戦友
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「よ、お、あっ!」

 瑠依はそれまで軽快に動いていた脚が、もつれてしまったのを感じた。

「あ、わ〜っ!?」

 脳が指令を出す前に、体が倒れてしまう。

「う〜。やっぱり駄目っす〜。ここを突破できるなんて、どんなチート野郎っすか!」

 瑠依は頭を振って、彼女が転倒した後も流れ続けている、ダンスゲームの画面を睨みつけた。

「さすがは最高難度曲……しかしこの七河瑠依、退かぬ媚びぬ省みぬぅ!」

 瑠依はコンティニューした。酔ったDJがプレイしているような、激しいBPMのイントロが流れる。

「よ、は、と!」

 序盤は快調。「Perfect!」の文字が瑠依のステップに合わせるかのように飛び続ける。

「い、け、る、っす!」

 問題のパートが近づいてきた。瑠依の心と脚に緊張が走る。

「へ、へ、い、じょ、う、し、ん……っす! あ!」

 ずる、と脚が滑る。それをきっかけに、またも脳と体がばらばらになってしまう。

「うにゃーっ!!」

 腰をさすりながら立ち上がった瑠依は、ふと、1テンポ後に同じような気配を感じた。尻もちをついて、さすりながら立ち上がる。

(ん?)

 一つ置いて隣の台で、誰かが同じ曲に挑んでいるらしい。

(をを! 戦友がいるじゃないっすか)

 曲の難度からか、ライバル心よりも心強さを感じて、瑠依は背筋を伸ばした。

(そうだ! 曲始まりを合わせて、一緒にやってみるっす。熱い!)

 熱血マンガの主人公気分で、瑠依は一つ置いて隣の台に注意を傾けた。

 コンティニュー、スタート!

(よし! バッチリっす)

 見事にユニゾンしてイントロが流れ出した。瑠依は最初のステップを踏む。錯覚かもしれないが、一つ置いて隣のステップが脚に伝わった気がした。

「よ、は、と!」

 先程よりさらに軽く、瑠依は「Perfect!」を舞わせる。

「く、る、っす!」

 問題のパート到来。瑠依は意識を自分の脚ではなく、一つ置いて隣の台に飛ばした。

 たん、たたった、たたん、たん。

「や、やった! やったっす!」

 二人は共に難所を突破した。が。

「と、とと……と!?」

 瑠依は目を剥いた。先程のパートが、さらに複雑化してリフレインしてきたのだ。

「だーっ!」

 敢え無く、瑠依は転んだ。

「ぬううううう! このゲームのスタッフ、性根が腐り切ってるっす!!」

 瑠依は膝を抱えた。

「もはや、ここまでか……」

 とん、と気配がした。

(え?)

 瑠依は膝を抱えた腕をきゅっと強めた。一つ置いて隣にあったはずの気配が、すぐ隣にある。

(な、なんとっ!? 戦友……まだ折れていないとは……)

 瑠依は抱えていた膝を解放し、跳ねるようにして立ち上がった。

(よ、よし。必ず突破してみせるっす! 友とともに!)

 二人は、どちらからともなくタイミングを合わせて、コンティニュー、スタートした。

「よ、は、と」

「た、と、と」

 隣同士になると、お互いの声が聞こえる。その音程から、瑠依は戦友が男であることを知った。

(よし、行くっすよ、一緒に)

 上気したようなステップが重なる。「Perfect!」「Perfect!」

(来た。もうお前は敵じゃないっす! 去れ!)

 かつての難所を軽やかに飛び越え、二人は更なる強敵に臨んだ。

(来いっ!!)

 たん、たたった、たたった、たたっ、たたん、たたった、たたん。

『いった!』

 二色の声が、ステップ同様に調和した。

 たたん、たたん、たたった、たたん。

 あとは、恐るべきパートはなかった。二人は心ゆくまでリズムのシンクロを楽しみ、最後の一歩を踏んだ。

「やった……やったっすー!!」

 瑠依は記録的なスコアを表示している画面にしばし見とれた。

(はっ、そうだ、戦友!)

 瑠依は慌てて隣を見た。しかし、そこには誰もいなかった。

(え!?)

 しかし、戦友が幻ではなかった証拠に、隣の台の前の画面も、素晴しいスコアを表示して栄誉を讃えている。

(どこに…)

「ったく、どこで油を売ってるかと思えば。さっさと来い」

 男の声がしたので、瑠依はそちらを反射的に向いた。出口の方だ。

「おい、無茶するなよ! 袖が伸びるって」

(!)

 ちょうど出口の近くのクレーンゲームに人だかりが出来ていた。背が高い瑠依でも、声の主の姿が見えない。

(あ、ち、ちょっ……)

 背伸びしてようやく見えたのは、ゲームセンターから出て行く二人連れの高校生の、制服のみ。

(あー……戦友うぅ〜!)

 瑠依は昔のメロドラマのヒロインのように手を伸ばした。

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(どっかで見たんだよね〜。思い出せ、瑠依っ)

 家へ帰って自室に戻っても、瑠依は戦友の服のことばかり考えていた。  

(何かのゲームで……いや、アニメだったっけ?)

 女性らしからぬ品のなさで髪の毛を掻き毟り、記憶を引っ張り出そうと格闘する。

(誰かがあのコスをしてたはず……誰だっけ? あのサイトの人じゃないし……)

「姉さん」

「ああ、もう、思い出せないっす〜!」

「姉さん!」

 やや強めになった声が、ようやく瑠依の耳に到達した。

「あ、正志」

「やれやれ、何やってんだか。晩飯だってさ」

「んあ」

 ぼんやりした返事をして、先に立った双子の弟の後を追った瑠依は、急に立ち止まった。

「おい、姉さ……」

「……正志! そのコス」

「こす? 何だそれ」

 瑠依は弟の、高い位置にある胸倉を引き下ろすように掴んだ。

「ほら、その、紺色のブレザーで襟が青くって、赤いネクタイのコス!」

「? 何言ってるんだよ、姉さん。それ、この、俺の学校の制服のことか?」

 瑠依はぴたん、と自分の額を叩いた。

「おおっと、そうか! コスじゃなくてリアルだった!」

 呆れ顔の正志の前で、瑠依は一人、大きくうなずいた。

 

