14 彼女がカグヤの傘です。義姉様
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●月村家の和メイド14

 

「高い」

 今日のカグヤは一人でいつも来ている霊装屋、つまりは魔術師のアイテムを売っているお店に来ているのですが……。

「金剛杵一つの値段が以前の二倍になってませんか? こんなの買えるのは儲かっている一部の魔術師だけですよ」

「知らないわよ!? 私だっていつの間にこんなに値段が上がったのか聞きたいくらいなんだから!?」

 何処と言うわけにはいきませんが、まるでデパート屋上のフリーマーケットの様な場所で、カグヤ同様に常連仲間のリンさん(漢字知らないんです)と一緒になって愚痴を零していました。

「っていうか、アンタはまだ楽でしょ? こっちは宝石だから普通に高いのよ。それを魔力の込められた物となると、値段なんてとんでもない事になるのよ!」

「月村の使用人と、財閥の当主のレベルを同じに見ないでください。カグヤが自由にできる金額と、そっちの持ち金じゃ、使える差がそもそも違うんです」

「ネガティブに((僻|ひが))まないでよ」

「僻んでいません。事実を述べただけです」

「〜〜〜! もううっさいわね! それで!? 買うの? 買わないの!?」

「それはリンさんに言える事なのですが……、とりあえずカグヤは買っておきます。最近運が悪いので、また何か厄介事に巻き込まれる気がしますし」

 そう言ってカグヤは御金の入った封筒を黒いローブに身を包んだ店主に投げ渡し、金剛杵を二つ貰っていく。本当は四つ欲しかったのですが、金額的にこれが限界でした。

「それで、リンさんはどうするんです? 質と量、どっちを選ぶんですか?」

「むっ!? むむむうぅ〜〜〜〜〜〜……っ!!」

「はいはい解りました。充分悩んでください。カグヤはもう行きますので」

 そう言ってカグヤはリンさんと御別れします。同じ魔術師ではありますが、彼女は別に海鳴に住んでいる訳ではありません。いえ、今は住んでいますが、どうも事情があってあっちこっち飛び回っているらしいです。今は海鳴近辺で御見かけしますが、近い内にまたどこかへと向かうそうですね。まあ、魔術師同士の関係は、本来こんなくらいの距離感で、龍斗の様に親しくなる方が珍しいモノです。

「しかし……、春先の事件から随分経ちましたね。それでも今の所は平和を満喫ですか」

 カグヤは桜台公園から海鳴の町を見下ろして、その奥の龍脈を確認します。

「この平穏、嵐の前の静けさでなければいいのですが……」

 カグヤがそう思うのにもちゃんと理由があります。

 ここ最近、またもや土地に魔力反応があったらしいのです。っと言っても、確かなものではなく、ともすれば気の所為と切り捨てられてしまいそうなほど微弱にして一瞬の事だったそうです。龍脈の内側では、本当にこう言った『気の所為』と言うほど微弱な魔力を検知する事があります。もちろん、龍脈に一番近い土地守だけが起こす錯覚なのですが、それにしては錯覚の回数が多い気もするのです。最近あんな事件が起きたばかりですし、警戒しないわけにもいかないでしょう。

「今度は、すずか様に御迷惑をかけないようにしたいですね……」

 土地を護る事がカグヤの役目でございますが、今のカグヤが優先したい事はすずか様お一人……。出来る事なら、このまま何もなければいいのですが。

「……親を失い捨てられて、家もなかったカグヤを拾ってくれた義姉様も、まるで一瞬の灯火だったかのように消えさり、同時に名と生の実感を失って、……残ったのは義姉から頂いたこの魔術と、すずか様との絆だけ」

