時川の船頭 三話 |
三 平穏にちらつく記憶
カレンダーを一枚めくって、八月。
いよいよ夏も盛りで、アウトドア派ではない僕も、少しは遊びに出たくなる。
――昨日まで、つかの間の非日常を体験したけど、もう完全に頭は切り変わっていた。
僕の初恋は、七月と一緒に終わった。ちょっと劇的なモノローグを自分の頭の中で書いて、僕はまたいつもの日々に戻ろうとしている。
その第一歩として、今日は妹を連れて外出だ。
友達にもよく言われることなんだけど、僕と渚沙は奇跡的にもすごく仲の良い兄妹で、一緒に遊ぶことも珍しくない。
中二なんて、一番家族がうっとうしくなる時期だろうに、渚沙は僕には素直なものだ。
「渚沙。おはよ」
パジャマから着替えてリビングに降りると、渚沙が一人でチーズトーストを食べていた。香ばしい香りが食欲をそそる。
ちなみに親は共働きなので、もう出勤している。現在時刻は九時過ぎだし。
「お兄おはよー。ちょっと待ってね。すぐにトースト焼いてあげるから」
「ありがと。じゃあ、トイレ行って来るよ」
――おわかり頂けたであろうか。
こんな感じに、本当に僕と渚沙は仲が良い。
ちなみに渚沙の容姿はというと、僕と同じで背は低め。ただ、文科系な僕とは違ってテニス部に所属する体育会系なので、筋肉なんかは付いているみたいだ。
生まれてこの方染めたことのないセミロングの黒髪を、シンプルに顔の右側でリボンを使って結っていて、中々可愛らしいと人気がある。
僕に似て全体的に地味ではあるけど、可愛い方だろう。身内のひいき目を抜いたとしても。
「はい、お兄。今日は良い感じに焦げ目が付けられたよ」
トイレから戻って少し待つと、渚沙が僕の席にトーストを置いてくれた。
僕の好みに合わせて、ちょっと長めに焼いて焦げ目を付けてくれている。
「お、これは確かに……。ありがと、いただきまーす」
サクッ。小気味いい音と、芳醇な香りが広がる。
我が家はずっと朝食はパンだけど、このトーストの一口目の美味しさは、ずっと飽きることがない。
こう言うとご飯派の人には悪いけど、ご飯とは感動が雲泥の差だと思う。
「渚沙。今日、外に出る予定とかある?」
「ううん。ないよ」
「そっか。じゃあ、どっか遊びに出よう」
「了解ー。なんかお兄、最近忙しそうにしてたし、久し振りだね」
渚沙も連日出かけていた気がするけど、妹に隠し事は出来ない、か。
もしかしたら昨日、落ち込んでいたことにも気付いているかもしれない。
「色々とあってね。もう落ち着いたから大丈夫だよ」
「月も変わったし、心機一転、だね。じゃあ私、着替えて来るから。どうせお兄はそのまま行くんでしょ?ちゃんと待っててね」
「失礼な。僕も一応、外に出るなら何か一枚ぐらい上に羽織るよ。Tシャツ一枚は野暮ったいし」
と言っても、その程度のお洒落なので、衣装持ちな妹にはとても敵わない。
センスがどの程度のものなのかは別な話として、渚沙はお小遣いのほとんどを服に費やしているという。
「ごちそうさま」
食器を片付けて、さっさと歯磨きもして出かける準備を整える。
そういえば渚沙は歯を磨いてなかったと思うけど、また歯磨きはサボるつもりか。中学生にもなって、歯磨きが嫌いなんて我が妹ながらよくわからない。
一応、彼女が言うには「口の中が歯磨き粉の味になって、余韻が台無し」とか。まあ、一理あるかもしれないけど、それで虫歯になるというのも……。
さすがに寝る前には磨いているので、あまり虫歯になったという話は聞かないけど、兄としてはきちんと歯を磨いて、将来入れ歯のお世話にならないようにして欲しい。
って、妹の歯磨き事情は良いか。具体的にどこに遊びに行くかは決めていないので、今から大まかにどっち方面に向かうか決めておかないと。
やっぱり、娯楽が多いのは隣町だけど、渚沙は昨日友達と行っているし、ベターとは言えない。
なら、いっそ近場で済ませるのもありか。
こんな田舎でもちょっとしたアミューズメント施設はある。
ボウリング場と、バスケットボールなんかが楽しめるちょっとしたコートがある程度だけど、運動が好きな渚沙はきっと喜ぶだろう。
