魔法少女まどか☆マギカ劇場版予告&オマケ『あすみの夏休み』 |
随分と永い夢を見ていたようだ。無論睡眠中に見ている物じゃない。
戦いの最中に寝るバカな魔法少女なんて、いやしないのだから。
「…あれ?」
自分を見て驚いたのか、ぽつりと呟きに近いような鬱屈した少女らしい、本当はさして驚いてもいないのが分かる感嘆の声が聞こえた。
そうだ、私はずっと夢を見ていた。
声を漏らした自分を殺そうとした少女に向かい合いながらも、暁美ほむらは静かに目を閉じたままだった。
「目、覚ましたんだ?」
それは決して眠りから覚めるのを待っていた声ではない。むしろ獲物を仕留めそこなった口惜しさすら含めた声音だった。
「ええ、おかげさまでね。私は随分と寝ぼけていたみたいだわ」
目を閉じたまま髪を払う。戦いの激しさを物語るように長い黒髪から砂埃が舞っていった。周囲は人気がない…というよりかは人間という生き物が立っている事が不思議なような、砂漠の大地に昏い空と砂煙のような雲が舞っていた。
「そのまま寝ぼけたままだったら、楽になれたのにね」
どこか生気を感じさせない平坦な表情に灯る、楽しげな笑顔。ただその瞳は決して笑っているという生ぬるい表現が似合うものでは無く、ほむらという獲物が生きていた事に対する憤りと、そしてまたいたぶれるという被虐心からだった。
「そうね…自分っていうのがどれだけ甘かったのか、よく分かったわ。本当なら私は、眠りこけている暇すらなかったのに」
応じているものの、ほむらは未だに目を開かない。相対する少女は勘に触っているのか、笑みの色合いがだんだんと狂喜を帯びてきた。手に持ったトゲが付いた鉄球の武器…所謂モーニングスターの鎖が、じゃらりと音を鳴らした。獲物を叩き潰す時を今か今かと待ち続けている証拠だ。
(まどか…ごめんなさい。あなたがせっかく変えた世界なのに、私の時は止まったままだった…)
『ほむらちゃんなら私の事、忘れないでいてくれるかもしれないしね』
あの時、あの言葉を聞いた時からずっと忘れないでいた。忘れないでいただけだった。
「ねえ、始めよう? あなた、急に幸せそうな顔になったんだもの…心を壊すだけじゃ足りないよ。あなたの顔、ぐちゃぐちゃにしてあげたいの」
ほむらはまだ目を閉じたままだから分からないが、少女の顔はまるで薬物の禁断症状でも発症しているのか、どこをどうすればそうなったのか疑問に思うくらい、顔つきが変わっていた。壊れていた、と表現した方がしっくりくるだろう。
黒色のフリルが基調のゴシック&ロリータ…ゴスロリと呼ばれる衣装を身にまとい、短めのカットの髪は艶めき、顔立ちもその通り幼げなのだが、目は爛々と輝き、うっすらと口に滲ませた笑いは常人のものでは無い。すでにほむらに向かってじりじりと距離を詰めていた。ずず、と鉄球が引きずられ、乾いた砂に跡を残す。
「ええ。私は今、幸せよ…あの子の為に戦い、そして自分の時間を生きる事が出来るようになったのだから」
あの日、まどかと出会った時からずっと。
ほむらは夢を見ていた。自分を変えてくれたまどか。まどかの運命を変えたい自分。
しかし待っていたのはまどかが変えてくれた世界と運命を変えられなかった自分。
何もしない事でほむらは夢を見続けていた。変われない自分はずっと夢の中。そして夢の中ならまどかに会える。
ただ、それだけの為に私は…。
「ふーん…よく分からないけど、今のあなた、最高にむかつく。自分がどういう状況にいるのか、分かってる?」
「ええ。今から私は使命を果たす。交わした約束を忘れない為に」
そしてほむらはようやく目を開く。開いた先に広がるのは、今まで自分が目を背けていた光景。あの子の居ない世界。
酷いものだ。荒れ果てた人間の内面を表現するような風景に、自分に向かって突進してくる狂った少女。最低の状況だ。
―いや、私も狂っているのかもね。
だってこんな状況だというのに、ほむらは笑っていたのだ。
約束を果たせる。私は彼女を覚えている。あの少女が与えてくる絶望程度では消えやしない、希望がある。
そう、もう絶望する必要なんてないんだ!
