月の光
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心地いい浮遊感の中、僕は空に浮かぶ月を眺めていた。黄金に光り世界を照らす満月。その姿は神秘的で、どこか儚げに思えた。そんな幻想的な情景が上下左右に歪み始めた辺りから、あぁ夢かと気付きそこで目が覚めた。

「ずいぶん長いお昼ねだったな」

友人の意地悪そうな笑顔が、夢で見た月とダブって見えた。

「今何時?」

「もう二時半前だよ。昼休みから5限の終わりまでぶっ通しで寝てたなお前」

いわれてみれば昼休み以降授業を受けた記憶がない、いつ寝たのかさえ覚えていない。人間とは疲れているとこうまで眠れるものかと我ながら感心した。

「今日の朝練はきつかったんだよ。午前中の授業だって本当は寝たかったんだ」

思い出しても嫌になる。何が哀しくて朝から1万メートルも走らなければいけないのだ。おまけに午後は1000メートルを十本だ。限りある青春が汗と涙と土煙によって失われていく。

「本当に陸上部ってのは走ってばかりなんだな。感心するよ」

まったくだ。帰宅部のこの友人が羨ましい。自分でもなぜ陸上部なんかに入ってしまったのか理解に苦しむ。頭を使う必要がないので考えようによっては楽かも知れないが。

「あと一年の辛抱さ…長距離の本シーズンは秋冬だから本当に丸一年だけどね」

「何が楽しいんだそれ?」

「さぁね。」

本当に何が楽しいかもわからない。僕はいったい何のために生きているのだろうか?そんな疑問をつい抱いてしまう。これから先に待ち受けるであろう暗黒に、僕はどう立ち向かえばいいのか。答えは永遠に出ないような気がしてならない。

「そう深刻な顔をするなよ。彼女でもできればいくらか楽しくなるさ」

「そうだな。ただはお前と一緒にいると女が寄ってこないんだけどな」

「同年代の女は俺の素晴らしさがわからいのさ」

僕もそう思う。山田は魅力的な人間だ。なぜ彼に彼女ができないんだろうか?いれば僕だって諦めがつくというのに。

「沢木君…」

不意に後ろから声をかけられた。

「水橋…」

振り返ると、そこにはもう一人の友人が立っていた。

「今日は部活何時に終わる?一緒に帰ろうよ」

「あぁ…六時には終わると思う」

「わかった。じゃあコンビニで待ってるね」

「お前ら本当に仲がいいな。男同士でよくもまぁそんなにくっついていられるよ。ひょっとしてホモか?」

その一言に僕は心臓をえぐり取られたかと思ったが、水橋は涼しい顔をして笑っていた。

「山田君も一緒に帰る?実はCDショップに行きたいんだよ」

「嫌だね。何が哀しくて男三人で帰んないといけないんだよ。だいたいお前の欲しいCDってクラシックだろ?微塵も興味ねぇよ」

水橋の趣味は変わっている。絵画やクラシック。園芸と書道。お茶に活花と随分バラエティに富んでいて、それでいて普通の男子高校生には到底似つかわしくないものばかりだ。

「山田君はもう少し品格をつけたほうがいいよ」

「お前が上品すぎるんだよ」

くだらない会話で談笑する。端から見たら一般的な学生同士である。しかし、僕ら三人は、いや、僕と水箸は、酷く歪で、それでいて醜悪な秘密を共有している。そして、もう一人の山田も彼自身が知らない内にその捻じ曲がった関係の中に入ってしまっているのである。

 

放課後。部活帰りの学生が何人か下校している。野球部はまだ白球を追ってヤケクソとも思えるような声を大きく張り上げていた。

「じゃあ俺は帰るから」

そういって山田はホームルームが終ると教室から出て行った。彼は昔からどこかドライなところがある。

一人で下校途中にあるコンビニに向かう中、男女のカップルを見つけた。屈託のない純粋な笑顔に負の感情がにじみ出てくる。学生らしい悩みや楽しみを甘受する彼らに僕が殺意を抱くようになったのはいつからだろうか。鬱屈とした毎日を送る内に、いもしない外敵を作り出すようになってしまったらしい。

「遅かったね」

コンビニの自動ドアをくぐると、すぐそこに水橋が待っていた。立ち読みをしていた彼とガラス越しに目が合ったので、本を仕舞い出迎えてくれたようだ。何も買わずに外に出る。

