ハーフソウル 第二話・宰相の影
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一 ・ 無法者の街

 

 暗く陰惨な部屋に、一人の老人がいた。骸骨に薄い肉が貼りついたような面を隠すためか、目深にフードを被り、深淵を思わせる、黒く穿たれた眼窩には、昏い炎が揺らめいている。

 

 骨ばっているのは、顔だけではない。濃紫の長衣から見える手や、喉から鎖骨までも肉薄く、骨ばっている。首には革のベルトが巻かれ、首輪のようにも見えた。

 

 窓という窓は締め切られ、全ての壁には黒い暗幕が掛けられている。部屋の中央に位置する木製の机には、円形の銀盤が大切そうに置かれていた。

 

 老人はその銀盤を覗き込み、飽きずに凝視をしていた。そこに映っていたのは、黒い髪の男だった。一人の青年の日常風景が見えるだけだが、老人には興味深いものらしく、じっと何刻もの間、見つめ続けていたのだった。

 

 老人はふと何かを感じ、銀盤をさっと黒い布で覆い隠した。直後、誰も入れないはずのこの部屋に何者かの気配がする。

 

「これはこれは……。お久しゅうございますな『罪』様。十年振りですかな」

 

 老人は振り向きもせず、背後の気配に語りかけた。

 

「……『執』よ。これ以上皇帝家に関わるなと言っておいたはずだ」

 

 背後の気配は、若い男の声で応えた。冷たく陰のある声色だ。

 

「勿論、これ以上関わるつもりはありませぬ。ただ、我が『愛しき王』だけはこの手に入れたいだけ」

 

「ラストールに手を出すというなら、手加減はしない。十年前のように半端に終わらせるつもりはない」

 

「不死人たる代行者の中でも、一番の実力者である貴方様が、何故そこまで人間風情に肩入れなさるので? あの者にこだわる理由でもおありですかな」

 

 骸骨の嘲笑を意に介さず、声は淡々と続けた。

 

「お前の知ったことではない。だが警告を無視するなら、お前の望みなど叶わないと知るがいい」

 

 そう冷たく言い捨て、背後の声は霧のように掻き消えた。

 

「裏切り者の『罪』めが……」

 

 吐き捨てるように老人は呟いた。

 

「貴様ごときに、わしの邪魔はさせぬわ。今度こそ我が王を手に入れて見せよう」

 

 

 

 

 男は夢の中をさまよっていた。

 通常、夢を見ている本人には、それが夢であるとは気付きにくい。だが彼は、幾度も同じ夢を見てきたために、いつしか判別がつくようになっていた。

 夢にはいつも同じ女が現れる。時には愛を語り、時には共に嘆き悲しんだ。そして最後には必ず彼女の死で目覚めるのだ。

 

「私の事は忘れ、幸せになってほしい」

 

 女は語らずとも、目でそう訴えかけていた。

 去り行く彼女へ、必死に手を伸ばそうとする。痛み。血臭。叫び。手は届かず、女は谷底へと転落していく。長く緩やかな蜂蜜色の髪が、暗闇の底へと消えていくその瞬間。

 

「行かないでくれ!」

 

 自分の叫び声で目が覚めると同時に、頭に鈍い痛みが走った。頭を抑え目を開けると、彼の額には何故かホウキが乗っかっている。

 

「ラスト! 全くいつまで寝てるんだいこの子は。もう昼も過ぎたよ! さっさとお起き」

 

 老婆の声に、ラストは頭をさすりながら身を起こした。

 

「ばあちゃん……。もうちょっと優しく起こしてくれてもいいだろ?」

 

 じんじん痛む額を押さえて、ラストはもぞもぞとベッドから降りた。

 

「ラスト。お前は今年でいくつになるんだい?」

 

「あー……。二十八です……」

 

「いい年した大の男が、だらだらしてるもんじゃないよ! 下にウニクが来てるから、さっさとつまみ出しな」

 

