とある武術の対抗手段《カウンターメジャー》 第一章 匹夫之優:二
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匹夫之優:二

 

自分でも会心のブラジリアンキックをかまし、気絶したテレキネシスト《念動力者》に手錠をかけると、ようやく他の風紀委員《ジャッジメント》が到着した。空間移動《テレポート》で現れた女学生は、既に収束している現場を見て、どういうことかと首を傾げた。

「風紀委員《ジャッジメント》ですの。ここで能力者が喧嘩をしているという通報があったのですが……、既に終わっているようですわね」

 

 廷兼郎の腕章を見ると、おやっとまたも首を傾げた。

「あなたも、風紀委員《ジャッジメント》ですの?」

「ええ、そうですが、何か?」

「この辺りの風紀委員《ジャッジメント》にしては、見ない顔ですわ」

 廷兼郎はここへ越してきて三ヶ月しか経っておらず、風紀委員《ジャッジメント》に登録したのは先月のことなので、見慣れないのも無理はなかった。

 

「風紀委員《ジャッジメント》になったのが、先月からなんです」

「そうでしたの。ごめんなさい。失礼な言い方をしてしまって。最近、風紀委員《ジャッジメント》でもないのにこうした事件に関わろうとするおせっかいが多いんです」

「へえ。そんな人がいるんですか。正義感が強いというか、何というか」

「違いますの。単なる野次馬根性ですわ。それに負けず嫌いだからとことんまで首を突っ込もうとするんです。わたくしがいくらお止めしても、まったく聞く耳を持ちませんのよ」

「知り合いの方のことなんですか。大変ですね」

「え、ええ、まあ……。それより、この方たちが喧嘩してた能力者ですのね。わたくしが運びますわ」

 風紀委員《ジャッジメント》の女学生が手を伸ばすのを、廷兼郎は慌てて制止した。

 

「僕が運びますから。あなたに運ばせるわけにはいきませんよ」

 それを聞いて、女学生がむっと顔をしかめた。

「そういう発言、女性差別の対象ですわよ。それにわたくしは空間移動《テレポート》能力者です。人一人運ぶのなんて、どうってことないですわ」

「そうじゃなくて、僕が気絶させたんだから、僕が運ぶのが義務でしょう。他人に運ばせるのは不義理だ。せめて警備員《アンチスキル》の収容車までは、運んであげないと」

 そう言われれば、確かに幾分筋が通っている。女学生が考えている間に二人の能力者をひょいと担ぎ上げ、廷兼郎はそそくさと歩き出した。

 その後を追うように、女学生が走り寄る。

「警備員《アンチスキル》の車は、確か公園の南に止まってましたわ」

「そうですか。じゃあそっちに」

 

 二人の人間を抱えているが、廷兼郎の足取りは軽い。風紀委員《ジャッジメント》の女学生の歩く速さとほぼ同じである。

「少し、お聞きしても良いですか?」

「何ですの?」

「あなたはもしかして、常盤台中学の白井黒子さんですか?」

 突然、自分の名前を言い当てられ、白井黒子は鼻白んだ。

 白井は能力レベル4という貴重な人物であることは確かだが、誰もが知っているなどというほどの知名度ではない。それが突然、初対面の人間に名前を呼ばれては些か恐縮してしまうというものだ。

「そ、そうですけど……」

「やっぱり、そうですか。常盤台中学の制服で空間移動《テレポート》を使うとすれば、あなただけですから、すぐにピンと来ましたよ」

 廷兼郎は「すごいでしょ」とでも言いたげににこやかな顔を向けた。だが、すぐにしまったと顔を曇らせた。

「すいません、こちらは名乗りもせずに。僕は字緒廷兼郎と言います」

「廷兼さん、ですか。随分お詳しいですのね」

「ええ。仕事柄、能力者のことについて、調べることが多いんですよ」

「能力開発か何かの仕事ですか?」

「いいえ、そんな上等なことじゃありません。要は、喧嘩ですね」

「はあ? 喧嘩が、仕事?」

 要領を得ない回答は、やはり白井には意味不明だった。

 

「対能力者戦闘術って、ご存知ですか?」

「多少は。風紀委員《ジャッジメント》の研修で習いましたもの」

 対能力者戦闘術とは、その名の通り能力者を相手にした場合の戦闘技術体系である。警備員《アンチスキル》や風紀委員《ジャッジメント》などは、場合によっては能力者と直接戦闘を行うため、こうした戦闘技術を日ごろから学んでいる。

