5人の夏
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5人の夏

 

第1幕 

  

   「この頃、かえるがうるさいのよね。眠れないったら。」

  この頃ひかるはこればかりである。ひかるの住んでいるマンションは、ちょうど隅田川に面しているので、夜になるとかえるの鳴き声が耳につく。

   「かわいそうにね。でもまあ、家賃が安いから我慢しなきゃ。」

ゆみは苦笑いをしながら、コップにオレンジジュースを注いでひかるの前に置く。

   「そこなんだよねー。うちの家主ったら、家賃安くしてるんだから文句言うなって感じにいばってんのさ。ほんっと、最悪だから。」

そう言って、ひかるはオレンジジュースを一気に飲み干す。

 

  太陽のひかりは一段と強さをまし、入道雲は青空の真中であぐらをかいている。

 バイトで貯めていた夏キャンプの費用も、あともうひと踏ん張りである。

 ひかるも、あと英語のプリント1枚というところまでこぎつけた。

 何もかも、順調である。

  

         「いらっしゃいませー。ご注文はおきまりでしょうか。」

バイトものこるは今日を入れてあと3日。いつになく、ゆみの声にも気合が入る。

         「ファンタオレンジ。」

         「ファンタオレンジですね。それだけでよろしいでしょうか。」

         「…。」

         「168円になります。」 

失礼な客にも、不思議に腹が立たない。むしろ、気持ち悪いくらい笑顔なのである。

         「200円お預かり致します。」          

      ピッ   ピッ    ピッ

         「32円のお返しでございます。」

 お金とレシートを乱暴にとる客に、深々と頭をさげる。

         「ありがとうございました〜。」

客も、なんとなく悪い気がしたのか、店の中の自動販売機でまたファンタグレープを買って、そそくさと店を離れた。

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        「あんた、きぶんわるいのかい?休んでもいんだよ?」

