垂水百済はマイナスである ――172回目の【僕】――  BOX―25 不幸な真実と幸福な嘘
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 愛する者のために偽り。

 

 親しき者のために騙り。

 

 守るべき者のために欺く。

 

 ――91回目の『僕』――

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 最初の異変は、選挙管理委員会から負傷者が続出したことだった。

 

 学園の――全校生徒の命運を握る生徒会選戦挙、その管理運営を任されているということはこの上ない名誉であり、同時にこれ以上ないほどの最大の重圧でもあった。無論、戦挙戦を円滑に、かつ合理的に進めようとしている長者原融通も重々に承知しているため、試合の準備に経験の浅い一年生を起用したりはせず、自身が信頼する少数精鋭の委員を配置するなど、最善と言える布陣を敷いた。

 

 だからこそ、長者原はこの異変に納得がいかず、首を傾げる。

 

 つい先日、古傷を開くという志布志飛沫の((過負荷|マイナス))――『((致死武器|スカーデッド))』を目の当たりにしたこともあり、何らかの異能が関わっているのではと勘繰ってもみたのだが、傷は真新しいものばかりで、古傷を開かれたというわけでもなさそうだった。

 もっとも、負傷と言っても打ち身や擦り傷、切り傷、火傷などの軽傷がほとんどであり、一番の重傷者でも手足の単純骨折程度。

 しかしそれでも、他にも体調を崩して病欠する者も少なくなく。

 何より、その数が異常だった。

 二、三人ならば疲れによる不注意だと軽く考えただろうが、自分を含めた委員のほぼ全員が負傷・病欠したとなれば、これは異様だと考えざるを得ない。そもそも、全員が同じ作業をしていたのに、症状がこれだけ多岐にわたっていること自体不可解だ。

 長者原は、自分に真相を解明できるなどと、自惚れも過大評価もしていなかった。

 保健委員長・赤青黄が負傷者を治療している際、彼女に心当たりがないか尋ねたりもしたのだが、返答は『知らない』の一点張り。

 結局、戦挙戦――会計戦を翌日に控えていたことも相まって、この件はうやむやになってしまった。

 

 水面下で起きたこの事件。

 

 長者原が真相を知るのはもう少し後のことになる。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 選挙管理委員会がどれだけの被害を((被|こうむ))ろうとも、それが戦挙戦を延期する理由にはならない。オーバーワーク気味になりながらも、委員達の尽力によりどうにかこうにか準備は間に合い、会計戦は滞りなく開始することが出来た。

 

 生徒会戦挙第三試合――会計戦『火付兎』。

 

 現生徒会側――人吉瞳(代理)。

 

 新生徒会側――江迎怒江。

 

 箱庭学園が誇る一大植物園『木漏れ日』。

 四季折々の草花のみならず、地球上の植物の半分以上を展示する、国宝級とすら呼べるこの緑の楽園が今回の舞台である。

 だからといって、のんびり森林浴と洒落込もうというわけでは勿論なく。

 元々が江戸時代発祥の野蛮極まりない決闘法。

 長者原が手を加えて現代風にアレンジされているとはいえ、それでも先の二戦に引けをとらないほどに残虐なルールだった。

 

 1.書記戦同様、二人一組のグループで参加するタッグ戦。

 

 2.サブプレイヤーには腕輪型爆弾を装着、そのカギを奪いあうことを戦いとする。

 

 3.制限時間は60分、もしその時間内にどちらのプレイヤーも鍵を奪えなかった場合は引き分けとなり、両方の爆弾が爆発する。

 

 4.持つカギは肌身離さず持ち歩き、捨てたり隠したり破壊した場合はルール違反となる。

 

 5.フィールドは『木漏れ日』内とする。

 

