恋姫†先史〜祭遵伝〜 〜第一話 柔和なる祭弟孫〜 |
―――((豫州|よしゅう))((潁川郡|えいせんぐん))
「三国志」の物語の舞台である後漢末の時代においては、「黄巾の乱」の激戦地となったことで有名であり、また、かの曹操の軍師・((荀ケ|じゅんいく))や((郭嘉|かくか))の故郷としても知られる土地である。
だが、「黄巾の乱」が始まる約二百年前、この潁川の地において、一人の「恋姫」が生を受けたことは、長い年月が過ぎたためか、知る者は少ない。
これは、その「恋姫」が、まだ世に出る前の姿を描いた物語―――。
*
ここは、((豫州|よしゅう))((潁川郡|えいせんぐん))((潁陽県|えいようけん))。
潁川郡を横切る((潁水|えいすい))の流れの東側に位置する土地に、とある富豪の邸があった。
その邸の持ち主は、((祭家|さいけ))という地主系の富豪である。祭家の人間は、現在のところ、誰も官職にこそ就いてはいないが、それでも家自体は昔からの名家であり、決して少なくはない財産も蓄えていることから、絶えず賓客たちが行きかう家として地元では知られていた。
そんな祭家の現当主は、((祭午|さいご))という、体つきのがっしりとした、いかつい顔の男であった。
彼はすでに齢三十に近いが、頭もよく力もあるため、官職に就いても十分やっていけそうな人間だったが、なぜか官職には就いていない。
その理由は、かの聖人気取りの王莽のやり方を見て呆れてしまい、自ら仕官を断って、地元潁陽の地主として荘園経営に精を出していたからである。
そんな祭午であったが、彼には一つ悩み事があった。
それは、彼の「妹」のことである。
「まったく、この子は、本当にどうなってしまうのかしらん?」
祭午はその図体に似合わない、妙に上ずった声で、目の前にいる妹の姿を眺めた。
彼の妹は、名を((遵|じゅん))、字を((弟孫|ていそん))といい、実兄である祭午も認めるほどの美少女であった。
祭遵は今年で齢十五になるが、父も母も同じであるにもかかわらず、実の兄である祭午とは全く似ても似つかない可愛らしさと美しさを兼ね備えていた。
まず、彼女は、黒眼黒髪のいかつい兄とは違い、ぱっちりとした((菫|すみれ))色の奇麗な瞳と、やはり菫色をした、彼女自身の腰にまで届く、奇麗な長い髪の毛の持ち主であった。
それだけではない。がっしりとして力強そうな兄とは正反対に、彼女は柔和でおとなしそうな、ほっそりとした外見の美少女だったのである。それこそ風で舞ってしまうくらいであり、「飛燕」というあだ名を付けられてもおかしくないくらいだ。
そんな妹であったが、兄である祭午には納得できないことがあった。
「まったく、あの子は。仮にも名家の子女だというのに、あの、貧乏旅芸人さんみたいな恰好はなんなの!? あんなぺらぺらで、おまけに裾まで短い服を着て! 恥ずかしくないのかしらん!?」
祭午は中庭に向かって歩いている妹を見ながら、彼独特の喋り方で、そう言った。
彼の言った通りで、祭遵が着ている服は、富豪の子女が着るそれとは到底思えないモノであった。なにしろ、ひどく薄っぺらい服で、しかも裾が極端に短いのである。
普通、大富豪の子女が着る服は、裾が長く、長ければ長いほど、家が豊かだという証であった。
ところが、現に祭遵が着ている服の裾は、やっと彼女の膝が隠れるほどの長さしかないのである。これは貧乏人が着る格好どころか、下手をすれば、ちょっとした拍子で「膝より上」が見えてしまう可能性もあった。
それだけを言えば、祭遵は「痴女」ではないかと疑いたくもなるが、実は、彼女がそんな人間ではないことを、兄はちゃんと知っている。
なにしろ、祭遵は子供の時から読書好きで、部屋には大量の竹簡が溢れ返っているほどなのだ。その中には至聖・孔子の説いた「儒教」に関する書物も多数あり、彼女は礼儀やしきたりもきちんと覚えつくしていた。だから、大富豪の子女がどのような恰好をすればよいかを、祭遵は知っているはずだった。
それなのに彼女はわざと、あのような「貧乏人」じみた恰好をしているのだ。
表向きでは、その理由は「儒者らしく質素な恰好で過ごすため」であった。たしかに、祭午が見る限りでは、祭遵は服装どころか、食事も質素にしていて、とても大富豪のお嬢様とは思えない暮らしぶりだった。
しかし、流石は兄であるだけあって、祭午は妹の恰好の本当の理由を知っていた。
それは一体何か。その答えが、今まさに、家の中庭で始まろうとしていたのである。
「みんなー! こんにちはー!」
