IS/3th Kind Of Cybertronian 第八話「Real Steel2」
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研究所内は騒然となっていた。

ファンダメンツが本格的に攻撃を開始したのだ。

もちろん、研究員が戦うわけではないが、落ち着いてなどいられない。

 

サンダーソードは小浜博士を伴い、研究所の入口に向かっていた。政府から与えられた指令は、速やかなる侵略者の排除だ。

 

「巨大ロボットということは……たしか、ディセプティコンでしたね」

 

前の説明を覚えていた小浜博士に、サンダーソードは足を動かしながら頷いた。

 

「プレダコンにも体が大きいのはいますが、まず間違いないでしょう」

 

予想外のことではなかった。

捲土重来への熱意は、若いプレダコンよりも、栄光の時代を生きたことのあるディセプティコンの方が強いに決まっている。

サヴェッジファングに平和に対する不満を見抜かれ、口車に乗せられたのだろう。

巨大なディセプティコンに暴れられたら、人間の世界はあっというまにめちゃくちゃだ。

 

「現場周辺は、民間人が入らないように既に封鎖されています。報道ヘリの侵入も、どうにか防いでいるようです」

 

「働いてる人たちの避難はどうなっていますか?」

 

「逃げてこられた人は保護できたそうですが、石油コンビナート内になると……」

 

小浜博士は目を伏せた。

話によれば、原油タンクがいくつか爆発し、施設内を炎と黒煙が蹂躙しているという。その中で巨大ロボットが暴れているとなれば、救助活動をするのは困難だ。

中に人が取り残されているとしたら、彼らが感じている恐怖はとても量り知れるものではないだろう。

 

焦る気持ちをあえて抑え、サンダーソードは心を落ち着かせた。動揺したロボットに価値はない。

 

「逃げ遅れた人は僕もできるかぎり救助するので、援護をお願いします」

 

サンダーソードは力強い声で言った。

こんな時は、相手を不安がらせないことが大切だ。

廊下を進む青いロボットに道をあける研究員たちは、みんな期待を込めた視線を送ってくる。

サンダーソードが、地球の未来を守ってくれると信じているのだ。

その信頼に応えられないのなら、マクシマルのインシグニアを背負う資格などない。

彼はプライムリーダーでもない凡百のトランスフォーマーだが、常に守るべきもののために戦う覚悟をしている。

 

「あ、そうだ……あれを忘れてました」

 

小浜博士から小さな機械を手渡される。

金属製の円筒の先端にレンズが光っていた。

 

「これは?」

 

「データ収集用のカメラです。映像がリアルタイムで研究所に送られてくるようになっているので、装備しておいてください」

 

サンダーソードは兜の額部分を開き、カメラを挿入した。配線を繋ぎ、起動させる。

 

「織斑先生の『八咫烏』にも、同じ機能がついてますので……織斑先生?」

 

小浜博士は背後を振り返った。少し遅れてサンダーソードが続く。

廊下のどこにも、千冬の姿は見当たらなかった。

 

 

 

 

漆黒の影が、日本上空を飛んでいた。

地上にいる人間がその存在に気付いたとしても、それが最新型IS『八咫烏』を身に纏った織斑千冬だとは、誰にも分からないに違いない。

はるか下に霞む街が、まばたきする間に後ろへと流れてゆく。

 

マッハ三。現時点では、他のどのISよりも速いスピードで、千冬は飛行していた。

強力無比な鎧に包まれているためか、気分はそれほど悪くはない。狭い実験ルームから解放されて、『八咫烏』も喜んでいるように思えた。

どんな敵が現れても打ち倒せるという自信が湧いてくる。たとえ、宇宙からやってきたロボット戦士が相手でも。

それを証明するために、千冬はサンダーソードを置いてこっそり研究所を抜け出し、襲撃を受けている石油コンビナートに向かっているのだ。

 

(あんな奴の手を借りる必要はない。私一人で十分だ)

 

 

………本当に?

お前は、そんなに大層な人物なのか?

