恋姫†無双 外史『無銘伝』第9話 後編
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 俯瞰してみれば、それは火の海の中に沈む陥落寸前の城。

 だが現実において、まだ戦闘は始まってすらいない。

 襄陽城は孫呉の赤い旗に囲まれ、空城のように息を潜めている。

「朱里なら、あれをどうやって攻める?」

 包囲柵を築き終え、馬に乗って城を眺めながら問う。

「正攻法で攻めるのは難しいですね。水堀があって、城壁も高くて……まずは工作をしなければ壁にとりつくのも不可能です」

「うん。少なくとも俺たちのいる南側は水堀が全体的に設けられてて、穴がなさそうだよね。いけそうなのは城門ぐらい? ここからだと見えないけど」

「隠しているんでしょうね。城門を突破されるわけにはいかないでしょうから、簡単な土嚢とか柵で塞いでいるのでしょう」

「うーん、となると、どうしたものかな…………」

 朱里は馬の歩みを止め、城の向う側、遙か遠くを見つめる。

「やるとしたら…………やはり、大水計でしょうか」

「ああ、なるほど」

 襄陽城の利点である水源の近さを逆用し、攻める。

「しかし、こちらの水軍が十分揃ってなければ成立しないでしょうね」

「そっか。だから今回は正面からやるしか無いのか」

「はい。私も、陸遜さん達の計画と変わらないやり方をとると思います」

「ふむふむ。まぁ、孫策達の本当の目標は、襄陽城の陥落じゃ無くて敵の援軍を荊州南部から引きずり出すことだしね」

 一応城攻めの戦略をあの場では示したが、実際には、兵糧を断ち、襄陽城へ援軍を呼び寄せられたあとが本命となる。

「俺たちは囲うのが仕事だからそんな気にすることもないか。油断せず、敵が打って出るのを警戒ってところかな?」

「はい。昼夜問わず歩哨を立たせ、警戒を厳にします」

「頼むね。あとは……孫策の動きを監視だな」

「はい、そちらも……っ」

 朱里が言葉を飲み込んだ。

「朱里っ、北郷――!」

 見張りに立っていた葉雄が手で、何かを伝えようと合図を繰り返していた。

 本陣、接近――友軍?

「どうも〜」

 とことこ、戦場になる前の平原を、散歩するかのような気軽さで、陸遜がやってきた。

 彼女は、ちろっ、と遠くに立つ葉雄を見た。

 葉雄はさっと身を物陰にすべりこませた。

「陸遜さん、なにか急事ですか?」

 朱里が葉雄への注視をそらすため、声をかけた。

「い〜え〜、ただの報告です〜」

 軍議の時より間延びした口調に、思わずこっちも緊張を緩めかけるが、孔明は表情を崩さず、

「伝令では無く、軍師である陸遜さんが来たというのは、余程のことなのでは?」

「挨拶も兼ねてますので〜。北郷軍との連携は私が窓口になることになりました〜」

「ああ、そうなんだ」

「はい〜、よろしくお願いします〜」

 深々と、ゆっくりした動作でお辞儀をする陸遜。

 すごいアングルで見える胸の谷間に、視線が釘付けになる。

 見える、俺にも乳が見える!

「…………」

 悲し気な雰囲気が後ろ、朱里のほうから伝わってきたので、なんとか頑張って顔を上げた。

 愛紗とかなら身の危険を感じる所なんだけど、朱里や雛里だと罪悪感で申し訳なくなるんだよな……。

 陸遜も空気のよどむのを感じたのか、少し表情を引き締めた。

「まずは先兵、東西南北包囲を狭めるために出陣いたしました」

「そうか。こちらは後備で出れば良いかな?」

「いえ、できれば主力の脇についていただきたく」

「孫策の隣?」

「はい〜」

 俺と朱里は顔を見合わせる。

 すぐに、こくり、と孔明はうなずく。

「じゃあ、その通りに」

「ありがとうございます〜」

「攻撃時は後ろにひいて軍勢を多く見せ、守りの時は参戦する、というところで良いですか?」

「攻撃はそのように願います〜、でも、守りの時は主力と共に退いてください」

「え? 不利ならとかじゃなくて?」

「はい。無条件です。先陣の動きに合わせ自然に、後退してください〜」

「…………」

 今度は少し、孔明も考えたが、やがて首を縦に振り、

「了解した、その通りにするよ」

「お願いいたします〜」

 もう一度深々と陸遜は頭を下げる。

 一度見たものでもまた見ちゃうのが男の性だよね。

 穏の乳上がいけないのだよ。

 堪能いたしました。

 かわりに、戦闘を前に、ほほを膨らませた朱里をなだめるのに力を使うことになったけど。

 

 

