百鬼夜行絵詞 二口女 |
二口女―――― 「絵本百物語」
まゝ子をにくみて食物をあたえずして殺しければ、継母の子産れしより首筋の上にも口ありて食をくはんといふを髪のはし蛇となりて食物をあたへ、また何日もあたへずなどしてくるしめけるとなん。おそれつゝしむべきはまゝ母のそねみなり。
昭和二十二年の六月だった筈である。
社会党片山哲内閣の成立が五月の末で、友人とそのことについて少々議論をした後日のことだから覚えている。
私は、珍しく外で京極堂――いや、まだ古書店を開業する前の話だから、本名のまま中禅寺と呼んでいた――と待ち合わせていた。どうにか大学から援助をこぎつけて、粘菌の研究に手を着けはじめた頃だ。
梅雨入り前の貴重な晴れ間だったが、正直気は重かった。
まだ鬱病が治りきっていなかった頃でもあるし、あの時代の東京の雰囲気は、気ぶっせいを助長こそすれ晴れさせることはなかった。
待ち合わせの新宿で、できるだけ駅の西に広がる闇市の光景を目に入れぬようにするため、努めて別の側の町並みを観察していた。
片付けようとしても一向に埒の明かない瓦礫の山、軒を連ねる錆の浮いたトタン屋根のバラック、そしてその粗末な家屋でもまかないきれないほどの野宿者の波。風は塵埃と焼け焦げた臭いを運び、親を失った浮浪児の泣き声がどこからともなく聞こえてきた。
中禅寺は時間がかかれば食事も外で、などと格別注意することもなくいったが、それが一層憂鬱を重ねさせた。あの頃、外食をするというのは、今と大きく趣きを異にしていたからだ。
人は美食を目的とするのではなく、ただ生きる必要に駆られて物を喰った。
店といっても、廃材まがいの代物を組み合わせて、どうにか建っている程度の掘立小屋で、看板や暖簾のかわりに雨風にさらされた張り紙が、なかば剥がれかけて揺らめいているというのが定番だった。
そんな構えだから出すものも水だらけのおじやに水団が関の山、それを高い金額払って食べた。もちろん、家に帰ったところで、待っているのは同様の献立、もっと悪いことだって稀ではなかった。だから、喉を通って栄養になるというだけで感謝するべきなのだろうが、雰囲気自体に馴染めないのだから如何とも仕様がなかった。
六月一日より開始された飲食店の一斉休業が、ようやく解けた直後ということも騒然とした雰囲気に拍車を掛け、店に出入りする人々の様子を目にするだけで、怖気がこみ上げた。
また、更なる問題が中禅寺の人となりにもあった。この男、誘うだけ誘っておいて、いざ人ごみに出るなり批判めいたことを口にするのは、私の比ではなかった。復興しつつある家々を見ては歴史的な経緯を無視しているだの、粗悪な西洋の猿真似だの。結果として方々で諍いの種をばらまくことになる。
だから、その日も起こるであろう事態については、大凡の推測はついていたのだが、それにもかかわらず、時間よりも早く待ち合わせ場所に到着してしまうあたり、自分でもお人よしなことだと思わざるをえなかった。
GHQの統制のもと、占領下という文字が冠せられていた時分ではあるが、前年の昭和二十一年には『中央公論』や『改造』といった雑誌が復刊され、晴れてやって来た言論の自由の時代を謳歌していた。もっとも、多くの人々にとっては、そんなことに頓着する余裕は薄く、日々生きることに懸命にならざるをえなかった。
むき出しの土の上をせかせかとサラリーマンが足早に歩く、その姿は時代が変わっても同様の光景だ。ただし、着ているスーツはどこか薄汚れていて、ワイシャツは汗じみや油汚れにまみれている。ボタンが飛んだりつぎはぎを当てているのは物の数ではなく、穴が開いたままになっているものも珍しくはない。そんな間を子供達が縫うようにして駆け回っている。こちらは決まって男女問わず上はシャツ一枚、ズボンは履いている子もいればいない子もいる。
