雨、少女、クッキー
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 その日、私は突然の土砂降りに見舞われた。

 せっかく大好物の魚料理に舌鼓を打った帰りだったのだが、気分は一瞬で台無しになった。私は、雨が何よりも嫌いなのだ。

 まとわりつくような湿気、埃っぽいにおい、耳障りな音。全てが不愉快極まりない。

 顔をしかめ、びしょ濡れになりながら街の中を走っていると、一軒の古本屋が目に入った。おあつらえむきに軒を出している。私はその軒下に駆け込み、雨宿りをすることにした。

 しばらく空を見つめていたが、雨脚は強まるばかりで、一向に雨が上がる気配はない。別段急ぐ理由もない私は、ごろりと横になって一眠りを決め込んだ。古本独特のカビ臭いにおいが鼻についたが、眠りについてしまえば気にもならないだろう。私は耳を塞ぐようにして丸くなり、目を閉じた。

「寒くないの」

 そのときである、少女の声が聞こえてきたのは。再び目を開いた私は、さぞ不機嫌な顔をしていたに違いない。ただ眠りを妨げられたからというだけではない。何を隠そう、私は雨の次に子供が嫌いなのだ。

 しかし、少女は怖気づく様子もなく、私に歩み寄ってきた。

 学校帰りだろうか。赤いランドセルに黄色い帽子の彼女は、長靴を履き、手には傘を持っていた。雨対策は万全である。

 にも関わらずこんなところで肩を濡らしているのは、一体どういうわけか。真新しい傘は、壊れているようにも見えない。やはり、私には子供の考えることが分からない。

「あ、これ、いいでしょ」

 私の視線に気づいたのか、少女は傘を持ち上げて見せた。

「昨日、お母さんに買ってもらったんだ」

 そう言って彼女が傘を開くと、デフォルメされた猫のイラストがいくつも現れた。少女が傘を回す。それに合わせて、猫たちが走り始める。

 太ったトラ猫が小さな黒猫を追いかける。黒猫は三毛猫を追いかける。三毛猫はトラ猫を追いかける。

 ぐんぐんスピードを上げた猫たちは、混ざり合って一つの輪になった。私は目が回りそうになり、傘から顔を背けた。

 やがて、そうするのにも飽きたのか、少女は傘を回すのをやめた。少女は雨空を見上げ、、困ったような顔をして、静かに傘を閉じた。

 なるほど、一連の彼女の様子を見て、ようやく合点がいった。この子は、母親に買ってもらったばかりの傘を汚したくないのだ。

 それでは傘の意味が無いではないか。全く、実に子供らしい浅はかな考えだ。

 私が呆れて寝直そうとすると、またもや少女が呼びかけてきた。

「ねえ、クッキー食べない」

 少女はポケットからハート型のクッキーを取り出し、二つに割った。そうして二つのかけらを何度か見比べた後、少しだけ小さな方を私に差し出した。

 私は、甘いものがあまり好きではない。その上、食後で腹は満たされていた。私は、口をつけるでも突き返すでもなく、目の前に置かれたクッキーをじっと眺めた。

 少女はつまらなそうに目をそらし、絶え間なく落ちる雨粒を見つめ始めた。

 雨音が、一際大きく聞こえるように感じた。

 

 パシャン。水たまりを踏む音がした。

 くるり。少女が振り向いた。

 曇った顔が、明るく晴れた。

 

「お母さん」

 少女は、迎えにきた母親のもとへと駆け出した。母親は少女を抱きとめ、タオルで顔を拭い、その手に握られた傘を見て、困った子ねえ、と呟いた。

 母子は寄り添って一つの傘に入り、雨の街へと歩き出した。私は、その背中をぼんやりと見送った。

 二人の姿が見えなくなる頃、いつの間にか雨は止んでいた。

 私は急に口寂しくなって、すっかり湿気ったクッキーを一口かじった。強烈な甘みが、口中を襲った。

 私は身震いをし、にゃあ、とひとつ鳴いた。

 

説明
初投稿です。クッキーのシーンがずっと書きたかったんです。間って難しいですね。
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