「僕は、対能力者戦闘術の研究開発に携わっているんですよ」

「戦闘術の開発、ですか」

「そう。武器を持たない平素の状態で、如何にして能力者を制圧せしめるか。それがテーマです」

 白井は、どことなく嫌な予感を禁じえなかった。

「では、能力者を調べるというのは……」

「戦闘になった場合の有効な戦術を編み出すためです」

 要するに、どうやってこいつに勝つか、ということを考えていると廷兼郎は言ったのだ。

 その対象にはレベル4の白井も含まれている。あなたと喧嘩して勝つ方法を考えていると言われて、良い思いのする人種は非常に稀有である。白井はそのような性格を有してはいない。

 

「大能力《レベル4》や超能力《レベル5》と戦って、勝つつもりですの?」

 白井の知っている対能力者戦闘術は、柔道などの格闘技をアレンジした、護身術や捕縛術の色合いが強いものである。当該能力者をなるべく傷つけずに拘束するものであり、素手でありながら高位能力者の打倒を行うというものでは、断じて無い。

「何故、勝てないと思うんですか?」

「だって、単なる格闘技では能力者に勝てるわけがありませんわ」

 それは銃器を持った相手に生身で堂々と戦うようなものだ。それどころか、能力によっては銃器よりも汎用性と危険性に優れたものが多く存在する。それに対して素手で立ち向かって勝つというのは、御伽噺にもならない。

 

 白井の答えに、廷兼郎はゆっくりと首を振って答えた。

「武術というのは、弱きが強きに勝つため、編み出されたものです。超能力があろうと無かろうと、人間は強いんです。絶対に勝てない、なんてことはありません」

 廷兼郎の言い切る様に、白井は反論の余地を無くしてしまった。それほど真っ直ぐに、彼は能力者に「勝つ」と言ってのけた。

 公園の南口には、到着した警備員《アンチスキル》がこれから突入を開始しようとしていた。それを手を振って制止し、廷兼郎は二人の能力者を車まで搬送した。

 病院へ向かう車を見送り、廷兼郎は大きく伸びをした。これから支部に寄って事件の報告書を書かなければならない。買っておいた昼ご飯はパイロキネシスト《発火能力者》に爆破されてしまったので、支部の近くにある食堂ですませようと考えていた。

 

「お待ちになってくださらない、廷兼さん」

 妙にしっくりくる呼び方で、白井は廷兼郎を呼び止めた。

 既に喧嘩をしていた能力者は警備員《アンチスキル》に渡したのだから、風紀委員《ジャッジメント》の彼女がこの場に留まる用は無いはずである。

「先ほどの、格闘技で大能力《レベル4》や超能力《レベル5》に勝てるという言葉、やはり納得がいきませんの」

 廷兼郎としては、それほど失礼なことを言ったつもりはなかったが、聞くほうにとっては看過できなかったのだろう。彼は迂闊な言い方をしたことを後悔した。

 だが、謝罪の言葉は喉の奥深くに飲み込んだ。そうすることで、事態が自分にとって好ましい方向へ転ぶような気がしていた。

「あの二人も、格闘技で倒しましたの?」

「そうですよ。と言っても見てはいないのだから、信じてもらえないだろうけど」

「そうですわね。何かの能力を使ったと言う可能性はありますわ」

「ああ、そっちの心配か」

 てっきり自分が武器の使用を疑われていると思っていた廷兼郎は、安心のため息をついた。

 

「僕は無能力者《レベル0》だから、能力はありませんよ」

 白井の顔が一気に強張った。学園都市の生徒は定期的に、身体検査《システムスキャン》で能力レベルを判定する。無能力《レベル0》とは、如何なる超能力も発現していない状態を示している。

 はったりをかましている可能性もあるが、学園都市の総合データベースである書庫《バンク》に名前や身体的特徴を問い合わせれば、すぐに分かってしまう。ここで嘘をつくメリットは殆ど無い。

 廷兼郎は腕を組み、ほとほと困り果てた様子で唸っていた。

「それで、納得しないと言うことでしたが、僕にどうしろというんですか?」

 そう尋ねる廷兼郎の顔は笑っていた。彼は明らかにこの状況を楽しんでいた。

 慇懃無礼な態度が、白井の神経を逆撫でる。

「わたくしに、勝ってごらんなさい。そうすれば納得しますわ」

 売り言葉に買い言葉である。多少言わされた感は拭えないが、最初に絡んでしまったのは自分である。その始末も自分でつけなくてはならない。

 

 白井の言葉を待ってましたとばかりに、廷兼郎は手を叩いて寿《ことほ》いだ。そして早速、彼は耳に掛けていた携帯端末で網丘に連絡を取った。

「字緒です。ええとですね、今白井黒子さんと……、ええ、はい。その白井さんです。大能力《レベル4》の空間移動《テレポート》能力者の。彼女がですね、対能力者戦闘術がどれ程のものか見たいと言うことで、はい。それですね、訓練場で模擬戦を行いたいんで、場所の予約しといてくれますか?」