裸足で、ガラスや釘が転がっているのもおかまいなしだ。鬼ごっこにゴム跳び、どこから拾ってきたものやら、チョークでしきりに瓦礫や、わずかに残ったアスファルトをキャンバスにして、絵を描くことに余念のない画伯もいる。
誰彼かまわず往来を好き勝手に行き交う子供達は、街路の王様ともいえた。
しかし刻限は近く、日暮れは迫っており、長く伸びつつある影法師がなにより雄弁だった。
瓦礫の上にかろうじて建ち並ぶ、焼け残りの材料を使ったバラックの上に、傾きかけた太陽がかかっていた。じっくりと目にすればするほど、気が滅入る。けれども、視線を移すことはできなかった。その他にどこに向ける場所があっただろうか。
「関口巽さんですか?」
気持ちが沈みかけた時、不意に背後から名を呼ぶ者があった。
「そうですが……」
立っていたのは一人の学生だった。まだこの国に学生などというものが残っていたのかと驚かされるのと同時に、その風体が戦前の学生という単語から喚起されるイメージとあまりにもかけ離れていることに気付ないわけにはいかなかった。
骨と皮ばかりという形容はこの際役には立たない。だれもがそういう体格だった時代だ。垢にまみれた学生服を着て、唯一らしさを残している丸刈り頭も、青々とした刈り跡が浅黒さと青白さの入り混じった栄養失調の肌の色と相俟って、颯爽さからはほど遠かった。
とはいえ、私にしたところで、着古した唯一の外出着を、シラミやノミの巣にしていたのだ。
皆一様に汚れて、草臥れて、そして貧乏だった。
姿恰好からすれば御多分に洩れぬ青年ではあったが、ただその眼だけが、少々異なっていた。私よりは、二、三歳年下であったろうが、全身で諦念というか絶望のような雰囲気を醸し出しながら、奇妙なことに分厚いレンズのついた眼鏡の後ろの両の瞳だけは、爛々と輝いて、鋭く相手を射抜く妖光を放っていた。
「あの、失礼ですが、君は……」
「やあ、お待たせ」
私の問い掛けを遮るようにして、やにわに大きな声で中禅寺が姿を現した。いつも通りの、苦虫をかみつぶしたような難しい顔を浮かべ、あちらこちらを擦り切れさせた着流し姿で。
「どうも、中禅寺さん」
「ああ、君も来たか」
こんな会話を交わされて、間に入り、改めて青年の名前をたずねる勇気を、私は持ち合わせなかった。
どうやら中禅寺の知り合いのようだが、人付き合いを排しているようで、案外と顔の広い男のことだから、二人の接点がどこにあるのか、私にはまるで解しかねた。
「それはうかがいますよ。まだ決着がついていないんですから」
幾分冗談めかしてはいるものの、青年の眼光はさらに鋭さを増して、飢えた獣がやみくもに獲物を物色するような物騒さを振りまいてやまなかった。
「なんのことなんだい?」
中禅寺と青年の間に漂う緊張感に、耐えがたくなった私は、自己防衛的にそうたずねていた。
「そうか、関口君は知らなかったな。実は、ちょっと口論があってね」
「へえ」
意外だった。普段ならば、どんな相手であれ、持ち前の口数の多さと碩学で、ぐうの音も出なくしてしまう中禅寺が、決着を持ち越すなどという事態の起こることが。
「いったいぜんたい口論の種はなんだったんだい」
「それは彼が詳しいよ」
中禅寺は面倒くさそうに、事の経緯はすべて青年に託し、とっとと歩きだした。なりゆきとはいえ、私は初対面の相手から、説明を聞かねばならない羽目に陥ってしまった。
「ぼくは東京医専の学生なんです。御存知だとは思いますが、医学生ってのは、卒業までに相当な数の屍体を解剖させられます。普段なら、ぼくもまあ一応医者の卵ですから、どちらかというと興味があるのは、人体の中身なんですが、先日入ってきたホトケさんの場合、それが少し違っていたんです」
青年も歩きながら話しはじめた。
東京医専は旧名で、戦後東京医科大学に名称を変えていた。そこの医学生と聞いて、中禅寺とのつながりが少し推測できた。あまり自分のことを話さない男だが、大学在学中は医学部に籍を置いていたと聞いている。
