとんとプリンセスキャンドルの先端を当て、ハッピーはそう告げた。同時に目もくらむような光がキャンドルから放たれ、周囲には桃色の空間が展開される。
「プリキュア! グローリアス・ハッピーシャワー!」
ハートの形の光が零距離から放たれた。それはスロウスの分厚い胸板を容易く貫通して、その心を浄化していく。
「……ばかばかしい、これからオレは死にゆくというのに」
スロウスは最後にぽつんとそう呟いて、満足そうに瞳を閉じると粒子となって消え失せた。圧倒的な重圧を誇った巨躯は跡形もなく、されどその言葉はたしかに成長を促して、スロウスは倒れた。
瞬間、ハッピーを覆っていた光柱が一気に広がり、空は元の青空に戻る。
「戻っ……た?」
「みんなの所にあった光の柱も消えてるクル!」
それが意味するのは、それぞれの戦いの終結。
しかし、周囲を見渡し、ほっと息をついたハッピーとキャンディだったが、その安堵は束の間の休息に終わった。
「きゃあっ?」
「クル?」
『来たれ、私の元へ……』
晴天に轟く霹靂の如く、そんな声とともに地の底からコールタールのような手が伸びてくるとハッピーとキャンディを拘束し、そして抵抗もさせぬまま地の底へと引きずりこんでいった。
「なんや、これ……」
ハッピーと同じように、サニーも拡大した光の中で繭をほどき、プリンセスフォームへと変身していた。鮮やかなオレンジの髪は頭頂でリボンのように結わえられつつも背中全体にかかるほどに長く、通常の衣装の上に羽織ったドレスは色を異にしたハッピーのそれに等しい。
「あんた、その格好っ!」
狼狽した様子のラストの脳裏に閃いているのは、おそらくはスターとミストの影だろう。四年もの間メルヘンランドを守り続けてきた二人である、このラストも何度かは煮え湯を飲まされているはずだった。
しゅらん、と空を裂いてラストの髪がサニーを襲う。針のように高質化した瀬端部はサニーが手にしたプリンセスキャンドルに金属音を立てて弾かれ、逆にそれに沿ってサニーが接近した。
「せいっ!」
「う……ぐっ」
深紅の炎をその手にまとい、むせるような炎のにおいを振りまきながら、サニーは渦巻く火炎をラストの腹部に叩き込む。苦しそうに呻き、そこを押さえて倒れそうになったラストに、今度は鋭いボディブローがほぼ真下からかち上げられた。
「ああああああっ!」
上空に高く打ち上げられ、行動の自由を失ったラストに、サニーはいつの間にか奪取した黒い箱とキャンドルの先端の両方を向けると、
「ちゃんと見とき。これが、あんたが軽んじた心の、絆の、結晶や!」
紅蓮の炎が噴き出せば、辺り一面は燎原の大火のごとき赤へと塗り替わる。
「プリキュア! ランブリング・サニーファイヤー!」
舞い散る火の粉が一つずつキャンドルの元に集まり、サニーが腕を振れば七つの火球となってラストを覆い隠していった。
「嘘よ! 認めない、認めないいいいいいい――」
甲高い断末魔を合図とするように、周りの壁たる光の柱がふっと消え失せる。広がった青空と降り注ぐ陽光に、サニーは脱力したようにしりもちをついた。
「……一人、守れへんかったんやな、ウチは」
勝利の余韻こそが生み出せる自省の言葉が涙とともにこぼれる。と、同時に、
『戦いは、まだ終わらぬ……』
「なんやて? って、うわっ!」
腹の底に響き渡る重厚な声がしたかと思えば、サニーは地面の向こうへと引っ張られて消えてしまった。
「これ……、この服!」
プリンセスキャンドルを手に取ったピースは、それがもたらした自分の新たな姿に目を見開いた。やはりハッピーやサニーと色違いのドレスを身にまとい、少しウェーブのかかった髪は肩口から胸にまで伸長している。一段と可憐さを増したその見た目にエンヴィーは引きつった笑みを浮かべ、因縁の相手たるスターやミストに似ているその見た目にまなじりを決した。
「いいでしょう、キュアピース。貴様の中にあるたしかなものとやら、その力を見せてみなさい」
勝負を焦るのはちらつく二人との苦い記憶のなす業か、それともピースの言動によるものか。
「ただし、僕は負けないよ? キミを完膚なきまでに叩き潰すことが僕を満足させてくれそうな、そんな予感がするからね」
さきほど光の束がピース一人を覆った際に距離を離していたエンヴィーは、憎悪と嫉みで沈んだ瞳を顔の半分くらいの大きさまで押し広げ、シューシューと舌を鳴らし始める。悪意がとぐろを巻き、鎌首をもたげて鎮座しているようだった。
「……私が戦うのは力を見せるためじゃない。分かってほしいの、自分を。自分の心を大切に、ちゃんと見つめてあげてほしいの。そのために必要だっていうのなら、私はあなたと決着をつける」
「僕の中に大切なもの……、やはり困りますねぇ、温室育ちのお嬢様は。父を亡くしたくらいでばかばかしい、世の中はそんな矮小じゃないんですよ? そんな知った風な口をきいて」
「あなたは……!」
ぎゅっと胸の前でキャンドルを握り、ピースは目を閉じると祈りを捧げるように段々とそこに力を込めていく。やがてその瞳がかっと開かれた時、稲光がピースを中心に四方へと駆け抜け、黄金の世界を形作った。
「プリキュア! イノセント・ピースサンダー!」
人差し指と中指を柄と平行に伸ばし、ピースはキャンドルを前方に振りかざす。対するエンヴィーは、獲物を狩る時のようにしなやかかつ強靭な全身の筋の緊張を同時に解き、さながらバネのように跳んだ。
キャンドルから放たれた三本の雷光は途中でそれぞれ三本に裂け、それはさらに三本に、しまいには無限の雷となって集結し――おそらくはピースの意思で四本に再度別れると、今にもピースに爪を立てようとしていたエンヴィーの四肢を貫く。
「手加減の、つもりか!」
突っ込んだ上半身に遅れる下半身と両腕。しかしエンヴィーは執念に歯を食いしばり、吠えながら上体をひねり鞭のように右腕を振るった。
「きゃあっ!」
慌てて腕を交差させそれを防ぐも、強化されたピースのガードすら危うく崩されるほどに、勢いと気持ちの乗った一撃。ガードを解き、ピースが目を開ければ、その主はその目の前で呆然と立ち尽くしている。
「手加減なんて、愚かなことを……」
先の一撃にすべてをかけていたようにその言葉に飄々とした雰囲気はなく、その表情に生気はない。黒焦げになった四肢のスーツからは、焦げ臭いような生臭いような異臭が漂っていた。
「やるのなら、もう少し力を制御してからに、しなさい……」
「まさか――」
ドサリ。エンヴィーの長身は崩れるようにして倒れ伏せ、四肢の先から順に光の粉となって背景と同化していく。たとえそれが敵だとしても、ピースは彼が唯一遺していった箱を手に取り、慟哭した。彼女にとって、死とは敵味方を問わず避けたい事象であったにも関わらず、力及ばす自らが殺める結果となってしまったからだ。
