春の馨
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君が離れる瞬間

 

 

春の匂いがした。

 

 

 

だから僕は春が嫌いなんだ。

 

 

 

 

 

 

 

「紅姫、紅姫。もう朝ですよー」

 

 

 

ベッドでスヤスヤと眠り、起きる気配のまるで無い少女の肩を揺らす、色白で茶髪の色素の薄い童顔並びに女顔の青年。

 

 

紅姫と呼ばれた眠る少女はまるで人形の様に眠り続ける。

 

 

梦雅紅姫(ユメミヤ コウキ)は、家が隣で幼なじみの斑菊(マダラ キク)の家、しかも菊のベッドで熟睡していた。

 

 

 

昨日の夜、友人の柱本と来宮が来て勉強会をしていたのだが、その途中眠ってしまい、起こしても起きなかったため菊が自分のベッドに運び今に至る。

 

 

「はぁ…まぁ良いけどさぁ…。」

 

 

 

こんな事は別に珍しい訳でもない。

 

 

菊は早い段階で諦めてベッドに凭れて座った。

 

今日は幸い休みの日。

柱本と来宮は学校で補習のような事をしているはずだ。

今の点数では受験が危ういから。

 

 

その点、二人はまだ余裕があった。

紅姫は柱本、来宮と同じ高校。

菊はレベルが一つ上の高校を志望している。

 

 

 

 

「…………」

 

 

「…………」

 

 

 

 

静かに、静かに眠る紅姫。

 

 

菊しか知らない紅姫の最期が脳裡に巡る。

 

脳に刺さるような痛みが走って目を固く閉じ、膝を抱えて頭を埋めた。。

 

 

 

 

「紅姫ぃー…痛いよ…。君が進まないなんて辛いよ…遠いよ……寂しいよ…」

 

 

 

止まった彼女の時。

止まった筈の彼女の時。

進まない彼女の時。

進めない彼女の時。

 

 

 

 

『有難う、でも返事はお預けよ?』

 

 

 

 

「きっと返事は帰って来ないんだよね…」

 

 

スッ

 

 

「寒い…」

 

 

 

突然後ろからのびてきた白くか細い腕。

紅姫は半ば寝ぼけながら菊の首に抱きついた。

 

 

「毛布、もうひとつ持ってこようか…?」

 

 

 

一瞬吃驚しながらも静かに聞くと、後ろでコクンと紅姫が頷いたのでゆっくり立ち上がった。

 

紅姫はスッと外れまたベッドへ倒れた。

 

 

「菊ー、何か食べる物か飲むものも……」

 

「りょーかーい」

 

 

 

別に付き合っている訳じゃない。

でもきっと好き同士。

告白とか、付き合うとか彼氏とか彼女とか越えて、必要不可欠な存在。

 

 

 

「ごめん、イチゴミルクと飴しかなかったやー」

 

 

毛布を頭に被り、パックのイチゴミルクと容器に入った飴を持って戻ってきた菊。

 

 

「………」

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ベッドにはまた眠ってしまった紅姫。

 

 

「酷ぇ…」

 

 

 

そう呟きながらも布団と毛布をきちんと掛けてやる。

 

 

「もうっ、イチゴミルク飲んでやるんだから」

 

 

せっかく持ってきたのに、と半ば自棄でパックにストローを挿し飲み始めた。

 

 

 

「……栄養不足になっちゃうじゃんか……」

 

 

彼女が居なかった数ヶ月間。

抜け落ちたピースに皆が気づかないまま進む日々。

摂取できなくなった必要不可欠なビタミン。

 

 

 

胸の中でモヤモヤと形にならない思いがもどかしくて仕方ない。

 

 

 

 

 

「舌を差し出せ乙女や姫や。私(ワタクシ)が咬みきって差し上げませう」

 

 

 

 

いつかの会話。

 

『君の舌を咬み千切った後自分の舌も咬み千切って死ぬ。』

 

 

 

 

 

「………諸君、喝采を。喜劇は終わった」

 

 

 

 

 

ゆっくりと瞼を開いた紅姫。

暫く見つめてそう呟きながら眼前にあった菊の顔の両頬に両手を添えて更に引き寄せる。

 

 

 

「……………」

 

「……………」

 

 

 

 

イチゴミルク味の口吸い。

それが数秒後、〈鉄味〉の口吸いへと変わっていく。

 

 

「ッ……」

 

 

 

舌を重ねて互いにキツく噛み合うと、悲鳴を挙げた菊の舌ピアス。

 

 

 

痛みに眉を潜めて紅混じりの銀糸をひきながら唇を数センチ離した。

 

 

 

「舌ピは駄目でしょ…」

 

 

「栄養摂取は出来たかいワトソン君」

 

 

「こうっ…きっ…聞いてったの…?」

 

 

「馬ー鹿」

 

 

「…………」

 

 

 

挑発するようにベッ、と舌を出す紅姫。

 

未だにジンジンと痛む舌。

涙目でそんな彼女を少し睨みながらベッドに組敷いた。

 

 

 

 

 

 

「…諸君、喝采を…」

 

「喜劇は始まる。」

 

 

 

 

 

 

死を共有し、死を演じ、死を感じながら死を奏で彩る。

 

いつからか窓の外は雨。

 

 

 

 

 

 

雨の冷たさの中、春の香りを感じている。

 

 

一度忘れかけた香り。

悲しい香り。

 

 

 

また去っていくのか

また離れていくのか

 

 

感じない生気。

確かな体温。

 

 

 

それでも彼女の長い髪が揺れるたび香るのは、

 

 

 

 

大嫌いな春の香り。

 

 

 

 

説明
苺ミルクは鉄の味。

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