テニス以外ののスポーツなら、良い勝負は出来ると思うし。
「お兄おまたせ。とりあえず動きやすいにカッコにしたけど、これで良いかな」
「さすが、僕の妹。丁度僕もボウリング場に行こうって決めたところだよ」
「そこぐらいしかないもんね。なに、簡単な推理だよ。ワトソン君」
名探偵先生は、得意気にウィンクをしなさった。
僕は賞賛とばかりにミュールと運動靴の両方をお出しして差し上げる。
その時、ヒールの部分が目に入って来て、一瞬だけ昨日の出来事を思い出した。
「お兄?」
「あ、いや……何もないよ。これで良かったっけ」
「うん。ありがと、お兄。大好きだよ、このミュール」
夏休みだし、それなりの混雑を覚悟していたけど、思ったよりもボウリング場は空いていた。
近場の大したことのない遊び場より、少し遠くても楽しい都会を普通は選ぶのだろう。
ほとんど貸し切り状態で、好きな風に遊ぶことが出来て好都合だ。
「まずはどうする?」
「そりゃお兄。折角ボウリング場に来たんだから、まずはボウリングしないと。前に来た時は負けた気がするし、今度こそ絶対勝つよ!」
そう言って、僕の手を握ってレーンの方へと引っ張って行く。
スポーツをやっているからか、渚沙は競い合いというものが大好きで、テレビゲームでも、暇な時にするトランプ遊びでも、とにかく勝ちに拘る。
この年になっても、惨敗したりすると本気で泣くし、僅差で負けてもやっぱり悔しくて泣いてしまう。
かといって手加減したら、それはそれでキレるし、難しいお年頃だ。
だから、僕もやるからには全力で相手をするようにしている。負けて泣いてしまっても、渚沙は勝つために必死で練習するので、プラスになって来ると思う。
「よーし、じゃあ、先制ストライクでプレッシャーかけるからっ」
「力み過ぎて、いきなりガター出したりして」
「もう、不吉なこと言わないでよー!」
渚沙は女の子にはちょっと重めの、十一ポンドのボールを使うのがお決まりになっている。
それに思いっきりスイングをかけて投げるんだけど、やっぱり重いのか、スコアはストライクかガターの両極端になることが多い。
調子が良いと、ストライクが三回ぐらい連続して、そうなるとそのまま逃げ切られてしまいがちだ。
さて、渚沙の手をボールが離れて、順調にそれがレーンを進んで行く。ピンの手前でそれは左に曲がって一番ピンをはね飛ばして、続くピンも連鎖的に爽快な音を立てて飛んで行った。
しっかりとした重さのボールと、十分なスピードが叩き出した文句なしのストライク。渚沙も思わずガッツポーズをして見せた。
「えへへ、今日は調子良いかも。もらったね!」
「ふっ、一回のストライクで勝ちを確信してもらっちゃ困るね。僕はストライクこそあんまり取らないけど、その分安定してスコアを刻むタイプなんだから」
僕も十一ポンドのボールを取って、ゆっくりとレーンに踏み出す。
丁度手に馴染む大きさ、重さで、投球するのにあまり力はいらない。
これをとにかく、綺麗なストレートの球筋を心がけて投げる。勢いが足りなくてストライクは出にくいけど、二投目と合わせて十本倒しきれることが多い。
折角のストライクをガターでふいにすることも多い渚沙になら、これで大体勝てると経験でわかっている。
一投目。狙い通りほぼストレートのボールは九番ピンと十番ピンを残した。二投目でこの二つを倒して、無難にスペアを取る。
「はい、渚沙の番だよ」
「うぅ……さすがお兄、安定してスペアは取って来るか……。けど、このままストライクを出し続けたら私が勝つんだから!」
そう意気込んで投げた渚沙のボールは、予想通りカーブがかかり過ぎていて、ピンに当たる前にガターに落ちて行った。
続く二投目も地味に五本のピンを倒すだけで終わる。
相変わらず、焦るとミスが多くなるのがいつものパターンだ。
そういえばテニスでも、タイブレークまでもつれ込んだりすると、渚沙は一気にプレーに精彩を欠くようになってしまう。
僕と同じで、根がそんなに緊張には強くないタイプなのかもしれない。
対して僕は、また無難にスペア。渚沙のスコアはまだ確定していないけど、優勢だと思うと、落ち着いて投球が出来た。