 夕食後、瑠依は正志の部屋に押し掛けてダンスゲームの戦友の話をした。

「……なるほど」

「知らない?」

 瑠依はぐうっと顔を近づけた。弟は苦笑いする。

「そんなこと言われたってさ。名前も知らない、顔すら見てないって言うんじゃ」

「そこを何とか!」

「あのさ。俺だって学校中の奴と知り合いなわけじゃないんだぜ。学年違ったらもう全然分からないしな」

 瑠依はまた、勢い良く頭を掻き毟った。

「ああも〜! 本っ当に使えない奴!」

「無茶言わないでくれよ。あと、女がそう髪をぐしゃぐしゃにするもんじゃないと思うぜ」

「えーい、黙れ、そして出て行け!」

「……ここ、俺の部屋」

 

 それから二週間ほどした、昼休み。

「ねえ、このワンピ超カワイくなーい?」

「つーか、こっちのデニム超ヤバいって!」

 いつものことだったが、すぐ近くの席で一群の女子たちが、ファッション雑誌を囲んで騒いでいる。

(う〜、うるさいっす〜)

 瑠依は本屋のカバーをかけた漫画を読みながら、その騒音と闘っていた。

「あ〜、でもさ、これ、ウチらじゃ身長足りなくない?」

「うわ、マジ? あ、そうかも〜」

(う〜!)

 瑠依は立ち上がって、その場から逃げようとした。しかし、立ち上がるところまでしか実践できなかった。

「あー! 瑠依だったらいけそうじゃねー?」

 グループの一人が、瑠依を指差して言うと、わっと包囲網が完成した。

「ほらー、瑠依、これこれー! あんたの背だったらイケそうじゃん?」

「いや、その、私は、ははは」

 見せられても、正直瑠依にはよく分からない。彼女の買う雑誌のほとんどは、漫画やアニメ、ゲームの雑誌である。

「いーなー、アタシも瑠依くらい背あったらなあ。魅羅さんの着てるやつも着れるのにー」

 グループの一人が瑠依を見上げてわめく。170に1センチ足りないだけの瑠依は、騒いでいるグループの誰よりも背が高かった。

「そう言やさー、知ってるー? 魅羅さんって、きら高の出身らしいよー」

「えー、マジでー!?」

 瑠依を包囲したまま、何やら背が高いモデルの話になってしまった。

(はう〜。もう解放してくれないっすかねえ?)

 漫画であれば滝のような涙で表現されるような気分で、瑠依は心底どうでもいい話を聞く羽目になった。

「ついでに言うとさー。真帆ちゃんもきら高出身なんだってー」

「うえーっ! マジー! アタシ真帆ちゃん超憧れてんだけど!」

 何やらさらに別のモデルの話に転がって行ってしまっている。瑠依には「きら高」という単語しか分からない。瑠依たちの学校の隣の市にある、「きらめき高校」のことだ。

(ちなみに、我が双子の弟の通う学校でもあることは言うまでもない。民明書房刊『世界の怪拳・奇拳』より。って、拳法関係ないっすー! あはは)

 余りに退屈なので一人脳内で遊ぶ瑠依であった。

「なんできら高ばっかしなわけー? うちから誰か出てないのー」

「いないってー」

「あーそう言やさー。真帆ちゃんって双子なの知ってるー?」

「バカじゃねー、常識だっつーの」

(ほほう、そのモデルさんも双子っすかー。まさか、背の高い弟なわけないっすよねー)

 ほんの1ミリほど興味の幅を増やした瑠依をよそに、ガールズトークは続いていく。

「常識だけどさー。その双子のお姉さん? 何か芝居とか書く人らしいんだけど、その人はうちの卒業生なんだってー」

「えー。それは別にいいよー」

「ひどくねー? あはは」

(芝居って言えば、あの乙女ゲー、舞台になるって話だったっす〜)

 瑠依はまた興味が離れて一人遊びを始めた。

「だけどさ、その人が書いた芝居だか小説だかにさ、真帆ちゃんっぽいのが出てくるらしいよ」

「へー。どんな話?」

「えーとね、なんか、高校生の双子姉妹がー、あ、お互い違う学校に行ってるんだけど、入れ替わって、それぞれの学校に行って、その先で恋愛とかしちゃって大騒ぎ、みたいな。その妹の方が凄いオシャレなんだって」

 瑠依は稲妻に撃たれた。

「そ、それだ! それっす!!」

 叫んでしまってから、沈黙が周囲を取り囲んでいるのに気付く。

「あ、え、あ……そ、その本読みたいっす〜」

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 その日の授業が終わると、瑠依は飛んで帰った。正志の部屋をノックしようとした瞬間、ドアが自動的に開いた。

「あ、姉さん。おかえり」

「お、正志、ちょうど良かった! 話があるっす」

 意気込む瑠依に、正志は何やら不穏な空気を感じとったのか、顔をしかめた。

「あ、いや、俺、ちょっと喉が渇いたからコンビニに……」

「飲み物なら、冷蔵庫にコーラがあるから取ってくればよし! ついでに私のも頼むっす。よろ」

「……はいはい」

 瑠依は正志の部屋に入り込むと、部屋の真ん中に胡坐をかいて座った。五分経ち、十分経ち……

「ん〜。まさか、逃げられた?」

 と、急に電子音が部屋に響き始めた。瑠依は瞬間、自分の携帯に触れたが、着信音が違う。

「おっと、正志のか……」

 机の上に無造作に置かれた携帯が騒いでいる。瑠依はためらいなく手に取った。 

「はいは〜い! 七河で〜す」

「あっあれ?あれ?」

 電話の向こうから、慌てふためいた少年の声が聞こえた。

「あっすいません! 間違えたみたいです」

 当然と言えば当然の結論に達した相手に、瑠依は声で笑いかけた。

「ははは、ビックリさせちゃってゴメンなさ〜い。これ正志の携帯ですから、間違ってないですよ」

 半開きのドアの隙間から、濃い茶色の液体を満たしたグラスを二つ持った弟の姿を認めた瑠依は立ち上がった。

「ちょっと待っててくださいねっと……お〜い、正志ー! 電話だぞーー!」

 正志はまた、顔を歪めた。

「……あっ、勝手にひとの携帯に出るなよ。ったく……」

「あんたが、ほったらかしにしとくからでしょ〜。感謝しなさいよね〜、ほれ」

 瑠依はコーラと交換に、携帯を持ち主に渡した。

「はいはい……」

 正志は携帯を受け取って話し始めた。

 瑠依は話が終わるのを待つことにした。コーラを口にする。昂ぶっていた脳が、冷たい刺激で覚めていった。

(……あれ? そう言えばあの電話の相手……どっかで聞いた声だったような……?)