 襄陽城の戦い、一日目。

 孫策軍東西南北第一陣、一斉に兵を進め、包囲を狭める。

 敵の抵抗ほぼ無く、主要陸路を遮断。

 二日目。

 襄陽城東から漢水へ、劉表軍蔡瑁率いる水軍が出陣。

 甘寧含む水軍突撃部隊がこれと交戦。

 防衛線の手前で一進一退、膠着したところを公孫越ら陸上の部隊が後方を抑えに掛かり、敵方はただちに城へ引き上げる。

 北、西、南さらに囲いを狭める。

 三日目。

 西側の城門から劉磐らが出撃。

 韓当、程普がこれを迎撃し、一気に押し返す。

 包囲線さらに襄陽城に近づき、城壁をなぞるように孫策軍は布陣する。

 重囲はどこまでも濃くなり、孫呉の火旗は城壁を溶かさんと迫る。

 とはいえ――

「速攻の孫呉、の割にゆっくりしてない?」

 俺は一日数回状況の報告に来てくれている陸遜に尋ねてみた。

「包囲は完全だから、あとは長期戦なんだろうけど」

「はい〜、糧食を断ちつつ、敵の伝令をいくらか逃がし、戦況を荊州南側へ流布させています。ですが、城を落とすことに関してゆるゆるやるつもりもありません〜」

「そうなの?」

「明日と明後日が勝負になります」

「…………」

 而して、その通りとなった。

 襄陽城攻防四日目。

 ずらりと揃った攻城兵器。

 小物は、屋根を取り付けて城壁からの矢を防ぎつつ兵を輸送する戦車。

 大物は、城壁の上へと兵を送るための攻城塔、衝車。

 その他大小種々の兵器、広々とした南側と西側の平野に並び、発進した。

「第一陣! 戦車隊と共に門の位置を探れ!」

「承知っ!」

 第一陣を率いるのは西側は韓当、程普、南側は黄蓋。

 孫堅の旧臣こぞって烈火のごとく敵守備を突き崩し、城壁前に急造された護城櫓を破壊。

 その裏手に隠された大門を確認した直後、劉表軍が城壁の上、そして城壁の内、突撃用の小さな扉からぞくぞくと打出てくる。

「撃て撃てっ!! あっちの弓は届かねぇ! これなら恐かねぇだろっ!!」

 壁の上から黄祖が叫び、自身も矢をつがえ、連射する。

「ええい! 小うるさい弱弓をっ!」

 黄蓋が舌打ちし、巨大弓、多幻双弓を構え、天に向けて山なりに矢を放った。

「たっぷりと味わえっ!!」

 一度に二発放たれるその強弓は、見事、黄祖配下の兵を貫いた。

 だが、黄蓋以外の弓はほとんど城壁の上の兵に届かず、劉磐たち乱闘好きが各所で暴れ回り、孫呉第一陣の兵は徐々に勢いを削がれた。

「下がれぃっ!! ここで倒れても意味はなしっ、とっとと戻るぞ!」

 交戦一時間未満で、黄蓋が敵射程圏外へと退いた。

 それにあわせて孫策たちも下がり、南側の戦線は一気に後退した。

 西側の戦線は韓当、程普の軍がしつこく城壁にへばりつき、陽が傾いても戦いが続いた。

「おいおい、こっちはこれで終わりなのか? あっちはまだ戦ってるんだろ!?」

 後ろで見てるだけの俺は、歯がゆくなって思わず大声で陸遜に対して叫んだ。

「ご安心ください。ここからが本番です〜……ほら!」

 と、呉の陣に置かれていた荷車が前方に進出し、何かが設置された。

「あれは…………弓?」

 それは弓としか表現しようもないものだった。少なくとも、俺のボキャブラリーからは弓以外の言葉が出てこない。

 しかし、ただの弓であるとはとても言えない。

 それは通常人が手で扱う弓の数倍はあろうかという弓で、横たえて木製の土台の上にセットされていた。

「攻城用大型弩、とでも言うんでしょうね〜。一里の半分ぐらい(約250m〜)は簡単に飛んじゃいますよ〜!」

 穏は楽しそうだった。

「あ、あれを人に向けて撃つのか!?」

 考えるだに恐ろしい。

「い〜え〜、狙いは違いますよ〜、もしかしたら当たっちゃうかもですけど〜」

 そうこういっている間に準備が整ったようだった。

 十人を超える人数で弦を巻き上げ矢をとりつけ、射角を調整し、合図を待つ。

 雪蓮がいつの間にか前方に出てきて馬上で指揮を執っていた。

「床弩全門、準備完了しました!!」

 戦場を風のように駆け、周泰が報告した。

「明命! 前方に友軍はいないわね!?」

「はい! 視界良好です!!」

「ならば良し!!」

 スラッ、と気味の良い音を立て、南海覇王を抜刀し、構える。

 そして、ぴたりと襄陽城へと剣先を定め、

「放てええええ!!!」

 槌で弦の固定具を叩くと、ためにためたパワーが解放され、槍のごとき大矢が次々と蒼穹へと飛翔した。

 空を一瞬で貫き、目標に牙を剥く。

 着弾。

 轟音。

 ある一矢は城壁を穿ち、ある一矢は高楼を貫通し、ある一矢は大門に突き刺さった。

 巨大な破壊力は城壁を揺るがし、戦場を一変させた。

「全軍突撃せいっ!!」

 雌伏していた黄蓋が、呆然と後ろの城壁に突き刺さった大矢を見ていた劉磐の部隊に襲いかかった。

「反則的だっ……クソっ」

 劉磐は先頭に立っていたため黄蓋の攻撃を正面から受けることになった。

「戦に常道も反則もあるもんかいっ! 学びが足りんな孺子!!」

 至近距離で速射される黄蓋の弓で、劉磐の身体に傷が走る。

「つっううう……!! くっ、耳が痛いな! 年の功からの苦言はっ!」

「誰がオバサンじゃ誰がっ!!」

 怒髪天を衝き、劉磐に集中射撃。

 一射二矢、二射四矢、三射六矢と重ね、甲を穿ち服を裂き肌を切る。

「うわっ! いたっ、マジで痛いっ!」

 悲鳴を上げながら劉磐は今朝もこんな事あった気がするな、と心の中で苦笑した。

「図星を突かれたからってムキになるなっ!」

「ええいっ、まだ言うか!!」

 劉磐を中心に時計回りに距離をとりつつ、猛射する。

 矢が甲冑に突き立ち、大きな傷こそないものの、劉磐の動きが鈍る。

「姉御ぉおお!」

 立ち尽くしていた劉磐の手下達が駆け寄ってくるが、劉磐はそれを振り払い、

「固まるなっ……! 狙い撃たれるぞ!」

 その言葉通り、黄蓋の矢が兵数人をまとめて撃ち倒した。

「ふぅっ……! はっ!」

 地に伏せ、弾幕をやりすごした劉磐が、ぞろりと這うように近づき、錘を片手で横になぎ払う。

「おっと……っ!!」

 次の矢を構えかけていた黄蓋が、横っ飛びで豪撃を回避する。

 加えて数歩飛びすさり、安全圏へ。

「なかなかの速さっ……ぬっ!?」

 さらなる殺気を感じて、黄蓋は身体をそらした。

 拳大の石が、黄蓋の脇腹の近くを通過した。当たれば骨を砕きかねない一発だった。

「ちぇっ」

 錘を持つ手と逆の手に持っていた石を宙に放り、それを錘で打ち放った劉磐が口を尖らせた。

「味なことを……!」

 不意の飛び道具に冷や汗一滴額に浮かべ、黄蓋は劉磐と相対する。

 ぺろ、と舌で唇をなめ、本格的な獲物を前に、黄蓋は喉を鳴らす。

 さっきまでは、雑魚の一掃が目的だった。

 だが、今は、

「孫呉の宿将、黄蓋。貴様は?」

 戦場まっただ中の誰何に、ぐっ、と滑り止めつきの手袋をはめなおし、劉磐が名乗りをあげる。

「劉表軍、黄祖軍団副将、劉磐! ヨロシク!」

 挨拶が終わると同時に、石を数個上に放ち、黄蓋を狙って釣瓶打ちにした。

 足元へ真っ直ぐ迫ってくる飛球を、黄蓋は大地を蹴って蛇行しつつ後方へ下がり避ける。

 球が尽きかけているのを視界の端で捉え、足を動かしつつ矢を取り出す。

 距離は離れたが、まだ長弓の射程圏内。

 反撃の隙を窺わんと、膝を軽く曲げて次の球を待ち構え――

「そしてさらばっ!」

 いきなり劉磐は逃げ出した。

「………………は?」

 脱兎のごとく劉磐は逃走した。

 全力で逃げる劉磐の背中を咄嗟に弓で狙う事ができず、黄蓋はそれを見送ってしまった。

 さらに、黄蓋が気づいたときには、劉磐以外の劉表兵たちも消えていた。

「…………やられたあああっ!!」

 黄蓋は地団駄を踏んだ。

 とはいえ。

 戦況は完全に孫呉有利となっていた。

 城外へ出て戦っていた劉表軍はすべて城へと取って返し、城壁の上で戦っていた兵は巨大弓の一撃を恐れてその士気を大きく落としていた。

 そこへ孫策軍のもう一つの巨大攻城兵器、移動式の高楼、衝車が到着して、城壁の戦闘部隊は総崩れとなった。

 幸い、水堀がある上に衝車の高さが襄陽城の城壁の高さに足りなかったため、乗り越えられはしなかったものの、劉表軍は城壁からの射撃という優位を失い防戦一方、真の意味で籠城状態に追いやられた。

 劉表軍は城壁内からの突撃用にと作られていた小さな門を、内側から岩を置いて封鎖し、呉軍の突入だけは防ぎきり、その日一日を終えた。

「今日一日で、城壁の外は完全制圧か」

 と俺は思った。

 きっと劉表軍も、孫呉を除く他の軍もそう思っただろう。

 しかし。

 今日という一日は、その戦いは、まだ終わってはいなかった。

 

 

 暗闇の帳おりた深夜。

 昼には激戦の悲鳴怒号が交錯した襄陽城も、静寂に沈んでいる。

 城壁には篝火がたかれて周囲を照らし、劉表軍の兵が城外を見張っている。

 だが、光の届かぬ陰は濃く、人影を隠し、人の目線を拒む。

 影の正体は孫呉の密偵、周泰。

 長い黒髪を影に溶かし、小麦色の肌をかすかな鬼火のごとく揺らめかせ、するすると夜に馳せる。

 襄陽城南城壁。

 昼に何十発と撃たれた巨大弓の矢が突き刺さり、ハリネズミのようになった版築城壁。

「…………」

 周泰は陰から陰へと縫うように進み、城壁の真下へ。

 そして、ポツンと一発だけ地面近くの見当外れのところに突き刺さった巨大矢に足をかけた。

 太い矢の足場は、周泰の軽い体重を支えてみせた。

 そして、矢から矢へ、周泰は飛び移る。

 上へ。上へ。

 足が届かないときは手を伸ばし、くるりと回転して身体を乗せる。

 やがて、壁の上端へ手をかけ、気配を感知するため耳で確認した後、壁上へと滑り込む。

 本来なら光が満ちているであろう壁上だが、そこだけは暗く、見張りの兵もいなかった。

 昼間、大矢が貫通して崩落した高楼がそこにはあって、照明も人も配置されなかったのだ。

 陰へ、陰へ。

 そして、光を浴びないまま、周泰は襄陽城内へと侵入することに成功した。

 影は誰にも気づかれないまま戦いを挑み、誰にも気づかれないまま勝利を得た。

 

 

「以上が城内の内情です」

 周泰が言上を終え、腰を下ろす。

「なんと…………一夜のうちに敵城を裸にするとは……」

 襄陽城攻防五日目、朝早く孫呉の本陣に集められた諸将は驚愕した。

 俺も同じく、驚き入って、明命を見た。

 彼女は俺の視線に気づき、えへへ、とほほえみ返してきた。

 皆々驚きの中にあり、ただ一人、孔明だけが目を細め、なるほど、とつぶやいた。

「しかし……襄陽城をここまで厚くしているとは」

「城壁は高大なものだけで三重、城楼数十……兵の概数二万五千、か」

「これは、大当たりかもわからぬな」

 本陣に忍び笑いが漏れた。

「劉表が城にこもってる可能性が高い、と」

「ここを落とせば荊州以南すべて治まる」

「大勝利ね」

 にやにや、いやらしい笑みが軍営に満ちる。

 多くの者が勝利の確信と、成果の予感を胸にして、五日目の戦いが始まった。

 