 爆弾という物騒な単語よりも何よりも、タッグ戦と聞いて先日の悪夢を思い出しためだか達はわずかに表情を曇らせる。

 一同の視線の先には、ルールを聞いているのかいないのか、欠伸交じりにぼうっと突っ立っている不和の姿。その手首には悪趣味なデザインの腕輪型爆弾が既に装着されていた。

 書記戦では指名されてサブプレイヤーとしてなし崩し的に参加していた不和だったが、どういう魂胆があるのか、今回は自分から立候補したのだ。

 

 一人が何回も試合に参加して良いのか。

 

 そんな意見も――主に不和の身を案じた夭歌から――挙がったが、そもそも不和は役員として参加しているつもりなど毛頭なかった。

 あくまで((過負荷|マイナス))を――新生徒会を支持する支援者としてこの場にいるのだ。自らの命の危険を顧みず、不和が自分の意思で参加していることは球磨川達の支持率の高さを表す。だからこそ、不和は戦挙戦のルールを遵守している限り、何の制限も制約もなく自由気ままに振舞うことが出来ているのであった。

 一般生徒の立ち入りを禁ずると原則にはあるが、それを指摘してしまうと夭歌や古賀、人吉女史も原則に抵触していることになってしまうため、めだか達は何も言えない。

 阿久根や喜界島の代理だと申告する前から、本来ならば一般生徒の立場である彼女達はめだかや善吉の側に居たのだから。

 

 かくして、不和が再び参戦することに誰も異議を唱えられないまま、会計戦は開始されたのだった。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「あーもう、次から次へと鬱陶しいわね!!」

 

『((庭弄りの守護神|ガーデニングガーディアン))((伐採|なでぎり))版』

 

 鬱陶しいと言いつつも、両手にそれぞれ握る鉈を振り回し、人吉瞳は四方八方から襲い掛かる蔦を造作もなく両断しながら前進していく。その様は息子の善吉に言わせれば庭師を通り越してマタギらしいが、見た目十代前半の白衣姿の女性が鉈を手に道を切り開いている光景は、滑稽を通り越してシュールでしかない。

 けれど、モニター越しに試合を観戦しているめだか達も、もちろん当事者である人吉親子も、笑みを浮かべる余裕などない。

 

「油断すんなよお母さん! あの人は球磨川以上に何を仕掛けてくるかわからねーからな!」

 

「わかってるって!」

 

 陽光輝く植物園『木漏れ日』は、陽の光すら覆い隠す鬱蒼とした樹海にその姿を変貌させていた。

 

 この惨状は園内全ての植物が異常成長した結果であり、その大元の原因は江迎怒江の((過負荷|マイナス))――『((荒廃した腐花|ラフラフレシア))』にあった。

 手に触れたありとあらゆるものを腐らせる忌むべき異能。

 服だろうと犬猫だろうと校舎だろうと空気だろうと。地面すらも例外ではない。

 腐った土。即ち、腐葉土。

 含まれる養分がぐずぐずに溶けて交わり合ったその土壌は、植物が成長するにはこの上ない温床となる。

 

『((荒廃した腐花|ラフラフレシア))・狂い咲きバージョン』

 

 江迎怒江の((過負荷|マイナス))は、球磨川禊の入れ知恵によって、大地を侵蝕し、植物を支配する異能へと昇華していた。

 この広大な植物園そのものが江迎の手足であり末端。

 人吉親子にとっては周囲の全てが敵となる危険極まりない状況となっていた。

 

 さらに追い打ちをかけるように――

 

「前ばっかり注意してていいんですか、瞳センセ?」

 

 ばっさばっさと切り開かれていく、道とすら呼べない道。

 その両脇から――絡み合い、壁となっている植物の隙間を縫うようにして、無数の工具が矢の如き勢いで投擲される。

 ノコギリ、金槌、((鑿|のみ))、ドライバーにカッターナイフ、((錐|きり))、ニッパーにヤスリ、レンチにバールにペンチまで、統一性も惜し気もなく。本来の用途からかけ離れた凶器の群れは、二人に向かって一直線に襲い掛かる。