「ごめんね、その約束は果たせないよ…だってここで死ぬんだからぁ!」
ほむらとの距離が残り五メートル程度で少女の我慢は限界に達した。自らの最大の武器を使うことすら忘れ、ただほむらの体を叩き潰す欲求に任せて飛びかかる。モーニングスターの鎖がじゃらじゃらと伸びだし、振り回され遠心力に従ってほむらに襲いかかろうとしていた。
「本当に救いようが無いわね…あなたも、この世界も」
ほむらはため息交じりに手を少女に向けると、握られた拳から光が上下に伸び、その光は弓の形に変わった。彼女のような花を模した形ではなく、飾りっけの無い真っ黒な弓。
ケタケタと笑う少女に弓を向け、光で出来た矢を構える。
『頑張って、ほむらちゃん』
その時懐かしい、けれどもいつだって思い出せる声が聞こえた。
ほむらはそれに満足げに頷き、もう一度笑ってみせた。
円環の理に導かれた新たな世界で彷徨う暁美ほむら。
そして周囲の、世界の全ての幸せを否定する少女、神名あすみ。
二人の少女の激突は始まりを告げる。
それは誰も知らない、新たな物語の始まり―。
劇場版『魔法少女まどか☆マギカ』オリジナルエピソード、近日公開!
…それはさておき。
私、神名あすみは、今の状況にどうしても馴染めなかった。
「はい、今日はキャラメルシフォンケーキよ。うふふ、やっぱり食べてくれる人が増えると作り甲斐もあるわね」
目の前の(すごく使い勝手が悪そうな)三角の形をしたテーブルに、真っ白なクリームにキャラメルソースがかけられたケーキと嗅ぎ慣れてしまった紅茶の匂いが広がる。不覚にも私のお腹はきゅるると音を立てだしたので、そんな腹部を抑えるように体育座りで顔を隠してみたけど、無駄だったみたい。
「あらあら、お腹空いてるでしょう? あすみちゃんは成長期だから、ちゃんと食べないとダメよ」
「…ごはんなら食べてるから、いい」
私のそんな音を聞きつけたマミさんはにっこりと笑ってフォークをお皿に添えた。一応私は抵抗するかのように言ってみたけど、無駄なのはわかっていた。それでも同じことを言ってしまうのは、ちょっと前から行ってない学校で習った自尊心というやつなのかもしれない。
「ほらほら、そう言わないの。三時のおやつは子供の成長にもいい影響があるって言ってたし、それにあすみちゃんの感想も聞きたいし」
「…私、子供じゃない…」
いや、さすがの私も自分が子供っていう自覚くらいはある。散々な目に遭ったせいでどちらかと言えば大人びている方だとは思ってるけど、年齢的には子供以外の何でもないし、マミさんを見ていると体だって子供のソレだ。
…いや、高校三年生にも間違われるこの人は特別かもしれないけど。
「ね、あすみちゃん。ここはお姉さんの顔を立てると思って食べてくれない? 私、昔から妹の居る生活とか憧れていて、あすみちゃんが食べてくれるとそれだけでとても嬉しいっていうか…」
「…妹なんかじゃ…ないもん…」
語尾を見ても分かる通り、私はお腹以上に精神を責め立てられ、ちょっと涙目になりながら、声を震わせてしまった。
『わたしもやさしいおねえちゃんがほしいなー』
子供のころ、まだお母さんが元気だった頃、仕事から帰って疲れたままでも世話をしてくれたお母さんに言ってしまった一言が、マミさんの意識していない何気ない一言で鮮明に思い出された。
「…いただきます」
多分私は今、とても酷い顔をしているに違いない。涙は堪えるようにしていたけど、口にしたケーキの最初の味はしょっぱくて、涙の味がした。でもすぐにキャラメルソースの濃い甘味とシフォンクリームの優しい甘さがあって、涙の味は消えていった。マミさんみたいなケーキだ、と私は意味もなくそんな事を思った。
「…おいしい…」
「本当? ありがとう」
私の涙を見てもバカにするわけでも困るわけでもなく、マミさんはケーキを黙々と口に運ぶ私を見ながら、嬉しそうに笑っていた。
(お姉ちゃん、かあ)
照れくさい以前にどうやっても認められないと思うけど、マミさんはかつて私が想像したお姉さんそのものな気がした。世話好きで優しくて、未だに誰も信じ切れていない私を妹みたいに扱ってくれる存在。確かにお姉さんだった。
(それに『あの人』は、お姉さんというよりも…)
「おっじゃましまーす! あー、暑かったー」
そんな事を考えていたら、チャイムも鳴らさず元気に玄関から上がってくる声と足音。私はこんな姿を他の人に見られたくない一心で、ごしごしと目元を拭った。