 網丘と二、三言葉を交わして通話を切ると、廷兼郎は満面の笑みで白井に言った。

「模擬戦の予約取れました。すぐにでも始められますよ。訓練場は第二学区ですから、バスで行きましょうか」

 まるで意中の女性をデートに誘ったときのように、うきうきしながら廷兼郎は白井を訓練場へと案内した。

 

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「ここが、訓練場ですのね」

 訓練場は警備員《アンチスキル》や風紀委員《ジャッジメント》の訓練を行う施設である。銃の試射場や戦闘訓練用のホールに加え、最新のフィットネス機器も取り揃えており、警備員《アンチスキル》や風紀委員《ジャッジメント》ならば無料で施設内の機材を利用できる。

「ここは初めてですか」

「似たような施設は風紀委員《ジャッジメント》の研修で利用しましたけど、こちらの施設は初めてですわ」

 戦闘訓練用ホールの前の控え室に付くと、白衣を着た科学者が何人も屯《たむろ》し、白井たちを出迎えた。

 

「君が白井黒子くんだね。初めまして、網丘楊漣《あみおかようれん》だ。この施設の責任者をしている」

 妙齢の女性が代表して白井に挨拶し、釣られて白井も差し出された手を握り返した。

「廷兼郎と模擬戦を行うんだってね。着替えるなら、あっちの更衣室を利用してくれ。他にも何か要望があるなら、今のうちに言って欲しい」

「いえ、要望はありません。今すぐ始めてもらって結構ですわ」

 白井の勇ましい宣言に、網丘は感嘆の声を上げた。

「さすが風紀委員《ジャッジメント》だ。気風《きっぷ》が良い。それじゃ、がんばってね」

 称えるように肩を叩き、網丘は他の科学者と共に控え室を後にした。何故施設の責任者が自分に挨拶をしたのか、その答えはホールに入ってからすぐに判明した。

 ホールの二階に当たる強化ガラス張りの部屋から、数人の科学者がこちらを伺っている。その中に、先ほどの網丘楊漣も見える。

 

 突発的な模擬戦の申し入れだったのに、何故そんな準備が整っているのかは分からないが、要するに模擬戦で白井の能力判定を行うのだろう。

「気にしないでください。白井さんが珍しくって、舞い上がってるんですよ」

 ガラスの方を指差し、廷兼郎が言った。明らかに舞い上がっているのは彼のほうだが、白井はそんなことをいちいち忠告する気は無かった。

 ホールは三十メートル四方、高さは5メートルほど取ってあり、広々とした空間である。十メートルほどの距離を置いて、二人は対峙している。

 見渡す限りの白い床と壁に囲まれ、遮蔽物は皆無である。この環境では、自身を移動させる大能力《レベル4》の空間移動《テレポート》能力者の白井を妨げるものは何も無い。壁にめり込まぬよう気をつけていれば、このホールのどこへでも一瞬で移動可能だ。

 これでは勝負にならない、というのが白井の正直な感想だった。

「何か、ハンデを付けたほうがよろしいんじゃありません?」

 白井は酷薄《こくはく》な笑みを浮かべながら、廷兼郎に助言した。せめて武器を持つなど、そうしたことをしなければ模擬戦にさえならないだろう。

「そうですね。ハンデか、何がいいかな……」

 廷兼郎はごそごそと自分の服を探り、ポケットから一枚のハンカチを取り出した。そして何か思いついたようで、ハンカチを折り畳み、両目を塞ぐ形で顔に巻きつけた。

「これならハンデになるでしょう。どうですか?」

 

 廷兼郎の返事に、白井は絶句した。廷兼郎は白井にハンデが必要だとして、目隠しをして戦うことを宣言した。

 レベル4としての白井のプライドは、廷兼郎の気遣いによって粉々に打ち砕かれた。

 頭にかあっと昇った血のおかげで、むしろ思考がまとまってすっきりする。目隠しがしたいのならすればいい。そのまま地面に這いつくばってしまえばいい。

「いいですわよ。最高のハンデですわ」

「よかった。それじゃ、始めましょうか」

 廷兼郎がゆるりと構えを取った。それが開戦の合図となった。

 

 太ももに用意してある金属矢《ダーツ》を使うことも無い。背後へ空間移動《テレポート》して一撃を加えれば終わりだ。

 三次元から十一次元への演算が終了すると、白井は十メートルの空間を一瞬で移動し、廷兼郎の背後に現れた。

 このまま後頭部を思い切り蹴りつけて、昏倒させて押さえ込めば終わりだ。

 空間移動《テレポート》の直後に白井が見たのは廷兼郎の頭の後ろではなく、彼の横顔だった。驚愕する間も与えず、彼の放った後ろ回し上段蹴りは白井の肩口に命中し、女子中学生の体を真横にすっ飛ばした。