「女性の遺体でした。元は色白だったんでしょうが、なにしろこの時期ですからね、運ばれてきた時は死斑も定着して、あちこちに黒いまだらが散っていました。頬はこけて骨が浮き出すくらいでしたから、これは餓死だなとすぐに察しがつきました。別に珍しくもないでしょう。上野駅に行けば、今でも日に一人二人餓え死んでいます。ただ、変わっていたのは、餓死は餓死でも、状況が異なる。担当の教官がぽろっともらしたことなんですが、なんと自殺だっていうじゃありませんか。つまり、食べようと思えば、食べられる環境にいながら、あえてそれを拒否した。これは、およそ現代の人間には考えつかない行為じゃないですか? ぼくはそこにとても異様な、意志というか情念というか、とにかくそんなものが湧きたっているように思えたんです」
陳腐な言い回しだが、飢餓感はそれを味わったものしか、身にしみて理解できない恐怖だ。
私にしても、従軍した南方での物資欠乏の体験は、この邂逅から五年を経た今ですら、時折ふと頭をよぎって如何ともしがたい焦燥感が総身を支配することがある。
目の前に転がっていれば、たとえ腐敗していようとも、いや泥水であろうとも塵芥であろうとも、食物と名のついたものは、口に運ばずにはいられない。それが飢餓であり、あの戦争の前後では、ほぼ全ての国民が味わった極限状態だ。
そんななかで、食糧があるという恵まれすぎた環境にありつつ、それに手をつけずに死を選ぶ。
たしかに、そこには青年の言葉通り、表現を絶した意志の力を思わずにはいられなかった。
「学生ってのは、暇だけは商売にできるくらいに持ち合わせているもんですからね。少し、そのホトケさんのことを調べてみたんですよ。想像していたほどは難しくありませんでした。新聞じゃ、巷のパンパンが一人野垂れ死んだところで、一行も割いちゃくれませんが、この手の珍奇な事件には目がない連中もいますからね。ここ最近のカストリ雑誌を漁れば、知りたいことは大体手に入れられました。遺体の名前は金井鈴子で二十六歳。前後しますが、身を売って稼ぎにしていたみたいです。ずいぶんとおもしろおかしくとりたてていましたよ。ワタシハヒトヲ喰ヒマシタ」
「なんだい、それは」
突然青年の口調が変わり、物騒な言葉が出てきたので、私はすっかり周章してしまった。
「遺書ですよ。餓死した金井鈴子の」
ワタシハヒトヲ喰ヒマシタ
タダヲ様、ヨシミチ様、タラウ様、リヨウサク様。カゾエ上アゲレバキリガゴザヰマセン
ミナサマノカウイニ甘エミヅカラノ飢ヱヲミタスタメダケニ喰ヒマシタ
御国ノタメニササゲタイトオツシヤツテヰタミナサマノカラダヲワタシハ喰ツテシマツタノデス
ミナサマノムネンヲオモヘバコレヨリ先生長ラヘテ如何イタシマセウ
コノハテハミヅカラノ身ヲモツテツグナフホカオ侘ビスルスベモゴザヰマセン
「えらく険呑だ」
「ところが、そうでもないんですよ」
思いがけない返答で、私が怪訝に小首を傾げていると、青年は頭を掻きながら続けた。
「勘違いというか、思い込み過ぎというか。カストリ雑誌ですから、信憑性なんてあってないようなもんですが、とにかく記事によれば、遺書に出てくる名前の男達は鈴子の客になっていたのも、そして死亡したのも事実なようです。ただし、死因といえば酔っ払い同士の喧嘩に巻き込まれたとか、結核を放置していただとか、およそこの金井鈴子という人物とかかわりのないものばかりなんです。もちろん、死んだ後に肉を食われたなんて事実もありません」
「それは、どういうことなの」
「ですから、思い込みが強いんですよ。自分と肌を合わせた客が、次々と死んでいってしまう。これは自分が男達の運を吸い取ってしまっているんだ。間接的にではあれ、自分が男達を食い殺してしまったんだ。と、こういうことなんでしょう」
「挙げ句に、それを気に病んで、神経衰弱に陥り、自ら死を選んだか」
「とはいえ、金井の気持ちが、ぼくには少しわかるように思えます。ぼくだって、他人の生を喰らって生き延びたようなものですからね」
