かんなぎSS  『ある冬の日曜日』
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理由もなく自然と目が覚めて、布団から鼻っ面で部屋の様子を伺うと、辺りはすっかり朝になっていて冷えきった空気がツンと眉間の裏側を刺した。

ふと、昨夜の天気予報で「明け方は冷え込みが更に厳しくなるでしょう」と告げていた事を思い出す。

ここが台所に程近い居間である事も十分承知の上だし、それ故のこの冷え込み具合も覚悟はしていた。だが、いざ直面すると流石に堪える寒さだと染々思う。

枕元の目覚まし時計に目をやると、昨夜セットした時刻の僅か十五分前。どうやら二度寝という選択肢がたった今、今朝のメニューから消えたらしい。

手を伸ばし、そいつの背中にあるスイッチをオフにする。すると、まるで役目を果たせなかった事をスネるかの様に、手元からこぼれてコロリと転がった。

「起きないとな」

呟き、少し身体を起こし、あらためて感じる寒さに身震いしながら

「畜生、寒いや」

再び呟く。

そして口元に大量の、部屋の中らしからぬ程の白い吐息を、沸いたヤカンに立ち上る湯気の様に湛えながらボンヤリと思い出した。

「そうだ、ナギを起こさなきゃな」

居間のすぐ隣、四畳半。本来なら、俺が自分の部屋として使っていた場所。

そこに居着いた居候のせいで、おれはこうして居間で寝起きをしなければならなくなったのだった。何故そうなったのかは、長くなりそうだし上手く説明できないし、説明したとしても到底信用して貰える筈がないから敢えてしない。

とにかく暫くの間、色々あって俺はソイツと…… ナギと一緒に暮らしている。

フスマを二三度、手の甲で軽く打つ。反応が無いので、今度は

「ナギ、朝だぞ? 起きろよ?」

向こう側へ届く様に声を投げた。その拍子に居間と同じく冷えきった廊下に吐く息がモワッと広がり、そいつのせいで再び強烈な寒さ再認識し首をすくめる。そして返事を待つ事数秒…… 尚も反応がないので

「……ったく、入るぞ?」

俺は容赦なくフスマを開け、中へと足を踏み入れた。

四畳半の中央、こんもりと丸く膨らんだ布団、大きさからしてゾウ亀の類いに見えなくもないそこから、微かに寝息ともイビキとも聞こえる音がする。

何処と無く甘いシャンプーの様な、もしくは石鹸の匂いが鼻について反射的に鼓動が高まる。そして、ここがもう自分の部屋ではなくナギの、自分と同じ位の年の女の子の部屋である事を改めて自覚する。

壁に吊るされた数着の洋服と制服、机の上に置かれた、鏡や櫛……

「ははっ、それにしては殺風景だよな」

心無しか照れ臭くなって、ついそんな事を呟くと足元のゾウ亀が呻く様に声を上げた。

「なんだ、うるさいぞ…… 仁…… 」

「あ、起きた。早く支度しろよ、買い物に出かけるぞ?」

「買い…… 物? そのような雑事は午後からで良かろう。妾(わらわ)の日曜日はテレフォンなショッキングの総集編と共に始まるのじゃ。それまでは寝かせるがよい……」

ああ、そうかよ。

「じゃあ、寝てろ。フリマは俺一人で行ってくる……」

そう言い終えようとした瞬間、足元のゾウ亀が前触れもなく爆発し、文字通り布団がふっとんだ。

「おおおっ! そうじゃフリマじゃったっ! 掘り出し物は早い者勝ち、のフリマじゃろうのっ!」

「ああ、そうだよ。行くなら早くしろ」

「今着替えるから待っておれ! ぬふふ、フリマは初めてじゃ、楽しみじゃのう」

寝起きとは到底思えぬほどの活舌と機敏な動き、それに加えてニヤニヤと言い放ちながら、寝巻きがわりのスゥエットを捲り上げようとするナギに

「……俺が出てからにしろよな」

とりあえず背を向けて部屋をでる。最近は随分慣れた、こいつの突拍子もないアレやコレにも。

 

 