日は落ちかけて夕日が町をオレンジ色に染め上げている。所々にある影とのグラデェーションが切ない美しさを映し出していた。

「夕日はいいね」

「僕は嫌いだ。全てが終りそうで不気味だね」

そう。僕は夕日が嫌いだ。この儚げなオレンジも、いずれ訪れる漆黒の前座に過ぎない。救いのない者への最後の手向けのような、そんな印象を受けてしまう。

「…沢木君。僕はね…ずっと君達と一緒にいられたらいいと思っているんだよ。でもそれは無理なことなんだ。いずれ二人は別々の道を歩いていくだろう…僕らの時間は、この夕日のように短く、そして哀しい」

水橋は笑っていた。その笑顔は、彼がどこか遠くにいるように感じるものであった。

「…水橋…やっぱり僕は山田の事を普通の友達として見る事ができない…」

僕は普通じゃない。それを打ち明けられるのは水橋だけだ。

「人間なんてそんなものさ。誰だって理性だけで生きていけるわけじゃない。でもね…山田君は普通の男の子だよ?君がすべてを打ち上げたら何もかもが壊れてしまう。僕らは全てを受け入れられるほど大人じゃないんだ」

かねてから聞かされ、自分でもわかっている事実を僕はまだ受け入れられずにいた。日が沈む。オレンジは漆黒へと姿を変え全てを飲み込む。絶望という文字がふと頭に浮かぶ。僕の未来は恐らくそれで、奈落のそこへ堕ちる以外道はないだろう。

 

水橋の家に着くと僕は彼の母親から出された紅茶をあおるようにして飲んだ。部活帰りに自動販売機でジュースを買っていたのだが、妙に緊張していて喉が渇いていた。

「君と知り合ったのも調度去年のこの時期だったね。早いものだよ」

「…そうだな。」

急いで紅茶を飲み込み相槌を打つ。どこかギクシャクした様子に水橋は笑っていた。

「そんなに緊張する事ないでしょう。本当に君は変わらないね」

水橋のいうとおり、僕は緊張していた。あの日、彼と出会ったときも。

 

去年の事である。僕は自分の特異性に耐え切れなくなっていた。なぜ自分が男なのか、なぜ自分が男を好きになってしまうのか、なぜ自分の友達を好きになってしまったのか。僕は大いに苦悩し悶えていたのである。そんなとき、とあるウェブサイトを見つけた。そこはバイセクシャル。トランスジェンダー。ゲイの人間が書き込む掲示板であった。同じ悩みを抱える人間の想いが覗ける世界に僕はのめり込んでいき、いつしかJUNというハンドルネームを付けて掲示板に書き込むようになっていった。自分が感じている事、悩みや苦しみなど、誰にも言えないことを書き続けた。そこでは皆優しく励ましたり茶化したりしてくれて、僕は幸せだったのが、一人だけ冷たい印象を受けた人物がいた。彼はそこでニュクスと名乗っていた。

【こんなところで傷の舐めあいをしていたって何も変らないじゃないか。悲劇のヒロインでも気取りたいの?】

【そんなつもりはないんですが、不快に思われたのなら謝ります。すみません】

【JUNさん。ニュクスは荒しみたいなもんだから相手にしなくていいですよ】

【またニュクスか。暇だな】

【ニュクス…】

どうやらニュクスという人物は有名らしい。ここの掲示板の人達はこぞって彼を邪険にしていた。しかし、僕は彼に興味を持った。

【ニュクスさん。はっきりってくれてありがとうございます。確かに、ここに書いているだけじゃ何も進展はありませんね。しかしどうしたらいいのか、自分では皆目検討がつかないんです】

実はこのニュクスという人物の書き込みに僕は共感を覚えた。ここの掲示板を利用している人間は、彼がいうように傷の舐めあいを求めている。そしてそれが暗黙の了解として染み付いてしまっているのだ。自身を認めてくれる人間がいない世界は哀しいものである。だが、だからといって現実から目を背け、何の進展もないような場所でうずくまっているだけではどうしようもない。

【自分を殺して生きていくか、全てを捨てて抗うか。二つに一つさ。どの道救いなんかないよ。僕たちにはね】

救いはない。画面上からのしかかる思い言葉。この発言には当然反発が多かったが、これを切っ掛けに僕はニュクスと親しくなった。お互いスカイプという通信ツールのIDを教えあい個人的にチャットをするようになり、お互い近くに住んでいるということを知ったため実際に会うことになった。そして待ち合わせ場所に現れたのが水橋である。