「せっかく、ちょっと変わってもらえたのに……」
エンヴィーの死に際の言の葉は、それまでの狂おしいほどの妬みや嫉みといった負の感情とはどこか無縁であったように感じたハッピーの大きな悲しみを意に介せず、光のベールは一気に拡大し、そして青空を届けて消えていった。
まぶしげに眼を細めて太陽を見上げたピースは、頬に走る涙を、目尻にたまった涙をごしごしとぬぐう。
「まだ、泣かない。お母さんや街のみんなを元に戻さなくちゃ」
『さすれば、私に会いに来い……』
「えっ?」
ばたばたと手足を動かすこともままならない強力な拘束により、ピースの体は地底へと送られた。
「この格好、なんだか力が湧いてくる!」
サイドテールが少しシャープに、後頭部のポニーテールはさらにボリュームを増している髪型のマーチは、長い裾を払って体の調子を確かめるようにすると、光の中で惑っているラースの方をぴしっと見据えた。
「なんだよ。それで? お前が俺に勝てるようになったっていうのか?」
「分からない、けど、言ったでしょ、あたしは前に進むって! これが背中を押してくれるのは、間違いない!」
そう言い放って大地を蹴ったマーチが到達した速度は拘束具を外したラースのそれと遜色はなく、ラースは驚いたように目を丸くすると脇腹に回し蹴りを入れられ、軽く舌打ちをしながら跳びすさる。
「はっ! 面白れぇじゃねぇか緑! 特に赤や紫と同じ格好ってのがゾクゾクするぜ!」
「これなら戦える! この力なら!」
翼を得た虎と羽根を広げた一角獣が空中で交錯する。目にも留まらぬ拳の応酬が繰り広げられ、両者に力の溝はなく大地を穿つラースの剛力にもマーチは対等に渡り合った、
「はあああああっ!」
「おらああああっ!」
喊声とともに拳と拳が真正面からぶつかり、鋭い衝撃が肩から二人の全身を駆け巡る。それでも二人は歯を食いしばり、拮抗したそれを振り抜いた。当然のことながら反作用で二人とも後方に弾き飛ばされ、地に足をつけてからも数メートルほどスライドしてようやく止まる。
「はあっ、はあっ」
「……ふん、正直見くびってたぜ。あの二人以上だ」
頬から顎にかけての汗をぬぐい、マーチは闘志のみなぎる瞳でその称賛に答えた。
「いい目だ。久しぶりにキレられてよかったぜ」
「はあ、はあ…………。次で、決める」
マーチは短くそう吐き捨て、ファイティングポーズをとる。力、打たれ強さ、速さともにラースに並ぶプリンセスフォームの力を得た彼女だったが、唯一のネックがその膨大な力に耐えるための体力だった。じっとしているだけならまだしも、ラースのように戦闘に秀でた者――高速戦闘を得意とする同一タイプの相手なら特に――との戦闘ではどうしても消耗が激しくなる。
だからこその短期決戦の所望に、ラースも力強く頷いた。
「嬉しくなるようなセリフじゃねぇか! 来いよ、決着だ!」
マーチがこくりと頷いた、かのように見えたその瞬間、川岸では一陣の風のみが存在を主張しているのみ。両者がともに極める速さが限界を超えて、地を馳せ、激突した。
『――!』
影すらも絶える超速の一撃同士を終えて、一人は地面へと叩きつけられもう一人は反動で空中に移り追撃の体勢を整えている。
「これでっ!」
滞空していたのは、キュアマーチのラースよりも二回り近くも小さい体躯。彼女は腰の背に差していたプリンセスキャンドルを引き抜いた。
「プリキュア! ストリーミング・マーチシュート!」
キャンドルの先端部から逆巻く風が吹き出され、周囲から颶風が先端部に集まっていく。そうして反復と増幅を繰り返した疾風の勢いは、嵐を思わせる勢いで眼下のラースを飲み込んだ。
「ぐああああああああああああっ!」
断末魔は、吹き寄せた暴風にもかき消されることはない。
水しぶきがさながら噴水のごとく、重力に逆らって花を咲かす。その残滓を全身に心地よく浴びながら、マーチは川岸に降り立った。
「…………よかった」
そうとだけ漏らしたマーチは、周囲との境界になっていた光の柱が解除されたことで緊張の糸がほぐれたのか、変身をいったん解こうとする。
だが、地中から伸びた手がそれを許さなかった。
「ラースのやつ、まだ生きてっ?」
『違う、私の名はデストロン……』
低い男の声で黒幕の名を聞かされたマーチは、意を決したように目を閉じるとなされるがままに大地の中の闇へ降りていった。
「……まさか、こんな風に変身できるとは」
絹糸がはらりと体から外れ、変貌した自分の姿を見た時、ビューティは驚きを隠さぬようにそう呟いた。その驚きも無理はなく、通常フォームの上に重ねられたドレスこそ他の四人と同じもののその髪型は通常よりもガラリと印象が変わっている。腰ほどまでだった襟足は地面に届くかと思われるくらいに長くなり、全体的に丸みを帯びていたシルエットも全体に配されたハネによって先鋭的な印象を与えていた。
「キ、キミ……、それって」
「? 知っているのなら教えてほしいのですが」
怯えた様子のグラトニーにそう訊いて、ビューティは戒めるように首を振る。
「いえ、わたくしが教えて差し上げるのでしたね、正しき道を」
バトントワリングのようにくるくるとキャンドルを回転させ、ビューティはそう言った。冷静に考えれば安い挑発の言葉ではあったが、ブーティの突然の変身に余裕を失っているらしいグラトニーには十二分に有効であった。
「違う……! オイラは間違ってなんか、いない!」
「あなたが正しいというのなら、わたくしがそのルールを倒します!」
はっしと力強くキャンドルの柄を掴み、前方に掲げる。細い氷のビームが撃ち出されると、グラトニーは間一髪のところでそれを回避した。着弾した部分の屋根は即座に結晶化し氷に閉ざされる。
「…………!」
その様子を横目で確認し、グラトニーは息を飲んだ。そこに生じる隙を逃さず、ビューティは屋根全体に氷を這わせるとスケートのようにその上を滑って接近する。
「はっ!」
足下に急速に迫る氷もさることながらビューティ自体の攻撃の回避も余儀なくされてはグラトニーにはそれを躱すことは不可能であり、氷の方を避けて宙に跳んだところをビューティは交差法の上段蹴りで蹴り飛ばした。相変わらずの弾力に思わずビューティも浮かび上がり、グラトニーは一直線に地面へと落下する。
「うぅ……」
正面から地面に激突し、呻き声を上げるグラトニー。その背中へ、ビューティの左手から放たれた無数の礫が降り注いだ。ピキ、ピキという小気味のよい音とともに、それはグラトニーを氷塊の中へ封じていく。
「やめ、やめっ……冷たい! やだ!」
