誓いは邂逅の夜に
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注意事項

 

三成と吉継は、元寺小姓設定。

 

病については、詳しい設定とか在りません。

一応

幼少期→軽い皮膚症状。

三成元服から少し経って、一気に悪化。

と云う形です。

 

 

それでは

実史、公式設定とは別れを告げてから御進み下さい←ヲイ

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「三成様。本日は、もう御休み下さい。竹中様も気に掛けておいでですので……」

 

 

時刻は夜明けも遠く無い頃。

自室で馴れぬ執務に勤しんで居る三成の許に小姓が顔を出す。

 

控えめに開かれた襖の方を見遣り、一瞬だけ怯えた様に肩を竦めた其れを下がらせる。

 

――もう、そんな時間か――

 

自愛と遠い生活をしている三成には、珍しく無い胸中の呟きだ。

普段なら、竹中と云う単語を聞いた時点で直ぐに執務を取り止める。

仕える者に要らぬ配慮を頂く等、在っては為らぬ事だ。

 

だが今日は違った。

 

今日中に明日の仕事も、ある程度は終わらせると決めているのだ。

例え、不眠不休に為った所で構いはしない。

 

明日は、戦に出る予定も無い。

日々熟すべき執務さえ終わらせて居れば、休養も同じなのだ。

為らば、朝までに終わらせずに何としよう。

 

一度筆を置き、一息吐き出す。

豊臣軍に元服してから、脇目も振らずに戦場を駆けては執務を熟す日々を過ごして来た。

然し、思う所が無かった訳では無い。

 

吉継だ。

三成の意識の中には常に、病に侵された友が在った。

 

皮膚が妙な斑紋が浮かぶ奇病。

昔から発症していた皮膚症状に留まらず、四肢の痺れが出始めた吉継は殆ど籠り切りだ。

そして元服し立ての三成は多忙を極めて居る。

 

其の所為も在って、永く会って居ない。

もう、半年は優に経っている。

 

其れが如何だろう。

兼ねてから交わしていた文に寄れば、嘗てから趣味の如く行なって居た((咒い|まじない))遊びが功を為したとか。

戦場に出られる状態ですら在ると云う。

 

何を如何すれば彼の身体で戦場に出られるのかは解らないが、此の間の遠征の帰りで吉継の様子を伺いに行った半兵衛が云うのだから間違いは無いのだろう。

 

そして、文には明日は吉継の方から此処に来ると在った。

久し振りに会う友の為、時間を割きたいと思わない筈が無い。

 

況して、文を読む限り吉継の精神状態も悪く無さそうなので尚更だ。

 

明日は何をして過ごそう。

話したい事は山の様に在る。

上手く言葉にする自信は無いが、相手が吉継為らば問題無い。

吉継は、三成の一つの言葉から十の意を汲んで呉れる。

 

豊臣軍に尽くす事を生き甲斐として来た三成に取って、半兵衛と秀吉の「休め」の言葉に此れ程の歓びを覚えたのは初めてかも知れない。

 

二人に心からの感謝を呟く。

正直、今日だけで片手の指では足りない位に呟いた言葉だが、其れでも三成に取って足りない程で在った。

 

友との再会、そして其れを気遣って呉れる関大な上官。

2つの歓びに緩んだ表情と精神を引き締め、再度筆を取った。

 

久しい再会に[仕事が円滑で無い]等と云う無様を曝さぬ為にも、吉継の到着までに8割は終わらせる。

そう意気込み文机に向かい直した。

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耳を擽る鳥の囀りに、今ようやっと現実に引き戻された様な錯覚を憶える。

処理を済ませた書類の山。戦場に立つ上で最低限必要な知識の課題。

 

其れは、高々2日分でも相当な数だ。

山と為った其れを眺め乍ら満足気に笑みを浮かべる。

 

当初の予定では今日の分は少し手を付けるだけの予定だったが、終ぞ終わらせられる分の総てが片付いた。

誰に見せるでも無いが「当然だ」とばかりに鼻を鳴らし書類を纏める。

 

そして、今の時間を思い返した。

もう、陽が昇って結構な時間が経つだろう。

 

此れは拙いと、三成は急ぎ身嗜みを整える。

兼ねてからの友と云えど、吉継と三成は元服を済ませた武将だ。

先ず、豊臣軍同志としての再会が先であらねば為らない。

着流し姿等、礼を欠くにも程がある。

 

更に云う為ら、秀吉と半兵衛への朝の挨拶を欠かす訳にも行かない。

そして、今日割いて貰った時間、与えられた休息への謝辞、其れから……と三成の不器用且つ空回り気味な思考が駆け廻る。

ドタドタと足音も荒く身形を整え、今日の予定を脳内で反服し、と忙しなく動き廻る彼には部屋に近付く賑やかな足音等届いて居なかった。

が、其の[部屋に近付く足音]の持ち主は、何の躊躇いも無く襖を開け放つ。

 

 

「三成。起きてるか?珍しいじゃないか、お前が床を出るのがワシより遅いなんて「煩い邪魔だ退け!!」

 

 

不眠明けの、何時もより険しい表情が家康を突き飛ばす。

 

何時も以上に棘の在る声音。

一兵卒で在れば腰でも抜かしそうな声音視線だが、そんな物に怯む家康ではない。

気付くか否かすら危ういと云う物だ。

 

 

「三成、今日は機嫌が悪いなぁ。……何時もか」

 

 

そんな朗らかな言葉で返せるのは、世界広しと云えど家康だけで在ろう。

 

 

 

 

 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−…………

 

 

 

 

 

廊下から短い悲鳴が数多く聞こえる。

驚きの色で響く物から、怯えを含んだ物迄。

 

半兵衛は苦笑を隠しもせず、秀吉に振り返った。

 

 

「今日は一段と賑やかだね」

「何、三成も未だ若い。仕方なかろう」

 

 

朗らかな視線を交わし合い、然し半兵衛の眼が憂いを帯びる。

 

 