「おーっす。マミ、アタシにもケーキー」
「はいはい、佐倉さんったら相変わらず元気ねぇ」
このやけに元気で砕けた感じの人は杏子さん。テーブルを挟んだ向かい側に座られて、正直苦手な私はケーキを見つめて黙々と食べていた。
「おー、今日も一段とうまそうだねぇ…ねえ、あすみ。ちょっと一口ちょーだいよ」
いきなり来た上にマミさんにケーキを頼んでおきながら、杏子さんは私のケーキを見て漫画みたいによだれを垂らしていた。マミさん、なんで怒らないんだろう。優しいのもよし悪しっていう言葉を思い出した。
「今、マミさんが用意してる…」
「だーかーらー、待ちきれないから一口くれっての。こんなおいしい物を目の前にしてお預けとかないっしょ?」
「…」
ちょっと前、この人の願いを聞いて「私とは真逆だから合わない」とは思っていたけど…なんなんだろう、この人。
本当に犬みたいで、食べ物があれば好きなだけ食べるし、遊ぶときはものすごくはしゃぐし…ほむらさんと同い年というのが全然信じられなかった。
なので私はとりあえず黙ってケーキを食べ続けた。呆れているっていうのもあったけど、それ以上にこのケーキはおいしいからあげたくなかった。
「ちぇっ、なんだよケチンボ…ゆまだったらもうちょい可愛げが…」
「可愛い妹だもの、自慢したくなるわよね」
ケーキをくれない私に愚痴りだしたタイミングでケーキの準備を終えたマミさんがやってきた。マミさんに聞かれる事を考えてなかったのか、杏子さんは途端に慌てだした。
「い、いや、別にそんなんじゃ…あいつだったらもうちょっと素直で聞き分けがあるっていうか…」
「あら、あすみちゃんだって十分素直で可愛いもの。ね?」
「…」
杏子さんをからかうようにマミさんは笑いながら言い、杏子さんの前にケーキを置いて、さらに三人分をそれぞれの定位置に置いた。結局そんなやり取りが苦手な私は黙ってケーキを食べるだけだった。
「ま、そんな事はケーキ食ってからにしようぜ。いっただきまーす!」
「ふふ、それもそうね…いただきます」
自分で言い始めた杏子さんは自分で締めくくり、手も合わせて早々にケーキを食べだした。がっつく、というのがぴったりな食べ方に対し、マミさんは静々と行儀良く食べだした。
「外はすっかり夏ねぇ」
マミさんが日よけのカーテンの隙間から見える空を見て、ぽつりと呟いた。空調を効かせたこの部屋では分かりにくいけど、時刻はすでに午後の四時を過ぎているにも関わらず、まださんさんと太陽が世界を照らしていた。
「全くさ。おかげで日焼け止めの魔力もバカになりゃしないよ」
杏子さんはケーキを食べるのに全力を尽くしていながらもマミさんに返答する。最近は休んでいるけど私だって暑いのは嫌いだから日焼け止めという事で魔力で体を覆っている。元々白い肌は全くの変化が無い。ちょっとだけ杏子さんに同意してしまった。
「クリーム買えばいいのに。それにお肌のケアは女の子の基本よ?」
「嫌だよ勿体ないのに。それよりもマミ、あいつら遅いから食ってもいい?」
洒落っ気の無い杏子さんらしく美容の話題を早々に打ち切ると、未だに食べる人間が到着しないケーキを見て目を光らせた。本当にこの人、どんな考えよりも食欲が先行しているイメージだ。あまり食べない私は杏子さんよりも随分先に食べだしたのにも関わらず、まだ黙々と食べていた。
「ダメよ。もう少ししたら二人とも来るんだし、それにまた作ってあげるから…」
「じゃあさやかの分だけでいいから! 頼むよぉ」
両手を合わせて懇願する杏子さんは何気に酷い事をさらりと言った気がする。まだ来てないからいいけど、さやかさんに聞かれたら面倒な事になりそうで、私は内心でいつも飽きもせずに喧嘩ばかりしている二人を想像し、ため息を吐いた。
「ところがどっこい! ちゃんと聞こえているっつーの!」
そして嫌な予感通り、カーテンを閉められた窓の向こうから元気な声が聞こえた。何事かとマミさんがカーテンを開けると、そこには制服姿のさやかさんと…そんなさやかさんを抱えるようにして真っ白な翼を展開している、ほむらさんが居た。窓越しにほむらさんと目が合ってしまった私は急いで目を逸らし、わざとらしくぬるめの紅茶に口を付けた。
「ちょっと杏子! あたしのケーキだけ食べるっていうのはどういう了見よ!?」