 そして、それだけでは終わらない。

 鉈で、蹴りで、暴風雨のような攻撃を弾いた二人の死角から、((ぬるり|・・・))と人影が躍り出る。言うまでもなく、その人影の正体は不和であり――

 

「ぐうぅっ!?」

 

「簡単に背中取られてんじゃねぇよ」

 

 両腕の関節を極められて、善吉は受け身すら取れずに顔から地面に叩きつけられた。捻り上げられた腕の関節からミシミシと悲鳴が聞こえ、激痛で反撃どころではない。首の付け根と両の肩甲骨の間を膝で押さえられ、身動きすら封じられてしまっている。

 

「母親に油断すんなっつっといて自分は簡単に捻じ伏せられちまうとかカッコ悪いぜ? サバットだけじゃなくてこういう時の脱出方法も高貴か猫美先輩に習っとけ」

 

 そう言って、不和はすぐに善吉の背中から飛び退く。

 一瞬遅れて、頭部があった場所を鉈が薙いだ。無論、刃ではなく峰での打撃ではあったが、得物が得物なだけに物騒の一言で片づけていいものかどうか判断に困る攻撃だった。

 

「善吉くん、大丈夫!?」

 

 人吉女史が善吉の怪我の有無を確認している隙に、不和は大きく後方へと跳躍して。

 何時の間にか、人間が通れる隙間などなかった植物の壁にぽっかりと、まるで待っていたかのように開いていた巨大な口に呑み込まれた。

 人吉親子は逃すまいと追撃を試みるが、その目の前で無情にも口は閉ざされてしまう。

 訪れるのは不気味な静寂。突き刺さるのはこちらを狙う視線。

 周囲をグルグルと移動しながら狙いを定めようとしているのか、それともただ単に神経を逆撫でしたいだけなのか、皮膚を焼くような視線は前後左右、頭上からも降り注ぐ。

 それでも、不和が何処にいるのか見当がつくだけマシだった。

 しかし、その視線も、やがて感じられなくなり。

 次の攻撃準備に移ったのだと、人吉親子は冷や汗を浮かべて息を呑む。

 

「……猛獣だらけのジャングルに丸腰で放り出されたらこんな気分になるんだろーな」

 

「遊ばれている分、猛獣よりも((性質|たち))が悪いわね。とにかく、この状況でこっちだけ目隠し状態じゃ危険を通り越して無謀よ。おおまかでもいいから特訓の成果とかで不和くんの位置を突き止められない?」

 

 母親の問いかけに、善吉は首を振り、

 

「確かにそこら辺も名瀬先輩に散々調教されちゃいるけど、なんっつーか、不和さんが持つ((過負荷|マイナス))の気配って球磨川や江迎に比べて妙に((薄い|・・))から感じ取りにくいんだ。居場所を教えるようなヘマをあの人がするとも思えねーし、完全に見失っちまったと考えていいだろうな」

 

 目を瞑り、声と気配だけで相手の居場所を察知する戦法は、庶務戦で既に一度見られてしまっている。

 あの不和が対策を練っていないはずがない、と。

 ある意味、信頼とも言える息子のセリフに、人吉女史は意表を突かれたような表情になり、

 

「善吉くん……もしかしてちょっと楽しんでない?」

 

「あー、やっぱわかる?」

 

 実際、善吉は少なからずこの状況を楽しんでいた。

 ((中学からの|・・・・・))付き合いではあるが、思えばこうして遊んでもらうのは初めての事だ。

 肉弾戦で全力を出しても勝てそうにない相手――めだかを筆頭に何人か思い浮かぶが、その((錚々|そうそう))たる顔ぶれの中に不和はいない。

 立場というか分類というか、何かが違うのだ。

 

「不和さんと戦うとその恐ろしさを思い知るって、前にめだかちゃんが言ってた。そん時は意味が分からなかったけど、ようやく理解できた気がするぜ。あの人と戦ってると、勝ちたいって気持ちが薄れてどうでもよくなってくるんだ。戦挙とか学園の未来とかもどうでもよくなってきて……ずっとこのまま、子どもみたいに遊んでいたくなっちまうんだ」