でもこれがひっくり返され始めると、僕も途端に調子が落ち始めてしまうから、本当によく似た兄妹だ。
「渚沙。焦らず、落ち着いて投げれば大丈夫だよ。最初のストライクの時みたいに」
「う、うん。あー……でも、今日やっぱり調子悪いかも……」
なんとか励まそうと思ったけど、ガターを取ってしまった精神的ダメージは大きいらしい。
でもゲームを途中でやめようと思わない辺り、渚沙は立派だと思う。
二年前の渚沙と同じ年頃の僕なら、放棄はしないまでも、露骨に嫌そうにしながら続けていただろう。
「でりゃっ…………あっ、ストライク!やっぱり私、今日はやれるかもっ」
「調子良いなぁ。ま、暗い顔で続けられるより良いけどね」
――こうして、少し渚沙は調子を取り戻したりもしたけど、一ゲームを僕の勝ちで終えて、ボウリングはやめることになった。
やっぱり渚沙は悔しそうにしていたけど、次のゲームで巻き返すと息巻いている。
そしてコートへ移動する途中、入れ替わりでボウリングをしに来た一団とすれ違った。
高校生らしい男女四人で、同級生か、部活の友達といったところだろうか。
その中に一人、金髪の女の子がいて目を引いた。
今時金髪なんて、何も珍しくない。けど、また僕はあの女の子を思い出してしまう。
彼女はあの後、どうなったのだろうか。あれで懲りたのか、より一層ユヅルに対する敵意を持ってしまったのか……どうも後者としか思えない。
ユヅルとあの子は鎬を削っているみたいだったけど、ユヅルは彼女を必要以上に傷付けないように手加減して戦っていたのだから、実力では彼女の方が数段上。もう一度戦ったとして負けるはずはないのに、どうも胸が騒ぐ。
「――兄。――お兄!聞いてる?」
「えっ?なんだっけ」
「お兄、やっぱり朝から変だよ?時々ぼーっとして……今の人達、知り合いじゃないでしょ」
「うん……ごめん。まだ寝惚けてるんだと思う」
苦しい言い訳を、渚沙は答えたくないという意味だと受け取ってくれたみたいだ。それ以上の追求をしない。こういう空気が読めて、すごく助かる。
でも、妹に気を遣わせているんだという意識が、少し胸を締め付けた。
渚沙ならきっと、僕がどれだけ荒唐無稽に思える話をしても、真摯に受け止めてくれる。秘密も守れる。話しても良いかもしれない。
けどそれは彼女の心にまで余計な荷物を背負わせることになる。それは承知出来るはずもなかった。
だって僕は、渚沙のために過去を変えて……。
「次はコートでしょ?何で勝負する?やっぱりバドミントン?」
「強引に得意分野に持って行こうとするなっ。いつも通りバスケにしよう」
「バスケかぁ……。あ、いたたたた。さっきのボウリングで手首痛めたみたいで……こんなんじゃちょっとバスケは難しいかなー」
「じゃあ、バドミントンも無理だね」
「あっ……。もう、わかったよー。バスケで良いよ。でも、情け無用の残虐ファイトでお兄を泣いたり笑ったり出来なくしてやる!」
口上だけはやたらと勇ましいけど、どうなることやら。特別僕が得意な訳ではないけど、バスケなんかは体格、身長の差が大きく勝負に関わって来る。
僕が細いから体格面ではそんなに変わりがないけど、身長の差は埋められないから僕の勝率は高めだ。
渚沙の動きの癖はすっかり覚えてしまっているので、小手先のテクニックでもそう易々とは騙されないし。
「あれ……?ちょっと待ってお兄。貸し切りの札が出てるよ」
「えっ?来た時はなかったよね」
そんなに長時間ボウリングをしていた訳ではないのに、どうやらバスケ部の練習試合のために貸し切られてしまったようだ。
観戦は自由なので、それを見ていても良いけど……このままじゃ僕が勝ち越すことになってしまうな。
「どうする?適当に観戦でもして帰ろっか」
「公式戦でもないみたいだし、そんなに見応えないでしょ?それより、ご飯食べに行こうよ。まだ時間早いけど、ジャストお昼なら混みそうだし」
「うん……それもそうだね。ご飯はいつもの店で良い?」
「お兄のおごりでねー」
「うん……えっ?」
流れでOKしそうになったけど、聞き捨てならぬ言葉が聞こえた気がする。
この妹様、僕におごれと申したか?