まさか同じ学校の人間が来るとは思わなかったため僕は動揺してまともに喋れなかったが、水橋はそんな僕を見て笑っていた。彼とはあまり話したことはなかったが、どこか変わった人間として気になっていた。博識で頭が良く芸も多彩で、ピアノやヴァイオリンを音楽の合同授業で披露していたのを覚えている。

「やっぱり沢木くんだったね。ウェブであんな個人情報を出しちゃだめだよ」

意地悪そうな彼の顔にはどこか愛嬌があり、彼の白い肌とあいまって魅力的に感じた。

「とりあえずどこかへ入らないかい?暑い中外に突っ立ってるのは気分が悪い」

水橋がそういったので僕らは小さな喫茶店に入った。水橋は紅茶を。僕はコーラを注文する。

「しかし君がゲイだったなんて驚いたよ。好きな人っていうのは山田君かい?」

「…そうだよ。なんだか何でも見透かされているようで気味が悪いな」

「君が分り易いんだよ。ここまで情報が揃っていれば誰だって感づくさ」

「そんなもんかな。気をつけないと」

僕の気持ちがばれてしまったら、山田はきっと僕を避けるだろう。この想いは空回りでもいい。たが、山田と一緒にいられなくなってしまったら僕は、これから先どうしていいのかわからなくなってしまう。

「今、ずっと一緒にいられれば充分だって思ったね?」

やはり彼は人の心が読めるようだ。

「そんなこと不可能だよ。君だってわかっているはずだろう?僕らはいずれ別々の道を歩くようになる。ずっと一緒にいるなんて不可能なんだ」

「わかっているさ。だからこそ、願ってしまうのが人間ってものじゃないかな」

「意外と詩的な事を言うんだね。」

水橋が笑った。僕も笑った。なぜだか彼といると安心した。その日以来僕は水橋と交流をもつようになった。

 

思い出に浸りながらゆっくりと紅茶をすする。水橋は黙って外を眺めていた。

「星でも見えるのか?」

「とくになにも」

水橋は無表情で言った。ふと窓を見てみると、銀色に光る月がぽっかりと浮かんでいた。

「月が出ているじゃないか」

「出ているね」

彼にとって月はなにもないのと等しいらしい。

「沢木くん。僕は君が好きだ。」

突然の告白に僕は驚きを隠せなかった。ようやく潤った喉が再び渇いてしまった。心臓が素早く鼓動を打ち、目の前がクラクラしている。

「なんでいきなりそんなことを?」

「いきなり…そうだね。君にとってはいきなりかもしれないね」

「それに、君は僕の気持を知っているだろう」

「そうとも。だからこそこの一年僕は地獄の苦しみを味わったよ。好きな人間に色恋の相談を受けている気分を君は想像できるかい?」

水橋の顔はいつにも増して悪魔的な顔をしていた。冷たい目の奥底に地獄の業火を宿したよう彼の眼光に僕はたじろぐ。

「わかるかい?この苦しみを。君は僕の心を弄び続けてきたんだよ。無自覚のままね」

「…僕は君になんて言ったらいいんだ?」

我ながら間抜けな質問をしたと思う。水橋は笑っていた。

「僕も愛していると言って優しく抱いてくれればいいさ。それだけで僕は満たされる」

「そんなことは…」

「できないっていうのかい?」

嘲いながらも攻撃的な口調で、僕に問いかける。どうすればいいのか考えるも、何を言っていいのか分からず嫌な汗をかく。

「何を言っていいのか分からないって顔をしているね。相変わらず君は自分を隠すのが下手だね」

「ごめん。本当にどうしたらいいのかわからない」

「なら君はなにもしなくたっていいさ」

そういうと水橋は僕に押し倒した。唇が奪われ、舌が絡めとられる。

「…やめろ!」

「嫌がっているくせに抵抗はしないんだね。君のほうが力はありそうなものなのに。本当はこうなる事を望んでいたんじゃないのかい?」

なぜだろうか。力を入れているつもりなのに水橋はまったく動かない。彼が言うように、こんな結末を僕は望んでいたというのだろうか?

「こんなこと…僕はこんなことしたくない!」

叫んだ。どれほどの大きさだったかはわからないが、水橋の動きが止まった。顔を覗き込むと泣いているようにも見えた。

「水橋…」

声をかける。が、この次になんて言えばいいのかわからずにいた。

「なんていえばわからないんだろう?」

「ごめん」

「さっきから君は謝ってばかりだね」

皮肉っぽい笑みを見せながら彼は窓際に体を動かす。

「何を見ているんだ?」

「とくになにも」

水橋はそういって外を見続けている。僕は…

 

 一言「帰る」と言って部屋を出た。彼の母親と軽く挨拶を交わし、家路に着く。ずっと眠れず今日の出来事がただひたすら頭の中で繰り返される。僕の選択は正しかったのだろうか?