「……そんなわけあるか。姉さんだよ」

 正志がちらとこちらを見たので、瑠依は考えかけていたことを忘れてじろっと威嚇した。

 しばらくして、電話は終わった。

「ったく、姉さんは……」

 呆れた視線をしれっとかわし、瑠依は訊いた。

「ちなみに、どこの誰?」

「学校の友達だよ」

 正志は何かを思いついたように眉を動かすと、にやっと笑った。

「興味あるのか? 結構いい奴だぜ。俺より頭の出来もいいしさ。何なら紹介してやろうか」

 瑠依は首を横に振った。

「そういう興味はありませーん」

「はいはい。ていうか、何か話があったんだろ、姉さん」

 瑠依はぽん、と手を打って元の顔に戻った。

「そうそう、そうなのよ〜。今度、あんたの学校に潜入したいから、代わって」

「……は?」

 時間が止まった。

「……」

「そして『時』は動き出す」

「……」

「あぁもう、正志ノリ悪い〜! これだから一般人は!」

 脚をばたばたさせて不満を訴える瑠依に、正志はあくまでゆっくりと訊き返した。

「それは、つまり、姉さんが俺と代わって、俺の学校に行くってことか?」

「Exactory(その通りでございます)!」

 正志はふは、と溜息をついた。

「無理に決まってるだろ」

「無理とか無駄とかは聞き飽きたぜ」

 どや顔の瑠依の三部ネタ三連発に一切乗らず、正志は首を横に振った。

「無理だって。いくら双子ったって、性別が違うんだぜ。身長だって十センチは違うだろ」

 瑠依は指を顔の前で振った。

「甘い。甘過ぎて砂糖を吐いてしまいそうだわい。私たちはいつも一緒にいるから、お互いの違いがはっきり分かるけれども、他の人からしたらやっぱりそっくりなわけよ。身長は靴を上げ底にするとか」

 正志は瑠依の目をじっと見た。「まさかのみつめてナイト、しかもRの方」とかいったそういう類の視線ではない。

「……やれやれ。そういう目のときの姉さんは折れないんだよな」

 瑠依はびょんとジャンプした。

「おおー! さすがは我が弟、話せるー!」

「条件はあるぜ。バレそうになったらすぐやめてくれよ。俺が面倒なことになる」

「りょうか〜い!」

 信用できない目で瑠依を見てから、正志はコーラをぐいとあおった。

「……にしても、何で俺の学校になんて行ってみたいんだよ。別に姉さんとこと変わんないぜ、きっと」

 瑠依は首を傾げ、眉に力を入れた。

「むむっ……それは、ほれ、あれよ。前、あんた言ってたじゃない。何か伝説の……」

「ああ、伝説の樹のことか」

「そうそうそう。あれと似た話がうちの学校にもあってさ。まあ、比較検討? してみようかと思ったわけよ」

 うんうん、と瑠依はうなずく。嘘は言っていない。前から興味のあることだった。

「へえ、なるほどな。でもな、あれって恋の伝説なんだって話だぜ。姉さん、相手とかいるのか?」

「ぬぐっ。そ、そういう種類の興味ではなくて! 創作上の問題っす、バカ正志!」

 瑠依が吠えると、正志は苦笑いした。

「そこまでムキにならなくてもいいだろ。それじゃ、ま、せいぜいバレないようにしてくれよ」

「はいはーい」

 瑠依は自分でもなぜ吠えたのか、よく分からないでいた。

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「あ、七河君、おはよう!」

「お、おう」

 教室に入るなり、元気いっぱいに声をかけられた瑠依は緊張しながら、懸命に野太い声を出して応えた。

 声をかけてきたのは、少しだけ茶色っぽい髪の可愛い女子生徒だった。

(え、えーと確か正志の話だと、クラス委員をやってる……)

「お、おっす、星川さん」

「おはよ」

 星川真希はにっこり笑って自分の机の方へ戻って行った。瑠依はほっと胸を撫で下ろした。

(うー、分かってはいたけど、スリル満点っす〜)

「おう、正志〜。聞いてくれよ〜」

 今度は眼鏡の男子生徒が馴れ馴れしく話しかけてきた。

(この人が、よく話してる小林学くん、か)

「な、なんだよ。モテなくて生きてるのが辛いって話なら勘弁しろよ」

「なっ!? 貴様、そこへ直れ!」

 瑠依は苦笑いした。

(よし、これで多分正解っす)

「何だよ、学、朝から撃沈して」

 反対方向から声がして、瑠依はそちらを向いた。

「正志。学に何かダメージを与えるようなこと言ったのか」

(えっと、えーと。こ、この人、名前なんて言ってたっけ、正志の奴?)

 瑠依は懸命に記憶を探ったが出て来ない。

(うわぁ、ド忘れっす〜!!)

「正志? どうした」

「え、あ、ええと。何でもないゼ。いつものことサ」

 何だか不自然になってしまい、瑠依は狼狽したが。

「……ま、そうだな」

「いつもってどういうことだ! 畜生!」

 学が叫んだ。

(本当にいつものこと、なんっすね……おかげで助かった)

 ちょうどそのタイミングでチャイムが鳴り、授業が始まった。

 どうにかこうにか一日を過ごすと、瑠依は大きく溜息をついた。     

(何とかバレなかったか〜)

 昇降口を出て、校門に向かう。

(それにしても、こんな調子じゃ伝説の調査はなかなか進みそうにないっすね〜。それに、あの、戦友も……)

「おーい、正志!」

「うわっ!?」

 すっかり油断していた瑠依は、変な声を上げてしまった。

「なっ、なんでそんなに驚くんだよ」

「い、いや〜……は、はっは。ちょっと、考え事してたからさ」

「ふ〜ん」

 何やら不審そうな眼差しで後ろからやってくるのは、あの、ただ一人名前を思い出せなかった男子生徒だった。

(は、あ、ど、どうしよ。えーと、誰くんだっけ、ここまで出て来てるのに〜!)

