大脱走の昼下り
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眠い目をこすりながら、既に遅刻気味の時間にやってくる男がいた。

 

「おはよございま〜す」

 

青島は実に緊張感の無い挨拶をしながら刑事課の扉を潜る。と、途端に異様な景色に気が付いた。

 

課長の席を取り巻くようにして、刑事課の面々が群がっている。その中にはすみれさんと雪乃さんも混じっていて、実に楽しそうにはしゃいでいた。

 

「なんだぁ? 事件って訳じゃ……なさそうだし」

 

ふわぁ、と欠伸をしつつ、その人垣の中に顔を突っ込む。そして、ようやくその理由が分かった。

 

「なんすか? そのネズミ」

 

課長の机の上にしつらえてあったのは、やや大きめのケージだった。そしてその中に、フワフワした毛玉が数匹、大きな目をパチクリさせてせわしなく動いている。

 

「ネズミじゃないわよ、ハムスターよ。青島君、知らないの?」

 

「こんなに可愛いのに、ネズミだなんてかわいそうですよ」

 

憮然として、すみれと雪乃がこっちを睨んでくる。ちょっと青島はたじろいで、愛想笑いを浮かべた。

 

「あ、ああ、ハムスターね。知ってるよ、当たり前だろ?」

 

「なんで先輩、視線が泳いでるんですか?」

 

すぐ横で真下が鋭い指摘をしてくるが、青島は無視した。話題を変えようと、ケージを指差す。

 

「でも、なんでコイツがここにいんの?」

 

「波子がね、受験勉強でハムスターにかまってやれないらしくてな。少しの間、ここに置く事になったんだ」

 

椅子に座った課長が、実に暢気に答えてくる。

 

「あ、課長! この子抱いてみてもいいですか?」

 

「触りたい、触りたい!」

 

「俺も俺も!」

 

すみれと雪乃に混じって、暴行犯係まで楽しそうに手を出してくる。

 

「ああ、いいとも。ただし、大事にしてくれよ。逃げたりしたら、波子に殺される」

 

「はーい」

 

雪乃が手を入れると、ハムスターはするすると掌の上に登ってくる。

 

「あはは、ほんとに可愛い」

 

「まるでぬいぐるみねぇ……よしよし」

 

すみれがもう一匹の毛皮をなでると、気持ち良さそうに目を閉じる。その仕草に少し興味が引かれた青島は、無造作にケージへと手を突っ込んだ。

 

「どれどれ、俺も一匹――あいてっ!?」

 

途端に、手を引っ込める。ハムスターが咄嗟に噛んだらしい。

 

「あ、血が出てるよ! 雪乃さん気をつけて、こいつ見かけによらず凶暴だ」

 

「青島君がおどかすからよ。私のは全然平気よ。ねぇ?」

 

「この子もそんな事しませんよ? かわいい〜」

 

「ハムスターも、噛むべき人間をわきまえてるんですねー」

 

「……俺よりハムスターの方が大事?」

 

少しむくれて、青島。無言で机に戻る。と、強行犯係に同じく黙して座る和久がいた。

 

「あ、和久さん。ねぇ和久さん、どう思います? 俺、あんま好きじゃないっすねぇ。やっぱり犬とか猫とか、ある程度おっきくないと――和久さん?」

 

しばらくして、和久の様子がおかしい事に気づいた。雑誌を丸めて、戦闘体制に入っている。

 

「ちょっと、和久さん? なにやってんすか、そんなもん持っちゃって」

 

「青島」

 

「なんすか」

 

「俺ぁな、昔っから天井裏のネズミと戦ってきたんだ。ハムスターだかシルベスターだか知らねぇが、あんなモンに舐められるほど落ちぶれちゃいねぇんだよ。いいか青島、もしあいつらが脱走なんてしたら、俺が最初に仕留めてやるからな」

 

「……はいはい」

 

見てろよ、と燃える和久に適当に答えながら、青島は未処理の報告書を書き始めた。

 

しばらく、その平和な空気は続いていたが――

 

「うわあぁっ!?」

 

「なんだ!? どうした!?」

 

即座に反応して、和久と袴田が立ち上がる。青島も怪訝な顔で、強持てばかりが集う暴行犯係を見た。

 

「一体、今度は何よ?」

 

「ハムスターが、逃げちゃいました……」

 

「な、なんだってぇ!?」

 

今度は袴田が悲鳴をあげる。皆咄嗟に床を見るが、もうどこにもいなかった。ハムスターは意外と素早いのだ。

 

「何としてでも捕まえるんだ! そうしないと、波子が、波子が――」

 

と、真っ青になった袴田の足がもつれた。

 

「あ」

 

青島がタバコを咥えて、呟く。同時に、ガタンと大きな音がした。

 

袴田がバランスを失って暴れた腕が、ケージを豪快に倒してしまったのだ。逃げるのは今とばかりに、6匹のハムスターがわらわら床に降りていく。

 

「た、大変!」

 

「つかまえなくちゃ!」

 

にわかに騒然とする刑事課に、逃がした張本人の声が大きく響いた。

 

「そ、総員警戒態勢! 刑事課を完全封鎖! 絶対にハムスターを取り逃がすな!」

 

実にしびれるような指揮に、全員が一丸になって行動する。全ての窓を閉め、開いていたドアを閉め、刑事課全員が床に這いつくばって捜し始めた。

 

「……どうでもいいですけど、なんでこの気合が普段の仕事に出ないんですかねぇ」

 

