魔法少女リリカルなのは Broken beast
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 ああ、これは夢だ。とすぐに気がついた。

 それも、自分の夢じゃない。

 

 殺して、殺して、殺し尽くして赤い雨を降らせる獣の夢だ。

 

 嗤うように夜天に浮かぶ黄金の月だけが、すべてを見下ろしていた。

 

 修復が不可能なほど無残に解体された血肉の塊の中で、男は鉄を濡らしながら口を醜く歪めて節句を唱える。

 

 我が槍は菩薩の御手 我が剣は閻魔の赦し 現の辛苦から衆生を解放し 汝ら極楽浄土へ案内奉らん

 

 死もまた救いである。己にも殺した者にも吐き捨てて、湧きだす悦びに浸り殺し続けた。

 

 海淵のごとし疵は無色の罪を赤へと変える。

 

 そして獣は嗤い続ける。世界など、死んでしまえばいい、と。

 

 それが、世界が用意した運命だとも知らずに……。

 

 『わ……は、ここ……ま……す』

 

 

 ◆◇◆

 

 

 「一葉はどうすんのよ?」

 

 「なにが?」

 

 いつも通りの面子で、昼休みにざわめく屋上で一葉が母の作った弁当に舌鼓を打っているとアリサが尋ねてきた。

 

 「んにゃ、まったく」

 

 一葉が正直にそう答えると、アリサだけでなくなのはとすずかも大げさな溜息をつく。

 

 「進路の話しだよ。 さっき、プリントもらったでしょ?」

 

 穏やかな口調ですずかが言うと、一葉はつい先ほど配られたプリントのことが脳裏によぎる。

 しっかりと見はしなかったから確かなことは言えないが、そう言えばそんなようなことが書かれていた気がする。

 

 「そういや、貰った気がしないでもない」

 

 「気がしないでもない、じゃなくて間違いなく貰ってるわよ!」

 

 心底どうでもよさそうな返事をする一葉に、アリサが声を荒げてから「なんでこんな奴が私よりも成績がいいのよ」とぶつぶつ言い始めた。

 ただ、それはテストの点数に限ったことで内申点を含めた成績表であれば、宿題をしてこなかったり、授業中に居眠りなどの態度が悪かったりする一葉よりも、アリサの方が全然上だったりする。

 

 昼休みになれば一人で図書室へと向かっていた一年前までとは違い、今はこの四人で過ごす時間がやたらと増えた。

 それこそ、最初の一週間は変わらずに図書室へと足を運んでいたのだが、いつの間にか結託したアリサとすずかとなのはの三人に拉致られるようになり、気がつけば四人でワンセットといった風に見られるようになってしまっていた。

 その状態が一年も続けば、それはもう普遍な日常で今日の昼食も四人で摂っていたのだが、今の話題は四限目に社会科の授業で行われた将来の進路についてだった。

 

 昨今の大学生でさえ自分の将来に霞がかかっているというのに、小学三年生に “将来の夢”ではなく“進路”を求めてくるところは、さすが名門と言わざるを得ない。

 

 「でも、将来かぁ。 アリサちゃんとすずかちゃんは、もう結構決まってるんだよね?」

 

 なのはが緻密に細工されたタコさんウインナーを頬張りながら二人に尋ねると、悪態をついていたアリサがピンク色の弁当箱に納められたおにぎりを手にしながら答える。

 

 「ウチはお父さんもお母さんも会社経営だし、いっぱい勉強して跡を継がなきゃ、ってぐらいだけど」

 

 アリサが手にしたおにぎりの先端を齧りながらすずかに視線を送る。

 

 「私は機械いじりが好きだから、工学系の専門職がいいなって思ってるんだけど……、一葉くんはどうなの?」

 

 「んー……、具体的な職業とかは決めてないけど、最低限の学歴がついたら旅に出たいなぁ。 バックパッカーっていいよね。 憧れる」

 

 「バックパッカー?」

 

 一葉の言葉に三人が同時にキョトンした表情を作る。

 ちなみにバックパッカーとはバッグを背負い低予算で外国を旅行する人のことを言う。

 

 「まぁ、犬猫と違ってせっかく自分の意思で好きなところに行ける人間に生まれたんだからさ、世界中を回って、自分の目で見れるもんは全部自分の目で見てから就職を考える」

 

 「アンタ……、それって多分社会から取り残されるわよ?」

 