 最後のはとても重要ですが、それは他人との接点。カグヤ自身が持っているモノは、残りは一つだけなのかもしれません。

「ならばせめて、カグヤはこの魔術をちゃんと活かすとしましょう。いずれ、カグヤの中で新しいカグヤが生まれるまで……」

 東雲ではない、新しい自分を夢見て、カグヤは一人、月村に帰るのです。

 帰る途中、空からポツポツと水滴が降ってきて、雨が降るのだと気付きました。

 慌ててカグヤは近くの公園に入り、木の影でで雨宿りです。木の影では多少濡れてはしまいますが、この際仕方がありません。濡れて帰って風邪をひいても困りますし。

 次第に強くなる雨脚に、カグヤは少し思い出していました。

 それは、義姉様と過ごした、僅かな一時の記憶……。

 

 

 

??? view

 

「皮肉な体質だよね……。魔術師として絶対的に必要な才能、それを君は持っているのに、魔力を保有する器が決定的に小さい。魔術師としては致命的。まるで魔術師の世界で虐げられるために生まれたような体だね」

 黒髪の長いハーフポニーの少女は、傍らの少年を見てそう言った。

 魔術を教えると言って強引に修行させたあげく、さんざん痛めつけた最後の言葉がそれだった。

「いっそ、殺してしまえば良いのだ……」

 地獄を味わった少年は、己の事ながらそうぼやく。

「役立たずは殺したら意味がないだろう? ちゃんと死なない程度に弄ぶるに決まっている」

「丸々太らされてから殺されて食べられる家畜の気持ちが今は羨ましいと思うぞ……」

「((計五遣|けいごつか))いなさいカグヤ」

「誤字発言で何言ってるか不明なんですが?」

「敬語」

「言い直さなくていい」

「『((神佑|しんゆう))』」

「ブヲゥゥウオオオオオオオオオオオオッ!!!」

 突然呼びだされた熊の式神『神佑』が、主の命に従い、幼い少年を天高く吹き飛ばした。

 一瞬で星になった少年は、それからしばらくして再び地上に舞い戻って、池に落ちた。

 池から上がった少年は、熊の主に向かって土下座した。

「上げ足とってしまった様で申し訳ありませんでした〜〜〜!!」

「あはっ♪ 次生意気なこと言ったら、『((六合|りくごう))』で精神崩壊させるからね♪」

 自分が恐ろしい義姉を持っている事を再認識した少年は立ち上がり、少し疲れているような瞳で義姉を見る。

「って言うか、なんで『カグヤ』? それがどうして僕の名前になったの?」

「何故我が名は『神威』となったのか? そんな質問に意味があるか?」

「そんな哲学的な事は聞いてません」

「ただ単にお前を拾ったカプセルに『カグヤ』って書いてあったからだ」

「安直っ!? 知りたくなかったかも!?」

「言わせたのは貴様だろう? 『騰蛇』」

「こめんなさいっ!? その燃える蛇は止めてぇ〜〜〜!?」

 咬み付かれると炎の毒が全身に周るとされる蛇の式神にうろたえて平謝りの少年。

「冗談だよ」

「それなら『((騰蛇|とうだ))』を仕舞ってください」

「くすくす」

 義姉は式神を仕舞うと、再び別のお札を構え、少年に手を差し伸べる。

「さあ、魔術の特訓だよ」

「アレだけ魔術師として貶しておいても、まだ訓練するんですね……」

「当然だ。私は、君にしてもらいたい事があるから」

「なんでしょう?」

 少年は全然笑ってない笑みで訪ねると、心底楽しそうな微笑みで返された。

「『霊脈』を守る者だよ」

 聞いた少年は二もなく振り返らずに走り去ろうとして―――、

「霊鳥。術式・((集烏|たかりがらす))」

 無数の鳥の式神に一斉に突かれる事になった。

「この私が面白そうな余興を前に、容易く逃がして差し上げるとでも?」

「良心と言う言葉を知っていますか〜〜〜〜!?」

「知っているし理解もしているが、私は敢えて目を背けよう!」

「殺される〜〜〜〜〜っ!?」