 

 遊び。余興。暇潰し。

 面白そうだから、とか、退屈だったから、とか。

 そんな単純な理由。

 この会計戦も、おそらく不和から見ると罰ゲーム付きのかくれんぼか鬼ごっこと同等レベルのものでしかないのだろう。

 一時はめだかすらも呑み込まれた狂気。

 元々好戦的であっためだかほどではないにしても、善吉も少なからず影響されてしまっている。

 

(……球磨川くんのように怖気で徹底的に心を折るんじゃなくて、自覚できないほどゆっくりと麻薬のように沁み込んで堕落させていくタイプと考えた方が良いのかしら)

 

 心療外科医・人吉瞳は考察する。

 童心に帰るという言葉があるが、不和の((過負荷|マイナス))としての存在感は、もしかしたら他人の精神を退行させる毒のような効果があるのかもしれない。

 幼児退行も、精神が壊れないようにするための自己防衛機能の一つと言える。恐怖を感じるのが苦痛であるなら、恐怖を恐怖として認識できないレベルにまで精神を幼くしてしまえばいいと脳が判断した結果引き起こされる現象なのだ。

 言い換えれば、((過負荷|マイナス))・安心院不和という存在はそれほどの危険と気持ち悪さを内包していると言うことに他ならないが、だからこそ、((過負荷|マイナス))でありながら((過負荷|マイナス))と気付かれることも恐怖心を抱かれることもなく、無邪気に懐かれ親しまれる先輩を演じ続けることが出来たのだろう。

 

「気をしっかり持ちなさい。私達には狂ってる時間なんてないんだから」

 

 揺らぎかけている息子の頭を、目を覚ませとでも言うように鉈の柄で軽く叩く。

 試合が始まってから、既に二十分が経過している。

 こちらは良いように攪乱され、鍵を持っている江迎の姿すら視認できていない。このまま何の進展もなく時間だけが過ぎていけば――

 

『僕と善吉が爆死体になるまであと四十分ってところですか』

 

 声がした方向に、人吉親子は同時に鉈と蹴りを叩きこんだ。しかしそこに不和の姿はなく、ストラップの付いた携帯電話が、枝に引っ掛けられてぶらぶらと揺れているだけだった。

 

『鬼さんこちら、手の鳴る方へってな。さっさと僕たちを見つけてみろよ善吉。怒江ちゃんが首を長くして待ってるぜ?』

 

 一方的に言いたいことだけを言って、通話は途切れた。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 茂みから飛び出した人吉親子を待っていたのは、地面に両掌を押し付けている江迎怒江と、傍らに立つ不和だった。彼らの周囲には、無数の工具が結界のように突き立てられていて、一種異様な光景を演出している。

 

「そうそう、最初から僕なんか相手にしないで怒江ちゃんを探せばよかったんだ」

 

 言いながら、足元のハンドドリルを投擲する不和。その顔からは一切の感情が感じることができない。先ほどまでとは打って変わって、能面のような――人形のような無表情。

 ハンドドリルを鉈で弾き、人吉瞳は納得いかない表情で不和を見据える。

 安心院不和という人間の本質を、未だに読み取ることが出来ずにいた。

 

 めだかのように、学園の――全校生徒のために戦っているのではない。

 球磨川のように、((過負荷|なかま))のために戦っているのではない。

 

 計画性があるようで無計画。思慮深いようで短絡的。そう思わせておいて、実は誰よりも狡猾で。

 騙して、偽って、欺いて。

 

「瞳先生の目にはどう映りますか、怒江ちゃんの((退化|しんか))した((過負荷|マイナス))は?」

 

 質問の意図が見えず、瞳も善吉も、訝しげに顔を歪める。

 

「土を腐らせ、植物を成長させて支配する。中々に応用性が高いとは思いませんか? 植物に決まった形はない。武器になり、壁になり……((人間にだってなれる|・・・・・・・・・))」

