垂水百済はマイナスである ――172回目の【僕】――  BOX―27 襲来、悪平等五人娘
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 たまには平穏もいいものだ。

 

 と見栄を張るのも悪くない。

 

 ――46回目の「僕」――

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 意外といえば意外にも。

 他ならぬ本人がそう思えるほどあまりにもあっさりと、新任教師・垂水百済は箱庭学園の生徒達に受け入れられた。

 風貌と価値観こそ特異ではあったが、元々百済は人付き合いが悪い方ではなかったし、外見的には年が近いことも相まって――そして何より、いつの間にか姿を消した((とある男子生徒|・・・・・・・))と雰囲気が似ていることが、教師と言うより兄貴分として親しまれる最大の理由であった。

 彼の担当は一年生の歴史全般だ。これもまた、生徒の間で人気となっている。

 教科書に載っている文章や偉人達の伝承をそのまま羅列するのではなく、彼なりの解釈や考察を織り交ぜて――まるで実際にその目で見てきたかのような物語を展開していくのである。その様は、授業と言うよりも記憶の朗読に近いものだった。

 

 とりあえず、楽でそれなりに自由のきく仕事。

 

 なるほど確かに、自分が憶えていることをそれなりに分かりやすく噛み砕いて説明すればいいだけなのだから、袴が用意した((立場|しごと))は百済にとって丁度いい隠れ蓑となっている。本職の教師達が聞けば激怒しそうな感想ではあるが。

 

 フラスコ計画からも一歩退いて傍観者となり、ただの教師となった百済に平穏が訪れたのかと言えば実はそうでもなく。

 今現在、百済は生徒会室で履歴書を流し読んでいた。

 

「……で、禊の過負荷に耐え切ったのがこの五人だったってワケか」

 

 体験入学――六百三十二人いる中から、黒神めだかの後継者選定の『予選』を勝ち抜いた五人の女子中学生。

 

 棺桶中学、喜々津嬉々。

 

 潜水艦中学、鰐塚処理。

 

 一枡女子中学、財部依真。

 

 缶詰中学、与次郎次葉。

 

 聖カーゴ女学院、希望ヶ丘水晶。

 

 履歴書を読む限り、極々普通の――と言っていいのかどうか甚だ微妙だが――中学生の少女達である。もっとも、相手が用意したこんな紙切れの内容など微塵も信用できないし、するつもりもないが。

 まあ、それでも――

 

「この((禊|ばか))の言葉にも動じないっつーなら、それなりに将来性があるんじゃねーか? 別に今、無理に一人に絞らなくても、五人一緒にある程度育ててお前らが卒業する前に一番有能な奴を選べばいいだろ。そもそも、顧問でもない私に意見を求める方がどうかしてるだろーが」

 

「相手がただの中学生なら、ね」

 

 この話は終わりだと言わんばかりに席を立つ百済を、難しい顔をした瞳が呼び止める。

 

「この五人の中に((悪平等|ノットイコール))が混ざってるなんて言われたら、貴方を頼らざるを得ないわよ」

 

 混ざっているも何も、五人全員が悪平等なんだけど。

 溜め息交じりにそう言おうとして、しばし考え、開きかけた口を閉じる。

 それはあまりにも勝負として公平ではないと、思い直して。

 

「何か……勘違いしてるようだから教えておくが、私は貴様達の味方という訳でも、なじみの敵という訳でもないぞ」

 

 その言葉に、皆が顔を強張らせて身構えた。

 正しい反応だ。そもそも、こんな人でなしが味方だと考える方がどうかしている。いくら『垂水百済』がめだかや善吉の幼馴染でも、それはそれ、これはこれだ。

 

「生憎、今回は傍観に徹することに決めているんだ。妨害はしないが手助けをするつもりもないぜ」

 

「だったら、せめてヒントだけでもくれよ百済ちゃん。このままじゃ安心院なじみの言う通り、俺達は自分の手でフラスコ計画の後継者を作ることになっちまう」

 

 企んではいないが托卵ではいる。

 なじみは善吉達にそう伝えたらしい。

 あいつが考えそうなことだ、と百済は首を擦る。

 昔からそうだ。相手が策を巡らせれば巡らせるほど、面白がって自ら進んで策に嵌まるのだ。永遠を生き、一京のスキルを持つがゆえに、計画を阻む障害すらも娯楽として呑み込んでしまう。