 瑠依はボロを出す前に、攻めに出ることにした。

「な、なんか用事でもあるのか?」

「いや、用っていうか、見かけたから声掛けただけなんだけど」

「そっか、そっか。あはは……」

 何とか回避したようだ。瑠依は少しリラックスした。思い出す余裕も作れそうだ。

(えーと。確か正志が「学よりは人間出来たやつだと思うぜ」って言ってた人でー)

「それよりさ、さっきから気になってたんだけど……、お前、背縮んでない?」

「はうっ!」

 不意を突かれ、瑠依は混乱した。

(はうう〜! やっぱり身長は無理があったっすか〜!?)

「……ははは、そんなバカな。錯覚だよ錯覚!」

 無理に笑顔を作った。相手の不審そうな眼差しがさらに色濃くなる。

「そうかな〜……?」

「そうそう、はっはっは……んじゃ、オレ、先に行くゼ。じゃっ!」

 瑠依は逃げるようにして校門を出た。

(ふううう〜。危なかったっす〜。あの人、要注意人物っすね……)

 

 瑠依はそれから、数週間に一度の割合ぐらいできらめき高校に潜入した。伝説の調査も、謎の戦友の行方もなかなか分からなかったが、正体がばれてしまうこともなかった。トイレに誘われたり、体育の着替えに遭遇したりしたときは狼狽したが、どうにか誤魔化しきることが出来た。

 もっとも、一人だけ、相変わらずの危険人物がいた。

「なんか、お前やっぱり背が縮んでないか?」

「そ、そんなことないゼ!」

「それになんか、胸も膨らんでるような……」

「なっ!? なななななな!?」

 元々、そんなにグラマーである自覚がなかった瑠依は、本人としては自尊心が痛いが、そこから発覚する心配はしていなかった。

(そ、それなのに、何て目ざといんすかー!?)

「ぎゃー! 見んなー!」

 瑠依は叫んで逃げるように去った。

(こ、これはまずい……)

 瑠依は対策を考えようとしたが、上手くいかず、その日はやってきてしまった。

「お〜い、正志……じゃない人〜」

 そう呼びかけられた瑠依は、見えない白旗を掲げた。

(はいはい、もう降参っす〜)

 瑠依は自分の正体を明かし、口止めを依頼した。さすがに潜入している理由までは言わなかったが、勢いで携帯の電話番号も教えてしまった。

(一応は正志の友人でもあるし、悪用されたりしないっすよね〜。って、我ながら何と言う後付けの言い訳っすか!)

 一人身悶えしながら帰って来た瑠依を見るや否や、正志は渋い顔をした。

「あ、やったな、姉さん」

「どひーっ!! 何で分かったァーッ!?」

「そんな反応ばっかりしてるから、顔に出るようになるんだよ」

 瑠依は今日二度目の見えない白旗を掲げた。

「はいはい、もう降参っす〜」

「……約束だからな。もうやめてくれよ」

 瑠依は弟に取りすがった。

「そこを何とか! バレたことはバレたけど、口固そうと言うか、信頼出来そうと言うか、いい人っぽいと言うか」

 正志は顔をしかめた。

「うーん。一体誰にバレたんだ?」

「実は……」

 瑠依が事情を説明すると、正志は表情を柔らかくした。

「ああ、あいつなら大丈夫かもな。学だったら、明日には学校中に広まってるけどな」

「ね、そうでしょそうでしょ。信用できるって」

 正志はにやっと笑った。

「ずいぶんあいつを推すな、姉さん」

 瑠依はまたしても、大げさに反応した。

「なっ、ななななっ! その笑いは何っすか! 弟の分際で生意気っすよ!」

 実際、瑠依は照れより怒りを込めて言っていた。この段階では。

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 いくら伝説の調査だ、戦友の捜索だと言っても、そうそういつもきらめき高校に潜入するわけにもいかない。

 本日、瑠依は本来の姿で本来の学校にいる。時間は昼休み、外は雨。瑠依は窓際の自分の席で、印象派の絵画をモチーフにした書店のカバーが掛った本をどこか物憂げにめくっている。

 少し離れたところに男子生徒が数人、たむろして何やら話していた。その視線はちらちらと瑠依の方に向いているのだが、瑠依本人は気が付いていない。

 やがて、そのうち一人が、ばんばんと背中を叩かれ、ややぎこちない動きで歩き出す。目的地は、瑠依である。

「な、七河。ごめん、ちょっといいか?」

「……ん?」

 瑠依は本を閉じ、顔を上げる。

「その、ちょっと話したいことがあるんだけど」

「何?」

 相手はクラスメイトだが、そんなに親しいという程でもない。なので瑠依としては距離感に相応しい対応をしているつもりだったが、相手はそう受け取ってはいないようだった。

「う。あ、あのここじゃちょっと……いいか?」

「うん、まあ、いいけど」

 瑠依は机に本を入れかけたが、日頃の整理不足が祟ってか、上手く入らなかった。仕方なく制服のポケットに突っ込んで男子生徒の後に付いて行く。

(どこに行く気なんすかねー)

 男子生徒は、いくつかあるうち、一番使われていない階段の踊り場に瑠依を案内した。

「え、えっと改めて……その。な、七河。七河って、綺麗だよな」

「へ?」

 唐突な言葉に、瑠依は間の抜けた声を上げる。

(な、なんなんすか、この突然のお世辞はー?)