本当にそんなことを言いなさったのか?
「お兄ー。良いでしょ?」
「ダメ。兄妹だからこそ、こういうのはシビアに行かないと」
「…………あ、そういえば、お兄が私を連れ出したんだよね。だったら、ここは……ね?」
「ね?じゃありません。夏休みのお小遣いもらって、まだそんなに経ってないでしょ」
「……半分もう服に使ったとか言ったら、怒る?」
「怒らないけど、それをご飯代おごる理由としては認めないかな」
どうやら、昨日友達と買い物に行った時に衣装を買い込んで来たらしい。
服類といっても、山ほど買えば重いだろうに。女の子の力はそういう時には倍増するのだろうか。
「じゃあ、最大譲歩で……そんな高いものはないし、割り勘なら良いよ。僕より高いもの食べたら、一応得出来るでしょ?」
「やった!お兄大好きっ」
ゲンキンなお妹様だ……。
けど、本当に良い笑顔をするものだから、ついつい甘やかしてしまいたくなる。
……僕、典型的なミツグ君気質なのかな。
「そうと決まれば、さっさと行こっ。私のエビフライ定食が待ってるのだ!」
「千三百円か……。僕が八百円のナポリタンだとわかってて選んだな……」
「えへへ。お兄、パスタ好きだもんね」
正確には、麺類全般が僕は好きだ。
うどん、そば、パスタ、そうめん、ラーメン。春雨も好きだ。と言うか、のどごしが良ければ何でも良い気がする。
こう、一気にちゅるるっとすする時の爽快感。あれに心を奪われて、早十五年。二日に一度は麺類を食べないと気がすまない。
すするのが好きなら、パスタは方向性が違う?いやいや、僕に言わせてみれば、パスタをフォークで巻き取るのは邪道だ。箸を出してもらえなければ、いつも持ち歩いている割り箸で食べる。
今から向かう行き付けの洋食店は、近所では最高峰のナポリタンを出してくれるということで、麺類好きの界隈では名の知れた店であり、僕がこの町で外食と言えばここしか候補はない。
もちろん、パスタが美味しい店は他のメニューも美味しいの法則(これも界隈では有名な話だ)により、渚沙が頼もうとしているエビフライ定食もかなりの絶品だという。
今からうきうき気分で口の中に唾液を溜めて向かうと、まだ十一時なためか、席には空きが多い。
ランチタイムが十二時からなので、損をすると思ってこの時間には入らないのだろう。僕達はランチなんて食べないので関係がないけども。
「そういえばお兄。カナちゃんの住んでる団地があるでしょ。あそこに新しく人が入るって知ってた?」
席に座ると、なぜか得意気に渚沙がそんなことを口にした。
「へぇー。わざわざこんな田舎に越して来るなんて、物好きな人もいるね」
「なんかね。親御さんはいなくて、兄妹なんだって。大学生と高校生で、私達とは丁度一つずつ学校が違うね」
「大学生か……。なら、確かここの農大って地味にすごいらしいし、そこの生徒かな。でもこんな時期に変だね。普通は春に下宿に来るだろうし」
もしかして。なんて考えが浮かぶのは、神経過敏過ぎるか。