彼をそっと抱きしめることだってできた。そうすれば二人ともが幸せになれたのではないのだろうか…本能の赴くままに…彼が言っていたように本当は…いや、僕は山田が好きだ。浮ついた心で水橋と付き合ったとしても、それは結局あの傷の舐め合いにしかならない。しかしあの掲示板で彼が否定した事を彼自身が望んでくるとは思わなかった。偽りの愛など求めるような人間ではなかったはずだが…一体彼に何があったのだろうか。性欲を発散させるためだろうか?彼がそんな即物的な人間とも思えない。ベッドに入っても寝付けない。ふと携帯電話で掲示板を見る。

ニュクス【歪んだ花は愛されず、ただただ時間をかけながら、ゆっくりゆっくり枯れていく。僕はもう疲れた。】

水橋の書き込みだ。時間を見ると僕が帰ったしばらく後のようだ。他のユーザーからは嘲笑の的にされている。僕は嫌な予感がした。一時の感情でこんなことを書くなんて考えられない。別の人間がニュクスを名乗っているのかとも考えたが、IDが同じだったのでその線は消えた。一時期彼に成りすました人間が書き込みをしていたのだが、IDのおかげで偽者だとわかった事がある。(なぜかその偽者も僕に交流を求めてきたのだが。)明日。学校で何があったか聞いてみよう。彼の心の支えくらいにはなれるかもしれない。翌日、彼が自殺したことを知った。

 

水橋が首を吊ったのは僕が帰ってから数時間後ということらしい。僕は最後に出会っていた人物で、また例の掲示板のこともあり事情聴取というものをされたが得に関連性はないと判断された。卑劣にも僕は昨夜の事は言わなかったのである。その報いなのか、僕はクラスの人間から避けられるようになる。どうやら僕が普通でないということがばれてしまったらしい。一部女性からは興味本位からかよく話しかけられるようになったが、一時的なもので自然と収まっていった。そんな中、山田だけはいつも通り接してくれた。僕は涙が出るほど彼に感謝すると同時に、憎悪の炎が醜く燃え上がっていくのが実感できた。彼の優しさと偉大さが僕の心を傷つける。こいつは僕の想いを知っていてわざと接触してきているのではないだろうか?そんなありもしない妄想に取り付かれ日々苦悩する。そして僕はとうとう堪えられなくなり、山田にあの日あった事と自分の思いをすべて打ち明ける事にした。すべては自分が楽になるための自己満足である。わかりきっているのだが、この衝動はもう抑えられない。水橋の死。世間の目。友人に対する裏切り。もうすべて疲れてしまった。もういいじゃないか。何もかもスッキリさせてしまおう。山田は嫌がっていたが、僕は無理矢理彼と約束を取り付け、今週の土曜に二人で会うことを約束させた。

 

 約束の時間が過ぎても山田はこない。思わず頼んでしまったまずい紅茶を飲みながら僕は外を眺めていた寒いくらいに空調の利いた部屋が夏の暑さを一層引き立てている。窓越しに見える太陽光に熱せられたアスファルトが今にもとろけそうになっており、待ち呆けている時間がより長く感じられた。痺れを切らし僕は山田へメールを送る。携帯電話を開くと瞬間はそれまでの気の緩みが嘘のように動機が激しくなり、それでいて妙に冷静で、メールの文章を考え推敲もしていた自分が滑稽に思えた。

しばらく時間を置き携帯電話にメール着信があった。希望と不安が入り混じり挙動不審になりながら急いで携帯電話の画面を見る。山田からだ。メールの内容は、時間を置いて自分の家に来てほしいというものだった。彼の家には何度か行ったことがあるが、自分から誘うというのは稀であった。どうして彼は今この時間、この場所では駄目なのだろうか。疑問を抱きつつ僕は喫茶店を後にした。

変える途中に水橋の家に立ち寄った。

「いらっしゃい」

彼の母親は優しく出迎えてくれる。自殺の元凶ともいえる自分に対して見せる笑顔。僕は胸が締め付けられる想いであった。

位牌の前に案内され手を合わせた後僕は差し出された紅茶を飲む。僕が紅茶を好きになったのはここの家の影響だ。しかし、しかし紅茶を飲むのも今日限りかもしれない。この味とともにあの日のことを思い出し、嫌な考えが頭の中で泉のように湧き上がる。