 ばあちゃんに追い立てられ、ラストは渋々階下へと向かった。

 

 辺境の村シオン。帝都から遠く離れ、片道十日以上もかかるこの村は、東の地を治める三公爵の一人、レニレウス公爵の領地からはずれた位置にあった。レニレウス公爵家は古くより、交易で栄えてきた一族であったが、この小さな村には、彼らを満足させるほどの特産品が無かったからだ。

 その代わり、法治外の娯楽だけは多く、博徒や娼婦などの無法者が集まる、一種の『楽園』でもあった。

 

 ラストが間借りしているばあちゃんの家も、そんな無法者の村にあった。ウニクがラストを訪ねて来た理由もまた、そこにあった。

 

「あ、ラス兄貴。いい話持ってきましたよ!」

 

 ラストがこの村に流れ着いたのは十年前だった。新参者を好まないこの村で、彼は乱闘騒ぎを起こした事があったのだが、その時偶然助ける形になってしまった男がウニクだった。

 

 それ以来、恩義を感じているのか、ウニクは何かと世話を焼いてくれるようになっていた。

 

「兄貴……実は今、帝国の貴族がこの村に来てるんすよ」

 

 神妙な顔つきで、ウニクはぼそぼそと語った。

 

「貴族? 金持ってそうか?」

 

「そりゃあもう! 夕べなんて手当たり次第女買ってましたし、身に着けてる物も、中々の上物揃いっすよ」

 

「なるほどなあ。乗らない手はないな。じゃあ早速カモりに行くか」

 

 ラストの乗り気に、ウニクも満足そうに笑った。彼の言うカモとは、賭けポーカーで金を巻き上げる相手の事だ。元々記憶力も良く勝負強い上に、自分の手札が弱い時には、イカサマで札を入れ替えて無理矢理勝つこともあった。

 賭博や売春は帝国領内では禁止されているため、お忍びで楽しみに来る貴族や富豪は少なくなかった。村の連中にとっては、まさにカモだったのだ。

 

「久し振りにがっぽり儲けられそうだな!」

 

 楽しそうに出て行く二人を横目に、ばあちゃんは呆れたようにため息を漏らした。

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二 ・ サーベル対モップ

 

 ラストとウニクが、良からぬ思惑を巡らせ家を出た後、二階で掃除を続けていたばあちゃんは、部屋の片隅にある、古びた衣装櫃に目を留めた。

 

「そろそろ虫干ししたほうがいいかねぇ」

 

 櫃を開けると、丁寧に畳まれた白い軍服と、金属製の長い杖が姿を現した。十年前にラストがこの村へ流れ着いた時に、身に着けていたものだ。

 村へ来る流れ者は大方、他所で罪を犯した者や、まともに生きる事を放棄した者ばかりだったが、ラストはどこか違うと、ばあちゃんは感じていた。

 

 帝国の軍服、しかもかなり上質の仕立てから、身分がそれなりに高いのだろうとばあちゃんは予想していた。手配書の一枚でも回って来ると考えていたが、一向にその気配も無く、ラストの正体は分からないままだった。それでも彼女には、軍人になると故郷を発ったまま帰ってこない自分の息子が戻って来たような気がして、そのまま家に置いていた。

 

 思いを振り切るかのように、ばあちゃんは櫃の蓋を閉じた。置いてあった場所へと戻し、ホウキを握る。

 

「こんなものが必要になる日が来なけりゃ来ないで、アタシはそれでいいのさ」

 

 

 

 一方酒場では、歓声が沸き起こっていた。ラストの前にはチップが山と積まれ、その向かいに陣取る貴族と従者は、青い顔をして唇を噛んでいた。

 

「兄貴すげえ! これで六連勝っすよ」

 

 ウニクはにやにやとテーブルを見渡した。負けの込んだ連中は、元手だけでも取り戻したいと必死になるのが大半だ。ここまで負ければ、おいそれと引き下がることはないだろう。

 