 

 

突然、どこからか声がした。千冬は慌てて首を右に左に振った。

周囲には鳥も人間もトランスフォーマーもいない。

コア・ネットワークによる通信でもない。

声は、千冬の内側から発せられたものであり、彼女にしか聞こえないものだった。

 

またか、と千冬は忌々しげに舌打ちした。

これが初めてのことではない。むしろ、常に付き纏っていると言ってもいい。

古傷に塩を塗りこまれている気分だ。胸を掻き毟りたくなる。

戦闘に入れば、そんな雑念は引っ込むはずだ。千冬はもっと急ぐことにした。

 

『八咫烏』の装甲が、千冬の体から剥離する。

パーツが組みかわり、合体し、違う形に変わってゆく。

一秒後、千冬は巨大な鳥を思わせるシルエットをしたフライング・ボードの上に乗っていた。

『八咫烏』・高速飛翔態。この形態での最高速度は、マッハ四にも達する。

千冬の体に残っているのは、頭部を守る兜に、ガントレットとグリーブだけで、後のパーツはすべてボードを形成するために使われている。

しかし、全身を守っているシールドはそのままのため、防御面ではそれほど問題にならない。

離れていても千冬の意思で自由にコントロールできるため、連携攻撃も可能だ。

 

音の壁を容易く突き破り、千冬は改めて現場に向かった。

一郎は嫌いだが、『八咫烏』のことは気に入っている。

 

 

 

上空から見下ろす石油コンビナートは地獄と化していた。

絶え間なく吹き上がる黒煙が青い空を埋め、紅蓮の炎が広大な土地を舐めつくしている。

炎は近くの建物に燃え移り、火災の輪を広げてゆく。悪夢のような光景だ。

千冬はハイパーセンサーを起動させた。赤と黒に覆われた世界に視線を飛ばす。

報告にあったロボットの姿は見えない。エネルギー反応もしない。

どこかに隠れているのだろうか。そうだとしたら、上空からでは埒が明かない。

千冬としては、サンダーソードが来る前にすべて終わらせておきたかった。

 

千冬は下降し、広い道の真ん中に降り立った。

道の左右にはまだ引火していない原油タンクや、その他の建物が無数に並んでいる。

この辺りはまだ火の手は上がっていないが、時間の問題だろう。

ISを纏っている限りバーベキューにされる心配はないが、周りが火の海という状況は、あまり気持ちのいいものではない。

千冬は、地面を滑るようにして道を進んだ。

遠くに臨む炎の揺らめき以外に、動くものは発見できない。

 

視界には、動かない物の方がずっと多かった。

円筒形の原油タンク、用途の分からない建造物、停車した大型ブルドーザー………

 

(そもそも、何が目的の襲撃だ?)

 

単に活動に必要なエネルギーを集めるだけなら、こんな騒ぎを起こす必要はない。

一郎の話では、ファンダメンツは夜中にこっそりガソリンスタンドから燃料を盗んでいたという。

それが、今度はいきなり石油コンビナートを火の海にした。いくらなんでも行動が極端すぎる。

これでは、自ら邪魔をしてくださいと言っているようなものだ。

 

トランスフォーマーがどれだけ強くても、敵の攻撃を受けながら燃料補給するのは難しいだろう。

わざわざそんなことをする必要などない。隠れて盗む方が簡単で効率的である。

千冬の考えとしては、今回のファンダメンツの襲撃の目的は、燃料補給がメインではない。

もっと別の………たとえば、敵を誘き寄せ、待ち伏せをするためとか。

 

その時、突然空からコンクリート製の建物が降ってきたため、千冬は思考を中断した。

『八咫烏』のスピードならそれほど難しいことではない。地面に落ちた建物が轟音を立てて粉々に砕けるのを、千冬は落下地点から十分離れた位置で見ていた。

原型もわからない瓦礫の向こうから、巨大な物体がやってくる。

キャタピラが大地を削る音とともに現れたのは、先ほど見かけた、黄色いカラーリングをした大型ブルドーザーだ。

巨大なドーザーブレードが瓦礫の山を軽々と撥ね飛ばす。

千冬は運転席に視線を飛ばした。ガラス窓の向こうには誰もいない。

 

「ふん、面白くもねぇ。釣れたのは人間一匹かよ。サンダーソードはどうした?」

 

無人のはずのブルドーザーから低い声が発せられる。

もう間違いない。敵のロボットはこいつだ。

生物ではなく機械に擬態するのなら、種族はディセプティコンか。

千冬は『草薙』を実体化し、正眼に構えた。

 

「気にするな。あいつよりも楽しませてやるぞ」

 

千冬の予想通り、破壊行動の理由は、敵対者を呼び寄せるためだったらしい。

別に構わない。用があるのは、こちらも同じだ。

 

「カットオフ・トランスフォーム!」

 

掛け声とともに、ブルドーザーが姿を変えてゆく。

ブレードが真ん中から割れ、キャタピラと結合する。半分ずつになったブレードはさらに細かく五つに分かれ、鋼の鉤爪になった。

車体前部は腰と二本の足に変形した。

キャラピラの腕が地面を叩き、その反動で歪な人型が立ち上がる。

車体後部から頭が迫り出す。後頭部からは黒いコードが無数に垂れ、口にはこれ見よがしな鋭い牙がずらりと並んでいる。

ライオンの頭部を金属板で作り直したかのような造形だ。

操縦席の屋根―――今は胸だが―――には、ディセプティコンのインシグニアが刻印されている。

もともと大型のブルドーザーが直立したのだから、さらに巨大だ。身長は十メートル以上あるだろう。

カットオフと名乗ったトランスフォーマーは、赤く鋭い目で千冬を睨みつけた。

 

