日出づる国 狩猟編 |
1万数千年前の氷河期には、ユーラシア大陸と北日本とは陸続きだった。
太陽の明るさと暖かさを手中にせんと欲し、朝陽なら手が届くだろうと、ひたすら東
に向けて旅を続ける人たちがいた。
陸地の東端に達した時、太陽は海のはるか遠くにあることを知り、緑あふれる大地に
定住を求める部族と、やはり太陽を手に入れるために、氷の大地へと向かう部族に別れ
た。後者の者たちは、北米や、南米のアンデス地帯で、自らの王国を築いていったので
ある。
緑の大地ではあったが、500メートルを超える高さになると、夏でも雪と氷におお
われた世界であった。
ヨシが率いるヌ族、ヨシの婿ムオが育ったイ族他いくつかの一族はそれぞれに散らば
り、定住するにふさわしい土地を求めて南下していった。
ヌ族には3匹のオオカミがいた。それらは1・2年すると繁殖可能となり、この地に
元からいた小型のオオカミと交尾を繰り返すうちに数も増え、従順な性格を有していっ
た。オオカミと区別するために、それらをイヌと呼んだ。
ヨシの5人の子供のうち、息子のムキと娘のヨシカ、ヨンは犬を訓練し、それらの持
つ能力を伸ばしていった。
ヒュッ、
ゥワンゥワンゥワン、
「ようし、いいぞ」
イヌがくわえて来たウサギを、ムキは犬の頭をなでながら受け取った。葦で作った矢
は横腹から心臓を射抜いていた。
「ムキ、ワレにも撃たせ」
「勢いよく飛ばさないと、ウサギを撃てないぞ」
「あそこにいるやつ、ここからなら大丈夫だ。イヌよ、獲物をとって来いよ」
ヨシカは弓の弦を思いっきり引き狙いを定め、そして放った。
ヒューン、
矢はウサギに当たったが、仕留めるまでには至らなかった。よろよろと逃げ出したウ
サギをイヌが追いかけ、喉元を咬みきって、ヨシカの元に届けた。
「ほら、かわいそうなことをした。一発で仕留めないと」
ムキが優しく諌めると、目に涙を浮かべたヨシカは、うん、ごめんね、と言いつつ、
そのウサギを高々と差し上げた。
「この命、ワレが受け止めようぞ」
しばらく瞑目したのち、ヨシカはムキに語りかけた。
「ヨシが、イ族が持ってきた石と毛皮を交換していた。ムオが言うには、その黒い石か
ら切れ味の素晴らしい刃が作れるらしい。((鏃|やじり))を作ってケヤキと結びつけたら、クマを
倒すのがたやすくなるって」
「そうか、今までみたいにそばに近寄らずに倒せるなんて、夢のようだな」
「だから、ワレもクマ狩りに行きたい」
「だめだ」
「イヌたちを連れてくんだろ、ワレのイヌも・・・」
「あぁ、だが足が速くないとな、手負いのクマはすごい勢いで襲って来るんだ」
「いつ、出かける」
「雪が降り出してからだな」
冬籠り前のクマはたっぷりとえさを食べ、栄養が体にゆきわたっているので脂肪分が
豊富で、多くの恵みを与えてくれる。また、雪が積もれば足跡をたどって追跡がしやす
い。煙で穴ぐらを燻して、出てきたところを倒すのだ。
槍で突いていたが、失敗すると、猛り狂ったクマはヒトを襲うようになる。
この土地には、弓矢を作る材料が豊富にあった。弓矢の改良を重ね、今では離れた位
置からでもクマを倒すことができるようになった。
黒い石(黒曜石)からは鋭い刃先を持つナイフや((鏃|やじり))を作ることができた。
ヌ族のリーダー・ヨシの後を継ぐのは娘のヨシカである。婿のムオ、息子のムキとヨ
シの母ヨウを含めた長老と呼ばれる人々、そして屈強の男たち数人を交えて邑の在り方
や狩りなどについて、ヨシの呪術の力を得て協議を重ねていく。
雪が積もれば、クマを狩りに出かける。いくつもの山を越え、山の中を駆け巡り、ク
マを追跡する。携帯したわずかのドングリの粉と、ウサギなどの小動物を狩ってその間
の食料とする。
クマは、木の根元近くに穴を掘ってひと冬のねぐらを作る。木の根の放つエネルギー
と、雪の布団に覆われたねぐらは暖かい。そしてこの間に、出産と子育てをするのである。
時々外に出て、木の皮や枯れ草の根を食べ、排泄をする。
ムオ、ムキを含めた7人の男たちは、ドングリの粉を固めて作っただんごとウサギの
干し肉を携え、4匹の犬を連れて雪の積もる山へ入って行った。
クマの毛皮をまとい、足にはキツネやウサギの毛皮で作った物を履き、足裏には木の
つるを巻きつけて、凍った斜面を上り下りした。雪が深い所では、木で作ったかんじき
様の物を足裏に付ければ沈みにくい。
そういったことを、ここ数年の経験から体得していった。
各自が背負っている草で編んだ籠の中には、葦で作った多くの矢に交じって、黒曜石
とケヤキで作った矢が1、2本あった。竹とその繊維から作った弦の弓、そして槍も持
っていた。
ウサギやキツネやライチョウには葦の矢を使う。放浪していた頃に使っていたマンモ
スの皮を天幕とした。
ゥワン、ゥワン!