「少し、早まった気もしなく無いね」

 

 

ぽつりと呟かれた言葉に、秀吉も険しい表情を浮べた。

突然訪れる重圧。

 

 

「吉継の事か」

「そうだよ。余り、善い結果ばかりとは云えない気がしてね」

 

 

神妙に為る二人。

然し、一秒毎に激しく為る喧騒に込み上げる笑いを押さえる事は出来なかった。

 

 

「今だからこそ。そう云ったのは半兵衛、お前だ。三成と吉継為ら大丈夫だろう」

「そうだね。下らない杞憂かも知れない」

 

 

そんな会話の最中、一際大きい悲鳴と、其れを凌ぐ「秀吉様の御膝元で騒ぐな!!」と云う元凶で在ろう彼の叱責が響いた。

 

そして訪れる静寂。

襖の向こうから、衣擦れと咳払いが聞こえる。

 

 

「秀吉様、失礼致します」

 

 

今迄の喧騒の中心とは思えない落ち着きの在る声音。

静かに襖が滑り、三成が深々と頭を垂れる。

 

 

「御早う、三成。否、眠って居ない者に「御早う」は間違いかな?」

 

 

室内を確認する事も無く礼をしていた三成は、聴こえた声に驚き顔を上げる。

 

 

「三成……昨日云った筈だよね?折角の友との再会なのだから、身体を休める様に、と」

「半兵衛様!!私は此の程度、苦に為ろう筈も……いえ、御云い付けを破った事、深く御詫び申し上げます」

 

 

訴え掛けて来た直後、己の行為を恥じる様に俯く。

本当に何処迄も不器用な男だ、と秀吉が笑った。

 

 

「今日ばかりは固くなるな、三成。其れより、もう直ぐ吉継が到着するぞ、再会の準備も在ろう」

「然し……他を疎かにする訳には……」

 

 

先程から、行動や言動に先走りや空回りが目立つ。

普段であれば、半兵衛や秀吉に失態を見せまいと取り繕って居るだろうが、

如何せん今日は浮かれて居るのだろう。

 

 

「其の為に、眠りもせず机に向かっていたんだろう?早く行っておいで」

「……半兵衛様ッ!!」

 

 

今にも感涙しそうな三成の頭を、秀吉の大きな掌が豪快に撫でる。

三成は照れたのか、居心地悪そうに視線を泳がせた。

 

秀吉の手が離れると、三成は再び片膝を付いて頭を提げる。

 

 

「御二方の御心遣い。心より御礼申し上げます。私等には勿体無い……」

 

 

最後までモゴモゴと、言葉にし切れない歓びを行動にチラつかせながら三成は退室していった。

其の背を見送る秀吉と半兵衛の視線は、君主と云うより親に近い。

 

 

「矢張り、心配は要らぬ様だぞ」

「そうだね。まさか彼処まで浮かれてるとは思わなかったよ」

 

 

感心する様に云う半兵衛は「其れすら凶とでたら……」と云う無粋な言葉は呑み込んでおく事にした。

悪い方に考えるのは参謀と云う立場上だろう。

決して[そう為る]確率が高い訳では無い。

 

 

悪い考えを捨てる様に、進軍先を決め倦ねている事を思い出す。

為る様にしか為らないと、半兵衛にしては珍しい放任的な考えで思考に終止符を打った。

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「三成、聞いたぞ。古くからの友に逢うらしいな」

「……家康」

 

 

秀吉の部屋を出て、準備と云えど何をすべきか逡巡していると突然声を掛けられた。

一体誰に聞いたやら……。

 

否、今は準備が先だ。家康所では無い。

秀吉が準備をしろと云ったからには、自分は未だ邂逅に相応しい状態では無い筈だ。

そう、止まらず空回り全開の思考で考える。

 

 

「一体何を悩んでるか知らないが……もっと嬉しそうにしてるかと思ったのに……っ!?」

 

 

云い終える前に、家康が言葉を詰まらせる。

三成が突然、襟首を掴んだからだ。

 

 

「貴様……。私が喜んで居ないと云うのか?吉継と逢うと云うのに、私に何の感慨も見えないと云うのか!?」

「落ち着け三成。何も其処まで云って無いじゃないか」

 

 

宥める様に手を前に出し、家康が苦笑する。

其の姿に我に返ってか、三成は手を放すと決まり悪そうに視線を逸らした。

 

何もかも、怒りで表そうとするのは三成の悪弊だ。

其れは本人にも自覚が在る様で、こうして気付けば動いて居る躯、叫んでいる口を疎んで居る事も屡々だ。

 

 

「まぁ、何だ。お前……喜んでるにしては顔が怖いぞ」

「煩い。私は忙しいのだ。一々表情等気にしていられるか」

 

 

又口内でブツブツと何か呟き始めた三成に、家康は「何をそんなに考えているんだ?」と訊ねる。

三成にしてみれば、こうして会話する時間も惜しい位だ。

 

然し、こう云った場面に置いては家康の方が器用なのは確かだろう。

殆ど人と会話する事も無い三成よりは確実に。

 

 

「秀吉様に準備をしろと云われた……が、何をすれば良いか解らん」

 

 

拗ねた様に外方を向き、恥じる様に三成が呟く。

秀吉の意を汲めなかった事が相当堪えている様だ。

 

そんな三成の様子に微笑みを零した家康は、三成の胸に掌を宛がう。

 

 

「三成。取り敢えず肩の力を抜いて深呼吸するんだ」

「……?」

 

 

突然の行動に、三成が疑問符を飛ばす。

然し「ほら、いいから」と促されれば従ってしまうのも妙な噺。

 

三成は一度瞳を伏せ、深く空気を取り込んで吐き出す。

何時もより、吐き出す空気を意識している気がした。

 

とは言え、眼に見えて何が変わる訳でも無く、三成は「此れが何だ」と家康を睨んだ。

 

 

「こうして呼吸すると、難しい考えが浮かばなく為るだろう?」

 

 