「俺とやろうってのか? ちび人間め。下等なタンパク質の塊が、でかい口を叩くとただじゃ済まないぞ」

 

「ただで済まないのは、はたしてどちらかな」

 

言うなり、千冬は翼形装甲をビーム砲に変形させ、カットオフに向けて発射した。

邪悪な侵略者に遠慮などしない。二条の光線は、狙った通りカットオフの胸に着弾した。

もちろん、この程度で倒せるとは思っていない。攻撃に対し、敵がどう反応するかを知りたかった。

結果は………無反応だった。微動だにしない。

ダメージを負うどころか、蠅がとまった程度にも感じていないかもしれない。

カットオフが足を一歩前に踏み出すと、地面が大げさなまでに揺れた。遠くから爆音も聞こえる。

 

「それが攻撃のつもりなら、てめえはもうおしまいだ」

 

千冬は反射的に飛び退いた。

カットオフの目から光線が発射され、千冬のいた空間を貫き、アスファルトを穿孔する。

やはり、まともに戦って勝てる相手ではないようだ。千冬はガトリング砲とミサイルランチャーを撃ちながら後退した。

スピードで撹乱しつつ、『八咫烏』に備えられた無数の武装を試していくしかない。

だが、その巨体に見合わず―――いや、その巨体を支えるパワーにはふさわしいのか、カットオフの動きは素早かった。

 

ミサイルの群れを腕で薙ぎ払い、弾丸の雨を分厚い装甲ではじき、またたく間に距離を詰めてくる。

すさまじい威圧感に、千冬はそれだけで押し潰されそうになった。マンモスと戦っていた古代人はこんな気分だったのだろうか。

 

大きな弧を描いて、カットオフの鉤爪が振り下ろされる。

千冬は悲鳴を上げそうになり、それを奥歯を噛み締めて封じながら、上空に飛んで逃れた。

ずん、と音を立てて地面が爆発した。アスファルトの破片と、その下の土が撒き上がる。

灰色の粉塵の向こうに、千冬はカットオフの巨影を見た。すかさず翼形装甲をレールガンに変え、狙いをつける。

 

だが、千冬は撃てなかった。粉塵を吹き飛ばし、鋼色をした何かが飛んでくる。

それは、五本の鉤爪を生やしたカットオフの手首だった。手首と腕はワイヤーで繋がっている。

 

「くっ」

 

千冬は回避しようとしたが、鉤爪は想像以上に速く、スカート状装甲を盾に変えて防御した。

甲高い金属音が辺りに響く。強固なシールドと盾のおかげで千冬は無傷だったが、盾は貫かれ、もはや使い物にならない。

千冬は防御という選択肢を捨て去った。シールドも装甲も当てにはできない。

油断すれば、今度こそ串刺しだ。

 

千冬は『八咫烏』を高速飛翔態に変形させた。

再び飛んできた鉤爪をかわし、カットオフの頭上を飛び越える。

そしてすぐに旋回し、敵の背中に向けて、蛇腹剣モードにした『草薙』を放つ。

カットオフは振り返りざまに白熱する蛇を腕を使って払った。だが、刃が触れた部分がわずかに溶けている。

千冬は『草薙』を引き寄せながら、初めてトランスフォーマーに負わせた傷を睨んだ。

不意にガガーリンの言葉を思い出す。これは千冬にとっては小さな傷だが、人類にとっては偉大なる一撃だ。

鋼鉄の異星人に、自分たちが無力でないことを証明したのだ。

 

「なるほど。少しはまともな武器も持ってたらしいな」

 

カットオフが腕の傷を撫でながら言った。

 

「次は、その首を落としてやるさ」

 

『草薙』を腰溜めに構えつつ、千冬は強い声で返した。

ようやく希望の光が見えてきた。装甲を破るのは難しいが、関節なら比較的容易に断ち切れるかもしれない。

千冬は『八咫烏』を発進させた。カットオフを中心に据えて、円を描くように飛ぶ。

蠅や蚊になった気分だ、と千冬は思った。叩かれれば潰れてしまうが、そう簡単に捕まりはしない。

 