 今回の後継者育成も、なじみにとっては丁度いい暇潰しなのだろう。

 万が一、五人以外の新たな後継者が現れてフラスコ計画を阻む生徒会長になったとしても、それこそ尽きることのない玩具を嬉々として受け入れそうな気がする。

 

「そんなに気張る必要はねぇと思うぜ? 相手が((異常|アブノーマル))だろうと((過負荷|マイナス))だろうと((悪平等|ノットイコール))だろうと、何だかんだで適当に遊んでりゃあそれなりに改心すんだろ」

 

「『百済ちゃんみたいに?』」

 

「私は改心したつもりはねーんだけどな」

 

 丸くなっただけだ。

 ヒヒヒと鵺のように笑う百済に、付き合いの長い男連中は苦笑を浮かべる。

 何時だって、何処でだって、百済は自分の意思にのみ従って生きてきた。誰かの隣に立って肩を並べることはあっても、下につくつもりは毛頭ない。

 ここにいる『垂水百済』が黒神くじらを守るための存在しているのだとしても、その本質である『誰でもない人外』が、誰かの味方になることなどないのだ。

 

「苦労しろよ、若造ども。せいぜい私ら((老兵|ロートル))を楽しませろ」

 

 善吉達も重々承知しているらしく、それ以上協力を乞おうとはしなかった。

 

「あ、あのぅ」

 

 おずおずと、躊躇いがちに挙手したのは、話の展開を黙って見ていた喜界島だ。

 彼女を頬を赤らめて百済を――より正確には、百済の背後をちらちらと窺っている。何が言いたいのかは百済にも――この場の全員が嫌と言うほど分かっていた。悪平等・安心院なじみにどう対抗するか模索する張りつめた場の雰囲気は、あっという間に脱力したものに変わる。

 

「……あのさぁ、いい加減離れてくれねーか?」

 

 疲れた顔をする一同を代表して、百済は((めだか|・・・))に声を掛けた。

 背後から、両腕を首に回してしっかりと抱きしめて、にこにこと――そりゃあもう満面の笑みを浮かべているめだか。百済に頬ずりをする刺激的な光景が、喜界島が顔を赤らめている原因であった。

 

「や!」

 

「いや『や!』じゃなくてね、お嬢さん」

 

 幼児じみた言動であっけなく拒否された。首に巻きつく腕の力がますます強くなっていく。

 今までも異様に懐いていためだかだが、会長戦で一度手酷く突き放したことが影響しているのか、これまで以上に百済にべったりと引っ付いて離れようとしない。

 無理に引き剥がそうとすると、ぐずる赤ん坊のようにいやいやと首を振って、涙を溜めた目でこちらを見つめてくる。姉妹だけあってくじらと顔が似すぎているため、百済は彼女を連想してしまい、どうにも強硬手段を取ることが出来ない。

 

「『めだかちゃんてさ』『百済ちゃんと一緒にいると何処までも駄目になるよね』」

 

「駄目て。私ゃマタタビか何かか」

 

 いっそのこと触れ合い禁止令でも出そうかと考えたが、下手をすると生徒会業務に支障をきたしかねないと善吉達からストップを掛けられた。在り得ない、と否定出来ないのが空しい。

 恋愛感情ではなく、あくまで『お気に入りの縫いぐるみ』か『よく懐いている親戚のお兄さん』的な愛情レベルにとどまっているのが幸いと言えば幸いか。黒神姉妹と三角関係など、千五百年で経験したどんな大戦よりも恐ろしい。それだけは御免被る。

 

「まあとにかく、五人の中から悪平等を探し出すより、誰が後継者になっても問題がないように育て上げることを優先した方が良いと思うぜ。……それと、禊」

 

「『ん?』」

 

「しばらくは用心しとけ。私が敵だったらまず間違いなく、お前にムカついて潰そうとするから」

 

 心当たりがあるのか、球磨川は何か思案していたが、

 

「『うん分かったよ』『忠告ありがとね百済ちゃん!』」

 