「ところで仁、そなたは何を買うつもりじゃ?」

雲混じりの鈍い晴天の下、行き掛けの路地で、後ろから付いてくるナギにそう聞かれて、特に答えが思い浮かばなかった俺は

「んん、画材とかあるかなぁ」

視線はそのまま、うわの空で応えた。

「画材…… ふむ、フリマとは何でも売っておるのじゃな」

「ああ、色々とな」

「そうか! よし仁、妾は決めたぞっ!」

「何をさ」

「買うものに決まっておろう!」

「だから何をだよ」

「……秘密じゃ」

妙な応えに思わず振り返ると、ナギが出掛ける前に渡した千円札数枚を握り締めながら、悪戯を思い付いた子供の様に満面の笑みを噛み殺した顔でそこに居た。

「……おい、妙なモノ買うなよな?」

「な、妙なモノとは失礼なっ! それに妙なモノとは一体どの様なモノじゃ!」

「いや、どの様なモノって…… 得体の知れないナマモノとかかなぁ……」

「なんと! フヒヒ…… そういうのもアリよのう」

おいっ!

全く、こんな事なら「互いに三千円づつ持って、自由に買い物しよう」なんて言うんじゃなかった。そもそも、ちょっとだけ気晴らしをさせてやろうなんていう、その甘やかした考え自体が大きな間違いだった気がする。

「まあいいや。ほら、そろそろ公園に着くぜ」

「ふむ、やっておる! 凄い人だかりじゃのう」

彼方に見え始めたフリマ会場の公園は、まるで何かの祭りの様な賑わいを見せていた。

「今回はデカイな。いつもはもっと、こう、こじんまりとしたガレージセールみたいなノリなんだけど」

「年の瀬だからであろう? 世の理(ことわり)とは、その様なものじゃろうて」

確かに言われてみればそうだ。年末に大掃除や片付けをすると、不要な処分したいものが必ず出てくる。この不景気のご時世だ、ただ捨てるのは勿体無いから、とりあえず売りに出してみる…… まあ、そんなところだろうか。

「それじゃあ、仁! 妾は暫し辺りを巡って参るぞ」

「ん、ああ」

なんだ、一緒に見て回らないのか……

「どうしたのじゃ?」

「ん、別に、なんも」

「じゃあ、ここで半刻後に待ち合わせでよいな」

「うん。 ……変なモノ買うなよな」

「しつこいわい! じゃあの」

スッと手をかざして人だかりの中へとナギが消えて行く。何だか俺は拍子抜けしてしまい、暫くそれを呆然と見送った後、改めて再び思った。

「さて、何を買おうかな」

画材…… 部活に行けば必要なモノは全て揃っているし、自分専用の道具を持ち歩ける程の腕前は残念ながら持ち合わせていない。

それに、そもそも昨日、何故フリーマーケットに出向こうと思い立ったのかと言えば

「……そうだ」

あいつの…… ナギの身の回りのモノを格安で手に入れる為だった

「……よな」

例えば、ちょっとした着替え…… つまりいつも畳んで剥き出しのまま置いてある下着類をを入れておく為の、小さな衣装ケースの様なものだとか。あと食器類や、あればスリッパ等のちょっとした日用品も。

それに、今朝も感じた事だが、あの部屋は女の子が暮らすにはどうも殺風景だと思う。

せめてカーテンくらいは、それらしいモノを……

「上手いこと売ってるかな」

辺りを端から見渡しながら、会場の中へと進んで行く。

まだ箱に入ったままの食器セットや、贈答品のタオルが所狭しと並べられた店、かと思えばその隣は、かなり古いデザインの婦人服がクリーニング屋のビニールを被ったままで何着も吊るされていたりする。

どれもこれもあまり俺には関係無い、そんな溜め息をつきながら更に奥へ進むと、女の子らしい小物が所狭しと並べられた一角を見つけた。

大小の小物入れ、花柄だったりピンクだったり。それに縫いぐるみや雑貨類、ナギが喜んで着そうなそれらしいデザインの洋服も。

「ああ、あった」

思わず足を止め、並べられたそれらを見つめる。すると、それに気づいた出品者らしき人物が、並べられた品物の向こう側でムクリと頭を上げた。

「あれ、御厨(みくりや)?」

見覚えのある眼鏡と聞き覚えのある声。被っている妙な帽子は初めて見るが、そこに居るのは間違いなく

「た…… 貴子先輩っ?」

美術部の部長だ。

「御厨、アンタこんなトコで何やってんのよ」

「……買い物以外の目的に見えますか?」

「そうじゃなくて、何で準備を手伝いに来なかったかって事!」

「へ?」

知らないぜ、そんなの。

「他の二人はちゃんと手伝いに来たのにさ。まあ、連絡がつかなかったって言えば、それまでなんだけど」

「はあ……」

だから知らん!