カットオフは頭を回して千冬の動きを追おうとしていた。素早く後頭部に回り込み、剣を振り出す。

声は出さず、腹の中で気合いを発する。

数珠繋ぎの刀身が、刺突の軌道を描いてカットオフの首に向かう。

だが、千冬の手に金属製の肉を貫く感触は伝わってこなかった。カットオフは少しだけ体を右にずらし、『草薙』をやり過ごしていた。

千冬はすかさず手首を返すと、超高熱の刃をカットオフの方に向け、再度首を狙った。

 

横に薙ぎ払う斬撃は、しかし空振りに終わる。

刃が届く前に、カットオフは体を沈めていた。

下から鉤爪が伸びてくる。千冬は慌てて回避した。

牽制のためにミサイルを撃ち込んでも、敵の分厚い装甲には傷一つつかない。再度、『草薙』を振るおうとしても、絶え間なく発射される赤い光線に追い立てられ、攻撃に移ることができない。

いや、たとえ攻撃できても、避けられては意味がない………

 

(なら、避けられないようにするまでだ)

 

敵の手強さを認めながらも、千冬は勝つ方法を考えていた。キラーウィンドから受けた屈辱を繰り返すつもりはない。

まず、千冬はビーム砲を乱射した。当たろうと当たるまいと、効こうと効くまいと、とにかく目を引ければいい。

 

カットオフは、敵の不可解な行動に対し、とにかく腕を上げて防御した。

狙い通りだ。千冬は兜の中で薄く笑みを浮かべ、次にミサイルを発射した。

目標はカットオフではない。もっと下だ。

小型だが強力な六発のミサイルは、カットオフの足元の地面に着弾した。

爆発でアスファルトが砕ける。

 

そのアスファルトに支えられていた、金属製の巨体を誇る、そしてとても重いトランスフォーマーが姿勢を崩す。

その隙を逃すことなく、千冬は『草薙』の刀身を後方に伸ばしつつ突撃した。

最高の速度を乗せて、最大の威力で喰らわせる。

狙うは首―――ではなく上半身と下半身を繋げているジョイント。今までと目標を変え、防御される可能性を下げる。

『八咫烏』の上で膝を曲げ、体から余計な力を抜く。

そして、

 

「くらえっ!!」

 

カットオフが射程距離に入った瞬間、腰を捻ると同時に渾身の力をもって、千冬は『草薙』を振り抜いた。

それは、人間が放ち得る理想的な斬撃と言えた。

鞭と同じ性質を持つ蛇腹剣の剣速と、五万度の超高熱の刃が合わせれば、この世に断てないものはほとんど無いだろう。

………その先に、切り裂くべき相手がいれば、だが。

 

『草薙』は再び空を切った。

敵に致命傷を与える直前に至っても、千冬は油断などしていなかった。だが、斬撃が描く半月の中に、カットオフは入っていない。

千冬は唖然としながらも、思考は止めなかった。

前にも後ろにも、敵の姿はない。穴を掘って地中に逃れたわけでもない。

 

頭上からエネルギー反応。千冬は顔を上げた。

カットオフは黒く染まった空に浮かんでいた。全身黄色のカラーリングのため余計に目立つ。

千冬は知らなかったが、グレートウォー開戦以降に製造されたディセプティコンはボディフレームの種類に関わらず、すべて飛行能力を持っている。

 

千冬が空にカットオフを見つけた時、彼はすでに鉤爪の生えた掌を射出していた。

避けるにはもう遅すぎた。千冬にできたのは、高速飛翔態にしていた『八咫烏』を身に纏い、これから襲ってくるだろう衝撃に身構えることだけだった。

次の瞬間、千冬はロボットの掌と地面の間に挟まれた。視界が、よく見れば鋼とは違う金属で覆われる。

 

「………!」

 

千冬は言葉にならない悲鳴を上げた。

シールドと装甲に守られているとは思えない激痛が彼女を打ちのめしていた。『八咫烏』でなければ痛みでは済まないところだ。

 

痛い―――やられてしまう―――苦しい―――この手から逃れて反撃を―――このまま眠ってしまいたい――――

 

思考が纏まらない。

自分がどこにいるのか、何をしているのかさえ頭から消えそうになる。

だが、カットオフは現実逃避を許さなかった。

巨大な五指が地面を抉りながら閉じ、千冬を鷲掴みにする。

『草薙』で焼き切って脱出しようとしたが、体が言うことを聞かない。脳から下が切り離されてしまったかのようだ。

 

「このまま握り潰すのもつまらんな」

 

残虐さを滲ませる声で言うと、カットオフは大きく腕を振り、千冬をボールのように放り投げた。

先ほどよりも頭がはっきりしてきた千冬は、空中で体勢を立て直そうとした。だが、その前に背中から壁に突っ込み、体がめり込む。

幸い、衝突によるダメージはない。機械の掌に押し潰されるよりはマシだった。

だが、のんびりしているわけにはいかない。

何故なら、千冬が貼り付いているのが原油タンクであり、空に浮かんでいるカットオフがこちらに向けて光線を放ったからだ。

二条の光線は千冬ではなく原油タンクを貫き………当然引火し、大爆発が起きた。

 