「さ、さっき本読んでる時とか、すげえ綺麗だった。やばいよ」

「は、はあ」

 瑠依は落ち着かず、視線をあちらこちらにやった。

(て、展開が読めないっす。えっと、こういう展開のテンプレは……)

 事態は進展した。男子生徒が一歩踏み出す。

「な、七河。七河って、付き合ってる奴とかいるの?」

「ふへ?」

 空気が固まった。瑠依は硬直しかけた脳で懸命に思考する。

(そっかー! 考えてみたら王道だったっすー! で、でも、どう対応すれば?)

 お互いが緊張に耐えられなくなる寸前、瑠依のポケットから、何かが滑り出た。

「あ」

 ぱさんと軽い音を立てて、印象派のカバーのかかった本が、男子生徒の近くに落ちた。

「あ、これ、さっき読んでた本か?」

 ポイント稼ぎはここと見たか、あるいはただ緊張を破りたかっただけなのか、男子生徒は瑠依の本を拾って、にこやかに差し出した。

「あ、ありがとう……」

 瑠依は受け取ろうとした。しかしやはり緊張していたのか、取り損ねてしまった。彼女の手に残ったのは、書店のカバーのみ。

「あ」

 中身は、再び廊下に落ちてしまった。

 再び、男子生徒は手を伸ばしかけ……止まった。

「……『超魔法メイド☆ネコミミちゃんΩ』……?」

 瑠依は無言で、今ネット(のごく一部)で話題沸騰中のアニメのコミカライズ版を拾い上げた。カバーをかけ直し、ポケットにしまう。

「……それで」

 促すと、男子生徒は乾いた笑いを浮かべた。

「あ、いや……な、何でもない。七河がちょっと綺麗だったなーって感想を言いたくて。じゃな! ははは」

 瑠依は小さく溜息をついた。

(はい、フラグ、豪快に折れましたー)

 

 その数日後の日曜日、瑠依は物思いに耽っていた。正確に言うと、大容量のゲームをダウンロード中で暇だから物思いに耽っていた。

(う〜ん。重いなぁ……それにしても、伝説の調査、あんまりはかどらないし……戦友も全然手掛かりがない……)

 しばらく、パソコンが小さく唸る以外、部屋には音が無かった。

 唐突に、携帯電話が歌い始めた。

「はいはい……って、お?」

 表示された名前を見て、瑠依は目をしばたかせた。

(何の用事っすかね……ま、まさか秘密が他の人にもバレたとか!?)

 弟以外で唯一の秘密の共有者から電話があれば、そう考えるのも無理はなかった。瑠依は慌てて電話に出た。

「は、はいはーい」

 固い瑠依の声に対して、相手の声は緊迫感が欠如していた。

『今度の日曜に、カラオケに行かない?』

 瑠依は心底ほっとした。声もテンションも高くなる。

「OKっすよ。男の子バージョンと女の子バージョン、どっちがご希望っすか?」

 笑いあって電話を切ると、少しずつ頭が冷えてきて、瑠依はことの重大さに気が付いた。

「は……はうっ! し、しまった! この七河瑠依、不覚を取った!」

「何を一人で騒いでるんだよ、姉さん」

 独り言にしては声が大きすぎたのか、正志が顔を覗かせた。瑠依は目をぎらつかせてそちらを向く。

「正志、やっちゃった……」

「何をだよ」

「リ、リアル男子と、デ、デートの約束をしてしまったっすー!」

 正志は眉を上げた。

「なんだ。それはむしろめでたいことだろ」

「い、いや、それはそうなのかもしれないけれども……」

 瑠依は意味もなく右を向いてから、左を向いた。

「相手は誰なんだ? 俺の知ってる奴か?」

 正志が言うので、瑠依はまた意味もなく上を向いてから、下を向いた。

「はう〜。それが……」

 瑠依がもじもじと言うと、正志は笑った。

「あいつか。だったらきっと大丈夫だって。姉さんを悪いようにはしないと思うぜ」

「で、でも行き先がカラオケだよ? アニカラやっても平気な相手なんすかー!?」

 瑠依は机脇のCDラックをちらりと見た。彼女が生まれる前のものから、つい先月発売されたものまで年代的には幅広いラインナップだが、全部がアニメやゲームのサウンドトラックである。

「どうだったかな? 俺と学と三人で行った時は、別に……ああ、あれを歌ってたぜ。なんだっけ、あの海賊のアニメの……」

「あれはー、一般人が見てても許されるアニメっすー! そうじゃなくて、もっと濃い……」

 瑠依は騒ぎ立てた。

「そんなの、俺に分かるわけないじゃないか」

「あ゛ー! ヒットチャート驀進中のJ−POPとかリクエストされても無理っすー」

 髪を掻き毟って床をごろごろ転がる瑠依に、正志は笑った。

「無理なら無理って言えよ。あいつはそんなんで引く奴じゃないと思うぜ」

「あうーあうー」

 瑠依の脳裏には、数日前の、一冊の漫画が永遠に行く手を閉ざしたルートのことが浮かんでいた。

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(そもそもが、オタク女子がリアル男子と付き合えるもんなんすかねー)

 瑠依は顎や頭に落ちつかなげに手をやりながら考える。

(んー、でも、逆よりかはアリかも知れないっす。あははは)

「……瑠依ちゃん?」

 言われてはっと、瑠依は我に返る。

「あ、あははは、ちょっとぼーっとしてたっす。な、何だっけ?」

 瑠依の目の前には、きらめき高校でただ一人(弟を除いて)、彼女の正体を知る危険人物がいる。

「あ、いや、正志とはどこに行ったりしてたのかなって」

「え、あ、まあ、服屋とかCD屋とか……」

 ほとんど反射的に無難な回答をする。

「そうか。あいつの服のレベルの高さは、瑠依ちゃんのアドバイスの成果だったりすんのかな」

「そ、そんなことないっすよ〜」

 事実は逆である。瑠依のよそ行きが見られるレベルなのはオシャレな弟の助言によるものだった。

(ああー。やっぱり駄目っす。本性出したらアウトっすよー)

 髪をかきむしりそうになり、何とか止めたあたりで、カラオケ屋の店員が声をかけてきた。

「お待たせしました二名様。ご案内致します」

「あ、はい。じゃ行こう」

「は、はーい」

 連れられて行く途中の部屋からは、瑠依の聞いたことが無い曲や、CMでサビだけは辛うじて知っている曲が漏れ聞こえてくる。

(無理っす。また豪快にフラグがへし折れる……)

 扉が開かれて、閉じられる。密室に二人で残された。

(こうなれば、こっちから終焉を呼び込んでやるっす!)