 まるっきり分かってなさそうな晴れ晴れとした笑顔。

 言っても無駄か、と、百済は微妙な表情で生徒会室を後にした。背中にめだかを張り付けたまま。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 人外たる百済にも悩みはある。

 なじみの悪ふざけの後始末だったり、公衆の面前で抱き着いてくるめだかのことだったり、それを目撃して不貞腐れたくじらを宥めすかしたりと、傍から見れば女絡みのトラブルばかりで、独り身の男子生徒達から羨望と嫉妬の目で見られているのだが、当人からしてみれば中々に厄介な問題なのであった。

 加えてもう一人、百済の頭を悩ませている少女がいる。

 

「………………」

 

「………………」

 

 歴史の授業が終わり、生徒達が思い思いに談笑にふける中、百済は教壇から動けずにいた。

 視線の先には山のようなドーナツを口に運んでいる不知火半袖。手と口は別の生き物のように働いているが、その目だけはじっと百済を見据えている。瞳に灯るのは怒りの炎。

 冷や汗を浮かべて、しかし目を逸らすこともできない。

 

「百済ちゃん、不知火に何かしたのかよ」

 

「したっつーか、むしろ何もしなかったから怒ってるっつーか……」

 

 不穏な空気を感じ取って小声で話しかけてきた善吉に、曖昧に返す。

 ((実|げ))に恐ろしきは食べ物の恨みと言ったところか。

 

「……選挙戦の後で焼肉食いに行くっつー約束をすっぽかしちまった」

 

 うわぁ、と善吉の顔が引きつる。

 言いたいことは分かる。どれだけ愚かなことをしでかしたのか、自分でもよぉく分かっている。

 

「やむを得なかったとはいえ、このまま放っておいたら((ないことないこと|・・・・・・・・))噂にされてとんでもねーことになっちまいそうだな」

 

 という訳でご機嫌を取りましょう。

 嘆息し、百済が懐から取り出したのは購買で買ってきた菓子パン。包装を剥いてちらつかせると、パンの動きに合わせて不知火の目も動き、ついでにアホ毛も揺れる揺れる。

 

「モノで釣るって教師としてどうなんだよ」

 

「しょうがねーだろ、他に此奴の機嫌が直りそうな方法を思いつかなかったんだから」

 

「…………フシャー!!」

 

 馬鹿にされたと思ったのか、油断した一瞬の隙をついて、不知火は大口を開けて噛り付いた。

 ガジガジと、恨みがましい目でパンではなく百済の指に噛みつく。

 

「おわあ!? 見ろ善吉、思いのほか簡単に半袖が釣れたぞぁ!!」

 

「展開が予想通り過ぎて笑えねぇし、釣れたっつーか襲われてんじゃねーか!! 不知火もストップストップ! お前の歯と顎じゃ百済ちゃんの指千切れるから!」

 

「((焼肉|はひひふ))((食わせろ|ふわへほ))ー!!」

 

 ギャー、ヒー、フギャー!! と教室の片隅の喧噪。

 善吉が不知火の足を引っ張り、不知火は百済の指に噛みついたまま、百済はぶんぶん腕を振る。

 三人で繰り広げられる奇抜な綱引きは、知らず知らずの内に遊びへと変わっていた。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 和気藹々とした日常を過ごす人外を余所に。

 五人の端末は既に行動を開始し、終えていた。

 予想通りに、あまりにも愚直単純に。

 自分達が何に手を出したのか考えもせずに。

 

 不幸かどうかはともかくとして。

 百済が何もしなくとも、面倒事は向こうからやってくる。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 見つけたのは、階段と踊り場に飛び散った血痕。銃撃で割れた窓ガラスに、強酸の溶け跡。

 落ちていたのは、血に染まった見覚えのある学生服の切れ端と、剥がされた生爪。

 

 以上の点から推測。

 

 あの五人が球磨川を襲撃。たかが女子中学生相手に、とは思わない。

 数は暴力だ。

 抵抗する間もなく、痛めつけられ再起不能。

 生徒会の一角を落としたと戦意を昂ぶらせた五人は、勢いと好奇心に任せて、本体から聞かされていた同胞にもちょっかいを掛けようと考えた。

 