千冬の視界が紅蓮の炎に包まれる。空も地面もどこにあるのかわからない。

千冬自身が爆風に煽られて回転しているのだから当然だ。

今度は止まろうと思う間もなく、千冬はアスファルトの道路に叩きつけられた。三回バウンドし、地面を削り、ようやく停止する。

 

『八咫烏』はやはり高性能で、爆発によるダメージはほとんど受けていなかった。並外れて強固なシールドは、操縦者の肉体を完璧に守っていた。

だが、心は別だった。

千冬は『草薙』を杖代わりにして立ち上がろうとした。だがその動きは、普段の彼女を知る者であれば信じられないほど弱々しかった。

カットオフは空から降り立つと、ゆっくりとした足取りで、千冬に歩み寄った。

 

「どうした、有機体のカスめ! 始めてからまだ十分しか経ってないぞ」

 

雷鳴のような声が響く。千冬はびくりと肩を揺らした。

立ち上がろうとしているのに、腕に力が入らない。胃から吐き気が込み上げてくる。

千冬は、何がこの現象を起こしているのか、すぐに気付いた。

 

それは恐怖だ。

千冬はカットオフに怯えていた。

生まれて始めて出会った、まったく歯が立たない敵に、千冬は心底から怯えていた。

 

「いつまでも寝惚けていないで、この俺と戦え! それとも、このまま踏み潰してやろうか……」

 

全身に殺気を漲らせながら、巨大な影が迫る。

千冬は剣の柄を両手で握っていた。

しかし、その切っ先は地面に刺さったままで、凶暴なトランスフォーマーに向けられる様子は一切なかった。

 

たとえ、『草薙』を振り上げたところで………どうなるというのだ。

 

千冬は全身に走る痛みを堪えつつ考えた。

諦めずに戦い続けたところで、自分が勝利を手にするチャンスが、果たして訪れるのだろうか。

答えはノーだ。

こちらの武装はほとんど通じない。唯一まともにダメージを与えられる『草薙』も、当たらなければただの棒切れだ。

対して、敵の攻撃は避けるのが精いっぱいで、まともに当たればただでは済まない。おまけに、向こうも空を自在に飛べるときている。

 

………今の自分では、カットオフには勝てない。

 

千冬は素直に認めた。

キラーウィンドの時とは違って、量産機ではなく専用機を身に纏っているのに、まったく歯が立たない。認めざるを得なかった。

そうすると、全身から最後の力が抜けていくのがわかった。戦いの意思が水をかけられた炎のように消沈するのを感じる。

他の者であれば、彼我の実力差を痛感するよりもずっと前に命を落としていただろう。

ここまで生き延びられたという事実だけで、千冬の実力の高さを証明することができる。

しかし………千冬は、自身の内側から囁く声に耳を傾けていた。

 

 

 

これで分かっただろう?

本当のお前は、そんな大した奴じゃない。

逃げだしてしまえ。

すべてを捨てて、楽になる時が来たんだ。

 

 

 

たとえ逃げたとしても、誰も千冬を責めはしないだろう。

彼女は全力で戦った。単に相手の実力の方が上だっただけだ。

だが、千冬は敵に背中を向けるつもりはなかった。いくら怖くても、それだけは絶対できない。

逃げることも戦うことも選べず、近付いてくる巨人を、千冬はぼんやりと眺めていた。

 

その時、プラズマ弾の雨がカットオフに降り注いだ。一発一発に恐ろしい威力が込められている。

被弾したカットオフは驚きの声を上げて後退した。

さらに、小さな破裂音とともに大型ディセプティコンの顔が白い煙に包まれた。いくら暴れても、煙は意志あるもののようにカットオフに纏わりつく。

茫然としている千冬の前に、青い人影が着陸した。

 

「お待たせしました、織斑さん。立てますか?」

 

サンダーソードは緑の目を光らせ、千冬に手を差し伸べた。

千冬はその手を払いのけると、今までと同じように、目の前のマクシマルを睨みつける。

 

「なぜ、私を助けた」

 

「目の前で殺されそうになっている人を助けない理由がありますか?」

 

サンダーソードは揺るぎのない声で言った。

予想通りの答えだった。彼ならきっとそう言うだろうと、千冬は思っていた。

途端に、腹の底から怒りが込み上げてくる。すぐ傍に敵がいることも忘れ、サンダーソードに掴みかかる。

 