 瑠依は決断はさっぱりと、しかし表情は哀しげに、言った。

「一応、聞くけど……どんな歌、入れるっすか?」

「ここは、アニソンなんかどう?」

(はいはい、アニソンアニソン、っと……)

「あにそん!?」

 瑠依は飛び上がった。修辞ではなく、本当に軽く飛び上がった。

「え。あ、えーと、駄目かな?」

「だ、だ、駄目じゃないっす!」

 瑠依の目は爛々と輝き、鼻息も荒く、掴みかからんばかりに接近して聞いた。

「ち、ちなみにどのあたりを!?」

 瑠依は、相手の目もまたぎらりと輝き、ただならぬ色を帯びるのを見た。

「『ゴッドリラー flame of drill』」

 それを聞いた瑠依は最早、恥も外聞もなく叫んだ。

「キターーーーー!!! まさかの、劇場版エンディング! ネ申曲!!」

 そこからは、夢のひとときだった。二人の知っている曲の一致率は95%を超え、殆どは二人でマイクを握った。

 

 カラオケを出ると、瑠依は思い切り伸びをした。

「あー、久々にスッキリしたっすー」

「本当だよ。実はこの間、正志と学とも行ったんだけど、なかなか歌いづらくてさ。しょうがないから……」

「『海賊』っすか?」

 瑠依がにやっと笑って言うと、爆笑が生まれた。

「はははは! そうそう。お互い大変だよね」

「全くっす。世間はアニソンに偏見を持ちすぎっすよ!」

 瑠依は熱く語り、また笑い合った。

「はっ。いかん、もう帰らなくてはいけないっす」

 隣の市まで来ているので、帰る時間に余裕を持たなくてはいけない。

「そっか。こんなんでよければ、また誘ってもいい?」

 言われて、瑠依はぎゅっと親指を立てた。

「もちろんっす! 喜んで!」

 

 初めて出来た生身の男友達に、瑠依は有頂天になった。

「たっだしー。明日もきら高行くからよろしくー」

 最早入れ替わりも日常と化している。弟はふは、と端整な顔を崩した。

「またか。いいけどさ。バレないようには注意してくれよ」

「いい加減しつこいっすよ」

 ぷいと顔を背ける瑠依に、正志はにやりと笑った。

「やれやれ。姉さんがそこまで夢中になるなんて、あいつも随分やるんだな」

「な、ち、違うっす!」

 瑠依は顔を真っ赤にして反射的に言った。

「何が違うんだよ。ここのところ、毎週のように遊んでるじゃないか」

 瑠依はますます顔を赤くし、あちこちに視線を泳がせた。

「ち、ち、違うっす。わ、私がきら高に行くのはー、あくまで伝説の調査……」

 言いかけて、瑠依はぴたっと動きを止める。

(伝説の調査と、戦友の捜索。戦友、忘れてたっす!)

「どうした、姉さん?」

 正志に声をかけられ、我に返った瑠依はうなずいた。

「あくまで伝説の調査っす」

-7ページ-

 

 翌日、正志として登校した瑠依は、いつになく真剣だった。

(ここのところ、はしゃぎすぎて忘れてた。我が戦友、どこにいるっすか)

「お、正志……ぽい人だ」

 いつもの悪戯っぽい笑顔で、瑠依の近くにやってきたのは、もちろん秘密を握るボーイフレンドである。

「わ、せんせー、そんなリスキーな発言、禁止っすよ!」

「分かってるって」

 二人がひそひそとやっていると、眼鏡男子も近づいてきた。

「何だか、お前ら最近やけに仲が良いな」

 小林学は何やら険のある口調で言う。

「そうか? 別に前と変わらないと思うけど。なあ、正志」

 瑠依ももう慣れたもので、さらりと受ける。

「ああ。いつもと変わらないゼ」

「じゃあ、今の小声の話はなんだ? 俺も混ぜてくれよ」

 瑠依たちは思わず顔を見合わせた。

「あ、えーと、それはつまり」

 瑠依はつい視線を泳がせる。

「あ、それは、あれだよ」

 相棒の方は何かを思いついたのか、声を潜めた。

「星川さんて、彼氏いんのかなーって」

 学の視線はまだ懐疑に満ちている。瑠依は慌てて話を合わせた。

「そうそう。星川さん、み、みんなに優しいから、彼氏いたら大変だろーなーって」

「やだ。そんな人いないよ?」

『わっ!』

 三人は一斉に、一歩後ろに飛び退いた。星川真希はにこにこと三人の男子(彼女の主観的に)に笑いかける。

「私は別にいいけど、余り大きな声で噂話なんてしてたら、嫌な思いをする子もいるかもしれないよ。気をつけてね」

『はーい』

 自分の席に行く真希の後姿を見送り、瑠依はふうと溜息を付く。

「正志、声大きくしすぎだよ」

「悪い悪い」

 などと話しながら、瑠依と相棒は学の様子を伺う。

「……」

 学は目を閉じ、沈思黙考している。

(う、疑いは晴れたっすかね?)