「いいえ! 絶対に壊さない!」

「死より恐ろしい目に遭う〜〜〜〜っ!」

「いいえいいえ! そんな事には絶対ならないように調教します!!」

「誰かひと思いに殺して〜〜〜〜!!」

 義弟の叫びを一頻り聞いた義姉は、式神を消すと、本当に優しい笑みで語りかける。

「冗談だよ。カグヤが嫌なら辞めてしまって構わないよ。でも、将来なりたい事がないのなら、とりあえず私の言う通りに生きてごらんな?」

「義姉さんの言う通り?」

「そうだよ。私の道は、カグヤが自分のしたい事を見つけられるまでの間、将来困らないようにするための順当なレールだ。カグヤがやりたい事が見つからないなら、そのままレールの上を歩いてもいい。もし他にやりたい事が見つかったなら、その時にレールを外れればいい。私は、そんな道をお前に用意してやりたいのさ」

「義姉さん……」

「私に出来ることなど……、その程度なのだから……」

 義姉は表情を消して、空を眺める。

 義弟も一緒になって空を見上げる。

「私には……、味方がいない……」

 義姉の呟きに、義弟は解らないなりに寂しさを覚えた。

 いつしか二人の手は、互いを求めるように握り合っていた。

 

 

「魔術師は最初に魔術師を殺す事を覚悟しなければならない」

 土地の侵入者を地面に踏みつけながら、義姉は義弟に語る。

「それは何故か? 簡単な事。魔術は超常現象を個人で行える力。故にその力は自分を惑わし、((恰|あたか))も神になった様な錯覚さえ与える。そうなればいずれ、こんな奴の様に思い上がって他人を傷つける事を厭(いと)わぬ奴が出てくる。だが魔術を認めないこの世界では、魔術による犯罪は証拠が見つけられず、裁く事が出来ない。だから代わりに、私達、同じ魔術師が裁くしかないのさ。魔術師(私達)のルールで」

 そう言って、彼女は懐から短剣を取り出すと、それを義弟に投げてよこす。

「カグヤ、これを殺せる?」

 ドスッ!

「ぎゃああぁぁぁ〜〜〜〜〜〜っ!?」

 義弟は、義姉の質問にあっさりと応えて見せた。

 それはあまりにもあっさりしすぎて、まるで何も考えていないかのように思えた。

 義弟は返り血で濡れた顔を期待に染めて義姉を見る。

 義姉はその顔をしばらく見つめ、無表情に頭を撫でた。

 義姉は思った。命の重さを知らぬ者が、命を容易く奪って良いのだろうか?

 

 

 しかし、それは義姉の杞憂に終わった。

 義弟が死にかけの鶯(うぐいす)を手に、涙目に言ったからだ。

「助けられないの?」

「助けられないね。この鶯はもう死にかけている。手当をしても治る前に力尽きてしまう」

「それでもなんとかできないの?」

「なら無駄な治療をする?」

「うん」

「………」

 死にかけて、もう生きる事を許されなくなった鶯を、それでも義弟は必死に助けようとした。しかし、鶯は義姉の言った通り、一日と持たずに事切れてしまった。

「………」

 悲しそうに俯く義弟に、義姉は問いを投げかけた。

「どうして助けようと思った?」

「……僕と同じだったから」

「同じ?」

「鶯は、親鳥とは違う鳥の巣に生まれて、自分が生き残るために生まれてすぐに他の卵を殺す、って聞いた。だけど、そうして育ててもらっても、そこには一人の自分しかいない。捨てなければ、一緒になれたかもしれない兄弟を、皆殺して……、自分を守るために殺したのに、一人ぼっちで……」

 義弟は無表情だった。悲しい事を言っているはずなのに、この子供は一度も泣いている所を見た子がない。だから、この子供を見た周囲の人は言う。不気味だと。

 しかし義姉は思う。この子は涙を見せない分、全ての悲しみを内側で表現している。だから、そんな些細な事も真面目に受け止めてしまい、普通の人なら笑い飛ばしたりできる事に深く傷ついてしまう。そんな弱い心の持ち主に、義姉は笑みを浮かべた。