太陽の様な、そんな笑みだ。

暖かく見守る様な笑顔で云う家康に、喉まで出掛かった「下らない」の一言が身を潜める。

 

 

「良く知った仲為ら、尚の事[素]の儘で良いんだと思う。三成は難しく考え過ぎて肩に力を入れ過ぎなんだ。秀吉殿が云いたかった準備って云うのは、こうやって落ち着く事じゃあ無かったのか?」

 

 

云われて考えれば、少々先走っていたとは思う。

一武将として見える場の用意は、家臣達が疾うに済ませていた。

 

為ら、自分を焦らせていた物は何か。

 

考えれば答えは直ぐに出た。

単なる子供の様な堪え性の無さだ。

 

其れを理解すると、三成は顔に血が昇る様な錯覚を憶える。

今日の自分は何れ程不様に奔走しているだろう。

 

而も其れを家康に教えられると云うのは屈辱でしか無く

三成は家康を突き飛ばし、鼻を鳴らして踵を返した。

 

 

「礼は云わん」

 

 

冷たい声音で吐き捨てる。

然し其の言葉の中に[家康の御陰で答えが見つかった]と云う意味が含まれて居ると、果たして家康は気付いただろうか。

 

憮然と立ち去る三成を、家康が呼び止める。

 

 

「待て待て三成。先刻も云ったろう?顔、少しは笑む練習でもしといたら如何だ?」

 

 

家康が揶揄う様に云う。

彼にしてみれば三成の過ぎた緊張を解す積りだったのだが、三成の蟀谷には明らかに青筋が浮かぶ。

 

 

「黙れ!!余計な世話事を垂れるな!!」

 

 

何が其処まで気に障ったのかは本人も解って居ないのだろうが、そんな事を一々気にする筈もなく抜刀と云う手段で家康を黙らせる。

 

流石に刀を抜かれれば家康とて黙ってはいられない。

直ぐに抗議の声を上げるが、まるで興味を失った様に立去る三成の耳に其れが届いていたかは定かではない。

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家康と下らない問答をしてから、可也の時間が経つ。

吉継は疾うに着いている頃だ。

 

三成は自室に居た。

今の己は、吉継が秀吉に挨拶に行く邪魔をしてしまいそうだったからだ。

 

吉継が秀吉の部屋を出る頃に知らせる様、小姓には命じてある。

然し、專ら堪え性の無い三成だ。

彼は今当に、只黙って待つ事の苦痛に悶えていた。

 

早く姿が見たい。

如何に文を交わして居たとは云え、三成の記憶の中の最後の吉継は床に伏して居た姿だ。

当分は養生を摂ると苦笑いを浮かべた顔は、今でも鮮明に憶えている。

 

早く、安心させて欲しい。

其の一心で、組んだ手に額を預ける。

 

己で思っていたより、幾分脆弱な自分を嗤った。

 

自嘲気味な思考に終止符を打つべく、傍らの無名刀を拾い上げる。

 

刀身を鞘から覗かせ、其処に映る己の顔に失笑した。

 

 

――なんて情けない顔だ。そんな面構えで吉継に逢う積もりか――

 

 

頭を振り、一度大きく呼吸する。

成る程、莫迦にしてはいたが存外落ち着く物だ。

 

少しはマシに為った表情に鼻を鳴らす。

調度其の時、襖越しに控目な声が聞こえた。

 

 

「三成様、吉継様が接見を終えた様です」

「解った。下がれ」

 

 

底冷えする様な声音さえ、何時も通り。

一瞬、家康の云った「もっと嬉しそうにしてると思った」と云う言葉の意味を理解した気がした。

 

だからと云って、奴が云う様に笑ってみよう等と思わないのだけれど。

 

そんな事を考え乍ら、秀吉の部屋の方へ歩みを進める。

すると、明らかに奇妙な物が眼に映った。

 

何かが浮いている。

而も可也大きい。云う為れば人一人乗れる様な……否、寧ろ人が乗って居る様に見受けられる。

 

然し、其れは誰かに持ち上げられているでも無く、独りでに浮かんで此方に向かって来ている。

流石の三成も、我が目を疑った。

 

輿が浮いている。而も人を乗せて。

言葉も発せぬ儘に歩みを進めれば、其の輿に彫り込まれた紋が眼に付いた。

無意識に足早に為る。

 

番の蝶。

そして、兜にも模された白い蝶。

 

其れを纏う男は、肌の総てを隠して居る。

其の容貌は、深く見覚えが在った。

 

 

「……吉、継…なのか?」

 

 

呟く様に云えば、包帯の奥に潜む眼が三成を捉える。

 

 

「随分、久しいモノよ。なァ、三成」

 

 

掠れた様な声音。

見下ろして来る視線は矢張り、深く見知った其れだ。

 

 

「貴様……何だ其の格好は」

 

 

今にも緩んでしまいそうな表情を引き締め、誤魔化す様に顔を顰める。

すると、己の腕を一度眺めた吉継が三成に向き直った。

 

 

「正装よ、セイソウ。晒して愉快な肌では無い故」

「悪巫山戯の積もりか?一々愚昧の者共の言葉を気にする貴様では在るまい」

 

 

溜息交じりに三成が呟く。

そう、見た目でしか物を見えない輩等、捨て置けば良いのだ。

こんな風に、外見の劣等感を隠し乍ら自虐に嗤う吉継は見ていて苦しい。

 

幼い頃より皮膚に妙な斑点が浮かび、赫黯く爛れた肌は好奇と侮蔑の格好の的だった。

人の視線は時に刃より鋭い。

だから仕方が無いと云えばそうなのだが、三成は其れを醜い等と思った事は無い。

大体、病は吉継に問題が在って発症する訳でもない。

堂々としていれば良いと何度も思っては、其れを許さない周囲の視線を不快深く憎んだ。

 

其れからと云う物、吉継は飄々とした態度こそ其の儘に肌を隠す様に為った。

病が拡がれば拡がる程、吉継を隠す布が増えていった。

吉継の異様な風体は、周囲の視線の所為とも云える程に。

 

思い出すだけでも腹立たしい悪意の言葉の渦。

臓腑が煮え滾る様な好色の眼。

 

一度其れを思い出せば、腹の其処で蛇が蠢く様な錯覚を憶えた。

 

 

「やれ三成や。落ち着け」

 

 

不意に名を呼ばれ、意識が白昼より帰還する。

歪んだ焦点を合わせれば、己から黝い焔が立ち昇っている事に気が付いた。

 

 

「……済まない。考え事をしていた」

「何を考えていたかは想像に困らぬな。気にしやるな」

 

 

重苦しい雰囲気が立ち込める。

こう云う時、家康の様に明るく切り返す術を持たない己を、僅か乍ら心中で呪った。

 

何を云えば良い?