真昼間の中庭に、可愛らしい女の子の声が響き渡った。その声の主こそ、祭遵である。
「こんにちはー!」
続いて響き渡ったのは、大勢の男女の声であった。下は野太い声から、上は小さい女の子の声まで、様々である。
そんな大勢の人々の姿を見ると、この菫色の髪の美少女は、嬉しそうに微笑んだ。そして、よりいっそう、愛想のいい笑顔を振りまいた。
「今日も私、祭遵の歌を聞きに来てくれて、本当にありがとう! 私、今日も張り切って歌っちゃうよー!」
すると、集まっていた人々が、声をそろえて、一斉に叫び始めた。
『遵ちゃん最高! 遵ちゃん最高!』
『遵ちゃん可愛い! 遵ちゃん可愛い!』
『遵ちゃん頑張れ! 遵ちゃん頑張れ!』
「ありがとう!」
皆の応援を受けると、祭遵は皆に向かって手を振った。そして、皆の前で歌い、そして踊り始めたのである。
そんな彼女の姿を見て、観客たちは、老若男女を問わず、大いに盛り上がった。
ある者は一緒に歌い、またある者はひたすら祭遵の名前を叫び続け、またある者は懸命に手を振った。
皆が祭遵の歌声を聞いて有頂天になり、皆が、祭遵の踊りを見て盛り上がったのである。
そうこうしているうちに、一曲歌い終えた祭遵は、皆のほうを見ると、満面の笑顔を向けた。そして、皆に呼び掛けた。
「みんなー! しあわせー!?」
『しあわせ―!!』
『もう一曲! もう一曲!』
それを聞いた祭遵は、満足げに頷くと、応えて言った。
「よーし。それじゃ、もう一曲いっちゃうよー!!」
『おおー!!』
そんなわけで、その日も祭家は大いに騒がしかったのである。
その騒がしさの元凶となっている妹を、兄の祭午は不安げに見つめていた。
「あの子、まさか、本当に旅芸人さんなんかにならないわよね?」
彼は妹の将来が心配でならなかったのである。
そんな兄の気苦労も知らず、その日も祭遵は皆と一緒に存分に楽しんでいたのであった。
さて、そんなある日のことである。
この潁陽県に、とある一行がやってきた。
それは、でっぷりと太った男を中心とした、役人たちの一行であった。
彼らは時の皇帝・王莽によって任命された、地方巡察の監察官たちである。聖人気取りの皇帝・王莽は汚職をしている役人がいると聞いて、そんな悪徳役人を取り締まらせるために、全国各地に自ら任命した監察官を派遣していた。
だが、彼らは悪徳役人を取り締まるという、本来の仕事を全くすることは無かった。それどころか、各地を回り、その一帯の豪族や農民たちを脅して、金品を納めさせたり、好き勝手に飲み食いしたりしていた。
そのくせ、朝廷には、
「不正役人をきちんと取り締まっております」
と、虚偽報告していた。
そんな彼らの「成績」に満足したのか、皇帝・王莽は、
「ならば、今度は潁川郡も頼もう」
と、彼らを移転させたのである。
そんなわけで監察官一行は、今度は潁川郡に入ると、今までの時と同様、そこで好き勝手放題を始めた。
潁川郡各地の豪族も農民も、彼らに不満の声を挙げたかったが、それはできない相談であった。
なにしろ、彼らは皇帝が直に派遣した役人なのである。そんな連中に手を出せば、それこそ自分はおろか、一族にも害が及ぶかもしれないのだ。
だから皆、黙り込んでしまったのだが、それをいいことに余計にのさばるのが、悪人というものである。なにしろ、抵抗する者がいないのだから、そうなるのは必然であった。
こうして調子に乗った彼らは、ここ潁陽にも足を運んだ。そこで彼らが目を付けたのは、あろうことか、祭家だった。
(これまでの豪族たちと同じで、この潁陽の祭家もちょっと脅迫すれば、すぐに恭順するだろう)
そう思った彼らは、祭家に挨拶と称して上がり込むや、今まで多くの豪族たちにやってきたことと、全く同じことを要求したのである。
たしかに、彼らの推測は、半分は正しかった。
祭家の当主である祭午は、彼らの態度に憤りながらも、言うとおりにした。
祭家の財力を以て、大勢の部曲(私兵)を集めたとしても、朝廷を背後につけている役人たちに歯向かうことなど、不可能に近い。
だから、できるだけいい待遇をすることで、彼らには早く満足してもらって帰ってもらおう。その方が早い、と考えたのだ。
そんな彼の心など知らずに、監察官たちは下品な笑みを浮かべながら、好きなだけ食い、好きなだけ飲んだ。
そして酒が入って調子に乗った彼らは、祭午のことを、特にその独特の口調などを散々馬鹿にしたのである。
(こんなお下劣な役人どもにかまっているヒマなんてないわ。なんとでも言いなさい。((臥薪嘗胆|がしんしょうたん))よ!)