 「いざとなったらアリサの会社で雇っておくれ」

 

 「いいわよ。 時給二百円でこき使ってあげるから覚悟しなさい」

 

 「労働基準法の適応を申請せざるを得ない」

 

 「私権限でそれを却下する」

 

 「それで、なのはちゃんは?」

 

 すずかはアリサと一葉のやり取りを無視しながらすずかが身を乗り出して、今まで会話に参加してこなかったなのはに聞いた。

 

 「進路……かぁ……」

 

 「あら、意外ね。 てっきり「私は翠屋を継ぐの!」って言い出すかと思ったのに」

 

 なのはの逡巡した声に、一葉と話していたアリサがなのはの声真似をしながら言うと、一葉は口に含んでいた米粒を吹き出し、すずかはお茶を喉に流し損ねてむせた。

 

 「ちょ……、アリサちゃん……。 今のは……」

 

 「アリサの秘められた才能を垣間見た気がした。 会社継がなくてもモノマネ芸人で食っていけるんじゃね?」

 

 二人ともなのはに対して悪気は一切ないのだが、アリサの、なのはのモノマネが予想以上に似ていてツボにはまってしまったのだ。

 笑いをかみ殺すすずかと、本気で感心した声を上げる一葉に、アリサは悪乗りをしたのか意地の悪い笑みを浮かべてさらになのはのモノマネを続ける。

 

 「なんなの! 私は翠屋を継ぐの! にゃーっ!!」

 

 すずかはまだ口に残っていたお茶を、角度によっては虹が見えそうなほど綺麗な霧状にして吹き出してしまった。

 

 「ふぇぇ!? 私、にゃーなんて言わないよ!?」

 

 「いや、かなりの頻度で言ってる」

 

 「ふぇぇ!?」

 

 「混乱するからやめい」

 

 ちなみに、最後の「ふぇぇ!?」はアリサだ。

 すずかは完全にツボにハマったらしく、顔を伏せて痙攣していた。

 

 一葉達の穏やかな日常。

 まだ桜の散りきらない季節のあたたかで優しい風がそっと吹き抜ける。

 そこには劣悪さも、醜悪さもない穏やかな日々があるだけだ。

 今の一葉にとって、ありふれたそれは何よりもかけがえのない大切なものだった。

 

 

 ◆◇◆

 

 

 その日は、アリサもすずかも稽古事のない日だったので全員で揃って帰った。

 アリサの家もすずかの家も相当の資産家で、二人ともその家の格式に見合った教養を叩きこまれており、なのはも二人ほどではないが同じ塾に通うようにしていた。

 普段は一葉一人が時間を持て余す形になっていたのだが、毎週水曜日だけが全員放課後が開いているのだ。

 

 授業が終わると同時に、校門から吐き出されるように帰途につく白い制服を着た生徒たちの流れに乗って四人は家を目指す。

 他の歩行者の迷惑になると知りつつも、路地の白線を大きく踏み出して横一列になって歩くのはいつものことだった。

 

 「一葉くん……、大丈夫?」

 

 奥歯で欠伸を噛み殺していた一葉に、不意にすずかが尋ねてきた。

 つい一瞬前までは、なのはの実家が経営してる喫茶店、翠屋の新作スイーツの話題で盛り上がっていたのに、いきなり話しを振られたことに一葉は動揺した。

 

 「確かに、今日のアンタ少し変よ」

 

 「うん。 具合悪いの?」

 

 なのはとアリサも、すずかを切り口に一葉の様子を窺ってくる。

 おそらく、二人とも一葉が心此処にあらずといった感じになっていることに気がついていたのだが、切り出すタイミングを掴めなかったのだろう。

 

 「今日のオレ、そんな変?」

 

 心配そうな声で聞いてくる三人に対して、一葉は首を傾げながら言う。

 

 「う〜ん……。 なんか、上の空というか……、らしくないというか……」

 

 「それにアンタ今日の授業中、ずっと窓の外眺めてたでしょ。 ノートもとらないで」

 

 「……よく見てらっしゃる」

 

 子供の注意力は中々侮れない、と一葉は胸の中で思った。

 子供は純粋であるがゆえに他人の感情の起伏の機微に敏感で、この三人に至っては行動を一葉と共にすることが多いために、普段から雲のように掴みどころのない一葉が、今日はいつも以上に周囲の景色から浮いていたことに気がついたのだろう。