「そういえば山田君も今日来てくれたんですよ。あの子が家に来てくれるなんて久しぶりで…」

「久しぶり?」

僕は思わず聞き返してしまった。

「知らなかったの?涼と山田君は昔から仲が良くて…調度去年辺りからまるっきりこなくなってしまったけど…」

「何かあったんですか?」

「さぁ…」

どうして彼らはそのことを秘密にしていたのだろうか。また、どうして二人は僕と水橋が出会うまで関係絶っていたのか。いけない。妙に勘繰ってしまうのは悪い癖だ。これは二人の問題であり、僕が干渉すべきことではない。興味本位で首を突っ込むのは、あの急に離しかけてきた女子達と一緒だ。人にはそれぞれ触れてはいけないナイーブな部分があるという事を忘れてはいけない。

「今日はありがとうね。多分、もう会えなくなってしまうだろうから、涼もきっと喜んでいるね」

「もう会えなくなるってどういう意味ですか」

「実は来月の頭に引越しする予定だったのだけど、でもこんなことがあったから、夫がなるべく早くここを出たいっていってね…」

「いつから決まっていたんですか?」

「それは今年のことでね。涼も嫌がっていたし、学校のこともあるから反対はしていたんだけど…」

水橋は引越しのことなど一言も教えてくれなかった。

「いきなり…そうだね。君にとってはいきなりかもしれないね」

あの時水橋が言った言葉を僕は今理解した。

引越しの理由を聞いても答えてはくれず、僕が苦悶に満ちた表情をしていると気にしないでねといって、最初に見せた笑顔を同じように作ってくれた。僕は何も言えず、ようやく出た言葉が今日はありがとうございましたという何ともつまらないセリフだった。

 

僕はしばらく時間を潰し、山田の家へと向かった、日が落ちはじめている。夕暮れだ。嫌な予感がするのはきっと考えすぎだろう。

ずっとこの時間が続けばいい。

水橋との会話の中でそんな言葉を発したような気がする。僕は今自らその願望を破壊しに行くのだと思うと皮肉な笑いが自然にこみ上げてきた。

彼の家に着く。僕がチャイムを押すと彼自身が出迎えてくれた。

「時間通りだな。せっかくなら女の一人でも連れてきてくれればよかったのに」

彼の冗談を聞くとホッとする。無理に全てを打ち明け開くともいいのではないかと考えてしまったが、すぐに改めた。僕は、また卑怯な考えが頭を支配する前に口を動かそうとしたのだが、意外にも山田が口火を切った。

「水橋のことだろ?」

僕は動揺してしまい身動きが取れなかったのだが、山田が部屋に入れといって玄関の奥へと行ってしまったので慌てて後を追った。。

「実はお前に黙っていた事があったんだ」

「水橋と昔から仲がよかったことか?」

「知ってたのか?」

「今日水橋のお母さんから聞いたよ」

「そうか…じゃあお前ら二人がゲイだと知っていたのは?」

一瞬彼の言葉が理解できなかったが、時間を置いて吐き気とともに何度も脳に刻まれた。彼は知っていた…あの歪な関係を!

「…いつから」

吐き気を堪え必死に問う。頭がガンガンする。これ以上は聞きたくない。逃げてしまおうかと何度も何度も考えたが体が動かない。

「最初からだよ。」

最初から…そもそも始まりはどこなのか。僕がそう言おうとした瞬間、彼の口から事の顛末が語られた…

 

去年の夏。俺は水橋と一緒に小さな喫茶店でくだらない話をしていた。

「山田君。新しいクラスは慣れた?」

「まぁな。可愛い女の子も多いし特に困った事はないね」

「それは嫌味のつもりかい?」

水橋が相変わらずの皮肉めいた笑顔で俺に突っかかる。

「そんな性格してるからホモになんかなっちまうんだよ」

「それは逆だよ。僕が普通に女の子を好きになっていたらこんな風にはならなかったさ」

「自分の異常さを理解している分お前は立派だよ」

こいつがゲイだというのは昔から知っている。ある日突然好きな人ができたというから話を聞いてみたらその相手は男で、俺は爆笑した後真剣に精神科へと通院することを進めた。

そのカミングアウトをされても俺と水橋の縁は切れなかった。お互いそんな関係にならないということは分かっていたし、俺自身こいつの事を嫌いじゃなかったからだ。勿論そこに色恋の感情などなく、純粋に友人としてこいつに惹かれていた。頭もよく変わった趣味を多く持つ水橋は俺の知らない世界を見せてくれる。質の悪い冗談も言うが心の奥では感服していた。