自問していると、視界の端を白が横切った。

 

 

「……珠数?」

 

 

三成の頬を掠める様に、白い珠数が宙を舞う。

重みを忘れた様な動き。

 

不意に、眼の前で同じように動く物に眼を遣った。

 

 

「……其れは貴様が操っているのか?」

 

 

興味深そうに三成が輿を見詰める。

そんな三成の様子に、吉継が嗄れた笑声を零した。

 

 

「驚いたであろ?何、((暇|いとま))は在った故、容易いタヤスイ」

 

 

吉継はカラカラと笑い乍ら三成の前に掌を翳す。

 

 

「ほれ、良う顔を見せ。久方振りに撫でてやろ」

「要らん。貴様は何時まで私を童子の様に扱う積りだ」

 

 

三成が眉を顰めると、吉継が独特な笑声を上げた。

先程の重圧を忘れた様に穏やかな空気が漂う。

何が可笑しい、と睨み付ければ唯一露出している瞳が穏やかに細められた。

 

 

「否何、[豊臣先鋒は鬼子で在った]等と嘯く輩が増えて来居った故な。変わり無い様で安心よ」

 

 

云い乍ら頬に触れる指先。

久しく感じる事の無かった低体温の温もり。

 

然し、三成は奇妙な違和感を憶えた。

嘗ての様な優しさは在れど、何処か味気無いのだ。

 

云う為れば、以前の様な[包む様な触れ方]では無く只[皮膚の上を滑っている]様な。

 

 

「吉継?」

 

 

特に如何したという訳ではない。

只、其の違和感が厭に胸を掻き乱す。

 

其の所為か無意識に名を呼んでいた。

 

 

「如何しやった、三成?」

「否、何でも無い」

 

 

気の所為だ。

そう、久し振りに逢うから馴れが失せただけだろう。

 

胸中の呟きは、まるで咒いの様だ。

何がそんなに不安なのか、自分でも理解出来ない。

 

然し、理由も無い不快感など口にするのは莫迦らしいと云うモノだ。

三成は何かを探す様に、周囲を見た。

 

 

「吉継。貴様、何故一人なのだ?」

 

 

不意に眼に付いた疑問を訊ねれば、吉継は態とらしく頚を傾げる。

 

 

「さてなァ。皆、宛てがわれた部屋が気に為るのであろ?早々に散って行ったわ」

 

 

「まるで蜘蛛の仔よな」と愉し気に呟く。

とも在れ、余り変わりの無い吉継に多少の安堵を憶えた。

 

 

「まぁ良い。貴様も一度、部屋に帰るだろう?」

 

 

返事を待たずに、三成は歩き出す。

一応、連れて行ってやろうと云う心遣いだ。

 

数歩歩みを進め、矢張り妙な違和感が募る。

幾等、秀吉直轄の此の城に入ったからと言って、小姓さえも側仕えしていないとは如何な物か。

 

大体、此の城に仕えている者は案内もせずに何をしているのか。

と、苛立ち半ばに考える。

 

吉継は基本的に放任主義だ。

病で躯が不自由に為ってからも、周りに人が居るのを余り好まない。

だが、仕える者を甘やかし過ぎるのも問題で在る。

下々に相応の仕事を与えるのも、将の義務だ。

 

余り放任が過ぎる様なら一言云ってやらねば、と一人意気込む。

 

と、其の時だった。

 

 

「アレが例の」

 

 

廊下の角から、潜めた様な話し声が聞こえる。

 

 

「聞いた噺に拠れば彼の下は「オイ、止めとけよ。汚れ縁が繋がれるとかって謂れも在るぞ」

 

 

密々と、何やら噂噺の様だ。

人に訊かれて成らぬ言葉為ら、端から放ら無ければ良い物を。

 

何を話しているかは良く解らなかったが、豊臣の城で風体の悪い真似をされるのは不快極まる。

 

三成は、角へと脚を向ける。

然し、突然肩を掴まれて其れは叶わなかった。

 

 

「やれ三成や。我の部屋に案内して呉れるので在ろう?其れを途中で寄り道とは……哀しやカナシヤ」

 

 

三成を止めた吉継は何処か態とらしく、声を大にして云う。

行き成り芝居掛かった物云いに為る友に、三成が眼を丸くして驚きの表情を浮かべた。

 

調度其の時、角からは短い驚きの悲鳴が響く。

足早に去ろうとする足音に、三成が振り返り乍ら怒鳴りつける。

 

 

「待て!!貴様等、其処で何をしている!!」

 

 

叫ぶ三成に止められた二人が怯えた顔で振り返った。

其の眼が吉継を捉えた瞬間、更に表情が固くなる。

 

 

「コソコソと何の密談だ?本人を前に云えぬ陰口を音にするな。秀吉様に仕える者として恥じ入る様な行為は慎め!」

 

 

眼前に迫った三成は苛立たし気に二人を睨み付けた。

然し、其の言動から[何の噂をしていたか]は解っていない様だと踏み、笑顔で取り繕う。

 

 

「申し訳在りません。否、ほんの下らない物怪の噂ですよ」

「?……如何でも良い。此の城の汚れに為る様な真似は一切赦さない。肝に命じておけ」

 