左肩から先と頭部のみを残し氷づけにされたグラトニーは赤子のようにそう喚き、そばに降り立ったビューティも表情を少し曇らせた。しかしその瞳の奥には、苛烈さ厳格さを絶えず備えた光がある。
「今すぐ人質を解放し、引き揚げなさい。そして金輪際、人の大切なものを傷つけないと――」
「やだ! やだやだやだ嫌だ嫌だ嫌だヤダ! 嫌だ!」
それは、狂気だった。自由な片腕を突っ張り、周囲によだれをまき散らしながらそう叫びつつ立ち上がろうとするその姿は、狂気にも近い執念がある。
「あ、あなた……」
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! これはオイラのものだ! 返す、もんかあああああああああああ!」
バキッ、と氷が砕かれてグラトニーは立ち上がった。足元がふらつき首が座らぬ幼児のように揺れ動くその瞳には、虚ろな光が昏い光を放っている。とても正気とは思えないばかりか、当初の冷静な手練のような雰囲気すら失っていた。
「キミも、食べちゃうぞ!」
両手を前に突き出し、どこに隠していたのか身長ほどに長い舌をぶらつかせながら、グラトニーは一歩ずつビューティの方へ歩いてくる。彼女の方も意を決したように呼吸を整え、プリンセスキャンドルに力を込めた。
「……これで終わらせて差し上げます」
抜き身の刀を思わせる鋭さでビューティはそう言う。それでも、グラトニーにその言葉は届いていないようだった。それどころか、大気が凍てついていくのにも気づかないほど、彼の精神は平穏を失っている。
「プリキュア! ヒューリアス・ビューティブリザード!」
青藍色の世界が光の結界内に形成されると、ビューティの背後に巨大な三つの氷の結晶が現れた。空からは雪がちらつき、その結晶はくるりくるりと次第に速度を上げて回転していく。そしてビューティが技の名を呼びながらキャンドルを正面に構えれば、キャンドルと各結晶からの計四個の吹雪が荒れ狂いながらグラトニーを覆い隠していった。
「うわあああ! うぎゃああああああああああ! 嫌だああああああああああああああああ!」
最後の最後まで駄々っ子のようにあがき、グラトニーは消滅する。やがて吹雪は収まり、コツン、という音を立てて黒い箱が日本庭園に落下するのを合図として、青木邸全体まで広がっていた光の結界は青空と引き換えに消えてしまった。
「あら、他の皆さんも……」
見渡す限り七色ヶ丘のどこにもさっきのような光の柱はすでになくなっており、空は雲一つない快晴。当然黒い空など見えようもなく、ビューティは勝利を確信する。
しかし。
『面白い、私の元へ案内しよう……』
「誰っ!」
突如頭の中に声が鳴り響き、その正体を確かめようとしたビューティの体は地中深くへといざなわれ、七色ヶ丘から姿を消した。
「ミスト―、大丈夫―?」
晴天の下、上空からそんな声がしてミストは顔を上げた。そして膝を立てて寝そべっていた上体をゆるりと起こすと、羽ばたきの音と円形の風をともなってスターとポップが近くに降り立ち、
「なんとか。無理はしたけれど」
「情けないなぁ、ミストは」
手を取ってスターはミストを助け起こす。ぽんっ、という軽い効果音でポップが元の姿に戻ると、彼がスターの方に飛び乗る前にミストが抱き寄せた。
「苦しいでござるよ……」
「それよりさ、さっきの光、あれは?」
二人の視線を浴びて、ポップは緩んだ腕を払いのけるとぴょんとミストの肩に飛び乗り、
「まさか、ロイヤルクイーン様が復活の兆しを見せておられたとは思わなかったでござるよ」
腕を組んでしみじみとそう語る。
『ロイヤルクイーン様が?』
「そうでござる。あの光はロイヤルクイーン様のお力によるもの、覚えているでござるかな、二人が初めて変身した際にプリンセスロッドが授けられたでござろう? あれと同じように、五人にも新たな力がもたらされたのでござるよ」
要するに、キュアデコルの回収に成功したことで、遠い異世界メルヘンランドではロイヤルクイーンが完全ではないにしろ復活したということだ。
「じゃあ早く戻らないとね!」
「そうね。とりあえず、まずはみんなの無事を確認しましょうか」
そこまで言って、二人は無言でポップを見下ろした。和やかさを孕むじとりとした視線に、ポップもやれやれと言わんばかりのため息混じりに再びユニコーンの姿へと変身しようとする。
だが、
「ドロンでござ――」
『その必要はない』
いざ呪文を唱えようとしたポップを、突如として地中から湧いて出た影の腕が絡めとった。
「その声っ!」
「まさかあなたまで出張ってくるとは……」
『ふふ……、ミラクルジュエルは私の悲願の一つでもあるからな。だが、キミたちのせいで計画は崩壊だ』
そうは言うもののあっけらかんとした口調でデストロンが答えると、
「それなら、皆の衆はそれぞれセブンクライシスを打ち砕いたということでござるな……!」
ポップが苦しそうに問い返す。
『……まあ、それはこちらに来てから話すとしよう』
それに対してデストロンはポップを地面に投げ捨てることで返答とし、その腕が地面に引っ込むと同時にそこにぱっくりと黒い穴が広がった。どろどろと闇の波がのたうち、その中で次第にまっすぐな道ができていく。
『案内する、私の居城に』
二人と一匹は互いの顔を見合わせ、一切のためらいを持たずにその中へ飛び込んだ。
「……んー、ここは?」
七色ヶ丘に青空が戻ってからどれだけの時間が経っているのだろうか。時間の流れを感じさせない不気味な空間で、ハッピーは目を覚ました。
巨大な西洋風の城が佇むこの空間にはおよそ光源というものが存在せず、大地や空がすべてほとんど均等に微弱な光を発しているだけのように見える。地平線の向こうに消えゆく空はまるで球体の上を液体が流れていくかのようないくつかの縞模様が入っており、そんな空を衝くかのようにそびえる城正面の闇色の大地に倒れていたハッピーは、自分の周囲にサニーやピース、マーチ、ビューティにキャンディも同様に倒れて気を失っているのに気づくと慌てて彼女らに駆け寄り、肩を揺すって意識を呼び起こした。
「みんな、起きて! ねぇ!」
「ん……、どうしたんやハッピー?」
「ここ、どこ……?」
「あたしは、たしか黒い手に引きずり込まれて……」
「……わたくしもです」
「キャンディもクルー」
そんなことを口走りながらも、各自は思い思いに体を動かしながら互いの衣装に目をやった。
「みんなも、やっぱり敵と戦ってたんだね」
「せや。一度は少し苦戦してもうたけど」
「私も。それで、途中で光が差してきて……?」
「この変な武器を取ったら……?」
「……どうやら、みなさんもほとんど同じような経緯でここに来たようですね」