 最初、城壁を隔ててにらみ合っていた両軍。

 孫呉は決め手に欠け、劉表軍は反撃する士気と策に欠け、それで一日は過ぎると思われた。

 事態が動いたのは昼頃。

 封鎖されていたはずの突門から孫策軍の工作隊が潜入。各所で火計を仕掛けた。

「なんだ何かあったのか!?」

 城壁の上であたふたと黄祖が城下の様子を望見し、異変を察知する。

「煙……、炊煙じゃない! か、火事だ火事だ! お前ら火を……!?」

 手下に命じて火消しに走ろうとして、黄祖は顔をしかめた。

「なん……か、きな臭いぞ」

 火がついているからではない。

 上から見ると分かるのだが、兵や城下の民草の中に、動きの違う者が混じっているのだ。

 言ってみれば、川の水の流れをさかのぼる魚。

 それがちょこちょこと、城の中に数人見受けられる。

「…………、……、ちっ」

 かりっ、と爪をかみ、黄祖はよく見知った手勢のみを連れ、軍事施設などを囲っている第二壁へとまわった。

「どこへいくんです? お頭?」

 劉磐が尋ねる。

「城の外だ!」

「え……ああ、もう出るんですか? まだ敵を引きつけるんじゃ?」

「もう入り込んできてる!」

「へぇ〜? いつの間に」

 口笛を吹く劉磐。

「調子乗ってるやつらを後ろから引っぱたく。ただ、あっちまわりは時間が掛かるからな。走るぞ!」

「了解でっす!!」

 少女達は城の奥へと走る。

 背後で叫声と烽火上がる中を。

 

「南正門が開きました!!」

 周泰からの伝令が飛んできた。

「祭! 突入して西門へ!」

「心得た!」

 ついに、城の一番大きな門が開いた。

「俺たちもいこうか?」

「いえ〜本陣近くに兵が少なくなるので〜、もう少しここにいて下さい〜」

「そっか」

 城壁から結構離れた本陣、戦場を大きく見れる位置で、俺たちは留守番。

 そこから十分刻みで、重大な吉報が次々に届いた。

「西正門開門!! 程普将軍が北門へ向かいました!!」

「食料庫占領!」

「水堀から漢水へ接続する水路を確保しました!!」

 壁上のほとんどを制圧し、上からの攻撃を受ける危険が無くなったと判断して、孫策は本陣の移動を指示した。

「門突破後も気が抜けませんね。城内に潜んでる兵に囲まれる恐れもありますし」

「うん。孫策の本陣から離れないようにしよう」

 北郷軍も孫呉に続いた。

 壁の内側に陣を張り直し、俺と孫策、朱里、陸遜といった面々は高楼へと登り、城壁内を目で確かめる。

「……ここからがさらなる山場となるかしら」

 目の前の光景を一見して、孫策が言う。

「第二壁の高さと構造、高楼の配置、内堀の流れ……なるほど、劉表は内を徹底的に厚くする性格のようですね」

 と、孔明。

 言われてみると、直線的でわかりやすい、城を真四角に囲うだけの第一壁に対して、第二壁は複雑怪奇、ぐねぐねとうねる蛇のような壁が侵入者を拒んでいた。

「ですが、ここまでくれば敵の敗勢は明らか……今まで通り兵糧の流入は防ぎ、状況を南側に知らせる敵の伝令は逃す方向で行けば……」

 陸遜が言葉を濁す。

 本来の目的、孫権たちの救出まであと少し……で、あって欲しいという希望を、穏は飲み込んでいるんだろう。

 口に出したら、その分、希望が軽くなって薄れてしまう気がして。

「今日は第一壁内の完全制圧をもって終わり。捕虜は小舟に乗せて、第二壁の内側へ、水堀を通して返してあげなさい」

「了解しました〜…………?」

 前線への指示を飛ばしに、陸遜が場を離れ……、戻ってきた。

「喧嘩でしょうか? 騒ぎが起きてるみたいです〜」

「劉表軍じゃ無くて?」

「周辺にいた兵は一掃しているはず……」

「工作時の火は消してあるわよね?」

「はい、元々煙りさえ上げれば良いだけのものですから」

 不穏な空気が流れ、その空気に誰かの喚声が乗る。

「…………明命! 騒ぎの原因を探って!」

「はっ!」

 傍らで命令を待っていた明命がすぐさま飛んでいく。

 騒めきは徐々に近づいてくるように感じられて、俺はごくりとつばを飲み込んだ。

「孫策を中心に、防御陣形を……」

 朱里に耳打ちで伝える。

 了解して孔明は北郷軍をぐるりと配置させた。

 騒音はついに、俺たちの視界へと入ってきていた。

「どけどけー!! 邪魔だおらぁあ!!」

「劉備軍の伝令でーす、通してねー、ふふふっ」

 劉旗を持った数人が、孫策軍の陣の真ん中を裂いて、傍若無人な行進をしていた。

「…………なにあれ?」

 孫策があっけにとられた顔をして訊いた。

「…………なんだろ?」

 俺は朱里の方を見た。

「敵です!」

 孔明の結論は早かった。

 劉備軍を名乗る敵は、どんどんと近づき、そして、その先頭を行く金髪の少女と、目が合いそうな位置まで来た。

 こちらが本陣と見切ったのか、凄惨な笑みを浮かべて、敵は足を速めた。

「マズ……!」

 焦る俺を尻目に、

「我が脚下に侍る兵士達に告げる!! 全員、任務を一時停止!! その場にしゃがみなさい!!」

 雪蓮が剣を一降りし、眼下でそれぞれの仕事をこなしている兵に命ずる。

 兵士達は日頃聞き慣れた声の、刺し貫くような主命に、足をぴたりと止め、ただちに膝を折ってしゃがみこんだ。

 意を察した朱里が、北郷軍にも同じ内容の下知を飛ばした。

「今より立ち上がった者は敵と心得よ!! 弩兵!!」

 壁際に、ずらっと弩持ちの射兵が並んだ。

「っ、やべっ……!」

「おっ、とっ……!」

 金髪の少女と、その背中を追う銀髪の女性が、思いっきり減速して腰を折るが、反応が鈍い雑兵は棒立ちでいる。

「やれっ!!」

 それを狙い撃つ。

 自称劉備軍の敵兵が撃ち倒される。

「あの金髪の子と、銀髪の子も敵だ!!」

 刀で敵を示す。

「バレたー!! てめぇら! もういいから暴れまくれ!!」

 金髪の娘は劉備軍の甲冑を投げ捨て、小ぶりの剣を抜いた。

 甲冑の下に押し込められた豊かな胸が揺れ、真っ黒な戦闘服の袖に『黄』の一字。

「もしかしてあれが黄祖……?」

 黄祖の部隊は数にして三百以下。

 しかし、各所に散らばっているようで、かなり厄介であるように思えた。

 実際、孫呉も俺たちも数の有利だけでは押し切れず、黄祖軍のさらなる接近を許してしまった。

 この前の戦いでもそうだったが、黄祖の兵は個々人のスタンドプレーが激しく、軍全体の狙いが見えにくい。

 そのせいなのか、短い時間ではあるが、こちらが不利な方向へと戦局がぶれる。

「……!?」

 気づいたときには、周りの兵が全員攻めに偏っていて、孫策の護衛が一人もいなかった。

 ぞっ、と肌に鳥肌が立ち、次の瞬間駆けだしていた。

 

「孫策はどこだー!! あ、あれ! あの時の野郎っ! 今度こそっ!」

 視力が人一倍良い黄祖は、戦場全体をざっと見渡して、倒すべき存在を捉えた。

 黄祖は孫呉の兵から奪った弓に、携帯してきた手矢に棒を差して、つがえ、壁の上を狙って構える。

 