「血も涙もない機械のくせに、生意気なことを言うな! この卑怯者の、嘘つきめ……」

 

思ってもいないことを口にするのは、喉が焼けるような痛みを伴う。

だが、千冬は願っていた。

サンダーソードが邪悪な目的を持って人類に接近していることを。

サンダーソードが、小浜博士や千冬がそうと感じているような、正義の体現者ではないことを。

千冬が吐き出す暴言を、青いロボットは黙って受け止めていた。表情は愉快そうではなかったが、怒ったり、殴りかかってくる様子はない。

 

やがて言葉も尽き、千冬はその場で膝をついた。

頭の中がぐちゃぐちゃだった。何がしたいのかもわからない。

気付けば、千冬は兜の内側で泣き出していた。涙を流したのは何年振りだろう、と思った。

 

「織斑さん」

 

心配したサンダーソードが声をかけてくる。

ハンカチを持っていたら差し出してきたかもしれないが、千冬はもっと別のものを必要としていた。

 

「お前は、なんで……そんなに強くいられるんだ」

 

………自分は、こんなにも弱い人間なのに。

 

 

 

何年も前、まだ小学校に通っていた頃、千冬は弟の一夏とともに両親に捨てられた。

理由は未だにわからない。突然の失踪だった。

もしかしたら、当時の千冬には理解できない何かがあったのかもしれない。

一つだけはっきりしていたのは、これからは自分が一夏を守って生きていかなければならないということだった。

だが、当時の千冬は、まだ何者でもないただの子供だった。どうしようもなく、無力な存在だった。

 

保護者のいない子供たちに、社会の寒風は容赦なく吹きつけた。親戚には冷遇され、学校では両親の件で、心無い同級生たちからいじめを受けることもあった。

だが、千冬は耐え続けた。自分が膝を折れば、後ろの一夏を守れない。

風に転がされては、砕けず削れて鋭く尖る。小学校を卒業する頃には、千冬は触れれば切れるナイフのようになっていた。

害意を持つ者も、その他の者も、彼女には近寄らたがらなかった。

 

しかし、例外もあった。篠ノ之 束だ。

 

劇的な事件を経たわけではなく、気づけば親友と感じるようになっていた。

束は子供の範疇を完全に超えた天才的な頭脳の持ち主であり、その自由奔放さもあってクラスには馴染めていなかった。同じくクラスで浮いていた千冬と身を寄せ合うのは必然であったかもしれない。

篠ノ之夫妻も、身寄りのない千冬と一夏に優しく接してくれた。ささくれ立っていた心も、僅かばかりだが癒された。

 

それでも、千冬を取り巻く世界は厳しいままだった。高校生になっても、まだまだ手のかかる弟の世話をしながら生きていくのは簡単なことではない。

仄かに差す光の中から一歩でも出れば、無限の闇が広がっている。一夏の前では強い姉を演じていたが、常に心を侵す不安に苛まれていた。

それでも、千冬は弟を守るために強がり続けた。

 

そんなある日、冗談のような事件が起きた。忘れることなど絶対にできない。

日本に向けて、世界中から二千発以上ものミサイルが、制御不能の状態で発射されたのだ。

たとえ迎撃したとしても、すべては防ぎきれない。たった一発、街の中に落ちただけでも、その被害は恐ろしいものになる。

誰もが絶望と混乱の坩堝に叩き込まれた。

 

そんな中……千冬は、束と共に研究・開発を進めていたパワードスーツ、インフニット・ストラトスを纏って空を舞った。迫り来るミサイル群を撃墜するためだ。

話を持ち掛けてきたのは束からだった。彼女の妹である箒や、何より一夏を守るには、この方法しか無いと。

 

恐怖心がなかったと言えば嘘になる。

しかし、ミサイルの爆炎に焼かれる弟の姿を想像すれば、そんなものはたちどころに消え失せてしまった。

千冬は試作品の剣と荷電粒子砲を武器に、おそらく人類で初めて、たった一人でミサイルの群れに立ち向かった。

 

まるで、まな板の上の大根を切り落としているかのような感覚だった。あまりにも簡単だったのだ。

一発で数え切れないほどの人間を殺せる兵器が、ISを装着した千冬の前では、ただのクズ鉄に過ぎない。

千冬は我知らず笑っていた。

あまりにも爽快だった。今までの生活を支配してきた恐怖や懸念の一切が、くだらないものに思えた。

最後のミサイルを荷電粒子砲で撃ち落とすと、今度は軍隊がやってきた。海や空を埋める各国の主力兵器の数々は、なかなかに壮観だった。

 

彼らと戦う必要はなかった。目的はISの確保か撃破で、日本を攻撃するつもりはないはずだ。

ISのステルス能力を使えば、包囲網からの脱出は難しいことではない。

 