 

 こんな風に、ね。

 そう言った瞬間、不和の両腕が枯葉となって崩れ落ちた。

 

「なっ!?」

 

 驚きに目を見開く人吉親子。

 

「さてここで問題です。僕は――本物でしょうか?」

 

 がさり――と。

 背後の茂みからの音に思わず振り返ってしまった善吉。

 そんな隙だらけの背中を、両腕を失った不和は容赦なく蹴り飛ばし――

 

「怒江ちゃん」

 

「了解です☆」

 

 ((荒廃する腐花|ラフラフレシア))・狂い咲きバージョン……タイプ『((柵|しがらみ))』

 

 江迎の異能に呼応し、地面を突き破って生えてきた夥しい植物。

 互いに大蛇のように絡み合い、尚も成長を続け、瞬く間に人吉親子を分断する壁となり。

 瞳は何度も何度も鉈で両断しようと試みるが、分厚い植物の壁には細かい傷がつくだけで、今の装備では善吉の下に辿り着けそうにない。

 

「………………」

 

 瞳は壁を破ることを諦め、改めて眼前に立つ少年を見やる。

 不和はその場に座り込んで、制服の袖口に仕込んでいた枯葉を一枚一枚取り除いていた。あんな子供騙しに簡単に引っかかってしまった自分と息子が情けなく思えてくる。

 

「そんなに睨まなくても、先生に何かしたりはしませんよ」

 

「あらそう? てっきり私から鍵を奪う作戦なのかと思っていたんだけど。だったら時間切れまで私をここに足止めするのが目的なのかしら?」

 

 いやいや、と不和は首を振り、

 

「目的というなら、引き分け狙いの時間稼ぎは禊の頼みでしてね。まあ、参加したがってたあいつを無理矢理説得した手前、聞き入れないわけにもいきませんでしたし、僕にもメリットがあったんで丁度よかったと言えば丁度よかったですが」

 

 その言葉に、瞳は驚く。

 同時に、言い様のない悪寒が走る。

 

「……ねえ、不和くん。あなたは一体何がしたいのかしら? 球磨川くんに協力するかと思えば、庶務戦では善吉くんを助けて、書記戦でも名瀬さんにヒントを与えて。敵になるでもなく味方になるでもなく、ただ全てをしっちゃかめっちゃかに引っ掻き回して楽しみたいからだなんて、まさか本当に、そんな子供じみた理由であなたはここに居るわけじゃないんでしょ?」

 

 と、瞳がそこまで言った時だった。

 地面が鳴動し、突如((それ|・・))は現れた。

 天井を突き破るほどの急激な成長を遂げた、巨大な強大で絶大な――人間を歪に象った植物。

 

 ((荒廃した腐花|ラフラフレシア))・狂い咲きバージョン……タイプ『千年杉』

 

 特撮映画を彷彿とさせる、あまりと言えばあまりの光景に誰もが目を奪われる中、唯二人、安心院不和と人吉瞳だけは、視線を逸らすことなく対峙して。

 何が目的なのかというその問いに、不和は笑みを――笑みと呼ぶにはあまりに悲痛な表情を浮かべながら。

 

「………………――――――――」

 

 彼女にだけ、答えた。

 不和にとって、掛け替えのない親友でも、悲しませたくない最愛の女性でもない、赤の他人に等しい存在だったから。

 嘘偽りも誤魔化しもなく、残酷な事実を告げて。

 

 直後、瞳の全身から鮮血が噴き出した。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 瞳が地面に崩れ落ちたのとほぼ同時に。

 善吉と江迎の身体にも異変が起こっていた。

 

「痛っ」

 

 と、聞こえようによっては可愛らしいと言えるほどに小さな声を、江迎は上げる。

 彼女の指先に、小さな小さな切り傷が出来ていた。地中に埋まる鋭利な石かガラス片で切ったのだろうかと考え、直ぐに否と首を振る。腕や足に出来た傷ならばその可能性が高かったのだろうが、傷ついたのは指先――忌むべき異能が宿っている手。