「うっ……!」

 頬に焼かれたような痛みと、殴られたような衝撃を感じて、がくっ、と膝がくずおれ、転びそうになる。

「一刀っ!?」

 孫策が異変を見て取って駆け寄ってくる。

「駄目だっ……こっちに来ちゃ……!」

 体勢を立て直し、手振りで救援を拒絶する。

 それでも孫策は俺に手をのばす。

 咄嗟に俺はその手を引き、引っ張り、雪蓮を俺の体の下、床に引きずり倒した。

「わっ!?」

 予想外だったのだろう、雪蓮はどこか可愛らしい、黄色い声で驚き、

「な、なになに……っ!?」

 俺の腕の中に収まった。

 しかし、その身体の柔らかさをじっくり味わう余裕は無く、来るであろう一発を待ち――

「…………?」

 なかなかそれが来ない。

 おそるおそる体を雪蓮から少し離し、彼女の体を横たえたまま、城壁の縁から内側をのぞき見ると、

 ちょうどその時、

 

 チリン、

 と、鈴の音。

 

「――鈴の音は、黄泉路へいざなう道標と知れ――!」

 戦場の急所、喉頸を一閃する刎頸の一撃。

 少女は人の波を意に介さず、的確に、敵兵のみを刈り取っていった。

「のわっ!」

「うわっと……!」

 勘と運の良い二人の将はその烈風のごとき勢いに足止めされるにとどまったが、他の多くは命ごと吹き飛ばされていった。

 そして風は、瞬時に俺たちのそばまで到達し、

「雪蓮様……! 遅れて申し訳ありま……!?」

 思春の目には雪蓮を組み敷いている俺の姿。

「あ」

 マズイところを見られて俺の身の危険が危ない!(混乱中)

「貴様……!」

「誤解だっ」

 ばっ、と雪蓮の上からどいて、後ずさる。

「何が誤解なのか詳しく聞いてやる」

 幅広の曲刀、鈴音を逆手に構え、甘寧が歩み寄ってくる。

「そ、それ絶対拷問する気だろ!」

「大人しく喋るならそれほど痛い思いはしない」

「それほどって言った! 痛いんじゃ無いか!!」

「一軍の大将なら我慢できる程度だ」

「無理無理無理!!」

 逃げ場を塞ぐように接近してくる甘寧に、追い詰められる俺。

「えっと…………思春? 多分、北郷に悪気はないと思うわよ?」

 立ち上がり、衣服の乱れを直し、埃を払って、部下の背中に言う雪蓮。

「そうなのですか雪蓮様?」

 その言葉に、やっと止まる思春。

「多分ね?」

「なんで自信なさげなんだよ〜!?」

 焦る俺。

「押し倒し……じゃなかった、引き倒されたのは事実だしー」

「ほう……」

 再び、眼光鋭く俺を見る甘寧。

「ま、今の敵は他にいるから、そっちに回ってくれる?」

「……承知しました」

 主命絶対厳守の甘寧にしては珍しく少し逡巡したものの、うなずき、もう一度城下の黄祖兵を狩りに向かった。

「血が出てるわよ」

 と、雪蓮が自分の頬を指さし言う。

「あ、うん。どうなのかな? 自分じゃ見えないんだけど」

 じんじんと痛む傷。

 頬をぬぐうと熱い血が手を濡らす。

「傷を見せて」

 雪蓮が俺のあごを指で支え、上を向かせる。

「ん……そんなに深くは無いか……血を止めないとね」

 と、袖口から手巾(ハンカチ)を取り出し、傷口に当てる。

「しばらくこれで、と」

 ハンカチを押さえたまま動きを止める雪蓮。

 当然ながら、その状態だと顔と顔が近くなる。

 戦いの最中であっても手が届くほど近ければ、どうしても意識してしまう。

 凜々しい美貌。長いまつげと、蒼い瞳。すっ、と筋の通った鼻梁。

 一文字に結んだ唇。いつも楽しげに、冗談や軽口を飛ばしているせいか、閉じている今の状態は、どこか艶を感じる。

 俺は、雪蓮を抱きしめて……その先の色々までやってしまいそうな衝動に駆られた。

 俺は手を伸ばし――

「ご主人様〜!」

「孫策様〜!」

 左右からそれぞれの軍師がやってきた。

「な、なにかあったんですか!?」

 孫策が俺の手当をしているのを見て、孔明がはわわと顔を青ざめさせた。

「流れ矢が掠っただけよ」

 孫策が俺から距離をとる。

 同時に朱里が寄ってきて雪蓮に代わり俺の傷口を診る。

「申し訳ありませんご主人様……またお一人にしてしまって……」

 朱里は顔を伏せる。

「いやいや、その分働いてくれていたんだろ?」

 帽子の上から頭をなでる。

「はい……伯長以下に指示し擬装した敵兵のあぶり出しを終えました。あとは時間の問題です」

「そっか。良かった……にしても、どこから潜入してきたんだろうね?」

 城内、第一壁から第二壁の間は、孫呉の兵がほぼ隙間無く詰めている。

「秘密の抜け道があるのかもしれません」

「今敵を泳がせて追跡してます〜」

 と、陸遜。

 流血がおさまってきた頃に、孫呉の諜報員が帰ってきた。

「…………包囲陣は今まで通り。親衛隊の三千、甘寧の千で討つ」

 孫策はそう指示して、麾下の兵を集結させた。

「どこから敵が湧いてきたんだ?」

 と、孫策に尋ねる。

 孫策は無言で、城の外を睨んだ。

「え? 外からの援軍?」

 俺は、あ、と声を上げた。

「じゃあ、南からの援軍が到着したってこと…………って、違うか」

 自分で言って自分で否定した。

「そうですね。敵将は、黄祖、劉磐の二名が確認できました」

 前日まで戦っていた相手だ。

「んんん? でも、それじゃあ、どうやって外から来たんだ?」

「第一壁突破のどさくさにまぎれて外に出たんでしょうか……?」

「いえ……」

 と陸遜が首をふるふると振った。

「出入りは甘寧ちゃん、周泰ちゃんの特殊部隊が監視していました」

「じゃあ…………」

 どうやって? と考えるが、予測がつかない。

「外への抜け道……、地下でしょうか?」

 朱里が答えを出す。

 こく、と陸遜がうなずく。

「ここから南方約10里の山中に敵が逃げ込んでいるようです」

「10里!? そんな遠くから地下道が!?」

「おそらく、緊急時の脱出路なのでしょう。同時に多くの人数は通れないかと」

「んー……じゃあ、今からそれを追って……あ、逆用して城の中に侵入する?」

 思いつきで提案してみるが、

「危険すぎです。敵の真ん中に飛び込みます」

 と、にべも無く却下される。

「でも、地下道の出入り口は塞ぎに行かないとね」

 孫策が冷たい声色で言う。

 それで、一つの予感がした。

「……自分で行く気?」

 訊いてみるが半ば確信していた。

「ええ」

 やはり孫策は首肯した。

「なぜ大将が行くんです?」

 今度は孔明が尋ねる。

 その声に、怒気をはらんでいる気がした。

「包囲陣が〜……」

 と陸遜が説明にはいろうとしたのを、

「わかっています」

 朱里が遮った。

「東西南北の包囲を担当している各将軍を動かすのは難しい。ただでさえ第一城壁を突破したばかりで制圧作業中ですから。だからこそ、先ほどの敵の奇襲も、ここまで容易に本陣に迫れたという事もあるでしょうし」

 孔明の口調は静かだが、その弁舌の速度、熱の上昇は、尋常じゃ無かった。

 俺は止めた方が良いのかどうなのか、というかなんで朱里が怒っているのかわからなくて、はわわ、という感じだった。

「一番自由がきくのは本陣に伴う親衛隊であると。私にも分かります」

 そこで孔明は言葉を切った。

 背中を見せて黙っていた孫策が、くるりと振り返る。

「何が言いたいの諸葛亮」

 特に表情も口調も厳しくはないのに、孫策は朱里と同じぐらい不機嫌になっているように見えた。

 な、なんで二人してこんなに怒ってるんだ?

