山師 |
濃紺に金色の縦縞が入った着物の胸元に、駱駝色のシャツのボタンを覗かせて腕組み
をしている。
黒々としたオールバック、右側の口角をやや引っ張り、右眉右目を少し上にし、左前
方に視線を投げ出している眼は、鋭くはあるが優しげな光りを宿している。
「おかあはん、なんでこんな写真なんや。これ、いつの頃のんやねん」
「ああ、あんさんらの七五三の時に写した」
「もう、50年以上前のんや。もっと最近のはなかったんですか」
「そやかて、日がな一日眺めとる写真でっしゃろ。せやったら、一番格好ええのんがよ
ろしやないか。この時、アテもひとりで写してもろたさかいな、一緒に並べてくれたら
ええ」
「兄貴、まあええやん。それよりな、親父の遺産のことやけど、先だっておかんから聞
いてたんや。伊勢と信州の別荘な、早ように売ってしもたんやて」
「ほんまか、売った金はどないしたんや」
「株券になったらしい。徐々に買い足していったんやと」
「今株買うたかて先行きが不安定な時期やで、大暴落する可能性もあるっちゅうのに。
自称山師の親父も、耄碌してしもてたんやろか」
「それがやな、この家も売って、こじんまりしたマンションでひとり暮らすて、おかん」
「ひとりで暮らしてもらうんはかまへん、まだ元気なんやし。そやけどこの手塚山の家
も売ってしもたら、全部で6億は下らんやろ。半分でもわしらの懐に入ってきたら、会
社経営も楽になるんやわ」
「それや。おかんが言うには、全部寄付することになってるんやと」
「きぃふぅー? そんな事させへんで、認めん! いったいどこへや」
「さあ?」
「おかあはん!」
「なんやのん、雄一、雄二もこっち来て飲みなはれ、ごちそうもあるさかい」
「そや、お父ちゃん、おじさんもこっち来て、おじいちゃんの想い出話でも聞かせてぇ
な」
雄一の娘明良は、息子に与えている哺乳瓶を支えながら、ピーナッツを口に放り込む。
脇田権蔵の告別式を終え、シズひとりがしばらく住むこととなった家に戻って、やっ
と一息ついているところである。
息子雄一と雄二の家族たちが残っている。
「想い出なぁ、ほとんどないなぁ」
「そういうたら親父のこと何にも知らんなぁ、会社でのことは置いといて・・・」
「小学生の時にな、宿題で “おじいちゃんの話を聞こう” とかゆうんがあって、
その時、聞いた話があるんよ」
明良は、祖父権蔵から聞いた話を始めた。
ワシが物心ついた頃には、親父と旅をしていた。
親父は日本中の山を歩きまわっとってな。山師、いうやつやな。鉱山を捜しまわっと
ったんや。そう簡単に見つかるもんやない。一獲千金の夢を見て、すっからかんになっ
たもんもおる。
見つけても元手がなかったら事業も興せんよって、会社に採掘の権利を売り付けるん
やな。足元みられたら安うに叩かれる、ちゅうもんや。
福島県には、良質の石炭がまだまだ隠れとった。採掘しても採算が十分取れる良質の
炭鉱を、2カ所見つけてな。その地域では最大を誇る常磐炭田に持ちかけた。
ところが福島の山は、炭鉱のことを山とゆうんやが、掘れば掘るほどに地下水が湧き
出て、しかも温泉で坑内は暑うて過酷な環境やった。
親父は技術的なことも知っとって、坑内での排水ポンプの設置を手伝った。
忘れもせんよ。昭和2年といえば、ワシが14歳の時。
内郷炭鉱で坑内火災が発生して、死者・行方不明者136人。その内のひとりが親父よ。
ワシは、何がどうなってるのか全く分からんかった。
生き残った人は、全身すすだらけで((抗|あな))から這い出てきた。
石炭の粉塵は火が付きやすい。爆発することもある。
ポンプのモーターの火花が散っていっぺんに火の海になった、ちゅうことを後で知った。
((炭鉱|やま))の人らはようしてくれてな、会社もワシの生活から学費まで面倒見てくれて。
やまには時々ワシも入った。
やまには女の神様がいてやきもち焼くから、女は入ってはならん。だが女たちも働か
な生きてはいけん。