 触れるもの全てを腐らせる。

 言い換えれば、包丁を握りしめようが弾丸を撃ち込まれようが、彼女の両手に物理的なダメージを与えることなど不可能なはずなのだ。

 にも拘らず、指先からはぽたりぽたりと血が流れ落ちる。

 

 それが、始まりだった。

 

「ぐ、あっ、あああああぁぁぁぁっ!?」

 

 善吉の悲鳴。

 見れば、彼は地面にうずくまり、天に掲げるようにした両手からはぶすぶすと煙が上がっている。肉の焼ける嫌な臭いが鼻を突く。

 

「人吉くん!」

 

 思わず駆け寄ろうとする江迎。

 しかし、どういうわけか、足が動かない。どころか、膝から下の感覚がない。

 スカートをめくり、確認すると――

 

 折れていた。

 

 一目で歩くことなど不可能だと分かるほど決定的に壊滅的に、あらぬ方向へ折れ曲がっていた。

 悲鳴を上げる余裕すらない。そんな暇など、与えられなかった。

 

「ご、ぼっ!?」

 

 口から大量の血が溢れ出る。胸の奥で、大量の蟲に臓腑を食い散らかされているような激痛が走り、さらには押し潰されそうな重圧が、身を裂くような不安が、毒のように濃密な劣等感が襲い掛かる。

 江迎がこれまで味わってきた不幸など、比較するのもおこがましいと思えるくらい、辛く、苦しい、人間の限界を超えた負のイメージ。

 ((過負荷|マイナス))以上の((過負荷|マイナス))に、肉体的にも精神的にも叩き潰された江迎は、薄れゆく意識の中、呻く善吉の傍らに誰かがしゃがみ込んでいるのを見た。

 

 フードを目深に被った、痩身長躯の怪人。

 

「不和、さん?」

 

 掠れた声で名を呼ぶと、彼はゆっくりとこちらを向き――

 

「ひっ――」

 

 鼻も唇も、目蓋もない、その醜く焼け爛れた顔を見て、悲鳴を漏らす。

 誰だ、あれは。何だ、あれは!

 消えかけていた意識は、原始的な恐怖によって無理矢理に覚醒してしまう。

 カチカチと歯を鳴らす江迎を余所に、火傷顔の怪人は慣れた手つきで善吉の腕から爆弾を取り外した。

 善吉の爆弾を解除するために必要な鍵は、まだ江迎が持っているにも拘らず、だ。

 一体どういう手品を使ったのか、爆弾のタイマーは作動した状態のまま。

 

 二つの爆弾を手に入れた不和と思しき怪人は一言も発することなく、二人を残して森の奥に消え去ろうとする。

 その歩みを止めたのは。

 

「起きなさい善吉くん! 起きて不和くんを止めなさい! 不和くんは――死ぬつもりなのよ!!」

 

 瞳の叫びだった。

 彼女は白衣を自らの血で朱に染めて、傷ついた体を引きずり、必死に地面を這って不和を追おうとしている。

 

「不和くんが生徒会戦挙を開くよう仕向けたのも、この会計戦に参加したのも、全てはその爆弾を手に入れるため! そして戦挙戦中に死ぬためよ! ルールに縛られた試合中の――閉鎖された空間なら、めだかちゃんにも直前まで邪魔される心配がないから!」

 

 江迎も善吉も、試合を見守っていためだかも古賀も球磨川も志布志も蝶ヶ崎も――夭歌も、不和の本当の目的を知り、絶句する。

 

「…………やぁれやれ、黙っててくれっつったのに、大人ってのはホントに嘘つきだ」

 

 焼けた喉から漏れるのは雷鳴のような低い声。

 

「さぁて、僕の目的もバレちまったところでお別れの挨拶といきますか」

 