「まったくだ……、鶯は、私達によく似ている」

 自分らしく生きる事を望んだ少女は、周囲を敵ばかりにしてしまい、一人になった。

 生まれてすぐに捨てられ、あまりに聞きわけが良く、簡単に傷つく少年も一人だ。

 だから、っと、義姉は思う。

「私達は、出会うべくして出会ったのかもな……」

 義弟は見上げる。

 義姉は弟を抱きしめる。

 義弟と顔を合わせたくて、見つめ合っていたくて、後ろから抱きしめて、頭を撫でる。

 あやされた赤ん坊の様に無防備な表情を晒す義弟に、義姉は素直に愛しいと思った。

 

 

「では、東雲神威。この依頼受けてもらうぞ? まさか断るつもりはあるまい?」

 八束神社に依頼に来たのは魔術の血脈を失った権威だけの男だった。その権威も、魔術の血が絶えた以上、いずれなくなって行くだろう。それ故に、男は神威の才能に嫉妬し、彼女をどうにかして貶められないかと考えていた。

「お受けしますよ。権威では怪異を倒せないでしょうから?」

 別段、それは珍しい事ではなかった。敵だらけの彼女にとって、こう言った事を考えていない人間の方が『絶対』を持っていなかったからだ。それをよく知っているから、彼女は皮肉を軽々しく口にした。

「ふんっ! それだけの大口を叩いて、何もなかったでは済まされんぞ!」

 男はそう言って立ち去って言った。

 男の出した依頼は、人が人である以上、生きては帰ってこれないような『諦める』のが普通の内容だった。それでも義姉はその依頼を受けた。義姉とて人である以上、その例外に漏れる事はないと言うのにだ。

「義姉さん」

 不安そうに見上げる義弟に、義姉は彼にだけ見せる笑顔で頭を撫でる。

 

 

「ひ、ひぃぃ〜〜〜〜っ!?」

「どうした? お前達の依頼通り((黄泉比良坂|よもつひらさか))まで行って、この妖怪を捕まえて来てやったぞ? 歓迎こそすれ、悲鳴を上げるとは何事だ?」

 義姉は黒い泥のような物に塗(まみ)れた姿で、黒い魔獣とも呼べる妖怪を片手に引きずって帰ってきた。その姿はとても勇敢に戦ってきた巫女ではなく、悪逆非道の限りを尽くした黒巫女の如く穢れて見えた。

 義姉は己の姿を自覚しながら、構わず勝手に上がり込み、依頼主の元まで妖怪を持っていく。

「か、神威!? 生きておったのか!? いや、それよりこれは何事だ!? 貴様、何のつもりで来た!?」

「阿呆(あほう)か己(おのれ)? この妖怪の始末を依頼したのは貴様であろう? だから連れて来てやったのだ。黄泉比良坂まで殺しに行けと言うほどなのだから、さぞこいつを憎んでいたのであろう? さぞ自分の手で殺したかったのであろう? 今ならただの人間にも殺せるぞ? この好機に手を拱いて見ている気か?」

「ば、バカを申すな!? そんな事する必要はない! 依頼通りお前が殺せ!」

「そうだな。依頼の際、注意事項として『情報の不十分があった場合、依頼内容の一部を変更する場合がある』と、普通の字で書いてあったのだが……、気付いておいでだったか?」

「そ、それがどうした!? 早く殺せ!」

「こいつは自分を殺した相手を呪い、苦しみの果てに殺し返す。ですから私はこいつを殺せません。あなたが殺してください」

「な、何をバカな事を言っている!? 私を誰だと思っている!?」

「貴様こそ私を誰だと思っている? 東雲神威。霊脈と龍脈を同時に守護する稀代の巫女よ。文句があるなら私以上の魔術師を連れて来い!」

 そう言って義姉は妖怪を投げ捨てるとその場を去った。

 妖怪は瀕死の重傷を負っていたが、殺せば自分が呪われて殺し返されると知っていながら、手を出せる様な人間はおらず、やがて自ら傷を癒し、封印される前に逃げ出したのだった。