 回避のための空間移動《テレポート》も間に合わない、まさに丁度のタイミングで廷兼郎は後ろ回し蹴りを放っていた。予め来ることが分かっていなければ、到底掴めないタイミングだった。

 

 余りにも攻撃が正直すぎたと、白井は反省した。背後を取れば勝ちなどと、誰でも考える。蹴りを食らったのは、その安易な考えを読まれたからに過ぎない。だからこの被弾はまぐれに近い。

 そもそも相手は目隠しをしているのだから、あえて背後から攻撃せずとも、真正面から掴んで投げてしまえばいい。そして金属矢で動けなくするなり、参ったと言うまで投げるなりすればいい。

 今度は廷兼郎の正面に空間移動《テレポート》し、彼の左手首を掴んだところで、白井の腹には左膝頭が深々と刺さっていた。

 一瞬、自分の身に何が起こったのか分からなくなった白井は、思考を白色に変えてしまっていた。相手の体を空間移動《テレポート》させることも、掴みから態勢を崩して投げることも、一切間に合わせない膝蹴りであった。

 

「う、げはあ……」

 胃の内容物を戻しそうになるのを必死に堪え、足でその場から離れる。咄嗟の空間移動《テレポート》が使えるような状態ではない。

 今のは先に手首を掴んだのが拙《まず》かった。それでこちらの居場所を知らせてしまい、カウンターを食らってしまった。

 離れたところで息を整える白井をじっと待つように、廷兼郎が見つめている。

 見えているのか、とも思ったが、荒くなった息が聞こえて居場所が分かるのだと考え直した。

 

 後ろも駄目。前も駄目。それならば、人体の完全な死角である頭上から攻める。そこなら背後と違って回し蹴りを食らう心配はない。

(食らう心配はない。それは尤《もっと》もですが……)

 ここで白井は気がついた。予想されていたとしても、それは凡《おおよ》その場所であり、白井が仕掛けタイミングまで分かるはずが無い。だがこれまで二度、廷兼郎は空間移動《テレポート》してきた白井に対して絶妙なタイミングで迎撃を行い、成功している。これは場所に加え、白井が空間移動《テレポート》するタイミングを把握しているからに他ならない。

 

 何故空間移動《テレポート》のタイミングがバレているのか、それが分からなければこの男には勝てない。

 やはり本当は能力者で、恐らくは読心《サイコメトリー》系の能力者なのだろう。対象に触れずに把握するというのはかなりの高位能力だが、それでも穴はある。

 息の整った白井は、演算速度を一気に高め、能力を開放した。

 右横に現れたと思ったら次は後ろ、今度は斜め上、かと思えば十メートル近く遠い場所に現れたりと、白井は矢継ぎ早に空間移動《テレポート》を繰り返した。

 立て続けに空間移動《テレポート》を行い、相手を混乱させる。こちらの消耗も激しいが、読心を試みればそちらの演算が追いつかなくなるはずである。その隙を突く戦法だ。

 端から見れば分身でもしているかのようで、白井はここへ来て空間移動《テレポート》のラグをさらに縮めていった。

 

 途中までは追えていた白井の動きも、最早把握できないと諦めたのか、廷兼郎は目線で追うのをやめた。そして構えを解き、腕も足も半端な位置に置いて佇んだ。

 これほど移動の速い相手には、前面に対しての構えは意味が無い。前後左右のどちらにも対応できるよう、腕も足も自分の動かしやすい位置に置く、内野手のような構えが比較的有効である。

 雀の涙ほどの違いだが、その違いを怠る者に、能力者の制圧など夢のまた夢である。

 

(脳天、がら空きですの!)

 腕は先ほどよりも低い位置にある。防御が遅れる。こちらの攻撃が入る。

 渾身の空間移動《テレポート》で頭上を取り、白井は全体重を足裏に乗せて、廷兼郎に向けて落下した。

 軽いとはいえ、女子中学生の全体重で頭から踏みつけれれば無事ではすまない。悪くすれば首の骨がずれてしまうが、模擬戦中の事故ならばそれも致し方ない。

 廷兼郎の頭を踏みつけることに、白井は何の躊躇いも見せなかった。必殺の手応え、ないし足応えを、白井は夢の中でいつまでも待ち続けた。

 

 

説明
東京西部の大部分を占める学園都市では、超能力を開発するための特殊なカリキュラムを実施している。

総人口約230万人。その八割を学生が占める一大教育機構に、一人の男が転入してきた。
男の名は字緒廷兼郎(あざおていけんろう)。彼が学園都市に来た目的は超能力ではなく、武術だった。

科学と魔術と武術が交差するとき、物語は始まる。
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