青年の顔が曇って見えたのは、なにも黄昏時の薄暗さのせいばかりではない。
「失礼だけど、君、終戦はどこで」
「内地です。信州に全校疎開していました。日本の一番奥まったところで、大事に保護してもらっていたってわけです。死にどきの世代が、とんだところで真価を発揮し損ねちまいました」
その口調には自嘲が色濃くこめられていた。
戦争末期にはじまった学生の授業切り上げによる徴兵、いわゆる学徒出陣は、まず文科学生に適用され、ついで理科にも及んだ。そして、結果的にいえば、医科の学生だけは、とうとう最後までこの授業年限の短縮が行われなかった。
とはいえ、彼らも特権的に死を免れていたわけではない。学業成って、晴れて医師としての力を名実ともに手に入れた際に、待っていたのは応召、軍医としての徴用だったのだ。いわば、戦場で最も効率よく、その専門的知識と手腕を揮えるように育成されていただけに過ぎない。
しかし、理屈はそうであったとしても、本人からすれば飲み込めない部分もあるのだろう。なんといっても、生き残ってしまったのは、覆しようのない事実なのだから。
私としてもそこに掛けるべき言葉の持ち合わせもなく、無理矢理路線を元に戻した。
「けど、まあ、不思議な話だね」
言ってからしまったと思ってみても、もう遅かった。話題の切り替えに選んだ言葉としては、最悪の部類に入るものをよりによって採ってしまったからだ。
「馬鹿なことを言うもんじゃないよ」
「馬鹿なことを言わないでください」
意外にも二方向から飛びかかってきた言葉の砲火に、私はさらされることになった。
「こんなことは不思議でもなんでもありゃしません。だいたい、不思議って言葉は、それだけで事態を分析や論理から棚上げする、無責任極まりない言葉だと思いませんか」
青年の語気に、あっけにとられてしまった。中禅寺は「この世に不思議なことなど何もない」などと常々口癖のように言っている男だから、私の失言を叱責する予想はついたが、まさか別方向からも火の手が上がるとは思っていなかった。
「そういう思考停止を戦中いやというほど聞かされました。やれ神勅は絶対だの、やれ神国は敗れないだの。それで結果はどうですか。不思議に守られた国は、不思議を抱えたまま地にまみれたじゃないですか。ぼくらはもっと科学的にならなきゃいけないんです。事象に対して、冷静で客観的な目を向け、それを分析・解釈することの習慣づけられた人間に」
そう主張する青年の顔色は、冷静からはほど遠かった。けれども、それを指摘する気になれなかったのは、見開いて釣り上がった目や寄せられた眉間の皺などの陰に、いいしれぬ悲哀が潜んでいたからだった。
それに、すぐに青年も自分の興奮に気付いたらしく、あわてて頭を下げて私に詫びた。
「すいません! つい、カッとなってしまって……」
「いや、それはいいんだけど……。でも、聞く限り、君と中禅寺が論争するところはないんじゃないの?」
「ああ、いえ、それも、別に論争なんてものじゃないんです……」
激昂間近だった容貌が、今度はにわかに照れに染まりだした。
「言い争いはあったんです。ただ、相手は中禅寺さんでなくて、学友なんです。金井鈴子のことに関して、ぼくが最近入れ込んでいるのを知って、自説を開陳しだしたのが原因でして」
ますます恐縮の度合いを強くするのを見ると、なんだか私の方で気の毒になってくる。
「そいつの説っていうのは、金井鈴子の身体には、現代の医学では解明できないなんらかの特異点があり、それが男達を死にいたらしめたというものなんです。だから、金井は遠隔的な殺人者であり、法でその罪を裁けない彼女が、自ら死をもって贖うのは倫理的道徳的に見て当然であって、憐憫を与えるに値しない。とこう続きました。説というにもあたらない、無茶苦茶なくだらない口から出まかせです。現代医学では解明できないって、それを解明するために尽力するのが、医者の務めでしょう。だから、そう言ってやりましたら、自分が解剖に立ち会えなかったのが残念だ、もしそうしたら医学上の新発見を見逃すこともなかったのに、なんて言ってくるもんですから、ますます頭に血ものぼってきまして」