「義姉様? その黒いのはなんですか?」

「どうも懐かれたらしい。何度追い払っても黄泉比良坂に帰ってくれん」

 義姉は面倒だと言いながら、黒い魔獣に札を翳し、式神の契約を交わしていた。

 義弟は興味深そうに黒いのに手を伸ばすが、牙を剥かれて義姉の背に隠れてしまう。

「カグヤ、私の体は穢れてるから、触ると―――」

「なんです?」

「……あれ? お前平気なの?」

「なにがです?」

「お前……実は((伊弉弥|イザナミ))の素質でもあるんじゃないだろうな?」

「なんのことです?」

 義姉は冗談の後に「なんでもない」と言って笑った。そうして義弟の頭を撫でる義姉は、既にその命の火を揺らがせ始めていた。

 彼女は解っている。それでも義姉として、愛しい義弟を愛で続けた。それが彼女の生き甲斐だったから、生きている実感だったから。

 

 

 義姉が床に伏せるのに、そんな多くの時間は必要なかった。

 瞬きの様な時を経て、彼女は憔悴しきった表情で布団に横たわる。その命が残り少ないのは、医者でなくとも誰にでも理解できた。それでも、彼女の見舞いに来ようと言う者はいなかった。それだけ彼女の周りは敵だらけであった。

 だから義弟は必死に看病し続けた。義姉を助けることなどできないと、子供心に気付いていたから、せめて傍にいて可能な限り優しくしようと決めていた。

 自分が病状に臥せった時、看病などした事がなかったため、珍しく動揺しまくり、それでもなんとかしようと必死になってくれた義姉を思い出しながら、義弟は自分が貰った物を全て返すつもりで看続けた。

 何度か、病状に臥せった彼女に、仕返しするなら今だと考えた輩が現れた。考え無しのバカは、義弟の仕掛けた幼稚な罠に嵌り、多少腕が立つ者も、義姉の式神に返り討ちにあった。病に臥せながらも、彼女は東雲神威(稀代の巫女)であり続けた。

「……カグヤ」

「なんですか? 義姉様?」

「ちょっと、起こして……」

 義姉に言われ、義弟は義姉の上体を起こしてやる。ついでに布団の中にあったモノを流れる動作で取り換え、それを見てしまった義姉は恥しそうに苦笑する。

「義弟に下(しも)の世話される義姉って……」

「しも? そう言えば霜(しも)の季節ですかね? っというか既に雪が降ってます」

「否定すると恥しいからしない。でも今後の為に教えとくと……ごにょごにょ」

「つまり恥しい類の事だとは解りました。『恥しい』の時点で解らないけど……」

「お前にはもっと先に教えるべき事がある事に今気付いたよ」

 呆れたように笑いながら、義姉は義弟の頬を撫でる。

 義弟はそれを気持ちよさそうに受け入れる。

 それは二人だけの、残り少ない義姉弟の((暇|いとま))。

「神威はおるか?」

 しかし、その空気を壊す来訪者が現れた。

 その人物を見て、義姉は心底嫌そうな表情になる。

「誰と思えば御父上ですか? お帰りください」

「すぐに帰るとも。用が済めばな」

 義父は義弟に目もくれず、義姉の前に立つと、見下すようにして言う。

「稀代の巫女とまで呼ばれた式神使いが、今ではこの有様か? 空しいを通り越して哀れにも過ぎる」

「黙れ」

 義弟はすぐに目を細め、義父を睨むが、義父は全く意に介さない。

 最初に会った時から、義弟は義父が嫌いだった。彼はずっと義弟を認めてくれなかった。普通の少年だった時はただ無視され、魔術師になってからは蛇足として見られた。義姉の優しさが身にしみていただけに、義弟は義父を好きになる事は、この先一生できそうになかった。