イヌが何かを見つけたらしい。
クマの足跡。しかしその上には、何日も前に降った雪が積もっていた。
イヌたちは、吠えながら四散していった。
男たちは貝殻に入った香油を少し指でとり、首筋にこすりつけた。
ウサギの油脂とドングリの脂肪から作った香油はイヌの嗅覚に捉えられて、存在を知
らせる。一方、クマも嗅覚に優れているが、むしろ人のにおいを消す効果がある。
そうして、ヒトもイヌが散った方向へ四散した。
ムオが追いかけたイヌは吠えるのをやめ、ひたすら走る。どうやら、クマのにおいを
とらえたらしい。
大きく突き出た岩のそばに、不自然に盛り上がった雪があった。
ムオは周辺を調べて回った後、イヌに仲間を集める合図を送った。
冬眠中に出産し子育てをするクマを、彼らは殺さない。周辺を調べて排泄状況を確認
したのだ。ひとり者のクマは冬眠に入ると、ほとんど目覚めることはない。
仲間が集まってきた。
ふたりは、不自然に盛り上がった雪を崩していった。
ひとりは、持参した木にウサギの脂を付け、火を点ける仕事をしていた。
他の者たちは、それらの作業を見守っていた。
イヌたちは、雪の上に腹ばいになって気持ち良さそうにしている。
穴の入口が現れた。穴は斜めに走り火でかざすと、奥の方でうずくまって眠るクマを
認めた。気付かれて鉤爪で一撃を喰らうと、重傷を負う。
火を消し、煙を穴の中に送った。
4人の男たちは、弓矢を構えて待ち受けた。
イヌたちも低姿勢をとって、いつでも飛びかかれる体勢にある。
煙を送っていた3人の男たちは、入り口から遠くに離れてその様子を見守った。
あたふたと穴から顔を突き出したクマが全身を現し、そこにヒトとイヌがいるのを知
って咆えた。そして、ひとりの男目がけて突進してきた。
ムキが放った矢は、それた。
イヌたちがクマとヒトの間にすかさず入り、吠え、飛びかかる。
クマは太い腕で、1匹のイヌをなぎ払った。
キュイ〜ン。
固く締まった雪が、赤く染まった。
男たちは体勢を整え、再度弓を構える。
「来い!」
ムキがイヌを呼ぶと同時に、矢が放たれた。
なぎ払おうとしたクマの左腕と、胸と足の付け根に矢が立った。
グワオオオーッ、 と雄たけびをあげ、ドターッ、と雪を蹴散らして倒れた。
ムオが頭側から走り寄り、石刀で心の臓を突くと、向けられていた鉤爪は地に落ち、
腕の震えはしばらくして止んだ。
「イヌ、やられてしまったな、傷の具合はどうだ」
血を出して横たわるイヌを取り囲み、3匹のイヌたちがかわるがわる傷口を舐めている。
共にクマを仕留めたムキは、息を鎮めるために深呼吸をしながらゆっくりと近づき、
傷の状態をあらためた。
「横腹に傷を負ったが、歩けそうだ。ヨンのイヌだ。なんとしても連れて帰る」
雪の中に保存していた、数体のキツネやウサギを手分けして肩に担ぎ、クマの手足を
切り倒した木にくくりつけて、ふたりがかりで担いで帰ることにした。
イヌの傷口は、一晩中舐められているうちに痛みがとれたらしく、くっつき始めていた。
ヨシたち一族は、暖流の流れる海岸地帯よりも、長く生活してきたツンドラ地帯の環
境に近い、山すそを生活の場としていた。
しかし、他部族との接触が少なくなり、情報が入ってこないばかりか、人的交流も、
時々往来する物品の交換の時だけとなっていた。
ここぞとばかり彼らに、ムキの婿入り先やヨシカが迎えるべき婿の話題を振ってみる
のだが・・・。
そうするうちにやがてムキは南へ旅立ち、ヨシカやヨン、ヨヨほか数名に婿入りがあ
った。
木の根元の周囲の雪が解けて地肌が現れ、新たな芽が開きかける頃のこと。
「ハァハァハァ・・・こ、ここは・・ヌ族の・・・邑でしょうか」
邑の外から来たひとりの若者が、地面に倒れかかるかのように両手と両ひざを地に着
け、あえぎながら、人家のそばにいた人に問いかけた。イヌを2匹連れている。
「いかにも、そなたは?」
「あっ、ムキのイヌだ」
偶然通りかかったヨンが叫んだ。
「それより水を飲みなされ、ささ」
ゴクゴクゴク、ハァ――ッ。
差し出された水を飲み干し、そして若者は座ったまま、キッ、と周囲を見渡した。
周囲には、人が集まり始めていた。
「落ち着かれたか・・・では話してみよ」
「ヨシは、どちらに」
「ワレがヨシだが」
ヨシが前に進み出て、若者の前に片膝立ちでしゃがみ、彼の手をとった。
「ワレは・・・ワレはムキの使いの者です。今頃はムキたちは・・・もう生きては・・
いまい」
ナント! ヨシは、若者の手をギュッと握りしめた。
そこにいた者たちはざわめき、もっと詳しく知ろうと、若者のそばににじり寄った。
「ムウ、みなをここに集めよ」
ムキより6歳下のムウは、皆に知らせに走った。たくましい若者になっている。その
下がヨヨである。
「みな、静まれ。この若者の話を聞け。おぬしの名は?」
「ムキの弟にあたる、マキソといいます。ずっとずっと南の方角に住む部族が、多くの
邑でヒトを殺め滅ぼし、ワガ邑にも、迫って来ました。それを知ったムキは、すぐにワ
レを走らせたのです。この邑を直ちに棄てて、ずっと北の方向へ行け、と」
「よく分からぬ。ヒトが、ヒトを殺す、というのか。そ奴らはヒトを食すと、いうのか?」
―― まァ、なんと恐ろしい
―― ヒトがヒトを殺すなど事、あるのか?