マミさんが窓を開けるとすぐさま靴を閉まって部屋に入ってきたさやかさんは案の定、杏子さんに食って掛かった。見慣れた光景に初めは誰も止めず、そして激化する寸前まで好き勝手にさせているのがいつもの対応になっている。私はある意味もっとも苦手なほむらさんの視線を感じながら、そっちを向かないように二人のやり取りを眺めていた。
「いやー、アタシはさやかの事を思ってそうしようとしただけで」
「何がどう思ったら友達のケーキを食べるのよ!」
「だって最近体重が増えたっていってもが!」
「わああ、言うなバカー!」
さやかさんの秘密をあっさりと暴露しかけた(といっても止めても手遅れだけど)杏子さんの口を両手で押さえ、そのままお互いぎゃーぎゃーと言い合いを始めた。うるさいな…とは思いつつも、私はその雑音が嫌いになれないでいた。
「暁美さんもお疲れ様。わざわざ飛んでまで急いで来てくれたの?」
「はい。約束の時間にはちょっと遅れましたけど、お邪魔します」
見た目通りのクールで淡々とした口調で、それでもこの人なりに精いっぱい親しい人に対して礼儀を払った挨拶で変身を解いた。マミさんと会話を終えるといつものように用意されたケーキの前に座る…のはいいんだけど、私の隣に座るのは、少し意地悪いような気もした。
『気に障ったかしら? でも他意は無いから』
私の思考は漏れていたのか、テレパシーで私だけに聞こえるように思念を送ってきた。びくり、と私の体は震え、一瞬だけ視線を送った。
お互いもう敵意は無いけれど、一度は殺しあってしまったのだ。ほむらさんは他の人とは比べ物にならないくらいの警戒の意思が見てとれたし、マミさん相手には子供扱いされた私でも、それは当然の流れだと思った。
『…私は、しばらくは戦うつもりはありませんから』
『そう。しばらくが長く続いてくれると嬉しいわね』
ほむらさんのその言葉は心の底からのものだったんだろうけど、私からするとそれは嫌味にしか聞こえなかった。不機嫌な思念を送りそうになった私の意思を中断させたのは、杏子さんとの喧嘩に飽きて、そして何故か私に抱き着いてきたさやかさんだった。
「あっすみーん! どうしたのさ不機嫌な顔しちゃってー」
そのまま私の頬に自分のそれを引っ付けて頬ずりしてくるさやかさんに、そのまま返したい言葉だった。
この人は女の子相手だとこうした(今でも交流が苦手な私の基準で)過剰なスキンシップをしてきて、その度に私はどうすればいいのか困っていた。
「別に、そんな事…」
「おいおい、お姉さんのあたしに隠し事しても無駄だぞー? あすみんみたいな可愛い子の笑顔に困り顔は似合わないんだから、お姉さんに何でも相談してご覧?」
笑顔に困り顔が似合わないって、どういう事だろう。小学生の私でも気付きそうな疑問を思い浮かべていたら、呆れ顔の杏子さんが「やれやれ」と私からさやかさんを引っぺがした。正直、ちょっとだけ感謝したくなった。
「お前がお姉さんなんて柄じゃないっての。下手したらゆまよりも精神年齢下じゃねーの? 大体笑顔に困り顔って、どっち浮かべりゃそんな表現ができんだよ?」
「相変わらず大雑把なくせに変なところで杏子は細かいなー。そういう細かい感情の変化を捉えるのが乙女ってもんでしょ? それにゆまっちにだってお姉ちゃんと呼ばれているあたしはどこからどう見ても」
「浮かれてるバカ?」
「ちょっと表出ろこら!」
バカは言い過ぎにして、マミさんみたいな典型的お姉さんを見た後だと、さやかさんはお姉さんとはちょっと呼びにくい。マミさんに憧れていてそう呼ばれたいというのがよく分かる。でもそんな正直なところが、子供ながら自分でもひねくれてしまっている私は、羨ましかった。
ギャーギャー言いながら表に出てく二人を尻目に、マミさんはほほ笑みながら紅茶のおかわりを用意しにキッチンに消えていった。
「…」
「…」
そして私はほむらさんと二人だけリビングに残された。
とっても居心地が悪い。あれ以来お互いに何かしたわけじゃないけど、そう簡単に殺しあった関係が改善されるはずは無い。
増してや私は、ほむらさんの最も触れてはいけない部分に触れてしまった。
そう考えると、殺されずにここで生かしてもらっているのは、奇跡のような気がした。
いや、神様が起こしたものだから、確かに奇跡なのだけど。
「ねえ。あなたは今、幸せ?」
ほむらさんは唐突にそんな事を聞いてきた。
幸せ。
しあわせ?