 何より義弟が許せなかったのは、大切な義姉を、何度も苦しめた事だ。お金、世間体、援助、仕事、あらやる場面で、この男は義姉が苦しむように細工し、義姉が挫折する姿を見よとした。その結果、義姉は一度だけ絶望の表情で悲しんだ事があった。ただ一組だけ、自分の世間体を気にせず、話しかけてきた夫婦がいた。義姉は生まれて初めての味方に微笑みを浮かべて、兄弟の間でしか見せなかった笑顔を、彼らにもするようになり始めた。次第に義姉にとって、その夫婦は親の様に思えてきたのだ。だから、彼らの前では義弟と一緒に甘えるような事も言い始めていた。なのに……、その夫婦は亡くなった。ただ一人の娘を残して亡くなった。それが、義姉の苦しむ姿を見たいと思った義父の手があった事を知った時、義姉は自分の所為だと言って蒼白な顔をしたのだ。

 義弟は忘れない。あの時の絶望を。義姉の全てが自分であることを知ったあの刹那を。

「お前にはさっさと渡してもらうモノがある」

「消えろっ!」

 義父の言葉など聞かず、義弟は義姉を護るため飛び出そうとする。しかし、それは義姉の柔らかい手が肩に置かれただけで止まってしまう。力の入らなくなっている制止に、義弟は悲しいくらいに従った。

「((十二|じゅうに))((神将|じんしょう))の式神ですね?」

「話が早いな。もう死ぬお前には無用の長物であろう? さっさと差し出せ」

「ありませんよ」

「やはり、どこぞに隠したか……、ならばどこに隠したか言ってもらおう」

 そう言って義父は初めて義弟を見る。

「少し隠すのが早計だったな。これではお前は自分の身どころか、弱み一つろくに守れんではないか?」

 義弟は知っている。この男が自分では到底かなわぬほどに強い事を。それでも義弟は震える体を叱咤して睨み返す。人質になれば、自ら命を断つことさえ覚悟しようとしていた。

「義弟を殺しても無駄ですので、止めておいた方が良いですよ?」

「どう言う意味だ?」

 義姉は義弟の震える体を労わる様に肩を撫でる。そして義父から視線を外し、義弟だけを見ながら言い放つ。

「アレは捨てましたから」

「なにっ!?」

 義弟は、そしては義姉は、その男が顔を歪ませるところを初めて見て、心に悦を満たしたいた。

「バカな!? 貴様! それがどう言う意味か解っているのか!?」

「八束の秘奥だが何だか知りませんが、私には関係の無い事。そも、私に味方する者がいない此処に、何かを残そうなど思うはずもないでしょう? もし私から何かを奪いたかったのなら、私を((絆|ほだ))すべきでしたね?」

「貴様……っ!」

「あと、義弟には手を出さない方が良いですよ? 捨てたと言っても全てを捨てたわけではありませんから」

「なんだと?」

「義弟には十二神将ではない『黒の式神』を託しておきました。もし彼を精神的に苦しめれば……、その時対処できる私は既に三途の河の向こう岸。被害と言う覚悟の上でしたらどうぞ御随意に」

「貴様! 貴様! 貴様! 何処までこの私を……っ!」

「それはこちらの台詞。父上殿こそ、いつまでも私を追っていなさい。そして知りなさい。私だけを見ているモノが、私に追いつくことなど決してできないと」

「黙れっ!!」

「あふぅっ!」

 義父の蹴りをまともにお腹に受けた義姉が、力無く床に倒れ込む。まるでそれが致命傷であったかのように、義姉はそのままピクリとも動かなくなった。

「こ、の野郎!!」

 義弟の頭で、何かが切れる音がした。それと同時に、彼の身体から黒い何かが吹き出る。それに気付いた義父はすぐさま飛び退き、何らかの魔術の一撃を放つ。一撃を受けた義弟はその場から吹き飛び、壁にぶつかるが、その身体を覆う闇が全ての衝撃を吸収したのか、殆ど無傷だった。