編入なのかもしれないし、家庭の事情で夏に引っ越して来るのも、そこまで不思議なことじゃない。
まあ、どうしても気になるなら後からちょっと探りを入れておけば良いだろう。
あの子の顔や雰囲気はよく覚えているし、ご近所さんに容姿の特徴を訊いたりしたらすぐにわかる。
「気になる?妹さんの方は、お兄と同じ高校になるもんねー。学年までは知らないけど、私の直感によれば、一年かな」
「なんでわかるんだよ」
「そんな気がするの。で、お兄さんの方は三回生ぐらい」
いわゆる女の勘ってやつなのか。
……渚沙ってそんなに勘が鋭かったっけ。いまいち信憑性は薄い気がする。
「それは良いけど、渚沙、ちゃんと宿題は進んでる?昨日も午前中はしてたみたいだけど、どうせ友達と話してばっかりだったんでしょ」
「な、何の話ですかな、お兄様」
「言っておくと、僕は手伝わないよ。来年も渚沙は受験なんだから、こまめに勉強する癖を付けておかないと。この町から離れないとすると、選択肢も少ないんだから」
「うっ、うん……でも私、ほら。何事も天才タイプと言うか、テストも授業聞いてればその記憶だけで結構解けちゃうみたいな……」
「入試は定期テストとは範囲が違うんだよ?一夜漬けとか記憶で何とかなる話じゃないって」
僕はそれほど受験では苦労しなかったけど、それは一年の頃から予習復習をして基礎をきっちり固めていたからだ。
逆にそれを怠っているような渚沙みたいなタイプだと、三年のまとめの時期に来て基礎が不安定で、応用問題に見事にやられたりする。
そのために積み上げられた死体の山を、僕はたくさん見て来た。せめて妹には同じ末路は辿って欲しくない。
「は、はーい……。じゃあお兄、どうしてもわからない問題があったら、教えてね。お兄って数学でも理科でも、割となんでも得意でしょ?」
「まあ、普通にはね……。広く浅くって感じだから、あんまり難しい応用問題だと、中二レベルでもわからないかもだけど」
さすがに中二の問題がわからないことはないと思う。でも一応、最初からハードルを高く設定することはやめておこう。
たまに意地悪な、無理難題にも見える応用問題を出されたりもするだろうし。
「でも心強いよ。お兄がいて良かったなー」
「こんな時だけ、頼りにされるんだもんなぁ」
「勉強だけじゃないよ。……ほら、ゲームとか」
「悲しくなって来るから、そろそろやめて……」
「は、はーい」
正直なところ、僕には誇るべきものがないのが事実だ。
学力は中の上か上の下。平均よりちょっと上なだけで、めちゃくちゃ出来る訳でもない。
運動は完全に並大抵。男女の差でなんとか勝っているけど、単純なスペックなら渚沙に劣っている。
特技もないし、これにだけは打ち込んでる、って趣味もない。強いて挙げればゲーム。
それもじゃあ、ゲーム開発側とか、企画出す側とかに回れるかと言えば、答えはノー。完全に消費するだけだ。
僕に取り柄があるとすれば……何だ。よく学校の友達に言われるのだと、女子力が高くて、女の子の気持ちがよくわかるとか?