 

胡麻擂りする様に、二人の兵は三成の機嫌を伺い乍ら去って行く。

其の背を眺め乍ら、吉継が口許を歪めた。

 

 

「次は上手くしやれ。物怪の耳は何処で傾いて居るか解らぬ故な……ヒヒッ」

 

 

反射的に振り返った兵は、青褪めて走り去った。

 

笑声を零す吉継の顔を覗き込み乍ら、三成が疑問符を飛ばす。

其処には先程と寸分違わぬ表情が在った。

 

 

「吉継……まさか、貴様まで妖怪変化等信じている訳では在るまいな?」

 

 

案じる様な瞳で一瞥する三成に、吉継は再度笑い声を上げる。

「主と云う男は……」と笑い混じりに何かを告げようとした口が、然し違う言葉に擦り替える。

 

 

「否、具に総て否定すれば良いと云うモノでは無いぞ?三成よ。悪し物とは、気付かぬ内に忍び寄って来るが常よ」

「…………?」

 

 

謎掛けの様な吉継の言葉に、三成は眉を顰めるばかりだ。

然し、元来の性格から[深く考える事]を不得手とするのは自他共に認める所。

下らないと鼻を鳴らして一蹴する。

 

 

「今は互いに忙しい時期だろう。そんな下らぬ噂、早々に忘れてしまえ」

 

 

そう云って再び、吉継の部屋に脚を進める。

背を追う吉継は[此の噂は、此れから厭と云う程聞く事になろ]と胸中で呟いた。

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「此処だ」

 

 

着いた部屋は決して広過ぎず、刳り窓から空を臨むに美しい一室だった。

覗く虚空は、既に群青から紺へと塗り替えられ始めている。

 

 

「此れは又、見事な物よ」

 

 

吉継は室内の調度品などには目も呉れず、丸く切り取られた様な窓に近付く。

その様を満足気に見る三成は、何時もの彼からは想像も付かない柔かな笑みを浮かべていた。

 

 

「貴様が((星詠|ほしよみ))を嗜むと、秀吉様に話した事が在る。((虚空|空))の見える部屋が好かろうと此処を宛行って下さったのだ」

 

 

光栄な事だろう?と何故か三成が嬉しそうに頬を緩める。

 

 

「主が太閤に我の噺をするとは……些か想像に難しい物よな」

 

 

揶揄する様に云う吉継に、三成が眉を寄せた。

然し、吉継の云う事も一理在る。

 

三成と云えば、秀吉の前では望まれる言葉以外を吐く事など殆ど無い。

況して、秀吉が一々吉継の嗜好など気に掛けるとも思えないからだ。

 

そんな吉継の反応に、三成は心外だとばかりに余所を向く。

だが、数秒後には何かを思い出した様に腰を上げた。

 

 

「きちんとした挨拶が未だだったな。今、酒と杯を持たせる」

「待て、三成。我は病躯で在るぞ?此処に来るだけで些か疲れた。堅苦しいのは明日で良かろ?」

 

 

気怠げに手をぶらつかせる吉継に、仕方のない奴だと溜息を零す。

 

 

「何か入用は無いか?不便が在れば云え」

「在れば其の都度述べよ。そう気を遣いやるな」

 

 

苦笑し乍ら、然し何かを思い出した様に手を叩く。

 

 

「そうよなァ……不便は無いが茶が嚥みたい」

 

 

何処か愉し気に云う吉継に「欲心の無い奴だ」と息を吐く。

其れは三成も同じ事だが、そんな事に自覚が在る筈も無い。

 

 

「茶?……待て。直ぐに持たせる」

「待ちやれ、三成。我は[主が立てた茶]が嚥みたいのよ」

 

 

小姓を呼ぼうとすれば、着物の裾を掴まれる。

振り返れば「断りはすまい?」と云わんばかりの笑みで三成を見上げる吉継。

 

本来為ら一武将に「茶を立てろ」等、失礼極まりない要求だが其の程度の事を気にする仲では無い。

 

三成は呆れた様に腰を上げる。

 

 

「少し待て。白湯と茶器を取って来る」

 

 

そう云い残して、襖を潜った。

何故か[茶を立てる用意を小姓にさせる]と云う選択肢が出なかった。

 

其れは、吉継の笑みに其の意が込められて居た所為だと気付かぬ儘、炊事場に向かった。

 

 

 

 

 

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−………………

 

 

 

 

 

「吉継、戻ったぞ」

 

 

茶の用意を手に、部屋に戻る。

襖を滑らせれば、仄かに鼻を刺激する煙の香。

 

 

「応オウ、早いモノよな」

 

 

振り返る吉継に眉を顰める。

 

 

「何の匂いだ?……何故、香など焚いている」

 

 

如何やら、三成が茶の用意をしている間に小姓に持たせた様だ。

穏やかな雰囲気を演出する様に、独特の香りが満ちる。

 

とは云え、今から茶を立てようと云う時に煙を焚くとは如何なモノか。

 

 

「何、気にする程の事でも在るまい」

「……?」

 

 

当然の様に云われ、二の句を失う。

だが、疑念は募るばかりだ。

 

何かが可怪しい。

確かに永く会って居なかったが、そう云う違和感では無いのだ。

 

何か、そう。

一歩踏み出すと、退られる様な焦れったさ。

 

不快だ。

久々の友と過ごす時間に在るまじき考えだが、先程から吉継の行動言動が不快で為らない。

 

そう思い乍ら茶を立てる。

 

 

「相も変わらず、ヨイ手捌きよな」

 

 

包帯の下で微笑み乍ら云う吉継に「おべっかは要らん」と素っ気無く返した。

 

茶を差し出し、茶菓子を置く。

そして、視線は其の儘に口を開く。

 

 

「……吉継。其の儘では茶が呑めないと思うが?」

「気にしやるな」

 

 

即座に返してきた吉継は、包帯の口許だけを緩める。

其の姿に、何処かで何かが切れる音が聞こえた気がした。

 