「……ちっ!」

 義父は舌打ちすると、そのまま脱兎の如く逃げ出してしまった。

 義弟は追いかけて殺そうと覚悟した。だがそれは、「おやめなさい……」と言うか細い声に止められ、闇も消し飛んだ。

「それより、ちゃんと撮れたか確認して?」

 苦しそうに顔を歪ませる義姉の声に従い、義弟は襖の向こうに隠してあったビデオカメラを取り出す。中のデータを呼び出し、それを再生して確認する。

「ちゃんと撮れた」

 再生される映像に怒りを覚えながら、義弟は義姉に映像を見せる。それは、先程義父が義姉を蹴りつけ、義姉が動かなくなると言う先程の映像だった。

「くくくっ、魔術師に固執する連中は、こういった古典的な罠にはまりやすくて助かるよ。これであのオヤジへの冥土の土産が出来た」

 全ては自分の思い通りだと誇らしく笑い、義姉はお腹をさすった。

 義弟は義姉を抱き起こしながら、一緒になってお腹をさする。

 その優しさが嬉しいと同時に、義姉は奇妙な恥しさを感じてしまう。

「い、良いよ別に、カグヤが撫でなくても……」

「いやだ……。もうできなくなるから……」

「かぐや……」

 義弟は涙を見せない。それだけに、内側は痛々しい傷でボロボロになっているだろう。だから義姉は義弟を抱きしめようとして、その力もない自分に気付き、口惜しく思う。それでも最後まで、義姉は義姉でありたかったから、少ない命を削ってでも義弟を抱きしめた。

「義姉様……」

「カグヤ。愛しい私の義弟」

 辛いはずなのに、息を荒げる事も出来ず、それでも義姉は必死に義弟を包み込む。

「ずっとそばに居てくれたね……。一人だった私の傍に、お前はずっとそばに居てくれた……」

「傍にいます……。これからも、この先も、ずっと……」

「それは……、良いんだよ。後少しだけ一緒に居てくれれば……」

「居ます。ずっと一緒に……!」

「大丈夫さ。一人だった私に、カグヤが来てくれたように……、きっとカグヤにも、傍に来てくれる人が現れるから……」

「いりません。僕は義姉様が一緒に居てくれれば、それで……っ!」

「でも、私はあなたを置いて一人逝ってしまう……。そんな薄情な姉など忘れてしまって良いの」

「そんなふざけと事言わないで! 義姉さんは! 僕のただ一人の家族で! 初めての……、初めての……〜〜〜〜っ!」

 何かを言おうとして、その言葉を見つけられな表情で義弟は固まってしまう。伝えたい感情を、言葉にする事が出来ないのが悔しくて、ただ甘える事しか出来なくて……、だから義弟は、せめて義弟であり続けようと心に決めた。

「心にどんな土砂降りが降ったって……、いつか傘を差し出してくれるような、そんな子が必ずいてくれる。カグヤの心に傘を差して、悲しい雨から守ってくれる。それでも濡れてしまう時は、一緒になって濡れてくれる……、そんな優しい子が、きっと……」

「それでも僕は義姉様とずっと一緒に居たい!」

 義姉の慰めに、義弟は我儘を言う様に嘆いた。

 その心からの告白に義姉は生まれて初めて、その感情に気付いた。

 命が無くなりつつあるはずの鼓動が、不思議と早鐘を打ち、頬がドンドン上気していく。次第にそれは恥しいと言う感情と、嬉しいと言う感情と、そして―――欲しいと言う求める感情を抱かせた。

 だから義姉は気付いた。やっと気付いた。そして、死ぬ前にそれに気づけた事に、幸福を感じていた。

「カグヤ……」

 文字通り、最後の力を振り絞り、義姉は……神威はカグヤを抱き寄せた。

「私がこの世でただ一人……、最も愛しい男の子……」

 力一杯抱きしめながら、もう視覚も機能せず、自分がちゃんと言葉を出せているかも解らない状態で、神威は己が求める少年に、ただ一言……、今までの人生全ての想いを伝えた。