語る青年も、当時を思い出しているらしく、次第に顔つきが変わってきた。これは、またぞろ危ないかもと、私もやや身構えたところが、
「そこに通りがかったのが中禅寺さんだったんです。廊下で、大声出して言い合いしていたぼくらもぼくらですが、そこに突然現れた和装の男性に、いきなり『君達、それは二口女だよ』なんて言われたら、そりゃ唖然とするってもんです。おまけに、当の本人は歩みも止めずに、悠々とどこかへ行ってしまうんですから。途端に二人とも憑いていたものが、すっと落ちたようになってしまいました」
しばらくは呆気にとられていたものの、ようやく我に返ると、青年は友人をおいて中禅寺を探しまわったらしい。もっとも、この風体の男だから、おおいに目立つ。すぐに中禅寺秋彦という名前と、資料の調査で、旧知の人物のいる東京医科大学に赴いていたことも知れた。
「図書館に飛んで行きましてね、ようやく再会にこぎつけたんです。けど、中禅寺さんはお忙しそうでしたので、用件を伝えますと、こちらにこいということになったという寸法でして」
さして長い話でもなかったが、語り終えた頃には、すっかり日も暮れてしまっていた。
大正通りを歩くうち大木戸坂のあたりをのぞむ場所に出た。四谷の方を仰ぎ見れば、真っ暗な緞帳が降りたようだった。振り返って新宿に目をやれば、ネオンも煌々ととはいかないまでも、露店の裸電球やバラックを改造したスナック、なにより人々の暮らす民家から漏れる明かりが夜景をなしている。坂を隔てた向こうでは、街灯すら点されていない。
大規模な停電が四谷一帯を覆っていると気付いたのは、しばらくしてからだった。
新宿界隈と比較して、四谷でもこのあたりは空襲の被害が少なく、戦前からの家屋がまだ多く残っているはずだった。ところが、その時の光景は、戦前と戦後の明と暗が、まったく正反対になっているようだった。
夕暮れに日向が後退していくように、自分の中で興味が一気に薄らいでいくのを感じていた。
私としては、侃々諤々の論争を期待していたのだが、青年の諍いも気の置けない同窓生とのものだし、中禅寺にいたってはたった一言つぶやいたに過ぎない。
「そんなことのためにわざわざ?」
「はい」
私の不躾な質問にも、青年は明瞭にこたえた。
「そんなこととは随分な御挨拶だね。だから君には成長がないのだよ。探究心は事の大小に関わらない。そもそも君は、自分が何を知りたいのか、そんなことすらわかっていないじゃないか」
この頃の中禅寺の言葉にはいちいち刺があり、傍にいることの多い私は、なにかとその犠牲になっていた。
「尤も、君の愚劣さは、何も今にはじまったことでもないから、殊更注意したところで仕様がないだろうが。せめて少しは気を張っていたまえよ。いずれ君は、その持ち前の愚かさで、屹度のっぴきならない羽目に陥るだろうぜ。これはぼくが保証する」
いくら鋭い舌鋒も、頻繁ではいずれ慣れも起こる。私は何時頃からか、中禅寺の批判を聞き流すようになっていた。それが、如何にその後のぼくの人生に対して、正鵠を射た助言であったとしても。
「さて、こんなところで、間抜けを間抜けと断定していても、詮無いことではあるし、折角の御足労にこたえるとしようか」
私をはさんで左手側にいた中禅寺は、新宿の夜景を背に受けて、ちょうど逆光を浴びる形になった。おかげで、陰の中に沈み込んだ中禅寺は、着ていた絣も含めて頭からつま先まで、墨色に染められていた。
「文化十年、根岸鎮衛によって編まれた随筆集『耳袋』に、とある一編が収められている」
黒衣の男の切り出しはそんな風だった。
松前道を津軽に向かっていると、カナマラ大明神という、黒銅製の男性器を神体としている土地に至る。
近在の老人の語るところによると、その由来は以下のようになる。
