雨のち
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 雨が嫌い。

 私のくせっ毛が、自己主張を始めるから。

 髪の毛が広がらないように両手で押さえながら、風紀委員長の退屈な話を右から左へ。

 暇そうだから入ったのに、週に一回会議があるなんて知らなかった。どうせたいした活動なんてしないのに。

 溜め息をついて、外に目を向けた。雨がグラウンドを叩いてる。

 窓には、ぼさぼさ髪の私が映っていた。今朝苦労して整えた髪は、もう見る影も無い。

 友達は「似合ってる」とか「可愛い」って言ってくれるけど、その全部が嘘っぽかった。本気で言ってないなって、そう思えた。だってみんな、その話をするとき少しだけ嫌な笑い方をするから。

 大げさかもしれないけど、くせっ毛のせいでちょっとだけ、人間不信。

 今度は教室の中へ視線を向ける。私の隣には、同じクラスの男の子。左手で前髪を触りながら、頬杖をついてどこかをじっと見てる。

 彼はいいなって思う。私と同じようなくせっ毛だけど、私と違って凄く自然。似合ってると思う。

 たぶん彼は私みたいに、寝癖がおさまらなくて泣きそうになったり、一日中髪型が気になって授業が頭に入ってこなかったり、そんな惨めな思いしたことないんだろうな。なんだか、不公平だ。

 そういえば、彼とは数えるほどしか喋ったことがない。会話する機会なんていくらでもあったはずなのに。避けられてるんだろうか。ううん、きっと避けてるのは私だ。嫉妬しているんだろうか。わからない。

 ぼんやりと彼の左手を見つめていると、周りが急にざわつきはじめた。慌てて顔を上げると、いつの間にか会議は終わっていた。話をなにも聞いてなかった。

 きっかけになるかな、なんて思ったけど、まだぼうっとしてる彼もたぶん、会議の内容なんて覚えてない。話しかけるのはいいけど、気まずくなるのは嫌だった。

 資料を鞄につっこんで、私は席をたった。早く帰ろう。こんな髪、誰にも見られたくない。 廊下を足早に通り抜けていく。なびく髪が湿り気を帯びていて、鬱陶しかった。

「ちょっと、ちょっと待って」

 急に後ろから声をかけられて、つんのめるように止まった。振り向くと、彼がいた。

「これ。忘れ物」

 彼の手には、青い筆箱。私のだった。

「ありがとう」

 筆箱を受け取って、軽く頭を下げた。目だけ動かして覗き見ると、彼はなにか話したそうに私をじっと見ていた。どうしてか足が動かなくて、なんとなく私も見つめ返した。

 少しだけ、彼は緊張してるみたいだった。たぶん、私も。

「今日、湿気すごいよな」

 おもむろにそらした目を窓に向けて、神経質そうに髪の毛を押さえながら、彼が呟いた。

「油断するとここがはねちゃって。まぁ、はねても誰も気がつかないんだけどさ」

「わかる。誰も気にしてないけど、でも、気になるんだよね」

 思わず答えた私に視線を戻して、彼がうれしそうに笑った。緊張がすっと消えていくのがわかった。私の強張った身体も、急に楽になった。

「髪、押さえてたよな。ずっと見てた。髪が長いと大変そうだ」

「ずっと?」

「ごめん。ずっとって気持ち悪いな。ごめん」

 ばつが悪そうに前髪を撫でながら、彼はまた目をそらした。緊張すると、視線を外して髪を触る癖があるみたいだった。

 その仕草が微笑ましくて、もうちょっとだけ話していたいなって、そう思った。

「会議のとき、前髪気にしてたね。ずっと」

 髪を撫でる手を止めて、彼は一瞬だけ驚いて、その後照れくさそうにはにかんだ。

「なんか気になって。おかしくないかな」

「大丈夫だよ。すごく自然だと思う」

「ほんと?」

「うん」

「そか。よかった」

 顔をくしゃくしゃにして、彼が笑った。犬みたいな人だなって思った。素直なところとか、くせっ毛のはね具合とか。私も他人からは、こんな風に見えるのかな。

「そっちもそんな気にすることないと思う。自然」

「そんなことないよ。ぼさぼさで、ひどい髪」

 たぶん私は、せいぜい意地悪な猫だろうな。彼みたいに笑えないから。

「触ってみてもいいかな」

 遠慮がちに、彼がそう言った。あまりにも急だったから、すごくびっくりした。髪を触られるのは、大嫌いだった。

「うん」

 けど、彼なら別にいいかなって、どうしてかわからないけど、そう思った。

 慎重に手を伸ばして、割れ物に触るみたいに優しく、彼の指が私の髪の毛を撫でた。髪型を崩さないように、肩にかかった毛先を、少しだけ。ちょっとだけくすぐったくて恥ずかしくて、ほんのちょっとだけ、気持ちよかった。

「すごい。ツヤツヤだ。いいな」

「いい? ほんとうに?」

「うん。俺の触ってみて」

 彼が屈んで、頭のてっぺんを私に向けた。

 さっきそうしてもらったように、私もそっと彼の髪に触れた。たぶん彼も触られるのは嫌いなんだろうなって思ったから、震える指先で、優しく撫でた。

「ゴワゴワだ」

「だろ? そっちの方がぜんぜんいい。綺麗な髪だよ。羨ましいな。俺なんて雷様だ」

 おかしそうに、笑った。私もなんだかうれしくって、少しだけ笑った。

「俺、部活いかなきゃ。ごめん、変なこと頼んで」

「ううん。筆箱ありがとう」

「よかったらまた触らせて。その髪質を目標にする」

「いいよ。もっとツヤツヤにしておく」

 彼は微笑んで、「俺、また変なこと言った」と呟いた。「そうだね」と私も笑った。少しの間だけ、二人で声を抑えて笑いあった。

「じゃ」

「うん」

 背を向けた彼に、控えめに手を振った。角を曲がるとき、彼は一度だけこっちを見て、手を振り返してくれた。私が笑うと、彼も笑ってくれた。

 彼の背中が見えなくなっても、私はそのまま動かなかった。

 このふわふわした気持ちはなんだろう。うれしいとか、楽しいとか、そういうものとはちょっと違って、どう表現したらいいのかよくわからない、不思議な感覚。

 たぶん、この綿菓子のような気持ちには、ちゃんとした名前があるんだと思う。だけど、名前をつけたらなにか別の物になってしまう気がして、考えるのをやめた。

 このまま、ふわふわなまま、抱きしめていたかった。

 

 窓の外。もう雨はやんでいた。

 

 こっちを見てる、ぼさぼさ髪の私。

 なんだか少しだけ、可愛く見えた。

 

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くせっ毛女の子の憂鬱。
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