「で、そっちはどうなんだよ。上手くいっているのか?」

「概ね順調だよ。僕のクラスは女子が多いからね。彼女達を味方につければ怖いものなしだよ」

そういうと水橋は紅茶を一口のみ外を見ていた。何か考え事をしているときに外を眺めるの癖は相変わらずのようだ。

「また恋わずらいか?」

「まぁね。相手は誰だと思う?」

「俺じゃないことは確かだな」

「そうだね。でも君にも関係がないわけじゃないんだよ」

「まさか俺のオヤジっていうんじゃないだろうな」

「それはそれで面白そうだけどね。ただ僕は君と家族になるくらいなら首を吊るよ」

「面倒くさいな。誰だよその相手は」

「沢木くんだよ」

よく聞き知った名前に俺は驚きを隠せなかった。なぜよりにもよって俺の友人を選んだのだろうか。

「なんでよりにもよって沢木君なんだって顔をしているね」

「その通りだ。理由はなんだ」

「実はこんな掲示板があってね」

水橋が携帯電話を渡してきたので画面を見てみると、そこには知りたくもなかった世界が広がっていた。こんなもの質問の答えになっていないと突き返そうとしたのだが、ある名前と書き込みが目に入り動きが止まった。

JUN【僕はG県N市に住む高校生です。実は最近好きな人ができたのですが、その人は友人で、またまったく普通の人なのです。僕はどうしたらいいんでしょう】

G県N市は俺の住んでいる町だ。そして沢木のフルネームは沢木純…

「これは…沢木なのか?」

「ほぼ間違いないだろうね。ほかの書き込みにも彼と特定できる情報がいくつかあった。実は明日直接会うことになったからそのとき真偽がわかるよ」

「…まだ質問に答えていないぞ。なんで沢木なんだ?」

「この掲示板はね。傷の舐めあいをするためにあるんだ。みんなそれを知っていて利用している。そういうものを否定はしない。けどね。僕らはもっと強くならなくちゃならないんだ。こんな影に隠れてお互い傷つかないようにしているうちは僕らに未来はない。そう思ってここの掲示板に厳しい言葉を書き続けたんだ」

水橋の言葉を聞きながら掲示板を見ていると。ニュクスという名前の人間が随分と叩かれていることに気付いた。

「このニュクスってのはお前か?」

「そうだよ。ニュクスはギリシャ神話で夜の女神のことさ。彼女は復讐の女神ネメシスや争いの女神エリスを産み出した原子の神々の一人さ。僕らマイノリティはいつも虐げられている。だからこそみな諦めて陰気に篭ってしまうんだ。だから僕はそんな暗黒の世界の神になりたい。そして強力な存在を生み出し戦っていきたいんだ。」

「政治家みたいな事をいうなよ。たかが性癖の一つじゃないか。で、それと沢木がどう関係があるんだ?」

「沢木君は気付いているんだ。その掲示板に陰湿さに。そして僕が書き込む理由に。だから好きになったのさ」

昔から危ういところはあったがここまで吹っ切れてはいなかった。水橋の身に何かあった事は明白だ。そして、それが何であったかも。

「オヤジさんにバレたのか?」

そういうと、いつもの余裕が一変して水橋の顔が苦悩に満ち溢れた、まるで悪魔に微笑みかけられたような顔を作り上げていった。水橋の父親は厳しい人だった。暴力は振るわないが、自分の価値観を絶対視しており、それがまかり通らないことが許せない人間だった。水橋が父親に冷たく言い寄られている姿は何度か見たことがある。そのたびにこいつは同じ顔をしていた。恐怖と憤怒に駆られ、今にも壊れてしまいそうな表情。俺は水橋がそんな顔をする度に軽い言葉を投げかけた。頭が良くて何でもこなしてしまう。だからこそ必要以上に怯えどうしていいのかわからなくなってしまうのだ。溢れんばかりの才能をなぜこいつの父親は抑えつけようとしているのか俺には理解できない。