「――てぇトコかね」

 

 ノーマライズ・スモークに火を灯し、百済は眼前に立ち並ぶ五人の少女を見据える。

 同属の分身にして端末にして自我と個性を持つ人間。厄介事を引き起こしてくれやがった大馬鹿者達にして、最低限守ってやらなければならない弱々しい年端もいかない女の子。

 ある時、ある男はこう言った。

 

「『百済ちゃんって基本年下の女の子に甘いよね』」

 

 心外だ! とその時は容赦なく蹴り飛ばしたが、自分の行動を顧みればなるほど確かに。しかしそうなると、なじみ以外の全人類が――九十歳の老婆だろうが零歳の赤ん坊だろうが自分の庇護対象と言うことになるのだが。

 止めよう、怖い考えになってしまった。

 

「……余裕でありますな垂水殿。貴方にとって我々など、相手にすることすら面倒な取るに足らない小娘に過ぎないと言うことでありましょうか」

 

 思考を打ち切り、紫煙と溜め息を吐き出す百済に、眼帯とポニーテールが特徴的な鰐塚処理が言う。

 五人が五人とも、武器を取り出して既に臨戦態勢に入っている。同属であるにもかかわらず――いや、同属だからこそ遠慮は無用だと考えているようだ。

 やたらと好戦的な小娘どもに辟易しながら、簡潔に用件を話す。

 

「勘違いしなさんな、私はただ、結末を見届けたいだけだ。あいつがお前らをどう指導するのか、教師としての純粋な好奇心に従ってな」

 

 言葉の意味が分からず首を傾げる少女達の耳に、足音が突き刺さる。

 彼女達からは見えないだろうが、百済からはよく見える。

 巨大な螺子を携えた、小柄で弱く傷だらけで、けれど誰よりも最凶な、不死身の化け物の姿が。

 

「ほぉら、お出ましだ」

 

 一瞬だった。

 不意打ちも不意打ち、黒い影が背後から鰐塚達の間をすり抜けたと思った次の瞬間には、彼女達は螺子で壁に拘束されていた。百済の目でも刹那の出来事なのだから、何をされたのか理解する暇もなかったはずだ。

 球磨川禊は誰よりも弱いが、それが敗北とイコールで結ばれるかと言うと実はそうでもない。あらゆる弱さを知り尽くしたこの男には、相手の弱点が手に取るように分かっている。

 

 最弱、ゆえに最強。

 

 球磨川禊。

 伊達にめだかの宿敵だったわけではない。

 

「『それじゃあ百済ちゃん』『あと……』『よろしく』」

 

 言葉を絞り出して崩れ落ちた球磨川を、百済は片腕で受け止めた。

 傷が熱をもって気絶してしまったようだが、命に別状はなさそうだ。

 以前の球磨川ならば、敵を前にして報復を放棄したりはしなかった。めだかとの戦いを経て、心境に何らかの変化があったのだろうか。

 それとも、あるいは。

 ((百済|じぶん))を信頼して、任せたつもりなのか。

 

「……甘いのはお前も同じだろうよ、禊」

 

 二本目に火を着けて、拘束を解こうともがく少女達に向き直る。

 

「藪ん中に手ぇ突っ込んで噛み千切られた気分はどうだ? 若い内は好奇心も大事だが、それでもやって良いことと悪いことの判別ぐらいはつけなきゃあ不味いだろ。だからこうして――」

 

 自分の首を絞めることになる。

 化物よりも化物な人外が、口を三日月型に歪めて鋸歯をギシリと噛み鳴らす。

 

「暴力行為に器物破損、ナイフに濃硫酸にスタンガンに拷問用工具一式、トドメにアンチマテリアルライフルだぁ? 校則違反どころか銃刀法に真っ向から喧嘩ふっかけてやがんなお前ら」

 

 少女達の顔は青ざめ、カチカチと歯が鳴る。

 恐怖は感覚を鈍らせ、時には幻覚すら生み出すが、はてさてこいつらには自分がどう見えているのか。

 裾から襟から袖口から――全身からまるでハリネズミのように工具を生やして。

 

「さぁて小娘ども、((教育|おしおき))の時間だ」

説明
第二十七話
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