 瑠依の緊張が頂点に達しかけたとき、学は目を開いた。

「よし! 星川さんに彼氏はいない! まだチャンスはあるな!」

 緊張が一気にゼロを通り越してマイナスになり、瑠依はがくっと脱力した。

「善は急げだ! 星川さ〜ん!」

 真希の机に向かった学が、「今度の日曜映画でもどう?」「あ、その日は生徒会の会議があるから駄目」「じゃあその次は?」「つぐみと買い物に行くから無理かな」などとやっているのを遠景に見つつ、瑠依は苦笑いした。

「何とかなったみたいっす……だな」

「ああ。あいつの能天気に救われたよ」

 思わぬハプニングに遭ったものの、瑠依は今日のテーマを忘れてはいなかった。

「なあ、こっちの生徒って、ひびきののゲーセンまで行ったりするのか?」  

 口調は正志だが、質問内容は明らかにきらめき高校生徒のするものではない。とはいえ、そこまで耳をそばだてて聞いていそうな人間は今しがた追い払ったので安心である。

「え? ひびきの? まあ、行かないこともないとは思うけど……」

 瑠依の目の前の手がぽん、と音を立てた。

「ていうか、俺たちもひびきの寄りの正志……っと、お前のお勧めの服屋に行ったとき、ちょっと時間つぶしに入った……よな」

 瑠依はうなずいて話を合わせる。

「ああ、そうだったな。うっかりしてたゼ」

 不自然なまでに大きく頭を掻いたところで、チャイムが鳴った。

「あ、またな」

「おう」

 瑠依としては残念なことに、二人の席は離れていた。

(そうかー。きら高の生徒もあそこのゲーセン、来るんすねー)

 始まった授業などそっちのけで、瑠依は考え込んだ。

(だとすると、やっぱり我が戦友は、この学校にいるはずっす!)

 瑠依は教室をぐるりと見渡した。ふと、先ほどの言葉が頭に甦る。

『ていうか、俺たちもひびきの寄りの正志……っと、お前のお勧めの服屋に行ったとき、ちょっと時間つぶしに入った……よな』

(え? 俺たちも?)

 がたっ。瑠依は、反射的に立ち上がっていた。

「なんだ七河? トイレか?」

 教師が呆れ顔で言う。瑠依は乗った。

「あ、あははは、そうっす…です。すみませーん」

「全く。ちゃんと授業前に行っておけよ」

「もー、七河くんったら」「でも七河くんなら許すー!」「うん、許すー♪」などという女子たちのひそひそ話を背に、瑠依は教室を出た。

 静まり返った廊下で、瑠依はぐいっと音がしそうなほどしっかりと腕を組んだ。

(まさか……でも、ありえない話じゃないっす。そう言えば、あの日、あの、戦友と会った日、正志が……確か…)

『ああ、母さん、今日ちょっと友達と寄り道してくっから、遅くなるよ。うん、晩飯には間に合う』

 ぽん、と先ほど相棒がやったのと同じように手を打ち合わせ、瑠依は小刻みにうなずいた。

(そうだ。そうっすよ。だから正志のやつ、夕ご飯のときにまだ制服だったわけっす! うわー、本当に可能性出てきたー! 超レアイベントっすよ!!)

 瑠依は興奮して、例のダンスゲームのステップを軽く踏んだが、すぐに冷静さを取り戻した。

(いけね。今、トイレに行ってることになってたっす。早く戻らないと)

 瑠依は教室のドアを開けてこそこそと戻った。いつもの正志のようにクールに落ち着いて座ったつもりだったが、頬が熱く、彼女の正体を知る相手の方を見られなかった。

 授業が終わった。瑠依は跳ねるようにして……

「よう正志。さっきずいぶんトイレ長かったな。もしかして大の方か?」

 小林学に声をかけられた。瑠依は別の意味で頬を熱くした。

「違う」

 最小限の言葉で弾き返して立ち上がる。

「お、おい、つれないなー、正志きゅーん」

(ホンット、デリカシーのカケラもない男っすね! 正志も友人は選ばないと駄目っす!)

 足音高く、瑠依は、正志が選んだことを有難く思う方の友人の机に向かった。

「あ、あの」

「あんまり目立つことすると、バレるかもよ」

 恐ろしく小声で忠告され、瑠依は素直に頭を垂れた。

「すまないっす。そ、それはさておき、その……」

「ん?」

 不思議なことに、舌がもつれてしまった。

「あ、あの、さっきの……」

 余りにも体が熱くなって、目の前の相手の顔を直視できない。

「さっきの?」

「あ、や、やっぱ何でもないっす! じゃ!」

 瑠依は小走りに教室を出て、階段の方まで逃げた。

(な、なんなんすか、これはー!! ま、まるでギャルゲのエンディング付近みたいじゃないっすか……私、攻略される寸前っすかー!?)

 瑠依は深呼吸した。

(よ、よし大丈夫。わが先生こそがわが戦友という驚異のイベントへの準備はオッケーっす……)

 失敗であった。脳内で言葉にすると、鮮烈なイメージが広がってしまう。

(だーっ!! 駄目っす。こんなフラグ立つのはー、立つのは……その……)

 瑠依は抑えきれず、音にして出した。

「運命の恋の相手じゃないっすか」

「え? 何の相手だって?」

「!?」

 瑠依は跳び退った。瑠依の戦友?は頭を掻く。

「そんなに驚かなくても。むしろこっちが驚いたよ。急に走って行っちゃうから」

「あ、え、そのっすね」

 瑠依は意味もなく周囲を見回した。どうやらこの階段は余り使われていないようで、他の生徒の影はなかった。

(ん? どこかで似たようなシチュエーションに……)

『な、七河。七河って、付き合ってる奴とかいるの?』

「はうっ」

 瑠依はそれこそ漫画かアニメのように呻いた。

「な、ど、どうしたの?」

 瑠依を混乱させてやまない相手は、周囲を軽く確認して、小声で続けた。

「どうしたの、瑠依ちゃん?」

 瑠依はず、と軽く一歩下がった。いや、仰け反ったら下がってしまったと言う方が正しい。

(こ、ここで本名コールは反則っすよ、せんせー!)