「分かった…もういい。ただな。お前が沢木に絡むんなら、俺はお前と極力関わらないようにするぜ?」

「その方がいいね。君は邪魔しかしないから」

水橋に皮肉めいた笑顔が戻っていた。そうこいつはこれでいいんだ今回の件がどうなろうが俺は二人の友人として関係を崩さない。水橋に関わらないようにするといったのも、妙に関係をこじらせたくなかったからだ。あの掲示板に書いてあった、好きになってしまった友人とは十中八九俺のことだろう。水橋は繊細だ。きっと俺と沢木が親しくする姿を見れば、本人の意思に関わらず悪意が生まれるだろう。それはお互いの距離が近ければ近いほどより強力なものとなる。ほとぼりが冷めるまでは二人から一定の距離を取りたい。俺はどんな道を歩もうが一生友達でいたいと心のそこから願っている。こんなことで、いや、こんなことだからこそ俺は今ある友情を失ったりはしたくない。二人がどんな結末を迎えようとも最後には笑っていられるような関係を作りたい。そう思っていた。

 

 山田の独白を聞きながら僕はひとつ疑問に思ったことがある。それは水橋の父親のことだ。彼の家にはよく訪れていたのだが、ついぞ一度も出会うことがなかったし、彼自身からその話を聞くこともなかった。ただ、余裕の伺える家庭から一定以上の収入があることは推測でき、数々の収集品から高い教養と知性を感じられた。

「水橋の父親はそんなに厳しい人なのか?」

「そうだな。厳格な人だったよ。同性愛なんて絶対に許さないような人間だな」

「水橋の家族が引越しする事に関係があったのかな」

「知らないな。あいつは何も言ってくれなかった」

「そうか…」

「それと、あいつが死ぬ前にメールが着たよ。」

「どんな内容の?」

そう聞くと山田は携帯電話を差し出した。恐る恐るそれを受け取り水橋から送られた文章を読むと、僕は彼の死を聞いた時さえ流れなかった涙が頬を滴り、叫びにも似た声を上げ嗚咽した

 

【僕は早まってしまったよ。無駄だとわかっているのに沢木君に迫ってしまった。それどころか、沢木君に慰み者になってほしいとも言ってしまったよ。馬鹿な話さ。僕はどうしたらいいかわからなくなってしまったんだ。最後にこの気持ちを伝えるだけでよかったのに、感情を抑えきれなかった。僕は気持を伝えるだけでいいなんて無駄で無意味な自己満足だと思っていたけど、いざ自分の気持ちが本気になってしまうとそれもいいかと思ってしまうもんだね。そして、いいと思っているのは拒否される前だけだってことも今知ったよ。言わなければよかった。そうすれば、沢木君の中で僕はいい友達でいられたんだから。さて、これからがこのメールの本題だ。山田君。君に最後の頼みがある。もし僕がいなくなってしまっても、君だけは沢木君の理解者であってほしい。同情や義理を感じて接するのではなく、彼に対し普通の男の友達として接してくれればいいんだ。こんなこといえた義理じゃないけど、彼の心の支えになってあげてほしい。彼に対する罪滅ぼしもできないけれど、せめて彼の人生がよりよきものであるように僕はいつまでも願う。君に頼むことで彼は一時的に辛い思いをするだろうけど、いつかきっと君に対して踏ん切りがついて彼が望む幸せが手に入る。だからそれまでは側にいてあげてほしい。彼の、僕の友達として。】

「馬鹿だよな。こんなこと死ぬ間際に送ってきたんだぜ?」

「…そうだな…馬鹿だよ…本当に…」

山田は泣きじゃくる僕を優しく抱擁した。まるで母親は子供を慰めるように。何も言わずただ肩を抱き、涙が枯れるまで側にいてくれた。

 

次の日。僕はいつも通り学校へと向かう。昨日山田の家から帰ってきた後僕は両親にゲイだということをカミングアウトした。ある程度噂になっており二人とも知っていたようだが、僕の口から直接聞きたかったということで今まで黙っていたらしい。そのとき父親が、今まで気付けなくてすまなかったと謝罪された。僕はただ、ありがとうとだけ言った。学校へ到着し朝練習を終え教室に入ると、山田が漫画雑誌を読んでいた。挨拶をするといつものように気だるい言葉で答えてくれた。水橋。山田はいいやつだよ。移り行く時の中でこいつだけは変わらず友達でいてくれるんだから。僕は睡魔に襲われ机に突っ伏す。夢の中で、銀色に輝く月が世界を照らしていた。

 