ビューティが若干ずれたポイントでそう締め括れば、五人はどっと笑い合う。その声は、高く空まで届くかとも思われた。
「……やれやれ、騒がしい女の子たちだな」
ふと、そんな声が彼女らのかしましい笑声に差し挟まれる。同時に、五人と一匹の近くに小さく影が落ちたかと思えば次第にそれは大きくなり、それが城からなにかが降りてきている証なのだと気づくころにはそこには男が一人立っていた。
「ようこそ、私の砦へ。プリキュアのご面々……ご面々? あの?」
「でもさ! この格好すっごく可愛くない?」
「うんうん、めっちゃ分かるでぇ」
「キラキラーってしててふわふわーっとしてて!」
「なんだかお姫様みたいだよねー」
「そういえば、スターとミストのものに似ていませんか?」
「みんなだけずるいクル!」
「……あの? おーい、スマイルプリキュアのみなさーん?」
透き通るような白い肌に薄く紫がかった銀髪の、いかにも好青年といった風貌の彼は戸惑ったようにその名を呼ぶも、その言葉が聞こえていないかのように五人と一匹は話し続けている。
「というか、これに変身してから私たちとっても強くなったよね」
「うんうん。ただでさえ扱いきれへんような力やったけどな」
「あの二人があれだけ強かったのも頷けるよね」
「なんだか、力がこう、無限に立ちのぼってくるっていうかさ」
「ええ、不思議な感覚でした」
「キャンディもお洒落したいクルー! 新しい服着たいクルー!」
「…………ふむ」
苦笑いを拳で隠しながら、青年はそうとだけ呟くと親指と人差し指をパチンと鳴らした。
五人が円陣を組んで座っていた地面だけがピンポイントに波打ち、漆黒の波となって彼女らを噴き上げる。
『きゃあっ?』
どさどさと地面に落下してきた五人は、そこでようやく青年の姿を捉えた。
「ようやく気づいてくれた! ……コホン、一時はどうなることかと思ったんだがな」
「あなたは?」
ハッピーがそう訊けば男は口元から手をどけて口を開こうとする。しかし途中でそれをやめ、男はゆっくりと空を見上げた。釣られて五人と一匹も上を仰げば、縞模様の隙間から落下してくる影がある。
「話は、彼女らが来てからでもいいだろう」
その言葉が終らないうちに、その影は実体を見せた。
「デストロン! ここで会ったが百年目!」
「そろそろ年貢の納め時よ!」
スターとミスト。案の定の二人は、着地した勢いそのままに腰を落とし、低い位置から左右それぞれの手で男を指さす。
「ふふ、ずいぶん面白いことを言うな。五年ぶりの再会だろう? それなりに温める旧交はあると思っているんだがね」
青年――カラミティエンド大帝国総帥・大帝デストロンはそういって前髪を掻き上げ、爽やかに微笑んでみせた。
『デストロン?』
「この男がクル?」
「そうだ。このたびは私の忠実な部下を破ってくれた諸君に、私直々に挨拶をしようと思ってな」
外見だけなら普通の人間と呼んでも差し支えのない彼がそう言って目元から笑みを消し去れば、その冷徹怜悧な切れ長の眼光が彼女らを射すくめる。デストロンを名乗ったことが偽りではないことを直感的に悟らせる簡単な方法だった。
「……なら、負けない!」
「街のみんなを元に戻してもらおうか!」
「あなたならできるんでしょう?」
「腕づくでも!」
「わたくしたちの、新たな力で!」
それでも、プリキュアたちは怯まない。ハッピーを中心にずらりと横に立ち並び、怖じることなく堂々と宣戦布告をする。
「あたしたちはそれで済ませる気はないからね!」
「あなたを討つ、それだけで済ますつもりではいるけど、ね」
その両端にスターとミストも続き、これで七人がずらりと揃った。
七対一。しかもその七人はそれぞれ強敵を各個撃破してここにいる。対するデストロンの実力は未知数なものの、カラミティエンドを単独で率いる力はセブンクライシス一人ひとりでは比較にならないことは容易く想像がついた。
「構わない。いずれ敵となるのだ、ここで戦いをするのもシンプルで好きだからな」
そして、今――最終決戦の幕が上がる。口火を切ったのは、ミスト。
「まずはポップとキャンディを城の陰に送る! ポップ、護衛はつけないよ?」
「承知でござる!」
ポップが一角獣形態へと変化すると同時に、スターが正面からデストロンに肉薄する。半テンポ遅れてサニーとピースが右に、マーチとビューティが左へ回り込んで同時攻撃を仕掛けた。
『はあああああっ!』
スターのパンチを右足の裏で、左右からのキックを左右の腕で止めたデストロンは、足を蹴り下ろし腕を振り払うことで五人を一度に一蹴する。
「まだまだ!」
「私も!」
五人が風に舞う落ち葉のように吹き飛ばされるが、その陰に隠れるようにしてハッピーとミストが同時に距離を詰め、鋭い踏み込みからの拳がボディに届いた。ほう、とデストロンは驚いたように呟くと、回し蹴りで二人を同時に薙ぎ払う。その瞬間にスターが彼の軸足へスライディング。バランスを崩したデストロンにサニーら四人が同時に蹴りを入れればさすがの大帝といえど大きく後方へ、その拍子にポップはプリキュアらの背後を駆け抜けて物陰に身を隠した。
「……第一ラウンドは取られたわけか、面白い」
蹴られた脇腹をストレッチで伸ばしながらデストロンはそう口にする。
「まあいい。ポップとキャンディを言い訳にされても困るからな」
「なんやて?」
「サニー、熱くなっちゃダメだ」
スターがお尻を払いながらサニーを諌めるとビューティも首肯し、
「言葉で誘うのは常套手段です。冷静に対処しましょう」
「……まごうことなき本心なんだがな」
目を伏せて肩をすくめながらそう言うと、デストロンはぽんと一つ手を叩いた。
「そうだな、第二ラウンド。キミたちを熱くしてみせよう。力で」
口元のささやかな笑みを崩さぬまま、デストロンはゆっくりと手を引く。その動作にミストは息を飲むと、
「みんな、避けて!」
「え――」
その言葉に逆に注意を逸らされたハッピーを、マーチが抱きかかえてその場を離れる。次の瞬間、デストロンの引いた右腕が黒い闇の衣をまとったかと思えばさっきまでハッピーが立っていた箇所に雷が落ちた。
「雷撃?」
「ん? それがどうかしたのか、ピース?」
ピースの方に向き直ったデストロンがかくんと首を傾げると、ピースの足下から竜巻と思われる風の塊が出現し彼女を噴き上げる。
『ピース!』
叫び声をシンクロさせたサニーとマーチ、だがその視界は、鮮やかな紅蓮色の炎に遮られた。驚いてデストロンの方を見れば、もやもやとした黒いオーラを肩から腰にかけてまとった彼がにやりと口元を歪めている。
「二人とも、飛べ!」