祭午は侮辱されるたびに、自分にそう言い聞かせた。そして、役人たちが帰るのを見送った後、ようやく、ほっと一息ついた。
だが、彼は知らなかった。
役人たちの愚行を、黙って見過ごせない人間が、すぐ近くにいたことに……。
翌日の昼前。監察官たちは、次の場所へと向かうべく、立ち寄っていた潁陽県の県城内にある役所の門から市街地へと出た。
肥満体の監察官は、豪華な仕立ての馬車に乗っており、その周りを武装した兵士数十人が守っていた。
その行列の先頭には、鞭を持った召使いがいて、市民たちが馬車の前に出てくると、子どもであろうと、老人であろうと、それを鞭うった。
そんな風にして、いい気になった彼らが県城内の道を進んでいたときであった。
「な、何者だ!」
突然、先頭に立っていた召使いが叫んだ。
それを聞いた監察官は、重い体をよじって、前方に目を向けた。そして、見た。
そこには、一人の菫色の長髪の美少女を先頭にした一団が立ちふさがっていた。見たところ、細い体格の少女はやけに裾の短い服を着用しており、その後ろには、棍棒を手に持った、様々な体格の男たちが、十数人ほど集っていた。少女はもちろん、祭遵であった。
彼女は昨日の監察官たちの無礼を見て、激怒していたのだ。特に敬愛する兄を侮辱されたことが気に障ったらしい。堪忍袋の緒が切れた彼女は、祭家に寝泊まりする賓客たちに呼びかけ、腐れ役人たちにひと泡吹かせようという気になっていた。
「な、なんだ。貴様ら!」
監察官は叫んだ。
「この私を、いったい、誰だと心得ている!」
すると、集団の先頭にいた祭遵は、悪戯っぽく笑うと、こう名乗った。
「私、『様』付けされるほど偉くないよ? 私は祭遵。字は弟孫。見ての通り、普通の女の子でーす!」
そう言って、服の裾を軽くつまんで、お色気たっぷりにお辞儀をする。
それを見た監察官の召使いが、ついにキレた。
「ふ、ふざけるなあぁ!!」
彼はそう叫ぶや、少女・祭遵に向かって鞭を振りおろしたのである。こんなか弱そうな少女など、ひとたまりもないだろう。その場にいた多くの人々がそう思った。だが、その予想は、外れた。
「え?」
彼が気付いた時には、あろうことか、例の祭遵によって、鞭を持つ右手の手首をつかまれていたのである。
「ダメだよ。こんなことしちゃ」
その言葉を最後に、鞭を持った召使い男の意識は途絶えた。
祭遵の放った右膝蹴りが、みぞおちを直撃したからである。
召使い男は、そのままぱったりと倒れた。
それを見た役人たちは、一瞬、静まり返ったが、やがて我を取り戻した。
「おのれ、無礼者め!」
怒りでそう叫ぶと、武器を持った役人たちが、一斉に祭遵たち目がけて走りだした。全員、殺してやると言わんばかりにである。
すると、それを見た祭遵は、後ろに控えていた仲間たちに声をかけた。
「みんな、気をつけて! 行くよ!」
「おおー!」
「遵ちゃんを守れ―!」
「そうだ、そうだ!」
「お守りしないと、いけないんだな」
「この、くそ役人どもがー!」
こうして、潁陽城下で乱闘騒ぎが幕を開けたのである。
片方はがっちりと武装した役人たち。もう片方は、みすぼらしい恰好の集団。
数と質の両方で、誰もが役人たちが勝つと思ったのである。
ところが、どうであろう。優勢なのは、かの祭遵が率いる集団の方であった。
祭遵配下の賓客たちは、役人たちの繰り出す戟を軽々とかわすと、棍棒を振るい、相手を次々と倒していった。
だが、そんな男たち以上に目立ったのは、やはり祭遵本人であった。
彼女は役人たちの攻撃を、まるで踊るかのように華麗に回避すると、お返しと言わんばかりに反撃した。