 

「好い加減にしろ、吉継!何時まで其の儘で居る積りだ!!」

 

 

叫び乍ら、襟元を掴んだ。

其の儘、左手で頬の上に重なる包帯を無理矢理に引き剥がす。

然し、ほんの一寸布をずらした刹那、三成は息を呑んだ。

 

 

「……ッ!?」

「放しやれ、三成」

 

 

顔に触れていた手に、殊更優しく吉継の指が触れる。

だが、三成はそんな事を考える余裕等無かった。

 

 

「……何だ、其れは」

 

 

喉が拉げた様に、上手く言葉を綴れない。

 

 

「答えろ、吉継!!」

 

 

三成は、痺れた舌を叱咤し乍ら弾劾する。

吉継は其れに溜息で返し「業よ、ゴウ」と呟いた。

 

 

「余り見遣るな、三成よ。他は如何であれ構いはせぬが、主の眼の色が変わる事は我とて耐えられぬ」

 

 

吉継は、感慨の無い表情を貼り付けて云う。

三成の眼に映る吉継は、右頬から頚に掛けて皮膚が腐れて居た。

 

黒い汚血と膿が混じり、滲んでいる。

其の周囲の肌も、赫黒く爛れていた。

 

 

「……何故だ?」

 

 

包帯に掛かった指を、吉継が一本一本剥がしてゆく。

総ての指が包帯から離れると、三成の手は力無くだらりと提がった。

 

視界が滲む。

臓腑が潰れんばかりに軋りを上げる。

 

 

「何故、貴様が……貴様が何をしたと云うのだ!!」

 

 

今までの違和感に、明かりが射す。

 

早々に吉継から離れていた小姓。

三成に触れる指先の味気無さ。

廊下で陰口を叩いて居た連中も。

 

部屋で焚かれている香でさえ、膿の匂いを隠す為だろう。

其の総てが、眼の前に在る其れが真実だと語って居る。

 

包帯に覆われた手が、躊躇いがちに三成の頬に触れた。

目尻を親指で撫でる動きが酷く穏やかで、胸が潰れそうに為る。

 

 

「泣くな、三成。主が噎ぶ必要は無かろ?泣くなナクナ」

 

 

嗄れた、然し優しい声音は小姓の頃と寸分違わず、遂に三成は頽れ吉継の胸に額を押し付けた。

 

 

「紀之ぉ……っ!!」

 

 

嗚咽を零し乍ら、吉継の背を掻き抱いた。

そうしなければ、今にも吉継が消えて無くなりそうだった。

 

 

「やれ、三成。余り触れて呉れるな。伝染らぬ保証は無い故……何より、此の醜い躯に触れて汚れて呉れるで無い」

 

 

慈しむ様な視線で、吉継が云う。

三成は涙を拭う事さえ忘れ、再び吉継に掴み掛かった。

 

 

「何が伝染るだ……何が醜いだ!!私の前で、二度と其の様な事を口にするな!!」

 

 

叫べば、あやす様に髪を撫でられる。

責めたい訳では無い。

なのに、吉継に降り掛かった此の絶望に対する怒りの遣り場が無く、憤りが先走る。

 

 

「伝染る為らば、さっさと伝染してしまえ!!其の絶望を……苦しみを、一片でも私に背負わせろ!!」

 

 

今の自分が、如何に無理を云って居るかは理解している。

こんな事を云っては、吉継を困らせるだけだと云う事も。

 

此れでは、何も出来ない稚児の駄々ではないか。

然し、何もしてやれないと云う点では間違いでも無い。

三成は稚児と違わず無力だった。

 

 

「三成、主は本に優しい仔よ。佐吉の頃より一つと変わらぬ。然し、其の言葉は仕舞いやれ。主がそう云うて呉れるだけで充分よ」

 

 

吉継が三成の頭を優しく叩く。

そして、柔らかく身を離すと手早く包帯を直し傍らの杖を手に腰を上げた。

 

 

「少々、夜風に当って来る故、其の間に落ち着きやれ」

 

 

吉継が部屋を離れる。

然し、止める気には為らなかった。

 

今は一人に為らなければ、泣き止めそうに無かった。

 

 

「…………何故、私はっ!!」

 

 

何も出来ない?

変わってやれない?

何時も共に在ったと云うのに、自分だけが健体なのだ?

 

三成は己を責める事しか出来なかった。

其れこそ、御門違いも甚だしい事ばかりが頭を廻る。

 

今にも胃袋を吐き出しそうだ。

今なら肺も吐けるかも知れない。

 

其れ程迄に追い詰められ乍ら、三成は出来うる限り大きく呼吸をした。

-7ページ-

夜風が頬を撫でる。

冷えた木枯らしは、荒れた肌に鋭い痛みを産んだ。

 

針で刺す様な痛み。

其れに体温が攫われていく感覚は、己の中に在る正体の掴めぬ熱を取り去って呉れる様だった。

 

風に弄ばれる木々を眺め乍ら思う。

厄介な事に為った、と。

 

半兵衛に戦場に復帰する話を持ち掛けられた時、本当は歓び等一片も無かった。

只、そう云う流れだった。

 

為らば、己の手で戦場を絶望の呑底に突き落とすのも悪くは無かろうと、其の程度の積りで頚を縦に振ったのだ。

其処に、矢面を三成と駆ける等と云う幻想は、生まれる事すら無かった。

 

寧ろ、三成にも見限られるだろうと

そうすれば、もう足掻く事も無かろうと

己を殺す為に来た筈だった。

 

其れが如何だろう。

此の躯を見られまいとする己の滑稽さ。

如何に取り繕おうとしても、三成の前では胸の深くに沈めた言葉がするりするりと零れてしまう。

 

そして、総て棄てる筈だった吉継を貫いた真っ直ぐな眼。

此れでは、又縋ってしまう。

己を無にする事が出来ぬ。

 

其れは、在る種の絶望。

手持ち無沙汰為ら、迫り来る死にさえ笑みを零せただろう。

 