 

 「ちょっと、寝不足なだけだよ。 ここんとこ夢見が悪くってさ」

 

 一葉は掌をひらひらさせながら、さもなんでもないように装った。

 この時の一葉は、嘘は言わなかったが本当のことも言うことはしなかった。

 

 一葉は見たのは、自分の中にいる自分が蓄積させていた経験の夢。

 骨を軋らせ、血肉を貪り、影を振り切りながら命の散り様を奏でた男の夢。

 四天王、十六神将に名を連ね、英雄と崇められながらも血に飢えた獣だと畏怖と蔑如の視線で見られた男の生涯を、たったの一晩で鮮明に回顧した。

 

 穏やかな日常の中で忘れかけていた自分でありながら自分でないという、足元からアイデンティティが崩壊していく音が恐怖と焦燥となって一葉を蝕んでいた。

 

 「どんな夢見たのよ?」

 

 アリサが怪訝そうな表情で尋ねてくると、他人の夢の話しほどどうでもいいことはないんじゃないか、と胸の内でぼやきながら言葉を濁した。

 

 「あんま覚えてない。 なんか、嫌なもん見たな〜、って感覚だけは残ってんだけど、でも夢ってそんなもんじゃね?」

 

 「そう? 私は割と覚えてる方だけど」

 

 「テレビ曰く、そう人の方が少ないらしいよ」

 

 ふと、もしここで本当のことを言ったのならと、一葉の脳裏に一抹の誘惑がよぎる。

 自分が胸の内に秘めた秘密は両親にさえ話していない。

 陰鬱な光を求め戦い抜いた挙げ句に、己の独りよがりで一つの世界を死に導いた男の物語が自分の頭の中にあるのだと話したら、普通なら子供の妄言として一蹴されてしまうだろう。

 

 だが、この三人ならばどうだろうか。

 話したところで解決策が出てくるとは思えない。それでも、心にため込まれている重みを誰かと共有するだけで、気持ちはずっと軽くなるはずだ。

 もしかしたら親身になって相談に乗ってくれるかもしれない。力になってくれるかもしれない。

 それでも、万が一つ自分を気味悪がって離れて行ってしまうのではないかという恐怖の方が遥かに大きかった。

 

 同じ制服を着た生徒たちの流れは商店街に近づくにつれて疎らになっていく。

 アーチ状の入り口を構える商店街の入り口を中心に、商店街側に住居を構える家庭と住宅街側に住居を構える家庭に別れるのが原因だ。

 四人の中では一葉とアリサが住宅街に住んでおり、すずかが離れた郊外の屋敷に住んでいる。なのはだけが商店街側に住んでいる。

 

 いつもならばここでそれぞれ別れるのだが、今日はなのはの実家が経営している喫茶店におやつを食べに行くことになっているので、四人は揃ってモザイク調の石畳が敷かれた商店街へと足を踏み入れた。

 

 「そういや、なんか変な声が聞こえてた」

 

 夢の世界から引き上がる直前にノイズが混じるような声が聞こえてきたことを、一葉はふと思い出して口にした。

 

「声? どんなのよ」

 

 「なんか、「私はここにいる」って言ってた」

 

あの夢は自分の内側にある記録のはずだった。しかし、最後に聞こえてきた声は全く聞き覚えのない声だ。

 

 「なにそれ?」

 

一葉が夢で聞いたという呼び声にアリサとすずかが眉をひそめる中、一人だけ違う反応を見せたのがなのはだった。

 

 「ねっ、ねえ! その声って、もしかして男の子の声じゃなかった!?」

 

 「んにゃ、女の人の声だった」

 

 「え……? そうなの?」

 

 「そうなの」

 

 跳び上がるような反応を示したなのはだったが、自分の意見が一葉と噛み合わなかったとなると、シュンとトレードマークのお下げと共に萎れてしまうなのはを見て、一葉だけでなくアリサもすずかも訝しむような視線をなのはに送った。

 

 「なあ、なのは」

 

 「にゃ?」

 

 一葉が声をかけると、なのはは顔を上げる。

 

 「なのはの言ってる声って、今聞こえてるやつのこと?」

 

 『だれ……か 僕の声を……きい……て』

 

 「にゃ!? そう! これ!」

 