だが、千冬はそうしなかった。

まだ、自分の力をぶつけられる相手がいる。千冬は嬉々として剣を振り上げ、飛んできた戦闘機の編隊に狙いを定めた。

 

言い訳はしない。

あの時の千冬は、間違いなく力に酔っていた。

誰を守るためでもない。

今まで自分を苦しめてきた世界を支配し得る力を得たことが、嬉しくて仕方がなかった。

地平線と太陽が交わる頃になって、ようやく我に返った千冬は、急に自分の仕出かしたことが恐ろしくなり、慌ててその場から逃げだした。

 

 

のちに『白騎士事件』と呼ばれるこの騒ぎが、ISの性能を世界の人々に見せつけるための、束による自作自演だとわかったのは、すべてが終わった後だった。

 

 

それから間もなく、世界の構造は変化した。

それまで頭に最新鋭と付いていた戦闘機や戦車はすべてお蔵入りとなり、千冬がその性能を見せつけたISが台頭することになった。

調子付いたのは女性側だった。

ISを操縦できるのは、つまり有事の際に国家防衛の要となるのは、女性のみ。

どの国も率先して女性優遇制度を取り入れ、一人でも多く優秀な操縦者を確保しようとした。

 

その結果、街にはくだらない女ばかりが増えた。

ISに乗れるわけでもない、有事の際には体を張るどころか率先して逃げ出すような人間が、ただ女性というだけで男性に威張り散らすようになった。

失職者も大量に出たという話も聞いた。もちろん男性のだ。

特に、突然空を奪われた戦闘機のパイロットの末路は悲惨だったという。やけ酒に溺れた挙句、ゴミ捨て場で凍死したというニュースも流れた。

………深夜、千冬は彼らの怨嗟の声で飛び起きることがある。

 

千冬の立場も大きく変わった。

第一回IS世界大会モンド・グロッソで総合優勝し、ブリュンヒルデの称号を得たのだ。

もはや、誰も千冬の存在を無視することはできなくなった。ISに関わっている限り、少なくとも生活に困窮することはない。

世界最強のIS操縦者に、誰もが羨望の目を向け、称賛を送った。

 

だが、周囲からの評価とは裏腹に、千冬の心に充足感はなかった。

自分に資質がないとは思わない。優勝を勝ち取ったのは間違いなく実力だ。

しかし千冬は、世界がISの力を認める前からISに関わっていた。束に頼まれてテストパイロットをしたことも何度となくある。

 

第一回モンド・グロッソが行われたのは、『白騎士事件』が起きてから、ほんの数年後。どの国の操縦者も、新しい装備に慣れるので精いっぱいで、錬度が充分とは言えなかった。

スタートラインからして違う、勝てない方がおかしい戦い。

千冬がブリュンヒルデという称号を嫌うのを、他の者は謙遜と取るだろう。実際は、自分にふさわしいかどうかもわからない名前で呼ばれる度に、心が痛むからだ。

 

その後紆余曲折あり、第二回モンド・グロッソを最後に一線を去り、ドイツ軍で教官を務めたのち、IS学園の教員となった。

誰もが喜びとともに千冬を迎えた。世界最強のIS操縦者を迎えられるのだから当然だ。

そして誰もが、ブリュンヒルデの称号に相応しい態度を、千冬に求めていた。

 

生徒や他の教師の前で、千冬は自信満々な振る舞いを見せた。誰もそれを疑うことはしなかった。

実際の授業でも、千冬は大したことは教えていない。むしろ、あれをやれこれをやれと指示するだけで、後はほとんど何もしていない。

優秀な選手が優秀なコーチになれるとは限らない、その典型だった。

それでも、イメージ通りに鬼教官を装って出席簿で頭を叩いたりすれば、生徒は何一つ文句も言わず従う。その盲目さに、千冬は恐怖さえ感じた。

本当の強さについて、偉そうに語ったこともある。その時から、千冬は声が聞こえるようになった。

 

 

―――お前は本当に、そんなに大した人間なのか、と。

 

 

しかし、今さら仮面を脱いで、周りの人間に失望されるのも怖かった。

本当の千冬をさらけ出した時、一体どれだけの人間が受け止めてくれるだろう?