「……ありがとう……」

「………」

 少年は笑った。

 そして、頷いた。

 温かさを失われた、それでも柔らかい大切な人の感触を、もう一度しっかり抱きしめて記憶に刻む。

 そして彼は……、二人だけの笑顔を浮かべて、感謝を込めて言った。

「義姉さん。もう充分だよ……」

「………」

 途端、神威は糸の切れた操り人形の如く床に倒れる。

 全てが夢で、その終わりが訪れた様に、沈んだ少女は起き上ってこない。

 長い髪を床に広げながら、まるで生きていなかった人形の様に、光を写さない瞳が床を見つめる。

「………うっ」

 カグヤは、それを見て……、

「…うあ……っ」

 自分に教える。

「あっ……う…」

 もう、我慢しなくていいのだと―――。

「うわわあああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」

 ずっと、彼女に育てられている間ずっと、捨てられたく無くて、見限られたく無くて、放り出されたくなくて、ずっと我慢してきたそれを、カグヤは瞳から全て吐き出し続けた。一度流してしまえば、もう二度と我慢できないような気がしたから、ずっと我慢していたそれを……。

 カグヤはずっと考えていた。どうして自分は捨てられたのか? それはきっと、自分が親にとって気にくわないところがあったからだと、義父や義姉の周囲に居る人間を見て思った。だから、カグヤは義姉にだけは捨てられまいと、彼女が本気で嫌いそうなものをずっと我慢してきた。誰かが泣いている時、義姉はすごく辛そうな想いを瞳の奥に宿していた。だから、カグヤは泣かないと決めた。でも、もうそれも終わりだった……。義姉は、もう、居なくなってしまったから……。

「いやだよ〜〜〜〜〜っ!! ずっと一緒に居てよ〜〜〜〜〜っ!! 一人にしないでよ〜〜〜〜〜っ!! 起きて……! 起きてよ〜〜〜〜〜っ!!」

 悪魔でもいい、今自分の命と引き換えに、義姉を生き返らせる事が出来るのなら、捨ててもいいと思った。だって、義姉の為に生きていたカグヤに、義姉のいない人生など、何の意味もなかったから。

「お義姉ちゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜んっ!!」

 その慟哭の雨は、決して降りやんではくれなかった……。

 しんしん降り積もる雪の日に、東雲神威は初めての『恋』と『幸福』を知って……、

 亡くなった。

 

 

 

 

カグヤ view

 

 とても短い、されどもカグヤにとって愛おしい時間。今思い出してもそれは、何よりも掛替(かけが)えのない思い出なのだと、そう思います。

 もし、今からでも義姉様に何かを伝える事が出来るなら、カグヤはきっと―――、

「風邪、引くよ?」

「!?」

 いつの間にか閉じてしまっていた瞼を開くと、そこには傘を差しかけるすずか様の姿がありました。

「雨が降り出したから、カグヤちゃん傘持っていってなかったと思って、迎えに来たの」

「……」

 カグヤはすずか様を見つめます。あの時と同じように、無表情に、無感情に、全てを殺した瞳で……、でも、カグヤの心には、あの時は解らなかった感情を、ちゃんと今は理解して伝える事が出来ます。

「ありがとう。すずか」

「……へ?」

 すずか様の頬がほんのり赤く染まって、驚いた様に静止します。カグヤは僅かな微笑みを浮かべながら、穏やかな気持ちで言います。

「まるで、あの時のようだったから……、ちょっとだけ、プライベートです」

「あ……。えっと、ううん……。カグヤちゃんは、もう私達の家族だよ」

 慌てたように俯くすずか様が可愛らしくて、カグヤは不思議と笑みを浮かべていられます。

 どんな強い雨の日でも、心に降りしきる雨でさえも、傘を差しかけ、時には一緒に濡れてくれる……。そんなすずか様だからこそ、カグヤは一緒に居たいと思う様になったのでしょうね。

「義姉さん、あなたの言ってくれた方は、たぶん、この方ですよ……」

 出来れば生きている内にお伝えしたかったと、心に一人呟き、カグヤはすずか様の傘をとります。

「カグヤが持ちましょう。そして帰りましょうか? 家に……」

「うん♪」

 穏やかな気持ちの中、カグヤはすずか様と並んで雨道を帰ります。

 強く降りしきる雨も、この気持ちを妨げる事はできないようです。

 義姉さん、今日は『安らぎ』を覚えましたよ……。

 

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今回はカグヤの過去話
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