 俺は希代の英雄と軍師に挟まれ、縮こまる。

「……総大将を失えば、軍は瓦解します」

「……そうね」

「それは孫呉であっても、変わらないでしょう」

「あなどるな。と、言いたいところだけど……間違いともいえないか……で」

 孫策は片眉を少し上げる。

「そうなれば、北郷軍も無事では済まない。だから、自重しろってことかしら?」

「…………」

 ぐっ、と自分の服の裾を握る朱里。

 小覇王の覇気への恐れからくる反応ではない。

 憤怒。それを爆発させないための、最小限の発憤。

「純粋な……心配から来る進言と、受け止めてくれませんか」

「…………それは、誰からの?」

「……わた…………いえ、我が軍の主、北郷一刀様からの、です」

 朱里のその言葉に、今度は孫策が憤りを表した。

 朱里の時より怒りの色は分かりやすく、表情の険しさを増して、それを表した。

「この、孫伯符が、劉表の兵に討たれるのを心配する、か」

 首を巡らし、孫策は俺を見る。

「い、いや、万が一ってのもあるしさ……?」

「その万が一をひくぐらい、私は間抜けだと?」

「そういうことじゃないですっ……!」

 朱里がついに声を荒げるが、孫策は歯牙にもかけず、

「時間ね。甘寧を先行させて。本陣親衛隊は敵に察知されないように、四方の門から兵站部隊と交代で城外へ」

 と、城下へと降りていく。

「…………っ!」

 唇をかむ朱里。

「り、陸遜……! 俺たちも一緒に行って良いか!?」

 まだ残っている穏に尋ねる。

「い〜え〜、こちらからお願いします〜」

 ぺこっ、と彼女は頭を下げる。

「なんだか孫策様、頭に血が上っているようなので〜」

「そうみたいだな。あ、それと公孫賛軍も一緒に!」

「了解です〜」

 即諾して、陸遜は移動指示を始める。

「朱里っ、俺たちも……!」

 先ほどまで誰かに桃香を貶された時のごとく静かな怒りをみせていた軍師は、

「そこまで…………孫策さんが心配ですか……」

 何事か呟きながらも、

「…………わかりました」

 不承不承、了解した。

「孫策さんが狙われるとわかっていれば、対策できますし」

「うん。お願いするよ……その、わがまま言ってごめんね?」

「いえ…………それは、私もですから」

 俺たちも城内の敵掃討を終えた部隊をまとめて孫策の親衛隊を追う。

「李典さんから預かったものと……盾と……、あ、公孫越さんに助勢のお願いを」

 孔明の指示に耳を傾けつつ、ぴりぴりと痛む頬の傷を押さえる。

 痛みが、悪夢の実現が近いことを示すように、だんだんときつくなってくる。

「気のせいだよな?」

 生傷の熱に反する悪寒を振り払う。

 血はもう流れていないのに、視界の片隅が赤い。

 夕暮れが、近かった。

 

-2ページ-

 

「北郷軍と公孫賛軍は左右両翼に展開し、こちらの脇を固めています〜」

「そう」

 孫策は特に文句を言うわけでもなく、追認した。

「あの〜……北郷軍は劉表や黄祖とつながりがあるわけではない、と判断したのでは〜?」

「そうよ。というか、味方に撃たれる馬鹿はいないでしょ」

「そうですね〜……ええと、それならなんで御機嫌斜め?」

 孫策はその問いに対し、口ごもった。

「あいつ……」

 と、憎たらしげに言う。

「私を守ろうとしてるのよね」

「でしょうね〜〜、それ以外は考えにくいです〜」

「で、それが原因か、怪我までして」

「あ〜、そういう傷なんですか?」

「多分ね?」

 今度は本当に自信なさげな口ぶり。

「…………でも、本当に私を守るために動いていて、それで傷ついたなら……大馬鹿よ」

 名状しがたい複雑な表情で、雪蓮は吐き捨てた。

「……そこまでして……私を守る理由は、なんだと思う?」

「軍師としてはわかりかねます」

「そうよね……そもそも、今回の遠征を自ら率いてきたのも理解できないんだから」

「でも〜」

「なに?」

「短い期間ながら北郷さんという人と接してきた限りで判断すれば、わかる気がします」

「……どういう理由だと思うの?」

「それはさっき孔明ちゃんが言ったとおり……いえ〜、その根本からいえば、もっと単純でしょうか〜」

 と、あごに手をやり考える。

 そして適切な言葉を思いついたのか、ぱっと顔を明るくして、

「雪蓮様のこと好きなんですよ〜、北郷さんは〜」

 至極、シンプルな理由だった。

「………………」

 だからこそ、雪蓮は否定も肯定もできず、言えず、黙り込んだ。

「どうします〜? 北郷さん、お側に呼びましょうか〜、隣にいた方がお互い守りやすいですし〜」

「や、やめて、やめなさい……!」

 雪蓮は慌てて止めた。

「……その必要はないわ」

「そういうと思いました〜、では、代わりにこれをお受け取り下さい〜」

 と、陸遜はその胸の谷間から、一通の手紙を抜き出して渡した。

「どこから出してるのよ……、誰からかしら?」

「孔明ちゃんです〜、それと、こっちも孔明ちゃんからですよ〜」

 そう言って、陸遜が合図をすると、馬に乗せられた何かが、孫策の隣に引っ張られてきた。

「なにこれ?」

 馬の鞍にくくりつけられ、布がかぶさっていて、正体はわからなかった。

 大きさはちょうど人と同じぐらいの大きさで、なにやら装飾が布の外へはみ出ている。

「進物? 戦場で?」

「手紙を御覧下さぁい〜」

 うふふ、と口に手をやって笑う穏。

 孫策は手紙の封を切り、文面に目を走らせた。

「………………なるほど」

 読み終わり、孫策は手紙を陸遜に返した。

「良い子ね、諸葛孔明。悪いことしたわ」

「ですね〜……雪蓮様は守られることに慣れていらっしゃらないから〜」

「…………ま、ね」

 ポリポリと頬を掻く孫策。

 今まで生きてきた中で守るべき対象は多かった。特に孫呉の主となってからは。

 また敵する者も多かった。

 敵ではなくとも、いずれ敵になるかも知れない相手に、心を許すことは無いし、まして守られてそれで良しとするなんて……それで、嬉しいなんて思うわけ、無かった。

「で、どうします〜?」

 困惑顔の主に問う陸遜。

「そうね……提案を受け入れるわ。ただちに偽装と配置を。それと、公孫越にもこちらから使者を」

「はい〜すでに準備してあります〜」

 と、手際よく、命令を実行する。

「にしても……」

 孫策は件のブツの布をとり、しげしげと眺め回し、

「よくできてるわね〜? 中身は、それなりって感じだけど、化粧とか外側の装飾は良い感じ。さすが孔明ね」

「あらあら〜? 雪蓮さまぁ? 手紙ちゃんと読んでませんね〜?」

 陸遜がもう一度手紙を開き、

「ここに小っちゃい字で書いてありますよ〜? 中身は魏の李典ちゃん、で、外見の調整は北郷さんがやったって」

「!?」

 孫策が目を見開いた。

 そして、ブツを抱えて細かくチェックした。

「え!? こ、ここまで見てたの!? 見えてたの!?」

「よっぽど雪蓮様が好きなんですね〜」

 そういってまた笑う陸遜。

 雪蓮は顔を真っ赤にして、

「っ、くっ、確かにあいつの前で無防備な時はあったけど、そんなしっかり見られてたなんて…………」

 自分の体を抱く雪蓮。

「別に見られていても気にしないからいつもはしたない感じでいたんじゃないんですか〜?」

「穏に言われたくないけど……だって、その、す、好きとかならその……違うじゃない」

 居心地悪げに、もじっとする雪蓮。

「あらあら〜何が違うんでしょうね〜うふふふ」

 楽しそうにからかう陸遜。

 夕焼けのような頬の赤みは、戦場が近くなるまでひかなかった。

 

 

 