然し、三成が齎したのは残酷な迄の光。

まるで、闇夜に浮かぶ月ではないか。

 

無明に沈む事を赦さず、此の身に温もりを与える仄光り。

然し其れは同時に、己の先に在る物が闇でしかないと叩き付ける。

此の温もりは、早に終わりを告げるのだ、と。

 

そして、又鎌首を擡げる恐怖。

生きたいと思わせて欲しくは無かった。

今宵は三成と云う柵を斬り捨てる、黎明の時と為る筈だった。

 

何と云う心算違い。

物事は真、思い通りに為らぬ、と月に悪態を吐いた。

 

忌々しく思い乍ら、尚も暖かみに触れて喜ぶ自分にすら微かな苛立ちを憶える。

 

吉継の自虐は、妄言などでは無い。一般論だ。

病に冒された躯は忌まれて然るべきで在り、吉継に例外無く降り掛かった最大の災厄は[他者の好奇]だと云える程に。

 

然し、其の一切を肯定しない眼。

己の為に降った優雨。

 

 

――如何して呉れる、三成よ。主の御陰で未だ我が感情は死ねぬ。主の所為で、我は又不幸を知る――

 

 

幸福は短命への苦しみしか与えぬと云うのに……。

胸中で嘯き乍ら「徐々戻らねば三成が心配しよ」と、既に内心深くに彼れを迎えて仕舞って居る現実に溜息を吐いた。

 

 

――考えるだけ無駄よ、ムダ。昔から彼れは、こうと決めたら何にも譲らぬ。我が何を云おうが聞き入れよう物か。我よ、諦めよ――

 

 

己に云い聞かせ乍ら、自室に戻る。

通り縋りの下働き達が又何事かコソコソと話していたが、正直何の感慨も湧かなかった。

 

時折、脚に鈍い痛みを感じ乍ら、其れでも少し急ぎ加減に為っている己を笑う。

 

襖の前に立ち、無音の廊下に佇む。

室内には、三成の気配が在る。

然し、想像を遙かに越えた静やかさだ。

 

己の部屋に入るのに、断りも要るまいと戸を開けた。

 

 

「三成よ、落ち着いたか?」

 

 

静かに背を向けた儘、正座をしている三成に声を掛ける。

すると、緩慢な動きで躯ごと振り返った三成は又、行儀良く膝を揃えた。

 

そして、彼は己の前に刀を置く。

一体、何の積りだろうか。

 

逡巡している間に、三成は真っ直ぐな眼で吉継を見据えた。

 

 

「先程は取り乱した。すまない」

 

 

取り澄ました声音で云うも、声は震えていた。

眼は真っ赤に泣き腫らし、鼻梁迄も朱の色に染まっている。

 

 

「ヒヒッ……刀なぞ出して如何にした?物騒な」

 

 

本当に、次の行動が読めない男だ。

 

一層「此れで楽にしてやる」とでも云って呉れれば幾らか幸な最後では無かろうか。

三成がそんな事を云った日には、槍だか鏃だかが降るだろうが。

 

其れはソレで悪く無い、等と考えて居ると、三成はゆっくりと無名刀を拾い上げた。

 

吉継を見詰め、差し出す様に翳す。

 

 

「吉継……否、紀之。覚えて居るか?寺小姓だった頃に交わした、最後の刹那迄共に在ると云う誓いを」

 

 

突然、何を云い出すかと思えば……。

問われて思い出すのは、幼き日の情景。

共に在れる為らば、死すら怖れまいと笑い合った日々。

 

今と為っては、まるで夢物語だ。

自嘲気味に笑い乍ら、一つ頷く。

 

 

「其れが如何した」

「為らば吉継。今一度、私に誓え。私が触れる事を拒絶するな。私に触れる事を躊躇うな。そして何一つ隠さず、具に総てを私に晒すと」

 

 

思いもしなかった言葉に、喉が引き攣る。

 

 

――主は此の躯を晒せと申すか。此の腐れた肉を、其の眼の前に――

 

 

「断る……哀れまれるは御免よ、ゴメン。主が業に喰われる様も見とう無い。そう述べたら、主は如何する?」

「絶縁だ。其の様に希薄な縁為らば打ち捨てる」

 

 

断言するも、手が微かに震えて居る。

本人も自覚が在るのだろう。三成は忌々し気に己の手を睨み、

強く刀を握り締めた。

 

そして、再び吉継に視線を戻す。

 

 

「だが、貴様が誓う為ら私も貴様に誓う。此れから先、何が在ろうと私は変わらない。貴様を憐れむ事もない。同情もしない。只、変わらず傍らに在り続ける……と」

 

 

三成の眼に陰りは無い。

此の詞が、既に同情なのではないか。とも思うが、三成は、そんな器用な生き物では無い。

 

況して、嘘や責任感の無い言葉が何かを救う事等、彼は信じもしないのだろう。

 

 

「良いのか?三成よ。後悔するやもしれぬぞ?」

「有り得ん。だが……もし、私が其の様な素振りを見せた為ら……誓いを違えた為ら容赦無く貴様の手で私を斬り捨てろ。そんな腐った心根で生きる等、恥でしかない」

 

 

何と愚直な男だろうか。

其れの何処にも、己の得など在りはしないと云うのに命を懸けるか。

何故、己の為に打算の一つも出来ない。

 

嗚呼、然し……

 

 

――其れも又、愛い――

 

 

もう、如何しようもないだろう。

今更、如何足掻こうが三成の粘り勝ちは眼に見えた。

 

何より、吉継自体が[己が三成を曲げる事]を良しとしないのだから。

 

 

「主には勝てぬなァ。否、参ったマイッタ」

 

 

戯ける様に云い、三成の前に腰を降ろす。

 

 

「為れば我は、こう誓お。主の眼に影が射さぬ為ら此の躯が朽つる迄、主に命ごと預けると。主が其れを受ける為らば、主の言葉には逆らわぬ。拒む為らば、主が云った通り絶縁よ」