ゆみが異常に張り切っているので、店長は心配してさし入れを持ってきた。

        「ありがとうございます。でも全然大丈夫ですから。」

そう言うと、ゆみはさっそく栗饅頭をほうばる。

         「大丈夫なわけあるかい!今何時だと思ってるんだい?6時だよ?」

ゆみはびっくりして時計を見る。なるほど店長の言う通りである。

        「えっ?ほんとだ。けっこうやりましたね、わたし。」

けっこうどころではない。朝の7時から今の今までおよそ11時間、休みなしで働いていたのである。普段は6時間くらいなので、約いつもの二倍。店長も心配するはずである。

        「今日はがんばってくれたよ。ほんとうに。」

店長は椅子に腰掛けると皺だらけの手で1万円札を取り出す。

        「これはほんの気持ちだから。」

         「そんな…。悪いです。そんなつもりじゃ…。」

ためらうゆみの手に、むりやり1万円札を握らせると、店長はさみしそうに笑ってレジに向かう。

    「あと3日で、店閉めようと思うんだ。だから今までのお礼もかねて!」

びっくりしてゆみが言葉に詰まっていると、店長は明るく笑ってゆみを見つめる。

      「良い機会だと思ってね。もう、あたしもそう長くはないんだよ。せめて、あんたみたいな娘がいたらよかったんだけどね。」

そう言って店長はいつものように笑った。お笑い番組を見ている時のような自然な笑顔。

それでもゆみには、その笑顔がどこか寂しそうに見えてならなかった。

         「明日もがんばってね。給料はあさって振り込んどく。期待しときな。」

そういっていたずらっぽく笑うと、ゆみに優しく微笑む。

ゆみはたまらなかった。あきらかに寂しさをごまかして笑う店長がつらかった。

そして、手の中1万円がゆみの胸の奥を締め付けた。

      「店長。やっぱりこれ…」

ゆみが差し出した1万円札を見もせずに店長は微笑み、そして黙って首をふる。

まもなくして、学校がえりの学生たちの声で、店内は賑やかになった。

    「店長っ…。」

いつものように蛙の鳴き声は大きかった。

それでもいつもほどにはうるさく感じなかった。むしろ、その鳴き声は

田舎町の静けさに埋もれていて、よけいにさびしげに聞こえる。

    「…ありがとうございました。」

ゆみはそっと呟いて、賑やかな店内から表玄関へ、そして、ゆっくりと店を後にした。

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        「ひかるちゃんっ!」

急に呼ばれて、ひかるは慌ててまわりを見渡す。しかし、誰もいない。

気のせいだと思ってまた雑誌に目を落とすと、今度はもっとはっきりと聞こえたので、もう1度あたりを見渡す。しかし誰もいない。

        「あの。今なんか聞こえました?」

ひかるが気味悪くなって、近くのおばさんに尋ねると、

        「あの人じゃないかしら?」

といって、花屋の2階で手を振る青年を指差した。

お礼を言うのを忘れて、ひかるはその2階の青年に手を振り返す。

        「竜一君!わあ、こんなところで会えるなんて!」

ひかるはそう呟いて、慌てて喫茶店をでると、花屋の2階にあるテラスへ急ぐ。

竜一と出会ってまだそんなに経っていないが、毎日メールは続けている。

        「びっくりしたなあ。いつもここで食事してるんだ。」

竜一のその言葉に照れながら、ひかるは首を振って笑う。

        「いいえ。ゆみちゃんのバイト先がこの辺だから、いつもここで待ち合わせしてるんです。今日は何か遅いんですけど…。」

そう言って、ひかるは向かえに座る竜一に向き直る。

        「竜一さんは?」

        「ああ、俺もバイト先がこのへんでさあ。真悟と待ち合わせなんだけど、

あいつもバイト忙しいらしくて、遅れてるんだ。」

竜一は携帯電話をちらりと見て、ひかるに微笑む。

        「ひかるちゃんにあえるなんてさ、思ってもみなかった。」

ひかるはそんな竜一の言葉に思わず顔を赤くして、照れ隠しに携帯電話を取り出す。

        「あ、ゆみちゃんからメール来てました!…えっと…。」

竜一は寄りかかっていた椅子の腰掛からおきあがって、メールに忙しそうにしているひかるを残し、黙って席を離れる。

   しばらくしてジュースの缶を2本抱えて戻ってきて、1本ひかるに手渡し、りゅういちはまた、椅子に腰掛ける。

        「わあ、ありがとうございます!」

ひかるはジュースを受け取ると、携帯電話をしまい、さっそく缶を開ける。

        「おいしい?」

竜一はジュースに口をつけず、ジュースをおいしそうに飲むひかるを、にこにこしながら眺めている。

        「はい!これ、大好きな…んです。」

竜一に見られていることに気がついて、ひかるはまた顔を赤らめる。

     「ところでさあ、あさって、一緒にどっかいかない?車で。」

ひかるは胸の鼓動が激しくなり、嬉しさにしばし言葉が出なかった。

       「無理だったらいんだよ?」

竜一がもう一度笑うと、ひかるは竜一に向き直り、

        「いっ、行きます!行かせてください!」

と、慌てて答える。言ってから、これじゃあ告白だよな。と、もいちど赤面。

        「じゃあ、朝の7時に、ここで。いいかな?」

ひかるは携帯を取り出してカレンダーを開く。「はい。」とうなずこうとして、ひかるは重要なことに気がついた。あさってといえば、……夏キャンプである!!

        「どうしよう…。」

いまさらゆみに、「夏キャンプ延期にして」など言えるわけがない。何日も前から計画していたのである。しかも、ゆみの夏講習を休んで立てた計画となれば絶対である。

ひかるはため息をついて竜一に向き直り、夏キャンプのことを打ち明けた。

        「そうか。それじゃあ、ダメか。」

  残念そうに笑う竜一に、

        「せっかく誘ってくれたのに…。ごめんなさい。」

と、ひかるは心のそこから言って、心の中で大きなため息をつく。

  (あーあ。せめて夏キャンプに竜一君も行けたらなあ。…ん?って、あっ!それいいかも!!)

ひかるは目を輝かせて、こう切り出す。

        「あの!竜一さんも行きませんか、夏キャンプ!」

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その頃のゆみはというと、でかい買い物袋を片手に、水野公園のブランコにゆれながらぼんやり店長のことを考えていた。

66歳で店を閉めるにはあまりに早過ぎる気がするし、別に赤字続きというわけでもない。

店長の様子がどこか変なのだ。いつもの店長らしくない。ゆみは店長の言った「私ももうそうながくはないんだよ。」という言葉が無性に気になっていた。

        「中山っ!なにしてんの?」

不意に声がして、ゆみの視界にぬっと一人の青年が現れる。

        「わあっ!川田っ…びっくりするじゃん!」

ゆみはこけそうになって、あわててブランコにしがみつく。

バットを肩に掛け、でかいスポーツバッグをひょいと抱えた、ユニフォーム姿の雅也は相変わらず爽やかである。

        「どうしたの?なんかよう?」

ゆみの言葉に雅也は首を振って笑う。

        「別に。ここを通り過ぎようとしたら、中山が居たから。

   中山こそ何してんのさ。浮かない顔して。」

雅也の言葉の以外さに驚きつつ、

        「別に。ここを通り過ぎようとしたら、何か来ちゃったの。それだけ。」

と言って笑い返す。

         「ふーん。」

バットやカバンをそばにおくと、雅也もブランコに乗ってゆっくり確かめるようにこぎだした。 

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夕日がもう沈みかけていた。うっすら暗くなって、ちらちら星が輝きはじめている。8月に入ってから、ゆみはなぜだか時間が経つのを早く感じていた。