 なのははハッとした表情を作ると、首を何度も縦に振った。

 実は一葉も結構前からこの声が聞こえていたのだが、チャンネルの壊れたラジオのようにひどく小さく掠れていたし、誰もなんの反応も示していなかった為に幻聴の類かと思っていた。

 

 「声? すずか、聞こえる?」

 

 「ううん。 全然」

 

 アリサの問いかけにすずかは首を横に振る。

 二人には本当に聞こえていないのだろう。

 

 「幽霊だったりして」

 

 冗談半分で一葉が思いついたことを口にすると、面白い反応を見せたのはアリサだった。

 ぎくりとした表情を作り、顔色が青くなっていた。

 

 「アリサちゃん、もしかしてホラーとか苦手?」

 

 「そっ、そんな訳ないでしょ! この私が!」

 

 吠えるように声を荒げるアリサだが、僅かに声が震えていてそれが虚勢であることが見て取れる。

 

 これは間違いなく面白くなる。

 

 そう思った一葉は直ぐに行動に移ることにした。

「なのは、声のする方向わかる?」

 

 「うん! 多分こっち!」

 

 なのははそう言って一葉の袖を掴むと駆けだした。そして、一葉もなのはが駆けだす直前にしっかりとアリサの袖の端を掴んでいた。

 

 「ちょ!? 話しなさいよ」

 

「やだ」

 

 「どうしてよ!?」

 

 一葉に引っ張られるアリサは掴まれた手を解こうと抵抗してみるものの、ガッチリと掴まれた手は石のように硬く外れることはない。

 なのはに引っ張られる一葉に引っ張られるアリサという、連結された三人に並走してすずかが柔らかな微笑みを浮かべながらアリサに声をかける。

 

 「アリサちゃん、アリサちゃん。 アリサちゃんは別に怖くないんでしょ?」

 

 三人の先頭を走るのは運動能力が著しく低いなのはだ。他者とは群を抜いて運動が得意なすずかは息も乱さずに余裕の表情で走っている。

 

「当り前でしょ!」

 

 先ほどまで蒼白だった顔を信号機みたいに赤くしてアリサは声を荒げた。それが怒っている為なのか、それとも羞恥の為なのかは判らないがすずかはさらなる質問を投げかける。

 

「じゃあ、なんで嫌がるの?」

 

 

 「それは……、」

 

 押し黙ってしまうアリサをすずかはただニコニコと笑いながら見ている。

 行こうよ。という誘いではなく遠回しにアリサの思考を自主的に声のする方へ向かわせようと誘導しているのだ。

 あくまで、アリサが自分の意思で行くという言質を取る為なのだが、すずかの余りに腹黒いやり方に一葉は苦笑いをしていた。

 

 だが、アリサは一葉のその笑いが自分に向けられたものだと勘違いして、さらに顔を紅潮させて叫んだ。

 

 「わかったわよ! 行けばいいんでしょ! 行けば!」

 

 結局、すずかの策にはまったアリサは大粒の瞳に涙をためながら太陽のような金髪をなびかせ、踏みつけるように乱暴に足を進めた。

 

 一葉は視線をすずかに移すと、すずかも一葉の方を見ていて視線が絡まる。

 

 よくやった!と視線だけで一葉が言うと、すずかは、当然!と言わんばかりに物凄くいい笑顔でグーサインで返した。

 

 

 ◆◇◆

 

 

 一葉達が住む海鳴区は、海に面した土地ではあるが漁港がない為に海産はそんなに盛んではない。しかし、文字通り海を観光資源とする土地であり、シーズンともなると多くの観光客が足を運んでくる。

 そして、その観光スポットの中でも、最も海を美しく一望できると言われているのが海鳴海浜公園である。

 太陽の高い時間帯は遮蔽物がない為に、空の青と海の青が入り混じる地平を眺めることができ、夕暮れともなると黄昏の太陽が蜂蜜を垂れ流したかのように海を朱金に染め上げる。

 

 一葉達が公園にたどり着いたのは、ちょうどその時間帯だった。

 

 夕陽に照らされる空は疎らに浮かぶ鰯雲をも同じ色に染め上げ、地平は続く海は太陽の光を反射させてキラキラと輝いている。

 

 なのはを先頭に走り続けていた四人は息を乱しながら、沈みかけた西日が足元から引っ張る影を踏みながら移動していた。

 

 「声が大きくなってきた!」

 

 「大声出さんでもわかるから、いい加減手を離してくれ」

 