昔、このあたりの長者に、眉目秀麗の一人娘がいた。
なにしろ、立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合のよう、を地でいく美女なので、近隣の若者はこぞって贈り物をして、求婚の申し出を行った。
長者には跡取り息子がいなかったので、青年達をふるいにかけて、一人を婿入りさせた。
ところが、婚礼の儀を一通りすませて、初めての夜、新夫はあろうことか急死してしまった。
それからというもの、改めて婿を求めるものの、ある者はやはり死亡し、生き残った者も這う這うの態で逃げ出してしまうということが続いた。
これには長者夫妻も胆をつぶして、なにごとが起こったのか娘にたずねてみても、
「初夜を迎え、いよいよ布団を一つにするという時になると、ある方は亡くなり、ある方は逃げていってしまうのです。その理由は妾にもわかりません」
と嘆くばかりだった。
両親は、これも因果によるものかと悲嘆のうちに暮らしていた。
しかし、逃げ帰った元新夫に仔細をたずねた者があり、その伝えるところでは、長者の娘の女性器には、びっしりと歯が並んでいて、新婚初夜のその段になると、男性器に食いついて傷を負わされるばかりか、引き千切られることもあるとのことだった。
この話は噂となって広まり、当人の耳にも入って、娘は憂鬱に沈んでしまった。
すると、話を聞きつけて、自分が婿に入りましょうと、わざわざ立候補する青年が現れた。
事情が事情だけに、事は円滑に進んで、瞬く間に、娘にとっては何度目とも知れない新婚初夜を迎えた。
布団の中では大同小異、事が手筈通り進んでいくと、雲雨に乗じて女性器が、文字通り、牙を剥いた。
この時遅くかの時早く、青年はあらかじめ用意しておいた黒銅製の男性器を突き立てた。
するとこれには歯が立たず、牙は全て砕けて、根こそぎ抜け落ちて、以後新たに生え変わることもなかった。
以来、この黒銅の張り形を神と称えて、今にいたるまで崇拝している。
「これが『金精神のこと』の全編だ。金精神は場所によっては金勢様と呼ばれて、むしろそちらの方が有名かもしれない」
中禅寺は講釈師よろしく一編を語ったが、その内容といえば荒唐無稽の典型のようなものだった。
「中禅寺さんが、学校で仰った二口女とは、お話に出てきた長者の娘にあたるのですね」
だが、案外青年は真面目な様子を崩していなかった。
「そう。二口女といえば、竹原春泉の『絵本百物語』一名『桃山人夜話』に表されている、後頭部に別の口ができて、蛇のようになった髪が食物を運んでいる図が有名だが、人の体に口が現れるのを、別に頭に限定するいわれはない。そうして考えれば、『耳袋』の長者の娘と、君達の話題に上がっていた金井鈴子はよく似ているだろう。どちらも男の側から多くの物をもらった上で、自らの意思とかかわりなく、知らずのところで、相対した人物を結果的に死にいたらしめていたところなんて」
「では、中禅寺さんも、金井は殺人者であったと仰るんですか?」
「そうじゃないさ。君も言っていたろ。金井鈴子と関係を持った男が死んだのは、単なる偶然だと。その通りだよ。ただの偶然だ。そして、やはり君も指摘した通り、金井自身はそれを偶然で片づけられなかった」
国道から視線を脇にそらせば、まだ撤去されていない瓦礫の山と積まれた空き地が、そこかしこに点在していた。その脇、ほんのわずかに開いた空間には、板を張り合わせて、なんとか体裁だけを整えた掘立小屋が建てられていた。