 襄陽南方10里、嶮山。

 血と汗の臭い。

 それらをぬぐい取る暇も無く、戦士……いや、荒くれ者たちは再び戦闘の準備を始めていた。

 孫策軍が八千近くの兵をこちらに差し向けてきたのだ。

 対してこちらは二千もいかない。

 絶望的状況。

 しかし、彼らのなかに暗い顔はなかった。

 生存本能に優れ、でたとこ任せで自由に戦う彼らは、戦い、逃げ、また戦うのが日常なので、今回もどうにかなるさと楽観していた。

 なにせ、先ほどの戦いでも敵の城中虎口に飛び込み、苦境に陥るも、脱出に成功しているのだ。

 だから彼らはヘラヘラ笑い、なかには酒を飲んでいる奴もいる。

「…………」

 だが、軍のトップ、黄祖は静かに、武器を並べてそれを前に胡座をかき、黙考していた。

「何をお考えで?」

 劉表軍、黄祖軍団副将、劉磐が尋ねる。

「どれを使えば孫策を討ち取れるか、だ」

「ふむ」

 劉磐も一緒に考えてみる。

「まず、近接兵器……は、使えないというか使いたくねぇ……」

 剣、槍、棒、矛が除外される。

「恐いですもんね」

「うるせ……といってただの長距離兵器は……」

 並ぶのは大小様々な弓矢。

「弩はどうです?」

「敵の速さを考えると得策じゃねぇな。連射しづらいのが微妙」

「では、やはり長弓で狙撃を。さっきの奇襲でも、うまくいったのでしょう」

「この前と同じだ。当たりはした」

「ああ……、そうか、当たっても殺せなきゃ駄目ですねぇ。あ、そういえば伯母上が助言していたアレは?」

「……一応使った」

「じゃあまた使えば良いじゃないですか」

「んー…………」

 黄祖は何事か迷い、

「いや、やっぱこっちでいこーかな」

 と、小振りの弓を取り上げた。

 その弓は、通常の弓とは異なり、弦の真ん中あたりに皮製の袋のようなものがついていて、一目、使い方が違うのだとわかる。

「お、成程。そっちも伯母上が勧めていたやつですね」

「ああ。そのうえ、使い慣れてるしな」

「ふむふむ。しかし、孫策の速さは、攻めては懐に一気に入り込み、退いては弓矢の届かぬ所まで消え失せる……。機会を逸さぬよう、両方持っていくのが良いのでは?」

「む、そうか、そうだな」

 長弓、短弓、両手に携え立ち上がる。

「今回は私も弓で行きますよ」

 劉磐もまた弓を装備し、戦闘の準備を完了する。

 山中に戦火あり。

 戦いは始まっていた。

 

 

 

 襄陽城攻防五日目……城外戦、嶮山の戦い

 

 初手、孫策軍先鋒、甘寧が山中に侵入。

 これを察知しきれなかった劉表軍は、奥深くまで入り込まれた上、襄陽城への地下通路入り口を見破られる。

 ようやく集合した黄祖軍、劉磐らがなんとか甘寧を後退させる。

 しかし、鈴の音を目印に、孫策は親衛隊を率いて山中へ進撃。

 本来、険所高所に陣取った黄祖の軍勢が優勢であったはずが、山中にて隠密行動に入った甘寧部隊にかき回され、孫策と真正面からぶつかる場所に誘導されてしまう。

「孫呉に仇なす者、今こそ討ち果たすとき!」

 白刃に夕日を映し、孫策は孔明の制止を思い出し一瞬ためらいながらも……突撃を開始した。

 孫策親衛隊三千、迎え撃つは千の黄祖兵。

「足狙え足! 外しても足止めになるからなっ!!」

 黄祖が吼え、自身も長弓を操り連射する。だが、

「小弓を恐れるな! 踏みつぶせ!!」

 孫策の前進止まらず、黄祖の陣を二つに引き裂く寸前となる。

「だぁああ、またかよ! 劉磐はあっちにまわれ! お前らは私に着いてこい!」

 引き裂かれた陣を、黄祖、劉磐がそれぞれまとめ、一方は山を登り、一方は襄陽城地下道への入り口へ。

「黄祖はどっちだ!!」

 左右の道の岐路、孫策が軍師を呼ぶ。

「おそらくは襄陽城に続く道を確保するのではないかと〜!」

 ちょっと遠くから陸遜が叫ぶ。

「山上への道は北郷軍に任せる!! 残りはこちらにまわれ!!」

 言い残すや、駆け出す孫策。

「……っ、朱里! 山上近辺から、孫策が通る道を狙撃できるところは!?」

「わかりませんが行けばわかるかと!!」

「よっし! みんな、きついだろうけど、山登りだ!」

 馬を下り、上り坂へ。

 北郷軍二千、相手はおそらく劉磐率いる兵五百。

「油断しないで下さい! 盾持ち兵前面に!」

 落石、流矢を警戒しながら、登って登って、敵兵の背中を捉える。

「山ごと打ち砕くしろがねの一撃、お館様にもご覧いただこう! 豪天砲!!」

 大砲に似た轟音を立て、厳顔自慢の兵器が放たれる。

 こちらに気づき陣形を整えようとしていた黄祖兵は、出鼻を挫かれたというか吹っ飛ばされた。

「一兵たりとて残すな! 皆殺せ!」

 葉雄が乱れた敵を次々にたたきつぶしていく。

「弓を引く兵を探し出せ! 射撃を止めろ!」

「ははっ!」

 敵を斬り、撃ち、払いのけながらさらに上へ登り、ついに、山上から下へ、撃ちかけようとしている敵兵群を見つけ出した。

「あれだ!!」

 無銘刀を振りかざす。

「っ、みつかったか!?」

 長弓を構えていた劉磐が横目で俺たちを見る。

「射線がまだ通らん……! お前ら! 戦っても役に立たないんだから降伏してこい!!」

「わっかりましたっ!!」

 劉磐麾下の兵が俺たちの方へ走り出す。

 来るっ、と身構えた俺たちの目前で、彼らは飛んだ。

「!?」

 驚きはしたが、踏み切りが早すぎる。

 あれでは俺たちに届く前に落ちる――!

 予想通り、彼らは目の前、手が届かないぐらいの位置で着地し、膝を折り、腰を折り……そのまま土下座するような姿勢になり――!

「すいませんでしたぁあああああ!!」

「俺たち降伏するっす!!」

「白旗ですうううう!!」

 降伏した。

「はぁ!?」

 吃驚する俺をよそに、

「劉備軍は捕虜に優しいって聞いてきました!!」

「優しくしてええええ!!」

「いやむしろ激しくううう!!」

「意味わかんねぇ!!」

 次々に降伏を宣言してわけわからない事を絶叫する敵に、辟易して対処に惑う。

「ご、ご主人様! 処理は、私たちに任せて、先へ!!」

 登山で体力を消耗した朱里が、息切れしながらも叫ぶ。

「わかった!」

 ほとんどの兵は降伏したようだが、奥の方に残っている敵が、明らかに狙撃ポイントを探している雰囲気をだしている。

 そして、そのうちの一人が、矢を番える。

 ドクン、と嫌な高鳴りを示す鼓動。

 疲労を忘れ全力で疾走し、無銘刀の鞘を払う。

 敵射手は弓道でいう、引き分けから会に至る。

 次に来るのは、離れ。すなわち、矢が放たれる動作――!

「だあああああああっっ!!」

 叫びと共に体を投げ出すように前傾させ、下から上に斬りつける。

「っつうう!?」

 手応えと共に、弓が両断される。

 射手、劉磐の体にこそ当たらなかったが、数本の銀髪が宙を舞った。

「!?」

 が、すでに矢は放たれた後だった。

 射手の捕縛も忘れ、俺は矢の行方を目で追う。

 赤い人影めがけて放物線を描く矢。

「雪蓮――!!」

 彼女の名を呼ぶ。

 遠く、声も届きそうにないなか、彼女は振り返った。

 そして、笑っていた。

 

 

 孫策は黄祖を追い、地下道の入り口に到着した。

 入り口の周辺は木が切り開かれた広場になっていて、地下道入り口は岩壁と大木に隠されているようだった。

「甘寧の情報通りね」

 十数名の兵と共に広場に入る孫策。

「今だあああっ」

 物陰から誰かが飛び出て、孫策を弓で撃った。

 ガイン!!

 と、高い金属音と共に、孫策に届く前に矢が弾かれる。

「ふっ!」

 そして、一瞬で孫策が間合いを詰め、その弓兵を蹴散らした。

 孫策の親衛隊に代わり、公孫越たち盾持ちの守備兵が掩護にまわっていたのだった。

「ありがと」

 孫策は矢を防いでくれた重盾兵に礼を言った。

「いえ! 守りがいがあります!」

「ふふ、そう? あなた、名前は?」

「公孫賛の従妹、公孫越と申します!」

「え……あ、そうだったの!? 失礼したわ」

 軍議で見た姿と、全身甲冑に身を鎧う今の姿が一致しなかった。

「いえいえ」

 公孫越は気にしていないようだった。

(公孫賛と同じで目立たないというか……地味というか……けっこう良い仕事はするんだけどねぇ?)