まず、最初の一人には、顔面に拳骨を食らわし、続く二人目は回し蹴りで蹴飛ばした。そして、三人目の戟を飛んでかわすと、そのまま飛び膝蹴りを顔面にお見舞いしたのである。そして着地するやいなや、今まさに仲間に襲いかかろうとしていた役人の背中を蹴り上げ、振り向きざまに、別の敵に踵落としをお見舞いした。
こうなってしまうと、動揺するのは役人たちであった。
なにしろ、ほっそりとしていて、見るからに柔和そうな少女が、ここまで派手に暴れているのである。
そんなものを見せつけられれば、動揺することも無理からぬことであった。
そして、その動揺に、隙が生まれた。
祭遵はそれを逃さなかった。
「ごめんね!」
そう言うと、彼女は大きく跳躍した。そして、逃げ腰だった役人の一人を踏み台にして、さらに高く跳んだのである。
それは、本当に人間にそんなに高く跳べるのかというほどの高さであった。
そのため、役人たちも、周囲の野次馬たちも、我を忘れて祭遵の方を見た。
その祭遵は、ただただ、まっすぐ跳び続けた。
そして、そのまま落ち始めたのである。そう、馬車上の監察官その人に向けて。
「いっくよー!」
そう言うと、彼女は自作の技を思いっきり叫んだ!
「((超級|チャオジィ))、((愛國者導彈?|アイグゥオジュアタオダンティ))ーーーッ!!」
叫ぶや否や、彼女は右足を前にして、監察官の顔面を、その照準に捕えた。
もはや、肥満体の監察官にはなすすべもなかった。
そんな、これから蹴られようとしている監察官は、蹴られる寸前、祭遵の短い裾の中を見た。そして、絶句した。
「馬鹿な……。貴様は……ぐわあああぁ!!?」
これが、彼の最後の言葉となった。
意識を失った監察官は、そのままぐにゃりと体を横に曲げたかと思うと、次の瞬間にはドサッと音を立てて、乗っていた馬車から地面へと転げ落ちた。
「ひ、ひいぃ!?」
それを見た役人たちは、たちまち大混乱に陥った。そして、我先にと言わんばかりに、一目散に逃げ散った。
「やった……」
決着を付け、地面に着地するや、そう一言だけ呟いた。
『やった。さすが遵ちゃんだ!』
『遵ちゃん最強! 遵ちゃん最強!』
決着がつくや否や、祭遵配下の賓客たちが、そして周りで見ていた野次馬たちが、そう言って両手を高々と挙げた。まるで、兵士たちが鬨の声を上げるかのようだった。
「みんな、ごめんね。こんな騒ぎを起こして。そして、応援ありがとう!」
祭遵は皆の声に応え、謝罪と感謝の言葉の両方を口に出した。
その後、彼女は賓客たちを引き連れて、白昼堂々と引き揚げた。
こうして、潁陽県城下で起こった、くだらない乱闘騒ぎは幕を閉じたのであった。
「ぬ、ぬわあんですってええぇ!? あ、あの子、なんてバカなことをしてくれたのよおおぉ!!」
一方、この事件について、賓客から知らされた祭午は狼狽した。当り前である。妹が監察官をぼこぼこにしたなどと聞かされて、冷静でいられるわけがなかった。
「だ、旦那様! いかがなされるのですか!?」
「お、落ち着きなさい! と、とにかく、遵ちゃんが捕まるようなことがあったら、この家は、すべておしまいよ」
こうして、祭午は考えた挙句、問題を起こした妹が逮捕されないように、根回しを行うことにした。
幸い、潁陽県内の役人には、彼の友人や知人が多かったため、そんな彼らに賄賂を渡し、県宰(県令)を説得させ、妹の逮捕を引き伸ばさせたのである。
そうこうしているうちに、聖人気取りの皇帝・王莽が、また「恩赦令」を出したため、祭遵の犯した罪はきれいさっぱり消え去ったのであった。
その後、潁陽県の人々の間での「祭遵象」は大きく覆されることになった。なにしろ、今までの彼女の性格を知る人々は、祭遵は温厚で柔和な性格だと思っていたからだ。
それからというもの、市民はともかく、役人たちは祭家に近寄らなくなった。
なお、事件から数日後。なんとか一命を取り留めた監察官たちは、潁川を去った。皆、主に顔などを包帯まみれにしながら……。