 連敗に冷静になれない貴族とは裏腹に、従者は青い顔をしながらも、未だ場を見極める程度の落ち着きはあるようだった。彼はキョロキョロと辺りを見回し、何故かふと、ラストの顔をじっと見つめていた。

 

「イカサマだ!」

 

 ついに貴族は大声を上げ、椅子を蹴った。

 

「イカサマだあ? どこにそんな証拠があるんだよ」

 

 テーブルに片肘を付き、ラストはぴらぴらと手札を見せた。

 

「いいからさっさと金払えよ。負けたのはお前たちだぜ」

 

 周囲からどっと笑い声が上がる。大勝ちした日には、その金で酒場の連中にも奢ってやるので、その場にいる大半はラストの肩を持った。

 

 とうとう貴族は怒りに震え、腰のサーベルに手をかけた。冷たい刃をラストの首筋に突き付け、大声で怒鳴りつける。

 

「黙れ、黙れえ! 死にたくなければイカサマを認めろ!」

 

「あのなあ……。負けたら払うのが筋ってもんだろ。ま、ここじゃ迷惑だから外出ろ」

 

 突き付けられた刃を片手で払い、ラストは立ち上がった。予想外の展開に貴族はうろたえたが、逆に酒場内は盛り上がった。

 

「あちらさんが武器ありなら、こっちも使っていいよな? 誰か、何か得物くれ」

 

 観衆から、何かが飛んでくる。後ろ手で受け取ってみると、どうやら酒場で使われている掃除用モップだった。

 

「モップかよ……。まあいいけどさ」

 

 大柄なラストにはモップすら短く感じたが、そのまま店の外へと出る。

 

「さあ、かかってきな! いくらでも相手してやるぜ」

 

 自分から噛み付いた分、今更引き下がることも出来ず、貴族はだらしなく肥えた腹を抱え、抜刀した。対するラストは、鍛えられた身体にモップを構えている。この二人の不釣合いさは、傍目から見れば大道芸にしか見えなかっただろう。

 

 貴族が一向に仕掛けて来ないので、ラストは自ら間合いを詰めた。モップは長柄よりは短く木製な分、剣には叶わないだろうと、貴族は高をくくっていた。モップの柄の先端、槍で言えば石突にあたる部分は、有難いことに金属で補強されており、ここをラストは最大限利用した。

 金属部分で斬撃を器用に受け止め、弾いてモップで鳩尾を突く。胃の内容物を垂れ流し、ふらふらとサーベルを扱う様は、気の毒になる程、滑稽であった。

 

 武器を選ばず、器用に戦うラストを観察していた従者は、ふと何かを思い出した。卓越した武才を持ちながら、前皇帝陛下を暗殺したとして、追われた男を。

 

「まさか……」

 

 気付くと、彼の主はすでに、息も絶え絶えに道端に伸びていた。

 

「お前の主人は伸びちまったぜ。今度はアンタがやるかい?」

 

 ラストに凄まれ、従者は怯えきって、手持ちの財布を彼に渡した。ラストが財布の中身を確認している間に、主人を助け起こし、慌ててその場から逃げ出した。

 

「ありがとよ!」

 

 逃げる背中に、ラストは大声で礼を述べた。モップを店に返却し、観衆を連れて店へと戻る。

程なく乾杯の音頭が、外まで響き渡った。

 

 一方、無様な姿を晒された貴族は、ラストへの恨みを更に募らせていた。

 

「くそっ。あいつめ……。殺してやる、絶対殺してやる!」

 

 怒りに震える主人に、従者は耳打ちをした。

 

「ゴレム様。わたくしめに一計がございます。あの男を懲らしめ、金を奪い返す方法が」

 

 従者の案を聞き、ゴレムは愉快そうに、にたりと笑った。

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三 ・ 再来将軍

 

 しこたま飲み明かして、ラストが目を覚ましたのは翌日の昼過ぎだった。どうやって自宅まで戻ってきたのかすら思い出せず、二日酔いの頭を抱えながら、階下へと降りて行く。

 