 「アンタもね」

 

 なのはは一葉の裾を、一葉はアリサの裾をずっと掴んだままだ。そしてすずかはアリサの右腕を掴んでいた。

 これは、逃がさないというよりも一人だけ仲間はずれは寂しいと言いだして繋いだものだ。

 

 アリサの細い腕からは小刻みな振動が伝わって来る。

 なのはが「ここなの」と言って公園に入ってから、アリサの顔色は優れない。

 対してすずかはケロリとした表情で一葉に尋ねる。

 

 「ねえ、本当にその声聞こえるの?」

 

 「今も聞こえてるよー。 助けてー、助けてー、足をくれーって言ってる」

 

 「そんなこと言ってないの!」

 

 一葉がふざけると怒られた。

 確かにいささか不謹慎だったかと反省する。

 

 「ごめん、ごめん。 でも声が聞こえるのはホントだよ。 これで変死体とか発見したらマジで嫌だけどね」

 

 変死体、辺りでアリサは今にも泣いてしまいそうなほどに顔を強張らせた。

 普段強がっている分、こんな怯えた小動物みたいなアリサはどことなく可愛らしく思えたりもする。

 

 結局、一葉はなのはに、アリサは一葉に、すずかはアリサに手を引かれるという何ともおかしな集団となって公園と歩いていると、人工的に作られた緑地帯の前に着いた。

 クヌギやコナラの落葉樹が植えられた雑木林は、中が暗くてよく見えない。

 

 「ここなの」

 

 なのはは言うと、躊躇いもなく雑木林の中に入った。

 

 下草の刈り込みはしっかりとされているようで歩く分には困らなかったが、背の高い部分で重なり合う木々の隙間からは僅かな光しか差し込んでこなくて薄暗い。注意して歩かなければ木の根や、飛び出した枝に顔をぶつけてしまいそうになる。

 

 しばらく歩くと、一本のクヌギの根に一匹の小動物が転がっているのを発見した。

 

 「……ハクビシンか?」

 

 明らかに猫や狸とは違う、スラリと胴の長い動物のシルエットは明らかにイタチ科のものだった。

 最近では都心でも野生化したハクビシンがいるという話しをテレビで見たことがあり、一葉が言うとなのはは手を離して倒れている動物のところまで駆けだした。

 

 なのはがしゃがみこんで硝子細工を扱うかのように、力なくぐったりとしている動物を抱き上げると怪我をしているらしく、なのはの白い制服に血の赤が霞んで付いていた。

 

 「怪我してる……」

 

 一葉はなのはの上から覗き込むように見ると、腹が微かに動いていて呼吸をしているのがわかる。よく見ると、首には赤い宝石のようなものがついた首輪もしていて、もしかしたら誰かがペットとして飼育していたものが脱走して、運悪く烏か猫にでも襲われたのかもしれない。

 

 「確か商店街に動物病院があった気がする。 そこに連れてこう」

 

 「うん」

 

 なのはは立ち上がり来た道を戻り始めると、一葉たちもそれに続く。

 

 「しっかし、幽霊探しで手負いの動物を見つけるとはね」

 

 「ふん、幽霊なんていないってことよ」

 

 先ほどまでの様子がウソのように、位置もの調子に戻っていたアリサが一葉の呟きに落ちの首を取ったかのような口調で答える。

 

 「でも助けてって声を辿ってきたらコイツがいたんだからさ、実は妖怪だったりして。 確か鎌鼬っていう妖怪いたでしょ。 水木しげるのやつに」

 

 アリサはまた泣きそうな顔になった。

 

 一葉がアリサをからかっていると、ふと浮かない表情のすずかが視界の隅に入った。

 それはどこか儚げで、水面に映る月のように触れれば形が崩れてしまいそうな危うい横顔が、どういう訳か一葉の心に印象強く残った。

 

 

 ◆◇◆

 

 

 動物病院と海鳴海浜公園とはそう距離が開いておらず、怪我をして多分ハクビシンと思われる動物を抱えたなのは達が転がるようにして病院の入り口を開けると、幸いなことに他に診察待ちの患畜はおらず、すずに診察をしてもらえることになった。

 

 結果だけ言ってしまうと、推定ハクビシンはフェレットで、怪我自体はひどいものではなく擦り傷程度のものだったらしい。

 ただ衰弱が激しいので、しばらくは入院が必要とのことだ。

 