シアワセ!
ほむらさんは何気なく聞いたのだろうけど、かつての私の衝動の原動力に触れられ、一瞬気が狂いそうなほどのめまいを感じた。
「どうして、そんな事を?」
私は紅茶を飲んだ後にも関わらず、口の中が異常に乾いてしまい、変な声で尋ね返した。
「さっきと同じよ。他意は無いわ。聞きたかっただけ」
素知らぬ顔で紅茶を飲んでいるほむらさんの横顔にくぎ付けになり、私の中でかつての感情が蒸し返された。
―ホントウニソレダケ? ウソナラソノカオ、ツブシチャウヨ?
そう考えた直後、私は寒気を感じて腕を抱きかかえてうつむいた。部屋の温度を示すエアコンのリモコンには二十八度の数字。決して暑いとは言えない、空調が作り出した温度。
でも私には、体を凍らせるような吹雪のように風が差し込むような気がして。
怖い。私は幸せが怖い。だから全部壊さなくちゃいけない。
でも、壊して私はどうするの?
いや、そんな疑問を持ってはいけない。私を捨てたあの人が生きている『幸せ』という環境自体が私の心を壊してく。だから私は壊さなくちゃいけなかった。
そう、今私が感じているかもしれない環境だって、全部―。
【ダメっ!】
その時、頭の中に強く響く声に私の意識は一つの感情だけで塗りつぶされる。
「ひっ!」
そう、こんな声を出してしまうほどの、恐怖。私が幸せに対して感じる以上にそれを与えてくる存在なんて、一人しかいない。
『ま、まどか?』
冷静そのものを装っていたほむらさんが思念で、その聞こえてきた声の主に呼びかける。
そして私はというと
『ごめんなさいもうしませんゆるしてくださいごめんなさい…』
と、そんな風に謝罪の言葉を繰り返すだけだった。
【もう、ほむらちゃんったら、またあすみちゃんに意地悪して…】
『べ、別に私は…』
【あんまりいじめてると、もう話してあげないよ?】
「ごめんなさいゆるしてくださいもうしません」
ほむらさんはまどかさんのそんな言葉を聞くと、まるで私みたいに謝罪の言葉を繰り返した。しかも思念ではなく、言葉に出して土下座までしている。
【ふう、全く…あすみちゃん?】
『は、はひっ!』
次いで私に声をかけてきたまどかさんに返事をしたけど、思念だというのに私は噛んでしまった。怒っている様子はなくむしろ楽しそうだったけど、まどかさんに『きょういくてきしどう』を受けた私は、底知れない恐怖しか感じなかった。
【ほむらちゃんはちょっと不器用だけど、本当はとっても優しいの。だからあんな言い方しかできないだけだから…許してあげてね?】
『あ、あい! もちろんえふ!』
私の喉の渇きは最高潮に達し、思念でもすでに何を言っているか、自分でも分からない。
でもまどかさんは嬉しそうに、【うん】とだけ返事をした。
【ほむらちゃんのさっき言ってた事はね、本当に言葉の通りなの。あすみちゃんはまだ抵抗があるかもしれないけどほむらちゃんは本当に『幸せ』なのかどうか心配してくれているんだよ? それだけは分かって欲しいな】
『は、い』
優しいまどかさんの言葉に私は少しだけ喉が元通りになり、そこでようやくほむらさんの言葉の意味を考える事が出来た。
シアワセ。
しあわせ。
幸せ。
私はそれを言葉として受け取った時、どう思えるのだろう。
【ふふ、それじゃちゃんと仲直りするんだよ? 私はいつでも見守っているからね】
そうしてまどかさんの言葉が遠くに聞こえ、私たちは神様の作り出した時間から解放された。
ほむらさんはまどかさんの言葉がよっぽど堪えたのか、まだ土下座をしていた。
「…ほむらさん」