 一階のリビングには、ばあちゃんが昼食を並べている最中だった。

 

「お前、またやったろう」

 

 ばあちゃんの眼力に、ラストは笑ってごまかすしか出来なかった。

 

「前から言ってるだろう? 人様から金品を巻き上げるなんて。何を考えているんだい!」

 

「わかってる、わかってるって。でもあれは、労働に対する正当な報酬だぜ?」

 

 何を言っても水掛け論で、ばあちゃんは呆れてため息をついた。

 

「あんな事をやってたら、いつか絶対怨みを買う。やめれるうちにやめるんだ」

 

 その時突然、ドアをノックする音が聞こえてきた。ラストがドアを開けると、そこには酒場近くに住む、子供がいた。

 

「知らないおっさんが、ラストに渡せってさ。じゃあ確かに渡したからね!」

 

 子供は手紙を渡すと、勢いよく外へと駆け出していった。封を切ると、中には一文だけ

 

『お前の手下を預かった。一人で丸腰のまま、村はずれの杉の木まで来い。来なければ殺す』とあった。

 

「ウニク……」

 

 手紙を握り潰し、ラストは何も言わず飛び出した。

 

 後にはくしゃくしゃに丸められた手紙と、ばあちゃんが残された。

 

 

 

「ふざけんな! 放せバカ野郎!」

 

 村はずれに怒号が響く。夕方に近い村はずれには、彼ら以外の人影など無く、木に縛りつけられた男がいくら怒鳴ろうとも、助ける者はいなかった。

 

「人質を取るなど、お前も中々大胆な事を考えるのう」

 

「恐れ入ります」

 

 手紙の主、貴族ゴレムとその従者は、暴れるウニクを横目で一瞥し、ほくそ笑んだ。

 

「あの男、どこかで見た顔だと思いましたところ、十年ほど前に、前陛下を弑逆し逃亡したとされる、当時の将軍と思われまする」

 

「何だと! 建国王の再来とまで謳われた天才ではないか。そんな奴にどうやって勝つのだ?」

 

「こちらには人質もおりますし、いかに天賦の武才があろうとも、素手では敵いますまい」

 

 従者はにやりと笑った。

 

「それにあの男には、宰相様が莫大な賞金を掛けておられます故、ここで捕らえれば褒美も思いのままですぞ」

 

 欲にまみれた密談に、ウニクは震え上がった。自分が人質となる失態が無ければとも思ったが、今となっては、ラストが手紙に釣られて来ない事を祈るばかりだった。

 背後は木陰になっていてよく見えないが、数人の配下が潜んでいるのは、ウニクにも感じ取れた。武器も持たず、人質まで取られた上に多勢に無勢では、ラストに勝ち目があるとは到底思えなかった。

 

 ふいに空気が変わり、辺りがざわめいた。ウニクが貴族たちの方に目を向けると、そこには武器ひとつ持たないラストが、憤怒の形相で立っていた。

 

「望み通り来てやったぜ。そいつを放してもらおうか」

 

「待ちかねましたぞ、ラストール・ルミナ・ネリア・ガレリオン将軍。いや、今は元将軍とお呼びした方がよろしいかな?」

 

 従者の言葉に、ラストは驚きの表情を隠せなかった。

 

「……てめえ何で知ってる? 知っててここに呼び出したのか」

 

「全くの偶然ですよ将軍。酒場で拝顔するまでは、貴方の名前すら失念しておりました。ですが弱冠十八歳で将軍職を拝命するなど、例を見ませんからね。貴方は帝都では有名人ですよ」

 

「望みは何だ。オレを殺す事か?」

 

「まさか! 生きたまま捕らえれば、宰相より望むままの褒美を頂けるのですから、そんな野蛮な事は致しません。前陛下を弑逆した貴方とは違います」

 

 従者は右手を挙げ、無言で号令を下した。その合図に、ウニクのいる背後の木陰から、五人の兵が飛び出して来る。

 