突如としてスターがそう指示した。直感的にその言葉に従った二人が跳び上がり、足下を確認すれば、そこの大地だけは白く発光している。それがなにか、二人がそう考えを巡らせる前に、ビューティが一歩下がった。
「退く気か?」
冷淡な声にびくっとビューティの肩が揺れる。そんな彼女を、上空に出現した白熱した光源がさながら流星のように落下、襲撃した。
『せーのっ!』
さすがと言うべき連携でスターとミストが同時にその熱源に蹴りを入れ、ミストの霧がそれを内部から破砕する。飛散したその破片のうち顔の正面に落ちてきた欠片を握り潰し、デストロンはくくっと喉を鳴らして笑った。
「なに?」
二人の着地の隙を庇うように前に進み出たハッピーがその真意を探れば、彼も一歩を踏み出す。
「あまりにも拙い戦いじゃないか。まとめてかかってこないんじゃ勝負にもならない、違うか?」
雷、風、炎、氷、そして熱。それぞれピース、マーチ、サニー、ビューティ、スターが持つ属性によるものだった。下手な言葉を弄するよりも、よほど効果的な挑発である。
「だったら……!」
「埒が明かないもんね!」
「行くで、みんな!」
「退くつもりなどありません!」
「お、おい! ミスト、どうする?」
躊躇なく地面を蹴った四人についに平静を崩し、スターはミストを振り返った。だが、そこにミストの姿はない。きっと唇を噛み締め、彼女の横を走りぬけている。
「スター、私たちも!」
「っ、うん!」
それに遅れてハッピーとスターが続けば、ミストを含めた五人はすでにデストロンに近く、攻撃の態勢を取っていた。
「……ふん」
だが、それに対し彼は一切の防御動作を見せていない。さすがに訝しんだスターがハッピーの腕を掴んで引き留めれば、二人のすぐ目前から先が真っ黒な壁に閉ざされる。壁。正確には、霧。
「これっ、毒霧!」
「そんなっ!」
だが、スターが毒と断じた霧の障壁はすぐさま透明になり払われた。そして晴れた視界の先には、両手両足を広げたミストの姿。
「今よ!」
ミストの指示が飛ぶも、四人は身を守ることに頭を切り替えていたのか攻撃に移ることは叶わなかった。当然、一瞬で四人は後方へ弾き返される。
「残念だったな、ミスト。お前が突っ込んできた理由、見通せたのは私一人のようだ」
「くっ――」
デストロンの腕が黒い光を放ち始めた。大量の霧を放出した直後のためかミストの体は回避しようとする意思に反して鈍い動きしか返さず、その表情は暗く歪む。
「ミスト!」
開店しながらハンマー投げのようにハッピーを後方に投げ、その反動を使ってスターがミストの側へ駆け寄った。そして覆いかぶさるような体勢になると同時に、ほぼ零距離から二人を闇の奔流が襲う。目の奥を焼くような、どす黒い光の波濤。
『ぐうっ!』
短い悲鳴を残して、二人は遠く城の外壁に激突するまで飛ばされた。しかし、二人を気遣っている余裕は五人にはない。ハッピー以外の四人も、さっきの一撃だけで立つのもやっとなほどにダメージを受けていた。
「そんな……」
「つ、強すぎる……」
「私たちの新しい力が……」
「ここまで、歯が立たないなんて……っ!」
「このままでは……!」
「第二ラウンド。どうやらやりすぎたようだが、私の勝利とさせてもらおうか」
無力感に包まれた五人に、デストロンは明らかな嘲笑を鼻で奏で、吐き捨てる。
「プリンセスフォーム……、ロイヤルクイーンの秘策がこの程度の力だったとは笑わせる。まだセミプリンセスのあの二人の方が手強いぞ」
「く…………う」
「はあ……、はあ……、ぐっ」
二人まとめて横たわり、荒い息でなんとか呼吸を整えようとしているスターとミスト。けれど息を吐くたびに力が抜けていくような感覚がして、プリンセスフォームに覚醒した五人は持たず二人だけが有する特殊な能力のうちの一つである驚異的な再生力が働かない。
「どう……、してっ!」
「こんなはずじゃ……」
感じなかったとはいえ、やはり五年もの間封印されていたことによる悪影響は確実にあったのだ。封印以前にはデストロン直々の攻勢さえも退けた経験のある二人の力はやはり衰えており、特に恵まれていた持久力や痛みに対する耐性、先述したような自然治癒能力といった継戦能力を高めるものの劣化が激しいと思われる。
「スター、ミスト……」
拳を握り、なんとか立ち上がろうと悪戦苦闘している二人の側に駆け寄ったのは、申し訳なさそうな表情のポップだった。
「ポップ……、どうにか、ならない?」
「私たち、どうやら、おかしくなってるみたいなんだけど……」
「すまないでござる。その理由は、拙者にもあるのでござる」
ポップが神妙そうに沈痛に、ゆっくりとポップが紡いだのは謝罪の言葉。事情が呑み込めずに呆気にとられた二人に、ポップはやはり言い辛そうに続ける。後ろでは、キャンディもポップを怪訝な表情で見ていた。
「二人には話していなかったでござるな。プリキュアの、三つの段階を」
「段階……?」
「……以前のあの子たちと、私たちと、今の?」
「そうでござる。ラスティックフォーム、セミプリンセスフォーム、そしてプリンセスフォーム。スターとミストは、今は中間段階にあたるセミプリンセスフォームに位置するのでござる」
ポップが指を折りながらそう補足する。
「二人が初めて変身した時、拙者は二人に代償を求めたでござる。その代償はなんのためかというと、本来ならば数多の苦難を乗り越えて自分の心に覚悟を生み出した時にのみ到達するというプリンセスフォームへの変身を可能にするためだったのでござる」
明かされていく自身の変身の秘密。そうこうするうちに荒い息は収まるも、二人には起き上がる気力がまだ足りていなかった。
「それって、つまり、あの五人はその条件を満たしたってこと?」
「そういうことでござるな。今の彼女らは、キュアハッピーではなくプリンセスハッピー、キュアサニーではなくプリンセスサニー、キュアピースではなくプリンセスピース、キュアマーチではなくプリンセスマーチ、キュアビューティではなくプリンセスビューティ。そう呼称されているのでござる」
一人ひとりを目で追いながらポップはその名を呼んだ。だが、その言葉は、ミストの感情の引き金を引く。
「じゃあ、なんで私たちはセミプリンセス止まりなの? ラスティック――覚醒前のプリキュア二人ではメルヘンランドを守るには適さなかった、だから私たちは成長することを犠牲に力を手に入れて、それでどうして?」
突然だった。話していくうちにミストの言葉にはどんどん感情が乗り、しまいには目尻に涙が光っている。普段とは違うその様子にスターやポップ、キャンディは驚いたように目を丸くしていたが、一番呆然としていたのは他でもないミストだった。