「二口女は、ある面では確かに加害者だ。けれども、そんなことを言えば、ぼくだって君だって、なんらかの面で他人に危害を加えている。特に今のように、誰かの空腹が満たされれば、別の誰かの空腹が続くような時代ではね。けど、そういう暴力の関係は、日常の中に溶け込んでしまって視認できないものなんだ。にもかかわらず、なにかの契機で、それが表にさらけだされることがある。金井の件みたいに偶然が積み重なるというのも、きっかけの一つだ。彼女は、偶然同衾した男達の死が続いていることを知り、自分の生きていることが、即ち他人の死に連結することに行き当たってしまった。わかるかい。金井鈴子は知らず知らずのうちに、自分が二口女という妖怪になっている自分を発見し、それに苦しんだ挙げ句に死を選んだ。彼女が殺したと思い込んだ男達と同じく、自身も、二口女のもう一つの口によって食い殺されてしまったんだよ。二口女の悲劇はね、人を知らず傷つけてしまうということばかりじゃないんだ。口が二つあるという、その事実だけで、適切な処置を受けることもなく一方的に共同体内から疎外され、何時来るとも知れぬ金勢明神の到来だけを待ち望んで、最悪の場合には自分自身の命すら落としてしまうことこそ重大な悲劇なんだ」
青年は懸命に中禅寺の話に耳を傾けていた。背後の夜景を受けた中禅寺の影法師は、夜闇に混ざり合いながらもじわりじわりと伸びて、青年をも取り込もうとしていた。ただ灯り続けている瞳の中の妖光を除いては。
「一つたずねてもいいですか?」
「なんだい」
「どうして今回、金勢明神の出番はなかったのでしょう。それも偶然なんでしょうか」
「おそらく違うだろう。君の質問にこたえるとするならば、それは今が逢魔が時だからだ。一昨年の八月十五日、日付はただのきっかけに過ぎないけれども、幽明の境が等しくなったのさ。そうしていまやこの日本には二口女をはじめとした妖怪が溢れかえっている。けどね、妖怪というのは、境界に存在するものだ。場も時も離れてしまっては、力も薄れてしまって、人の妄執に取り憑くぐらいが関の山だ。そんな存在に調伏が功を奏するわけもないんだよ。これからの二十年をよく見ておくがいいよ。これが妖怪の最後の晴れ舞台だからさ。尤も、その後の時代に待つのが絶滅か、繁殖のし過ぎによる風景への溶け込みかは、ぼくにもわからないけれどもね」
中禅寺の講釈を、青年がどう受け止めたのかはわからない。ちょうどその時、私達三人に閃光が投げ掛けられたからだ。
目の前には、懐中電灯を片手に、厳めしい顔つきで私達を訝しそうに見つめる米兵が待ち構えていた。
上着なしの糊のきいたブラウス姿で、「MP」と書かれた腕章を巻いた白人と黒人の二人組の進駐軍兵士は、私達の上から下まで何度も懐中電灯の光を浴びせ掛け、ギョロリと大きな瞳で値踏みをすると、興味を失ってしまったようで、とうとう一言も発することなく、脇を抜けて新宿駅の方へ歩いていってしまった。
あちこちの店々から橙色の明かりと、喧騒が洩れはじめた。子供達の姿はとうの昔に消えており、かわりに強面の任侠者や風体のあがらないうらなりが闊歩している。そこらの物陰では、パンパンが気の早い客相手に口開けの交渉をはじめていた。けれども、それらは全く禍々しくもおどろおどろしくもなかった。それよりも、どこか虚勢を感じさせる、物悲しい滑稽さをたたえていた。
そう、ちょうど幼い日に目にした、黄表紙や読本の挿絵に見た妖怪画のように。
「じゃあ、中禅寺さん。ぼくはこれでおいとまさせていただきます。今日はとても勉強になりました」
青年はいがぐり頭を深々と下げて、中禅寺ばかりでなく、私にも会釈してきた。
「ああ、そうかい。これから、よければ君も一緒にと思ったんだが」
「いえ、初対面から、いきなりそれも失礼ですから。それに、ちょっと今日は見たい映画があるもんで」
言うなり、青年は背を向けると、颯爽と走り去ろうとした。
私は機会はもう今しかないと思い、咄嗟に呼び掛けた。
「ちょっと、君、名前は何と言うんだい?」
しかし、年長の男が、年下の同性に、声だけにせよ追いすがる光景は、まったく締まらないことこの上なく、すっかり衆目を集めてしまった。
「そういえば、ぼくも聞いていなかったな」
おまけに中禅寺のこの言葉が追い打ちを掛け、私は我ながら随分と間の抜けたことをしているように思えてしかたなかった。