「逆賊を捕らえよ! 生きておればよい。多少痛めつけてもかまわん」

 

「オレは殺ってない……。陛下を手にかけてなんかいない」

 

 静かに怒るラストを、ウニクは初めて見たと思った。ばあちゃんに頭が上がらす、仲間たちとバカ騒ぎをする気のいい兄貴分が、ここまで感情をあらわにするところを、見たことが無かったのだ。

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四 ・ 浅ましき者の最期

 

 ラストを取り囲み、五人の配下は一斉に飛び掛った。徒手の男一人に、剣や槍を持った兵たちが相手では相当に分が悪い。少なくとも、ラスト以外の誰もがそう思っていた。

 

 五人の位置関係を素早く読み取り、ラストは自分に一番近い相手の、斜め前へ飛び込む。間合いを乱された兵は得物を振るう間も無く、鳩尾を打たれ、顎に拳を食らって昏倒した。

 倒した兵の剣を奪い取り、ラストはそのまま反対側の木陰へと飛び込む。

 

「逃がすな! 追え!」

 

 ゴレムの命令に、兵たちは次々と木陰へと躍り込んだ。だが枝が生い茂る林の中では、長柄の槍など、無用の長物であった。

 振り下ろそうにも突こうにも、枝に柄がひっかかり、次々とラストに倒されていく。槍兵を倒し終わると、ラストは再び街道へと出てきた。残った剣兵は恐れをなし、武器を放り出すと主人を尻目に村から走り去って行った。

 

「武器を捨てろ!」

 

 声にラストが振り返ると、縛られたままのウニクの喉元に、サーベルが突き付けられていた。

 

「こいつを死なせたくなければ、武器を捨てて投降しろ!」

 

 その言葉に、ラストは剣を捨てた。従者が近寄り、ラストを縛り上げようとしたその時。ウニクの縛めが解け、驚くゴレムを突き飛ばしてラストの方へと駆け出した。

 ラストは咄嗟に、落とした剣を足先で拾い上げ、従者へと構える。

 

「ばあちゃん!?」

 

 ウニクが縛られていた杉の木の裏には、ばあちゃんが短刀を持って立っていた。左腕には大事そうに包みと長柄が抱えられている。

 

「ばあちゃん何で来たんだよ! 危ないから下がってろ!」

 

 ラストの言葉に、ばあちゃんは憤慨して叫んだ。

 

「うるさい子だね! 十年前に行き倒れてたのを拾った時から、あんたはアタシの子も同然なんだ。

自分の子を助けない親がいるもんか!」

 

 ゴレムが起き上がる前に、ばあちゃんは蹴りを食らわせ、そのままラストの方へと走り寄った。包みの中から長柄を引っ張り出すと、それをラストに手渡した。

 

「持ってきてくれたのか……」

 

 それは、二階の衣装櫃に納めてあった、金属製の杖だった。黒鉄の柄に真鍮の蛇が巻き付き、先端で鎌首をもたげている。石突にも真鍮が施され、武器とは思えない程の優美な造りだ。全長は、大柄なラストよりも、更に丈があった。

 

「形勢逆転だな」

 

 長柄を構え、ラストはゴレムと従者へ向き直った。

 

 ――その時。

 

 どこからともなく嗤い声が轟き、雷鳴を思わせる低音で「見つけましたぞ……」と言葉が響いた。その声に、ラストの顔色がさっと変わったのを、ばあちゃんは見逃さなかった。

 

「宰相……」

 

「この十年もの間、貴方様を捜しておりました。『我が王』よ。もう逃れられませぬぞ」

 

 空を見上げると黒く雲が立ち込め、幻灯のように焼きつく、大きな骸骨の顔があった。かぱりとあぎとを開き、むき出しの歯で嗤う宰相に、ゴレムと従者は懇願した。

 

「宰相様! この者を捜し出したのは我々にございます。どうかどうか、褒賞を頂きたく、お願い申し上げます!」

 