ぽろぽろとこぼれる涙のしずく。その気持ちはスターにも痛いほど理解できて、彼女はミストの肩をひしと抱き寄せる。
二人は孤児として育ち、大人へ成長することよりも大事なこととしてプリキュアになることを決めた。そこから四年間は戦い詰めの日々で、そして大事な仲間を守るために自分たちを犠牲として長い眠りにつき、目が覚めたかと思えばそこは五年後の世界。守りたかったものはすでになく、それでも後輩の前だからと気丈に振る舞った。しかしその後輩と自分たちには決定的な違いがあった。彼女らには家族があり、笑顔があり、希望があった。それでも、それでも。まだまだ戦力的には自分たちに及ばないと思っていた。それらを犠牲にしたのだから、仕方ないと。状況を同じくする仲間でもなく、自分自身に、自分自身の覚悟に言い聞かせ続けていた。だから、五人と一緒に戦えた。五人を仲間だと思えた。
「こんなの……不公平だよ……」
「ミスト……」
自分がただ一つ誇っていたものが幻想だと知り、ただ一つ誇っていたものが誇るに足らなくなり、それでも、実戦では自分たちの方が一枚上手であったという事実が、たまらなく――腹立たしい。そんなふうに思ってしまう自分の心が、たまらなく汚らわしい。
「うぇっぐ、……うう、ぇぐ。……ぐすん、うぅ」
「ミスト、泣かないで? ね?」
「……ロイヤルクイーン様の意向だったのでござる。もちろん、それを言い訳にするつもりではないのでござるが」
「そうじゃないでしょ! ポップのバカ!」
ポップの正直な言葉を一括し、スターがぎゅっと強く強くミストを抱き締める。
「ミスト、分かるよ。あたしだって同じ気持ち」
「…………うん」
「あたしだって悔しい。五人の手本になるんだって、やっぱり思ってたよね。だってあたしたち、七人でプリキュアなんだもん」
スターが背中をさすりながら優しく諭していけば、ミストも段々落ち着きを取り戻していき、
「うん……、だから、負けたくなくって。でも」
「負けてないよ。まだあたしたちは負けてない。デストロンにだって、五人にだって」
ミストの顔を両手で包み、涙を親指の腹でぬぐってあげると、スターはにっこりと微笑んで、
「だから、自分自身に真っ先に負けちゃダメだよ、ミスト」
彼女の長い髪を肩口から背中側に向けてすき、スターは立ち上がる。その瞳には光るものがあったけれど、背筋をぴんと伸ばして敵の姿を凝視するころにはすっかり乾いていた。
「……うん。そう、だね。ありがと、スター」
彼女に手を引かれてミストも立ち上がる。溜まっていた涙を人差し指でぬぐい、ふっと息を吹きかければ、そのしずくは霧となって消滅した。
「よし、復活だね、ミスト!」
「ええ。もう心配しなくていいわ、スター」
二人が、つないだ手をぎゅっと握り合う。瞬間――二人を黄金の光が包んだ。
「そ、それはどういうことでござるか? 二人のプリンセスフォームを封印とは!」
「二人は幼すぎます。あれではプリンセスフォームの負荷には耐えられない」
「しかし、それではあの二人に犠牲を払ってもらった意義が!」
「焦らないで、ポップ。封印するだけよ。その時が来たら、必ず二人を覚醒させるわ」
「……それがロイヤルクイーン様の意向なれば」
一方、ハッピーら五人と対峙していたデストロンは、彼女らと一緒にここまで運んできた赤と青の珠をどこからともなく取り出し、暇を持て余すかのように眺めていた。その所作はやはり彼女らを煽り攻撃させようとする意図があるのだろうが、五人とも一直線に並ぶだけで動こうとはしない。様子見ではなく、単に足が前へと出ないのだ。
「おいおい、セブンクライシスの連中がこれを手にした時は烈火のごとく怒っていたじゃないか。その威勢はどうした? プリンセスフォームの輝きが洗い落としたか?」
「そんなこと言われてもな……」
「勝てないよ……」
「諦めちゃダメだ、ダメなんだけど……」
「どうしても、体が前に向かないのです……」
口々に発せられる弱気な言葉。口元に冷笑を浮かべたデストロンは、それぞれに一瞥を送ると呆れたようにため息をつき、ハッピーの方を見る。その瞳はどこか、お前は違うよな、そう言っているようだった。
「……私だって怖い。けど、私は大切な人を失う方がもっと怖い」
ぽつりと、ハッピーはデストロンよりもむしろ自分に対してそう答え、四人の方を振り返った。
「ね、そうでしょ? みんなだって、きっとあの人たちと必死で戦って、負けそうになって、それでも恐怖を乗り越えて、ここまで来た」
ハッピーの拳は爪が食い込むほどにぎゅっと握られ、足に目を遣れば細かく震えているのが分かる。けれど、その瞳だけは、輝きを失ってはいなかった。
「大事な人のために私たちが手にした、私たち五人の、ううん、七人の力なら!」
その言葉はどこか祈りのような響きを持って、空間全体に響き渡る。そしてそれに応えたのは、天から地から噴出する金色の光。そして、
『その通り!』
その光を払い、現れた二人の戦士。一人は短かったスカートの上に、もう一人は膝から踵にかけて広がるスカートの上に、それぞれまとっていたドレスの胸と腰の背のリボンが大きくなったのを羽織っている。
「あたしたちは戦う! 心の奥がそう疼く!」
「戦う限り、私たちに負けは許されない! 負けるつもりもない!」
プリキュア・プリンセスフォーム。二人の名は、プリンセススター、プリンセスミスト。
「ロイヤルクイーンめ……、粋な演出をしてくれる」
「ロイヤルクイーン様、今がその時なのでござるな」
その輝きに目を細め、デストロンとポップが同時にそう言って天を仰いだ。
(そうです、ポップ。スターとミストが絶対の精神の柱を得た、今こそがデストロンを討ち取る絶好の機会)
天から降ってきた澄んだ女性の声。そしてその声は、今度は五人の方へと指向される。
(ハッピー、サニー、ピース、マーチ、ビューティ。今までの尽力、感謝いたします。わたくしはロイヤルクイーン、キュアデコルによってふたたび復活した、メルヘンランドの女王にございます)
「やっぱロイヤルクイーン様だったんだね」
「私たちは封印のころを知りませんが、復活に立ち会えたのは光栄です、女王」
呆気にとられていた五人は、そばに歩いてきていたスターとミストの言葉によって我に返り、
「あ、あの。お体の具合は……?」
口々に挨拶するのも憚られて、ハッピーがそうとだけ口にする。
(万全とは言いませんが、残留するデストロンの闇の痕跡を追ってカラミティエンドの本拠を特定するくらいなら)
「別に、あの光がお前のものか確認しようとしただけだ。案の定、お前はここに到達でき、復活したことを俺に知らせる結果になった」
(その通りね。ならもう一度、メルヘンランドに攻め込む?)