けれども、青年の方は一切動じることもなく、改めて私達に向き直ると、背筋を伸ばし、
「山田誠也と申します」
と一言述べると、今度こそ本当に駆けていってしまった。
私は山田青年の背中を目で追いかけて、夜の帳の向こうに退場した後も、しばらく一時の同伴者となった人物の余韻を反芻していた。
やがて、隣にいるとばかり思っていた旧友が、青年とは逆の方向に歩を進めていることに気付いて、あわてて後を追った。
「なんだか、凄い人だったな」
「ああ、あれは風狸だよ」
「え?」
「妖怪の名前さ」
それ以上中禅寺は説明を加えなかったし、私も敢えて聞こうとは思わなかった。
十年を一昔と言えば、もう半昔になる話だ。
一陣の風が舞うように私の前に姿を現し、やはり風のように去っていった山田青年と、再会することになったのは、ほんの偶然のことだった。
闇市はなくなったが、駅前に軒を連ねる露店の数は、五年前と比べて減っているようには思えない。相も変わらず歩道の半分を占拠して、行き帰りの利用客を取り込もうと目を光らせている。
私はそのうちで、古本や古雑誌を並べている一軒にふと足を止めて、たまたま目に入った去年の日付の一冊の雑誌を手に取った。
講談倶楽部と題されたその雑誌をペラペラと飛ばし読みするなかで、私は鼻腔を刺す煙のたちこめる焼け跡の場景に出会うことになった。
漆黒の衣を纏った聖母にまつわる、美しくも哀しい物語。
新宿四谷を舞台としたこの話は、あの日、あの時に同道した私の記憶を力強く刺激した。
名前を風太郎などと飄然としたものに変えているが、これはあの山田青年の手によるものでしかありえなかった。
勢い込んでこの古雑誌を購い、私は小脇に抱えて、いち早くこの発見を教えてやろうと、中禅寺――もう久しくこの名前で彼のことを呼ばなくなった――の家に急いだ。
――どこまでもだらだらといい加減な傾斜を登り詰めたところが目指す京極堂である……
『私は今の自分を「世を忍ぶかりの姿」のように思うことがしばしばある。そして日本人もいまの日本人がほんとうの姿なのか。また三十年ほどたったら、いまの日本人を浮薄で滑稽な別の人種のように思うことにならないか。いや見ようによっては、私も日本人も、過去、現在、未来、同じものではあるまいか。げんに「傍観者」であった私にしても、現在のぬきがたい地上相への不信感は、天性があるにしても、この昭和二十年のショックで植えつけられたと感ずるところが多大である。
人は変わらない。そして、おそらく人間の引き起こすことも』
――山田風太郎『戦中派不戦日記』あとがき――
あとがき
この作品は京極夏彦による京極堂シリーズのパロディとして、さらにとある作家のとある作品の形式のパロディとして書かれたものです。
後者のとある作家につきましては、本文末までお読みいただければおわかりいただけるかと思いますが、「とある作品」は元作品の形式状ネタバレにもなりかねないので明文を避けさせていただきます。
既に本作の発表より十年以上を経た現在では、この二重のパロディも、必ずしも分明ではなくなりつつある状況を踏まえまして、蛇足を草させていただきました。
説明 | ||
友人の出していた同人誌にゲスト寄稿した一編です。初出は1998年10月10日。その後、別誌に改稿の上掲載したのが、2001年11月で、今回は二度目の改稿と相成りました。既にデータは消失し、原本よりの打ち直しのため、初稿とはかなり様相を変えております。ですので、元ではそれなりに京極夏彦の文体に似せようとしていた努力も、すっかり放棄されてしまいました。なお、現在の同シリーズと内容的に矛盾のある個所も存在するかと思いますが、上記の通り、最初に書かれたのが『塗仏の宴 宴の始末』の刊行とほぼ同時、『百器徒然袋』の刊行前という事情を御了承の上、御容赦いただけますと幸いです。 | ||
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