―― ワレらは生き物を殺すが、その命をワレに繋げるため・・・
―― ではそ奴らはやはり、ワレらを殺して食すのか
「よくは分かりませぬ。南から逃れてきた者の話では、男は皆その場で殺され、女は奴
らの邑へ連れて行かれたそうです。奴らの住む場所を広げているのだとか」
―― そ奴らが暮らせるだけの広さでは、満足できぬのか?
―― ヒトの住まぬ、よい場所がたくさんあると、聞いていたのだがのう
「弓矢を多く所有し、黒い石をふんだんに持っています」
「そして、ここへも来るというのか」
「おそらく。ムキは少しでも時を稼ごうと、抵抗する様相でした。ここへ来るとすれば、
花が開く頃かと」
しばらく、沈黙が続いた。
瞑目していたヨシは周囲を見渡して、おもむろに口を開いた。
「分かった。みな聞け。男どもは直ちに、北の方向へ行け!」
「して、女たちは?」
「女は殺されはせぬ。男だけの足ならば、十分逃げおおせる。子供は背負って走ればよ
い。とにかく、生きるのだ!」
「ワレらは、ひとつの族ぞ」
「分かっておる。ワレらが持つ香油。これを、子々孫々にまで伝えよ。女は娘のみに伝
えるのだ、ヌ族の歴史とともに。イヌはすべて男に託す。このにおいを、イヌに覚え込
ませよ。いつかは、いつかはきっとイヌがワレらを、ワレらの子や孫を、ひとつにして
くれようぞ」
「ヨシ」
「なんだヨヨ」
「ワレの子、まだややだ。ワレがいないと育たない。一緒に、ここにいたい」
「マキソ、どう思う。」
「男であれば目の前で、ややの胸に槍を立てられるかと・・・」
「そんなァ――、やだやだ、ならワレも一緒に死ぬゥ〜〜」
「ヨヨ、猶予ならぬ、ムウにゆだねよ。みな、命を粗末にするな! さあ、準備を整え
直ちに出立ちせよ。
マキソ、礼を言う。みなと行動を共にせよ」
ヨヨはややに乳を含ませながら、むせび泣いた。
山から吹き下ろす風にはまだ冷たさが残っているが、タンポポやスミレなど、色とり
どりの花が、野原や山すそを彩っていた。
みずみずしい若葉が、一層明るさを増している。
ウサギが、草の間から顔をのぞかせていた。
キツネが、ウサギを狙って忍び寄ろうとしている。
風が優しく草をなでていく。
ヨシカ、ヨン、ヨヨの3姉妹が、その様子を見守っていた。
口に含む主を失った乳房からは、張り裂けそうな痛みを伴って乳汁を勢い良くほとば
しり出した。
やがてそれは治まっていったが、張り裂けそうな心の痛みは消えることがない。ヨヨ
に、笑顔が戻ることはなかった。
いや、すべての者は沈痛な気持ちで、その時を待った。
シュッ、
キツネがウサギを追い始めた時、坐っていたヨンの顔の横を矢が通り過ぎ、そしてキ
ツネを射抜いていた。
ゆっくりと頭をまわし、矢が飛んできた方向を見た。
そこにはヌ族の男と変わらぬヒトの姿をした、多くの男たちがいた。
「男は逃げたか、チッ、ヌ族の噂は聞いている。ヨウ、ヨシという優れた女が一族を率い
ていることもな」
「そなたらは、邑を滅ぼしてなんとする」
ヨシは凛として、彼らを迎え入れた。
「オウ、ワレの王国を築くのよ。国を栄えさせていくには、女に子供を産ませることじゃ。
ここらの土地にはカラムシ(イラクサ)を植える。それで布が作れる」
ヨシたちは布というもので作った纏いものを、始めて見た。そして彼らの持つ弓矢や
道具類を見て、観念した。
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3部作の第2部です。 | ||
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