「それでも構わないな。だが――」
デストロンはそこで言葉を切り、プリキュアたちの方へ視線を投げる。
「戦うのならここで構うまい? なあ、メルヘンランドの護り手よ」
ハッピーとスター、ミストが力強く頷けば、残る四人も触発されたように一歩前に進み出て、
「……せやな。ウチらがプリキュアなんや」
「力を託された意味、そしてここにいる意味」
「あたしたちが頑張らなくっちゃ、誰が頑張るっていうんだろうね」
「行きましょう。わたくしたちにしかできないことを、わたくしたち自身がするのです」
まっすぐな瞳、まっすぐな言葉。それを向けられたデストロンは、にやりと口元に笑みをたたえ、
「頑張るクル!」
「皆の衆なら勝てるでござる!」
「第三……最終ラウンド、開始だな」
右から、左から、上から、下から、正面から、背後から。拳が、蹴りが、そのコンビネーションがデストロンを攻める。
霧が、熱が、氷が、風が、雷が、炎が、光がデストロンの傀儡となってそれを防ぐ。
それに対してもプリキュアが同じ手段で反撃すれば、デストロンが余裕を持って新たな属性で迎え撃ち、激突した属性は化学変化を起こすかのようにして次々と小爆発を連鎖させ、敵も味方もなく吹き飛ばす。
激戦は継続し、消耗が重なり、されど誰しも気力に満ちて、洗練された動きはますます鋭く速さを増す。
そんな一縷のミスさえ許されない状況で、ついに、均衡が崩された。
「ここでっ!」
開かない埒を嫌い、スターが思い切って接近した。ビューティが氷のトンネルを形成してスターを周囲からの迎撃から防ぐと、デストロンは苦々しい表情を浮かべて拳を引く。
だが、次にデストロンを襲ったのはマーチの電光石火の一撃。ビューティの氷の外観があまりにも派手であり、そこに一瞬気を取られたためだった。
「ちっ!」
即座に遠ざかるマーチに雷撃を、氷のトンネルの出入り口に毒霧の瘴気を展開したデストロンは、暴風を身にまとってビューティの方へ地面を蹴る。ハッピーとピースがインターセプトに入ると、その足元から炎が巻き起こって動きを遮断した。
「くっ!」
ビューティは腕を上げて防御態勢に入るも、デストロンの一撃でガードが崩れ大きく後方へ。サニーとミストが左右からデストロンを挟撃し、ビューティへの追い討ちを諦めたデストロンは二人と近接格闘で対峙する。
その、次の瞬間。
「はああああっ!」
裂帛の気合とともに、塞がれていたトンネルの壁を蹴り抜いてスターが飛び出した。ちょうどそこはデストロンの背後に当たり、虚を突かれたデストロンは離脱を図ろうとミストをサニーにぶつけてスターに対する目くらましとし、地面に向けてまぶたの裏まで染めるようなどす黒い光を放って爆発させる。いうなれば威力を持った煙幕といったところだったが、
「プリキュア! グローリアス・ハッピーシャワー!」
目がくらむほどにまばゆい桃色の光がハートの形となって煙幕を裂いた。ハッピーが彼女自身の動きを封じていた炎もろとも貫いて、煙幕をかき消し、デストロンにも一撃を与える。
「なにっ?」
初めて、彼の表情に焦りが見えた。髪が乱れ、まとうオーラはゆらめいている。
「今!」
「オッケー!」
その隙を好機と見たピースとマーチが、左右に別れて駆け込みつつプリンセスキャンドルを掴み、
「プリキュア! イノセント・ピースサンダー!」
「プリキュア! ストリーミング・マーチシュート!」
千里を走る雷光のごとく、天を駆け抜ける突風のごとく、黄と緑の奔流が闇色の空を走った。
「おらああああああっ!」
空中でその二つの光に追いつかれ、デストロンは身を翻しつつ片手ずつでそれを止め、絶叫とともに握りつぶす。が、その直撃こそ免れたものの発生した巨大な爆発に巻き込まれデストロンは地面に急降下した。
「まだまだぁ!」
だが、その力にはまだまだ衰えは見せず、むしろプリキュアたちの動きに陰りが見える。両手を引き、そして突きだした両手の土手を合わせてデストロンは闇を放射した。
「プリキュア! ヒューリアス・ビューティブリザード!」
七人のうち最も彼に近かったビューティがそれを受け止める。黒と青のエネルギーが激突し、拮抗し、やがてその接触点は全力を振り絞るビューティに迫っていった。
「くっ……、このままでは!」
「マーチ、力貸し!」
「え、ああ、うん!」
と、その庇護下にいたサニーがビューティの背後まで走り、マーチもその意図を理解するとその足元から突風を噴き上げる。助走の勢いそのままに跳躍したサニーは風に乗り、一瞬ではるか情報へ到達した。
「プリキュア! ランブリング・サニーファイヤー!」
右手一本でキャンドルを構え、喊声を上げて振り抜く。その七つの火球は読めない軌道を描いてデストロンに迫り、迎撃に用いられた白熱球の間をすり抜けてデストロンに直撃した。
「バ……カな!」
ふっと闇の放出が途切れ、ビューティが発する吹雪がデストロンを襲う。なんとか脇に逸れて回避したデストロンだったが、すでにそこに回り込んでいたミストの攻撃を避けることは、不可能。
「プリキュア! ブーステッド・イリュージョンミスト!」
これまでとは比べ物にならないほどの量と速度で、濃い紫色の霧が展開された。その中心にたしかに捉えられたデストロンの全身のありとあらゆる細胞を、細かな粒子が弾けるたびに苛んでいく。
「おのれが……っ!」
一瞬、デストロンを除く全員の視界が瞬いた。彼が全身から闇の光の属性攻撃を全方向に放ち、ミストの霧を吹き飛ばしたのだ。
「あまり調子に――」
「そこまでよ、デストロン!」
だが、しかし。
「これで!」
ビューティブリザードを挟んでミストの対岸にいたスターは丁度デストロンの背後を取る格好となっており、視界が晴れるころには彼の超至近距離まで侵入していた。
「プリキュア! ハイヒート・シューティングスター!」
地面とほぼ垂直に左手を立て、地面すれすれの低さまで引いた右手の先に光が集まる。それが右手ごと全力で叩きつけられたのは、ハッピーシャワーが掠めサニーファイヤーがえぐったデストロンの右脇腹。
彼の表情は激痛に歪み、絶望に染まり、その直後にその体を中心に生じたすさまじい爆発が、プリキュアを吹き飛ばした。
「ドロンでござるっ!」
巨大な壁となったポップに受け止められた七人が見るはもうもうと上がる白煙。すべての気力を使い果たしたかのようにぐったりとした視線の先のそれに晴れる様子はなく、さすがに近づくのは無謀と思われて、七人と二匹はただじっとその白煙のゆらめきを眺めている。
「…………やっ、た?」
永久とも思われる沈黙を置いて、ハッピーが首を傾げた。だが、それに応えたのは、プリキュアではなく。
「っらあああああああああっ!」
奇声。次いで、突風。立ちのぼっていた煙がそれにかき消されると、そこには人の陰。次第に鮮明になっていくまでもなく、それはデストロンであると想像がつく。
「まだやるんか、あいつ?」
「あれだけの必殺技をもらったっていうのに……!」
「効いてない……ってこと?」
「いえ、そんなはずがありません!」
「ただ単に、届かなかったってことかっ!」
「……まさか、ここまでの力があったなんて!」
「私も、五年もあれば成長するさ……。お前たち五人にあれだけ苦戦をすればな、鍛え直す気にもなる」
額に脂汗を浮かべながらも、一歩一歩デストロンは七人に近づいていく。力を出し切った七人を倒すことは、手負いの彼にも容易いことだろう。シュー、シューと脇腹の傷を冷却しながら、死が歩んでいた。
「待つでござ――」
「邪魔だ、消えろ」
プリキュアの前に立ちふさがろうとしたポップを一蹴し、デストロンは七人の前に佇立する。
「さて、誰からだ。誰からトドメといくか……」
抜き身の刀を思わせる冷たさを宿した眼光と言葉が投げかけられた。
「そうだな、ハッピー、お前からだ」
逡巡はごくわずか、デストロンはハッピーの胸倉を掴みひねり上げると右手を引き、
「まあ、順番は気にすることでもない。どうせ一緒だ」
「く――」
「……死ね」
「やめるクル!」
ぴくりと動いた拳を制止させたのは、今まで物陰に隠れていたキャンディの声だった。
「キャンディ! 隠れているでござる!」
「その通りだ。なにもできない妖精は黙っていろ」
「なにも……なにもできなくなんてないクル!」
キャンディの甲高い声は恐怖に震え、その体も等しく畏怖に支配されている。
「たしかにキャンディはダメな妖精クル。でも、みんなと一緒に頑張ってきたクル! ここにいる
意味があるクル!」
けれど、その言葉は勇気に満ちていて、光に満ちていて。デストロンは心底辟易したように表情
を歪ませると、ハッピーを投げ捨ててキャンディに詰め寄った。
「ここにいる意味? なら見せてみろ、その意味とやらを」
「そ、それはクル……」
冷酷な追及にキャンディは押し黙る。その視線はさまよい、そしてやがて、ハッピーの視線とま
っすぐに重なった。
「キャンディは……、キャンディはクル……」
「結局、ないんだな? なら殺そう、お前の声は耳障りだ」
「クルッ?」
デストロンがそう告げ、ばちばちっと再び黒いオーラをまとい直す。それは、彼による属性攻撃
の前兆であった。その指先に、パチッとプラズマが走る。
「やめてえええええええっ!」
ハッピーの悲痛な叫びが、空を裂いた。だが、そんなものではデストロンは止められない。そう
とも知っているから、七人は反射的に目を閉じてしまう。
長い時が流れた。気づけば、まぶたの裏は黒ではなく赤色だ。ならばそこには、光がある。
七人はそろそろと目を開いた。そこにあるのはデストロンに見下ろされ今にも殺されそうなキャ
ンディの怯えた体――ではなく、ひとりでに宙に浮き、いつかの光の柱のような輝きを放っている
キャンディと、呆気にとられてのけぞっているデストロン。
「ロイヤルクイーン様!」
デストロンを除いて唯一その一部始終を目撃していたポップが歓喜を露わにして叫んだ。
(今です、キャンディ! プリキュア!)