 確実に死ねるよう、額に善吉から奪った爆弾を当てて。

 爆発に巻き込まないよう、止めようとする善吉からも江迎からも充分に距離を取って。

 

「めだかちゃん、見知らぬ誰かを救うためにがんばってくれ。禊、か弱い((過負荷|マイナス))を守ってくれ。善吉、これからも自分を曲げずに真っ直ぐに生きてくれ。怒江ちゃん、応援してるから初恋を実らせてくれ。いたみちゃんも飛沫ちゃんも蛾ヶ丸も、あんまり話した事ねーけど元気でいてくれ。最後に夭歌ちゃん――」

 

 そこで初めて、庭園内に設置されたカメラを見据えて。

 こちらを見ているであろう夭歌と、モニター越しに視線を合わせて。

 

「僕を一生、許さないでくれ」

 

 爆発が、不和を呑み込んだ。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 自殺するため。

 

 不和の目的は最初から最後までこれ一つっきりだった。

 不和は自分の全てを終わらせるために、球磨川を利用して((解任請求|リコール))を起こさせたのだ。

 最初はめだかを支持していない適当な馬鹿を焚き付けるつもりだったのだが、球磨川が箱庭学園に来たため、急きょ計画を変更。おかげで順調すぎるくらい順調に計画を進めることができた。 

 

『((凶星惨禍|ディザスター))』

 

 不和がこれまで受けてきたありとあらゆる苦痛を――生きながら焼かれた苦しみを、全身の骨を砕かれた痛みを、恐怖を悲しみを憂いを怒りを、不和自身を含めた他の人間にも強制的に体験させる――言ってしまえば痛み分けのスキル。

 それが不和の本当の((過負荷|マイナス))だ。

 球磨川や不知火が知る『((既述死|デッドワード))』は、『((凶星惨禍|ディザスター))』から切り離した付属品の能力に過ぎない。

 

 日に日に制御不可能になり、ついには誰彼構わず無差別に被害を撒き散らすようになったこの((過負荷|マイナス))が、不和を自殺に踏み切らせた原因だった。

 

 その身に宿るのが、ただの((過負荷|マイナス))だったなら。

 あるいは、他人のことなど全く考えない((冷血漢|マイナス))だったなら。

 不和は他の道を――非道・外道と呼ばれる道を平然と歩むこともできたのだろう。

 

 だが、不和は((異常者|アブノーマル))にも((過負荷|マイナス))にも属さない異端だった。

 少なくとも、自分の異能で親しい者達――愛する者達が傷ついてしまう事を嫌う程度には。

 だからこそ、彼は自らの死を選んだ。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「……まったく、僕にも内緒で自殺を企んでいたなんて。信頼されていなかったことを嘆くべきか、隠しごとが出来るまでに成長してくれたことを喜ぶべきか、判断に困るよ本当に」

 

 黒白に彩られた教室で。

 安心院なじみは、心の世界において尚、死体のように眠る不和の頭を愛おしそうに撫でながら。

 

「それで? ふーくんにいいように唆された負け犬くんが一体僕に何の用があるのかな?」

 

 散々痛めつけられ、ボロ雑巾のように打ち捨てられている球磨川禊を((睨|ね))め付けた。

 

「『だから』『さっきから言ってるじゃないか安心院副会長』『君に預けた僕のはじまりの((過負荷|マイナス))を返してほしいって』」

 

 不和の凶行から、既に一週間が経過していた。

 会計戦は混乱を極めたまま、時間切れによる引き分けとなり、((現生徒会|めだかたち))も((新生徒会|くまがわたち))も、これ以上ない後味の悪さを噛み締めながら会場を後にした。

 心療外科医・人吉瞳と人体科学の((専門家|スペシャリスト))・名瀬夭歌、そして何処から嗅ぎつけてきたのか、息を切らせて現れた保健委員長・赤青黄の尽力により、不和は望まぬ延命を余儀なくされ、今現在も((軍艦塔|ゴーストバベル))の集中治療室で深い眠りについている。