    〜if〜

「何を見ているんだ?」

「とくになにも」

そういって外を見続けている。僕は…

そっと彼の肩を抱きしめた。

なぜか分からないが、そうしなくてはいけない気がした。水橋が泣いているのがわかる。

「どうしたんだ?」

「別に…なんでもないさ…」

「本当になんでもないのか?お前はそれでいいのか?何かあったからあんなことをしたんだろう?」

長い沈黙の後、震える声で僕に訴えかけてきた。

「実はね来月に引っ越すことになったんだ…もう会えなくなると考えると、日に日に君への想いが強くなっていって…どうしても抑えきれなくなった…」

「どうして急に引っ越す事になったんだ?」

また沈黙が支配した。どうやらその理由こそが問題の根幹のようだ。

「父親にばれたんだ…僕が同性愛者だって…そのこと事態は一年前に知られていたんだけど、僕が君の事を好きだということに最近感づかれてね…だから急遽引越しさ。僕の都合なんて考えてもくれない。」

「君だったら頭もいいし、どこだってやっていけるさ。」

「そうだね。でも君がいないところなんて僕は堪えられない。」

「そんな一時の感情に流されるほど、君は愚かではないはずだろ」

「沢木君僕は…」

水橋が何か言おうとした瞬間僕は彼の唇を奪った。舌が絡み合う。さっきとは立場が逆転して僕が主導権を握っているという優越感に浸り、いつもとは違う弱い水橋の表情を見て僕は抑えきれない欲求をさらけ出した。彼の手を握りそそり立つ肉棒を触れさせた。

一瞬硬直する水橋に僕は耳元で囁いた

「したいんだろう?そのために僕を呼んだんだろう?」

どうしていいのかわからないのなら、感情に押しつぶされてしまいそうなら、いっそ全てを爆発させてしまえばいい。これが最善の選択とは思わない。だが、これで最悪の結末は避けられるような、根拠のない思考が導かれた。

身を震わせながら何も言わない彼により一層興奮する。そう。すべてを受け入れてしまえばいいのだ。広がる暗黒に身を任せ本能の赴くまま刹那の快楽を求めるのも悪くない。このまま欲望の海に溺れよう。なぁ…水橋…

彼のモノをゆっくりとさする。絹のような肌触りとやや長めのそれは彼らしい上品なものであった。

「うぅ…はぁ…」

艶やかな声を上げる彼を見つめる。

「かわいいな水橋。そんな顔を見たことがないぞ」

自分の性格が変わっていくのが、いや、本当の自分が出ているのがわかる。僕は恐れていただけだ。一歩踏み出すのを…

「沢木…君…ん…」

水橋が僕のを咥えてくる。ねっとりとした感触に思わずと息が漏れそうになるのを彼は見逃さなかった。

「ん…はっ…いいのかい?」

ようやく彼らしい表情が現れた。皮肉めいた余裕のある笑顔に何故か安堵してしまう。それと同時にあふれ出す性欲。抑えきれない興奮。僕は水橋を見つめる。彼の決め細やかな肌。柔らかい髪。何もかもを見通すような鋭い目に僕は思わず息を飲む。彼は美しい。儚く、凛々しく

煌びやかで、それでいて落ち着きがあって、まるで満月のように重く静かに輝いている。窓の外では相変わらず月が世界をたらしていた。あの月は僕らのことを見ているのだろうか?秘め事を、快楽に溺れる様を…

「沢木君…?」

「いやなんでもない」

「そう…ねぇ…そろそろさ…」

そろそろ…その次に続く言葉はわかっている。

「あぁそうだな…」

僕がそういうと、水橋はどこからかローションとコンドームを取り出してきた。

「どうしてそんなものを持っているんだ…」

「ずっとね…君と一緒になりたかったんだ…いつかこんな日がくるって夢見ていたんだよ…」

「それで買ったのか?」

「うん。さすがにちょっと恥かしかったけどね」

水橋から受け取った道具は二つとも未開封だった。コンドームは使用方法がよくわからなかったため少し手間取っていたが、あの掲示板に書かれていたことを思い出しなんとか使うことができた。ローションで濡らし、水橋の秘部にゆっくりと突き刺した。

「っ…!」

「痛いか?」

「大丈夫だよ…」

彼の目には涙が溜まっていた。その涙が痛みによるものなのか。それとも僕と繋がった事によるものなのかは知る由もない。

その日、僕らは何度も何度もも貪りあった。お互いの傷を癒すように、空いてしまった穴を塞ぐように。

力尽き僕らは二人で横になった。お互いに何もいわずただ時間の流れに身を任せ、ゆっくり、ゆっくりと、この瞬間をかみ締めるように、静かに手を握った。目を閉じる。暗黒の中にひっそりと月が輝いていた。

 

 

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BL。ノンケな俺にとっては苦手な分野だ。
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