「まったく、日頃から言ってるでしょ? 携帯くらい持ちなさいよ、携帯くらい!」

「一人で遣り繰りしてるから余裕が無いんですよ……」

加えて最近じゃナギも居るしな。それに、携帯なんて持ったら、この人に都合良く呼び出されそうで困る。現に今、そうしようとしてたみたいだし。

でも、確かに前から思ってはいたさ。ケータイを持ってないと、不便と言っちゃ不便なんだよなぁ……

「で、何? この私の出品したソフィスティケートなガールズアイテム、略してG・T・Xに視線を奪われていたみたいだけど?」

「どう略したんすか。違いますよ、ナギにどうかなって……」

「ほう、ナギたんの!」

刹那に眼鏡の奥が光を放つ。そして

「買ってあげるの? 色々と買ってあげちゃうのっ?」

「いや、あの、別にそういう訳じゃないですけど、その…… あいつの部屋、どことなく殺風景でなんとかしてやりたいし……」

「まあっ! そういう訳ある癖にそういう訳ないと誤魔化す即ちこれはツンデレ……」

「なんすか、それ」

貴子先輩がみるみるうちに、顔を紅潮させながら鼻息を荒くする。なんだか今にも鼻血が出そうだなと思いながら見ていたら

「トウピュアピュアツンデレボーイ…… フゴッ」

いつも通りに吹き出した。

「あらあら貴子、品物が血染めになりますよ?」

そして、気付かぬうちに、いつも通りに紫乃先輩も側に居た。まあ部長が居るという事は、流れ的に副部長のこの人も居るという事になるのだろうが。

「なるほど、ここに御厨が居るという事は、やはり先程の方はナギさんでしたか」

「え、ナギを見たんですか?」

「ええ、先程。もしかしてはぐれたのですか?」

「だから、そういう訳では……」

そう、決してはぐれてしまった訳ではない。ただ……

「心配ならさ、行ってあげればいいんじゃない?」

「え?」

「そういうとこがさ、御厨は足りないのよ。ね、紫乃?」

「ですわね」

そう言われても困る、がしかし何やらおかしな事にはなってないかと心配は心配だし、大体あいつは何を買うつもりでウロウロと……

「あーあ御厨、また頭を抱え込んで」

「ナギさんなら、この先の縫いぐるみが沢山並べてある辺りに居ましたよ?」

「行ってあげなさいよ。そうしてあげたいのなら、ね?」

二人に諭されて、渋々顔をあげる。しかし、そうは言われたものの

「でも、買いものをしないと……」

気付いて思い直す。

「大丈夫よ、今日持ってきた中からナギたんが気に入りそうなのを見繕って残しておくから。後で取りに来なさい? ……売れ残りを持ち帰る手間も省けるし」

「ありがとうございます。でも最後、何か言い……」

「ああ、気にしない気にしない! 早く行った行ったっ!」

貴子先輩と紫乃先輩に追い立てられ、その場を離れて暫く進むと、確かに先輩達が言っていた通りに大きいものから小さいものまで様々な縫いぐるみが積み上げてある店を見つけた。しかもよく見ると縫いぐるみだけではない、その両端には子供向けのオモチャがところ狭しと並べてある。

「縫いぐるみは、一度クリーニングに出してるからね、どれも綺麗だろ?」

積み上げられた縫いぐるみの向こう側から気さくに喋りかけてくるオバチャンを「そうですね」と軽くあしらいながら、とりあえず俺はここにナギが何を買いに来たのか考えを廻らせてみる。

新しいステッキでも探しに来たのかな……

それならそれで構わない、だが何も隠さなくてもいいのでは、とも思う。

実際、アイツはよく解らない時があるもんな、たまにさ。

すると突然、背中から

「おお、仁! 奇遇じゃの。今、待ち合わせの場所に戻ろうとした所じゃ」

甲高い声が響き、振り返ると同時に目の前を満足げな、目を細めた勝ち誇る微笑みが大きく覆った。

「ぬふう、うふふふ」

「な、なんだ、顔近いぞっ」

「うむ気にするな、目的を達した妾にとって、今はそのような些細な事はどうでもよい」

つまりアレだ、とにかく目当ての品物を買って大層浮かれていらっしゃるらしい。この神様は。

だが手にはステッキらしい品物は持っていない。その代わりに何か、どこぞのデパートの紙袋に入った箱の様なモノを持っている。

「なあ、ナギ。なんだそれ……」

「ええい急(せ)くな! 何(いず)れ解ろう。そうじゃな…… ここから出たら使うてみるか」

さっぱり解らん。いずれ? 使う?