同僚の真耶も、どちらかといえば自分に憧れている人間だった。弟の一夏には、断じて弱気は見せられない。

世界最強のIS操縦者という肩書以外に、千冬は自身を誇れるものがない。それでさえ、実際のところは怪しいものだ。

爪先から鑢で削られるように、千冬は自分がゆっくりと壊れてゆくのを感じていた。本当の自分を封印し、周りの期待に応え続ける生活は、本当に苦しかった。

 

サンダーソードが現れたのは、そんな時だった。

彼は地球に不時着してからの一年間、地球人の中に混じって生活していた。彼が変身する田中一郎の姿は、彼が住んでいたアパート周辺のコンビニやスーパーの監視カメラに写っていた。

アパートの大家の話では、一郎は挨拶を欠かさない礼儀正しい少年だったという。家賃を滞納したことは一度もなかったようだ。

大家は貸していた部屋が壊れたことを怒るよりも、いなくなった一郎の身を案じていた。

 

一郎が働いていた工事現場の作業員からも話を聞くことができた。

彼は常に、一番面倒で危ない仕事を快く引き受けていた。素直で愛想もよく、仕事の時間に来なかった時は、何か事件に巻き込まれたのではないかと心配していた。

 

そういった話を聞くたびに、千冬は胸にちくちくとした痛みを感じた。千冬は聡明だったため、その痛みの正体にもすぐに気付いてしまった。

それは、一郎への嫉妬だ。彼が周りの人間に好かれていることに関してではない。

 

一郎……サンダーソードは、世界を制するほどの力を持っている。かつて『白騎士』が行なったのと同じことを、ISを相手にしてできるかもしれない。

少なくとも、彼からすれば猿も同じ地球人と一緒に働いて、生活費を稼ぐような真似をする必要はない。サンダーソードが金や食料を奪おうとしたとして、誰がそれを止めることができるだろうか。

しかし、サンダーソードは地球の平和を乱すようなことはしなかった。ファンダメンツの侵略によって平穏が乱されなければ、彼は永久に人間の姿のままでいただろう。

 

手に入れた強大な力を、他者に振るわずにはいられなかった自分と違って。

全身を武装しながらも、サンダーソードは守るためにしか使わない。

罪塗れの顔に、皆が憧れる「織斑千冬」の仮面を被っている自分とは違って。

気負っている様子もなく、サンダーソードは堂々と正義を掲げる。

 

千冬は、サンダーソードに嫉妬していた――――羨ましかった。

彼が、その見た目以上の強さを心に秘めていることが羨ましかった。

あまりに眩しくて、直視することができない。だから、いちいち難癖を付けて罵ったりもしたが、かえって惨めさが増す一方だった。

そして今も、危ないところを助けられたというのに、素直に礼を言うことさえできない。

誰も知らない本当の自分は、悲しいほどに弱くて小さな人間だった。

 

「織斑さん」

 

サンダーソードの固い手が、千冬の手を握った。

 

「もし、あなたが言うように僕が強いっていうなら……それは僕が、マクシマルの理念のために戦っているからだと思います」

 

緑色の視覚センサーが、千冬の瞳を覗き込むかのように光る。

 

「ただ自分が生き残るだけじゃない、命の使い方。宇宙に住むすべての命の自由と平和を守る、戦士としての生き方。僕は、その教えを受けて育ったことを心から誇りに思っています。たとえ、そのために傷ついたとしても」

 

サンダーソードは躊躇うことなく言い切った。

千冬は、彼と初めて出会った時のことを思い出した。全身傷だらけで、それでも千冬を守るためにキラーウィンドと戦ったのだ。

それが正しいことであると同時に、サンダーソードの信念であるが故に。

 

「織斑さんは、何かを守るために戦ったことがありますか?」

 

「……弟だ。一夏を守るために、私は……」

 

そうだ。

だから千冬は、『白騎士』を駆った。

だから千冬は、カットオフから逃げなかった。

たった一人の弟、たった一人の家族。千冬は、それを守るために戦った。

たとえ千の偽りを纏っていても、それだけは真実だった。

 

サンダーソードは嬉しそうに頷き、笑顔を浮かべた。

人間とは少し違う、ロボット式の、しかし不思議と心が温かくなる………

 

「だったら、織斑さんも強い人です。自分以上に大切な人がいて、そのために命が使えるなら、あなたはそれを誇りに思うべきだ」

 

青いマクシマルはカットオフの方を見た。

敵の顔を包んでいた煙幕が薄くなっている。これ以上話している時間はない。

サンダーソードは千冬の手を離し、代わりに剣の柄を握った。口元にマスクが装着される。

 

「それじゃ、今度は僕が行ってきます。帰ったら、一緒にご飯食べましょうね」

 

そう言って、サンダーソードは巨大なディセプティコンに向かって駆け出した。

 

 

説明
にじファンから移転。本作品は、ISとトランスフォーマーシリーズのクロスオーバーSSです。オリジナル主人公および独自設定を含みますのでご注意ください。

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タグ
トランスフォーマー クロスオーバー インフィニット・ストラトス 

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