夏キャンプを考えればそれはとても嬉しかったが、夏休みが早く過ぎてしまうのは寂しかった。

       「そういえば、もうすぐ夏キャンプじゃん。準備終わったの?」

雅也はブランコを止めて、ぼんやり考え事をしているゆみに話しかけた。

       「えっ?あ…うん。一応私はね。ひかるちゃんはまだ。」

       「いいよな、中山。受験生なのにさあ。俺も息抜きしたいよ、たまには。」

そう言って、雅也は「ずるいよなー。」という顔をして、ため息をついた。

    「行きたいなら、来ればいいでしょ?私は別にサボろうとしてるわけじゃ…」

ゆみが口を尖らせて言い返すと、雅也は驚いてゆみを見つめる。

        「まじで?」

        「はっ?」

        「まじでいいの?」

        「だから、何が?」

        「今、中山が言ったんじゃん。俺もくれば?って。」 

ゆみは、自分で言ったことを思い返して、急に恥ずかしくなった。よくも勢いに乗ってあんなことを言えたものである。

        「や…、その。」

口ごもっているゆみを無視して、雅也は『ヤッホー』と言ってブランコをおりた。

        「あさってだっけ?いくら必要なわけ?まあいっか。詳しいことはメールでね。それじゃっ!中山本当にサンキュウな。」

雅也は、鼻歌を歌いながら公園を出て行く。ゆみはため息とともに、手でほてった頬っぺたを冷まし、

         「私って、案外やるわ…。」

と、1人で感心していた。

そしてまもなく取り出した携帯電話の時刻を見て、

   「ああー!!やっばい。待ち合わせしてたんだっけ?」   

ゆみはやっとひかるとの待ち合わせを思い出して、慌ててブランコを降り、メールを送る。そして公園をでると、隅田川の側にある花屋のテラスへと急いだ。もう1時間以上の遅刻である。

しかしゆみは、待ち合わせに遅れたことよりもむしろ、夏キャンプに雅也を連れて行くことを、ひかるにどう説明すれば良いかに頭を悩ませていた。

        「絶対無理よね。」

ゆみは待ち合わせ場所に行く前に念のため遠回りをして、不二家でチョコショートケーキとモンブランを買った。どちらもひかるの大好物である。

        

 

           「遅いなー!まったくなにしてんだろう。」

赤いリボンで買ったチーズケーキとイチゴタルトの紙袋を持って、ひかるはゆみのケータイにさっきから何度も電話をしている。しかしいっこうにつながらず、留守電サービス。すっかり日も沈んで、あたりは真っ暗である。竜一と別れてすぐ花屋のテラスもしまってしまい、ひかるはしょうがなく花屋の前のベンチでまっているのだ。しかし言葉とは裏腹に、ゆみが遅れてある意味ではほっとしていた。

         「ゆみちゃんになんて説明しよう。」

ひかるは、念の為に買っておいたゆみの大好物が、うまくその役割を担ってくれますように。といのった。

 

        「ひかるちゃんっ!遅れて…ご…めん。ハア、ハア」

まもなくして、息を切らせたゆみがやっと待ち合わせ場所についた。

         「遅いよ、まったく。」

ひかるは文句を言いながらも、近くの自動販売機でアクエリアスを買って、大分落ち着いたゆみに『大丈夫?』と言って手渡す。

         「ありがと。」

ゆみはお礼を言ってから、いっきにアクエリアスを飲み、そしてほっと息をつく。

やがて、「隅田川の蛙がうるさいね。」というひかるの一言で会話は始まり、2人は同時に大きな深呼吸をした。

そして2人はほぼ同時に思った。

       (いよいよだわ。あのことをいわなくちゃ!)

         

 

説明
カエルが鳴く隅田川

そこで起きた「5人の夏」の出来事・・・
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隅田川 5人  ひかる カエル 

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