 

 

二人は只々、互いを射抜く如く見詰める。

暫しの間、無音が降った。

 

 

「私に、貴様の総てを背負えと?己を棄てると云うのか」

「許より疾うに棄てて居るわ。為れば、先の誓いを交わす前に主が此れを拾いやれ」

 

 

三成が刀を置く。

 

 

「誓いは成った。さぁ、総てを晒せ」

「あい解った。ヒヒッ覚悟しやれ。眼が腐れて堕ちるぞ」

 

 

巫山戯て見せれば、眼前を風が通った。

同時に、頬の包帯がハラリと落ちる。

 

 

「三成よ。冗談くらい察しやれ」

「黙れ。私は、其の様な事を口にするなと云った筈だ」

 

 

何時の間にやら刀を拾っていた三成が、刀身を鞘に納め乍ら云う。

其の表情は、何処か不貞腐れて居る様に見える。

 

――やれ、困った稚児よ――

 

口にせず呟き、紙一重の刃に裂かれた頬の包帯から取り去って行く。

血と膿に滲んだ白布が堕ちるにつれ、三成の表情が痛々しく歪んでは無表情を作り直す。

 

思った以上に必死に為る三成に、自然と笑みが零れた。

 

 

「……痛痒は?」

 

 

不意に訊かれ、手は止めずに視線を向ける。

 

 

「まァ、ソコソコよな。今は四季の節目故、殊更見目が悪い」

 

 

胴を晒せば、背や脇腹は更に酷い有様だ。

黒々とささくれた肌が、三成の眼に映っている。

そう思うと、矢張り良い気はしない。

 

一つ小さな溜息を吐くと、不意に脇腹に触れられた。

 

 

「ッ!?……三成?」

「すまない、痛んだか?」

 

 

渇き切らぬ汚血が、指を汚す。

然し、三成は気にした様子も無く患部を見ている。

 

 

「痛みは良い。然し「良いなら文句を垂れるな」

 

 

全く変わり者も此処まで行けば大した物だ。

有無を云わさぬ三成に呆れに似た感情が湧く。

 

包帯を解き終えると、感嘆に近い響きの溜息が聞こえた。

 

 

「思っていたよりは状態が良い」

「主はどれ程の化物を想像して居った」

 

 

もう、出る言葉すら無い。

何とも畏怖が無いとは恐ろしい。

 

吉継は一糸纏わず、三成の前に座す。

 

 

「ゆるりと、然し確実に悪化しておる。痺れも又同じ。眼も悪く為る一方よ」

 

 

三成の云った[総て晒せ]と云うのは何も肌の事だけでは無い。

吉継は病状や天命を全う出来ぬ身で在る事を話した。

 

三成は出来うる限り無表情を湛え、黙って聴いている。

 

 

「三成よ、後悔して居らぬか?」

 

 

総てを話し終え、何気無く訊ねる。

すると、三成は包帯を拾い乍ら先程より平静な表情で吉継に向き直った。

 

 

「後悔など無い。寧ろ、知らぬ儘より余程良い」

 

 

云い乍ら、吉継の包帯を巻き直して行く。

 

きっと本人は気付いていないのだろう。

嘘の付けぬ三成が放つ言葉の一つ一つが、どれ程癒しに為るか。

 

こうして暖かみに触れれば触れる程、己を忌む眼に憎しみも生まれよう。

然し、痛みも感じず温もりも無い、幸無く苦も無き日々と

此の男の隣で、人を恨み乍ら過ごす幸薄い絶望の日常と。

2つを天秤に掛ければ、如何やら其れは三成に傾くらしい。

 

 

「三成、其れは己でやろ。放しやれ」

「断る」

 

 

即答され、触れる事を拒絶するなと云われた事を思い出す。

躊躇いも無く触れてくる三成に、忘れ去りたかった温もりを未だ、自分に向ける者が在ると知る。

 

――良くも悪くも、未だヒトの様よな――

 

胸中で呟き、又一つ三成の頭を撫でる。

今回は髪を掻き混ぜる様に、勢い良く撫で回してやった。

 

 

「っ吉継!!止めろ、包帯を巻く邪魔だ!!」

「ほう?主に触れるのは躊躇っては為らぬのでは無かったか?そう転々と云う事を変えられては困り物よ」

 

 

揚げ足を取れば、酷く真面目な表情で逡巡する。

云って仕舞った物は撤回出来ないし、かと云って此の儘では包帯を巻けない。

そんな状態で眉根を寄せる三成に、到頭吉継は吹き出した。

 

 

「な!?何故笑う!!!」

「ヒヒヒハッ!ヒッ、済まぬスマヌ。否、主は真に面白き男よな。笑い過ぎて窒息する所で在ったわ」

 

 

未だに支えた様な声で笑う吉継に、三成は恨めしそうに彼を睨む。

此れ以上笑っては気の毒だとは思う物の、一度溢れた笑声は中々止まっては呉れない。

制御の効かない感情等、未だ残っていたか、と他人事の様に無音で嘯く。

 

 

「っもう良い!好きなだけ笑え!然し包帯を巻く邪魔はするなッ!!」

「あい解った。主の御意の儘に」

 

 

云い乍ら再び手を差し出せば、頬を朱に染めた儘に包帯を巻いて行く三成。

思いの外、小器用な指先は繊細な動きで吉継に触れる。

 

今だけは己が腹の底に渦巻く汚泥の如き怨讐の念さえ、此の温もりに溶かされて行く様だった。

 

――愛でよメデヨ。此の不格好で貌の整わぬ華を――

 

未だに何言か憤りを吐いて居る三成に笑み掛け、吉継はゆるりと眼を閉じた。

 

説明
吉継と三成の過去捏造。業病発覚噺。BASARA初書きですので、色々おかしいと思います(←ヲイ)一応、腐向けでは在りません。設定がメッチャクチャですが見逃して頂けると之幸い。
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戦国BASARA 大谷吉継 石田三成 

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