「褒賞を寄越せと申すか。浅ましい者どもよ」

 

 宰相はしたり顔の二人を見下ろした。

 

「では受け取るがいい」

 

 言葉も終わらぬうちに、青白い雷鳴が轟く。まばゆい光の槍は直線を描き、ひれ伏す二人を頭上から激しく打ち据えた。

 

 大気を振動させ鼓膜を打つ轟音に、三人は耳を押さえた。光と音とが収まった時、その場にあったのは、黒く焼け焦げ煙を上げる、ゴレムと従者の屍だけだった。

 

「将軍が存命である事を、帝都で吹聴されては困るのでな。事情を知る者は、全て死すべき運命」

 

 肉の裂けた大きなあぎとを更に広げ、骸骨は高らかに笑い続けた。

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五 ・ 宰相の影

 

 ゴレムと従者を打ち殺した幻灯の雲は、次第に黒く、人影の形を取り始めた。

 

 すでに日は沈み、辺りは暗がりに覆われていたが、宰相を模った影はそれよりも更に昏く濃く、月明かりを背に受けて、地上へとふわりと降り立った。

 

「さあ、他の者も死出の旅へと発つがよい」

 

 包みを握り締めるばあちゃんとウニクを背に庇い、ラストは長柄を構えた。

 

「ひとつ訊かせろ。帝位は今どうなってる?」

 

 その問いに、宰相の影は喉の奥で嗤う。

 

「将軍が、そのような事を気にされておいでとは。貴方様が、帝位継承に必要な指輪を持ち去ったが為に、空位になっておりますぞ。ですが前陛下の御子が立太子されております故、二つの指輪さえ戻れば、我が帝国は安泰」

 

「帝国はお前のものじゃない! 国民のものだ!」

 

 二人を後ろに下がらせ、ラスト自身は、前へ進み出る。

 

「それに、オレは指輪を一つしか持っていない。もう一つは、誰だか知らない奴にくれてやったさ。オレを殺った後で、ゆっくり探しな!」

 

「何だと!?」

 

 想定外の応えに、宰相は怒り狂った。

 

「ならばその指輪だけ残して、消え去るがよいわ!」

 

 宰相の影が一瞬大きく膨れ上がったかと思うと、その塊から黒い帯状の風がほとばしった。ラストは背後にいる二人への直撃を免れるため、あえて正面からそれを受け切る。長柄の蛇は黒い瘴気を切り裂き、真っ二つにした。

 

「我が妄執の風は、変幻自在よ」

 

 骸骨がからからと嗤うと、切り裂いたはずの黒い風が二つの塊となって、背後の二人へと襲いかかった。

 

 振り向く暇もなく、二つの黒い塊は、ばあちゃんとウニクへと直撃していた。

 

 大地をえぐる轟音、飛び散る土塊。舞い上がる砂塵に視界すらかき消された。土煙が収まり、視界が明瞭になると、ようやく辺りを見回せる状態になった。

 

「そんな……」

 

 二人がいた場所には二つの大穴が穿たれ、ばあちゃんとウニクの姿は、どこにも見当たらなかった。ラストは、がくりと膝を折った。その様子に、骸骨は例えようもない愉悦の声を上げる。

 

「本当に貴方様は面白い。自らではなく、周囲の者を傷つければ傷つける程、魂から血を流し、絶望に身を浸すのだ。十年前も、その前すらも、まこと楽しい余興であったわ」

 

「てめえ……」

 

 ラストは怒りに我を忘れた。

 

「陛下だけじゃなく、数え切れない程の人間を殺しておいて、余興だ? ふざけるんじゃねえ……」

 

 血の気が失せるほどに長柄を握り締め、ラストは骸骨を睨んだ。

 

「そうだよ」

 

 どこからともなく、声が響く。いつか聞いたような、懐かしい声。

 

「そいつは宰相の影に過ぎない。それを斬るための王器は、キミの手の中にある」

 