 孫策は内心で苦笑した。

「物陰にひそんでるか……」

 あらためて広場を見わたす。

 大した施設があるわけではないが、山仕事の道具や桶や椅子が積まれている物置、井戸、宿泊のための小屋など、隠れられる場所はある。

 そしてもちろん、木の上なども可能性がある。

「樹上は思春に任せる。旗を掲げて」

 後からやってきた親衛隊に命じて、孫呉の旗を立てさせる。

 葉擦れの音が響き、そこにかすかに凜と鈴の音。

「あとは……山上か?」

 木の枝に遮られて射線はほとんど通りそうにないが、万が一が通れば通る。

「万が一、か」

 一刀たちにはああいったが、可能性が零でない限り、考えてはおかなきゃならない。

 黄祖の兵は弱兵ではあるが、命知らずに突っ込む度胸、逃げ方のうまさは評価できる。その二つが合わされば、危険地帯に踏み込んで一撃必殺を狙い、敵中を突破して逃げるというちょっと前に見た戦術が成立する。

 であれば、用心すべきは安全地帯からの射撃ポイントである上よりも、前後左右であると思うが……。

「念のため隊列を変える。今から呼ぶ者を八方に!」

 広場の中央で隊形を整え、主目的である地下通路への入り口の方へ。

 ピリッ、と首筋に殺意を感じ、孫策は無言で、顔も動かさず、手の動きだけで指示を飛ばした。

「雪蓮――!!」

 聞き覚えのある男の声がした気がした。

 きっと空耳だ。だって、真名をあいつに教えてなんかいないもの。

 孫策は自分の耳と心が生み出した幻聴に、ちょっと笑いながら、振り返った。

 矢が、空を飛んでいた。

 そして、飛んでいると認識した次の刹那、ザンッ、と皮を斬る音。

 矢は命中した。

 ……頭上にはためく孫呉の旗に。

 

 

「あ、当たらなかったのかっ?」

 無傷らしい孫策を見て、劉磐が地面を叩いた。

「いや……旗に当たったみたいだぞ?」

 四つん這いになって崖の縁から下をのぞきこんで、言う。

「旗!? 牙門旗ならともかく普通の旗一枚二枚貫通するはず……!」

 劉磐が俺の横に並んで地に伏せ、指さした方向に目を向ける。

「っ、旗……じゃない! ただの旗じゃない……! 布と布の間に……竹を編んで仕込んでるのか……!?」

「幔(まん)というやつじゃな」

「あ、桔梗」

 経験豊富な女傑、厳顔には一目でそれがなにかわかったようだった。

「弓やら飛道具やらを防ぐための盾じゃな。攻城用に使うものじゃが、小型化して旗に偽装したんじゃろ」

「ほーう……攻めの孫策が守りにも頭を働かせたか」

 と、葉雄。

「…………無事なようですね」

 と、孔明。

 いつのまにか北郷軍の将・軍師全員集合していた。

「で、そっちは劉表軍の将、劉磐だな」

 葉雄が、ぐいっ、と俺を引き寄せ背中側に隠す。

「いかにも」

 劉磐はうなずく。

「とりあえず縛についてもらいましょうか」

 孔明がぐるりと兵を半円状にそろえ、脱出を封じる。

「…………ふう」

 ため息をつき、劉磐は両手を天に向けた。

「降参、です。できれば、兵は助けてやってほしいものですが」

「捕虜は適切に処します。無法な扱いはしません」

「ありがたい」

 こうして、敵将、劉磐を捕虜とした。

 

 

「危ない危ない。うまくいったわね」

 旗手を多く配置したのが功を奏した。

 こっちの策は陸遜の献策だが、隊列を変えて備えられたのは北郷と孔明のおかげだ。

 矢が飛んできた方向を再度見ると、既に制圧されたらしく、北郷の十文字旗が翻っていた。

「……よし。それじゃあ、目的の地下通路入り口を押さえるわよ。油断せず、四方に目を配りなさい」

 隊列そのまま、広場の片隅へ。

 孫策軍親衛隊三千の多くが広場の外側を固めはじめていて、壁を形成している。

 その壁が途切れた、崖近くの場所にある、地下通路入り口を包囲する。

 入り口はほとんど自然と同化していて、すぐにはそれに気づかなかった。あると知っているから、なんとか発見できたレベルだ。

 孫策は兵に指示し、岩と樹でカモフラージュされた扉を開く。

「おっと」

 扉を開くと発動する仕掛け弩を、公孫賛兵が盾で弾く。

「罠か。周到ね」

 この短時間に、よく用意したものだ。

「でも、つきあってやる義理はない。広場にある荷物や岩で埋めてやりなさい」

 一旦広場に引き返し、孫策は兵たちに作業を進めさせる。

 入り口が狭いおかげもあって、すぐに封鎖は済みそうだった。

「…………入り口に罠があったって事は、黄祖はもう城内へ逃げたか。ふん。逃げは本当にうまいじゃない」

 皮肉交じりで褒めながらも、頭を抱える。

「あ〜……こんな成果で、どんな顔して北郷に会えばいいのかしら」

 目的は果たしたし、敵の攻撃は完封した。

 それでも、自分の想像の中では黄祖なんて一息で吹き飛ばし、殺して首を取ったり、生かして土下座させたりする予定だった。

「うう〜」

 顔を赤くし、将几に座ったまま足をばたつかせる。

 カッコイイ自分を、北郷に見せたかった。

 あいつに守られる孫伯符じゃないって事を。

 むしろ私が一刀を守って――

「違う、そうじゃない!」

 ぶんぶんと頭を振った。

 あいつと私は敵じゃないけど仲間でもない。

 今は、味方なだけ。

「…………」

 わかっているのに、胸がもやっとする。

 この気持ちを、冥琳ならどう評し表現するだろう。

 音曲を聞けば、流れる音の正否を聞き分けられる彼女なら、自分の心音をどう解するだろう。

「ああ〜もう、きっとこんな変な気分になるのも冥琳がいないせいよ!」

 とりあえずこの場にいない人のせいにして、溜飲を下げ、立ち上がる。

 ちょうど良いタイミングで、伝令兵が作業の終わりを告げにきた。

 孫策は撤収を告げ、兵の引き上げを開始した。

 夕は夜に近くなっていた。その境界で明と暗は交差し、真の闇より人の目を昏ませる。

 逢魔が時。

 這い寄る敵に孫策は気づかなかった。

 ちなみに。

 本当に敵は這っていた。

 広場の隅や、外に腹ばいになって隠れていた黄祖兵たち。

 そして…………黄祖本人。

 それらが姿勢を低く、極端なものは匍匐前進で孫策軍に近づき、一矢、放った。

 それは孫策の兵を一人撃ち倒した。

「!?」

 油断していた孫策は心底驚いた。

 が、陣形まで油断していたわけではない。

 孫策を中心とした円周防御陣形は完璧だった。

 だから、驚きながらも孫策は微笑み、舌なめずりするのだった。

 

 

 黄祖は、この黄昏の奇襲が成功し難いことを理解していた。

 弓の狙撃はあの旗で防がれるのを見ていたし、接近戦ではそもそも孫策にまでたどり着けるかどうか……。

 ならば、と黄祖は決意していた。

 長弓は捨て、短弓を装備。

 そして、矢も捨てる。

 大型の弓と、矢を捨てれば、敵は自分を弓兵では無いと誤解する。

 そこが狙い目だ。

 走る。

 駆ける。

 自分の配下の兵が弓を放ち、剣戟をもって戦う広場を。

 そして、孫呉の兵が多い、密度が濃い所を嗅覚で探り当てる。

 あそこの兵の塊の中心に、孫策がいる――!

 あの位置を長距離から狙うためには、直射ではだめだ。孫策ではなく、その周りの兵に当たるだけ。当てたいなら曲射、中空に向かって放ち、直線では無く曲線を描く軌道で攻撃するしか無い。

 だがそれでは幔が命中を拒み、むなしく狙撃は失敗する。

 故に、狙うなら長距離からでは無く、中距離。

 ここでも直射では盾兵に防がれる。

 だが、曲射なら、盾兵にも幔にも当たらない軌道を描き、孫策に当たる!