それからさらに数日後のこと。
その日も祭遵は邸の中庭に大勢の老若男女を集め、自らの歌と踊りを披露していた。
だが、その日の彼女は一味違った。
なにが違うのかというと、それは彼女の服装であった。
「あら、珍しいこともあるわね」
中庭が見える渡り廊下を通りかかった祭午が呟いた。
その日、祭遵が着ていたのは、白黒模様の、ふりふりがついた服と、大きな黒い帽子。すなわち、一般的に「女性用儒服」と呼ばれている服であった。
「あの子があれを着て歌を歌うなんて、珍しいわね。雨でも降るんじゃないかしらん?」
そう言うと、祭午は居間に入り、侍女にお茶を持ってこさせると、そこで茶を嗜みながら、中庭から聞こえる妹の声に、そっと耳を傾けた。
「みなさーん! 今日、私は、思い切って、服を変えてみましたー! 似合ってるかな?」
『遵ちゃん、似合ってるー!!』
『遵ちゃん、可愛い!!』
「ありがとー! よーし、それじゃ、お礼にもう一曲歌っちゃうよ!」
聞こえてくるのは、祭遵の元気な声と、客たちの声援である。その会話の内容は、ここまでは、いつも通りであった。
だが、そこからは、いつもとは違ったのである。
「それで、みんなにお願いがあるのだけど……」
不意に、祭遵が皆にそう呼び掛けた。
「実は、今日は昔の人の歌を一曲歌おうと思うの。みんなも知ってる曲だと思うから、一緒に歌ってくれるかな?」
それを聞いた祭午は、おや、と思った。いつも賑やかで騒がしい曲ばかり歌う妹が、突然、かしこまったように、「昔の人の曲」などと言い出すのである。
「遵ちゃん。あの子、いったい、何を歌うつもりかしらん?」
彼はそう思って、耳をすませた。
『もちろん!』
『俺たちも一緒に歌うぜ!』
「ありがとう! それじゃ、まずは私が歌うからね! 皆は後から続いてね!」
そういうやりとりの後、ほんの少しの沈黙が流れた。しかし、それは一瞬であった。
まもなく、静かに、しかし力強い歌声が、ゆっくりと邸中に響き渡り始めたからだ。
「大風起兮雲飛揚(大風起こりて雲は飛揚す)」
「え?」
祭午は耳を疑った。そして、そのまま続きを聞いた。
「威加海内兮歸故ク(威は海内に加わりて故郷に帰る)」
「これは、まさか……?」
彼は、妹が今歌っている曲をよく知っていた。
「安得猛士兮守四方(((安|いず))くにか猛士を得て四方を守らしめん)」
「これは、『大風歌』じゃないの?」
その通りであった。聞こえてきたのは紛れもなく、漢の高祖・劉邦が、天下統一後に故郷で作った詩である、「大風歌」に他ならなかった。
「あの子、いったい……?」
いぶかしんでいるうちにも、歌声はだんだんと大きくなっていった。賓客たちも一緒に歌い始めたからである。
大風起兮雲飛揚
威加海内兮歸故ク
安得猛士兮守四方
本当に意外であった。まさか、あの祭遵が、こんな真面目な歌を歌うとは、思わなかったからである。
「いつも、騒がしいと思っていたけど、こうして聞くと、遵ちゃん。貴方、本当にいい歌声じゃないの……」
とたんに、しみじみとする祭午。そんな彼をよそに、歌は何回も繰り返されたのである。
そして、繰り返すこと十回。ついに歌は終わった。その後、しばらくの間、客たちの声援が止むことはなかった。
「ああ、流石は遵ちゃんだわ。流石は、私のお……、いや妹よ」
そう言って涙ぐみながら、お茶をすする祭午。
その時であった。祭遵の声が聞こえてきたのは。
「みんなー。一緒に歌ってくれてありがとう! この歌、皆知ってたんだよねー!」
『知ってる!! 知ってる!!』
『大風歌! 大風歌!』
「よかったー。私、皆と一緒に歌えて、本当に幸せだったよ!」
そう言って胸をなでおろすような感じの声がした後であった。祭午が予想もしていなかった一言が出てきたのは。