 声に導かれるまま、ラストは長柄を横に構えた。地面を蹴り一気に間合いを詰めて、軸足から体重を乗せ、渾身の力で影の胴を薙いだ。

 断末魔の声を上げる間もなく、宰相の影は両断され、ぬるりと月明かりへ溶けていった。空を見上げると幻灯の雲に、宰相の顔が薄く映っている。

 

「おのれ……。わしの邪魔をしおって……! 何故だ。何故わしの思う通りにならないのだ……」

 

 口惜しそうな表情を一瞬見せて、霧散していく黒雲と共に、宰相の顔も夜空へと消えていった。

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六 ・ 帝都へ

 

「……てめえの思い通りになってたまるかよ」

 

 宰相の影を倒し、この場を凌いだラストだったが、代償の大きさに胸が詰まり、その場にへたり込んでしまった。ばあちゃんとウニクを、助けることが出来なかった。

 

「ばあちゃん……。ウニク……」

 

 涙をこらえようと、顔を上げたその時。

 

「兄貴〜」と、どこかで聞いたような、気の抜けた声が聞こえてきた。驚いて声の方を振り向くと、ばあちゃんとウニクが手を振りながら、こちらへ駆け寄って来る。

 

「え、何で生きて……」

 

「やだなー勝手に殺さないでほしいっす!」

 

 ウニクはどんと自分の胸を叩いた。

 

「まあ、あれっすよ。間一髪で、助けてくれた人がいるんです」

 

 彼の指差す方向を見ると、一本の樫の枝に、男の姿が見えた。月明かりで逆光になっていて、顔は見えなかったが、破れた黒衣を身に纏っている姿は、巨大なカラスのように見える。

 

「あんた……。もしかして十年前に、帝都でオレを助けてくれた……」

 

 先程の懐かしい声は、ラストの記憶と合致した。宰相の兵に追われた時に導いてくれた声と同じだったのだ。

 

「久し振りだねラストール。でも今は、早くここを立ち去ったほうがいい。さっきのは影だったけど、次は宰相自身が来るだろう。あいつは見境がないから、また無関係の人を巻き込むことになる」

 

 その言葉に、ラストは決心をした。もうここにはいられない。ここに留まれば、今度こそ二人や村の連中を巻き込むことになる。

 

「オレは帝都に行こうと思う」

 

 ラストの決断に、ばあちゃんもウニクも泣きそうな顔をしていた。

 

「ウニク。頼む。オレがここに戻ってこれるまで、ばあちゃんの事を看ててくれないか。金はあるだけ置いていく」

 

「金なんて……。兄貴の大事なばあちゃんなんだから、俺が面倒看るっすよ。だから、早く帰って来てください」

 

 その時、ばあちゃんがずっと抱えていた包みを、ラストに手渡した。

 

「あんたがこの村に来た時に、着ていたものだよ」

 

 包みを開くと、修繕され、きれいに畳まれた彼の軍服だった。十年経ってもその白さは衰えず、より輝いているようにすら見える。

 

「ありがとう……ばあちゃん」

 

 ラストは軍服のコートを包みから出し、その場で羽織った。月の光に照らされて、彼の精悍な顔つきを、より一層引き立てた。

 

「行ってくる」

 

 振り向きもせず、ラストは十年を過ごした村を後にした。二人は彼が見えなくなるまで見送り続けた。

 

 樹上の男もまた、その背を見送った。

 

「もう一つの指輪を持つ者に、いずれ出会うだろう。その時こそ、執念を断ち切る力を得る」

 

 そう呟くと、男の姿は霧のように掻き消えた。代わりに大きなカラスが、頭上でゆっくり旋回し、北へと飛び去っていった。

説明
創作歴史と創作神話を元にした、ダークファンタジー小説です。武器戦闘をメインにしてあり、魔術はあまり描いていません。男主人公。獣耳少女と男二人で旅をします。10255字。
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