女たちは男と同じように上半身裸になって、顔にすすを付けて神様に男と思わせ、同
じ力仕事でよう働いとった。事故で死ぬ時も一緒じゃ。
ワシは高等学校まで行かせてもろた。今でゆう大学やな。
日本の国力向上には石炭が必要やが、それ以上に、鉄の重要性を知ったんや。これか
らは鉄が主流になると見た。
そこで願い出て、社長の知り合いの製鉄所で働かせてもらうことにしたわけや。
それがワシの生まれ故郷でもあった、大阪の堺やった。
「親父、炭鉱で働いとったんか、全く知らなんだ」
「無口で、自分のことは語らんお人やったからなぁ。思い出すわぁ、初めて逢うた時の
こと」
ワタシは新町の置屋の若い子らに、三味線・小唄なんかを教えてました。時々、ワタ
シにも指名が入ることがあってな。
堺の製鉄所ゆうたら、三菱の大財閥系。
そこのお人のお供みたいにして、鉄工所を興したばかりのあの人が来てはりました。
皆帰らはった後に、ひとり座敷に戻って来はってな。
「静香さん」
静香、ゆうのはワタシの源氏名。
「静香さん、実は教えてもらいたいことがあって残ってもろたんです。僕は福島の炭鉱
で大きくなったんですが、母は大阪の新町にいてると聞いとります。名は確か春名。静
香さんはお顔が広くていらっしゃると聞きました。母のこと、何か聞かれたことありま
せんか、50前後やと思います」
権蔵さんの思いつめたような眼差しに惹かれて、1週間後にまた来てもらう約束をし
ました。ワタシも商売ですからな。
「春名さんな、20年ほど前に、肺の病で亡くならはったそうです。旦那はんは夢多き
お人やったそうで、『今に大金持ちになってゆっくり養生さしたる、待っとれよ』ゆう
て、小さい息子さん連れて旅に出てはったらしい。時々、まとまったお金が送られてた
そうや」
とゆうて、本町のお寺さんにあるお墓の場所を教えたんです。
それから時々、ゆうても月に1度ぐらいの間隔で遊びに来はって、お酒はあんまし飲
まんと正座したまんま、3曲ほどワタシの声を聞いて帰らはる。
「ワタシの唄聞くだけやったら高いお金使わんでもよろしい、((靭|うつぼ))公園に行きまひょ」
何度逢うたやろ、
「シズさん」
シズが本名やろ、それで
「シズさん、僕と苦労を共にしてくれませんか。幸せにする、とはよう言いません。僕
はシズさんの支えが欲しんです。お願いします」
戦争で順調やった事業も、B29で焼け野原になってしもた。
家はのうなったけど工場の一部はなんとか残って、ふたりで出直したんや。
それが朝鮮戦争の勃発で、やっと息を吹き返した。
その頃の写真やな、これは。
? 酒と女は気の薬さ 兎角浮世は色と酒
ササちょっぴりつまんだ 悪縁因縁
南無阿弥陀 南無阿弥陀 南無阿弥陀
わしが欲目じゃなけれども
お前のように美しい おなごと地獄へ行くならば
閻魔さんでも地蔵さんでも
まだまだまだ 鬼殺し
(小唄「酒と女」作詞作曲・初代清元菊寿太夫)
「おかあはん、ご機嫌のとこすまんがわしら、もう((去|い))ぬわな。今晩はゆっくり寝ぇや」
「そや。寄付するて、ひょっとしてその炭鉱にかいな」
「炭鉱はもうないやろ。温泉地になってるゆうことや。地震の後の事故で住めんように
なってるて。そやから、県のほうにいく思いまっせ」
「なんでお金にせんと株にしたんやろな。それに少しは、残しとくもんやろに」
「そこはあんた、山師としての、最後の意気込みを見せたかったんでっしゃろ。あんた
らは会社を残してもろてますやん。人生は、自分の力で築いていきなはれ。子孫に美田
を残さず・・・」
「おかあはんの生活が心配や」
「いざとなったらお座敷に出て唄いましょかいな」
? わざと欠伸をしてみるつらさ
悲しい涙を隠すため (都々逸集より)
線香の白い煙がゆらめき漂い、遺影が “そやそや” と微笑んでいる、
ような・・・。
説明 | ||
自称 “山師” の人生の片鱗。 | ||
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