 「ハクビシンとフェレットってなんか違うんですか?」

 

 「さあ? 違うから、違う名前がついてるんじゃないかな」

 

 一葉の質問に何とも曖昧な返答をする女医に、一瞬本当に獣医なのかと疑ったが腕は確からしく、本人は素人から見ても手際よくフェレットの処置を終え、フェレットの首根っこを掴んでケージの中に放り込んでしまった。

 

 「首輪もあるみたいだし、どっかで飼われてるのが逃げたんでしょうね。 ま、とりあえず二、三日様子見てみましょ」

 

 「あの、今日は持ち合わせがないので明日診察料を持ってきます」

 

 病院だって慈善事業ではない。フェレットに使った薬や包帯だって無料ではないし、人間と違って保険が効かない。今日だけの診察代でも馬鹿にならないはずだ。

 そんなこと子供にだってわかる。

一葉が言うと、獣医師は一瞬だけ目を丸くして、白衣に手を突っこんだまま大笑いを始めた。

 

 「子供がなーに気にしてのよ。 いいって、いいって」

 

 「でも……」

 

 「あのね、今日の君たちがしたことはとっても尊いことなのよ。 私としてはそれが報酬。 お金なんて取れないわよ」

 

 そう言うと白衣のポケットから赤い煙草の箱を取り出して、一本加えると火をつけた。

 診察室に紫煙を漂わせながら、獣医師は一葉の頭に掌を置くと、二カッと唇を吊り上げる。

 

 「少しは大人に格好つけさせなさい。 それより、診察代よりも君たちはこの子の引き取り先を探してね。 流石に私もそこまで面倒見切れないから」

 

 それじゃ、もう診察時間終りだから明日来てねー。という言葉で締めくくられ全員が診療所を追い出された。

 外に出ると既に太陽は街の地平に姿を隠していて、道路の端に均等に並べられている街灯に明かりが灯っている。

 

 最近は冬も遠のき暖かくなってきたものの、陽が沈むと身を切るような寒さがぶり返してきて、一葉となのははともかく郊外に住んでいるすずかと住宅街の一番端の方に住んでいるアリサは徒歩で帰るには危険な時間帯となってしまっていた。

 仕方ないから、すずかもアリサも自分の携帯電話で迎えの車を寄越して貰うことにして、それを待っている間、拾ったフェレットについて話し合うことにした。

 

 「私の家は犬がいるから無理ね」

 

 「ごめんなさい。 私の家もちょっと……」

 

 槇原動物病院と掲げられた看板の塀ブロックに背中を預けながらアリサとすずかが言う。

 

 「私の家も飲食業だから……」

 

 申し訳なさそうな表情を滲ませる三人の視線は自然に一葉に集まる。

 確かに、アリサの家は犬屋敷で、すずかの家は猫屋敷だと知っている。

 仮にアリサの家にフェレットを置けばボロ雑巾になり果てるまで玩具にされ、すずかの家に置けば猫の腹を満たす餌にしかならないということが目に見えていた。

 

 二人の家の敷地が広大といえど、わざわざフェレットの墓を作らせるために預けるわけにはいかない。

 そして、なのはの家は飲食業を営んでいる為、動物の飼育は極力避けるべきであって、消去法でいくと、一葉の家しか選択肢は残されていないのである。

 

 棄てられた子犬のような視線に耐えきれず、一葉は大きく溜息をついた。

 

 「一応、親に聞いてはみるけど……、それでダメだったらみんなで里親探しだな……」

 

 「そうね……」

 

 アリサが一葉の意見に同意したところで、ちょうどよく迎えの車が来た。

 なのは方向が同じなすずかの車に途中まで乗っけて貰うことになったが、一葉はアリサの誘いを断って歩いて帰ると主張した。

 

 その際に「私と一緒に帰るのが嫌なのか!」とアリサが騒いでいたが、車に押し込んでから執事の鮫島さんに頼んでさっさと車を出して貰った。

 

 一葉が一人になった時には、太陽は完全に西の果てに沈んでいて、代わりに半分に欠けた下弦の月が空を支配していた。

 

 「さーて、と……」

 

 一葉はアリサの乗った黒塗りのプレジデントを見送ると、大きく背筋を伸ばしてから歩き始めた。

 その歩先は自分の家ではない。

 声の誘う方へと、一葉は歩きだした。

 