私はどう言えばいいのか分からない不思議な気持ちと迷いを感じながら、今日初めてほむらさんに自分から声をかけた。ほむらさんは土下座から立ち直ると居心地悪そうに髪を振り払い、私から顔を逸らした。
「…私を信用してくれなくてもいい。でも、まどかの言う事は信じて。それだけだから」
そのままほむらさんは紅茶を飲み、ケーキを私みたいに黙々と食べだした。
私はそれ以上声をかけられなかった。でも、ほむらさんの言うとおりにはした。
―私は幸せ?…幸せになるべきなのかな?
すぐには分からない。そもそもそれを否定し続けてきた私は、幸せがなんなのかすら分からなくなっていた。
「美樹さんたち、そろそろ帰ってくる頃かしら?」
でも、少なくとも。
「ちっ、随分と強くなりやがって…続きはケーキ食ったあと、ゲームで勝負だ!」
この人たちと一緒に居ると。
「望むところよ! 自分だけがゲーマーなんて思いあがらないでよね!」
嫌な気分にはなれない。
「ふう…また今日も騒がしくなりそうね」
昔の自分には戻れない。そんな気がした。
だからもう少し。
まどかさんの言う事を聞いて、幸せに向き合ってみる事にした。
今年の夏休みは、ちょっとだけマシになるかもしれない。
私はなぜかそんな気がしていた―。
劇場版まどか☆マギカオリジナルエピソード外伝
『あすみの夏休み』
同時公開決定!
幸せを知らない少女は夏休みに何を見つけるのか?
本編のもう一つの結末、ハートフルコメディを見逃すな!
補足キャラ説明
・神名あすみ
小学六年生。魔法少女。
周囲の不幸を願い魔法少女になるものの、ほむらとの激闘、そしてその後にまどかによる『きょういくてきしどう』により、現世での更生プログラムとして幸せを探す事になった。
鬱屈した性格は治ってないが、魔法少女時の凶悪な一面はなりを潜めており、マミの家で引き取られ、今はおとなしく学校も魔法少女も休んでいる。まどかには頭が上がらず、同時にまどかの声を聴く事が出来るめずらしい存在。
・まどか
女神様。
ほむらとあすみの激闘の最中、二人を和解(?)させて、さらには二人にちょくちょく干渉する術を得た何でもありの女神様。
本人いわく「結構暇」らしく、今日も二人の様子を伺いながら楽しそうにしている。
決して二人のためであって、暇つぶしではない…はず。
・ほむら
まどかの力を受け継ぐ最強の魔法少女。
あすみと戦うまではまどかの作り変えた世界において自分自身の役目を見失いかけていたが、あすみの精神攻撃により過去から続く自分の弱さ、そしてトラウマを克服する事により再び世界を守る為に弓を取った。
あすみに対して警戒は解いていないが、まどかから彼女の様子を見守るように言われており、不器用ながらもあすみの幸せに対する意識を変えるために努力している。
まどかとちょくちょく話せるようになって嬉しいものの、彼女には全く頭が上がらない上にあすみの件もあって、日々頭を痛めているとか。
説明 | ||
劇場版まどか☆マギカのオリジナルキャラクターが登場…!? この激闘の末にほむらは何の為に戦うのか、 そしてあすみは何故不幸を望むのか、 それが全て明らかに! *注意* 予め『神名あすみ』で検索を済ませておき、釣りである事をご了解のうえでお楽しみいただくことを推奨いたします。 あすみのイラストは見かけるけど小説やSSは無いなーと思って筆を取ったらこうなりましたw |
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