渚沙とずっと仲良くやって来た賜物だろうけど、女の子の気持ちだけわかっても、想いを告げる勇気はないし、そもそも好きになった人なんて、一人しかいなかったし。
――その人とも、昨日最後のお別れをした。
結局、ユヅルのことはよくわからなかった風に思う。
わかるとすれば、僕には気がなかったであろうこと。それから、彼女がただの人間を好きになりそうにはなかったことだろうか。
姿こそ似ていたけど、彼女達は神であって、人とは完全に別個の種族だった。
ユヅルからしたら、僕は犬や猫とそう変わらないのかもしれない。僕を守ってくれたのは、人が犬や猫をそう邪険に扱わないのと同じ。動物愛護のようなもの……。
時間の流れと一緒に、考えはどんどんネガティブな方向に向かって行く。
そして、それをどんどん自分の中で肯定して行ってしまう。彼女の答えをもらう訳にはもう、いかないから。
静かに涙が流れそうになって、渚沙の手前、必死にそれを止めた。
表情でわかってしまったかもしれない。でも渚沙なら、僕の様子が朝から変なのはわかっている。空気を読んで問い質すことはしない。
それがまた嬉しくて、衝動に任せて渚沙の頭を撫でたり、抱きしめたりしたくなる。
僕はユヅルが初恋の相手だと思っていたけど、それよりもっと昔に、僕は一人の女の子が大好きだったかもしれない。
「お兄」
「う、うん」
「私はどこにも行かないから、安心して」
とても、とても優しい包み込むような声で、渚沙は僕にそっと微笑みかけてくれた。
いつもの渚沙らしくない、大人びた穏やかな笑顔だ。
僕の色々な素振りから、失恋を感じ取っていたみたいで、あやすそうなその顔にはただ愛情が溢れている。
「……ありがとう。きみが僕の妹でいてくれて」
「もう、大袈裟だよお兄。お兄が元気ないと、私のテンションまで一緒に落ちちゃうんだから。いつも元気溌剌としててね」
「そんなテンション上げたことは、今までなかったよ。でも、ありがとう。渚沙のお陰で多分、明日から笑顔でいられる」
「そこは断言してよ。しかも、今日はダメみたいだし」
うん。まだちょっと、笑顔は難しかった。
引っ込めた悲しみの涙が、今度は嬉し涙として溢れて来るみたいだ。
渚沙が好きで、愛おしくて、大好きで……絶対に守ってあげたくなって来る。
「特別」じゃない僕にそんな力はないかもしれない。けど、思うのはきっと自由だ。
僕は心の中で渚沙を守るように抱きしめて、涙を流した。その涙は、温かかっただろう。
「渚沙」
「うん」
「僕のこと、好き?」
「ううん。大嫌いだよ。世話の焼ける馬鹿お兄」
「そっか」
顔を赤くしながら言う渚沙は、僕が見て来た彼女の中で、一番可愛いと思った。
「じゃあ、会計は自分で持ってね」
「大好きです。生まれた時からお慕い申しておりましたお兄様」
こういうところも可愛い……かな。
ご飯の後は特に行くあてもなかったし、家に戻って来た。
それで渚沙をけちょんけちょんにしたい……じゃなくて、もうちょっと一緒に遊びたい気分だったので、渚沙の部屋で今流行りの体感ゲームをプレイすることに至っている。
「まあ、僕みたいながっつりとコントローラー握ってプレイしたいゲーマーからすれば、この手のゲームはお遊戯みたいなもんだけどね」
「なんかむかつくなぁ……。お兄、結構やり込んでるゲームもあるくせに」
「そこは僕って、先入観でゲームをディスったりはしない主義だから。良いものは良いって認めるよ」
ゲームについてだけじゃない、人に関しても言える僕の考えだ。
たとえものすごく悪いことをした過去があったとしても、改心というものを僕は信じる。
その結果、裏切られてしまっても……きっと僕は、そこからまた改心してくれると思って、その相手に優しく出来るだろう。
「ま、この部屋にあるゲームは私のお気に入りばっかりだからね。いかにお兄と言っても、簡単には勝たせないよ」
「はは、言うね。渚沙は僕に勝てない運命にあるということを、今ここで証明して見せようっ」
ゲームもスポーツと同じで、やるからには全力だ。
本当にゲームを極めたいと思う相手なら、下手に接戦を演出されるより、圧勝された方がその悔しさをバネに頑張れる。渚沙もそのタイプだから、僕も本気を出す。
それに渚沙も、こういうゲーマーとしての経験があまり勝敗に影響しないゲームでは中々強敵で、反射神経なんかでは僕より優れたところも見せ付けてくれる。
兄妹でお互いに切磋琢磨出来て、渚沙とのゲームは本当に楽しい。
「渚沙っ。また腕を上げたんじゃない?」
「そうかもねっ。お兄は相変わらずだけど、その慢心が命取りっ」
白熱して来て、お互いリモコンをややオーバーリアクションで振り回す。
ゲームが感知出来る速度には限界があるのに、そんなのお構いなしに好き勝手やり放題だ。
きちんとストラップを手に通していなかったら、今頃渚沙の部屋の壁はでこぼこだらけかもしれない。
「ところで、渚沙っ」
「何っ。お兄!落ちろこのっ」
「落ちるかっ。明日も、空いてるっ?」
「っ、とと。うんっ。四日まで暇だったと、思うっ」
また明日も、渚沙と遊びたい。そう思って予定を訊いた。そう渚沙は思っているだろう。そしてそれは、半分は正解だ。
しかし、僕の本当の狙いはそれとは別にある……。それは、人間は予定を思い出す時、一瞬だけでも今考えていることを放棄せずにはいられない。
つまり頭の中の手帳を確認するその時、渚沙はゲームのことを忘れている!