 

 ◆◇◆

 

 

 『私は……ここにいます……』

 

 まるで脳味噌に直接スピーカーを埋め込まれたかのように響く声に誘われて、一葉は声のする方へと歩き出した。

 先ほどまでのは少年の声だったが、今聞こえているのは穏やかな女性の声だ。

 なのははこの声には気がつかなかった。一葉にしか聞こえていないのだ。

 

 夢の中で聞こえてきた声に似ている声は、病院を出た辺りからはっきりとした輪郭を持って響き始めた。

 そして歩を進める度に、その声は大きなものになってゆく。

 

 槇原動物病院と、海鳴海浜公園との対角線上にある山岳部には山を切り崩して建てられた、稲荷を祀った神社がある。

 

 八束神社と呼ばれる神社は住宅地から離れていて、落ち込んだような静寂が支配しており人の気配が感じられない。

 敷地の入り口に置かれた一対の石灯篭の間を抜けると、所々に色の剥げ落ちた鳥居が参拝者を迎える。

 さらにその先には百八段の階段と、御神体を祀る本殿が。

 

 一葉は暗がりに足を踏み外さないように注意しながら石段を踏みしめ、参拝道を歩く。

 本殿のあたりを抜けると、既に社務所の明かりは落とされていて、夜を照らす明かりは月から降り注ぐ金糸の束だけだった。

 

 一葉は躊躇うことなく足を進ませ、本殿の裏にある鬱葱とした陰樹の森に入る。

 幸いにも、森を形作る木々は背の高い落葉樹が多い為か下草がまったく生えておらず、微かにしか差し込まない月の光でも足を取られることなく歩き続けることができた。

 

 一葉が足を踏みしめる音と、梟の鳴き声。そして虫の音が森に響く中、一葉の頭に響く誘いの声は徐々に、そして確実に大きなものになっていく。

 しばらく森の中を歩き続けると、巨大な一本杉が憮然と立っていた。

 樹齢はゆうに千年を超えているのだろう。大人が五人手を繋いでも一周りできないほどの太さの幹には神木の証である麻縄が括られていた。

 

 「スッゲ……。 リアル竹取物語だ……」

 

 その巨木を見た一葉の第一声はそれだった。

 

 神木の根っこのあたり、樹木の中心に位置する樹幹から内側から淡く鈍い光がぼんやりと滲み出ていた。

 暗闇でもわかるその輝きは、基調は黒なのだが角度によっては翠や青の線が入っていて瑠璃色の烏の羽のような色をしている。

 

 一葉はその光に近寄ると、しゃがみこんで手を触れた。

 乾いた木の皮から伝わる温度は樹木が保つものではなくて、人肌よりも温かい。毛の持つ獣のそれだった。

 

 『貴方は……?』

 

 不意に声が響く。

 今までの、ラジオのオープンチャンネルのような不特定多数に語りかけるようなものではなくて、一葉だけに向けられた言葉だ。

 

 「多分、アンタに呼ばれてきたんだと思う。 さっきまでの声はアンタだったんじゃない?」

 

 一瞬、樹木が内側から脈打った気がした。

 

 『私の声が聞こえたのですか?』

 

 「聞こえてなけりゃ、こうして今も話すことができないと思うんだけど」

 

 一葉の尤もな台詞に、声の主は「確かに」と、クスクスと笑い始めた。

 それはどこか上品な笑い方で、姿も見えないせいもあって、ふとお嬢様なすずかと重なる。

 

 『貴方はここから私を出してくれるのですか?』

 

 「検討中。 力づくで強行するには道具がないし……、そもそもアンタ何者? 幽霊の類は信じてないけど、悪霊ってオチは勘弁して貰いたいんだけど……」

 

 『その辺は安心してください。 私は、いわゆる霊的なものではありません。 むしろ、対極に位置する機械的なものです』

 

 一葉はその言葉に眉根を顰めた。

 

 「なんで木の中に機械が埋まってんのよ?」

 

 『不運が重なったとしか言いようがありません』

 

 声の主は、落ち着いた口調で言う。

 

 『この木が少々傷つくのは諦めてもらうしかありませんが、道具は無用です。 幹に手をかざしたまま私に魔力を送って下さい』

 

 「まりょく?」

 

 聞いたことのない単語に一葉は言葉を反芻すると、声の主は一瞬だけ逡巡し、納得した口調でさらに言葉を重ねた。

 