「なにっ?」
キャンディの体から放出された不可視のオーラがデストロンを吹き飛ばし、プリキュアの体には
ある程度の体力が充填される。
「キャンディ! 今こそそなたの力を、見せつけるのでござる!」
ポップが拳を突きだして叫んだ。
「なんだか知らないけど、やってみるクル!」
そんな兄の姿にキャンディも頷き、目を閉じる。そうすればすでに、その頭の中には今なにをす
べきか、明確なビジョンが浮かんでいた。
「みんなの力を、合わせるクルー!」
その額から尾を引いて、七色の光がプリキュアの手に届けられる。その正体に気づいた時、デス
トロンの表情には明らかな動揺と、絶望がありありと見てとれた。対するプリキュアには、もちろ
ん、輝かしい光に満ち溢れた、覚悟と希望の色がある。
七人が手を合わせ、七人が手を空に伸ばし、七色の光が渦を巻いて顕現した。
『プリキュア! レインボーバースト!』
七人を取り囲む七色の球が、一直線にデストロンを飲み込まんとする。
「それが奥の手か、ロイヤルクイーン! ならば!」
上半身を覆っていたオーラを手の先に集中させ、デストロンは正面からその光に対峙する。恐ろ
しいまでに整った顔立ちには陰影が落ち、そして次の瞬間には、どす黒い光によってその全身が黒
く染まる。
「それを潰して、最終ラウンドは私の勝ちだ!」
希望の光と、絶望の闇。七色に光り螺旋を描く輝きと、黒一色に塗り込められた輝き。
――勝者は。
『私たちの希望、届いて……っ!』
「バカな……、この私がっ?」
勝者は。
「認めん、認めんぞおおおおおおおっ!」
明日へと続くのは、七色の道。明日にあるのは、明日の明日まで続く希望。
勝者は、プリキュア。
「我がカラミティエンドは終わらない! いつか必ず、再びお前たちの前に現れてみせる! その
日まで、待っていろ――プリキュア!」
そんな捨て台詞を残して、闇の支配者・大帝デストロンは光に呑まれ、朽ちていった。
翌、日曜。
「お母さん、お母さん、行ってきます!」
「おう、行ってらっしゃい、みゆき」
「暗くなる前には帰るのよー?」
「はーい!」
「ほな、ちょいと出かけてくるわ」
「気ぃつけてね。お父ちゃんにはとびきりのお好み焼き、作らせとくから」
「ありがと、母ちゃん!」
「やよい、今日は約束があるんじゃないの?」
「えっ? ああごめん、仮面ラ○ダー見てから行くー」
「もう、お友だちに迷惑かけちゃダメでしょ? 録画してあるから、早く行ってきなさい」
「じゃあ行ってくるね! みんな、大人しく遊んでなよ?」
「うん!」
「なおお姉ちゃん、行ってらっしゃーい」
「よーしよく言えた! じゃあね!」
「れいか、忘れ物はないわね?」
「はい、確認してあります」
「今日は遠くからのお友達に七色ヶ丘を案内するんでしたわね。もし近くに来たら家に寄っていた
だいても構わないのよ?」
「分かりました、お母様。それでは、行ってまいります」
「えーっ! メルヘンランドに行っちゃうの?」
「寂しいクル……」
なないろ見晴らし公園、北東展望台。
「まあね。ロイヤルクイーン様に会いたいし」
「それに、カラミティエンドの残党との戦いもあります」
午前中に色々と巡った後にお好み焼きを食し、ありさとあすかの意向で七人と二匹はここに集ま
っていた。
「ほんならなおさら、この街を拠点にしてもええやん? ウチらかてプリキュア、なんやからな」
「そうそう。それに、ロイヤルクイーン様も元気そうだったじゃない」
あかねとやよいはそう言って口を尖らせる。七人はあの戦いを終えた昨日、メルヘンランドにて
ロイヤルクイーンに謁見していたのだった。
「そういう問題じゃないのでござる」
「やっぱりロイヤルクイーン様の側にいつもいたいんだよね。さっきも言ったけど、まだ敵はいる
んだから」
「女王はまだ完全な復活を遂げていないから。露を払うのがプリキュアの役目なの」
爽やかな風を全身で感じ、こめかみの部分で長い髪を抑えながらあすかは淡々とそう述べた。
「でもさ、こっちに来ることはあるんでしょ?」
「気に入った場所があるのなら、また何度でもご案内します」
「もちろん! みんなにも会いに来るし、あかねのお好み焼き食べに来るし」
「ここの景色を眺めているかもしれないわね。ここなら、なんだって見えそうだから」
ありさが浮かべる無邪気な満面の笑みも、あすかが見せている穏やかな微笑みも、小高い丘の光
る風の中でキラキラと輝いていた。
「じゃあ、約束だよ? また会おうって」
「うん!」
「よろしくね、私の大切な、友人たち」
「照れくさいこと言ってくれるで!」
「……うん、うん」
「ほらやよい、泣かないで。写真撮るんだから」
「行きますよ、みなさーん」
いつの間にかセルフタイマーをセットしていたれいかがにっこりと微笑み、はるかに望む七色ヶ
丘の景色を背にして、しばしの沈黙の後。
「みんな笑顔で、ウルトラハッピーだね!」
みゆきの最高の笑顔がみんなに伝わった。永遠に失うことのない、少女の永久の輝きが七つ、そ
の写真にははっきりと写っている。
説明 | ||
http://www.tinami.com/view/448505 の続き このSSを書いたきっかけ、というのが裏設定が与えられたからなんですが、その裏設定をツイッター上でつぶやかれたのはワキ@さんという実況者さんです あとがき的なあれを書くところがあるか分からないので、一応ここに記しておきます それと最終話 ※執筆中にwordがバグって変なところに改行が入ってますが見逃してやってください 1話→ http://www.tinami.com/view/448492 | ||
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