「あのね、みんな。実は私、みんなに言いたいことがあるの!」
『なにー!?』
「実はね、私、将来は高祖を助けた人たちみたいな、『猛士』になって、どーんて、大きなことをしてみたいの! みんなはどう思う?」
それを聞いた瞬間、祭午は「ブー!?」と、飲みかけのお茶を吹き出してしまった。
そんなことなどまるで知らんとばかりに、中庭の会話は続いた。
『似合ってるよ、遵ちゃん!』
『遵ちゃんなら絶対なれるよ!』
『遵ちゃん強い! 遵ちゃん強い!』
「ありがとう! それじゃ、私、猛士になれるよう頑張るから、みんなも応援してねー!」
『おう!!』
それを聞いていた祭午はすでに顔色を失っていた。
「遵ちゃん、あの子……」
彼女は、誰に言うでもなく、言葉にならない言葉で言った。
「ああ、誰でもいいから答えてくれないかしらん? 遵ちゃん、あの子、いったい、何になるつもりなのよ! お兄さん、困っちゃうよ! いったい、どうしたらいいのよぉ!?」
こうして、潁陽の日は過ぎていくのであった。
*
―――祭遵、字は弟孫、潁川潁陽の人なり。((少|わか))くして経書を好む。家は富み((給|た))らえるも、而るに遵は恭倹にして衣服を悪しくす―――。(後漢書祭遵伝より)
*
柔和な外見で、どんな女性よりも美しく、そして見かけによらない強き「美人」、祭遵。「彼女」が苦楽を共にする「主君」を見出し、本格的に世に出るのは、もう少し後のことである……。
*
(登場人物紹介)
・((祭遵|さいじゅん)):字は((弟孫|ていそん))、真名は((楚々|そそ))
出身地:豫州潁川郡潁陽県
『祭遵伝』の主人公。現在、15歳。菫色の長い髪をサイドテールにした「美少女」。柔和な外見で、歌や遊びも好きだが、儒教関連の書物を読みふけるなど、読書も大好きである。なぜかいつも裾の短い服を着ている。華麗で「柔和」なる外見に似合わず、怒りやすい性格で、喧嘩にも強い。
外見イメージ:『はぴねす!』の『渡良瀬準』
CVイメージ:結下みちる
・祭午(さいご)
出身地:豫州潁川郡潁陽県
祭遵の兄。祭家の現当主。現在、三十代前半。腕よし、頭よしの男だが、なぜか、オカマ口調である。誰よりも祭遵のことを心配している。
正史の「後漢書」では、たった一行の簡単な説明でしか紹介されていない人。
外見イメージ:某人気ラノベの店長さん
CVイメージ:後藤哲夫
*
補足
今回、このお話の主人公である祭遵が、役人を襲撃した事件ですが、正史ではもっと恐ろしい事件でした。
正史では、祭遵がその柔和な風格を地元の役人に馬鹿にされたことに怒り、賓客を集めて役人の役所に殴り込み、しかも、その役人を殺してしまっています。
それ以来、潁陽の人々は、それまで侮っていた祭遵のことを大いに恐れるようになり、その家に近寄らなくなったほどでした。
*
今回登場しました祭兄妹ですが、恐れ多くも、不識庵・裏さまの作品、「真・恋姫†無双 〜照烈異聞録〜」にゲスト(?)出演させていただいております。
この場をお借りしまして、不識庵・裏さまに感謝御礼申し上げます!
説明 | ||
この物語は、光武帝・劉秀に仕えた、柔和なる外見で知られた人物を、恋姫世界ではどういう風に語られているかをイメージして描いた物語です。 | ||
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コメント | ||
更新お疲れ様です、まさかこちらの方で『愛國者導彈?』を使って下さるとは恐れ入ります。(汗 あのお二人さんですが、照烈異聞録での出番もまだまだありますので、乞うご期待です。(不識庵・裏) | ||
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