 『そうですか……。 この世界にはまだ魔法文化がないのですね』

 

 一拍置くと、再び言葉が続く。その言葉には先ほどまでになかった真剣みが帯びていた。

 

 『よろしい、判りました。 では、私の言うとおりにしてください』

 

 「チョイ待てコラ。 なんで急に上から目線になってんだ」

 

 『久しぶりに人と言葉を交わしたので興奮しているのです。 気にしないでください』

 

 悪びれた様子もなく、凛とした声で言い張る声に一葉は不服ながら従うことにした。

 もっとも、状況に流されているのもあるのだろう。

 それでも内心では信じてはいないものの、本当のこの中身が心霊的なもので解放した瞬間に呪い殺されたり取憑かれたりするとシャレにならないので、気持ちだけは森の出口にと向かっている。

 

 『まず、目を閉じてください』

 

 言われたとおりに一葉は瞼を下ろす。視界から入る全ての情報が遮断されて、掌にかかる温もりが先ほどよりもずっと鋭敏に感じる。

 

 『そのまま集中して。 胸の奥の辺りに何かを感じるはずです』

 

 そう言われると確かに心臓の奥の方、胸のやや左側に温かいものがこみ上げてくるのを感じる。それに伴って、一葉の心臓が徐々に、まるで雄鶏の叫びのように、静かにそして力強く、目覚めの歓喜に打ちひしがれるように鼓動が早まる。

 自然と額に汗が浮かび上がる。

 その叫びが血管を駆け巡り、身体中に浸透してゆく。

 

 『いい感じです。 そのまま耳を澄ませて。 そうしたら、聞こえてくるはずです。 貴方だけの、私を起動させるパスワードが』

 

 寒さを孕んだ夜風が森の木々を躍らせる。木の葉同士が重なり合う音がザラザラと森中に響く。その音に混じり炙り文字が浮かんでくるかのように一葉の脳裏に言葉が浮かび上がってきた。

 

 「深淵の空、宵の影……」

 

 聞こえる。誰のものでもない、自分だけに用意された目覚めの言葉。

 

これは祝詞だ。

 

 自分から自分に送る、目覚めの祝詞。

 

 「光届かぬ眠りの森、獣が眠る夜の果て」

 

 身体が熱い。

 まるで内側から炎が燃え盛るように、心臓が沸き上がる。

 それでも、これは決して不快なものではない。

 むしろ、興奮している。

 嬉しいのとも、愉しいのとも違う。そんなに綺麗で単純な感情ではない。

 生きたまま生まれ変わるような、束縛から解き放たれた雄牛のような、暴れ狂う情熱が心臓の奥で活火山のように暴れ狂う。

 

 「誰も踏み入れぬ楡の館で……、死を侍らせてお前を待つ……」

 

 言い終えた瞬間、瞼と通して鈍い光が一葉の眼球に突き刺さるとともに、樹が割れる乾いた音が森に響く。

 一葉は咄嗟に顔と頭を腕で隠して一歩引き下がった。

 

 「随分と根暗で、鬱つうとしたパスワードですね」

 

 今までとは違いフィルターが外れたかのようにはっきりとした声が耳に届く。

 反射的に力いっぱい閉じた瞼をピントを合わせるようにゆっくりと開けると、目の前には有り得ないものがいた。

 

 「初めまして、マイマスター。 私は聖王を守護する盾であり、翼。 護国四聖獣が一。

月の踊り子の名を冠するものです」

 

 燃え盛る黒い炎。

 それを纏った、巨大な黒い鳥。

 一葉と同じ程の背丈はあるだろうか。漆黒の怪鳥は王に傅く家臣のように、一葉に頭を垂れていた。

 

 「契約はここに交わされた。 これより私は貴方と翼となり盾となりましょう」

 

 怪鳥はゆっくりと頭を上げる。

 身体も、翼も、嘴も、全てが黒で彩られた鳥の巨躯の中で浮かび上がるように嵌め込まれた深緑の双眸が一葉の視線と絡み合う。

 深い湖の底のような色をした瞳は、見ているだけで吸い込まれそうなほどに美しかった。

 

 「貴方が……、私の新たな主だ」

 

 怪鳥の言葉は静かに、それでもはっきりと静寂な森に響いた。

 

 

 ◆◇◆

 

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3話目
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