 黄祖は孫策の本陣と思われる塊から少し離れ、息を潜める。

 戦場はまだ敵味方入り乱れていて、黄祖の隠密行動に気づくものはいない。夜が濃くなっているのもあって、敵か味方かわからないというのもあるだろう。

 この状態では孫策を視認するのも困難。

 だが、おおまかな位置だけでも分かればそれで良い。

 そして、その時がきた。

 孫策本陣が攻撃にさらされ、微動したとき、孫策の姿を黄祖は確認した。

 兵と兵の間にちらりと見えただけだがそれで十分。

 黄祖は短弓を背中から外した。

 弓はあっても矢は無い。捨てたから。

 が、そもそもこの弓は矢を発射するものではない。

 腰ポケットから、黄祖は石を数個取り出した。

 その石を短弓の弦、その真ん中の皮袋にセットする。

「くっ、おおおおおおお!!」

 強力が必要な弦を一息で引く。

 この弓に矢はいらない。

 必要なのは球形の弾。それを弓によって弾き飛ばし、対象を殺害する。

 主に狩猟用だが、暗殺用にも使用される。

 現代で言うパチンコ――スリングショット。

 この時代では、弾弓、と呼ばれる暗器である。

「あ、た、れぇええええええええ!!!」

 中間距離から、号叫とともに発射する。

 球形、しかし完全な球形でもない石の弾丸はコントロールが難しく、上下左右にぶれるが、黄祖は小さい頃からこのオモチャに親しんでおり、その制御は得意とするところ。

 それを証明するように、発射された弾丸は、孫策本陣を守る兵の頭上を通過し、突如下へと軌道を曲げる。

 崖の上から落下するような急激な軌道変化。

「なっ!?」

 周りを固めていた公孫賛兵、孫策親衛隊の全員が仰天する。

 飛石は落石へと変わり、孫策に襲いかかる……!

 

 ゴッッっ!!!

 

 鈍い音がした。

 そして、なにかが倒れる音。

「うわああああああ!!?」

「孫策さまっ!!?」

 悲鳴混じりの叫喚。

「やったか!?」

 黄祖は呼吸を止めて、情勢を注視する。

 やがて、兵と兵との隙間から、倒れ伏す孫策の姿が見えて、黄祖は勝利を確信した。

「ぃよっしやぁあああ!! とったあああああ!!」

 ガッツポーズと共に反転、踵を返し、逃走に入る。

 あとは山を下り、様子を見て城への帰還を謀るもよし。

 孫策撃破を土産に劉表様のところへ行くもよし。

 どっちにしても、孫策軍は支離滅裂となり、敵では無くなるはずだ。

 勝利……! 圧倒的勝利……!

 しかもそれを自分の手で……!

「うひひ……!」

 黄祖は舞い上がった。

 だから目の前に来るまでそれに気づかなかった。

 

「黄祖みっけ!」

 

 孫策があらわれた!

「へ?」

 黄祖は自分の目を疑った。

 だって、孫策は自分の後方で倒れているはず。

 なのに、目の前に孫策がいて、足があって、ちゃんと立っている。

「首をもらうわよ……!」

 そして、黄祖に飛びかかってきた。

「きゃっ……っ!」

 事態を理解すると黄祖は声にならない声を上げ、

 ガキンっ!

 短剣でぎりぎり斬撃を受け、受けきれず、吹っ飛んだ。

 ゴロゴロゴロと地面を転がる黄祖。

 立ち上がろうとする黄祖へ笑いながら迫る孫策。

「ひっ……!」

 黄祖は、涙と悲鳴を漏らし、

「ば、化けものだあああああああああああああああ!!!」

 一目散に逃げ出した。

 孫策はそれをぎりぎりまで追ったが、山を転げ落ちるように逃げる黄祖をとらえきれず、逃してしまった。

「ちっ……! 誰が化け物だってのよ」

 面白くないという風に地面に転がる石を蹴る。

 とはいえ、結果は孫呉の大勝に終わった。

 劉表軍、黄祖軍団は壊滅。

 兵のほとんどを失うか捕らえられ、副将である劉磐も捕虜となった。

 大将である黄祖は行方不明。

 これにて襄陽城攻防五日目は終わり、孫呉VS劉表の戦いは、新たなる局面へと突入することとなった。

 

 

 

「今日は助かったわ、諸葛亮」

 襄陽城の外壁、南正門の近くに作られた孫策軍本陣に、俺と孔明は招かれていた。

「あ〜、あと北郷も……その、ありがとう」

 妙に歯切れが悪いのは、嶮山に向かう前に少々口論があったからだろうか。

「いえ、結局こちらで用意していたものは役に立たなかったようで……」

「ううん、そうでもないわ。ほら……これが身代わりになってくれたみたいだから」

 と、孫策が、傍らに置いておいたものを、引っ張りおこし、膝の上にのせた。

「石をぶつけられたみたいね。胸のあたりが壊れちゃったわ」

 それは、人形だった。

 孫策を摸した人形。

「そうでしたか。李典さんにもお礼を言わなければならないですね」

「ええ。こちらで手紙を書くわ……ほんと、良くつくったものね」

 人形は遠目に見れば孫策にしか見えなかった。

「壊れちゃったのが惜しいわ」

 と、孫策は壊れた胸の部分を見る。

 服を外してやると、隆起する乳房もしっかりと作られている。

(…………あ、でも乳首は無いのね。…………そりゃそうか)

 というかあったら困る、と孫策は思う。

 孔明の手紙には色をつけたり装飾したり細かい調整を加えたのは北郷だと書いてあった。

 だから困る。

「これで黄祖の脅威は無くなったか……あとは、持久戦になるのかな?」

「そうね。襄陽城への攻めは悟られない程度だけど緩めるわ。かわりに南方への偵察を増やして……」

「失礼します、孫策様……!」

 甘寧が本陣に滑り込んできた。

 声色に焦りが感じられるのは気のせいか。

「捕虜を尋問したところ……複数の兵からこのような情報が……!」

「……なに?」

 ただならぬ気配を感じたのか、孫策は顔を険しくし、甘寧の口に耳を近づけた。

 俺と孔明は何事かと、訝しむ。

 やがて孫策は、これ以上無いぐらい怒りと苦しみで全身が満たされたような、こちらにまで心痛が伝わってくる表情で、黙り込んだ。

「どう、したんだ……?」

 俺の問いに、孫策は、小さく口を開き、声を絞り出した。

「…………劉表軍の総兵力が、私たちの想像を遙かに超えている可能性が出てきたわ」

「……どれぐらいなんです?」

 孔明の問いには、主に成り代わり甘寧が答えた。

「……十万超だ。この襄陽に二万五千。つまり、残り八万が南部に残っていることになる」

 俺たちは目を見開き、孫策と同じように、沈黙した。

 脳裏に蓮華の顔が浮かび、頬の傷の痛みを忘れるぐらい、強く強く、俺は拳を握った。

 

 

 孫呉大勝利の襄陽城攻防五日目。

 孫策軍は方針の変更と、決断を迫られていた。

 

 

-3ページ-

 

 あとがき

 

 全編戦闘の第9話でした。

 

・細かい名称表記について

 今回色々、攻城兵器などを出していますが、名前が書かれていないものもちゃんとした名前があります。たとえば屋根付きの戦車はフンオン車といいますが、漢字が出てこないので作中では名無しです。あと、周泰が今回城壁を登るための足場として利用した、巨大矢も名前がありますが、こっちも作中では名無し。

 漢字が全然出てこない、でもカタカナだと間が抜けてるという場合が多いので、これからも単発で使う兵器とかはこんな感じになると思います。

 ちなみに、孔明が使ったマキビシも正式名称があるんですが、こっちはマキビシの方が通じやすいので正式な方は使いません。

 で、作中最後の方の戦場、嶮山ですが、正式な漢字はちがいます。嶮しいという漢字を使ってますが、正しくは山のよこに見ると書く漢字なんですが、変換できませんでした……。

 

・黄祖の武器について

 黄祖が最後に孫策を狙って使った弾弓ですが、これは、孫堅の死因を参考にして、黄祖の武器として選びました。

 孫堅の死因は、弓で射殺された、と、落石で殺された、の二つ説があるのですが、じゃあ両方でいこう、ということで石の弾を放つ弓、弾弓を黄祖の武器としました。

 実際に暗器として使われたらしいのでちょうど良いかなと思います。

 

・これからについて

 予定では、第10話は第9話とまとめて一つの話として考えていました。

 なので、さすがにまた半年以上かかるということは無いと思います……思いたいです。

 どれだけ時間が掛かろうと途中でやめることは無いと思うので(それこそ物理的な要因で書けなくならない限り)あとは、頑張れるときにしっかり書いてきたいと思います。

 

 一応、また次で一区切りになります。

 

 

 

 

 

 

説明
 9話後半。
 孫策軍対劉表軍というより、孫策対黄祖な後半開始です。
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コメント
絶体絶命のピンチってやつ?(黄昏☆ハリマエ)
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