すると、そんな俺達の間を、先程のオバチャンの声が細く、申し訳無さそうにすり抜けた。

「あ、あのさ…… お嬢ちゃん? さっき買ってってくれたそれ、何度も言うけど違うんだよ?」

「ああ、わかっておるわ! じゃが、使えるんじゃろ?」

ナギが自信満々に、光にかざしたビー玉の様に瞳を輝かせ応える。

「使えるけどさ…… 電池も新しいの入れておいたし」

「なら問題は無しじゃ。よい買い物じゃったぞっ!」

「それは…… どうも……」

一層自信満々、尚且つ満足げなナギと、恐縮しっぱなしのオバチャン。なんだコレ、ナギの奴、一体何を買ったんだ?

「うむ、良いものじゃ! 後に仁の喜び踊る姿が、目の前に見えるようじゃぞっ」

「な…… 俺?」

どういう事だ?

「早う帰るぞ、とにかく表に出よう」

「いや……」

その前に、ちょっと寄る所があるんだよなぁ。

 

 

数分後、俺は巨大な風呂敷包みを背負い、昭和レトロな泥棒ルックに限り無く近いスタイルで、フリーマーケットからの帰り道をトボトボと歩いていた。

風呂敷包みの中身は、引き出し式の小さなコンテナケース、妙な形の花瓶、フェイクファーの敷物…… を、貴子先輩と紫乃先輩に入れられたあたりまでは覚えているが、凄まじい程の手際の良さで詰め込まれた為に、そこから先はまるで覚えていないし解っていない。

一つだけ解っている事といえば、こちらが必要な物と一緒に、売り残した品物をガッツリ掴まされた、という事だけだ。

「なあ仁、それ重いか?」

「見りゃ解るだろ」

「うむ、頑張るのじゃ。後で妾が褒美をやるからの」

言いながら、手に持った例の紙袋をヒラヒラと見せつける。

思わず足を止め

「だから、なんだよそれ」

「ふむ、そうじゃな…… ここらでひとつ、試しに使ってみるか!」

うん、と一声。そして頷き、袋から箱を取り出す。

「見て驚け!」

「なっ?」

袋から出てきたのは派手なピンクの箱。そしてそこには

『なかよしラブリーフォン、ニューピッピメイトDX』

と絵の具を絞り立てた様なプルップルンの文字で書いてある。

「ナギ…… これ?」

「ふふん、どうよ? ケータイじゃ! 仁が前から欲しがっておったケータイじゃぞっ? しかも二個セット、妾の分まで入っておる」

「いや、ナギ、これはな……」

オモチャだろ、どう見ても。

「よし、丁度よい。ここで使うてみるぞ」

「……使う?」

そそくさと箱を開け、その中からピンク色の「ケータイ」を取り出す。意外にもワリと良く出来ている、しかしコレじゃあ……

「ホレ、持つのじゃ」

「えっ? ああ……」

「安心せい、使い方は聞いて心得ておる」

そう言うとナギは自分も、もう片方ケータイを持ち、そのボタンに軽く触れながら

「あー、もしもし、もしもし、仁、聞こえるかの?」

意味もなく遠い目をしながら喋り始めた。

すると、持たされた俺の手元のケータイからも同じ様に

『あー、もしもし、もしもし、仁、聞こえるかの?』

ザワザワとスピーカー越しにかすれたナギの声が響く。

「そうか、トランシーバーになってんだな」

「どうよ仁、ケータイじゃ! 使えるじゃろ?」

まあ、使えるけどさ。

「ん?」

「……いや、なんでもない」

得意気に微笑むナギに、俺は何とも言えず再び歩き出す。

ナギの奴、覚えてたんだ…… いつか俺が携帯が無くて不便だって言った事……

『なんじゃ、待て仁! 嬉しくなかったか?』

背中と手元からナギの声。

そうじゃない、そうじゃないんだけど……

『うおーい、何とか言うのじゃ仁!』

まあ良いや。帰ったら晩飯でも食いながら、そいつはオモチャだとゆっくり説明してやるとするか。

『もしもーし、仁ー』

『なあ、ナギ』

とりあえず今は

『おお、通じよった』

 

『あのさ、ありがとう…… な』

 

 

 

 

おしまい。

説明
アニメ四話で仁が「携帯無いと不便」とボヤイた場面から膨らませて書いてみました。上手く書けているか非常に心配ですが、読んで頂ければ幸いです。
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