 人間一人死にかけたからと言って、今更生徒会戦挙が中止になるわけもなく。

 八月十五日。

 現実の世界では、副会長戦――先代生徒会長・日之影空洞と『((不慮の事故|エンカウンター))』・蝶ヶ崎蛾々丸の死闘が繰り広げられている。

 一勝一敗一分けの好勝負。

 本来ならばそれなりに盛り上がる展開なのだろうが、本人達からしてみれば消化試合的な意味合いの方が強かった。それほどまでに不和の自殺未遂は大きな影響を与えていた。

 半狂乱になっためだかと、表にこそ出さないが精神崩壊寸前に陥った夭歌は言うに及ばず、何より、((同属|マイナス))だと信じていた不和が他人の幸せのために死を選んだという事実が、球磨川の心を追い詰めた。

 あれほど会うのを拒んでいたなじみに、自ら会いに来なければならないほどに。

 

「返してほしいだなんて……そりゃまたどうしてだい? 僕からしてみれば、あの((無能力|マイナス))よりも『((大嘘憑き|オールフィクション))』の方がよほど恐ろしいスキルに見えるぜ?」

 

「『…………あの病院で不和ちゃんと』『いや』『百済ちゃんと出会ってから』『僕はずっと百済ちゃんに依存してた』」

 

 球磨川は滔々と語る。

 

「………………」

 

「『何だかんだ文句を言っても』『百済ちゃんは何時だって何処でだってこんな僕の味方だった』『それがとても嬉しかった』『僕と同じなのに強い百済ちゃんが羨ましかった』『僕やめだかちゃんの近くに居ながら変わることのない百済ちゃんが誇らしかった』」

 

 百済ちゃんは。

 不和ちゃんは。

 

「僕にとって、初めて出来た親友だった。だから僕は、百済ちゃんと初めて会った時の僕として、本当の((過負荷|ぼくらしさ))を以って、めだかちゃんに勝ちたいんだ。この生徒会戦挙が百済ちゃんの思惑で始まったものだったとしても、いや、だからこそ、百済ちゃんの想像をぶち壊すために、僕はめだかちゃんに勝ちたい。((過負荷|ぼくたち))の勝利なんて微塵も信じていない百済ちゃんに、弱者が強者を、無能が天才を、敗北が勝利を、不幸が幸福を凌駕する世界を見せつけてやりたいんだ」

 

 格好つけることも、括弧つけることもせずに、球磨川は嘘偽りなく、己の心を吐き出した。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 ほんとうの過負荷を取り戻した球磨川が教室を出て行った後。

 残されたのはなじみと不和。

 

「毎度毎度のことだけど、よくもまあ、ここまで想定して計画を練ることができるもんだよ」

 

 球磨川に見せていた、人を小馬鹿にしたような表情とは打って変わって、まるで普通な――恋に恋する乙女のような表情で、なじみは言う。

 膝に乗せた不和の顔に優しく両手を添えて――ゆっくりと、唇を重ねた。

 スキルを貸し借りする『((口写し|リップサービス))』も、記憶を弄る『((媚暴録|メモリーダスト))』も、それ以外にもキスをすることで発動するスキルは多数あるが、なじみの顔には、明らかに別の感情が表れている。

 

「んっ、ふぅ……はぁ」

 

 赤い舌が唇を割って口内に潜りこみ、不和の舌を絡めて、丹念に舐め回す。

 一分か、それとも十分か。

 唇を離すと、唾液が銀糸となって二人を繋ぎ、やがて途切れる。

 

 そして。

 

 頬をほんのり朱色に染めて。

 まるで想い人を優しく揺り起こすような声音と仕草で、なじみは囁くのだ。

 

「××××、そろそろ起きなよ。君が十七年も眠っている間に、このくだらねー世界も少しは面白くなってきてるからさ」

説明
第二十五話

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超面白かったです!これからも頑張ってくださいね!(戯言&傑作)
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