「もらった!サイドがお留守だぜっ」
「とでも思ったっ?切迫して来た時、お兄が集中力を途切れさせるために動くのは、もう予測済みっ。私もちゃんと学習してるんだから!」
渾身の一振りは避けられ、後には反撃が待っていた。
けど、ここであっさりと返り討ちに遭っていたら、ゲームにおいても、人生においても先輩として威厳が保てない。
素早くスティックを操作して、紙一重で避ける。勝利を確信していた渚沙の脇腹に返しの一撃を入れて、逆転勝利だ。
「くぅ……さすがお兄、と言うべきかな……。完全に入ったと思ったのに」
「正直、ギリギリだったけどね……。今まで色んなゲームこなして、咄嗟のスティック操作を身に付けてなかったら、絶対負けてたよ」
アクションゲームについては正直門外漢だけど、話題のゲームは一通りプレイしていたのが功を奏した。
どんな経験でも、何かの役に立つのだというのが実感出来た。……それが妹とのゲーム勝負なんて、格好付かないかもしれないけど。
「じゃ、お兄。次やろっ。お兄が疲れるまで、とにかく挑戦して何とか勝利をもぎ取るんだから!」
「よしっ。じゃあ今日はどっちかが倒れるまでやろう。ま、先にギブアップするのは渚沙だろうけどね」
「ふふっ……お兄のこの余裕の表情が、後に驚愕、そして悲嘆に変わることを、まだ誰も知る由もなかったのである……」
渚沙の言葉と共に始まったデスマッチは、一時間、二時間、三時間と、時間を瞬く間に過ぎ去らせた。
四時間。対人戦でここまで長時間ぶっ続けでやったのは僕も初めてかもしれない。それなのに、渚沙もまだまだついて来る。
五時間目に突入しようとした時、夕ご飯の時間になった。
ここで一時休戦。勝負の行方は食後までお預けだ。
勝率では依然として僕が勝っているけど、もう勝負は何回勝ったとか、負けたとかではなくなっている。
どちらが最後まで、リモコンを握り続けることが出来ているか。
そこに主題が置かれていて、もうまともにゲームを続けるなんてことは、些末な問題として扱われているのだから恐ろしい。
「はぁ……渚沙っ。頑張るなっ…………」
「お兄、こそっ……でも、ご飯を食べた以上、私が負けることはないっ……」
食後の五時間目。お互い覇気どころか、生気まで消えているけど、リモコンは振り続けた。
その姿は、最後の一人になろうとも、主君のため勇敢に剣を振るった騎士にも似ている……と美化したい。
二人とも本当にボロボロで、そうでも言わないと、何だか悲しくなって来る。
そうして、開始から六時間。体力は限界。体に力は入っていなくて、ただただ、意思の力だけが働き続ける。
そんな中、僕の体が最初にふらついた。
始めは小さな揺れ。だけどそれは、次第に大きく、意識までも揺らがせるものになって行く。
それが何回か続いた後、僕の体は床に倒れ込んだ。
隣に立っていた渚沙も巻き込み、大きな音を立てて。
「うわっ!?お、お兄。重……」
「もう……これ以上は無理だっ……。渚沙。僕の分も……ぐふっ」
「…………お兄?う、うそ……お兄っ。お兄!せめてこの一ゲーム終わらせてから寝てよっ。こんな、途中で倒れるなんて……許さないんだから!」
薄れ行く意識の中で、渚沙の叫びと、お母さんが階段をどたどたと上がって来る音が聞こえた気がした。
ああ、渚沙は怒られるんだろうな……いや、僕もか。まあ、意識を失う僕にはもう、関係ないや……。
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白髪、金髪、無口、ロリ巨乳、元気な妹 ありとあらゆる好き要素を詰め込んでいますね。あー、楽しかった |
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