「真下! 口動かす前に身体動かせ!」

 

「和久さん、退治しちゃダメなんですってば!」

 

和久が雑誌でひっぱたこうとするのを青島が止め、すばしっこく走るハムスターを追跡する。

 

「なんで刑事が、こんなことやってんのかなぁ」

 

今日に限ってちっとも鳴らない電話を見つめながら、彼は溜息をついた。

 

 

 

数十分後。

 

時には机に頭をぶつけながらも、少しずつハムスターは発見され、捕獲された。

 

だが、最後の一匹が出てこない。

 

「まさか、もう外に出ちゃったんじゃ……」

 

「いや、それは多分無いね。どこか隙間にいるんじゃないかな」

 

不安になるすみれの言葉に、青島は首を降る。そこへ、真下が後を続けた。

 

「僕、聞いた事あります。ハムスターって、コードとか齧っちゃうんですよ。もしかしたら、もう感電して……」

 

「ああ、どうすればいいんだ。波子にどう言えば……」

 

完璧に意気消沈している課長やその他大勢を横目に、雪乃だけは諦めずに捜査を続けていた。部屋の隅の方にある袴田作の花瓶に手を突っ込み――そして、叫ぶ。

 

「ハムスター、確保しました!」

 

「なに、ほんとか!? 雪乃君、でかしたぞ!」

 

全員、にわかに安堵する。大喜びで彼女に駆け寄る課長。雪乃はそれに笑顔で答えながら――固まる。ゆっくりとこちらを向いて、困ったように。

 

「確保は、したんですけど……」

 

その顔が徐々にひきつって、笑い始めた。

 

「ふ、服の中に入っちゃって…や、やだ! くすぐったい! あは、あははは」

 

なんと袖から侵入したのか、小さな膨らみは雪乃の服の下で存分に駆け回っていた。そんな彼女を穴が開くほど見ながら、青島と真下が同時に呟く。真顔で、

 

「いいなぁ」

 

「俺もハムスターになりたい」

 

「二人とも、思いっきりセクハラ」

 

軽蔑するすみれの眼に我に返って、わざとらしく咳払いする二人。

 

「……ちょ、ちょっとお願い、どうにかして下さい! やだ、きゃっ! わ、私じゃつかまえられなくって」

 

まだ苦戦しているらしく、雪乃は涙目で助けを請う。わさわさとした毛玉がちょうど胸の辺りを占拠しているのを確認するなり、男性陣の眼が光った。

 

「それを取り除く役目は、この僕が! 雪乃さんはこの真下正義が守ります!」

 

と一番に手を挙げる真下を押しのけて、青島が進み出る。

 

「はいはい、どいてどいて。お前なんかにゃ百年早いよ。ここはひとつ、強行犯の手だれと言われるこの俺が」

 

「誰が手だれだ、誰が。単なるスケベじゃねぇか」

 

「そりゃ無いっすよ、和久さん」

 

情けない顔をしている青島に、実に厳かな顔をしながら和久が言った。

 

「ここはな、警察の父親である俺がやる役目だ。若ェモンはすっこんでろ」

 

「……和久さんだっておんなじこと考えてるじゃないっすか。エロジジイ」

 

「なんか言ったか? 青島」

 

そんな彼らの後ろから魚住が笑顔で、

 

「強行犯係長の私だって、守る権利くらいあるよね」

 

「係長、あんた奥さんいるじゃないか!」

 

我先にと挙手する男たちをゲンナリと見ながら。すみれは、ぽつりと言った。

 

「――あんたたち、全員強制猥褻罪で連行されたい?」

 

一瞬、沈黙が辺りを包みこむ。そして、誰ともなく。

 

『……すみませんでした』

 

なぜだか、妙にその声は揃った。

 

これだから男ってヤツはと溜息をつくと、彼女は取調室を指差す。

 

「いいわ、私がやる。雪乃さん、行こ」

 

ハムスターを入れたままの雪乃を連れて、取調室のドアを堅く閉ざす。当然、真下を始めとした男たちが次々と鈴なりに耳を当てたが、突然ドアを開けられて、その場に崩れ落ちる。

 

それを冷ややかに見、少しも笑っていないすみれが、容赦なく言い放った。

 

「聞き耳したら罰金一万」

 

そのまま――冷酷にも、ドアは閉められたのだった。

 

 

 

かくして、大脱走劇は終幕を迎えた。各自思い出したように仕事に追われる中、袴田だけは重い顔である。

 

「やっぱりここには置けないなぁ。仕方ない、家に戻すか……」

 

「袴田課長! それなら、僕がひきとりますよ、ええ!」

 

真下が突然やってきて、驚く袴田に笑顔を見せる。

 

「僕の家なら広いですからね。特にできるなら、そこの尻尾が茶色のハムスターを僕に――」

 

そこまで言いかけて、彼の動きが止まった。ゆっくりと、恐る恐る背後を見やると……

 

なます切りにしかねないような殺気をたたえた目で、雪乃がこっちを睨んでいる。

 

「――やっぱり、なんでもないです……」

 

泣く泣く、真下はその言葉を搾り出したのだった。

 

 

 

(大脱走の昼下り・終)

説明
踊る二次創作小説です。
割と事件と関係ないのが好きです。
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コメント
>鬼子母神遯庵さん ありがとうございます。やたらと仕事してないんです、うちの湾岸書w(雛咲 悠)
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踊る大捜査線 W.P.S. 

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