「と、とりあえず、そろそろ教室に戻らないと。次の授業が」

 奇妙な動きの瑠依に当惑しながらも、まともな判断が下された。

「は、はいっす……」

 瑠依は炎上する頬を押さえながら、教室の方に一歩を踏み出しかけ、慌てて言った。

「そ、そ、そうだ。今度の日曜、ゲーセンに行かないっすか?」

「え、今度の……大丈夫だと思うけど。どうしたの突然?」

「い、い、いいじゃないっすか。ははは、じゃあ、約束っすよー」

 瑠依はそう言うと、急に駆け足になって教室に戻った。これが目撃され、後に、「七河くんが顔を赤くして頬を押さえ、廊下を疾走していた」という都市伝説めいた噂になって弟を大いに困らせることになるのだが、それはまた別の話である。

-8ページ-

 

 瑠依はデートの前だというのに、決闘相手を待つ騎士のように脚を踏ん張って立っていた。背後からは、ゲームセンター特有の、ごちゃまぜになった電子音が聞こえてくる。

(い、いよいよっす……落ち着け、瑠依。落ち着くっす)

「おはよう、瑠依ちゃん」

「!? あ、お、おはよっす。あははは」

 相手もまた騎士のごとく、正々堂々と正面から声をかけてきたにもかかわらず、死角から襲われたかのように瑠依は慌てふためいた。

「どうかした?」

「あ、い、いや、き、今日の先生はなーんかキマってるなーと」

 瑠依は脳からではなく脊髄から反射的に出てきたような勢いで適当なことを言った。

「え。そうかな。ははは」

 瑠依は目を瞬かせた。

(んもー、せんせー! そこは、「ありがとう。瑠依ちゃんも可愛いよ」とかじゃないっすかー?)

 ぷ、と笑うと、緊張が少し解けた。瑠依は決闘姿勢を柔らかく崩して自動ドアを指差した。

「んじゃ、早速入るっす」

「了解」

 いざ中に入ると、再び体に緊張が走った。

「瑠依ちゃん、なんで微妙にメカっぽい歩き方なの」

「え、あ、あの〜」

 入ってすぐはクレーンゲームのコーナーだった。瑠依は慌てて一台の前で止まる。

「そ、そう。狙いを付けてたっすよ! これはいけそうな気がしないっすか?」

「うーむ。確かに。やってみようか」  

 二人は硬貨を投入し、クレーンの微調整に注意を払った。

「あー、いける」

「いや、ダメっす! もうちょい左っすよ、先生!」

 ゲームに夢中になっている数分の間、瑠依は戦友のことを忘れた。

「よし、ここだ、行け……」

 クレーンの行方を見つめるその横顔を見て、瑠依は自然に微笑んでいた。

(まるで人生でも懸かっているみたいっすねー。あはは)

 そして忘れていたことは、クレーンの降下とともに脳に甦ってくる。

(あの、戦友が、今ここで私の隣にいる……この人……かも、知れない)

 瑠依はいつの間にか、クレーンの先ではなく、横顔だけを見つめていた。

「だああ! 惜しい!」

 その声で瑠依は我に返った。

「あ、そ、そうっすね。うん、惜しかった惜しかった〜」

 瑠依たちはそれから、格闘ゲームでひと勝負し、クイズゲームで互いの偏った知識を披露しあった。そして、瑠依は最後にはいつも、相手の声で我に返ることになった。

「瑠依ちゃん、今日、疲れてる?」

 そう問われても仕方がなかった。

「え、そ、そんなことないっすよ〜。元気元気! も〜元気過ぎて……」

 言葉を体で表現しようとくるっと回った瑠依の目に、とうとうそれが映った。

(そうだ……そのために来たんだから……逃避していてはダメっす)

「元気過ぎて、あれ、やっちゃうぐらいっすよ!」

 瑠依はびし、とそれ……あの日のダンスゲームに脚を向けた。

「あ、これか。瑠依ちゃん、得意なの?」

 瑠依は細かく震える脚を無視して、鼻息も荒く得意顔を作った。

「ちょっとしたもんっすよ! な、なんせあの、『ロケットダンサー』のHARDをクリアしたんだから!!」

 脚の震えが増し、得意顔は引きつる。しかし何とかこらえて、瑠依は相手の反応を待った。

「え……」

(あ……)

 瑠依の目に映るその表情は、「驚愕」だった。

(や、や、やっぱり! う、うわーっ、どうし)

「すごい!」

「え」

 脳内の言葉がすこん、と消去された。

「すごいよ。『ロケットダンサー』ってあの、難易度が星十個のだろ? 俺、あれ、EASYでもクリアできなかったよ。HARDクリアとか、もう神レベルだよ」

 脳が空白なので、瑠依はまたも脊髄で答えた。

「そ、それはどうもっす……」

「いやー、すごいな。俺の知ってる中で、あれのHARDクリアしたって言うの、あと一人しかいないよ。んまあ、そっちはあんまり当てになんないけどな」

 その言葉を耳にして、瑠依の脳に言葉が甦った。

「え、そ、それは誰っすか!?」

「学」

「……」

「信用できないだろ、あはは」

 せっかく甦った言葉が瞬時にまた消失した。

「クリアしたしたって言うんだけど、どうもなあ。しかも、なんか、女の子と一緒にプレイして、力を合わせてクリアしたって言うんだよ。ちょっと妄想が過ぎるって言っといたんだけど」

 瑠依は空白どころか石化してしまいそうな脳を励ましながら、言葉を捻り出した。

「そ、そのとき、せ、先生もい、いたんすか?」

「いたよ。あ、いや、もちろんその現場にはいなくて。二人で正志を待ってて、気が付くと学の奴がいなくなってて。で、正志が来たから手分けして探しにいったら、このゲームのとこにいて」

『ったく、どこで油を売ってるかと思えば。さっさと来い』

 瑠依の耳に時を遡って声が聞こえる。

(そうか……そういえば、あっちが先生の声っぽかった……っす)

「ずいぶん文句を言われたよ。『あのとき、お前が俺を連行してなかったら、あの女の子と仲良くなれたかもしれないのに!』って」

 瑠依はふう、と息をついて呟いた。

「……その可能性は、ないっすね」

「え? 何か言った?」

 瑠依はもう一度息をついた。

(そうっす。もう私には、こっちの方がでっかくなっちゃったわけっす。小林君、申し訳ないっ!)

「瑠依ちゃん? やっぱり何か、調子が……」

 差し伸べられた手を無視し、瑠依はにっと笑った。

「大丈夫だって言ったじゃないっすか。それより先生。これが苦手なら、ご教授するっす!」

「え。あはは、それじゃ瑠依ちゃんの方が『先生』だな」

「そうっす。いや、むしろ『教官』と呼ぶっす!!」

 瑠依は硬貨を投入すると、軽快にステップを踏み始めた。かなりたどたどしく付いて来る、新たな「戦友」とともに。

 

 

 

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よもやのるいるい話。ニッチな商売しております(笑)
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